ミステリ作家は死ぬ日まで、
黄色い部屋の夢を見るか?
~阿津川辰海・読書日記~


「いったい、いつ読んでいるんだ!?」各社の担当編集者が不思議がるほど、
ミステリ作家・阿津川辰海は書きながら読み、繙きながら執筆している。
耽読、快読、濫読、痛読、熱読、爆読……とにかく、ありとあらゆる「読」を日々探究し続けているのだ。
本連載は、阿津川が読んだ小説その他について、「読書日記」と称して好き勝手語ってもらおうというコーナーである(月2回更新予定)。
ここで取り上げる本は、いわば阿津川辰海という作家を構成する「成分表」にもなっているはず。
ただし偏愛カロリーは少々高めですので、お気をつけください。
(※本文中は敬称略)


著者
阿津川辰海(あつかわ・たつみ)
2017年、本格ミステリ新人発掘プロジェクト「カッパ・ツー」第1期に選ばれた『名探偵は嘘をつかない』でデビュー。作品に『録音された誘拐』『阿津川辰海・読書日記 かくしてミステリー作家は語る〈新鋭奮闘編〉』『入れ子細工の夜』『星詠師の記憶』『透明人間は密室に潜む』『紅蓮館の殺人』『蒼海館の殺人』がある。
読書日記が単行本になりました!『阿津川辰海・読書日記かくしてミステリー作家は語る〈新鋭奮闘編〉』


目次

第38回~最新

2022.09.23 第43回翻訳ミステリー頂上決戦・2022年版! 後半戦 ~壮大なる物語の迷宮の先に、辿り着いた景色とは?~

2022.09.09 第42回翻訳ミステリー頂上決戦・2022年版! 前半戦 ~無法者の少女と懐かしきアメリカ、そして謎解き~

2022.08.26 第41回まだまだ阿津川辰海は語る ~新刊乱読編~

2022.08.12 第40回まだまだ阿津川辰海は語る ~旧刊再読編~

2022.05.27 第39回全ページ興奮の本格×冒険小説、待望の最新刊 ~進化するアンデシュ・ルースルンド~

2022.05.13 第38回春の新刊まつり ~絞り切れなかったので、「かわら版」的短評集~

第32回~第37回

2022.04.22 第37回その足跡に思いを馳せて ~ミステリーファン必携の一冊~

2022.04.08 第36回心に残る犯人 〜未解決事件四部作、いよいよ好調!〜

2022.03.25 第35回悪魔的なほど面白い、盛りだくさんの超本格ミステリー! ~我が生き別れの、イギリスのお兄ちゃん……(嘘)~

2022.03.11 第34回引き裂かれたアイデンティティー ~歴史ミステリーの雄、快調のクリーンヒット~

2022.02.25 第33回児童ミステリーが読みたい! ~あるいは、私を育てた作家たちのこと~

2022.02.11 第32回かくして阿津川は一人で語る ~あるいは我々を魅了する『黒後家』 の謎~

第26回~第31回

2022.01.28 第31回たった一人で、不可能の極致に挑む男 ~しかし、ユーモアだけは忘れない~

2022.01.14 第30回佐々木譲は立ち止まらない ~歴史改変SF×警察小説、無敵の再出発~

2021.12.24 第29回法月綸太郎は我が聖典 ~“疾風”“怒涛”のミステリー塾、待望の新作!~

2021.12.10 第28回超個人版「SFが読みたい……」 ~ファースト・コンタクトSFっていいよね……~

2021.11.25 第27回ワシントン・ポー、更なる冒険へ ~イギリス・ミステリーの新星、絶好調の第二作!

2021.11.12 第26回伊坂幸太郎は心の特効薬 ~唯一無二の寓話世界、新たなる傑作~

第20回~第25回

2021.10.22 第25回世界に毒を撒き散らして ~〈ドーキー・アーカイヴ〉、またしても快作~

2021.10.08 第24回お天道様が許しても、この名探偵が許さない ~コルター・ショウ、カルト教団に挑む~

2021.09.24 第23回海外本格ミステリー頂上決戦 ~ヨルガオvs.木曜、そして……~

2021.09.10 第22回“日本の黒い霧”の中へ、中へ、中へ ~文体の魔術師、その新たなる達成~

2021.08.26 第21回世界水準の警察小説、新たなる傑作 ~時代と切り結ぶ仕事人、月村了衛~

2021.08.13 第20回 特別編6七月刊行のミステリー多すぎ(遺言)~選べないから全部やっちゃえスペシャル~

第14~19回

2021.07.23 第19回 特別編5ヘニング・マンケル「ヴァランダー・シリーズ」完全攻略

2021.07.09 第18回皆川博子『インタヴュー・ウィズ・ザ・プリズナー』

2021.06.25 第17回ユーディト・W・タシュラー『誕生日パーティー』

2021.06.11 第16回 特別編4D・M・ディヴァイン邦訳作品全レビュー

2021.05.28 第15回ベア・ウースマ『北極探検隊の謎を追って:人類で初めて気球で北極点を目指した探検隊はなぜ生還できなかったのか』

2021.05.14 第14回 特別編3ディック・フランシス「不完全」攻略

第8回~13回

2021.04.23 第13回ヨルン・リーエル・ホルスト『警部ヴィスティング 鍵穴』

2021.04.09 第12回恩田 陸『灰の劇場』

2021.03.26 第11回佐藤究『テスカトリポカ』

2021.03.12 第10回高橋泰邦『偽りの晴れ間』

2021.02.26 第9回ロバート・クレイス『危険な男』

2021.02.12 第8回 特別編2 ~SF世界の本格ミステリ~ ランドル・ギャレット『魔術師を探せ! 〔新訳版〕』

第3回~7回

2021.01.22 第7回ジョー・ネスボ『ファントム 亡霊の罠』

2021.01.08 第6回清水義範『国語入試問題必勝法 新装版』

2020.12.25 第5回 特別編~クリスマスにはミステリを!~ マイ・シューヴァル&ペール・ヴァールー『刑事マルティン・ベック 笑う警官』

2020.12.11 第4回ケイト・マスカレナス『時間旅行者のキャンディボックス』

2020.11.27 第3回エイドリアン・マッキンティ『ガン・ストリート・ガール』

第1回~2回

2020.11.13 第2回ジェフリー・ディーヴァー『ネヴァー・ゲーム』

2020.10.23 第1回ジョセフ・ノックス『笑う死体』

画面下の番号リンクから目次の回に切り替えることが出来ます

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第43回2022.09.23
翻訳ミステリー頂上決戦・2022年版! 後半戦 ~壮大なる物語の迷宮の先に、辿り着いた景色とは?~

  • 精霊たちの迷宮(上)、書影
    精霊たちの迷宮(下)、書影


    カルロス・ルイス・サフォン
    『精霊たちの迷宮(上・下)』
    (集英社文庫)

  • 〇「夏の出版社イチオシ祭り」作品全部読む! 後半戦

     さて、今月の前半に更新した第42回に続き、今日も「翻訳ミステリーの2022年注目作」総ざらい企画として、「夏の出版社イチオシ祭り」で取り上げられた、各出版社の注目作についてバシバシ紹介していきますよー。まずは復習がてら、対象作品のリストから。

    前半戦 9/9更新分、第42回
    〇小学館 ニクラス・ナット・オ・ダーグ『1794』『1795』
    〇扶桑社 フレデリック・ダール『夜のエレベーター』
    〇ハーパーコリンズ・ジャパン 周浩暉『邪悪催眠師』
    〇二見書房 ニタ・プローズ『メイドの秘密とホテルの死体』
    〇早川書房 クリス・ウィタカー『われら闇より天を見る』

    後半 本日の更新分
    〇東京創元社 ホリー・ジャクソン『優等生は探偵に向かない』
    〇新潮社 ポール・ベンジャミン『スクイズ・プレー』
    〇KADOKAWA トーヴェ・アルステルダール『忘れたとは言わせない』
    〇文藝春秋 ジェローム・ルブリ『魔王の島』
    ※ここで他出版社の注目作もご紹介
     講談社 リー・チャイルド『奪還(上・下)』
     竹書房 A・J・カジンスキー、トーマス・リュダール『被疑者アンデルセンの逃亡(上・下)』
    〇集英社 カルロス・ルイス・サフォン『精霊たちの迷宮(上・下)』

     ではでは、本日もいきましょう。まずは東京創元社から!

    ◯東京創元社から

     東京創元社から登場したのは、ホリー・ジャクソン『優等生は探偵に向かない』(創元推理文庫)! 何を隠そう、解説を務めさせていただきました。第一作『自由研究には向かない殺人』では、五年前に容疑者となった青年の無実を明かすべく、一人「自由研究」に乗り出したピップですが、本作では『自由研究には向かない殺人』の余波を受けて、ポッドキャスト配信で一躍「探偵」として名を馳せたピップの活躍が描かれます。前作が清冽な読み味の中にほろっと苦みが走る絶妙な塩梅の青春小説だったとするなら、本作はいよいよヤングアダルト小説独特の苦みが強くなってきて、ミステリーとしても一段の進化を遂げた感があります。特に私、悔しかったのが、短編「入れ子細工の夜」でも、なんなら最近の短編「おれ以外のやつが」(『小説推理』10月号)でも取り入れているスマートウォッチを、とんでもなく巧い使い方で使われたことで、「こんなに魅力的な手掛かりの使い方、先に思いついていたら使いたかった!」と地団太を踏んでしまいました(スマートウォッチが決め手になるわけじゃないので、ネタバレではないですよ)。

     解説ではそのあたりの謎解きミステリーとしての側面と、犯罪小説としての美点をじっくりと書いてみましたので、これは解説も参考にしてみてほしいです(解説で書きたいことを全部書いたので、どうしても紹介が短くなってしまう……!)。ここでも再度注意喚起したいのは、『優等生は探偵に向かない』は、続編というか、前作を第一部としたときの「第二部」というくらい密接に繋がっている作品なので、最大限楽しむためには前作から楽しんでおいたほうがいいということです。もちろん単独でも読めるようにしてありますし、より肝要な点として、ダイジェストパートがあるので、『自由研究~』既読者が、このためにあえて全部再読する必要はない、という程度にはしてあります。まあ、新作が出るたびに前の巻を全部読み返すのが何よりの楽しみ! という人もいるでしょうし、そこは好き好きですが。

     ところで、解説には書けないノリなのでここに書くんですけど、『自由研究には向かない殺人』で、正義感が強く、まっすぐに世の中の偏見を見つめるピップの姿に危なっかしさを感じつつも、やはり眩しさを覚えた身としては、やはり『優等生は探偵に向かない』の展開は衝撃的でした。SNSの使い方一つとってもそうですし、ピップという少女の危うさが、こういう形で発露したか、というところにも驚きが。ある意味、こういう話がしっかりとヤングアダルトミステリーの形で書かれているというところに力強さを感じます。でも、それよりなにより……三部作の最後で、ピップは一体、どうなっちゃうの~~~……? それだけが私は心配ですよ……元気に生きて……。

     さて、以下に、この読書日記でこれまでに取り上げた東京創元社作品のリストを掲げます。

    第36回
    ジョエル・ディケール『ゴールドマン家の悲劇』
    第38回
    レイモンド・チャンドラー『長い別れ』
    第41回
    アーナルデュル・インドリダソン『印』
    エドワード・ケアリー『呑み込まれた男』
    シヴォーン・ダウド『ロンドン・アイの謎』
    G・G・バイロン、J・W・ポリドリほか『吸血鬼ラスヴァン 英米古典吸血鬼小説傑作集』
    C・J・ボックス『嵐の地平』
    S・J・ローザン『南の子供たち』

     この中では、やはりジュブナイル・ミステリーの雄『ロンドン・アイの謎』がオススメ。少年による他者理解の物語でもありますし、謎解きミステリーとしての勘所もバッチリ。『嵐の地平』もC・J・ボックスの最高傑作の一つに数えられる出来栄えだと思います。シリーズの途中ですが、どこからでも入れるのが、ボックスの良いところです。

     八月以降に刊行された注目作も、ザッと浚っておきましょう。エリー・グリフィス『窓辺の愛書家』は、ビブリオ・ミステリーを謎解きの骨組みに巧く取り入れる作家の第二弾。第一弾は怪奇短編作家の見立て殺人を描いた『見知らぬ人』ですね。『窓辺の愛書家』では、90歳のおばあちゃんが亡くなって、彼女の遺品を整理したら、どの蔵書の本にも、献辞に彼女の名前が掲げられている……という発端が実に魅力的。サイン会で件の作家に接触したり、過去に書かれた一冊の本が現代の謎解きに繋がるかも……という見せ方などに、アンソニー・ホロヴィッツ『その裁きは死』や『ヨルガオ殺人事件』のプロットに呼応するものを感じ、本国でも影響力が大きいのかなあと邪推したりも。前作『見知らぬ人』は伏線から導き出された犯人像がかなりそれまでの落ち着いたスタイルと乖離していて、『窓辺の愛書家』は実に折り目正しく、嬉しくなってしまいました。

     アンソニー・ホロヴィッツ『殺しへのライン』もやはり注目。元刑事の名探偵ホーソーンと作者と同名の視点人物アンソニー・ホロヴィッツのコンビの活躍を描く〈ホーソーン&ホロヴィッツ〉シリーズの最新作。昨年、第23回の「海外本格ミステリー頂上決戦」で同作者の『ヨルガオ殺人事件』を取り上げさせていただき、ホロヴィッツのほぼ全作解説のような形になりましたが、そこでは“ホロヴィッツの魅力の核心は「演出」にある”と述べていました。手掛かりそのものや、フェアプレイももちろんですが、そうした手掛かりから真相を導くときの「演出」、ここから全てが解き明かされるというその高揚感の「演出」が素晴らしいのです。そして今回の『殺しへのライン』もその期待を全く裏切りませんでした。それどころか、探偵の魅力という点で、さらに大きな飛躍を見せた作品だと思います。少し紙幅を取って掘り下げてみましょう。

     本作はオルダニー島での文芸フェスを舞台にしており、旅行に来た面々の前で殺人が起こるという結構は、さながらアガサ・クリスティーの『死との約束』『白昼の悪魔』などの本歌取りのようです。『殺しへのライン』はさらに、「殺人前のドラマ」をじっくりと描いた作品で、具体的なページ数を明示するのは控えますが、第一の殺人まで100ページほど、たっぷりと紙幅を取って、文芸フェスの個性豊かな参加者や、フェスの主催者である夫婦やその後援者であるカジノ経営者など、秘密を抱えた人間関係をじっくりと紡いでいきます。この中に、「いかにも殺されそうなやつ」がいて、その人物を中心に人物関係が配置されているように見える点もまた、『死との約束』を思わせる特徴です。

     謎解き面に関して言えば、私が元からホロヴィッツに感じていた「伏線の組み合わせ方、配置の巧さ」という特徴がさらに生きる形が用いられています。今回はある意味で、一つ一つの伏線の射程が短いのですが、代わりに、有機的な手掛かりの組み合わせで場を駆動するようになっているのです。「伏線の射程」というのは私なりの語感で、「ある伏線が示唆する真相との距離」といったぐらいのニュアンスなのですが、たとえば、Aという伏線があったとして、この伏線がある人物のBという特徴を意味し、Bという特徴は現場の凶器Cに繋がり、したがって犯人はXと言える、という伏線A~Cの張り方があった時に、多くの謎解きミステリーは真相を隠すため、このように複数の伏線を経由するようにしているのですが、『殺しへのライン』は、ほぼ、AがXに直結するようになっているんですね。これが、伏線の射程が短い、という時の意味。ただ、これはXから手掛かりBを得るためにこう作っているのであって、決して弱点というわけではありません。そして、これはクリスティーが『ナイルに死す』『死との約束』あたりで先鋭化させた手法だと思うのです。Xから手掛かりBを得ることで別の伏線Cと連鎖させたり、別の人物Yに繋げたり、最終的には、射程の長い伏線の先にいる真犯人Zに繋がるように作っていくというわけですね。射程の短い伏線は、あえて晒している、という感じ(今、私の作品を思い出した人もいるのではないかと。こうして手の内を晒すと自分の首を絞めることになりますね)。

     こうした構図を用いる場合、読者が全てのデータを得ることが出来る時点はどんどん後ろ倒しになっていくので、そういうのもあって、今回、フェアプレイという点では前作に比べ物足りないと感じる人もいるかもしれません。ただ、個人的には、いわゆるクリスティー流の本歌取りを、現代的なテンポで実現している好例として、地団太を踏むほど悔しくなれて好きです。こういうミステリーが今書かれているって思うだけで元気になります。これは細かいポイントですが、シリーズ前二作では嫌味なだけの警官が多かったのに対し、今回の警官は、にこやかなのに曲者といういいキャラ造形で、これも個人的にはポイントでした。

     そして、ただクリスティーの本歌取りで終わっていないのが、先述した探偵自身のドラマです。ホーソーンの過去に何があったのか? というシリーズの大きな謎については、第一作『メインテーマは殺人』と第二作『その裁きは死』では仄めかされる程度だったのですが、今作ではホーソーンの過去を知る人物の登場で、大きな動きを見せることになります。実はこれまで、私にとってホーソーンは、傍若無人な振る舞いや、ホロヴィッツのことを邪険にするその態度、ナチュラルに差別主義者であることなど、嫌いな理由のほうが多いキャラクターだったのですが、今作で過去を知る男に対して怒りをあらわにし、暗い影を覗かせたホーソーンの姿には、思わずグッと心を鷲掴みにされてしまいました。本作で全てが解決されるわけではないですし、まだまだ引っ張るのですが、私もいよいよ、ホーソーンの過去とこれからに興味津々となってしまいました。あ、念のため言っておきますが、最悪傍若無人ムーブはまだまだ残っていて、1章から人の秘密を明け透けにバンバン言い当てます。ホーソーン、君、そういうとこだよ…………。

    ◯新潮社から

     新潮文庫からはポール・ベンジャミン『スクイズ・プレー』が挙がりました。ポール・オースターがオースターになる前に別名義で書いていた「幻のデビュー長篇」にあたるのが本作です。前回取り上げた『黒き荒野の果て』(ハーパーBOOKS)について、いわゆるノワールに求める要素を満載した作品という意味で、あえて大文字で「THE NOIR」(あるいは「LE NOIR」)と表記したいと言いましたが、それを言うなら『スクイズ・プレー』はまさしくあざといまでの「THE HARD-BOILED」。ここまであざといと、「ほらほら、男の子ってこういうのが好きなんでしょう~?」って言われている気がして、好きと認めるのが悔しくなるのですが……でも、こんなに完璧なハードボイルドは他にそうそうないよ……。若島正の『殺しの時間』で名前を見かけて以来、「あのオースターがハードボイルドを!?」とずっと読みたくてたまらなかったのですが、まさかこんな形で読めて、それもこれほどの傑作だなんて。

     とにかくのっけから語り口がたまらない。私立探偵、マックス・クライン。一作限りの主演にしておくにはもったいないほどのキャラクターです。何度もくすくす笑わされ、目が離せなくなって、やがてマックスと共に事件の渦の中に飲み込まれていく。ユーモア、トラブル、苦い結末。ここにはアメリカン・ハードボイルドに求める全てがあります。なんなら、タイトルが示している通りの野球の描写だって、アメリカのハードボイルドに無意識に求めてしまう要素でもあります。それはローレンス・ブロックの「ケラーの指名打者」(『殺しのパレード』収録)とかの影響が自分の中では大きいのかな……。

    “野球場のホットドッグというのは野球体験の一部なのだろう。何十ヤードも離れたところにいて、聞こえるはずもない選手に向かって、わかったような指示を叫んでいるファンの声や、一向に気にしたふうのないピッチャーに対するブーイングを聞いたり、見ず知らずの男にからかわれたりするのと同様。すべてが偉大なるアメリカの娯楽というわけだ。”(「ケラーの指名打者」より、『殺しのパレード』〈二見文庫〉p.11)

     ブロックの描写は思わず笑わされるくらいシニカルなのですが、『スクイズ・プレー』19章における野球の描写は、それ自体に耽溺しているとさえ思ってしまうほど長いんですよね。もちろんタイトルにもなっている通りの「スクイズ・プレー」にかかわる描写で、ミステリー的にも重要なシーンなのですが、それでもここにあえて野球観戦のシーンを持ってくるあたりが、実にアメリカ的というか。そういうところも含めて楽しめました。オースターの〈ニューヨーク三部作〉の裏面をなぞる、これも一つの、オースターが描く「ニューヨーカー」の物語だったと言えそうです。

     これまでオースターといえば『ガラスの街』『幽霊たち』『鍵のかかった部屋』の〈ニューヨーク三部作〉と、『幻影の書』『オラクル・ナイト』あたりでマイ・ベスト5だったのですが、これからはどれかを泣く泣く外して『スクイズ・プレー』を入れるかも。あと、解説の池上冬樹が指摘していた、日本の文学者が別名義でミステリーを書く時は本格を書くが、海外の文学者の場合ハードボイルドを書くという指摘に首がもげるほど頷きました。別名義のダン・キャヴァナーで『顔役を撃て』などのハードボイルドを書いていた文学者のジュリアン・バーンズが、バーンズ名義のほうで著している『終わりの感覚』(新潮クレスト・ブックス)はその年のミステリーベスト1というのにもめちゃくちゃ同意です。バーンズ名義だからと、海外文学好きだけに読まれているのはもったいない。マジで『終わりの感覚』は読みましょう。

     新潮文庫では、ポール・ベンジャミンをはじめとする「海外名作発掘」のシリーズが始動したことで、古典名作かつ今まで未訳だった作品がピックアップされているのが嬉しいところ。第38回で取り上げたライオネル・ホワイト『気狂いピエロ』は、ノワールの中でも珍しいタイプのファム・ファタール像が印象に残る佳品でしたし、ドナルド・E・ウェストレイク『ギャンブラーが多すぎる』は著者の作品にしては長いのが玉に瑕ですが、著者らしいユーモラスな語り口とドタバタ劇にノセられて、軽快な気分で読めるクライム・コメディでした。今後も「海外名作発掘」には期待大です。

     また、新潮社の新潮クレスト・ブックスからは、エマ・ストーネクス『光を灯す男たち』という作品が八月に登場、これも味わい深い海外文学の傑作です。コーンウォールの絶海に建つ灯台から、1972年に三人の男たちが忽然と姿を消した、という発端から、1972年に男たちに何があったかを詳らかにしていく過去パートと、1992年、男たちに残された灯台守の妻たちのところを海洋冒険小説家のダン・シャープが訪ね、過去の事件を探ろうとする現在パートに分かれて展開します。ミステリー的なプロットは取っ掛かりに過ぎないのですが、非常に魅力的な引きになっていますし、何より文章や描写力、シーンの美しさが素晴らしい。「灯台」は作品の舞台であると同時に、作品全体を貫通する暗喩にもなっているのです。終盤の描写の巧さたるや、素晴らしいもので、実に味わい深いエピローグも見事です。私が薦めたということでミステリーを過度に期待されると違うかもしれませんが、実に心に沁みる海外文学として、2022年の収穫に数えたい一冊です。「灯台小説」としても一級品です。三津田信三『白魔の塔』を受けて杉江松恋が常々言っていた「灯台守は女にもてる」という格言が、エマ・ストーネクスの手によって再度実証されましたね。……と、いう冗談はさておき、去ってしまった男たちの視点だけでなく、残された女たちの視点も取り入れ、両面から描いたことが、この作品の芯の強さにも繋がっていると思います。

    ◯KADOKAWAから

     KADOKAWAからはトーヴェ・アルステルダール『忘れたとは言わせない』が刊行。同作者は2017年に創元推理文庫からデビュー作『海岸の女たち』が邦訳されており、これは移民問題を主軸に据えた社会派ミステリーの良作でした。デビュー作にして見事な完成度を誇る作品でしたが、中でもとりわけ私が好きだったのは、主人公自身のルーツ、アイデンティティー探しが巧みなサブプロットとして走り、本筋と繋がってくるところでした。

     では本作『忘れたとは言わせない』はどうでしょうか。本作で主人公を務めるのはエイラ・シェディンという女性警察官。初期認知症を抱える母と、放浪癖がある兄を家族に持ち、「地元に関する知識」を持っていることから捜査に加えられる。その私生活をじっくりと描き上げていくところは、マイ・シューヴァル&ペール・ヴァールー〈刑事マルティン・ベック〉シリーズなどの北欧ミステリーの伝統を思わせます。おまけに、それが警察小説としてのメインプロットにも関連してくるというところは、やはりデビュー作で垣間見えたアルステルダールの美点がしっかりと生きていると言えるでしょう。

     23年前の事件によって、秘密を抱え、過去に囚われた人々。当時14歳で凶悪事件を自白し、保護施設で育ったウーロフが実家に帰ると、父は自宅で亡くなっていた。ウーロフは犯人と疑われ、エイラは警察官として否応なく事件に巻き込まれていく。あの時何があったのか。今、何が起こっているのか。過去と現在を繋ぐ一つの線が見えた時、ほう、とため息が漏れるような犯罪小説です。シリーズの続きに期待したいところ。

     個人的には、『シェトランド』のドラマをエイラの母親が見るシーンがやけに印象的に書かれていたのがツボでした。『シェトランド』はアン・クリーヴスの『大鴉の啼く冬』(創元推理文庫)に始まる〈シェトランド四重奏〉を原作としたミステリードラマです。最近、創元推理文庫から出たC・A・ラーマー『マーダー・ミステリ・ブッククラブ』でも、アン・クリーヴスのもう一つのロングラン・シリーズ、〈女警部ヴェラ〉シリーズ(未訳)を楽し気に読むシーンがあって、やっぱり海外ではアン・クリーヴスって人気なんだなあと羨ましくなりました。アン・クリーヴス、現代で一番好きな謎解きミステリー作家です。“Wild Fire”が邦訳されたら全作レビューしようかな。

     また角川文庫から出たS・J・ベネット『エリザベス女王の事件簿 ウィンザー城の殺人』にも注目。エリザベス女王を主人公にしたミステリーは他にもあるとはいえ、この作品では、「高貴であるがゆえに自分では謎を解かず、人を操り、その人に自分から真相を気付かせる」という、麻耶雄嵩の〈貴族探偵〉シリーズのような「操りの構図」を取り入れた点がキモ。それがいわゆる本格ミステリーでいう「操り」の発想からではなく、「ヴィクトリア女王が急に動いたり質問したりしたら、周りが気を回して大騒ぎになるもんね」という小説上の発想から生まれているのが笑えます。キュートでキッチュな謎解きミステリーとして名前を挙げておきたい。

    ◯文藝春秋から

     文春文庫からはジェローム・ルブリ『魔王の島』が参戦、とんでもなく挑発的なサイコ・サスペンスが登場です。こいつは凄まじいですよ。驚愕度では今年トップクラスかもしれない。ただ、この「驚愕度」にはいろいろなニュアンスがあって……精緻に組み上げられた騙しの構図に欺かれ、驚愕するタイプの本格ミステリーは、後から伏線や誤導を検討すると「あぁ、これは確かに騙されるなあ」「くそっ、気付けたはずなのに!」などと感嘆するのですが、『魔王の島』はどうかというと、たとえていうなら、遊園地のホラーハウスを進んでいたら、外から脱線したジェットコースターが突っ込んできたみたいな「驚愕」なんですよね。モロ突然死。確かにその可能性もあるんだけど、いやいやいや、と思わず笑ってしまうような塩梅で、ミステリーには「驚愕」を何よりも求めるという人には堪え難い一作でしょう。

     帯文からして挑発的で、「彼女のはなしは信じるな。」と、『魔王の島』が「信頼できない語り手」ミステリーの一種であることを半ば明かしているのですが、この作品の本当に凄いところは、こんなもの明かされたところで痛くも痒くもないというところ。有栖川有栖がよく言う「犯人だけ当てられても、痛くも痒くもない」というのと同じです(同じか?)。

     祖母の訃報を受け取ったサンドリーヌは、ある孤島に向かうことに。ナチスドイツ時代のトーチカが不気味にそびえ立つその島では、かつて子供たちに怖れられた「魔王」がいたという。子供たちはその後、全員が死んだ……。この島で何が起こったのか? この島で何が起こっているのか? 息もつかせぬノンストップ・サスペンスの果てに、読者の眼前に広がる景色とは?

     ……というのが若干煽り気味に作ってみた本書のあらすじ。視点の配置の仕方が巧く、読者の鼻面を引き回すような展開の乱打がたまりません。フランス・ミステリーは、こういうのが良いんですよねえ。ゲーテの『魔王』が印象的なモチーフとして全編を覆っているのも、「第一の道しるべ 島」というような一風変わった部のタイトルも興味をそそり、一気呵成に読まされました。そして驚愕。顎が外れるような衝撃、という言葉を久しぶりに思い出すような作品でした。帯裏には「『その女アレックス』のルメートル、『黒い睡蓮』のビュッシ、『パリのアパルトマン』のミュッソに続くフランスの刺客ジェローム・ルブリ」とありますが、これら三作家の要素をそれぞれ感じさせるのも面白いところ。ルメートルの残虐さ、ビュッシの世界そのものを壊すような驚愕性、ミュッソのプロット構築のスケールのデカさ。とはいえ、ビュッシやミュッソって、驚愕の果てに、「最後の最後には、この作家は人間を信じているんだなあ」と思わせる景色に辿り着いてくれるのですが………………ルブリさん、あんたって人はよォ……。

     文藝春秋からは他にも、注目作が続々刊行。カミラ・レックバリ/ヘンリック・フェキセウス『魔術師の匣』(文春文庫、上・下)は、スウェーデンのベストセラー作家レックバリによる新シリーズで、共著者にメンタリストを迎え、メンタリストと刑事のバディが猟奇殺人に挑みます。この猟奇殺人というのが、ステージマジックで、箱の中に入ったアシスタントが剣で箱ごと刺されるが無傷……という「剣刺し箱」の手口で殺されているのです。つまり、魔術のモチーフが全編を覆っている。ここで思い出すのがジェフリー・ディーヴァーの作品『魔術師』。そしてメンタリストの手法にはディーヴァーの創造した名探偵、キャサリン・ダンスの「キネクシス」という心理分析にも通じるところがあり……。そんな要素から濃厚な「文春印海外本格」のにおいを嗅ぎ取った『魔術師の匣』ですが、上巻はややサスペンスとして散漫な印象があるものの、下巻からは興奮の展開の連続、犯人との対決を描くクライマックスまで一気呵成に読ませます。特に、真犯人の正体を巡る伏線もさることながら、クライマックスのピンチのために張られた伏線が、良い。レックバリって盛り上げ上手! 新シリーズの第二弾は早くも来年刊行予定、こちらにも期待が高まります。

     スチュアート・タートンの『名探偵と海の悪魔』は第35回で取り上げました。18世紀の海洋冒険ロマンに、怪奇小説のエッセンスと魅力溢れる名探偵を満載した「ひとつなぎの本格ざいほう」。やりすぎお兄ちゃんの面目躍如たる傑作ですし、『イヴリン嬢は七回殺される』以上にベタな魅力のキャラクターたちが入り乱れる活劇としても楽しみます。今年の海外ミステリーの中ではイチオシの「名探偵」本格ミステリー。

     また、文藝春秋では一年に四冊もディーヴァーが刊行。短編集の分冊『フルスロットル トラブル・イン・マインドⅠ』と『死亡告示 トラブル・イン・マインドⅡ』に加え、長編二冊『ファイナル・ツイスト』『真夜中の密室』というラインナップ。どうかしてるぜ。短編集は中編「フルスロットル」「バンプ」「カウンセラー」「永遠」あたりがお気に入りですが(第39回で取り上げました)、注目はやはり『ファイナル・ツイスト』の鮮やかな大ボラと冒険小説の妙味でしょうか(第41回で取り上げました)。なお、『真夜中の密室』はまだ読めていないので、次回にお話ししようと思います。原稿の途中ですが予告をすると、来月は〈リンカーン・ライム〉シリーズ全作レビューやります。逃げ場がなくなるように太字で表記してもらいましたよー。

    〇講談社・竹書房文庫からも

     Youtubeライブに参戦の10社以外からも、面白かったものをピックアップ。講談社からはリー・チャイルド『奪還』(講談社文庫、上・下)を紹介。リー・チャイルドのとにかくえらいところは、常にどこから読んでもいいようにしているところと、その圧倒的なリーダビリティー。『奪還』は2006年に本国で刊行された作品で、〈ジャック・リーチャー〉シリーズの第十作目にあたるのですが、これが驚くことに、シリーズベスト級の一冊なのです。リーチャーがカフェでコーヒーを飲んでいると声をかけられ、それが民間軍事会社を経営するレインという男の部下なのですが、レインはリーチャーにこう告げる――すなわち、レインの妻子が拉致され、犯人の車をリーチャーが目撃した可能性がある。何か知らないか? と。かくしてリーチャーは妻子拉致事件に巻き込まれ、身代金受け渡しに居合わせ、過去の事件の謎などに挑むことになる、というのが大体の筋。

     リー・チャイルドのどんでん返しが上手いのは、読者に「これはこういう物語だな」という予断を無理なく抱かせるところ。それをある地点で、「あッ、そっち!?」と方向転換するのが巧みなのですが、私はこの技術をあえて「スイッチ」と呼んでみます。列車をある線路から別の線路へ切り替える、というイメージですね。リー・チャイルドが中盤で読者を誘う「線路」は、確かに窓の向こうに見えていたもの、しかし、意識していなかった方向性です。でも見えていたがゆえに、凄まじい説得力で納得させられてしまう。今回の『奪還』もそれが巧みで、ここまでならいつものリー・チャイルドなのですが、本作はこの「スイッチ」を導く推理の部分が面白いのが良い。現場の中に仕込まれていた違和感から、しっかりロジックが繰り出されるんですよ。ぶっちゃけ完全にクイーン流。シリーズ屈指の謎解き度と言っても過言ではありません。面白かった。

     ちなみにこの「スイッチ」という技術を90年代から先鋭化させてきたアメリカの作家があと二人いて、それがマイクル・コナリーとジェフリー・ディーヴァーです。前者は今年も『潔白の法則 リンカーン弁護士』(講談社文庫、上・下)が邦訳され、これはリンカーン弁護士が殺人犯として疑われ、裁判にかけられ、自らを弁護するという大興奮のサスペンス。これも「スイッチ」の使い方が魅力です。そしてディーヴァーはといえば……これは来月行う〈リンカーン・ライム〉シリーズ全作レビューで詳しく見ていきましょう(どんだけ引っ張るんだよ)。

     竹書房文庫は基本的にSFが中心とはいえ、A・J・カジンスキー/トーマス・リュダール『被疑者アンデルセンの逃亡』(上・下)は歴史ミステリーの拾い物。アンデルセンがつけていた日記には一年間の空白があり、その一年の間に何があったのか? という取っ掛かりから生まれた歴史ミステリーになっているのですが、19世紀前半のデンマークの苛烈で不衛生な状況を丹念に紡ぐ描写力と(この点は前回取り上げた『1793』『1794』『1795』三部作とも共通しています)、アンデルセンを探偵役に据えたことにより生じる終盤のドラマがポイントになっています。アンデルセンがなぜ人魚姫を書いたか、マッチ売りの少女を書いたか、なぜアンデルセンの童話は残酷なのか? そういったメタレヴェルの謎を巧みに織り上げ、19世紀デンマークの「女性」を巡る哀しい犯罪絵巻と、性差への怒りを照射してみせる。苛烈な状況を描いていて、死体のシーンもかなりグロいのですが、信じられないほどリーダビリティーが高いのも推しポイント。シーンが映像的で、すんなり読んでいけます。

    ◯集英社から

     集英社からはカルロス・ルイス・サフォン『精霊たちの迷宮』(集英社文庫、上・下)がイチオシ作に挙がりましたが、これを最後に取り上げるために他の注目作に言及しておきましょう。第41回でも取り上げましたが、ジャニス・ハレット『ポピーのためにできること』がそれです。これだけ注目作が挙がってきてなお、私の中での評価は揺らぎません。すなわち、「今年の翻訳本格ミステリーナンバーワン」という評価です。メールやSNSのやり取りのみで700ページを構成し、それだけで人間関係の網を作り上げていく過程には感動してしまうのですが、ラストの200ページ、犯人当て、被害者当て、人物当てを複雑に絡ませながら、その中心に巨大な秘密を置いて見せる。この大ネタが非常にクリスティー的。クリスティー的というのは、たとえば『アクロイド殺し』とか『オリエント急行殺人事件』などの飛び道具とは違って、他の様々な作品に通底している、「人間関係の中に仕込んだ陥穽の妙と、真相提示によって浮かび上がる嫌な人物像」といったあたりです。いいですよお、これ。

    ◯〈忘れられた本の墓場〉四部作、その魅力溢れる迷宮の中へ

     さあ、〈忘れられた本の墓場〉四部作の話です。もしかしたら私の傾向から察しているかもしれませんが、ここから全作レビューです(あなたっていつもそう……)。いきますよ。

    〈忘れられた本の墓場〉の魅力を一言で言い表すならば、「読書家のために用意された最高に面白い物語」です。子供の頃に触れたファンタジー小説や、あるいは壮大な構想を持った大長編漫画、古典で言えばディケンズなど、「全ての登場人物が魅力的で、どんな脇筋も面白くて、あらゆるプロットの中に放置された謎が中心のストーリーへの訴求力を絶えず搔き立てる」という特徴を、〈忘れられた本の墓場〉は全て兼ね備えているのです。個人的にはディケンズの『荒涼館』などの「意外な登場人物が意外な形で繋がって、面白えええ!」と叫んでしまう楽しさを思い起こします。伝わらないかもしれないという危険を冒しつつ言ってみると、〈忘れられた本の墓場〉は「読書家のための『ONE PIECE』」です。そもそも『ONE PIECE』の、意外な人物(あるいは伏線)が意外な形で意外な場所に現れて繋がっていく、という面白さって、それ自体はディケンズの『荒涼館』に通じると思うんですよね(もちろん、これは両作品の面白さの一側面に過ぎませんが)。19世紀のデカい世界文学の面白さというか。サフォンにはそれを思い出させる懐の深い魅力があるのです。

     では、それぞれのあらすじと魅力の解説に移ってみましょう。ちなみに、作者が言っている通り、この「四つの作品」=「四つの迷宮」の入り口は、どこから入ってもいいように構成されています。特に一作目~三作目にあたる『風の影』~『天国の囚人』は本当にどこからいってもアリです。ただ、『精霊たちの迷宮』のラストについては、これまでの三作品の記憶を持っているからこそ、感慨もひとしおという側面があると思うので、どの順番で読んだとしても、ゴールは『精霊たちの迷宮』にするのがいいんじゃないかな、と思っています。

    『風の影』(集英社文庫、上・下)
     1945年のバルセロナを舞台にした作品で、この後も物語の中心人物となるダニエル少年やフェルミンといった魅力的な登場人物たちと、「センペーレと息子書店」や「忘れられた本の墓場」などの魅力的な舞台が総動員された作品です。謎の作家、フリアン・カラックスが書いた小説『風の影』が中心となるロマン・ミステリーで、ダニエルが父に連れられて行った「忘れられた本の墓場」で、この『風の影』に出会ってしまうところから運命が動き始めます。フリアン・カラックスとは何者か? その過去に何があったのか? そしてフリアンの『風の影』を追う男も現れて……というのが筋で、フリアンの過去やバルセロナという都市の過去の姿を絡めて展開する、見事なゴシック・ミステリーに仕上がっています。

     もう、この『風の影』は、「原点にして頂点」みたいな本で、この本に出会った感動をずっと忘れられないからこそ、私はこの16年間、サフォンの背中を追い続けてきたわけです。私は自分が中学生の頃に読んだというのも非常に良くて、これはダニエル少年の青春恋愛小説でもあるんですよね。だからあるシーンでは胸が苦しくなるほど痛みを覚えたし、あるシーンでは見てはならないものを覗くようなドキドキを覚えました。この情熱もスペイン小説の良さなのかなあ。いいんですよねえ。愛を語るフェルミンの言葉も全部良いし、最後の伏線回収も全部良い。

     折り目正しく、そして大胆に織り上げられた、読書家のためのエンターテインメント。誰にでも薦められるマスターピースが、『風の影』です。

    『天使のゲーム』(集英社文庫、上・下)
     私的偏愛作。なぜなら、小説家を書いた小説が私は大好物で、ここに出てくるダビット・マルティンという作家が私は大好きだからです。もう好きなシーン多すぎるんですけど、ちょっと何個か見てくれませんか?

    “作家というのは、自分の書いた物語とひきかえに、わずかな金や賛辞をはじめてもらったときのことを、けっして忘れない。甘い毒にも似たうぬぼれをはじめて血に感じ、その瞬間に、まず思う。これで才能のなさを他人ひとに見ぬかれさえしなければ、自分も物書きとしての夢を見つづけながら、屋根のある場所に住め、一日の終わりに温かいものが食べられ、しかも最大の望みだって実現する、つまり本人がこの世から消えても、つまらぬ紙っぺらに印刷された自分の名前はきっと生き残ってくれるだろうと。”(『天使のゲーム』、p.10)

    “「(前略)副詞と形容詞を、むやみやたらに使いまくることについて、きみはどう考えるかね?」 「それは恥ずべきことであり、刑法の適用に値すべきものです」(中略) 「よろしい、マルティン、なにがたいせつか、きみは、はっきりわかっているようだ」”(『天使のゲーム』、p.15)

    “こんなひとつかみの紙のなかに、世界じゅうの魔法と光があるように思えたのは、そう昔のことではない。”(『天使のゲーム』、p.97)

     どうですか? 後半の良い表現は、うっかり引いてくるとネタバレになりそうなので、第一部を中心に引いてきましたが、サフォンの地の文の語りと表現、そして会話……素晴らしいでしょう? ユーモアとロマンあふれる語り、そして小説への、本への愛。ここには優れた文芸ミステリーに求めたい全てが入っているわけです。

     そんな筆致で今まさに小説家として羽ばたこうとしている若い才能、ダビット・マルティンを描き(彼が書こうとしているのがグラン・ギニョールだというのが、また良いんだよなあ!)、しかも旧市街の「塔の館」に住んだダビットに襲い来る怪異の正体に迫るべく、前の住人の不審な死について探る……という「館が主役のゴシック・ミステリー」で読みたいベタ中のベタを(誉めているんですよ!)読ませてくれるのですから、たまらないという他ありません。そしてもう、この小説はラストが凄まじくて、正直、分かるのです、評価が割れるのは。でもこのあざといまでの感動が私は好きで、もちろん小説としての完成度は『風の影』のほうが上、シリーズとしてみたら最高傑作は間違いなく『精霊たちの迷宮』なのですが、それでも「いやぁ、やっぱり『天使のゲーム』が好きだな」と立ち返ってしまうのです。どうしようもなく、ダビットのことが好きなのだ。

    『天国の囚人』(集英社文庫)
     他が上下巻の分厚い本なだけに、この薄さにまずびっくりします。単巻で370ページ。立ち位置としては、『風の影』と『天使のゲーム』を完全に合流させ、『精霊たちの迷宮』に向けて伏線をバラ撒くというという感じ。では、これ単体では面白くないのか、と聞かれそうですが……な、なんと、面白い…………。化け物かよ……サフォン……。

     本書は1939年の監獄で出会ったフェルミンとマルティンのドラマと、1957年のバルセロナに現れた、『モンテ・クリスト伯』の希少な版を買い求め、謎めいたメッセージを残した男の謎が描かれます。1930年代当時のスペインの独裁体制の闇にいよいよ踏み込んでいくその序章となる物語であり、監獄サスペンスとしても忘れ難い印象を残します。サフォンがシリーズの全巻に冒頭で掲げている通り、〈忘れられた本の墓場〉四部作はどこから読んでもいい、とするなら、一番薄い『天国の囚人』から入るというのも十分アリではないでしょうか(個人的には『風の影』か『天使のゲーム』にどーんと挑んでほしいところですが)。

     さて、本書の刊行は2014年。私が大学サークルに在籍していた当時に刊行されていたことになるのですが、『天国の囚人』を読んだ当初から、ここに貼られた未回収の伏線の数々が気になり、「一体サフォンはどうこの物語を畳むつもりなんだッ!?」とサークルでも話題になっていました(単巻としての『天国の囚人』の評価は、やはり最終巻に向けた前振りの比率が多いゆえに割れていた記憶があります)。そして2016年、シリーズ第四弾が本国で刊行されたと聞きつけ、この時、サークルの面々とこんなことを話していました。「いや、これは結末が気になりすぎる。今出てる翻訳ミステリーで、一番続きが気になる。もし訳されなくても、絶対に四作目を原書で読むよ。10年……10年待っても訳されていなかったら、原書で読む」

     今思えば、10年という数字に明確な意味はありませんでした。ただ、今すぐにでも結末を見届けたいという想いと、「私たちは木村裕美訳のサフォンに浸って来たのだから、願わくば、木村裕美訳のサフォンで結末が読みたい」という願いとのせめぎ合いだったのでしょう。そして2022年。その公約の実現を待たずして、集英社と木村裕美さんのおかげで、『精霊たちの迷宮』を読むことが叶ったわけです(普段、敬称略で統一している読書日記ですが、ここはやはり「木村裕美さん」です。本当に、本当にありがとうございます)。

    『精霊たちの迷宮』(集英社文庫、上・下)
     今ここに、最後の迷宮の扉が開かれ、これまで読者が迷い込んだ三つの迷宮すべてと繋がり、壮大なフィナーレを迎える。これはそういう本です。『精霊たちの迷宮』はもう…………素晴らしい。それ以外の言葉は、この凄まじい傑作の前では無用なのではないかとすら感じます。

     これまでの三作品に登場したヒーローもヴィランもすべて登場、それぞれがそれぞれの決着をつけるというのですから、その豪華さたるや尋常ではありません。上下巻で約1300ページの分量を誇るのも納得です。加えて、本書のメインの謎となるのは、失踪した大臣、マウリシオ・バウスの私邸で見つかった一冊の本『精霊たちの迷宮』を巡る謎で、彼がなぜ失踪したかを追いかけるのがメインプロットの一つになるのですが、この捜査をするアリシア・グリスという捜査官がたまらなくカッコいい。これまでの悪役たちに挑むのに十分たる説得力を具えた良キャラクターですし、彼女が「センペーレと息子書店」で穏やかな時間を過ごすパートなども全てが愛おしい。今回から登場なのに、一作目から親しんできたダニエルやフェルミンに匹敵するくらい好きなキャラクターになりました。登場人物表に「フリアン・カラックス 『風の影』著者」「ダビット・マルティン 『呪われた者たちのまちシリーズ著者』」「ビクトル・マタイス 『精霊たちの迷宮』シリーズ著者」と並んで表示されているだけでも無限に興奮してしまうし、このシリーズはずるい。

     本書はマウリシオ・バルスの失踪から始まる、ハードボイルドのプロットの典型をなぞった話ですが、そこに『精霊たちの迷宮』の作者を巡る過去が絡んできます。物語に物語を被せて重奏させていくのは、入れ子細工の構造を特色とした本シリーズの面目躍如。意外な事実の提示や丹念な調査、回想の語りによって、モザイク模様のパズルが少しずつ埋まっていくさまを堪能することが出来ます。

     特に今回感心したのは、シリーズ前三作で放り出しておいた伏線――こうして振り返ってみると、特に『天国の囚人』は今回の最終巻のために伏線を置くために書かれたとさえ思える作品でしたが――をきっちり回収しつつ、読者が知りたかった「最後の環」を最も効果的に提示してみせるその演出でした。「その人物」から、「その視点」から「あの時」が語られれば、全てが繋がる。それが読者にもハッキリ分かる形で、カッコよく登場するんですよ。ここの演出にとにかくシビれました。締めくくりのシーンの美しさも見事で、完璧すぎる幕引きには思わず滂沱の涙を流しました。自らの生涯をかけて、この壮大な〈忘れられた本の墓場〉の迷宮を完成させ、これ以上ない形で幕を引いたカルロス・ルイス・サフォンという作家への限りない尊敬の念も、その涙には含まれていました。

     さて、ここからは筆が滑ってしまいますが、少し個人的な感慨を書き残しておこうと思います。私はよく「読むのが早い」と人から言われることが多く、といって早く読むことにも多く読むことにも、それ自体に価値があるとは思っていないのですが(だからこうやって面白かった本を紹介できる場が出来て、本当に良かったと思います)、『精霊たちの迷宮』については、あえてゆっくり、ゆっくり読むことにしていました。実は七月中旬から、『風の影』『天使のゲーム』『天国の囚人』の再読も、ゆっくりゆっくり進めて、『精霊たちの迷宮』の発売日当日を迎えたのです。実際に手にしてからも、「ようやく続きが読める」という想いと、「これを読んだら、終わってしまうのか」という寂しさが混じりあって、なかなかページをめくることが出来ませんでした。下巻に入って、あまりの面白さにどんどん続きが読みたくなっても、意識的に手と目の速度を落としていました。終わってほしくなかったからです。この迷宮から、抜け出したくなかったからです。

     しかし、サフォンはそんな私の未練を断ち切るように、これ以上ないほど完璧な締めくくりと、そこまで読んだら決して続きを読むのを止められないような、カッコいい「最後の環」の演出を用意してくれました。それでようやく、「ああ、これで最後を見届けなければ、嘘だな」と思って、読み終わることが出来たのです。それは寂しくて、温かくて、圧倒的な、決して忘れられない読書体験でした。大いなる物語に身を浸すことの歓びを、サフォンは思い出させてくれるのです。

     2022年という年は、私にとって、サフォンの『精霊たちの迷宮』を読めた年として記憶されることになると思います。そして、またいつの日か、この魅惑的で、果てしない物語の迷宮に、帰ってくることになるでしょう。これは、そんな一冊です。

    (2022年9月)



第42回2022.09.09
翻訳ミステリー頂上決戦・2022年版! 前半戦 ~無法者の少女と懐かしきアメリカ、そして謎解き~

  • われら闇より天を見る、書影


    クリス・ウィタカー
    『われら闇より天を見る』
    (早川書房)

  • 〇2022年の翻訳ミステリーは面白い!

      今年もこの季節がやって来た。年末ミステリーランキングは、『このミステリーがすごい!』と「ハヤカワミステリマガジン」の『ミステリが読みたい!』が奥付9月末までの本が対象、『本格ミステリ・ベスト10』と『週刊文春ミステリーベスト10』が奥付10月末までの本が対象となっています。この季節になると、妙に血が騒ぐのは、この奥付対象期間めがけて、各出版社が剛速球を投げ始めるからです。

     昨年は読書日記の第23回において、「海外本格ミステリー頂上決戦」と題して、アンソニー・ホロヴィッツ『ヨルガオ殺人事件』(創元推理文庫)vs. リチャード・オスマン『木曜殺人クラブ』(ハヤカワ・ポケット・ミステリ)のクリスティー・オマージュ対決について、私が勝手にレフェリーを務めてその読みどころと魅力を紹介したのですが、この試合にとんでもないルーキーが乱入し、試合自体をかっさらっていったという展開でした(私の中では!)。ホリー・ジャクソン『自由研究には向かない殺人』(創元推理文庫)がそのルーキーで、実際に、昨年のランキングでは『ミステリが読みたい!』の一位を取っていました。

     その第23回の末尾で、ホロヴィッツ、オスマン、ジャクソンの三者について、来年も新刊が出ると知ったので、「来年もやるんですか!?」とオチをつけて締めたのですが……。今年は少し事情が違い。というのも、ホリー・ジャクソン『優等生は探偵に向かない』(創元推理文庫)の解説を務めさせていただいたのです。あの暑苦しいレフェリーぶりが、どうもバッチリ担当編集の目に入ったようでして、仕事に繋がって大喜び。でも一方で、今年同じ試合をやったら、判官びいきになりそうだな、と。リチャード・オスマンも、どうも9月までの刊行予告に載っていないので、今年は今年でも11月か12月な気がします。

     ですが、予告したからには、今年も何か「祭り」をやりたいと思った時に、こんな告知が飛び込んできました。全国翻訳ミステリー読書会YouTubeライブ企画の「夏の出版社イチオシ祭」! 8月7日にオンライン上で開催され、各出版社がイチオシの作品を熱くプレゼンするという企画。いずれも熱気の伝わってくるプレゼンぶりで、いやぁ、いいなあいいなあと見ていた時……。

     ……そうだ! これを全作読ませてもらって、紹介しよう!

     こう思いついたというわけです。ということで、9月も前後編でお送りいたします。結果的には第23回よりスケールアップしたことになるのですが、まあ読書日記はエスカレートするものと相場が決まっていますからね。各出版社のイチオシ作はもちろん、その出版社ではこれも最高だったとか、他の出版社にもオススメがあるとか、2022年の翻訳ミステリーを総ざらいする企画にするつもりです。

     さて、では「夏の出版社イチオシ祭」で取り上げられた作品のリストと、前後編の構成を掲げます。

    前半戦 今日の更新分
    〇小学館 ニクラス・ナット・オ・ダーグ『1794』『1795』
    〇扶桑社 フレデリック・ダール『夜のエレベーター』
    〇ハーパーコリンズ・ジャパン 周浩暉『邪悪催眠師』
    〇二見書房 ニタ・プローズ『メイドの秘密とホテルの死体』
    〇早川書房 クリス・ウィタカー『われら闇より天を見る』

    後半 9月23日更新分
    〇東京創元社 ホリー・ジャクソン『優等生は探偵に向かない』
    〇新潮社 ポール・ベンジャミン『スクイズ・プレー』
    〇KADOKAWA トーヴェ・アルステルダール『忘れたとは言わせない』
    〇文藝春秋 ジェローム・ルブリ『魔王の島』
    【大トリの前に他出版社の注目作も紹介予定】
    〇集英社 カルロス・ルイス・サフォン『精霊たちの迷宮(上・下)』

    ◯小学館から

     まず小学館から二クラス・ナット・オ・ダーク『1794』『1795』をご紹介。それぞれ9月、10月の小学館文庫の新刊なのですが、なんと後者『1795』の解説を務めております。この作品は2019年に同じく小学館から刊行された『1793』に続いて、三部作を構成する、圧巻の歴史ミステリー。

     結核を患ったセーシル・ヴィンケと、隻腕の"引っ立て屋"ミッケル・カルデルのコンビが、惨殺死体の謎に挑むという筋で、「宮廷文化」ばかりが取り沙汰される煌びやかな18世紀スウェーデンのイメージを刷新するような、汚辱と悪に満ちた都市の描写が胸に迫る歴史小説になっています。『1793』では果物売りで生計を立て、それから紡績所という名の強制労働施設で働かされるアンナ・スティーナ・クナップという女性が登場するのですが、不合理と不正義に満ちた世界で、彼女が己の生き方を貫く姿が素晴らしい。ミステリーとしての美点は、ビザールな巨悪との対決が描かれることでした。特に被害者の奇妙な行動から手がかりが導き出される瞬間には、謎解きミステリーの快感も宿っていたと思います。

     そして『1794』『1795』は、これに続く上下巻のような構成で、より巨大な悪との対決に挑むことになります。謎解きミステリーよりも、冒険小説・歴史小説のウェイトを増した読み心地なのですが、リーダビリティーは高まっていて、あれよあれよと読まされる。『1794』では第一部に農民の女性との恋や当時の黒人奴隷を巡る情勢の苛烈さを書き上げるある人物の手記が挿入され、第二部でカルデルにバトンタッチ、その人物を巡る謎に迫っていくという筋なのですが、ここで明かされる本書の「続編」としてのアイデアに私は参ってしまいました。名探偵に置いていかれた者、それを継がねばならないもの。細かい話なので解説には書きませんでしたが、この三部作の試みに近いのはウィリアム・モールの「キャソン・デューカー三部作」(『ハマースミスのうじ虫』『さよならの値打ちもない』"Skin Trap")や、齋藤肇の「思い三部作」(『思い通りにエンドマーク』『思いがけないアンコール』『思いあがりのエピローグ』)ではないかと思います。『1793』三部作は本格ミステリーではないので、この喩えを持ち出すこと自体変かもしれませんが……でも、感慨には近いものがあると思うのです。三部作を順に読まないと辿り着けない大部であり、読むのには根気がいる作品ですが、それだけの強度を備えた作品世界だと思います。『1795』の結末を読んだときは、しばらく何も出来ず、立ち尽くしてしまいました。

     ちなみに『1793』『1794』『1795』は、実に並べたくなる装丁で文庫が揃う予定です。『1795』の帯には、私が解説で一番自信のあるフレーズを使ってもらえる予定だとか。楽しみです。『1794』は9/6頃から発売中、『1795』は来月、10/6頃発売予定です。書店でお見かけの際はぜひ!

     小学館では他に、ヨルン・リーエル・ホルスト『警部ヴィスティング 悪意』が忘れがたいです(第36回で紹介)。小学館で刊行中の〈未解決事件四部作〉シリーズの第三弾で、過去の殺人が爆発事件からの脱獄によって音を立てて動き出すダイナミズムと、真犯人の動機に迫るワンカットの演出のうまさが素晴らしい。今年のフーダニット・ミステリーでは読み逃せない一冊。

    ◯扶桑社から

     扶桑社からはフレデリック・ダール『夜のエレベーター』(扶桑社文庫)が挙がりました。これは第41回で既に取り上げましたが、フランスらしい、心理に比重を置いたサスペンスの佳品で、中盤以降一寸先も見通せない展開の乱打が楽しい。心に残るクリスマス・ストーリーでもあります。フレデリック・ダールという作家は、絶妙の語り口で読者をサスペンスの中に引きずり込み、最後に至って驚愕させるという点では「いわゆるフランス・ミステリー作家」のイメージ通りの作家なのですが、ダールが巧いのは、視点人物の取捨選択や物語としての構築性などを、驚愕を生み出すために考え抜いている点だと思います。『夜のエレベーター』はわずか200ページの小品なのですが、サラッと読めるのにその完成度はかなりのものです。ダールの邦訳自体が久しぶりなので、それ自体にも嬉しさがある長編でした。

     扶桑社文庫からは他に、第38回で取り上げた『レオ・ブルース短編全集』や、『レヴィンソン&リンク劇場 突然の奈落』などの短編集が刊行。前者は全世界初書籍化となる短編も収録した、小気味の良いパズル・ストーリーを集めた作品集で、後者は第一弾『皮肉な終幕』に続き、技ありのオチで攻める良質なクライム・ストーリーを集めた作品集でした。また、現代作家では第41回で取り上げたアレックス・ベール『狼たちの宴』がシリアルキラー・サスペンスの良作です。カットバックを利用した冒頭の引きから、ナチスの前で自分の正体であるユダヤ人の素性を隠さなければならないというサスペンスまで動員して、抜群のリーダビリティーで牽引してくれます。犯人と名探偵の対決が良いんですよ。

    ◯ハーパーコリンズ・ジャパンから

     ハーパーコリンズ・ジャパンからは周浩暉『邪悪催眠師』が刊行。こちらはハヤカワ・ポケット・ミステリから『死亡通知書 暗黒者』として刊行された作品の前日譚であり、邪悪催眠師を敵とした三部作の一作目。前日譚というのは、羅飛ルオ・フェイという探偵役の過去を描くからで、この三部作では催眠術師の凌明鼎リン・ミンディンがレギュラーキャラクターになるよう。『死亡通知書』はサスペンスフルなプロットの作品でしたが、『邪悪催眠師』は催眠をメインプロットに据えた大胆な展開がミソ。催眠をミステリーに取り入れる際、これまであった方向性を三つに分けると、①胡乱な可能性としてダミー解決等に用いる、②ガジェットとして用いる、③催眠療法としての視点を取り入れる、があると思います。②の方向性は尋問術としての言及が多くなり、催眠を使って過去の記憶=事件の証言を掘り起こす、というドラマの演出に使われます。この方向性での傑作を挙げるなら、ドナルド・A・スタンウッド『エヴァ・ライカーの記憶』、マイクル・コナリー『わが心臓の痛み』あたりになるでしょう。

     本作『邪悪催眠師』は、この②と③の中間に当たるのではないかと思います。本作はわりあいきっちりと医術的な観点としての催眠術の限界と可能性に着目した上で、「催眠師大会」で催眠を巡る議論を展開するパートを作ったり、終盤では、催眠療法と人の幸せについて言及したりします。ですが、一方で、「催眠ではその人の倫理に反したことまではさせられないから、催眠で人を殺させることは出来ないよ」という定説に対して、序盤で「このようにすれば殺せる可能性がある」と早々に提示してみせます。催眠を謎解きミステリーのガジェットとして用いることで、「操り」のルール化に挑んだ作品と言えるかもしれません。うーん……不思議なバランス……。気軽に肩の力を抜いて楽しむには良いサスペンスで、この〈邪悪催眠師〉三部作は、残り二作も含めて日本での刊行が決定済とのこと。

     ハーパーコリンズ・ジャパンからは他にS・A・コスビー『黒き荒野の果て』に大注目。およそアメリカン・ノワールに求める全ての要素――父と子、愛とすれ違い、"最後の仕事"、希望と破局――を満載しているのです。ノワールというパブリック・イメージにかなりの度合いで接続しているという点で、あえて大文字で「THE NOIR」と表記したくなる作品(本来Noirはフランス語なので「LE NOIR」と言うべきかもしれませんが)。キレのある文体で場面を切り回し、エモーショナルな結末に辿り着いて見せた剛腕に圧倒されました。他の作品も刊行してほしい……! ノワールという点では、この『黒き荒野の果て』が今年の一位だと思います。

    ◯二見書房から

     二見文庫からはニタ・プローズ『メイドの秘密とホテルの死体』が挙がりました。これはすごいですよ。可愛らしい顔をして、油断のならないサスペンス。二見文庫というレーベルの色と、コージーミステリー風の表紙に騙されるなかれ。読み逃してはならない良品です。

     モーリー・グレイは清掃に関しては右に出るもののいない、ホテルの客室メイド。ただし、人の感情を読むのは苦手で、人と軋轢を生んでしまうことも。そんな彼女が、清掃に入った客室で死体を発見してしまう。性格も災いして疑われてしまうモーリーだが、仲間たちの助けを借りて状況をひっくり返すべく奔走する……。

     という筋なのですが、このモーリーが最高のキャラクター。ややズレた掛け合いにいちいち笑わされますし、掃除についての描写はキビキビしていてまさしくプロの仕事。地の文を追いかけているだけで楽しいんですよね。メイドとして死体を見つけただけで疑われるという、胃の痛くなる展開ながら、重苦しくならないのはこのモーリーの語りのおかげ。そしてモーリーの祖母! 彼女のキャラクターがまた素晴らしい(良いおばあちゃんが出てくる小説、あなたもお好きでしょ?)。祖母と共にクリスティーや『刑事コロンボ』に触れた時間がモーリーを作っているという設定も良いですし、祖母の残す格言がまた素敵。

     そしてミステリー部分は、一言で言うならば……「うっちゃり(笑)」。相撲の用語で、土俵際まで追い詰められた力士が、腰を落として体を捻り、その勢いで相手を外に投げる技なのですが、この結末の勢いはなんだかこの言葉が似合います。ついでに、なんだか(笑)をつけたくなる、見事なうっちゃり(笑)。あらすじに「奇妙な味のミステリー」と書かれているのを見た時は少し違和感があったのですが、最後まで読んでみると納得です。いやぁぁ、楽しませてもらいました。

     二見文庫からは他に、マッケンジー・リー『美徳と悪徳を知る紳士のためのガイドブック』がオススメです。18世紀、学校教育を終えた上流階級の若者がヨーロッパの主要な都市を巡る「グランド・ツアー」という贅沢があったのですが、これに、密かな思いを寄せる親友パーシーと共に出かけたモンティの冒険を描くヒストリカル・ロードムービーです。語りが抜群に上手くてノリノリで読めてしまいます。次から次へとトラブルに巻き込まれるので600ページの厚さも気になりません。性的マイノリティの悩みを描きつつもユーモアを忘れないエンターテイメントが読みたい人にも、海外旅行に行きたい気持ちを持て余している人にもオススメです。私はもう、エピローグの部分の手紙が大好きで、ここでも大いに笑わされて、ちょっとほろりとしてしまいました。

    ◯早川書房から

     早川書房からはクリス・ウィタカー『われら闇より天を見る』が登場したのですが、これについてはガッツリ掘り下げたいので、まずは早川書房の他の注目作を取り上げてしまいましょう。まず、この読書日記で、今まで取り上げた2022年刊行作は以下の通り。詳しくは各回を見てください。

    第30回
    アンドレアス・エシュバッハ『NSA』
    第31回
    R・A・ラファティ『とうもろこし倉の幽霊』
    アンディ・ウィアー『プロジェクト・ヘイル・メアリー』
    第34回
    アビール・ムカジー『阿片窟の死』
    第38回
    シルヴィア・モレノ=ガルシア『メキシカン・ゴシック』
    グレイディ・ヘンドリクス『吸血鬼ハンターたちの読書会』
    第39回
    アンデシュ・ルースルンド『三日間の隔絶』
    第41回
    エイドリアン・マッキンティ『ポリス・アット・ザ・ステーション』
    マイクル・Z・リューイン『祖父の祈り』
    デイヴィッド・ヘスカ・ワンブリ・ワイデン『喪失の冬を刻む』

     このラインナップの中では特に、『三日間の隔絶』と『ポリス・アット・ザ・ステーション』に注目。どちらもシリーズの最新作でありながら最高傑作、そしてどちらもここから読めます。前者は「怒り」によって駆動されたサスペンスフルなプロットと、心に残る意外な犯人、そして胸を熱くさせるラストシーンが素晴らしい。後者はキビキビとしたチーム捜査を描く警察小説として、ショーン・ダフィの語りを堪能するハードボイルドとして、ダフィの私生活を味わう「家族小説」として、いずれも一級品の味わいになっています。SFですが、『プロジェクト・ヘイル・メアリー』も大いにオススメ。

    ◯クリス・ウィタカーについて

      さて、ここで『われら闇より天を見る』……の話なのですが、まずは同作者、クリス・ウィタカーの『消えた子供 トールオークスの秘密』(集英社文庫)の話から始めましょう。これは2018年に邦訳されたもので、ヒラリー・ウォーの『この町の誰かが』や、クリスティーの描いた〈セント・メアリ・ミード〉という村、最近なら、それこそ次回取り上げるホリー・ジャクソンの『自由研究には向かない殺人』『優等生は探偵に向かない』などの「村・町が主役となるミステリー」の系譜に連なる小説でした。

    『消えた子供』の舞台となるのは、トールオークスという小さな町。誰もが顔見知りというこの小さな町で、三歳の子供、ハリーが消えた。警察署長ジム・ヤングは懸命の捜索に励むが、手掛かり一つ得られない。ハリーの母親、ジェスは深く傷つき、次第に酒におぼれるようになる……。

     重く、ゆったりと進んでいく物語です。この、警察署長が視点人物を務めるというあたりも、ウォーの〈フェローズ署長〉シリーズを思い出します。署長も立場に関係なく、町に生きる一人なのだ、という書き方をするのです。ハリーが消えた時、何があったのか? ゆったりと進む物語は、やがてトールオークスの住民たちの秘密を暴いていきます。そして辿り着く、やるせない真犯人像。これが実に哀しく、忘れ難い。

     とはいえ、『消えた子供』はギアがかかるまでが非常に長く(72ページの描写など、ゾッとさせる奥行きの描き方は魅力なのですが)、ついていけない、という人もいるだろうと思っていました。重ね重ね言いますが、もちろん、良い作品なんですよ。

     では、新作『われら闇より天を見る』はどうか。読み始めた時は『消えた子供』のセルフパロディーのように思えた作品だったのですが、しかし、全くそうではなかった。ある三つの要素を加えることで『消えた子供』から長足の進化を遂げた傑作、それが『われら闇より天を見る』です。なお、『消えた子供』の原書刊行年は2016年、『われら闇より天を見る』の原書刊行年は2020年。男子三日会わざれば刮目して見よ、いわんや四年をや、という感じ。

     あらすじはこうです。アメリカの海沿いの町、ケープ・ヘイヴンで、30年前に少女が命を落とした。その痛みから立ち直れないスター・ラドリーは飲んだくれ、親友を逮捕させるに至った証言をした警察署長のウォークは過去を悔い、事件の刑期を終えた男、ヴィンセントは帰って来た。忘れられない痛みが口を開く時、もう一度悲劇の幕は開く。

     あれ? と思われた読者もいるでしょう。そうなのです。「過去を抱えた町」、「痛みに囚われた母親」と「過去の事件を悔やむ署長」というパーツは、ウィタカーが『消えた子供』で試みた題材と同じなのです。では焼き直しなのか? そうではない。決してそうではないことは、読者が第一部まで読み終えた瞬間にハッキリするでしょうし、もっと前から明示されています。

     ここで「三つの要素」にいよいよ触れていきましょう。一つ目にして最大のポイントは「子供の視点」です。これが『消えた子供』に欠けていたもの――いえ、原理的に書くことは不可能だったのですが――でした。『われら闇より天を見る』最高の主演は、ダッチェス・デイ・ラドリー、十三歳の少女で「無法者」、飲んだくれの母親(スター)と、まだまだ幼い弟(ロビン)を抱えて、この小さな町を力強く生き抜く少女です。不幸を跳ね飛ばし、母への偏見を憎みながら、小さな弟を大切に守る。孤独な戦いです。第一部、辛い環境下に置かれた彼女の境遇を読むたびに、キリキリと胃の痛みさえ感じました。ですが、過去に囚われた大人たちと対照的な人物像として、このダッチェスを主演に置いたことで、ウィタカーのプロットは鮮やかに色づき出したと言っても過言ではありません。なぜなら、『われら闇より天を見る』の魅力とは、そのものずばり、このダッチェスの魅力なのですから。

     さて、二つ目のポイントですが、これは「過去を抱えた町」というパーツの扱いについてです。『消えた子供』ではただ舞台としてそこにあったものが、今作では複層化しているのです。これによって、圧倒的に「小説」としての魅力が深まっているのです。まずは、ここまで読んだら絶対に引き返すことは出来ないだろうというくらい、完璧な冒頭を引用してみましょう。

    "何かが見えたら手をあげてくれ。
     煙草の巻紙でもソーダの空き缶でもかまわない。
     何かが見えたら手をあげてくれ。“(『われら闇より天を見る』、p.7)

     映画やドラマで、どこかで見た風景。行方不明の少女を探すために、隊列を組んで行進する町の男たちの姿。遠いノスタルジーに接続しながら、どうしようもなく不吉なイメージを惹起する冒頭の一行。完璧な開幕といっていいでしょう。さらに感嘆したのは、このプロローグに視点人物がいるとすれば、同7ページの最後から四行目に登場する、当時十五歳のウォークなのですが、冒頭からウォークの名前を見つけるまでの間、まるで町がその光景を眼差しているような、不思議な感覚に襲われたことです。「ケープ・ヘイヴン」という町の名前が登場するのは本編に入った後、14ページでのことなのですが、プロローグの光景を見た瞬間から既に、私はその背景に町の姿を見たのです。

     町の描写という点でも、『消えた子供』から深化を遂げています。読者はこの初めて訪れるケープ・ヘイヴンという町を、今知ったのに、前から知っていたような気にさせられる。ひとえに、ウィタカーの小説が巧いからです。この「町」の描写が「複層化」するという点は、第二部に突入すれば分かってもらえると思います。まったく別の形のノスタルジーを経由することで、より魅力的な舞台を描き、その中に生きるダッチェス達のドラマに引きずり込む。ここで、この小説は「家族小説」としても多面的な魅力を見せ始めることになります。ダッチェスの祖父が出てくるのですが、このおじいちゃんがまた、良いんだ……。

    『消えた子供』の頃よりも、読者のノスタルジーに接続して感動を惹起するウィタカーの技術は進化しており、ここに描かれた「アメリカ」の姿は、誰の心をも打つと思います。ここにはあなたがどこかで見た「アメリカ」の姿があり、あなたの故郷がある。……こう、これだけ書いておくのを許してほしいのですけど……歌のシーンは……歌のシーンはあまりにもずるくないか……?

     そして三つ目のポイントは、「謎解きミステリー」としての完成度です。あえてこれを三つ目に持って来てしまうのが、本格ミステリー作家の病膏肓という感じですが、『われら闇より天を見る』はここも手を抜いていません。『消えた子供』の頃から、描写を慎重に行うことにかけては並々ならぬこだわりを感じたのですが、『われら闇より天を見る』でも真相に関わる部分には細心の注意が払われていますし、謎解きを行う役割をウォークにしっかり与えたことで、謎解きシーンの深みも増し、小説としても動きが滑らかになっているのが素晴らしい。ダッチェスのシーンは彼女の魅力溢れる語りと彼女の道行きに集中させ、ウォークが出て来たら、おっ、そういえばこれはミステリーだったな……と襟を正すという塩梅になっていると思うのです。情報整理の手つきにもこの役割の明瞭性があわられている気がします。

     以上三つの点、「子供の視点」「町の描写の複層化」「謎解きミステリー」の点で小説家として長足の進化を遂げた感があるクリス・ウィタカーの最新作『われら闇より天を見る』。間違いなく本年の翻訳ミステリーの台風の目であり、個人的にもベスト級の一冊でした。超おすすめです。このダッチェスという少女の道行を、一人でも多くの人に読んで欲しいです。エピローグは何回読んでも号泣してしまう。あと、私はプルーフで先に読ませてもらっていたのですが、単行本版を見て、まず熱意溢れる川出正樹解説の良さに胸打たれ、次に登場人物表が載ったしおりに驚きました。これがもう、「この担当編集者、本当にこの本が大好きなんだな」とニヤリとしてしまう代物で、嬉しい贈り物をもらった気持ちにさせられました。しおりを見ただけではピンと来ないと思うので、読み終わった後に、この記述に帰って来てもらうといいかもしれません。

     さて、そんな感じで過去作との比較もしてみたクリス・ウィタカーですが、『われら闇より天を見る』にはこんな献辞が捧げられています。

    “わたしとともにトールオークスとグレイスを、そしてこんどはケープ・ヘイヴンを訪れてくれた読者に。わたしがもがいているとき、みなさんは絶えずわたしを奮起させてくれた。”(『われら闇より天を見る』、p.3)

     読書日記をここまで読んできた方はお分かりの通り、トールオークスは『消えた子供』の舞台、ケープ・ヘイヴンは『われら闇より天を見る』の舞台です(こうして献辞に掲げるほどですから、作者がやはりこの町の描写に自信を持っているのが窺えます)。そしてもう一つ「グレイス」ですが、これは2017年に刊行された “All The Wicked Girls” の舞台です。これだけ魅力溢れる町と登場人物を描けるウィタカーのこと、これもきっと面白いんでしょう。いつの日か、日本でも、「グレイス」を訪ねることが出来る日が来ると信じて、読書日記「翻訳ミステリー頂上決戦・2022年版!」の前半を締めくくらせていただきます。

    (2022年9月)



第41回2022.08.26
まだまだ阿津川辰海は語る ~新刊乱読編~

  • 吞み込まれた男、書影


    エドワード・ケアリー
    『吞み込まれた男』
    (東京創元社)

  • 〇まだまだ語るぞ! 新刊編

     さて、二週間前にお送りした「旧刊再読編」に続き、今日は「新刊乱読編」と称して、新刊を紹介していきます。この読書日記は、大体先月の新刊を紹介するスパンでやってきて、六・七月とお休みをいただきましたので、五~七月の新刊については語っていないことになります。今回は五~七月の新刊から、海外十五冊、国内十冊をセレクトしてご紹介します。まだ語りたい作品もありましたが、第40回・第41回の狙いは、第一集『阿津川辰海読書日記 かくしてミステリー作家は語る《新鋭奮闘編》』から漏れてしまった好きな作家の話を掘り下げること。そのため、新刊のセレクトも、「《新鋭奮闘編》」を補完出来る作品を中心に選んでいます。

     また、このセレクトからは、ホリー・ジャクソン『優等生は探偵に向かない』(創元推理文庫)が漏れていますが、これは、同作の文庫解説を私が務めているからです。ホリーの前作『自由研究には向かない殺人』は爽やかな味わいが際立ったミステリーでしたが、本作ではビターな味わいも増し、謎解きミステリーとしても更なる進化を遂げた感があります。解説ではそのあたりの感慨を、じっくりとしたためてみましたので、ぜひ本編と合わせて読んでください。

     最近だとスチュアート・タートン『イヴリン嬢は七回殺される』(文春文庫)の文庫解説を担当しており、こちらは、単行本版が出た当初、友人たちと感想戦をしている時も「複雑すぎる」「結局、なんだったのか?」という感想が絶えなかったので、「分かった、じゃあ私がネタバレ込みで解説しよう」と挑んでみた作品になります。紙面が限られているため、設定の特色や、それが孕む問題、タートンがそこをいかに解消したか、などを駆け足で綴ったものになりますが、単行本を読んで疑問があった人にも、文庫で初めて通読する人にも、手に取ってみてほしいです。

     さて、ではここから新刊紹介。一応ファミリー・ネームの五十音順というスタイルは「旧刊再読編」を踏襲しますが、新刊なので、出版社名の表記は復活させます。

     まず、今回取り上げるリストは以下の通り。
    26、アーナルデュル・インドリダソン『サイン』(東京創元社)
    27、エドワード・ケアリー『呑み込まれた男』(東京創元社)
    28、ジョルジュ・シムノン『運河の家/人殺し』(幻戯書房〈ルリユール叢書〉)
    29、カリン・スローター『偽りの眼』(ハーパーコリンズ・ジャパン〈ハーパーBOOKS〉)
    30、フレデリック・ダール『夜のエレベーター』(扶桑社文庫)
    31、シヴォーン・ダウド『ロンドン・アイの謎』(東京創元社)
    32、ジェフリー・ディーヴァー『ファイナル・ツイスト』(文藝春秋)
    33、G・G・バイロン、J・W・ポリドリほか『吸血鬼ラスヴァン 英米古典吸血鬼小説傑作集』(東京創元社)
    34、ジャニス・ハレット『ポピーのためにできること』(集英社文庫)
    35、アレックス・ベール『狼たちの宴』(扶桑社文庫)
    36、C・J・ボックス『嵐の地平』(創元推理文庫)
    37、エイドリアン・マッキンティ『ポリス・アット・ザ・ステーション』(ハヤカワ・ミステリ文庫)
    38、マイクル・Z・リューイン『祖父の祈り』(ハヤカワ・ポケット・ミステリ)
    39、S・J・ローザン『南の子供たち』(創元推理文庫)
    40、デイヴィッド・ヘスカ・ワンブリ・ワイデン『喪失の冬を刻む』(ハヤカワ・ミステリ文庫)
    41、北山猛邦『月灯館殺人事件』(星海社)
    42、澤村伊智『怪談小説という名の小説怪談』(新潮社)
    43、柄刀一『或るアメリカ銃の謎』(光文社)
    44、辻真先『馬鹿みたいな話! 昭和36年のミステリ』(東京創元社)
    45、恒川光太郎『箱庭の巡礼者たち』(角川書店)
    46、長浦京『プリンシパル』(新潮社)
    47、前川裕『ギニー・ファウル』(光文社)
    48、松本清張『松本清張推理評論集 1957-1988』(中央公論新社)
    49、結城昌治『日本ハードボイルド全集5 幻の殺意/夜が暗いように』(創元推理文庫)
    50、詠坂雄二『5A73』(光文社)

    〇それではいくぞ! 海外ミステリー15冊

     26、アーナルデュル・インドリダソン『印』(東京創元社)は、アイスランドの狭い国土における「犯罪小説」を追及し続けてきた、〈エーレンデュル捜査官〉シリーズの邦訳第六作です。死後の世界から送られた合図という、オカルティックな導入に面食らうかもしれませんが、人と人のすれ違いの哀しみを描く点では、これまでのインドリダソンの小説と通底するものがあります。また、謎解きミステリーとしても、意外な角度から謎が氷解するという点で、かなり特異な構成をとった作品といえるでしょう。個人的な好みとしては、『厳寒の町』や『湖の男』の方にベストは譲りますが、『印』もまた、アイスランドならではの犯罪小説です。

     27、エドワード・ケアリー『呑み込まれた男』(東京創元社)は、クリエイティブの極致を行く鬼才、ケアリーによる最新傑作。ピノッキオが題材となった作品なのですが、ストレートにピノッキオを扱うのではなく、彼を作った大工、ジュゼッペに焦点を当て、彼が巨大な魚に飲み込まれて過ごした二年間を描いているあたりが、実に作者らしい。ジュゼッペは正気を保つために、日記を記し、乾パンから作った粘土を用いて作品を作るのですが、これは『望楼館追想』から『おちび』、短編集『飢渇の人』まで一貫して作者が描いてきた「物を愛する人」「物に対するフェティシズム」に繋がってくると思います。そして『吞み込まれた男』ではそこをさらに一歩進め、「物を作ることにより自分の人生の意義を保とうとする人」を強烈に描いてみせます。作中に挿入される粘土で作った人形や、木のカケラに描いた絵などは、古屋美登里の「訳者あとがき」によると、ケアリーがピノッキオ公園で開催した展覧会「鯨の腹のなか」で実際に展示した作品たちとのこと。「作ったもの」によって否応なしに読者を作品世界に引きずり込むケアリーの才気には、感服するほかありません。また、本作はsane/insaneの境目で揺れ動く主人公が日記をしたためていくという構成なのもあって、中盤以降、ニューロティック・スリラーのような読み味でも楽しませてくれます。実に不安を掻き立てられる良い演出で、しかもその「仕掛け方」がブッキッシュ。多彩で、いつもクリエイティビティに溢れるケアリーが、私は大好きです。ちなみに、訳者あとがきを読んで、ケアリーによるスケッチ集 “B: A Year in Plagues and Pencils” も思わず注文してしまいました。コロナ禍を反映したと思しきイラストもあって、ちょっとした時に眺めるだけでも楽しいです。

     28、ジョルジュ・シムノン『運河の家/人殺し』(幻戯書房〈ルリユール叢書〉)はシムノン自身が「硬い小説(ロマン・デュール)」として著した長編二冊の合わせ技。風物描写や心理描写の奥行きが楽しめる小説で、特に「運河の家」は主人公である女性、エドメの語りに引き込まれること請け合いですが……凄いのはラストシーン。シムノンの小説って、ラストの余韻がいつも素晴らしいんですけど、この『運河の家』は中でも桁違いではないかというくらい。忘れ難い作品ですし、シムノンのいう「硬い小説」の書きぶりが、ある種の犯罪小説に接近していく読み味が何とも言えません。ちなみに『運河の家/人殺し』が凄いのは、瀬名秀明による50ページに及ぶ解説がついていること。日本で受容されてきた「シムノンのイメージ」を切り崩していくのが面白い。「翻訳ミステリーシンジケート」で未訳シムノンを紹介していることもあり、まさに現代日本のシムノン研究の第一人者ともいえそう。シムノン、もっと出してほしい。私が好きなシムノンをついでに話しておくと、『死んだギャレ氏』『サン・フォリアン寺院の首吊人』『メグレと深夜の十字路』『モンマルトルのメグレ』『仕立て屋の恋』『ドナデュの遺書』『ビセートルの環』あたりです。「EQ」掲載の中短編ですが「メグレと奇妙な女中の謎」も好き。河出書房新社から出たものに未読が多めなので読んでいきたい。ちなみに蛇足ながら付け加えると、私の作品ではよく「どっしり構えて、相手が口を開くのをいつまでも待っている刑事」という造形のキャラを出してしまうのですが、これはメグレ警視とアン・クリーヴスのジミー・ペレス警部をイメージしたものです。

     29、カリン・スローター『偽りの眼』(ハーパーコリンズ・ジャパン〈ハーパーBOOKS〉)は、女性に対する性暴力への怒りを、スリラーの形で一貫して訴え続ける作家による、ノンシリーズ長編。『偽りの眼』あとがきでは、訳者・鈴木美朋が、コロナウイルス流行の中、“こんな時代にフィクションというエンターテイメントにどれほどの力があるのだろうかという悲観が、いつもわたしの頭のどこかにあった”(『偽りの眼』下巻、訳者あとがき、p.354)と述べたうえで、読者の方に発売前に『偽りの眼』を読んでもらった機会において、“ある方が、長い文章の締めくくりに、スローターの作品がもっと読まれるようになれば、“社会が良くなると本気で信じている”と書いてくださった”(同、p.357)ことを書き記しています。私は、この感覚こそがスローターを「リアルな」犯罪小説として読むことの意義であると思っています。だからこそ、どんなに辛くても目は逸らさない。この本を手にしている間だけでもそう出来ないなら、きっと日常でも寄り添えない人になるから。……ここまで読んだ人は、スローターって辛気臭い作家なのかな、と思われるかもしれません。しかし、スリラーとして抜群に完成度が高く、信じられないほどのページターナーでもあるというのが、スローターの凄みなのです。だからこそ現代スリラーの第一人者たり得ている。本作『偽りの眼』では、23年前に二人で協力してある男を殺した姉妹が、2021年の現在において、卑劣な事件に巻き込まれます。姉は弁護士になっているのですが、彼女が担当したレイプ事件の被疑者が、23年前の殺人を知っている、というのです。明らかな凶悪犯なのに、秘密を守るために言うことを聞かざるを得ない。このデッドロックの状況を巧みに転がしながら、スローターは姉妹の過去と「それから」の人生を紡いでいきます。読み始めたら、途中下車不可能。今回も一気呵成に読まされました。

     30、フレデリック・ダール『夜のエレベーター』(扶桑社文庫)は八月頭の新刊ですが、大変良かったのでフライング気味で取り上げたい。ダールはさっぱりとした語りの中に宿る哀しみと、超絶技巧の展開に毎回唸ってしまうフランス・ミステリーの名手として記憶していまして、1980年代に文庫でパラパラと刊行されていたのを、すっかり後追いで、高校時代に古本で探したのが懐かしいです。まさか新刊が読めるとは。本作『夜のエレベーター』は、かつて愛した人に似た女性に出会った「ぼく」が巻き込まれる事件を綴る作品で、序盤から一切予断を許さない展開の妙味で楽しませてくれます。おまけに、クリスマス・ストーリーだというのが良い。結末も良いのですが、途中のスリリングな語りがたまらない。長島良三の翻訳でダールが読めるというのは本当に幸せなことで、先に挙げたシムノンが好きなのも、長島良三のおかげなのですよ。他に好きなダール作品は『生きていたおまえ…』『絶体絶命』など。『絶体絶命』は特に、中盤の心理サスペンスが素晴らしすぎる傑作です。

     31、シヴォーン・ダウド『ロンドン・アイの謎』(東京創元社)は、「全国の小中学校に置いて欲しい海外児童ミステリー」ナンバーワンです。閉ざされた観覧車(ロンドン・アイ)に入ったいとこの姿を見送り、そのカプセルが一周して地上に着いた時には、いとこの姿は消えていた。この人間消失の謎を、「人の感情を読むのが苦手で、頭の仕組みが人と違う少年」テッドと、「“歩く災害”と呼ばれる超行動派の姉」カットのコンビが解き明かします。作中では巧妙にその語を避けますが、テッドはアスペルガー症候群を抱えており、家族ともすれ違ってしまうことがあるのですが、天気図を読んだり、天気の仕組みを考えるのはとても得意。そんな彼の気持ちを、飄々と明るく受け止めてくれる、いとことの会話のパートだけでも沁みますが、姉との推理・冒険を通じ、一人の少年が成長していく物語としても好ましい。謎解きミステリーとしても、人間消失の謎について、八つの仮説を立てて可能性を絞り込んでいくという書きぶりで、透徹した論理で一歩一歩真相に迫っていく、その堅実さが嬉しいのですよ。伏線の配置の仕方も実に巧い。読んでいる間中、幸せな気持ちに包まれる本でした。大好きです。10代のあなたが、初めて手に取る翻訳ミステリーになるかもしれません。

     32、ジェフリー・ディーヴァー『ファイナル・ツイスト』(文藝春秋)は、『ネヴァー・ゲーム』『魔の山』に続く〈コルター・ショウ〉シリーズの第三作。これにて、本シリーズは三部作を構成して、第一期が終了になる模様。本国では第二期の開始が予定されているらしく、大いに楽しみ。本シリーズについては、それぞれ第2回、第24回で前二作を取り上げ、『魔の山』について語る中で、「本シリーズは冒険小説がやりたかったのでは」と書いておりました。そして本作『ファイナル・ツイスト』は、第一期の主題である「父・アシュトンは何を追い求め、亡くなったのか?」が明かされる物語であり、遂に敵組織への潜入を果たすという点で、スパイ・アクション風の味付けにもなっています。私が何より今回ハマったのは、家族小説としての読み味で、これまで小出しにされてきた父との確執や、兄・ラッセルとの物語が、いよいよ音を立てて動き出し、ショウが家族に対して抱く複雑な感情を綴ってくれます。この兄がまた、いいんだ。過去にまつわるエピソードも、人を助けるためにショウが雪崩に飛び込んでいくシーン(!?)とかたまらない。ミステリーとしてもイキのいいネタが盛ってあり、それが「父が死ぬ原因になった、『世界を破滅させる』100年前の文書」なのですが、この文書が現れた時の興奮たるや。三部作のオチをつけるに見合う大ネタになっています。大胆な大法螺に拍手喝采です。ディーヴァーは今年の九月にリンカーン・ライムシリーズの新作”The Midnight Lock” も刊行予定とのこと。『フルスロットル』『死亡告示』『ファイナル・ツイスト』そしてライム新作、一年に四冊もディーヴァーが読めていいんですか?

     33、G・G・バイロン、J・W・ポリドリほか『吸血鬼ラスヴァン 英米古典吸血鬼小説傑作集』(東京創元社)は主に19世紀の吸血鬼小説――あのブラム・ストーカーより前の――に焦点を当てたアンソロジー。十編中七編が本邦初訳ということで、資料性も高いアンソロジーですが(それに夏来健次の訳で吸血鬼小説が読めるというだけで、私はよだれが出る)、個々の作品も実験的で面白い。「黒い吸血鬼――サント・ドミンゴの伝説」などは「吸血鬼ラスヴァン」と同年に書かれた作品にもかかわらず、異化作用という文脈から生まれた吸血鬼について、黒人を絡めた短編になっていて、しかもそのイジり方が1819年に書かれたとは思えないほど先駆的。他にも「吸血鬼ラスヴァン」の最初の頃の作品ならではの素朴で基礎の全てが詰まった味わいや、「食人樹」の淡々とした書きぶりや、「カンパーニャの怪」のシンプルに強いストーリーテリングや、「魔王の館」の吸血鬼小説と芸術家小説の魔合体のような読み味など、読みどころは満載です。そしてこの作品集で特に感嘆したのは、作品の翻訳も五編手掛けている平戸懐古による、30ページ越えの解説です。解説中の文章からすると、大学の関係者で英米文学が専門というのは分かるのですが、その経歴を生かしてか、吸血鬼小説の系譜やその響き合いを語るのみならず、英米文学の系譜もしっかりと辿った、足腰の強い書き味に感動してしまったのです。読みながら何度も頷きました。文学フリマで怪奇短編の邦訳をされていたのは知っていて、元から翻訳も肌に合うと感じていたのですが、解説もここまで素晴らしいとなると、早くもファンになってしまいそうです。東京創元社でガンガンこういう企画に携わったり、どこかで連載持ってくれたりしないかな。

     34、ジャニス・ハレット『ポピーのためにできること』(集英社文庫)は、どえらい傑作。本年度の翻訳本格ミステリーの暫定ナンバーワンだと思っています。メール等の文書記録のみで構成された実験的な推理小説で、メールのやり取りしか書かれていないのに、次第に登場人物たちの人間関係が立体的に浮かび上がってくる、その構成が素晴らしい。端的にメールを返す人、だらだら返す人、それぞれの個性が出ていて面白いんですよね。また、100ページほどで、難病の娘の治療費を集めるためのチャリティー・パーティーが開かれるのですが、このパーティー当日の描写は一切ない、というのがまた良い。要するに、メールのみで構成しているので、パーティー中にはみんなメールなんてしてないんですよね。パーティーのシーンなんて、いくらでも意味深に書けるだろうに。そのあたりを容赦なく切るあたりの思い切りもニヤリとします。これらメールの記録は、ある事件に関わる記録である、というのは冒頭に提示され、その事件の真相を推理するべく二人の司法実務修習生がSNSで推理合戦をする……というのが大まかな枠組みで、この枠組みを生かし、犯人当てのみならず、被害者当てから人物当てなどが複雑に絡み合ってくるのが面白い。おまけに、中心にあるのは、飛び切り残酷なアイデア。とはいえ、読むのは骨が折れるので、読者は……かなり選ぶでしょうけど。でも、それだけの甲斐がある作品ではないかと。だってどえらい傑作なんだもん……。

     35、アレックス・ベール『狼たちの宴』(扶桑社文庫)は、『狼たちの城』に続くシリーズ第二弾。ユダヤ人の古書店主イザーク・ルビンシュタインが、ひょんなことから、ゲシュタポの犯罪捜査官、アドルフ・ヴァイスマンの名を騙る羽目になり(この「ひょんなこと」は一作目『城』に語られるのですが、経緯そのものが既に面白いので伏せておきます)、このヴァイスマンが名探偵として名高い男であるため、敵だらけのゲシュタポの中で名探偵を演じることに……というのが設定の大枠。一作目『城』では古城の密室殺人に挑んだのですが、本作『狼たちの宴』の敵は連続絞殺魔。シリアルキラー・サスペンスとしてテンポの良い良作に仕上がっていますし、四面楚歌の中で自分の身元を欺かなければならないスリルは前作より増しています。そして今回凄いのは、イザークと犯人との対決です。冒頭からカットバックを用い、これが見事なクリフハンガーになっているのですが、いよいよ犯人の正体が分かると、実にアツい小説に変貌するのです。このバランス感覚は実に不思議で、なんとも読まされてしまう。続編の刊行も大いに期待しています。

     36、C・J・ボックス『嵐の地平』(創元推理文庫)は、〈猟区管理官ジョー・ピケット〉シリーズの最新作。ジョーの養女であるエイプリルが殴打事件に巻き込まれ、意識不明の重体で発見されたという発端から、「ジョー・ピケット自身の事件」と言うことも出来る傑作です。このエイプリルと駆け落ちしたロデオ・カウボーイ、ダラスが第一容疑者となり、ジョーは彼に接触しようとするのですが、立ちはだかる壁=ダラスの家族がそうさせない。この家族、一体何なんだ? と想像を掻き立てていく構成が良い。また、本シリーズの名助演男優である鷹匠・ネイトをプロットの中でどう生かすかという点に、職業作家としてのボックスの凄みを感じます。オフビートな結末が良いんです。個人的には、『ゼロ以下の死』『鷹の王』に匹敵する、本シリーズのベスト作に推したいところ。某海外古典ミステリー短編のネタが、ユニークな形で使われているのにも感心しました。この方向で生かした作例は、恐らくない(そんな読み方をするのは私しかいなさそうなので、ヒントだけ出しておくと、車の動きが問題になるのです)。

     37、エイドリアン・マッキンティ『ポリス・アット・ザ・ステーション』(ハヤカワ・ミステリ文庫)は〈ショーン・ダフィ〉シリーズの第六作。ここまでくると、いよいよこのシリーズは無敵ではと思わされてしまいます。ダフィにも子供が出来、家族が出来たのですが、そうした人生の転換点に、更に大いなる事件に巻き込まれることになるのです。守るべきものが出来たダフィの奮闘と、ハードボイルド×警察小説としての感動が同時に襲い掛かってくる雄編で、特にプロローグの巧さには参りました。このプロローグを読まされて、続きを読まない人、いる? また、本作は法月綸太郎による解説がついていて、私はひとつ前の第五作『レイン・ドッグズ』で解説を書いたのですが、法月解説を読んで、一言……「敵わねえ~!」。これは悲観して言っているのでも、悔しがっているのでもなく、満面の笑みで、その素晴らしい仕事に敬意を表して、言っています。これまでの邦訳六作を通じた、法月ならではの語り口による魅力の読み解きも良いのですが、末尾で第一作『コールド・コールド・グラウンド』との「ある対比」を見いだすパートには、天を仰いでしまいました。私には逆立ちしても、こういうことが出来ない。法月ファンには、この解説だけでもとにかく読んで欲しい。法月ファンが高じすぎて作家をやってる私が言うんだ、信じてくれ。

     38、マイクル・Z・リューイン『祖父の祈り』(ハヤカワ・ポケット・ミステリ)は、リューイン久々の長編にしてノンシリーズ作品。パンデミックで荒廃した世界で、家族を守りながら生きていく老人の姿が心に残る、200ページほどの小品で、リューイン特有のユーモラスで優しい筆致はそのままに、「悪いこと」をしなければ生きていけない人々の苛烈な状況を書いています。冒頭のシーンの切り回しの巧さなどに、やはりリューインは良いなぁとの思いを新たにします。この『祖父の祈り』は、早川書房による「リューイン祭り」の第一弾のようで、八月には『沈黙のセールスマン〔新版〕』が刊行されましたし(傑作です。〈アルバート・サムスン〉シリーズ未読者は、ここからでも十分読めますので、ぜひ読んで欲しいです)、九月にはサムスン最新作となる連作短編集『父親たちにまつわる疑問(仮)』が刊行予定とのこと。まさに祭りです。

     さらに、「ハヤカワミステリマガジン」九月号では、「マイクル・Z・リューイン 生誕80周年記念特集」が組まれており、〈リーロイ・パウダー警部補〉シリーズの本邦初訳短編「配られたカードで」掲載の他、短編集に未収録のリューイン短編「子猫よ、子猫」「アルバートのリスト」の再録、リューインによる「日本の読者の皆さんへ」というメッセージなど、盛りだくさんの内容となっています。「配られたカードで」はパウダーとサムスンの娘の共演がアツい短編でオススメ。特に田口俊樹による「リューインさんのお人柄」と題されたエッセイは、思わずくすりとくる語りがたまりません(パートナーであるリザ・コディはもちろん、ピーター・ラヴゼイ夫妻まで出てくるぞ!)。エッセイ「わたしとリューイン」では、私の他に、小路幸也、堂場瞬一、米澤穂信がリューインへの思いを綴っています。このメンツの中に私が並んでいいのか? と思いつつ、宮部みゆきから逆向きにリューインへ辿っていき、ここまでハマった若手の証言が載るのも、それはそれで良かったのでは、と思っています。リューイン著作リストがあるのもGOOD。私のオススメのリューイン作品については、エッセイに書きましたので、ぜひ「ハヤカワミステリマガジン」を手に取ってみてください。

     39、S・J・ローザン『南の子供たち』(創元推理文庫)は〈リディア&ビル〉シリーズ、なんと八年ぶりの邦訳刊行。私立探偵であるリディアが母から、「ミシシッピへ行って、父殺しの容疑で逮捕された親戚、ジェファーソンを救いなさい」と命じられる発端からして大いにくすぐられるのですが(この母、リディアの探偵活動にずっと否定的だったのです。だからこそ、このやり取り自体がユーモラス)、いざミシシッピに行ってみると、ジェファーソンを巡るサスペンスだけでなく、中国系アメリカ人であるリディアのルーツを探る物語まで展開していくのが本書のキモ。軽妙洒脱な会話劇にノリながら、一気呵成に読める良作です。ローザンでは『冬そして夜』『春を待つ谷間で』が好きですね。それにしても、〈リディア&ビル〉シリーズは、作品によって語り手が交互に変わるのが特徴的なハードボイルド・シリーズなのですが、解説の大矢愽子による、女性はリディアものが好きで、男性はビルものが好きな傾向にあるという指摘は、これまでの読書会の思い出とか、友達と交わした感想を思い返しても、思い当たるフシがありすぎました。そういう意味でも、For everyoneなハードボイルド・シリーズと言えるのではないでしょうか。もちろん、『南の子供たち』から読むのもOKですよ。

     40、デイヴィッド・ヘスカ・ワンブリ・ワイデン『喪失の冬を刻む』(ハヤカワ・ミステリ文庫)は、先住民族をテーマにしたアメリカン・ハードボイルド。先住民族の処罰屋であるヴァージルは、卑劣な事件を起こす輩をその腕っぷしでぶちのめしてきたのですが、管区内でヘロインを売ろうとしている男がいると聞き、若者たちを守るため行動を開始する……という筋で、吉野弘人訳によるパリッとした文体のハードボイルドに仕上がっています。事件の真相もさることながら、結末の余韻が忘れ難い。また、杉江松恋による解説からは、淡々とした書評の視点提示や書誌情報の提示の中に、静かな熱意を感じる瞬間があって、結末の余韻の後、更に『喪失の~』の世界を深く味わえました。こういう解説を読むと、自分も頑張ろう、と前向きになります。

    〇ここから国内10冊! 50冊達成へのカウントダウン

     41、北山猛邦『月灯館殺人事件』(星海社)は「七つの大罪」を問われたミステリー作家たちが次々殺されていく、北山印の物理トリックが満載の作品。作家の懊悩を書いた地の文が妙に心地よく、サクサク読んでしまったのですが、テンポ良く繰り出されるトリックのアイデア量ににんまり。星海社による「令和の新本格カーニバル」の一冊として刊行されただけあり、新本格へのオマージュと警句が込められた本格でもあります。他に好きな北山作品は『『アリスミラー城』殺人事件』『『ギロチン城』殺人事件』『少年検閲官』『オルゴーリェンヌ』『密室から黒猫を取り出す方法 名探偵音野順の事件簿』『猫柳十一弦の失敗 探偵助手五箇条』『ダンガンロンパ霧切2』『ダンガンロンパ霧切3』等。短編単位では「廃線上のアリア」「磔アリエッタ」「一九四一年のモーゼル」「神の光」が好きです。ちなみに前回再読編には取り上げませんでしたが、最近『『ギロチン城』殺人事件』も再読していて、他に誰もやろうと思わなかった「例の」トリックの完成度にまた驚いてしまいました。こんなの一読じゃ解読できないって。好きですね。ベストを挙げろと言われたら『オルゴーリェンヌ』と答えるのですが、偏愛作を挙げろと言われたら、迷わず『ギロチン城』を挙げます。

     42、澤村伊智『怪談小説という名の小説怪談』(新潮社)は著者による粒ぞろいのホラー短編集の中でもひときわ面白い傑作集。『ひとんち』の表題作や「夢の行く先」、「宮本くんの手」は深夜に読んだら後悔しましたし、『怖ガラセ屋サン』は一部の短編のオチに笑い転げてしまったりして、その多彩さが大好きなのですが、『怪談小説~』は今までの短編集をまた凌駕したのではと思わされました。怪談が連鎖していく「高速怪談」(高速道路で車を走らせながら怪談を話す……というシチュエーションもいい!)や、モキュメンタリー形式でテキストを集めていく「苦々陀の仮面」など、形式のバリエーションが豊富なのも特徴です。私の偏愛作は「涸れ井戸の声」。優れたホラー小説は、恐怖の対象となるその「コト」を体験した人の話を経由することで、なかなか恐怖の対象そのものを読者の目の前で展開せず、想像して怖がらせる……そういう、空洞がぽっかり空いた、ドーナツのような形をしていると思うのですが(ラヴクラフトなんて「伝聞の伝聞」まで使う)、「涸れ井戸の声」は話題の中心となる怪談短編を一切読ませないことで、恐怖を掻き立てる構成になっています。短編集のタイトルの元ネタになっている、都筑道夫の名前が出てくるくだりにもニヤリ。やっぱりいいなあ、澤村ホラー。他には『ずうのめ人形』『うるはしみにくし あなたのともだち』が好きですが、未読も多いのでどんどん読んでいきます。

     43、柄刀一『或るアメリカ銃の謎』(光文社)はエラリー・クイーンによる〈国名〉シリーズ」を柄刀一が本歌取りした〈柄刀版国名〉シリーズの第三弾。今回は中編二つ、「或るアメリカ銃の謎」「或るシャム双子の謎」を収録しており、それぞれエラリー・クイーンの『アメリカ銃の謎』『シャム双子の謎』の本歌取りになっています。〈柄刀版国名〉シリーズの特徴は、事件のパーツやテーマをそのまま本歌取るというより、〈国名〉シリーズ各作品の本質を直観したような題材の選び方や、表題となっている作以外の他の〈国名〉シリーズの要素をマッシュアップするチューニングのうまさにあると思っています。そして、前回の読書日記に取り上げた通り、クイーンの『アメリカ銃の謎』を再読し、その本質は「〇〇に〇〇の〇〇を〇〇に組み込むこと」(念のため伏字)だと思ったのですが、柄刀の「或るアメリカ銃の謎」もその発展形と言える真相になっており、一読感嘆しました。論理と奇跡の融合を読みたかったら、柄刀本格なのですよ。「或るシャム双子の謎」も、原典の「山火事」と「ダイイングメッセージ」の要素を生かしながら、更に発展させた運命の慟哭を見せてくれます。この犯人の条件、巧すぎると思うし、これも原典『シャム双子』を犯人当てとして捉えた時の本質だと思うんだよな……。いやぁ、好きですねえ。

     他に好きな柄刀作品は『OZの迷宮』『400年の遺言』『アリア系銀河鉄道』『ゴーレムの檻』『ペガサスと一角獣薬局』『レイニー・レイニー・ブルー』『サタンの僧院』『奇蹟審問官アーサー 神の手の不可能殺人』『翼のある依頼人』『消失島RPGマーダー』『紳士ならざる者の心理学』『fの魔弾』『システィーナ・スカル』など。好きな作品が多すぎる。初めてなら短編集がオススメなので、『ゴーレムの檻』とか『紳士ならざる者の心理学』がオススメ、前者は表題作とその現代版となる「太陽殿のイシス」の合わせ技が最高、後者の収録作「見られていた密室」はダイイングメッセージ物の傑作で、シチュエーションだけで面白すぎて鼻血が出ます。長編なら『奇蹟審問官アーサー 神の手の不可能殺人』の最後の殺人が……美しいんですよねえ……。これぞ柄刀本格のロマンティシズム。ちなみに、柄刀一は「ジャーロvol.82」において「或るチャイナ橙の謎」を既に発表しており、原典『チャイナ』の代名詞とも言える「全てが裏返しになった部屋」=あべこべの謎をアレンジしただけでなく、もう一つ巧みなモチーフを加えることで、ロジカルでパラドキシカルな本格推理を作り上げていました。〈柄刀版国名〉シリーズ、第四作を早くも期待してしまう……ニッポンは? ニッポンはやってくださるんですかッ?

     44、辻真先『馬鹿みたいな話! 昭和36年のミステリ』(東京創元社)は、著者による〈昭和ミステリ〉シリーズの三冊目。テレビ局のスタジオで起きる殺人、というテーマから、著者の『なつかしの殺人の日々』を思い出すのが嬉しく、軽妙な読み味にも舌鼓を打ちます。前作『たかが殺人じゃないか 昭和24年の推理小説』の圧倒的な結末とどうしても比べてしまいますが、『馬鹿みたいな話!』で書かれた昭和の像はまた一味違って、『深夜の博覧会』『たかが殺人じゃないか』そして本作と並べてみると、題材の奥行きが感じられます。他に好きな辻作品は『改訂・受験殺人事件』『SLブーム殺人事件』『宇宙戦艦富嶽殺人事件』『ローカル線に紅い血が散る』『紺碧スカイブルーは殺しの色』『アリスの国の殺人』『ピーター・パンの殺人』『白雪姫の殺人』『旅路 村でいちばんの首吊りの木』『天使の殺人〔完全版〕』『赤い鳥、死んだ』『悪魔は天使である』『にぎやかな落葉たち』『義経号、北溟を疾る』等。著作が多いのでどうしてもここが長くなりますね。特に『ピーター・パンの殺人』は著者の戦争体験も如実に反映された本格の雄編なので(『たかが殺人じゃないか』が刺さった人には刺さるのでは?)、どこかで文庫にしてほしい。『にぎやかな落葉たち』で老人ホームが舞台の本格ミステリーを書かれた時にも、この人は最強だなと思わされました。

     45、恒川光太郎『箱庭の巡礼者たち』(角川書店)は雑誌「怪と幽」で発表された六つの短編が、書き下ろし部分のブリッジによって一つに接続されてしまうという壮大な構成の連作集。2008年、中学二年生の時に、ちょうど文庫になった『夜市』を読んだ時から、ファンタジー色強めの怪奇譚に浸りたいときには、いつも恒川作品に返っているのです。今回の『箱庭の巡礼者たち』も、冒頭に置かれた「箱のなかの王国」が素晴らしくて、箱の中に自分だけに見える「王国」があり、それを観察する少年の視点から紡いだ物語なのですが、最後に立ち現れる少年の心理に胸打たれました。ここを起点に世界が接続していく感覚が楽しい傑作集でした。他に好きな恒川作品は『雷の季節の終わりに』『南の子供が夜いくところ』『竜が最後に帰る場所』『無貌の神』『滅びの園』『白昼夢の森の少女』など。特に『滅びの園』は通勤電車で読むのにうってつけの素晴らしい作品ですよ。あまりに面白すぎて、その日は会社に行けなくなりそうでした。

     46、長浦京『プリンシパル』(新潮社)は2022年を席巻するのではないかというくらいの激アツ犯罪小説。敗戦間もない東京を舞台に、ヤクザの娘が全てを焼き尽くす謀略の中に飛び込んでいく長編で、近い読み味の作品を挙げれば池上永一の『テンペスト』になるのではないでしょうか。女性の一代記であり、その背後に死屍累々と骸が横たわっているという点で。……そして何より、最大の共通点は、「抜群に面白い」こと。まさに一気読みの面白さで、ラストシーンの凄絶さには拍手喝采してしまいました。一年に一回、こういうものが読めると本当に嬉しいですね。好きな長浦京作品は『リボルバー・リリー』『アンダードッグス』です。どの作品を読んでもどんどんページをめくらされてしまいます。

     47、前川裕『ギニー・ファウル』(光文社)はマルチ商法をテーマにした犯罪小説で、小説宝石7月号のエッセイでも語っている通り「最大の肝はやはり犯人の意外性」といえる技ありのミステリーでもあります。前川犯罪小説は、いい意味で時代から逆行しているのがたまらなくて、〈クリーピー〉シリーズでは大学教授の高倉の立ち位置が、毎回凄い勢いで変わりますし、短編集では江戸川乱歩の短編集かというくらい、エログロに倒錯した世界観の中でトリッキーな連作を見せてくれます(なので『クリーピー クリミナルズ』『クリーピー ラバーズ』が大いにオススメ。ここから読める)。で、『ギニー・ファウル』は、そんな作者の作品の中でも、コロナ禍を背景として、現代のマルチ商法ビジネスを標的にしている……と思いきや、過去の未解決事件が絡んでくるというところが、実に作者の作品らしくてツボでした。

     48、松本清張『松本清張推理評論集 1957-1988』(中央公論新社)は、清張没後30周年記念出版として、今まで松本清張の評論集としては『黒い手帳』が名高かったところを、そこに収録されていないものまで全38編収めた貴重な一冊。清張は「リアリティー」と「アイデア」の両輪を大切にしていて、清張を「社会派」を標榜する作家として捉える史観からはこのうち「アイデア」の視点が抜けがちなのですが、38編を通読していくと、清張にとっての「アイデア」の語感が感じ取れてくるのもスリリングな読み味。先月『絢爛たる流離』が復刊されましたが、これも、ダイヤの流離を追いながら、その宝石を持った人々が次々事件に巻き込まれるという連作短編の構成で(要するに清張版『月長石』ですね)、第一話・第二話の鮮やかさを見るだけでも清張の「トリックメイカー」ぶりが伝わると思うのですよ。不思議な作家です。また、リアリティーの部分についても、当時流行だった翻訳ミステリーとの比較から(流行だった!? そんな時代があるのか――羨ましい! 翻訳ミステリー、バカ売れしろ!!!)、外国なら少し不自然でも気にならないが、自国のものであれば書かれた文章と自分の現実との差異を感じてしまうと……という視点から出てきていたのが面白く感じました。各作品の裏話やら、フランスで開催された「世界推理作家会議」でのインタビューなど、読みどころ満載。個人的には、清張が「零の焦点」(『ゼロの焦点』の連載時のタイトル)の原稿を落としたことで急遽組まれた、乱歩との対談がツボでした。

     さて、そんな清張評論を読んで触発され、何冊か清張を読みました。『鷗外の婢』は、森鴎外が「小倉日記」に書いた女中のその後を追いかけるルポが、いつの間にか古代史と接続してしまうという、清張小説に頻出する鴎外と古代史の主題が正面衝突した佳品でした。同時収録の「書道教授」も、罪の重さがずっしりとのしかかってくるような倒叙もので面白い。『表象詩人』は収録された中編二ついずれもが、サマセット・モームの話から始まるのに笑わされますが、「表象詩人」は詩論の論争と殺人の取り合わせが面白く、忘れ難い作品です。また、文春文庫から復刊の『絢爛たる流離』は既に取り上げましたが、新潮文庫からも『なぜ「星図」が開いていたか』が復刊され、これも掛け値なしの傑作短編集なので、どこから清張を読んだらいいか迷っている人は、ズバリこれだと思います。「顔」「張込み」「声」といったベスト短編も、私の偏愛作である表題作も入っていて、充実の一冊。「張込み」のラストの、どこか妙な味がする畏敬の念って、清張が書いた女性像の核心だと思うんですよね。最後に私の清張オススメは、『時間の習俗』(←和布刈神社の描写と、フィルムのアリバイトリックがいい!)、『眼の壁』『影の地帯』『ゼロの焦点』『梅雨と西洋風呂』『喪失の儀礼』『波の塔』『球形の荒野』『火と汐』『ガラスの城』、古代史ものから『火神被殺』『巨人の磯』など。短編集では『黒い画集』、特にその中の「遭難」がイチオシ。新潮文庫の『傑作短編集(一)~(六)』はいずれも読み逃せない作品集ですが、ミステリーマニアは『張込み(五)』から読むと凄さが伝わりやすいかもしれません。

     49、結城昌治『日本ハードボイルド全集5 幻の殺意/夜が暗いように』(創元推理文庫)は東京創元社から刊行の〈日本ハードボイルド全集〉の一冊。結城昌治は、研ぎ澄まされたナイフのような文体と、哀しい人々を静かに眼差すような書きぶりが好きなのですが、『幻の殺意』という長編はこの美点が全て現れた傑作で、一読嘆息しました。息子が殺人を犯したとは信じられない……という想いから始まる調査行が、イレギュラーバウンドのように探り出してしまった真相の哀しさ。実にやるせない作品です。短編集もレベルが高く、私の偏愛短編集『死んだ夜明けに』から、私立探偵・真木が登場する三編を全て収録していますし、私が「危険な賭け ~私立探偵・若槻晴海~」を書いた時、密かに目標にしていた逸品「すべてを賭けて」も収録されています。そして、結城作品に通底する「目」について静かな文体で書いた、霜月蒼による解説が素晴らしかった。

     ここで脱線して、残すは「傑作集」の刊行を残すのみとなった〈日本ハードボイルド全集〉を総ざらい(以下、「日本ハードボイルド全集」の表記は取った形で各巻を表記)。一巻は生島治郎『死者だけが血を流す/淋しがりやのキング』で、粒ぞろいの短篇集が印象に残りました。傑作『黄土の奔流』で描かれた風物描写と通底するものを感じましたし、何より一巻で良かったのは大沢在昌のエッセイ。作者と読者の幸福な関係性に涙がこぼれる逸品ですよ。二巻は大藪春彦『野獣死すべし/無法街の死』で、実はこの時大藪春彦を初めて読みました。長編『無法街の死』の暴力描写が衝撃で、そして杉江松恋による解説がとんでもなく素晴らしかった。三巻は河野典生『他人の城/憎悪のかたち』は著者の「〈失踪〉こそハードボイルドの正統」という主張そのものも面白くて、更に『他人の城』の結末の余韻が素晴らしかったので一発で虜に。それ以来、河野作品を集めています。四巻は仁木悦子『冷えきった街/緋の記憶』。私立探偵・三影潤が主人公を務める『冷えきった街』は私的仁木作品のベストというくらい好きですし、三影潤短編がまとめて読めるのも実に贅沢。ハードボイルドの乾いた筆致と、謎解きミステリーの論理の美しさを同時に味わえるんですよね。仁木作品の論理は、最小の力で最大の効果を生むように作られているような気がして、そのスマートさが好きです。『二つの陰画』『殺人配線図』『粘土の犬』などが特に好きですが、仁木作品は全部好きかも。五巻は結城昌治で(発売順は巻数通りではありませんでした)、六巻は都筑道夫『酔いどれ探偵/二日酔い広場』で、カート・キャノン(エド・マクベインの別名義)『酔いどれ探偵街を行く』を都筑道夫が翻訳し、そのべらんめえ口調での訳が好評だったため(“The Beatings”という原題の短編が、都筑の手にかかれば「街には拳固の雨が降る」という邦題になるんですから、もう無敵ですよね)、都筑がパスティーシュとして書き継いだのが『酔いどれ探偵』。謎解き要素も交えつつ、軽妙洒脱なハードボイルド世界を構築しているのが素晴らしい短編集です。そして『二日酔い広場』は初読みでしたが、こちらは苦みも添えて、より奥行きのあるハードボイルドが読めたので大満足でした。「風に揺れるぶらんこ」という短編が素晴らしくて……。

     50、詠坂雄二『5A73』(光文社)は挑発的で捩れた構造のミステリーを書き続けている作者の最新作。私も今変換できないので、ここに書けないのですが、表紙にも使われている、「日」と「非」を合わせたような幽霊文字がテーマとなる作品で、「5A73」というのは、序文で作者が語っている通り、その幽霊文字に割り振られたJISコードだといいます。あえて直接題名にするのを避けることが「忌むべきもの」を思わせて、ホラーとしての読み味も感じたのが大いにツボでした(もちろん、序文にいう、変換不可能な文字を題名にするのは出版戦略上……という事情もあるにせよ)。謎めいた存在を目にしたときに、推理を繰り返してしまう読者の心理さえも、詠坂は標的に据えているような気がしました。ラストが実に見事で、ああ、これぞ詠坂小説だ、と満足感に浸れる一冊でした。好きな詠坂作品は……参ったな、全部好きなんですが、特に、で挙げると、『遠海事件 佐藤誠はなぜ首を切断したのか?』『電氣人間の虞』『インサート・コイン(ズ)』『乾いた屍体は蛆も湧かない』『人ノ町』『君待秋ラは透きとおる』です。特に、って言ったのに六冊も……。大学時代は『電氣人間の虞』を人に布教しまくっていました。作中の「電氣人間」にまつわる噂に「語ると現れる」というものがあるのですが、サークル内での私はそれこそ「詠坂の話をすると現れる」奴でした。布教マン。偏愛作は『人ノ町』で、ファンタジックな設定と、その町の成り立ちや隠された真実を突き止める謎解きの妙味が両方たっぷり味わえて好き。てかもう、詠坂の文体が大好き。

     ……ということで、無事に50冊紹介、完走です! 達成感がどうこうというより、これから編集さん・校閲さんにかける苦労を想って顔が青ざめています。

     こんな感じで、暑苦しく、深く広く、ミステリーについて語った読書日記がまとまったのが、『阿津川辰海読書日記 かくしてミステリー作家は語る《新鋭奮闘編》』です! 加筆修正を加えていますので、ぜひ買ってね、読んでね。よろしくお願いいたします。

    (2022年8月)



第40回2022.08.12
まだまだ阿津川辰海は語る ~旧刊再読編~

  • 死写室 映画探偵・紅門福助の事件簿、書影


    霞 流一
    『死写室 映画探偵・紅門福助
    の事件簿』
    (講談社ノベルス)

  • 〇ただいま、読書日記です

     二カ月の間お休みをいただきまして、ただいま帰ってまいりました、阿津川辰海です。待っていた人も、待っていなかった人も、今日はミステリーの話にお付き合いください。

     さて、八月に光文社から二冊、本が出ます。一冊目は長編『録音された誘拐』。短編集『透明人間は密室に潜む』の中の一編「盗聴された殺人」に出てきたコンビ、耳が良い探偵・山口美々香と、彼女の得たデータを基に名推理を繰り出す探偵・大野糺が登場する長編です(なお『透明人間~』も九月に文庫化します!)。『録音された誘拐』のテーマは誘拐、ということで、法月綸太郎『一の悲劇』や土屋隆夫『針の誘い』などなど、私の大好きな誘拐ミステリーたちにオマージュを捧げつつ、本格ミステリーとしても新たなステップに挑んだ作品です。これまでの〈館四重奏〉を始め、一つの場所に窮屈に留まる長編が多かったので、今回は外に繰り出して、動きの大きい作品を書いてみようというのが第一の狙いです。『蒼海館の殺人』と同時並行で進めていたので、約三年かかっていますし、苦労も大きかったですが、書いていて楽しいシーンも多かったです。他の狙いについては……まあ、何かの機会に聞かれるのを待ちましょう。面白いので読んでください。

     そして二冊目は、この連載、『阿津川辰海読書日記』が本になります。タイトルは『阿津川辰海読書日記 かくしてミステリー作家は語る《新鋭奮闘編》』となっていまして、この読書日記でいうと第35回、スチュアート・タートン『名探偵と海の悪魔』の回まで収録しています。更にボーナストラックとして、解説を十一本と、エッセイを収録して、計400ページ越え。デビューから5年の作家が溜める「小説以外」の原稿量とは思えません。この本には私のわがままで索引を作ってもらいまして、なんと、300以上の作家、1000以上の作品に言及しているとのこと……。

     この読書日記の索引を見て、自分で原稿を読み直して、気付いたことがあります。

     ……足りないなぁ。

     好きな作家も多分真剣に数えたら1,000人くらいいると思うし、10,000作品くらい語りたい作品があるはず。何せ、毎月読書日記を書くたびに、その月に読んだ面白本のなかからメインの二冊を選んで、他の本を泣く泣く削っているのですから(泣く泣く削らず全部紹介した回もありますが)。

     この休んでいた二カ月、本を読んでいなかったわけではありませんし、新作への充填期間ということもあって、関連するテーマや、この中にヒントがあると直感した本を大量に再読していました(このヒントになる、というのは、自分がやりたいテーマについて他の作品のアプローチを再確認して刺激にする……というニュアンスです)。新刊もいつも通り読んでいました。

     ということで、8月の読書日記は前後編でお送りし、前半を「旧刊再読編」、後半を「新刊乱読編」と題し、読書日記の書籍化『新鋭奮闘編』を補完する試みをお送りいたします。前後編を合計して、取り上げる作品の数を発表します。

     ……50作です!

     万が一、第一回の読書日記書籍化が好評を持って迎えられ、第二回の編集をする必要が生じた時、編集さんを、校閲さんを、そして未来の私をチェック作業によって苦しめるのはこの回です(先に謝っておく――ゴメン!!)。ただまあ、我々が苦しめば苦しむほど、読み物としては面白いはずなので、そこはそれ、でいきましょう。

     ちなみに、再読するってことは忘れているの? という疑問もあると思いますが、やはり大筋の真相やトリック、ロジックは覚えていても、細かいことは忘れていることが多いです。トリックは覚えている作品も、より明確に作者の手つきが見え、伏線を発見出来るのが再読の醍醐味ですし、私には再読する理由がもう一つあります。それはモチベーションです。ざっくり言うと、「面白い作品を再読すると、『よっしゃ、私もやるぞー!』という気分になる」ということです。私が精神的・肉体的に落ち込んだ時に再読するのは、実は、このモチベーションアップの意味が大きいかもしれません。

     この読書日記では初めて取り上げる好きな作家の話もするので、その作家の好きな他の作品の話なども駆け足でしていきますが、「50作」カウントする作品には冒頭に番号を付します。また、再読したものについては、書名の後ろに(再)と書きます(これらは新作のヒントを得るために色んな目的で再読した本で、こういう本は、実は今まで「読書日記」の場ではお話ししてきませんでした。取り上げたい新刊の話のほうが、いつも優先だからです。日記である以上、時評性を優先したい。新作は間が空くと思うので、ここに挙げた作品から、私がこの当時何を考えていたかを推理するのも面白いかもしれません)。逆に(再)の印がないものは、今回初めて読んだ作品になります。また、いつも取り上げるのは新刊なので、出版社名を付していますが、復刊・再刊があり煩雑なので、今回は省くことにしました。

     まず、以下に作品のリストを挙げます。今回の原稿は長すぎるので、読みたい・気になる作品に飛んでいただけるように、という意味合いです。飛ぶといっても、番号を参考にスクロールしていただくしかないですが……。

    1、芦辺拓『殺人喜劇の13人』(再)
    2、有栖川有栖『らんの島』(再)
    3、歌野晶午『密室殺人ゲーム2.0』(再)
    4、折原一『叔父殺人事件 グッドバイ』。
    5、霞流一『死写室 映画探偵・くれないもんふくすけの事件簿』(再)
    6、貴志祐介『硝子のハンマー』(再)
    7、霧舎巧『名探偵はどこにいる』(再)
    8、久住四季『星読島に星は流れた』(再)
    9、白井智之『そして誰も死ななかった』
    10、城平京「飢えた天使」(鮎川哲也・編『本格推理⑩』収録、再)
    11、高木彬光『初稿・刺青殺人事件 昭和ミステリ秘宝』(再)
    12、はやみねかおる『機巧館のかぞえ歌 名探偵夢水清志郎事件ノート』(再)
    13、日影丈吉『内部の真実』(再)
    14、道尾秀介『骸の爪』(再)
    15、柳広司『饗宴 ソクラテス最後の事件』(再)
    16、スタンリイ・エリン『第八の地獄』(再)
    17、エラリー・クイーン『アメリカ銃の秘密』(再)
    18、エドマンド・クリスピン『大聖堂は大騒ぎ』
    19、マイクル・コーニイ『ハローサマー、グッドバイ』(再)
    20、P・D・ジェイムズ『神学校の死』
    21、レックス・スタウト『腰ぬけ連盟』(再)
    22、カーター・ディクスン『第三の銃弾〔完全版〕』(再)
    23、クリスチアナ・ブランド『暗闇の薔薇』(再)
    24、エドワード・D・ホック『サム・ホーソーンの事件簿Ⅰ~Ⅵ』(再)
    25、パーシヴァル・ワイルド『悪党どものお楽しみ』(再)

    〇では国内編15冊

     1、芦辺拓『殺人喜劇の13人』(再)は芦辺拓のデビュー作。4月刊行の『名探偵は誰だ』を第38回で取り上げたので、第二巻刊行時には絶対に索引に名前が載るのですが、『殺人喜劇~』を再読したところ、その闊達な語りが印象に残ったのでここにメモしておきたいのです。この「語り」については、選評の中島河太郎も「文体が溌溂として小気味」(同書講談社文庫版、p.453)よくと書いているのですが、中学生の自分にはまだピンと来ていなかったのだなと感じます。トリックを満載する芦辺長編の例に洩れず、連続殺人の環の中に、誘拐事件が組み込まれているのも、実は忘れていたので驚きました。他に好きな芦辺作品は『地底獣国ロスト・ワールドの殺人』『時の誘拐』『紅楼夢の殺人』『異次元の館の殺人』『鶴屋南北の殺人』『大鞠家殺人事件』。中でも『紅楼夢の殺人』は、トリックと幻想の融合という点でも、趣向の豪奢さという点でも、本当に偏愛している作品です。

     2、有栖川有栖『乱鴉の島』(再)。新作『捜査線上の夕映え』の「特殊設定ミステリ」云々のくだりで書かれていた「私は、〈ミステリはこの世にあるものだけで書かれたファンタジー〉と捉えている」(『捜査線上の夕映え』、p.8)という言葉を、『乱鴉の島』で既にやっていたことに再読で発見しました。この主張自体は、作者が一貫して主張しているものなので、もっと早く気付いても良かったのですが、現実で無暗に「特殊設定」が流行ってしまったがゆえに、その反動で有栖川作品の手つきがより明確に見えたのです。要するに、『乱鴉の島』では、SFでも特殊設定ミステリーでも定番になった「アレ」を、現実と地続きの舞台だからこそ出来る「夢と願い、そして喪失の物語」の装置として使っているんですよね。これは実際に「出来てしまう」世界だと上手く機能しない心理で、私たちと現実を共有している世界だからこそ、登場人物たちの哀切が際立って来る。火村・有栖を排除しようとする島の人々と、子供たちの心の動きとか、サスペンスの部分も再読するとビシバシ狙いが伝わって来てスリリングでした。中心のネタの一つが、エドワード・D・ホックの某短編に似ていることに気付けたのも再読の収穫。好きな有栖川作品は『双頭の悪魔』『女王国の城』『白い兎が逃げる』『妃は船を沈める』『怪しい店』、ちなみにこの休みの期間に『マレー鉄道の謎』『虹果て村の秘密』も好きなので再読しました。特に『女王国の城』は、作品の構成要素からロジック、結末まで全てが美しくて、大好きな一冊です。

     3、歌野晶午『密室殺人ゲーム2.0』(再)。とにかくハウダニットに飢えているので再読しました。オンラインにより繋がる殺人ゲームのメンバー、というのが、いつの間にか現代を思わせるようになってしまった。とはいえ、コンプライアンス的な意味では……凄かった。「良識」ある人々に読ませたら怒り出しそうな、鬼畜・無慈悲なトリックと構図のオンパレード。むしろ嬉しくなる再読でした。お気に入りはやはり「切り裂きジャック・三十分の孤独」。初読時にはインパクト抜群の密室トリックに目が行ってしまいましたが、再読では、別解潰しのスマートさに舌鼓。好きな歌野作品は『ROMMY 越境者の夢』『安達ヶ原の鬼密室』『ジェシカが駆け抜けた七年間について』『女王様と私』『誘拐リフレイン 舞田ひとみの推理ノート』『ずっとあなたが好きでした』です。特に『女王様と私』は、何をどうしたらこんな作品が書けるか分からないので、なんか異様に好きなんですよ。

     4、折原一『叔父殺人事件 グッドバイ』は、未読の折原作品の中から一冊読みたくなり、これを。『叔母殺人事件 偽りの館』は読んでいたのですが、これは大事に取っておいたのです。この世でただ一人、「叙述トリック」と明かしてもネタバレにならない作家が折原一ですが、『叔父殺人事件』では、リチャード・ハルの原典『伯母殺人事件』を巧妙にイジりながら、ザッと数えただけでも、〇つの類型の叙述トリックが効果的に組み合わせてあって(数を書いてもネタバレにならないと思いますが、念のため伏せますね)、その語り=騙りの魔術にまた感じ入ってしまいました。好きな折原作品は『倒錯の死角アングル 201号室の女』『耳すます部屋』『異人たちの館』『冤罪者』『双生児』『グランドマンション』。特に『グランドマンション』はひっくり返るから読んでください。

     5、霞流一『死写室』(再)。トリックに行き詰ったなら、やっぱり霞御大ですよ。動物見立ての執拗さ、バカトリックの豪快さ、そしてロジックのスマートさ、この三つが完全に同居した作家なんて、霞流一しかいないんですから(『羊の秘』ノベルス版の帯の法月綸太郎のコメント「ふくらむぞドリーム! 燃え尽きるほどフレーム! 響け、地底のスクリーム!」は最高だ!)。特にロジックは凄いんですぜ。毎回毎回、「なぜこの犯行が単独犯と断定できるのか」のロジックをしっかり組み立てている律儀な本格者なんて、今じゃ霞御大くらいなんだから。そんな霞流一が自分の経歴ゆえに自家薬籠中の物としている「映画業界」を舞台に、トリックとロジックのオンパレードを見せたのがこの『死写室』です。ノベルス版で最高の登場人物紹介がつき、映画祭モチーフがより際立ったので、ぜひ読んで。表題作の密室トリックとか、「モンタージュ」の玉突きのような論理の鮮やかさとか、充実ぶり半端じゃないので。「タワーで死す」「本人殺人事件」とか、霞短編にはまだまだ良作・傑作あるから、どこかでまとめてくれないだろうか。好きな霞作品は『フォックスの死劇』『オクトパスキラー8号 赤と黒の殺意』『首断ち六地蔵』『呪い亀』『火の鶏』『ウサギの乱』『夕陽はかえる』『スパイダーZ』『パズラクション』等々(等々???)。特に『火の鶏』はミステリー史上で何度も擦られている某ネタを唖然とする方法でアレンジした傑作ですし、『夕陽はかえる』はドン詰まり本格版『なめくじに聞いてみろ』と言いたくなる……殺し屋本格のドリームだッ!

     6、貴志祐介『硝子のハンマー』(再)。この世で一番美しい現代密室ミステリーだと思っています。それはもちろん、トリックそのものの鮮やかさでもあるのですが、「ヒント」となるシーンの鮮烈さも素晴らしいんです。島田荘司『占星術殺人事件』のあの「ヒント」に比肩する。本格ファンの友人とは、犯人視点から描いた「第二部」のパートの評価が分かれることが多いのですが、私はむしろ、「貴志印の密室ミステリーを読みながら、『青の炎』並みの犯罪小説も読めるんだから二度美味しくない?」と思っています。〈防犯探偵・榎本〉シリーズ大好き。大野智のドラマも良かった。佐藤浩市の三枚目っぷりが良かった。さて、ここで問題です。どうして中学生の私は、『硝子のハンマー』を手に取ったでしょうか? ……はい編集さん早かった! ……「法月綸太郎との対談が文庫のおまけに載っていたから」。大正解!!! 他に好きな貴志裕介作品は『クリムゾンの迷宮』『天使の囀り』『新世界より』です。特に『新世界より』は何度も読んでいて、未だに「新世界より」の曲を聞くと、あの寂しくも美しいシーンを思い出して涙ぐむほど。

     7、霧舎巧『名探偵はどこにいる』(再)。いやあ、もうね、「名探偵に憧れ、その憧れに身を焼かれる人間」を書かせたら、霧舎巧の右に出る者はいないと思うのです。もちろん、ラブコメ本格を書かせても右に出る者はいない。で、『名探偵はもういない』『名探偵はどこにいる』の二冊は、一種の恋愛小説でもあると思うのです(ラブコメと区別する意味で)。『名探偵はどこにいる』は双子を巡る過去の事件の構図を少しずつ紐解いていく「ホワットダニット」ものの本格ミステリーなのですが、過去への回想によって紡がれていく、登場人物たちの感情のタペストリーが再読ではっきり見えてきて、初読時以上に感じ入りました。好きですねえ。ロジック無双という点では『名探偵はもういない』もぜひ推したい。好きな霧舎作品は『ラグナロク洞 《あかずの扉》研究会影郎沼へ』『新本格もどき』、〈私立霧舎学園ミステリ白書〉シリーズからは『六月はイニシャルトークDE連続誘拐』『七月は織姫と彦星の交換殺人』『八月は一夜限りの心霊探偵』です。特に『八月~』は絶対にあれでしか読めない伏線のアクロバットが楽しめるからおすすめです(電子化も不可能!)。なるべく順番に読んで欲しいですが、難しければせめて『七月~』とセットで読むようにしてください。

     8、久住四季『星読島に星は流れた』(再)。一切の夾雑物がない、星と論理の輝きに彩られた「美しい」本格ミステリーです。あることを再確認したくて再読した作品なのですが、目的を忘れてのめり込んでしまいました。もちろん構図や真相は覚えていたのですが(それ自体に美しさがある真相というのは、時が経っても忘れない)、再読して感じ入るのは、エピソードや暗喩の配置の周到さでした。こうして読み返すと、「殺人前のドラマ」の大事さが分かります(本作は「殺人前のドラマ」に100ページ以上の紙幅を取っているのです)。隕石が登場する本格ミステリーといえば、泡坂妻夫『乱れからくり』も思い出されるところで、セットで再読しました。こちらも真相の構図が美しく、覚えていましたが、「その真相ってどうやって成り立たせていたんだっけ」という細かい部分はうろ覚えだったので、一つ一つ確認するたびにスリリングでした。

     ちなみに、久住四季作品の影響は私の中で結構大きく、「魔術師」が登場する学園ミステリー〈トリックスターズ〉シリーズが大好きで、中でも『トリックスターズD』は最高級の特殊設定×クローズドサークル本格だと思っています。『トリックスターズM』は未来予知の映像から未来の事件を予測し、止めようとする話なのですが、これは拙作『星詠師の記憶』の未来視のイメージを形作るのに、大いに参考にさせていただいておりました。

     9、白井智之『そして誰も死ななかった』。書評家・若林踏による「新世代ミステリ作家探訪 シーズン2」という企画で、七月に白井智之が登壇したため、触発されて読みました(シーズン1には私も登壇しています。『新世代ミステリ作家探訪』として本になっているので読んでください)。なぜ今まで未読だったかというと、この本が出たのが拙作『紅蓮館の殺人』が出た直後で……本格と名の付くものから……距離を置いて…………。

     というのはさておき、『そして誰も死ななかった』、読んでひっくり返りました。鬼畜系ハード特殊設定パズラーの申し子である白井智之のことですから、もうちょっとやそっとのことでは驚かないのですが、この設定とシチュエーションは凄い。あらすじの都合上、何も書けないのがもどかしいのですが、中盤も過ぎてくると、ある種の「不可能状況」が立ち上がるミステリーでもあるのです。エッ! じゃあどうなるの!? と本気でびっくりし、しかも、その不可能を可能とする超絶技巧があったので身悶えてしまいました。最高だ……。他に好きな作品は『東京結合人間』『おやすみ人面瘡』『名探偵のはらわた』『ミステリー・オーバードーズ』です。

     10、城平京「飢えた天使」(『本格推理⑩』収録、再)。これも「新世代ミステリ作家探訪 シーズン2」に触発されたもの。『かんなぎうろ最後の事件』を刊行した紺野天龍が登壇した回で、城平京『虚構推理』の話が出て、その話がかなり感動的だったので(これは若林踏の原稿に譲りたいので、私は伏せましょう)、大好きな城平作品を読みたくなった次第。自分の名探偵観に間違いなく『名探偵に薔薇を』は影響を与えていると思いますし、漫画も全て読んでいますし(特に好きなのは『ヴァンパイア十字界』!)、〈小説スパイラル 推理の絆〉シリーズは全巻大好きなんです。そのなかでも『ソードマスターの犯罪』はコンゲームにも似た心理戦の極致を、剣道をテーマにやってしまうのが技あり一本な良作ですし、『鋼鉄番長の密室』は名探偵の幸福論と多重解決の魅力に溢れています。私の大偏愛作『幸福の終わり、終わりの幸福』で現出するような、捩れた論理も城平作品の魅力の一つ。で、「飢えた天使」という作品は、それが如実に表れた一編だと思うのです。餓死がテーマになっているというだけで、ロナルド・A・ノックス「密室の行者」と並ぶ珍しい作品ですが、その状況を解き明かす論理と、最後に現れる「塔」にまつわる心理にグッときます。

     ちなみに、今流れで名前を挙げた『本格推理』というのは、鮎川哲也が編集長を務め、原稿用紙規定上限50枚の短編を公募で集め、入選した作を載せていたアンソロジーです。鮎川哲也が編集長の『本格推理』が全十五巻、二楷堂黎人が編集長の『新・本格推理』が全九巻。私が『本格推理マガジン』の別冊だった『絢爛たる殺人』や『硝子の家』を愛読していたのは、読書日記の第20回でも語った通りなのですが、結構この雑誌(文庫判型)、好きで読んでいたんですよねえ。東川篤哉、石持浅海、三津田信三、柄刀一など、私が大好きな作家の短編が載っていたのもありますし。しかも四者とも、それぞれ、『中途半端な密室』『顔のない敵』『作者不詳 ミステリ作家の読む本』『OZの迷宮』と、私が各人の短編集でベスト級に好きな作品集が、ここからまとまっています。大山誠一郎「聖ディオニシウスのパズル」(『新・本格推理03』)、黒田研二「そして誰もいなくなった……のか?」(『本格推理⑧』)、七河迦南「あやかしの家」「暗黒の海を漂う黄金の林檎」(それぞれ、『新・本格推理06』と『07』)、加賀美雅之「聖アレキサンドラ寺院の惨劇」(『新・本格推理 特別編』)などは、それぞれの作者のファンにはぜひ読んで欲しい作品です。小貫風樹「とむらい鉄道」(『新・本格推理03』)や、園田修一郎「ドルリー・レーンからのメール」「シュレーディンガーの雪密室」(それぞれ、『本格推理⑭』と『新・本格推理08』)とかも好きだったなあ。あと『本格推理⑩』には、霧舎巧が前の名義・砂能七行で「手首を持ち歩く男」を投稿していて、その著者コメントに「ぎゅうぎゅう詰めのお弁当が好きです。食べはじめたらそのおかずの多さに、次から次へと口に運んでしまう、気がついたら一度も箸を休めずに食べ終わっていた――そんなお弁当(推理小説)が好きです」(同書、p.10)と書かれていて、このスピリットが初志貫徹されているのに嬉しくなってしまいます。

     11、高木彬光『初稿・刺青殺人事件』(再)。トリックに行き詰っているから、やっぱりトリックが好きな作品に手を伸ばしがち。「昭和ミステリ秘宝」の一冊として刊行されたこの本は、高木彬光短編集の中でも屈指の傑作集だと思います。「影なき女」「妖婦の宿」が一堂に会しているのはもちろん、隠れた傑作「鼠の贄」「原子病患者」まで収めている。おまけに「初校・刺青殺人事件」も、凝りに凝ったトリックと技巧を味わうという点では、本編をスリムに味わえる分、本編より好みだというひともいるのではないかと。『刺青~』を何回読んでも、東大の研究室に刺青を入れた皮が吊るしてあるシーンはゾーッとしてしまう。好きな高木彬光作品は、『黒白の囮』『人形はなぜ殺される』『能面殺人事件』『白昼の死角』『誘拐』『わが一高時代の犯罪』『仮面よ、さらば』あたりです。特に『誘拐』は、実際にあった誘拐事件の公判を犯人が聞きに行く……というシーンから始まるトリッキーな誘拐小説で(つまりその公判を参考にして、事件を起こす、という筋)、その企みに唸らされる作品です。

     12、はやみねかおる『機巧館のかぞえ歌』(再)。子供の頃から数えて、もう何回目の再読になるのか分かりませんが、「ふるさと」に帰りたくなったらやはり、はやみねかおるなのです。今回再読して、本編である「第二部 機巧館のかぞえ歌」の後に収められた「第三部 さよなら天使エンゼル」は、夢水清志郎のいう「名探偵とは、事件を解いて人を幸せにする人」という信念を最も明確に打ち出したエピソードなのではないかと考えて、涙ぐんでいました。おそらく、真相の類型が国内作家Kの「日常の謎」短編と同じなのも、意図的にやっているんですよね。だからこそ、処理の違いが際立って来る。「第二部」のどろどろに煮詰めた赤い夢の中を潜り抜けて、「第三部」があることの意味が、初読時から17年、ようやく身に染みたというお話でした。だから、良い本は何度読んだっていいんですよ。好きなはやみね作品は……実際、全部なのですが、特に何度も読み返しているのを挙げると、〈名探偵夢水清志郎事件ノート〉シリーズでは『魔女の隠れ里』『ミステリーの「館」へ、ようこそ』『卒業 ~開かずの教室を開けるとき~』が特に好きですし、他には『怪盗クイーンの優雅な休暇バカンス』『都会のトム&ソーヤ⑤ IN塀戸』『少年名探偵 虹来恭助の冒険 フランス陽炎村事件』『怪盗道化師ピエロ』『ぼくと未来屋の夏』『僕と先輩のマジカル・ライフ』『帰天城の謎 TRICK 青春版』等々でしょうか。漢字名義(勇嶺薫)の『赤い夢の迷宮』ももちろん好き。六月には「怪盗クイーンはサーカスがお好き」の映画が見られて幸せでしたね。はやみねファンが求めていた景色がここにあるよ、と。ワインの瓶を手刀で開けて怒られるクイーンが見られて私は嬉しい。

     13、日影丈吉『内部の真実』(再)。一番好きな昭和ミステリー作家は? と聞かれたら、迷った末に日影丈吉の名前を挙げます。『内部の真実』は250ページの中に真相の脱構築が凄まじい密度で繰り返される作品で、何度読み返しても味わい深く、ミステリーのプロットだけ取り出せば、この後挙げるカーター・ディクスン『第三の銃弾』に限りなく近いのですが、それだけでは済まない要素もあるんですよね。日影丈吉の長編は全て300ページ以内というのも良くて、その短さで幻惑と論理のマリアージュに浸れるのも素晴らしいのです。他に好きな作品は『女の家』『孤独の罠』『夕潮』『地獄時計』『善の決算』『幻想博物誌』など。『善の決算』は完全版まで含めると今は全集でしか読めないから、どこかで文庫化してくれないかな(全集はもちろん所有しています)。河出文庫から二冊短編集が出ている(『日影丈吉傑作館』『日影丈吉 幻影の城館』)のですが、これはガチの傑作短編集なので、短編を読みたい人は押さえてほしい本です。短編「吉備津の釜」のクライマックスの緊迫感は、ちょっとこれに比肩する作品を思い出せないレベル。

     14、道尾秀介『骸の爪』(再)。こちらも「新世代ミステリ作家探訪 シーズン2」の白井智之回で、白井の好きな作家として名前が挙がり、特に〈真備〉シリーズが好きだというので再読したくなった次第。道尾秀介は、誤解と誤読のミスディレクション、すれ違いの悲劇を書かせたら、現代で右に出る者はいない作家だと思っていて、その技巧の粋が分かりやすい形で現れたのが『骸の爪』ではないかと。つるべ打ちのような真相の見せ方には、何度読んでもため息。好きな道尾作品は『ラットマン』『シャドウ』『向日葵の咲かない夏』『花と流れ星』『鬼の跫音』『カササギたちの四季』『風神の手』『N』。でも私、ミステリーを入り口に道尾作品を読み始めましたけど、何よりその文章と世界観の虜になったので、『光媒の花』『鏡の花』が最大の偏愛作かもしれません。『光媒の花』は初めて書店で買った道尾作品というのもあって(刊行が中学二年の時で、「初めて読んだ道尾作品」は学校の図書室の司書さんが貸してくれたのです)、あのハードカバー装の質感と共に印象に残っています。

     15、柳広司『饗宴 ソクラテス最後の事件』(再)。とある事情で仕込みが必要になり――まあ、近日中に明らかになります――柳作品の再読をしこたましていました。私の高校時代の勉強を豊かにした作家は、やはり柳広司だったと思います。〈ジョーカー・ゲーム〉シリーズがヒットしていた時代で、友達はそれに夢中だったのですが、私は一人、柳広司の歴史もの・文学ものの良さを伝道していました。この『饗宴』は、ソクラテスが探偵役を務める長編で、衆人環視での死から、怪しげな教団、バラバラ死体の謎まで、ソクラテスが解き明かす物語なのですが、そこに劇作家、アイスキュロスが絡んでくるのがたまらないんですよ。論理を論理で、物語を物語で塗り替えるダイナミズムが、この本格長編には溢れているわけです。史実を換骨奪胎して変えているので、「勉強の参考にはならないのでは?」という声も聞こえてきそうですが、むしろ、勉強することによって「どこを変えたか」がくっきり見えるのですから、それを修正する過程で二倍・三倍、世界史や国語の勉強にのめり込めたと思います。中島敦「山月記」の「虎になった李徴」の謎を合理的に解き明かしてしまう『虎と月』とかハマりましたし、夏目漱石『吾輩は猫である』に描かれた尻切れトンボのエピソードの数々を「日常の謎」として再解釈し、漱石先生に解かせてしまう鮮やかな文学実験『漱石先生の事件簿 猫の巻』とか大好きでした。何より、学校で授業に退屈した時も、世界史・国語の教科書・資料集のページが、違ったように鮮やかに見えるというのは、何事にも代えがたい瞬間でした。もはや蛇足ですが、他に好きな柳作品を列挙すると『黄金の灰』『贋作『坊っちゃん』殺人事件』『はじまりの島』『百万のマルコ』『ザビエルの首』『新世界』『パラダイス・ロスト』『アンブレイカブル』です。

    〇ここから海外編10冊!

     既に原稿の長さにげんなりしている皆さん、本当にごめん。でも海外編の話もしなくっちゃあ、いつもの私らしくないのでやらせてください。あと十冊の辛抱だ!

     16、スタンリイ・エリン『第八の地獄』(再)。この世で最も完璧なハードボイルド長編を挙げろと言われたら、この作品と、北方謙三の『棒の哀しみ』を挙げます。先に『棒の哀しみ』の話をすれば、これは文体の研ぎ澄まし方がえげつない作品で、他に好きな北方作品もあるのですが、どうしても『棒の哀しみ』の話をしたくなってしまう。凄まじい実験小説でもあります。そして『第八の地獄』はといえば、小笠原豊樹による訳文が素晴らしいのはもちろんですが、このタイトルに象徴される「都市の生活・人々」の描き方やエピソード配置、そして周到に計算された三部構成など、一冊のハードボイルドとしての構築性が素晴らしく高いんですね。謎解きミステリーの要素さえある。どこかで復刊して欲しいものです。そしてまあ、『第八の地獄』や『棒の哀しみ』を私が読み返す時は、こういうことをまた何か出来ないかと考える時です。スタンリイ・エリンで他に好きな作品は『特別料理』などに代表される短編はもちろんですが(エリンが生涯に遺した全41編を、雑誌まで拾い集めて全部読破したくらい好きですが、「決断の時」のシビれるような味わいは何物にも代え難い)、『断崖』『鏡よ、鏡』あたりも良いですね。

     17、エラリー・クイーン『アメリカ銃の秘密』(再)。角川新訳にて。本格ミステリーの面白さに迷うようになると、クイーンを一冊、気ままに再読することにしています。なぜ『アメリカ~』かというと、いつも気ままに手に取っていたら、これだけ再読回数が少ないことに気付いたのと、次回話しますが、柄刀一『或るアメリカ銃の謎』が出るので、ちょっと復習しておこうと思った次第。再読回数が少ないからといって悪い作品だというわけではなく、フェアプレイを実現するために配置された数々の工夫は再読して唸ってしまいますし、冒頭の「スペクトル分析」の意味がずーっと分かっていなかったのが、十数年越しにようやく分かったりして、面白く読みました。次はどれがいいかな……『ダブル・ダブル』の新訳版が出るから、それにしましょうか。ちなみに、『エラリー・クイーンの冒険』『エラリー・クイーンの新冒険』が中村有希による新訳で生まれ変わり、こちらも大変素晴らしかったですが、『エラリー・クイーンの事件簿1』『2』もかなり良い作品が読める(2冊合わせて中編4つも読める)ので、いずれ再刊したりしないかな……復刊フェアに期待ですかね……。

     18、エドマンド・クリスピン『大聖堂は大騒ぎ』。クリスピンのミステリーはいつも賑やかで楽しいんですよね。『お楽しみの埋葬』では名探偵、ジャーヴァス・フェンの選挙活動(!?)と同時に進行する殺人喜劇を楽しめますし、『列車に御用心』は質の高い本格ミステリー短編の乱打を味わえます。作品数が少ないので、年一くらいのペースで積ん読から読んでいて、この『大聖堂は大騒ぎ』がラストだったのですが、いやいやどうして面白い。いつもの賑やかな雰囲気に加えて、思わずクスっときてしまうバカトリックまで炸裂するのですから。クリスピン、これにて邦訳作を一周してしまったわけですが、クリスピンの楽しみ方を分かっていなかった時に『消えた玩具屋』を読んでしまったという悔恨があるので、来年はそれを再読しようかなと。

     19、マイクル・コーニイ『ハローサマー、グッドバイ』(再)。好きなSF作家ナンバーワン。この長編は夏に読むのが効くのです。普段はミステリーばかり読んでいる私も、『ハロサマ』を前にすると、「これが世界で一番面白い小説でいいよ!」という気分にさせられます(ちなみに『ハロサマ』というのは、私の大学サークルで流行っていた略称です)。その理由は、冒頭で作者が述べる通り、”これは恋愛小説であり、戦争小説であり、SF小説であり、さらにもっとほかの多くのものでもある“(同書「作者より」、p.3)からです。夏休暇を過ごすために港町パラークシに家族と向かう少年ドローヴと、彼が再会を果たした少女ブラウンアイズとの恋愛要素が主軸となるのですが、世界観が孕む奇妙な謎が心を絶妙にざわつかせて、甘酸っぱいと同時にスリリングな読書体験を与えてくれるのです。そして結末は……シビれる。カッコ良い。この結末の旨味は、読んで味わっていただくほかない。ちなみに、『ハロサマ』の続編『パラークシの記憶』は私イチオシのSFミステリーで、前世代の記憶を引き継ぐ世界において――つまり、先祖の犯した罪も次の世代が知ってしまうという状況下で起きた殺人事件を描いた良作です(人を殺せば必ず誰かに知られる、という不可能状況!)。大好き。でも一番好きなのは『カリスマ』『ブロントメク!』かも。コーニイの作品に共通して流れるノスタルジーがたまらないんですよ。あと帆船趣味。

     20、P・D・ジェイムズ『神学校の死』は今回が初読。私は体調を思いっきり崩すとP・D・ジェイムズを読むことにしていて、積ん読から刊行順に崩しているのです。『神学校の死』はP・Dの〈アダム・ダルグリッシュ〉シリーズの邦訳十一作目で、遂にここまで来たか、という感慨があります(残りは『殺人展示室』『灯台』『秘密』。あと三回体調を思いっきり崩すと終わる計算ですね)。ちなみに体調が悪くなると読んでいる理由は、病床の中の重く暗い気持ちに、P・Dのグルームな語り口が実に合うからです。通勤電車であくせくしながら読むには向かないんですよね。で、本作『神学校の死』は、神学の問題が複雑に絡むのもさることながら(ニケーア公会議なんて文字列見たの、高校の頃の世界史以来では?)、ダルグリッシュが昔ここを訪れたという設定があることで、「見知った人たちの中のフーダニット」という読み味が生まれているのがツボ。まあ、大体の作品で、ダルグリッシュは知り合いのことを調べていますが。真犯人の正体については可もなく不可もなく、ですが、本作ではダルグリッシュの初恋エピソードとその回収があまりに良かったので満面の笑みになりました。好きなP・D作品は『ナイチンゲールの屍衣』『黒い塔』『わが職業は死』『死の味』『罪なき血』あたりで、実は〈コーデリア・グレイ〉シリーズはそんなに好きではない。『黒い塔』は難病患者が集まった施設を舞台にして、ダルグリッシュが「生きる」ための戦いを繰り広げるラスト100ページの対決が、荘厳で感動的。P・Dの中で最も生きる希望が湧く長編で、あまりに好きすぎて原書でも所有しています。『罪なき血』は復讐劇の顛末をオフビートに綴った作品で、ノンシリーズの中では一番好きです。

     21、レックス・スタウト『腰ぬけ連盟』(再)も、体調が悪い時に読んだ作品。スタウトを体調が悪くなると読む理由は、「病床での私と同じく、ネロ・ウルフも動かないから」。ネロ・ウルフという美食家探偵は本当に動かなくて、『腰ぬけ連盟』でも、少し指を動かして返事をしたくらいで、助手のアーチー・グッドウィンに、(ウルフにしては動いてるなあ)と地の文で弄られるほど動かないのです。実は『腰ぬけ連盟』、法月綸太郎が『法月綸太郎の本格ミステリ・アンソロジー』の中で「海外クラシック・ベスト20」に挙げられているのを見て、中学生の頃に読んだのですが、当時は面白さが分からなかった。他の19作は面白かったのに、『腰ぬけ連盟』だけ全然楽しめなかったんです。それが悔しかったのを思い出したので、今回再読した次第。今の視点で読むなら、ウルフに振り回されるアーチーを、メルカトル鮎にぶん回される美袋くんみたいな気持ちで読むと結構楽しめました。アーチーは美袋よりはアクティブにやり返しますけど。ある作家に苦しめられる人々が組んだ連盟を巡る殺人事件の謎で、連盟の加入者のキャラが立ってくると俄然面白くなってきて、どんでん返しにニヤリ、という感じ。この、キャラが立ってくると……というところが重要で、スタウトの長編って大体キャラが二十人くらいいて、やっぱり翻訳に慣れてなかった、私の中学生時代には厳しかったんだなーと思いました。この二十人くらいをグループごとに区別しながら、ドタバタする動きが見えてくると、途端に笑えて来るんですよね。現代でちゃんと上手い訳者がついて、ユーモラスに新訳されたら、イメージが刷新されるような気がしました。原書でも読んでみようと思って、色々買ってみたりしています。好きなスタウト作品は『マクベス夫人症の男』『編集者を殺せ』『シーザーの埋葬』あたり。

     22、カーター・ディクスン『第三の銃弾〔完全版〕』(再)は、私が本格ミステリーに行き詰ると立ち返る作品。『妖魔の森の家』に収録された中編版の「第三の銃弾」でも可。なぜこの作を選ぶかというと、この作には「プロットによって転がすタイプの本格ミステリーの面白さ」が凝縮して詰まっているからです。密室の中に容疑者と死体。容疑者の手の中には拳銃があった。当然この容疑者が撃ったと思われるが、死体の中の銃弾を取り出してみると、容疑者の持っていた拳銃とは線条痕が合わなかった。つまり、別の拳銃――第二の拳銃があったということか? ……というのが序盤のあらましですが、このように「銃弾―拳銃」が発見されるたびに、状況と疑わしい人物がめまぐるしく変わるプロセスが、本格ミステリーの面白さだと思うのです。最終的な解決については「うーん……そうか!」と思わなくもないのですが、プロットの切り回しが巧いので、総合的な満足度が勝ってしまうんですよね。先に挙げた日影丈吉の『内部の真実』もこの状況に似ていますし(解決はまた違います)、ゲーム「大逆転裁判」の五話「語られない物語の冒險」もカーが源流ではないかと思っています(ちなみに「大逆転裁判」「大逆転裁判2」には、他にも、カーの長編や短編だけでなく、チェスタトンやジェラルド・カーシュの作品を思わせるシチュエーションが散りばめられていて好きです)。で、全部好き。そのうち「『第三の銃弾』のシチュエーションで一番面白いやつを書いたやつが勝ちコンテスト」とかしたいくらい。

     好きなカーター・ディクスン=ジョン・ディクスン・カーの作品を挙げだすときりがないので改行しましたが、試みに挙げていくと、有名すぎる目張り密室のトリックだけでなくH・Mの解決編の行動がカッコ良い『爬虫類館の殺人』、何度読んでも爆笑してしまうトリックとドタバタ劇が好きな『魔女が笑う夜』、真相のシンプルさと強烈さを兼ね備えた美しい本格ミステリーでありながら、「らしい」ドタバタ劇まで展開してしまう『貴婦人として死す』、「なんかよくわからんけど密室の中で盃ちょっと動いてね?」という世界で最もくだらない「日常の謎」を書いてしかもちゃんと面白い『騎士の盃』、「泊まると必ず死ぬ部屋」という大ベタなネタですが百五十年の来歴を語るパートのノリにノッた感じがたまらない『赤後家の殺人』、やっぱり薄幸の美人が好きなので吸血鬼が出てくるオカルトムードもにっこり笑って許しちゃう『囁く影』、こんなネタ、やろうと思っても実際やるのはあなただけですよッ! と喝采した『四つの凶器』、有名な毒殺講義が含まれている作品ですが、それよりも映像を何度もリプレイしながら矛盾を探っていくプロセスに「逆転裁判」のような妙味を感じた『緑のカプセルの謎』、剣戟で「また俺何か、やっちゃいました?」を地で行く痛快タイムスリップ小説でありながら本格としても着地する『ビロードの悪魔』、偉人が出てくるタイプのミステリーで最も周到な企みに満ちていると思わせる『喉切り隊長』……ベタなところを外してセレクトしたのにもう十作になったから、この辺でやめときます?

     23、クリスチアナ・ブランド『暗闇の薔薇』(再)。ブランド、大好きなんですよねえ。シャープな剃刀のような文体で、限られた容疑者の中で多重解決を繰りだしたりするので、一読で全て理解するのは難しいほどなのですが、どの作品も、読み終えた後に凄まじい充足感を得られるというか。女帝の本格を読んだ、という気分ですかね。もちろんミステリーの女王といったらアガサ・クリスティーなのですが、あちらが初心者からマニアまでみんなに愛される女王だとしたら、ブランドは「本格という牙城の頂点まで一人で上り詰めた絶対者」みたいな強さがあるんですよ(なんか語弊があるかもしれないが、伝わってほしい)。それで「女帝」と言ってみた次第。『緑は危険』とか、ハヤカワ・ミステリ文庫で300ページしかないのに、初めて読んだ時すぐに二回目読んだもんな……濃密すぎて。「二度読み必至」というと、今は特定のネタを想起させてしまうフレーズになっていますが、ブランドは正しい意味で「二回読んだほうが良い」タイプというか。それだけに、何回も読めて楽しい作家でもあります。『暗闇の薔薇』は、倒木により立ち往生してしまった二つの車のドライバーが、倒木で隔てられた道のこちら側とあちら側にいるのですが、互いに急ぎの用があるので、「車を交換しよう」というシーンから始まる物語。車は倒木を越えていけないけど、人は身を屈めていけば通れる、という設定なんですね。これが偶然なのか? 必然なのか? という問いがプロットの要諦を成しているのですが、このあやふやな状況を二転三転させる筆さばきが大好きなんですよねえ。ブランドの作品は、何度読んでも発見があります。最終的な解決は覚えていても、多重解決の途中の解を読んで、「おっ、こっちも面白いじゃん!」と再発見したりもありますし、逆に最終的な解決だけ覚えていなくて驚くことも。他に好きなブランドの作品は、法廷ミステリーとしても最高の『疑惑の霧』、フィニッシングストロークの威力だけでなく、見たことがないほどカッコ良い解決編の演出が大好きな『自宅にて急逝』、フーダニット・ミステリーとして高いレベルのアクロバットがなされた『はなれわざ』あたりでしょうか。

     24、エドワード・D・ホック『サム・ホーソーンの事件簿Ⅰ~Ⅵ』(再)。田舎医師のサム・ホーソーンが解いた事件を描く全六巻、七十二編の短編小説集で、驚異的なのは、全ての短編が「不可能犯罪」を扱っていることです。密室殺人だけでなく、アリバイや、人間消失、物の消失など、扱うバリエーションは多岐にわたりますし、ハウダニットの謎を前面に押し出しておいて、実は眼目はホワイダニットにある作品も多いのですが、それでも七十二編も不可能犯罪に挑んだ職人気質には驚かされます。再読してみると、ホックがトリックを使うために、二つの異なる題材を悪魔合体させてシチュエーションを生み出していたり、むしろハウダニットよりもぎゅうぎゅうに詰められた伏線のほうが魅力ではと思わされたりするのも面白い。また、初読時には意識しなかったのですが、冒頭の語りで、必ず年号とその頃のアメリカの状況が書いてあり、それがしっかり事件にも絡んできたりするので、クロニクルとしても味わいがあることに驚きました。他に好きなホックの作品は、レオポルド警部の「モダン・ディテクティヴ・ストーリイ」はだしの推理譚をまとめた『こちら殺人課! レオポルド警部の事件簿』(レオポルドものは佳品・良品ばかりで、「レオポルド警部の密室」や「レオポルド警部、故郷に帰る」など、アンソロジー等で読む短編も面白い)、変わったものを盗むことを生業にする怪盗の冒険&推理譚『怪盗ニック全仕事』(全六巻)、ホックの珍しい連作短編集であり、ユニークな趣向がたまらない『狐火殺人事件』(別名義「ミスターX」で、ハヤカワミステリマガジン1974年9月号(No.221)-1975年2月号(No.226)に掲載)など。

     25、パーシヴァル・ワイルド『悪党どものお楽しみ』(再)。古典ミステリーの作家で誰が一番好きですか、と問われたら、その日の気分によって回答が変わりそうですが、クイーンか、カーか、クリスティーか、はたまたブランドか、と呻吟した挙句、ワイルドの名を答える日もあります。つまり、これら巨匠の名に匹敵するほどワイルドが好きなのです。ユーモラスで洒脱な語り口だけでなく、「この時代から、もうそんなことやっていたの!?」と思わせるくらい、今読んでも面白い作品ばかりなんですよね。『悪党どものお楽しみ』はなにせ、ギャンブラーの騙し合いです。コンゲームです。『嘘喰い』や『カイジ』が好きな読者こそ楽しめるのではないかと。カードやトランプを使ったイカサマを見抜き、それを利用した逆トリックで相手を欺くという基本構造は、まさしく『カイジ』に通じますし。浜辺で水着姿のままカードをするという、イカサマの余地がなさそうな状況で繰り出されるユニークなトリックにニヤリとする「火の柱」や、印のついたカードを巡る騒動が二転三転して見事なフーダニットになる「堕天使の冒険」など、見どころ満載ですが、今回の再読の目的は冒頭に置かれた「シンボル」だったりします。この「シンボル」という短編は説明が難しい短編で、「短編集の冒頭に置かないと意味がない」作品なのです。それが不思議な感慨をもたらすところでもあり、ギャンブル推しで本作を薦める一つのハードルでもあるのですが、それでも私はこの「シンボル」が、好きなんだよなあ。ワイルドに関しては刊行された作品全部が好きで、「通信教育の探偵講座」を受講した主人公があちらこちらで騒ぎを起こすドタバタ劇『探偵術教えます』や、注によるツッコミ芸とか評議と真相の境目とか、やってることのユニークさとミステリーとしての完成度が同居した『検死審問 ―インクエストー』『検死審問ふたたび』、ミステリー・ツアーを巡る手記のリレーが意外な結末を導く『ミステリ・ウィークエンド』……本当にどれもはずれがない。未訳作“Design for Murder”なんて今でいう「人狼ゲーム」をやってるんですよ? 凄いんです、パーシヴァル・ワイルド。

    (2022年8月)



第39回2022.05.27
全ページ興奮の本格×冒険小説、待望の最新刊 ~進化するアンデシュ・ルースルンド~

  • 三日間の隔絶(上・下)、書影


    アンデシュ・ルースルンド
    『三日間の隔絶(上・下)』
    (ハヤカワ・ミステリ文庫)

  • 〇先月に予告していたので……

     四月、五月は、文春文庫からジェフリー・ディーヴァーがなんと連続刊行。『クリスマス・プレゼント(原題“Twisted”)』『ポーカー・レッスン(原題“More Twisted”)』に続く第三短編集“Trouble in Mind”が、『フルスロットル トラブル・イン・マインドⅠ』『死亡告示 トラブル・イン・マインドⅡ』(以下、『Ⅰ』、『Ⅱ』と表記します)に分冊されて刊行されました。ディーヴァーの短編はやはり面白いのですが、原題の変化からも分かる通り、短編のスタイルも変化があったように思います。『クリスマス・プレゼント』の伝説的どんでん返し短編「三角関係」や、『ポーカー・レッスン』の表題作、「通勤列車」など、ディーヴァーの短編には、読者に足払いをかけてくるというか、もっと言えば、地面だと信じていたものが突然消えてすっころぶような、容赦のない驚きがあるのです。読者が信じているその基盤さえ失わせてしまうような。それこそがディーヴァー短編の魅力であると同時に、一作読むごとに、あまりの落差にエネルギーを吸われる要因でもありました。

     もちろん、そんな職人芸的技巧も素晴らしい、というのを前提にしたうえで、今回の短編集を読んでみると――いやあ、これは面白い。水を飲むようにするする飲める。『Ⅰ』に収録の「三十秒」などには、まだ初期短編の容赦のなさが残っていますが、他の短編・中編には、ディーヴァー長編の「エンターテイメント」部分の楽しさを、短くリサイズして提供してくれるような、無類の楽しさがあります。リンカーン・ライム登場の「教科書通りの犯罪」(『Ⅰ』収録)なんて、中編サイズでもしっかり、ホワイトボードで情報整理するパートが入ってるんですよ。

     たとえば『Ⅰ』の冒頭、表題作の「フルスロットル」は、キャサリン・ダンスが爆弾事件を防ぐべく、得意のキネクシス(行動心理学)を生かしてテロリストと取調室で対決、という筋なのですが、まさにタイトル通り「フルスロットル」、ノンストップで巻を措く能わずの傑作に仕上がっています。また、『Ⅰ』の「バンプ」では、人生リアリティーショー×『カイジ』といった体のギャンブル小説になっていて、膨大な伏線に快笑、という一作。

     はたまた『Ⅱ』の「死亡告示」では、リンカーン・ライム死す!? の報にニヤニヤしつつ趣向の妙を楽しめる表題作や、これまでのディーヴァーだったらここで終わらせていただろうな、というツイストの後に、なんとも心憎い伏線回収でニヤリとさせてくれる〈父と子の物語〉、「和解」などなど、またしても楽しませてくれます。また、エド・マクベイン編のアンソロジー『十の罪業 Black』(創元推理文庫)で既に邦訳されていましたが、中編「永遠」は、統計学を愛する数学刑事と無頼派の叩き上げ刑事のコンビが面白くてたまらない、ディーヴァー長編をギュッと圧縮して味わえるような良作。特にこの数学刑事、タルの言動は最高で、データは複数形で、単数形はデータムですよ、と先輩刑事の文法を直し始めるあたりでもう好きになってしまいました。これは私が、元々数学好きだからかもしれません。

     しかも「カウンセラー」……。これはもう、抱腹絶倒、というシロモノです。法廷ミステリーが始まった時は、今回も真面目に行くのかと思いきや、あれよあれよという間にとんでもない地点まで。私も「六人の熱狂する日本人」(『透明人間は密室に潜む』収録)で、法廷ミステリー的な雰囲気を利用してユーモア・ミステリーを仕立てたので、なんだか妙にシンパシーを感じてしまった、というのもあります。

     この第三短編集における変化というのは、もっと具体的に言えば、『クリスマス・プレゼント』『ポーカー・レッスン』では、短編を読んだ後に「やってくれるぜ! ディーヴァー!」と叫んでいたのが、今回は、「やってくれるぜ! キャサリン・ダンス!」だったり、「やってくれるぜ、タル!」だったり……中短編から、読者が持ち帰れるものが増えた、と言えば伝わるでしょうか。ディーヴァーの職人的技巧を存分に味わえる第一・第二短編集、登場人物たちの生き生きした冒険を味わえる第三短編集、どちらもオススメです。

    〇今、一番続きが待ち遠しい警察小説シリーズ

     凄いぜ、アンデシュ・ルースルンド『三日間の隔絶』(ハヤカワ・ミステリ文庫)は。

     どのくらい凄いかというと、北欧警察小説シリーズのエッジを極めてきた本シリーズが、遂にエンターテインメントのド本道に挑み、それがクリティカルヒット、本格ミステリーとしても冒険小説としても極上の逸品になってしまった、なんてシロモノなのですよ。特にこのフーダニットは凄えぜ。心から震えるぜ。役得で一足早くゲラを読ませてもらえたので、こんな早いタイミングでレビューが出ているのですが……。

     そもそも〈グレーンス警部〉シリーズ(第七作『三分間の空隙』まではベリエ・ヘルストレムと共著)は、北欧警察小説の一つの特徴である、「社会問題への意識」を強調し、そうした問題への怒りを犯罪小説という形で描出することにより発展してきました。第二作『ボックス21』が、重苦しく、読んだ後しばらくはダメージが残るような読み味でありながら、北欧警察小説史にその名を燦然と輝かせているのは、そこに描かれた少女売春への怒りが鮮烈であり、強烈であり、忘れてはならないものだからです。

     一方で、本シリーズには、本格謎解きミステリーのエッセンスが分かちがたく結びついています。シリーズの邦訳順では遅れて訳された第四作『地下道の少女』がまさにそれで、バスの中に放置された43人の外国人の子供、というショッキングな冒頭から、地下道で生活せざるを得ない人々を描く社会派としてのテーマを描きつつ、意外な真相を見事に演出してみせる。ある部分の伏線など、思わず膝を打ってしまうほど巧みなのです。また、『三日間の隔絶』の文庫解説では、霜月蒼により、第三作『死刑囚』の不可能状況の魅力について熱く語られていて、これも非常に、非常に分かるのです(ちなみに同解説は、解説者のシリーズへの愛が十全すぎるほど伝わり、どうしようもなく読みたい気持ちにさせられるという点で、本当に素晴らしい解説だと思います。私も読み終えた後すぐ、もう再読したくなってしまった)

     社会派と謎解き。こうした二つの方向性が発展したり、交錯したり、どちらかがより強まる中で本シリーズは発展し、第五作『三秒間の死角』からは、ここに「冒険小説のサスペンス」がのっかってきます。『三秒間の死角』では、犯罪組織に潜入してそのメンバーのふりをし、警察に情報を流す仕事をしてきたホフマンという男を描くのですが、彼を巡るサスペンスの魅力が実に見事。とはいえ、『三秒間の死角』では、「表の事件」を追いかけるグレーンス警部とホフマンの立ち位置が完全に対立してしまい、それがスリルを超えて、ストレスに感じてしまった部分もありました。

     この『三秒間の死角』から、〈グレーンス警部〉シリーズでは、「シリーズ内シリーズ」が始まり、原題にも「三」の意味を含む三部作が展開されました。『三秒間の死角』『三分間の空隙』『三時間の導線』の三作です。『三分間の空隙』ではいよいよ海外に舞台を移し、『三秒間』でものにした「冒険小説」の結構を生かして、さらなるサスペンスの創出に挑みますが、その次の『三時間』で、いよいよ大化けした、と思わされたのです。

    『三時間の導線』では、冒頭から、百体以上の死体という強烈な謎で魅せてくれます。そして、一つの死体に残された手掛かりを丹念に追いかけることで意外な展開を生み出し、海を越えた、血沸き肉躍るサスペンスに向けて軸足を移す――そう、ここに来て、〈グレーンス警部〉シリーズが歩んできた各要素が、遂に一つの束になった、と感じさせられたのです。社会の不正義や、虐げられる人々への無関心、愛しい人を傷つける人々に対する怒りを力強く表明できるという意味で、「怒れる人」であるアンデシュ・ルースルンドの筆が、同じく「怒れる人」であるグレーンス警部の行動を動かし、抜群のエンターテインメントとして演出しているのです。本格ミステリーとして。そして、冒険小説として。

    『三時間の導線』からして興奮が止まらなかったわけですが、哀しいかな、「シリーズ内シリーズ」であるがゆえに、サプライズの一つが『三秒間の死角』から読み進めていかないと不発に終わってしまうというきらいがありました。『三分間』は最悪の場合飛ばしても構わないとはいえ、少なくとも、『三秒間』→『三時間』の順番は必須でしょう。

     とはいえ、今作では、そうした不安も払拭されています。前作を読んでいなければサプライズが作動しないということもありませんし、キャラが分からなくても丁寧な説明があります。何より、これまでのどの作品よりも抜群に面白い。〈グレーンス警部〉シリーズが長大すぎて悩んでいたとすれば、本作から読み始めるという選択も、大いにアリ、というべきでしょう。

     さて、ここでいよいよ、『三日間の隔絶』の話に入ります。

     まず、あまりに完璧すぎるプロローグをご覧ください。五歳の少女を視点とした、躍動感あふれる文体と、あるページをめくった直後に訪れる、まだ「老警部」と呼ばれるほどには経験を積んでいない頃の、昔のグレーンス警部の描写。そう、この作品は、英語版のタイトル “Knock, Knock”が意味する通り、数度のノックから幕を開くのです。そして、この忌まわしい事件の記憶が、この後幾度となく、登場人物の脳裏を“ノック”する。

     第一章では、過去の未解決事件を巡るグレーンス警部の回想と、消えてしまった少女の謎が描かれます。十七年前の事件なので、当時の少女は大人になっているはずですが、彼女は証人保護プログラムによって名前を変えられており、以後の消息は隠されている。グレーンスはその記録を見つけようと警察の文書保管庫に向かいますが、なんと、保管庫から少女の記録が奪われていた。奪った誰かは、彼女の新しい名前と住所を知っているはず。誰かが、彼女の命を狙っているかもしれない。しかも、その敵は、警察の中にいるかもしれない。そのスリルがここには描かれているわけです。グレーンスの「怒り」がここでは噴出します。

     第二章では一転、ある男に視点が切り替わります。元は裏社会に所属していた男が、その時の弱みを握られて、家族を殺すと脅され、以前の犯罪にもう一度手を染めるように乞われる――とくれば、これは王道のクライム・ノヴェルの結構と言っていいでしょう。とんでもなく有能であるゆえに、手柄を買われているわけですが、家族を奪われるわけにはいかない。どんなことをしてでも家族を守ると、「怒り」に震える男の、決死の追跡行が始まるのです。

     こうして、「怒り」を抱く二人の男がどう交錯するのか――などというのは、早々に明かされます。最後まで引っ張ったりなんか、当然しません。どう交錯するか、などということは問題ではないのです(もちろん、そのシーンはとんでもなく良い)。二人の男が手を取り、自分たちやその大切な人を襲う陰謀に一歩一歩迫っていくその過程、そこに本格ミステリーとしての怜悧なきらめきがあり、冒険小説としての類まれなる興奮があるのです。

     マイ・シューヴァル&ペール・ヴァールーや、ヘニング・マンケル、あるいはジョー・ネスボなどのロングランの北欧警察小説――もはや「大河警察小説」とでもいうべき大部ですが――の特徴はいくつもあり、〈グレーンス警部〉シリーズもそれらの特徴といくつも重なるところがありますが、ここでは、「(1)刑事その人のライフプランや、家族の物語が描かれること」「(2)後半に行くにつれて、『vs.警察内部』の構図が見えてくること」の二点を抽出してみます。

    (1)では、〈グレーンス警部〉シリーズではこれまで、親の話などを印象的に書いてきたのですが、本作ではいよいよ、グレーンスに定年退職が迫っている、という事実が描かれます。これがもたらすグレーンス自身の懊悩が、本書の展開には大きく関わってきており、特にある部分の処理に関して、いよいよこのシリーズもこんなところまで来たか、と唸らされてしまいます。ラストシーンの感慨は、何度褒めても足りないくらい素晴らしい。今年のベスト・ラストシーンは本書で決定ではないか。

    (2)でも、第一章のあらすじからも分かる通り、〈グレーンス警部〉シリーズもまた、「vs.警察組織」の道に行くのかと思わされますが、そこはアンデシュ・ルースルンド、巧みに方向性をズラしてみせるところに、ただものではない上手さを感じます。アンデシュ・ルースルンドという作家への評価は、今後、シリーズの邦訳が進む中でさらに整理されていくものと思われますが、個人的には、トラディショナルな「長期北欧警察小説」の枠組みの中に、『ミレニアム』のような現代犯罪小説のエッセンスを注入することで、これまでのパターンから少しずつズラして発展させている作家、という風に感じます。

    巧いなあ、アンデシュ・ルースルンド。今後も目が離せません。

    (2022年5月)



第38回2022.05.13
春の新刊まつり ~絞り切れなかったので、「かわら版」的短評集~

  • 長い別れ、書影


    レイモンド・チャンドラー
    『長い別れ』
    (創元推理文庫)

  • 〇四月の新刊が面白かった……。

     さる第20回の時、2021年7月に刊行されたミステリーに良作が多すぎて、欲張って全てに言及する回をやりましたが、今年の4月はそれに匹敵する感じでした。どれかにフォーカスして深掘りしたい、とギリギリまで悩んでいたのですが、いっそ全部コメントしていこうと。数が多いので短評集みたいになるのと、あらすじ等の紹介は割愛するのでご了承ください。大体、私が読んだ順です。

     早川書房からはシルヴィア・モレノ=ガルシア『メキシカン・ゴシック』とグレイディ・ヘンドリクス『吸血鬼ハンターたちの読書会』の二冊のホラーが立て続けに刊行、しかも方向性が全然違って面白い。前者はシャーリイ・ジャクスンファンへの格好の贈り物と言えるゴシックホラーで、演出の妙が素晴らしい(時代性もあって性暴力の描写はかなりきついのですが)。後者は読書会マニアの主婦vs吸血鬼という趣向で、黒い笑いと「母」の苦悩に満ちたエンターテインメント。読書会の題材が犯罪ノンフィクションというのも良いし、作中に上がった書名を淡々と紐解いていく柳下毅一郎の解説もツボ。

     光文社からは東川篤哉『スクイッド荘の殺人』と芦辺拓『名探偵は誰だ』の二冊をピックアップ。前者は烏賊川市シリーズ13年ぶりの長編(!)であり、つまるところ、著者の長編刊行が13年ぶりということでもあります。ご本人のデビュー20周年にひっかけてか、20年前のバラバラ殺人の目撃情報から始まる話なのですが、過去と現在を繋ぐ因果の糸と、数々の「?」が「!」に変わる解決編に膝を打ちました。まさしく伏線と構図のクリーンヒット。東川印のユーモア・ミステリーを堪能しました。

     後者の『名探偵は誰だ』は、パット・マガーの名作『被害者を捜せ!』等や貫井徳郎の好短編集『被害者は誰?』などを彷彿とさせる「変則フーダニット」の短編集。「犯人でない人物」や「名刑事に捕まる人物」、「雪の山荘から生き残った人物」などを当てるというひねったシチュエーションも目を引きますが、そうしたフーダニットを可能とするための状況設定の部分が既に面白い。事件が起きていない段階からそれを未然に止めるという、私が大好きな趣向を盛り込んだ短編も。フーダニットなのはもちろんですが、この短編集は「本格ミステリーの『お約束』を裏側から覗き込む」作品集とも言えて、本格巧者の著者ならではの短編集だと思いました。――芦辺拓先生、第75回日本推理作家協会賞受賞おめでとうございます!

     ポプラ社から刊行の楠谷佑『ルームメイトと謎解きを』は、全寮制男子校で起きる殺人事件を解き明かす青春ミステリーで、青崎有吾による推薦帯にも注目。著者の趣味が大いに反映されているとみえる全寮制男子校の男子たちのキャラクター描写と、演出に注力した正統派ロジックの謎解きが心地よい。消去法推理って、やっぱりこうでないと。過去作も追いかけて行こうと思います。

     徳間書店からは〈トクマの特選!〉の一冊、梶龍雄『驚愕ミステリ大発掘コレクション1 龍神池の小さな死体』をピックアップ。私はこの作品、大学生以来5年ぶりの再読となるのですが、再読してみるとプロットの運び方の手つきがくっきり見えてきて、楽しめました。梶作品に関しては、帯やあらすじにも書かれた伏線の要素よりも、構図の驚きを与えてくれるのが好みだったりします。『清里高原殺人別荘』とか、『紅い蛾は死の予告』とかも復刊してほしいなあ。

     角川書店からは馳星周『月の王』を紹介。平井和正や半村良などを思わせる伝奇バイオレンスアクションに舌鼓。皇家から遣わされた謎の男VS蒋介石配下の「四天王」とか、激アツ青年漫画かよ。感涙必至の馬小説『黄金旅程』の次に、まさかこんなぶっ飛んだ作品が刊行されるとは、この多彩さには憧れます。また、これは再文庫化ですが、『煉獄の使徒』が角川文庫入りしたのを機に読んだところ、あまりの傑作だったので打ちのめされてしまいました。オウム真理教という「現実」を楔にして(作品内では新興宗教〈真マントラ言の法〉)、三人の男たちが転落していく破滅の様を描く――ノワールという文学形式は、こんなことまで出来るのか、と心の底から震えました。

     幻冬舎からは月村了衛『脱北航路』を。ある地点からある地点を目指す、というタイプの冒険小説として、これも幻冬舎文庫に収められている『土漠の花』と好対照をなす傑作でありながら(『土漠』ではソマリアの大地、今回は海。対照的な舞台を選択している点にも注目)、北朝鮮情勢を抉るポリティカル・フィクションとしても一級品です。しかし、冒険小説オタクの私は、心の中でこう叫びました――月村先生ッ! 海で潜水艦ってことは、今回はアリステア・マクリーンですかッ!?

     集英社からは岩井圭也『生者のポエトリー』と東野圭吾の『マスカレード・ゲーム』の二冊をピックアップ。前者は『文身』『水よ踊れ』『竜血の山』等々、近年一作追うごとに方向性を変えたエンターテインメントを展開してくれる作者の最新作。あまりに毎回面白いので無限の信頼を寄せているのですが、今回もまた方向性を変え、言葉・詩の力で世界とつながり、生きていく人々の群像劇を堪能。ラストシーンで思わず目頭が熱くなりました。

     後者はマスカレードシリーズの最新作。このシリーズは毎回、「次はホテル・コルテシアで殺人が起こるかもしれない!」というシチュエーションをまず形成するところに力点があると思うのですが、シリーズ最新刊の本作ではこの部分のドラマにこれまでで一番興奮させられました。魅力的でケレン味たっぷりの殺人の構図。「あの人物」が登場するシーンまでの、序盤~中盤の筆さばきには平伏してしまいます。

     新潮社からはライオネル・ホワイト『気狂いピエロ』を紹介。同名の映画の原作が60年の時を経て刊行(今の書店で見るとドキッとするこのタイトルは、映画に合わせたものですね)。キューブリックが監督、ジム・トンプソンが脚本を務めた傑作フィルム・ノワール『現金に体を張れ』の原作『逃走と死と』の作者でもあります。『気狂いピエロ』は酷薄に突き放したような筆致が大いにツボのノワールで、このファム・ファタール(運命の女)の描き方がいつまでも尾を引く。やっぱり私は矢口誠さんの翻訳が大好物ですねえ。充実の解説二本にも満足。新潮文庫の「海外名作発掘」シリーズにこれからも注目です。

     講談社からは国内と海外を一冊ずつ。国内は呉勝浩『爆弾』。著者の最高傑作がまた更新されたのは間違いなく、もうこのまま今年のミステリー・ランキングを席巻するのではというくらい面白い。中学生の頃、ドラマ「相棒」にハマり、西村京太郎の『華麗なる誘拐』とか、誉田哲也の諸作や雫井脩介の『犯人に告ぐ』にドハマりしていた時って、やはり「劇場型犯罪」が大好物だったからだと思うのです。派手で、次々事件が起こって、警察だけでなく一般の人まで翻弄されて、息つく暇もない、そんな作品。『爆弾』では久々にその興奮を思い出しました。もちろん現代式にアップデートされており、犯人が絶対的な自信家として現れるのではなく、とぼけた中年男として現れるのも面白いですし、中盤以降突き付けてくる「悪意」も非常に現代的で、心抉られるものになっています。三部構成になっているのですが、第一部の終わりで全身に鳥肌が立ってしまい、その後はまさに寝食を忘れて読んでしまったなあ……。

     講談社海外からはルシア・ベルリン『すべての月、すべての年 ルシア・ベルリン作品集』。彼女の短編を読んでいると、磨き抜かれた言葉によって、自分の感覚が広がっていくような気がするのです。なんだこの表現は、と立ち止まるたび、そういう刺激が訪れるのが心地よく、前作『掃除婦のための手引き書 ――ルシア・ベルリン作品集』は何度となく読み返しました。前作は文庫になっているので、「わたしの騎手」という2ページの作品をちょっと読んでもらいたい(講談社文庫はシュリンクがかかってるから難しいのか……書店によっては見本用に一冊開けてくれているところもありましたが……)。そんな大好きなルシア・ベルリン作品なので、『すべての月~』も当然堪能しているのですが、一編読むごとに「ああ、読み切るのがもったいない」という気分になり一旦本を置いてしまうので、実は読み切っていないのです。といってもう、「泣くなんて馬鹿」までの時点で今年のマイベスト短編集内定は間違いないので(19編中の13編目)、このタイミングで話をしてしまいました。

     扶桑社からは『レオ・ブルース短編全集』が刊行。未刊のタイプ原稿から直接邦訳した作品など、9編はなんと世界初紹介。全40編で400ページの文庫本で、平均して10ページくらいのパズル・ストーリーをテンポ良く味わえる。作中のビーフ警部のように、パブでビールを傾けながら味わうのにうってつけ。短めの短編なのは、初出が新聞のEvening Standard紙だったというのも大きいはずで、巻末の初出一覧を見ると、月一編、多い月は月二編書いているのにびっくり。確かエドマンド・クリスピンの短編も同紙が初出のものが多かったはずで、邦訳の『列車に御用心』や未訳の“Fen Country”も、同じように短く歯切れの良いパズル・ストーリーが多かった記憶があります。

    〇古典を読むということ

     さて最後は東京創元社から、キャプションにも使用させていただいた、レイモンド・チャンドラー『長い別れ』を。これをメインに持ってきたのは、初読の中学生の頃(清水俊二訳)、二回目の大学生の頃(村上春樹訳)と、全然面白さが分からなかったので、そのことを、恥を忍んで告白したい、という意図があってのことです。解説なども任されるようになった今の立場で、古典的名作にそんなことを言わないほうがいいのかもしれませんが、名作に対して「実は分からない」と表明している人がいることは、時に救いになることがあると経験上知っているので、あえて書いてみます。

     私が昔この本を好きでなかった理由は、マーロウの言動が肌に合わない、と思っていたのもありますが、ミステリー上のプロットにも原因がありました。この長編は、二つの長編のアイデアを、長編Aを①パートと②パートに分断し、間に長編Bを挟むことで、「長編A①パート/長編B/長編A②パート」と繋ぎ合わせただけと思っていました。それゆえにこんなに長くなり、そのせいで中盤、誰が何の話をしているか分かりづらく、中だるみがある。やや凡庸なプロットのBが、非常に謎解きミステリー的であるAを遠くに切り分けていることを、「長いお別れ」と言っているのではないかと勘繰っていたことも。

     ですが、今回田口俊樹訳の『長い別れ』を読み、ミステリーとしてのプロットをよりくっきりと味わうことが出来たことで、決してそれだけの作品ではなかったと分かったのです。解説の杉江松恋の言葉を借りれば、「AはAで完結した事象に見える。Bも同様である。だがAとBを突き合わせると違った見方ができるようになる」(『長い別れ』解説内、p.589)という狙いがあったと、訳文からはっきり読み取ることが出来ました。また、解説には、過去の訳が、原書で書かれた言葉の多義性をいかすために中性的な訳を選択していたことも指摘されていて、三者の比較の中で、「自分がいかにチャンドラーを読んできたか」すら謎解きされていく、非常にスリリングな読書でした。チャンドラーへの言及や解説、解読書なども色々読んできましたが、今回の解説には「ミステリーマニアが本当に知りたかったこと」が詰まっており、素晴らしいものでした。

     まさしく、ミステリーマニアの「痒い所に手が届く」訳文×解説のゴールデンコンビ。『長い別れ』を十数年越しに面白く読めて、大満足の四月なのでした。

    (2022年5月)



第37回2022.04.22
その足跡に思いを馳せて ~ミステリーファン必携の一冊~

  • 西村京太郎の推理世界、書影


    『西村京太郎の推理世界』
    (文春ムック)

  • 〇嬉しい短編掲載

     今月の雑誌では、〈紙魚の手帖 vol.4〉のロバート・ロプレスティ「シャンクスと鍵のかかった部屋」が素晴らしかった。『日曜の午後はミステリ作家とお茶を』で颯爽と登場した作家、ロプレスティの新作です。作品の特徴は、とにかく軽快で楽しい会話劇と、巧みにカリカチュアしながらもちょっとした毒を滲ませた「作家界隈」の描写と(それも、毒で胸やけしたりしない、思わずクスッとくるような塩梅なのだ)、しっかりとした謎解き。今回も冒頭からニヤニヤさせられました、サイン会あるある。やっぱり雑誌を読んで海外短編が読めると嬉しいですねえ。そろそろ海外のミステリー短編集も強いのが読みたい……と思った矢先に出たのが、ジェフリー・ディーヴァー『フルスロットル トラブル・イン・マインドⅠ』(文春文庫)で、これも実に良いのですが、これは原書の短編集を二分冊したうちの一冊目なので、来月『Ⅱ』が出た時にまとめてお話ししましょう。

     同誌では北山猛邦「神の光」も、エラリー・クイーン「神の灯」に引っ掛けたと思われる、「あるものの消失」を扱った作品で、一読忘れ難いトリックの傑作でした。冒頭は「賭け」にまつわる導入だったのに、いよいよ事件が起こるに至って、とんでもないスケールになってくるという。北山短編だと「一九四一年のモーゼル」と「廃線上のアリア」が好きなのですが、それに匹敵するくらい好きですねえ。本格ファンは必読です。また、櫻田智也の「赤の追憶」も、泡坂妻夫の「赤の追想」もしくは「赤の讃歌」に引っ掛けたようなタイトルでニヤリとさせられました。今回もさすがの一編で、次の作品集を読むのが楽しみです。

    〇汲めども尽きないその世界

     雑誌は時代を映す鏡であってほしい、と常々思っています。そんなに大げさな意味ではなく、例えば昔の「ミステリマガジン」や「エラリイ・クイーンズ・ミステリ・マガジン」を読んでいると、それが目当てで手に取った好きな作家の短編とは別に、コラムやらエッセイやら書評から、当時の本の「読まれ方」が見えてくるような気がしてくる。そんな体験のことを指しています。

     だからこそ、『西村京太郎の推理世界』には感動しました。没後わずか一ヶ月で作られたとは思えないほど充実した内容で、しかも「オール讀物傑作選」と題された短編五本は、まるで西村京太郎の傑作短編集のよう(文中では敬称略にて失礼いたします。この後も次々ビッグネームが登場しますが……)。貴重な対談なども数多く収録されていて、特に、山村美紗が後頭部を殴られて逆行性健忘性になったという衝撃の事実が語られる対談「事実は推理小説より奇なり」と、唐突に文中に登場したジェイムズ・エルロイの行動がやけに印象に残ってしまう「ミステリー界の巨人たち」(佐野洋、三好徹との鼎談で、しかも司会が大沢在昌!)が面白かった。

     また、ここに「目次で読む『オール讀物』と推理小説の90年」が再録されているのが素晴らしい。これは北村薫、戸川安宣、北上次郎というメンバーで、「オール讀物」の目次を90年分読んで、そこから時代ごとのミステリーシーンを切り取っていくという、何度読んでも面白い最高の企画です。2021年7月号掲載なので、さすがに記憶には新しかったのですが、なぜここでこれを再録するかというと、その答えは冒頭の赤川次郎による追悼エッセイ、そして赤川次郎と西村京太郎の対談「ミステリーを書き続ける幸せ」にあるんですね。そこで西村京太郎は、「僕は『オール讀物』と同い年」(p.8)と述べていると。つまり、『オール讀物』を語ることは、そのまま西村京太郎を語ることなんだ、という意味合いで編集部はこの記事を再録したのではないか……と思って泣いていました。ちなみにこの企画は何度読んでも良いので、今回も熱にあてられて、文中に出てくる、結城昌治「森の石松が殺された夜」と都筑道夫「森の石松」の読み比べをしてしまいました。

     閑話休題。絶筆『SL「やまぐち」号殺人事件』における列車消失トリックの図面や、生涯647冊の全リストなど、まさに、必携ともいえる一冊です。個人的には、デビュー短編「歪んだ朝」を再読しつつ、有馬頼義、高木彬光、水上勉、松本清張という豪華メンバーによる選評まで読めて満足感が高かったです(松本清張が結構辛くて、西村京太郎の 『赤い帆船(クルーザー)』に松本清張の「火と汐」のトリックの話が出てくることに違う文脈が生じてしまって面白い)。西村京太郎その人とその作品に思いを馳せる、大切な時間になりました。

    〇「私の愛する西村作品ベスト5」

     さて、ここで話は終わらず――今回は、同ムック収録の綾辻行人×有栖川有栖「僕らの愛する西村作品ベスト5」の対談にならって、私も西村京太郎作品のベスト5についてお話しさせていただこうと思いました。この連載も一年以上続いているので、メインが雑誌・ムックの回があってもいいでしょう。

     綾辻・有栖川の両氏によるベスト5はぜひ本誌で確認していただくとして、私は、両氏が選んだ作品を外して、ベストを選んでみようと思います。両氏が選んだ作品には重複があり、全七作品。どれもこれも傑作なのでこのあたりを外すとちょっと選ぶのが難しいのですが、後追いでやるのでこれくらいはするべきでしょう。ベストって人が選んでいるのを見るとなんか自分もやりたくなりますよね……。

     ではいきます。

    ・『消えたタンカー』
     私、実は「海」を書いている時の西村京太郎作品に目がないのです。『赤い帆船』は容疑者が日本―タヒチ間のヨットレースの最中、という壮大なアリバイトリックを用意した海洋ミステリーの傑作ですし(中盤の推理シーンがいいんだよなあ)、短編「南神威島」や『幻奇島』などの孤島もの……。そしてこの『消えたタンカー』は、巨大タンカーが炎上沈没し、乗組員六名が救出されるが、残り二十六名は生死不明……という状況下で、更なる連続殺人が起こる作品で、タンカーの知識を交えながら展開される中盤の検討パートと、終盤のフーダニットがたまらない私的マスターピース。

    ・『殺人者はオーロラを見た』
     これを挙げたのはやはりタイトルが素晴らしいのと、結構珍しい、アイヌが題材のミステリーだから。西村作品が社会派の題材を扱う時に出てくる熱さを味わうことが出来ると同時に、初期作品ならではのスケールの大きさも味わうことが出来る逸品です。西村作品で好きなタイトルは、これと『おれたちはブルースしか歌わない』がツートップ。後者は青春本格の良作で、「読者への挑戦状」もついてますよ。たまらなく好き。

    ・『札幌着23時25分』
     トラベル・ミステリーからはこれを。全作品リストを読む限り、私の西村作品読書は90年代から2010年代までがすっぽり抜けてなかなか読めておりませんので、あくまで自分が読んだ中で好きなものを。本書が好きなのは、「十津川警部が時刻表トリックを使う作品だから」。とある証人を札幌に送り届けるために交通機関を利用しないといけないのですが、飛行機は欠航、証人を殺すために刺客も送り込まれている、という状況なので、十津川は刺客の裏をかくためにトリックを弄する必要があるのです。ねじれた倒叙ものと言うべきか、犯人と警察による頭脳戦というべきか、一風変わった趣向のサスペンスでお気に入り。

    ・『一千万人誘拐計画』
     短編集からも一冊。『南神威島』や『カードの城』なども捨てがたいのですが、思い出もありこちらを。本書との出会いは、中学生の時、『法月綸太郎の本格ミステリ・アンソロジー』で、短編「白い殉教者」を読んだこと。いわゆる雪の密室もので、それまでテレビでやっているトラベル・ミステリーの二時間サスペンスしか見てこなかったので、こういう本格ものも書くのか、と感動したのを覚えています。その体験が、ここに挙げたような西村京太郎作品をどんどん読み始めるキッカケになりました。また「一千万人誘拐計画」は『華麗なる誘拐』を濃縮して味わいたいときに愛用しています。『盗まれた都市』とか、壮大な西村ミステリーが好きなんですよねえ。

    ・『石北本線 殺人の記録』
     最近のものからも一冊。これも思い出補正がかかっているかもしれませんが、ミステリー系の特集で「オール讀物」をチェックしていた時に、なんとはなしに連載を読んでみたら、直球のコロナ・ミステリーだったことに驚いてしまったのです。容疑者にコロナ感染疑惑があるので、十津川警部がPCR検査を受けさせられるという(息の長いシリーズキャラクターは、こうやって文字にするだけで面白いことをさせられるので面白いですよね……)。おまけに、主人公の男はバブルの時代からコールドスリープさせられているという設定で、よりにもよって二〇二〇年の二月に目覚めてしまうわけですが、このあたりの発想にも驚かされます。この男が主人公となり、眠っている間に姿を消した男を追いかけていく……というのが大まかな筋なのですが、そこに隠された構図は、まさに初期作の壮大なスケールを思わせます。まさに、生涯現役、という作品で、連載を追いながら感動していたので挙げました。

     ということで、綾辻・有栖川両氏のベストをあえて外して、五作挙げてみました。ちなみに、被ってもいい、というルールで選ぶと――『消えたタンカー』『殺人者はオーロラを見た』は残し、あとは被りますが『七人の証人』『ミステリー列車が消えた』『名探偵が多すぎる』でしょうか。『七人の証人』はアクロバティックな状況設定からして最高の本格ミステリー(最近復刊されたので手に取りやすいはず。必読)、『ミステリー~』は「消失の西村」の中でもひときわ面白いサスペンス、『名探偵が多すぎる』は……私が船上ミステリーを嫌いなわけないじゃないですか……一読忘れ難い密室トリックが好きよ……あと……「名探偵最後の事件」フェチなので『名探偵に乾杯』も……。

     汲めども尽きぬその作品世界。西村京太郎先生にあらためて哀悼の意を表し、『西村京太郎の推理世界』に対する日記の締めくくりとさせていただきます。

    (2022年4月)



第36回2022.04.08
心に残る犯人 〜未解決事件四部作、いよいよ好調!〜

  • ヨルン・リーエル・ホルスト、書影


    ヨルン・リーエル・ホルスト
    『警部ヴィスティング 悪意』
    (小学館文庫)

  • ◯まさかアレが本当に出るとは……

     去る三月、ジョエル・ディケール『ゴールドマン家の悲劇』(上下巻、創元推理文庫)が刊行されました。これがまず驚き。というのも、同作者の邦訳一作目『ハリー・クバート事件』(上下巻、創元推理文庫)は、私が大学二年生の時に出た本で、まさか二作目が出ると思っていなかったからです。ディケールがそもそも文学畑の人、という情報を見ていただけに、本当に書いたのか、と……。

     大学二年生の時、サークルの部室でちょっとした論争が巻き起こっていたのを覚えています。『ハリー・クバート事件』のどんでん返しやその是非について、賛否が真っ二つ分かれていたのです。当時の私は、年に海外新刊を十冊読んでいればいい方、というくらいで、『ハリー~』は刊行当時、四六判の上下巻だったので、読まずに済ませてしまっていたのですが……(それが今では、上下巻を二冊とカウントすれば、月に海外新刊を十冊は読んでいる時もザラにあるのだから、どうかしている)。

     で、今回、せっかく新刊が出るのだからと、二月に『ハリー・クバート事件』を開いてみたのです。そしたら……えっ、えっ、えっ、なんじゃこの超絶面白ミステリーは……。

     そもそも、私は師弟関係とか、師匠が弟子に贈るレッスンみたいな話が大好きなので……そこにユーモアが入っていればなおさらで……なので、章ごとの冒頭に掲げられた作家二人、ハリー・クバートとマーカス・ゴールドマンのやりとりだけでシビれまくってしまうんですよねえ。二作目が書けずにどん詰まってる作家(これはゴールドマン)という造形に妙にシンパシーを覚えるのもあるかもしれません。

     そこに、師であると同時に、何よりも大切な友であるハリーの汚名をそそぐ、という激アツな物語が乗っかるわけですから、これはもうたまらない。しかも切り込むのは町の小コミュニティという。私の好きなミステリーを全部詰めた夢の作品か? 登場人物全員どこか露悪的なのも非常に良い。お騒がせな販売戦略にノリノリの編集者とか大いにツボです。

     上下巻なのに本当に一瞬で読み切ってしまいました。そりゃまあ、あの時サークルで否定派の人が言っていた、伏線の足りなさとか、どんでん返しの是非とかも気持ちは分かるんですが、それでもこれだけやってくれたら私は大満足なんです。

     という期待感の中迎えた今回の新刊、『ゴールドマン家の悲劇』。これがまたなんとも、前作から人が変わったようにシリアスな仕上がりで、なかなか読ませるのです。四つの家族を巡る悲劇の物語で、ミステリーとしての事件や結構が分かるのにやや時間はかかるのですが、瑞々しい青春小説として完成度が高いのでぐいぐい読んでいけます。『ハリー・クバート事件』がエンターテインメントに振り切ったミステリーだとすると、今回はディケールの文学畑らしい一面が覗いた作品と言えるかもしれません。物語の閉じ方が、実にいいんですよねえ。

    ◯未解決事件四部作も、三作目まできたか……

     私は嬉しい……嬉しいよ……ヨルン・リーエル・ホルストの新作がまた読めて……。

     年一冊ベースで刊行が続いている、小学館文庫のホルスト〈未解決事件四部作(コールドケース・カルテット〉シリーズ。一昨年の『カタリーナ・コード』、昨年の『鍵穴』に続いて、今回の新刊は『警部ヴィスティング 悪意』。『鍵穴』についてはこの連載の第13回で取り上げていて、早川書房から刊行の『猟犬』を含めて、〈警部ヴィスティング〉シリーズの話をまとめていますのであわせて参考にしてください。

     第13回で私は、このシリーズが、主人公である警部ヴィスティングが、静かに犯人の心を見つめることに特徴があると指摘しながら、『鍵穴』では「動」を強調し、エンタメ寄りのプレゼンになってきていると述べています。この流れで言うと、最新刊の『悪意』は……いよいよ、「動」全開。まさかまさか、ここまで楽しませてくれるエンターテインメント作品になってくるとは。しかも、ホルストの作品の良さは違う形で残っているという。これは感動しました。

     あらすじはこうです。5年前、二人の女性の殺害で収監された犯人トム・ケルが、三番目の殺人を告白する。その死体を埋めた場所を教える代わりに、世界一人道的と言われる、別の刑務所に身柄を移してくれ、というわけだ。ヴィスティングを含める面々が警戒体制をしくなか、犯人は現場に降り立った。しかし、一瞬の隙を見て、犯人は走り出して逃走、追いかけた警官を手榴弾が襲った……。

     どうですか。完全に現在進行形の事件なのです。『カタリーナ・コード』では24年前の殺人事件を扱い、ひたすら「対話」、「静」にこだわってきた本シリーズが、いよいよ「動」に全振りしてきたわけです。逃げた男を追跡する捜査行に加え、男の共犯者「アザー・ワン」探しというフーダニットの要素が加わってきます(追いかける敵に「二つ名」みたいなのがついているとやたらと興奮するのは、やっぱり漫画『金田一少年の事件簿』が好きだからでしょうか)。

     5年前の時点から、その存在が疑われてきたトムの共犯者。その人物の手引きがなければ、このような逃亡事件を起こすことは不可能だったに違いない、という話の流れですね。現在進行形の事件であることが、過去の事件を解く鍵になっているとも言えます。5年前の事件が、音を立てて動き出す……このダイナミズムが読ませます。

     そしてこのフーダニットが……たまらないんだよなぁ〜! いいフーダニットが何を指すかには色々あると思っていて、それはいい伏線だったり、一発で絞り込む鮮やかなロジックだったり、隠し方だったりしますが、今回感心したのは、描写のうまさでした。犯人の人物像の提示の仕方、書き方が上手い。ここで鍵になってくるのが、第13回のまとめで述べた「心」を見つめる警察小説、という部分で、『カタリーナ・コード』ではヴィスティングが犯人の心に迫るその過程を、150ページかけて丹念に描き、手探りで暴き出す過程を重視してきたわけですし、『鍵穴』では事件のジグソーパズルを組み立てるうち、その部分はそう解釈するとピースが合う、というように、唐突に動機が現れて来るところにミソがありました。今回はどうかと言えば、ぼかしていうと、映画のワンカットだけで動機を切り取って容赦なく叩きつける、というような演出になっていて、これがとんでもなく上手い。今回は、読み解こう、理解しよう、というベクトルではなく、ただ「絵」で見せてしまうのです。それゆえに、動機に説得力が生まれるとも言えます。

     犯人の動機を見つめる、という部分をカリカチュアして、さらにそれがフーダニットとしての精妙さと表裏一体になっている。私はここに感動しましたし、久しぶりにいいフーダニットを読めた、という満足感がありました。伏線の隠し方も堂々としていて好みです。

     共犯者からの手紙とか、物証の追いかけ方も、それぞれのオチの付け方も、全部いいんですよねえ。ディティールが良い。ますます楽しみになってきた〈未解決事件四部作〉。ここまできたら四作目も超読みたいし、四部作以外にもどんどん出してくれてもいいのよ……。

    (2022年4月)



第35回2022.03.25
悪魔的なほど面白い、盛りだくさんの超本格ミステリー! ~我が生き別れの、イギリスのお兄ちゃん……(嘘)~

  • スチュアート・タートン、書影


    スチュアート・タートン
    『名探偵と海の悪魔』
    (文藝春秋)

  • 〇ミステリー書きの新たなるバイブル

     2月の話題になってしまうのですが、『サスペンス小説の書き方 パトリシア・ハイスミスの創作講座』(フィルムアート社)が刊行されました。本国では60年以上、指南書として親しまれている一冊。サイトなどで本の存在自体は知っていたのですが、邦訳されて読める日が来るとは。3月にはあの傑作『水の墓碑銘』(河出文庫)が映画化のために復刊しましたし、ハイスミスファンとして嬉しい限り。

     そんなわけで楽しみに開いた本書。冒頭から、なぜこの本が60年以上も親しまれ続けているか分かる気がしました。ただの「ハウツー」本ではなく、ハイスミスの「声」が横溢するような一冊だったからです。特に感動したのは「序」にある本書の姿勢。

    “多くの駆け出しの作家が、著名な作家は成功の方程式を持っていると考えている。本書はとりわけそうした考えを一掃する。執筆に成功の秘密はなく、あるのはただ個別性だけだ――それを個性と呼んでもいい。そして、一人ひとりみな異なっているのだから、周囲の人間との違いは、その個別の人間が表現するしかない。私が魂の解放と呼ぶものである。といってもそれは、神秘的なものではない。それはただ、ある種の自由――整えられた自由なのだ。”(『サスペンス小説の書き方』、p.9)

     本書には、その言葉通り、ハイスミスという作家の「個性」の話が淡々と語られています。私はこの考え方にグッときてしまうんですよねえ。逆に言うと、自分の成功に気をよくして、「方程式」を語り出すタイプの人はそれだけで敬遠してしまうのです。ハイスミスは「ハウツー」や「方程式」にはこだわらず、ただただ自分の「声」だけで、自らの個別性をここに残そうとしていた。そう感じさせる本でした。中でも、一章まるまる使って、自作である『ガラスの独房』を解説してくれるところに興味津々。1950~1960年代の『エラリイ・クイーンズ・ミステリ・マガジン』に惹かれる私にとっては、コーネル・ウールリッチやヴィンセント・スターレットなどの短編小説への言及にもニヤリとくるところ。

     ハイスミスのファンには特に読み応え満載ですが、何よりも悩める創作者は、ぜひとも一冊持っておくべき本です。オススメ。ちなみに私が一番好きなハイスミスは『愛しすぎた男』です。最悪なので……。

    〇全編面白い本格ミステリー、小説の魅力を満載した傑作現る!

     さて、2月刊行にして、早くも、年間ベストに匹敵するような大傑作が現れてしまいました。それこそが、スチュアート・タートン『名探偵と海の悪魔』(文藝春秋)です。

     前作『イヴリン嬢は七回殺される』(文藝春秋)では、タイムリープと人格転移ミステリーを掛け合わせた、ギミック満載のミステリーで驚かせてくれたスチュアート・タートン。同じ一日を幾つもの視点(人格)を行き来しながら体験することで、イヴリン嬢が撃ち殺される事件の謎を解き明かす、という結構はまさにノベルゲームの本格ミステリーそのもので、フラグ管理をするようにエクセルに時間割表を打ち出しながら読み進めるのが妙に楽しかったのを覚えています。

     しかし、『イヴリン嬢は七回殺される』の凄いところは、そうしたギミック満載の外装の中身となっている、「カントリーハウスでの殺人事件」のアイディアについては、超端正な本格ミステリーたりえているところです。特に、シンプルな錯誤によって事件の構図を読み替えてしまうところなどは、巧いッ! と唸らされてしまいました(それだけに、外装の異様さと、多重どんでん返しがもたらすアンバランスさに驚いてしまうわけですが)。アガサ・クリスティーの『ホロー荘の殺人』では、プールの周りで血を流して倒れている男と、その傍らに拳銃を持って立つ女、という情景が、何度となくポワロの脳裏でフラッシュバックし、繰り返され、再解釈を積み重ねていくわけですが、私見では、『イヴリン嬢』の殺人事件の真相の部分は、プールや拳銃という小道具の類似性も含めて、『ホロー荘』に匹敵する巧さを具えていたと思います。

     そうした、ジャンルを横断して積載された趣向の多様性や、盛り込みすぎと言えるまでのネタの多さを指してのことか――新刊である『名探偵と海の悪魔』の発売が文藝春秋のツイッターで告知されると、こんな言葉が目に飛び込んできました。評論家である千街晶之による、“「イギリスの阿津川辰海」みたいな作家なのでは”(2021/11/5)という言葉です。

     その瞬間から、妙に面白くなってしまって、私はこのスチュアート・タートンが、イギリスの、生き別れた兄なのではないか、というような気分になって来たのです。もちろん書きぶりもスタイルも全然違うし、本国での売れ方を見れば私がそう思うのさえおこがましいのですが、私の大好きな彼の国に、私と似ていると評してもらえるような本格ミステリー作家がいるということが、やはり嬉しかったのです。

     で――そんな期待の中迎えた、『名探偵と海の悪魔』ですが、これが、とんでもなく面白かった。身内の(だから、身内じゃないって言ってるでしょ)ひいきを差し引いても、これほどサービス精神に満ち溢れた傑作はないのではないでしょうか。

     あらすじはこうです。17世紀、バタヴィアからオランダへ向かう帆船が出航する直前、包帯に包まれた怪人が炎上して死を遂げる。彼は死の直前、「この船は呪われている」という謎めいた言葉を遺した。この船で、一体何が蠢いているのか? この謎に挑むのは、「罪人名探偵」サミー・ピップスと、そのバディである大男、アレント・ヘイズのコンビ。それも、罪人として囚われているサミーは表向きに捜査が出来ないので、アレントが一人奮闘する、という趣向。ここに、総督の妻サラや愛人クレーシェといった、当時の根強い女性差別により、そもそも船の中で探偵行為を行うのを大いに反対されてしまうメンバーが加わり、これら名探偵と素人探偵の団結によって、船を襲う「呪い」に挑むことになる……。

     読み始めてすぐ、最高、と口に出してしまいました。何より驚かされるのは、理想化されたイメージを排除し、当時の社会の硬直的な身分制度や、帆船の中の強烈な縦社会をしっかりと再現し、むせかえるような臭いがするほどにしっかりと当時の海の旅を描写してくれることです。これが実にいい。エリス・ピーターズの〈修道士カドフェル〉シリーズとか、米澤穂信の『折れた竜骨』を読むような楽しみがここにあります。当時の歴史状況などを頭に入れてから読みたい人がいたら、マイク・ダッシュ『難破船バタヴィア号の惨劇』(アスペクト)などが迫力満点のノンフィクションでオススメですが、そうした事前準備などしなくても、異国感満載の描写を味わいながら読むことが出来るでしょう。

     こうした描写のうまさに、魅力満点のキャラクターたちが乗ってくるのですから、もうこれは興奮せざるを得ません。今回特に興奮したのは、「罪人名探偵」サミー・ピップスの造形です。謎解きにしか興味がないという設定や、往年のシャーロック・ホームズを思わせるような推理のプレゼンテーションのうまさ、「熊と雀」と称されるほどの、ワトソン役アレントとの体型のアンバランスさ……何より、アレントがサミーを探偵としてなぜ信ずるか、という信仰の核心を明かすエピソードが途中にさらっと描かれるんですが、そのクサいまでの格好良さ。いい……めっちゃくちゃいい。前回の『イヴリン嬢は七回殺される』というのは、どれだけ魅力的なキャラメイクでも、それが一人称の「私」のアバターに過ぎない……つまり、ゲームに例えるなら、「私」が使える「スキン」に過ぎないというところに、本格としての面白さと、小説としての面白さの限界が表裏一体で染みついていたわけですが、今回はもう全開です。スチュアート・タートンという作家が、全てをエンタメに振り切った時に、これほど魅力的なドラマが生じるのかと、感嘆する思いでした。

     さらに、総督の妻・サラも素晴らしい。本作で描かれる帆船の上は、これまでの海洋ミステリーが描いてきた「船の旅」とはまるで色合いが違っています。例えば『ナイルに死す』のようなきらびやかな観光旅行ではなく、17世紀、死と隣り合わせの旅なのです。船員たちには独特の社会があり、中央のメインマストの前と後ろで、船員用区画と客室用区画は明確に分かたれています(正確には、高級船員区画は別)。この区画を超えてしまったなら、互いに何をされても文句は言えないのです。これほど硬直的な船の社会構造に、17世紀当時の、強力な女性差別がのっかってきます。そんな硬直的な社会に力強いNo!を発するように、サラは謎解きに乗り出していくのです。

     この瞬間のみずみずしい感動! 私は、この感動を描いてきた作家の名前を一人、知っています。フランシス・ハーディングです。彼女が『嘘の木』で描いた19世紀イギリスの少女・フェイスの姿に、本書のサラの姿も重なって来たのです(『嘘の木』も5月には文庫化する模様。全員読んで欲しい)。エンターテイメントとしてのアツさと、謎解きの興奮が同居した構成に、またしても喝采を上げてしまいます。

     ミステリー部分はどうかというと、これもまた、極上。ここだけ書いても絶対に真相は分からないので書きますが、私がまず、嬉しすぎて興奮してしまったのは、本書11章(p.65)の描写です。クリスティー『ナイルに死す』の核心とはなんだったでしょうか? 船上のゴージャスなミステリー。それもあります。ミステリーの歴史で語り継がれるシンプルかつ強力無比なメイントリック。それもあります。ですが、私にとって『ナイルに死す』とは、「誰もがそれぞれの思惑を秘めて船に乗り込んでいるというスリル、それが一枚一枚剥がされていく謎解きの妙味」なのです。私は、なんならメイントリックそのものよりも、殺人が起こるまでの250ページと、ポワロが次々容疑者を呼び出して尋問するシーンの連打の方が好きだったりします。件の第11章は、本書の怪奇小説、事件としてのキモである悪魔「トム翁」の印が帆に描かれており、それを各登場人物たちが見ている、という描写なのです。帆の印を見た人物たちは、それぞれに、意味深な反応を示します。私はこの描写に辿り着いた時、「あっ!」と声を上げました。ここには、私が『ナイルに死す』に――優れた船上ミステリーに求めてやまなかった、あのスリルが確かに存在する!

     そして、その期待は一切裏切られませんでした。不可能犯罪あり、怪奇小説満点の妙味あり(特に、七隻しか帆船がないのに、夜の海に「第八の角灯」の灯が浮かぶという、ヴィクトリア朝の怪奇小説はだしの演出がサイコーだ!)、名探偵と彼に憧れる素人探偵たちの推理行ありと、盛りだくさんのネタの一つ一つに、驚かされ、唸らされ、唖然とさせられました。あえてクリスティーに引っ掛けて言うならば、『イヴリン嬢は七回殺される』は「様々なギミックを掛け合わせて魔改造された『ホロー荘の殺人』」、本書『名探偵と海の悪魔』は「歴史ミステリーの文脈を導入することで、新しい衣を得た『ナイルに死す』」と称することが出来るかもしれません。全ページ、楽しくて、楽しくて、仕方ない。中盤のピンチも、終盤のチェンジ・オブ・ペースも、全てが「読書」の愉しみに繋がっている、そんな傑作でした。

     それにしても、スチュアート・タートンの作品は装丁も素晴らしく、カバーを外したところにある帆船の断面図がまたいいんですよね……私、海は怖いし、船も苦手なのですが、昔から海洋ミステリーについている船の図面だけには目がないんですよ。船ってなんでこんなに見ていて楽しいんでしょうね。

    (2022年3月)



第34回2022.03.11
引き裂かれたアイデンティティー ~歴史ミステリーの雄、快調のクリーンヒット~

  • アビール・ムカジー、書影


    アビール・ムカジー
    『阿片窟の死』
    (ハヤカワ・ポケット・ミステリー)

  • 〇新雑誌にて

     月をまたいでしまいましたが、実業之日本社のムック「THE FORWARD Vol.2」において、新作〈九十九ヶ丘高校シリーズ〉を始めました。掲載されている記事の幅広さに驚いています。私の作品については、気の長い不定期掲載として企画を出したものなので、続きは気長に待っていてください、という感じです。

     第一話は「RUN! ラーメン RUN!」という陽気なタイトルで、昼休み時間の校外外出を校則で禁止されているところ、昼休みにラーメンを食いに行く「完全犯罪」に挑む二人の男子高校生のお話です。古畑・コロンボにあやかった倒叙ミステリー式の短編に仕上げてみました。なぜ昼休みを舞台にしたかというと、放課後ばかりが主役になる青春ミステリー・学園ミステリーにおいて、青崎有吾が『早朝始発の殺風景』(集英社文庫)で早朝の青春ミステリーを繰り出してきたのが嬉しくて、それなら自分は昼休みだ! と思い立ったということ。ちなみに、タイトルの元ネタは、はやみねかおるの『都会まちのトム&ソーヤ』(YA! ENTERTAINMENT)の第二巻のサブタイトル『乱! RUN! ラン!』のもじり。第二話あたりで気付く人がいるかな、と思っていたのですが、友人には早々にバレていたので書いてしまおう。

     特段、シリーズキャラクターがいるというわけでもなく、とりあえず〈九十九ヶ丘高校〉を舞台にしたミステリーをやろう、という緩いところから始まったシリーズです。まあ、気長に見守ってやってください。

    〇インドミステリーの新作が待ちきれない!

     さて、今回取り上げるのはポケミスの新刊、アビール・ムカジーの『阿片窟の死』(ハヤカワ・ポケット・ミステリー)。1910年代末~1920年代の、イギリスによる植民地支配を受けるインドを舞台に、英国人警部ウィンダムと、インド人の部長刑事バネルジーのコンビの活躍を描くシリーズの第三作になります。

     第一作『カルカッタの殺人』は、政府高官のイギリス人が殺害された事件の捜査から、当時のインドの状況が浮かび上がってくるという結構のミステリー。ただ、ここでは現代エンタメとしての骨格が秀ですぎるあまり、歴史ミステリーとしてのアンバランスさが際立っているような気がしていました。植民地支配に批判的でありながら、かといって、自身もベンガルの人たちに対する差別意識がナチュラルに出てしまうところもあり、いわば、現代と歴史との狭間、英国人とインド人の狭間で引き裂かれているウィンダムの不安定さが目立っているのです。「引き裂かれたアイデンティティー」という主題は、最近だとヴィエト・タン・ウェンの『シンパサイザー』(ハヤカワ・ミステリ文庫)、『革命と献身 シンパサイザーⅡ』(早川書房)というスパイ小説でも現れていて、これはムカジーやウェンの出自にも関連しているのかもしれません。

     このウィンダムの不安定さが――というところは、第三作の紹介のくだりに譲るとしましょう。ここではまず、第二作のことから。

     第二作『マハラジャの葬列』は、一言で言えば「ゴージャスなミステリー」というべき逸品です。1920年のカルカッタで、藩王国サンバルプールの王太子が暗殺される……という発端からしてスケールが大きいですが、第二作の特徴は、この藩王国にウィンダム&バネルジーのコンビが二人だけで乗り込んでいって、孤立無援の捜査行を強いられること(ここにきて、ウィンダムの「個」がより強調されていくことになります)。独特の倫理観、慣習、そして人々の陰謀が渦巻く宮廷の描写に、「これぞ歴史ミステリーの面白さだ!」と嬉しくなりました。サンバルプールに向かうまでの、事件の矛盾点を丹念に拾い上げていくウィンダムの推理もツボを押さえていて面白いのです。

     そして来る第三作『阿片窟の死』。実のところ、『カルカッタの殺人』を読んだ時に、原書のあらすじを読んでいたのですが、この『阿片窟』が一番面白そうだと感じていたのです。冒頭はこうです。

     ウィンダムには阿片を嗜む悪癖がある。いつも通り、阿片窟で恍惚に浸っていた時、警察の手入れが入った。命からがら逃げるウィンダムだが、その途中で、両目を抉られ、腹を刺された男が現れ、目の前で絶命する。翌日、その死体の目撃情報はなかった。あれは阿片が見せた幻だったのか? しかし、同様の殺され方をした死体が別の場所で発見される。この事件が連続殺人であることを指摘できるのはウィンダムしかいない。しかも、それをバネルジーにさえ相談できないのだ……。

     そう、つまり本作では、引き裂かれたアイデンティティーを持つウィンダムという男のありようが問われるプロットになっているのです。

    “クリスマスはともかく、この街に対しては徐々になじんできつつある。それはカルカッタが同じように欠陥だらけで、機能不全に陥っているという事実と関係しているのかもしれない。悪臭を放つベンガルの湿地のまんなかにつくられた街。そこでは、はみだし者たちがもがき苦しみ、なんとか生き延びるために捨て身で闘っている。”(本書、p.24)

     作中に印象的に登場する小道具に、止まってしまったウィンダムの腕時計があります。死んだ父親の唯一の形見であり、イギリスのハットン・ガーデンの時計技師でも直せなかったというその時計は、イギリスとインド、その二つの間で引き裂かれ、半ば壊れてしまったウィンダムという男の心象風景でもあるのかもしれません。しかし、壊れた時計でも、日に二回は正しい時刻を指すといいます。『阿片窟の死』の終盤、事件の構図を見抜きながら、犯人を求めて奔走するウィンダムが遂に放つある一言――この事件に対するスタンス、この国の人々に対するスタンスを表明するある一言が、とても力強く、そして清冽に感じられるのは、引き裂かれた男・ウィンダムの道行をここまで追いかけてきたからでしょう。

    『阿片窟の死』では、第一作『カルカッタの殺人』で試みた、「現代エンタメの骨法で歴史ミステリーを描く」という趣向が完全に成功したと言えるのではないでしょうか。『カルカッタ』では現代エンタメの荷が勝ちすぎ、『マハラジャ』では歴史ミステリーとしての魅力が全体を塗りつぶしてしまったところですが、『阿片窟』では、現代エンタメと歴史ミステリー、この二つの方向性が目指した地点が、完全に同じ地点になっているのが見事です。続発する事件の裏に隠された構図が明らかになる瞬間の驚きと戦慄には、思わず膝を打ってしまいました。

     一作ごとに、「なかなか目を離しがたい」と追いかけてきたシリーズでしたが、『阿片窟の死』をもって、本作はいよいよ目が離せない現代エンタメシリーズになってきた、と思います。続刊がとても楽しみ。

    (2022年3月)



第33回2022.02.25
児童ミステリーが読みたい! ~あるいは、私を育てた作家たちのこと~

  • エミリー・ロッダ、書影


    エミリー・ロッダ
    『彼の名はウォルター』
    (あすなろ書房)

  • 〇名アンソロジー誕生!

     汐文社から刊行の「絶対名作! 十代のためのベスト・ショート・ミステリー」シリーズ、全四巻が今月で完結。千街晶之によるセレクトと解説付きで、現代のミステリー作家たちの作品を十代の人にも読んでもらおう、という趣向の本となっています。ミステリーの世界に優しくガイドするような千街解説の語り口も魅力の一つです。図書館や図書室での購入を想定している本のようなので、十代の人がもしこの記事を読んでいたら、探してみてください。

     その第四巻「涙と笑いのミステリー」には、宮部みゆき「サボテンの花」、光原百合「橋を渡るとき」と並んで、拙作「六人の熱狂する日本人」が収録されています。昔から大好きな二人と並ぶことになって恐縮している上に、もしかして、笑いは私一人で担っているのだろうか? とビビっていますが、手に取る機会がありましたら、ぜひ。光原作品はまさしく十代の頃に読んで欲しいので、これを気に入ったら『時計を忘れて森へいこう』『十八の夏』などなど読んでもらいたいですし、宮部みゆき作品は私をここまでミステリー好きに染め上げた最初の入り口なので(東野圭吾、宮部みゆき、伊坂幸太郎が私にとって「初」ミステリーの御三家です)、汲めども尽きないあの世界に一緒に飛び込んで欲しいです。私が好きなのは『理由』『スナーク狩り』『ステップファザー・ステップ』あたり。最近では杉村三郎シリーズが一作たりとも読み逃せない傑作シリーズです。

     宮部作品と言えば、今月はイラストレーターの藤田新策による『STORIES 藤田新策作品集』(玄光社)も刊行されています。宮部作品とスティーヴン・キング作品で育ってきた私にとっては、まさに必携の一冊でした。宮部作品の『火車』『模倣犯』『レベル7』などは、ストーリーの面白さと共に、絵のインパクトも強烈に脳に焼き付いていますし、『IT』や『ミザリー』の表紙を見るたび、何度どきどきさせられたか。あるいは小野不由美『東京異聞』や、恩田陸『ネクロポリス』、道尾秀介『背の眼』など、十代の頃夢中になった禍々しい本の数々に、どれだけ藤田新策の絵の幻想世界が結びついていたか。十代の頃を瑞々しく思い出すような体験も相まって、『STORIES』は私の聖典になりそうです。

    〇私を育てた作家の新作ミステリー!

     で、今回「絶対名作! 十代のためのベスト・ショート・ミステリー」と『STORIES』の話から始めたのにはワケがあります。私を育てたファンタジー作家の最新作が、なんとなんとミステリーだったからです。エミリー・ロッダ『彼の名はウォルター』(あすなろ書房)がそれです。

     エミリー・ロッダ。私と同じ世代の人なら聞き覚えがあるでしょうか。そう、あの冒険ファンタジー『デルトラ・クエスト』の作者です。第三シーズンまであるこのシリーズですが、第一シリーズでは、王家を守る七つの宝石が埋め込まれたベルトが壊され、各地の魔境にこの七つの宝石が隠されてしまう……というのが始まりで、一巻ごとに、それぞれの魔境での冒険とバトルを描き、最終巻ではいよいよ七つの宝石を揃えて最終決戦に臨む全八巻という構成。第二、第三ではまた違った敵が現れるわけです。

     このシリーズ、小学生の私が大ハマりして――当時からドラクエやFFが好きでしたから、ある意味当然と言えば当然――最低でも四周はしているので、未だにスラスラ口に出来るというところ。アニメ化もして、それも見ていたんですよ。その頃何周もしていたファンタジーと言えば他に、なんといっても『ダレン・シャン』(これは五周は固い。④~⑥は最高に好きだったのでそこだけもっとしているかも)、他に『セブンスタワー』、『サークル・オブ・マジック』(ここまでの三シリーズは小学館ファンタジー文庫に収められています。私が読んだ頃は単行本でした)、『ドラゴンラージャ』(岩崎書店)などがありました。そして単巻ですが最も読み返していたのは、ミヒャエル・エンデ『はてしない物語』でしょう。岩波少年文庫版で今は手ごろに読めますが、私の家に会ったのは岩波書店から刊行の、函装のハードカバーでした。主人公と同じように、あのしっとりと肌に張り付くような質感の赤い本を開く時の感動を、何度も何度も味わっていたのです。

     そんな時期の思い出に存在するエミリー・ロッダが、今回はミステリーを書いたわけですが、「いやいやファンタジー作家の余技なんじゃないの?」と疑われるかもしれません。しかし、実はエミリーは、本名ジェニファー・ロウで大人向けの推理小説を書いており、これが一作だけ、日本でも訳されているのです。『不吉な休暇』(現代教養文庫の「ミステリ・ボックス」)という作品がそれ。こいつがちょっとした傑作なんですよ。

     オーストラリアのリンゴ園を営む家族の家に、毎年親族が集まってリンゴ摘みの作業をするのですが、今年は何やら良くないことが起こりそうだ……というのが大方の筋なのですが、この「何かが起こりそう」という「殺人前のドラマ」を、100ページほどの紙幅を取って三人称の多視点からじっくりと描き、それぞれの登場人物像と愛憎の構図を読者の前に描出するその手際は、まさにアガサ・クリスティーのよう。しかも、それだけではありません。この後予期された通り殺人が起こるのですが――そこから展開される二転三転のプロットの手つきが、いやいや、実にクリスティー的なのです。中盤で感じるいくつもの違和感が一挙に繋がる解決には、そうかッ、と思わず膝を打ってしまいます。

     ミステリ・ボックスの隠れた拾い物として、こういうのが好きで好きでしょうがない人にはぜひ勧めておきたい作品。そして、そんなジェニファー・ロウことエミリー・ロッダが書くミステリーだからこそ、ハズレはないだろうと、私は知っているわけです。

     さて、今回の新作『彼の名はウォルター』のあらすじはこうです。嵐がやってきそうな荒天の日、乗っていたミニバスが故障して、一人の歴史教師と四人の生徒たちが立ち往生。近くに立っていた、打ち捨てられたような不気味な館で過ごすことに。主人公のコリンが見つけたのは、『彼の名はウォルター』という題名が冠された、不気味な挿絵の入った謎の本だった。ケータイもなく、荒天の恐怖を和らげてくれるものは他にない。他の四人に読み聞かせる形で、彼はその本を朗読し始める。そこに描かれていたのは、孤児ウォルターの壮絶な人生譚で――。

     というのが大体のあらすじ。『彼の名はウォルター』をわくわくしながら開くコリンの描写は、さながら、先に挙げた『はてしない物語』の冒頭の瑞々しさをも思い出させますが、『彼の名はウォルター』には不穏の影がびっしりとまとわりついているというのがサスペンスとしてのキモ。

     作中作である『彼の名はウォルター』では、冒頭から、孤児ウォルターが老人バチにハチの巣の中で育てられるという描写から始まり、ファンタジーであることがすぐに分かるようになっています。彼が大きくなって、自分の本当の母親を求め、自分の幸せを求め、冒険する一代記という構成ですが、ここに、どうにも不穏な館での、先生一人と生徒四人の会話が挟まっていきます。嵐が迫る天候と、館自身が持つ不気味な雰囲気も相まって、ゴシックサスペンス風の筋立てにもなっていますが、むしろ本書を読んで思い出すのは、三津田信三的なホラー観……作品に書かれた化け物そのものが、襲い掛かって来るのではないか、というような恐怖です。

    『不吉な休暇』に比べれば、いわゆる本格ミステリー度は低く、ミステリーだけを期待して読むとやや肩透かしに感じるかもしれません。ですが、この『我が名はウォルター』という本がどういう本だったのか分かった瞬間、ほうっとため息の漏れるような感動があります。まさに主人公にとってみれば「一夜」の冒険なのですが、それがウォルターという人物の人生そのものの冒険でもあった、というような。作中作ミステリーの要素、ゴシックサスペンスの要素、冒険ファンタジーの要素を横断する、欲張りな一冊といってもいいかもしれません。

     ちなみに、私が小さい頃に読んでいた児童ミステリーのオススメと言えば、やはり、はやみねかおる作品の諸作や、「YA!ENTARTAINMENT」という叢書から出ていた本になってしまうのですが、常々、これもアップデートしなければなあ、と思っている次第。ずっと置いて行かれていますからね……。今回のように『彼の名はウォルター』のような作品をネットサーフィン中に見つけると、なおさらそう思ってしまいます。

     ついでながら、大人になってから見つけた児童ミステリーの中の名作で、子供にも大人にも読んで欲しいものをちょっと紹介しておくと、ジェラルディン・マコーリアン『不思議を売る男』(偕成社)がその一つ。古道具店で働くようになった謎の男を、主人公とその母親は「なんだか怪しい」、と思ってみていたのが、古道具の来歴をお客さんに語って聞かせるその話術に段々と魅了されていく……という構造の連作短編集で、実にしゃれの効いたオチが待っています。ある意味でねじれた構成なのですが、ちゃんとミステリーとしてもファンタジーとしても成り立っているのがたまらないのです。また、連作シリーズとして新庄節美『雨あがり美術館の謎――名探偵チビー』(青い鳥文庫)なんかも名前を出しておきたい。青い鳥文庫にあるこの一作は、まさに雨と傘を使ったロジック勝負の一作で、子供向けながら実に本格的なのですが、子供の頃は青い鳥文庫に入っているこの一作しか知らず、他の作品は大人になってから借りて読んだ、という。私のお気に入りは豪快なトリックとそれによる犯人の絞り込みが気持ちいい『首なし雪だるまの謎』と、意外な構図と犯人の導き出し方が良い『泣き虫せんたく屋の謎』などです。これこそ、見つけるのが大変ですが……。

     さあ、そんなわけで、少々脱線しながら、今日は私を作った作家、エミリー・ロッダの新作『彼の名はウォルター』についてご紹介しました。これを機に、ジェニファー・ロウの新作を、どこか訳してくれまいか。絶対にまだ、面白いのが眠っているはずなんです。なんでもしますから。お願いします!(主に飯田橋と神田に向けて)

    (2022年2月)



第32回2022.02.11
かくして阿津川は一人で語る ~あるいは我々を魅了する『黒後家』 の謎~

  • 笛吹太郎、書影


    笛吹太郎
    『コージ―ボーイズ、あるいは
    消えた居酒屋の謎』
    (東京創元社)

    宮内悠介、書影


    宮内悠介
    『かくして彼女は宴で語る
    明治耽美派推理帖』
    (幻冬舎)

  • 〇『黒後家蜘蛛の会』について

    『黒後家蜘蛛の会』って最高ですよね。

     いつもはその時々の書誌情報とかそれ的なニュースから入ることにしているのですが、今日はここから始めるだけでも十分だろうと思い、いきなり本題に入りました。と、いうのも、最近「いいなあ」と楽しく手に取った本のことごとくが、アイザック・アシモフ『黒後家蜘蛛の会』(創元推理文庫)に連なる安楽椅子探偵の要素を秘めていたからです(以下、『黒後家蜘蛛の会』『黒後家』と表記するときは作品名を、〈黒後家蜘蛛の会〉と表記するときは作中における会の名前を指します)。

     例えば、石持浅海『新しい世界で 座間味くんの推理』(光文社)は、沖縄県座間味島のTシャツを着ていたというだけで「座間味くん」と名付けられた男が、酒席において持ち出された事件を、話を聞いただけで快刀乱麻解き明かしていく連作短編集の最新作。初登場の『月の扉』が長編で、以後、連作短編集としてシリーズ化し、連作短編集としては四冊目にあたります。第三短編集の『パレードの明暗』の文庫解説において、私は座間味くんの推理の魅力を語らせていただきましたが、本作『新しい世界で』でもその魅力は健在です。『月の扉』でハイジャック事件の人質となった赤ん坊が今や成人となり、座間味くんたちの酒席に混じるというのも乙な趣向ですが、毎回毎回、飲む店を選ぶときのやり取りや、美味い居酒屋メシを食べる時の描写にも、和んでしまうのが嬉しいところ。ミステリー的には、意外な着眼点から著者らしい構図が立ち現れる「雨中の守り神」「安住の地」、またシリーズファンなら思わずニヤリとしてしまう趣向が見所。

     また、水生大海『ランチ探偵 彼女は謎に恋をする』(実業之日本車文庫)は、ドラマ「ランチ合コン探偵 ~恋とグルメと謎解きと~」の原作となったシリーズの最新作。昼休み一時間と時間有給一時間を合わせて、ランチ合コンに勤しむ阿久津麗子と、謎に目がない天野ゆいかのコンビが、今回も謎に挑む――というところまでは従前通りですが、本作ではコロナ禍を巡る情勢が絡んでくるのが特徴で、オンライン合コン(!)まで開催されるという。『黒後家』的だと感じるのは、合コン相手、つまり『黒後家』でいう「ゲスト」が毎回謎を持ち込んでくれるところでしょう。これが実に愉快で楽しい。

     あるいは、田中啓文『シャーロック・ホームズたちの新冒険』(創元推理文庫)に収録の「二〇〇一年問題」。実在・架空の偉人たちへのオマージュを込めた本格ミステリ 短編集の第二弾で、「二〇〇一年問題」では、アイザック・アシモフがアーサー・C・クラークに宛てた書簡を巡って、「黒後家蜘蛛の会」のメンバーが推理を繰り広げるという、なんとも愉快で楽しい逸品。何よりも人を喰ったオチが最高で、これぞ、田中啓文の小説だ! と喝采したくなります。いわゆる『黒後家』オマージュ作品でアンソロジーを組むなら、絶対に収録したい(他に何があるんだと言われると悩みますが、 森博嗣『地球儀のスライス』(講談社文庫)収録の「石塔の屋根飾り」などもかなり再現度の高いオマージュと言えそうです。謎そのものが、『黒後家』で扱われそうな質感のものである、というだけでなく、ラストの一行に『黒後家』のヘンリーが持つ洒落っ気が完全に再現されています)。

    『シャーロック・ホームズたちの新冒険』は文庫化なので厳密には最新作ではないのですが、田中啓文は2020年にも、『竹林の七探偵』(光文社)という、中国版『黒後家』とでもいうべき作品を書いていて、これは竹林の七賢が酒を飲みながら謎(作中では「疑案」と呼ばれる)を解き明かしていくのですが、謎を解く存在というのが、非常に変わった、意外な存在なのです。まあ、『黒後家』のヘンリーもまた、当時の社会環境などを考えれば一人の「見えない人」なわけで、探偵役の意外性は『黒後家』オマージュにはぜひ求めたいところですが、その意外性だけ抜き出せば、『竹林の七探偵』にかなう本はないでしょう。

     ……と、まあ、『黒後家』オマージュ小説から、これから取り上げる二作を除いてザッと見てきたわけですけど、ここできちんと、『黒後家蜘蛛の会』そのものについても書いていきましょう。

     本当なら、一切の要素を伏せてまずは原典を読んでもらいたいのですが、ある程度、作品の内容に触れざるを得ないところはあります。〈黒後家蜘蛛の会〉とは、特許弁護士、暗号専門家、作家、有機化学者、画家、数学者の六名、そして給仕のヘンリーからなる、〈ミラノ・レストラン〉における晩餐会です。月に一回、ゲストを招き、そのゲストにこう尋問を始めるのをルーティーンとしている、すなわち――「あなたは何をもってご自身の存在を正当となさいますか?」。要するに職業やその仕事の内容を聞く質問ですが、この質問に、ピリッとした、ゾクッとくる緊張感を感じるのもまた事実(この質問をされた時、私なんて、どんな風に答えればいいんだろうと逡巡してしまいます)。

     その尋問の中から、謎が現れてきて、会のメンバーが色々議論して真相に迫っていき……というのが恒例の流れ。つまり、(1)ゲストの話がメインになるまでの六人+給仕ヘンリーの和やかな会話、(2)ゲストの会話、謎の出現、(3)議論、(4)ヘンリーによる解決 、というセクションから成り立っていて、これをストイックなまでに守っているのがこの連作なのです。先に挙げた田中啓文「二〇〇一年問題」が冒頭から新鮮な驚きを感じさせるのは、この過程の中に描かれない、「それぞれのメンバーが〈ミラノ・レストラン〉に現れる瞬間」の描写があるからです。というか、それ自体が新鮮に感じる程、原典はストイックな構成に徹していると言えます。

    『黒後家蜘蛛の会』のお気に入り短編を挙げていけば、なんと言ってもたった一度きりのサプライズと心憎いラスト一行が素晴らしい「会心の笑い」(第一巻)、いわゆる「古典ミステリー」が秘める輝きが凝縮されたような良いトリック「電光石火」(第二巻)、タイトルからして素晴らしいし結末も良い「地球が沈んで宵の明星が輝く」(第二巻)、お得意の領域で筆が冴え渡る「欠けているもの」「かえりみすれば」(第三巻)、〈黒後家蜘蛛の会〉が女人禁制であることが露骨に現れたエピソードで、唯一女性がゲストとなる回であり、面々の意外な反応が面白い「よきサマリア人」(第四巻)などなどですが、ここに挙げなかった短編も、覚えている内容とタイトルがすぐ繋がらないだけで、いずれも心に染み入ってくるような良い作品なのです。

     未だに――というか、これ以上に、『黒後家蜘蛛の会』という作品集に満ち満ちた「幸福」な光を閉じ込めた言葉を他に知らないので、瀬戸川猛資『夜明けの睡魔』から一部を引用します。『黒後家蜘蛛の会』について述べた、以下の文章です。

    “傑作短篇がずらりと並んでいる、というわけでもない。小味な作品が多いし、“頭の体操”みたいな他愛ないものもある。しかし、冬の夜、ストーブの傍に腰をおろして、コーヒーを片手にこの本のページを繰っていると、なんとも表現しようのない感動がこみあげてくる。ずっと昔に忘れてしまった推理小説を読みはじめた頃の感じ、シャーロック・ホームズやブラウン神父の一篇一篇に覚えたあの懐かしい感動である。”(瀬戸川猛資『夜明けの睡魔』、p.66)

    『黒後家蜘蛛の会』以上に、私の中で、この瀬戸川の文章への感動が大きいせいか、今でも私は、冬になると無性に『黒後家蜘蛛の会』を読み返したくなります。タイトルだけ見ても内容を思い出せない短篇を一つ選んで、あの懐かしい、〈黒後家蜘蛛の会〉の面々に会いに行くのです。

     ここで、いわゆる『黒後家蜘蛛の会』オマージュに求めたい要素を列挙してみます。

    ① 複数名の会員にゲストを加える形で、そのゲストが謎を持ち込む形式であること(酒席、そうでなくても食事の描写があると完璧)
    ② 事件の前段の語り+事件の説明+検討+解決の四部構成を守っていること
    ③ 給仕に限らず、謎を解き明かす存在は意外な人物であること

     ここで補足的な要素として、「④事件の説明パートはストイックに間接話法のみで語られる」というのを加えてもいいかもしれません。事件の捜査パートは動きを持たせて書いた方が読者にとっても読みやすくはなるし、この手法を取り入れている作品もありますが、『黒後家蜘蛛の会』のような作品ではレギュラーキャラクターの人数が多く、読者が読みたいのも彼らのやり取りなのですから、どうしても間接話法になるのはやむを得ない……というところでしょうか。原典『黒後家蜘蛛の会』でも、ゲストが一人で事件についてバーッとひとまとめに語るのは異例のようです(第四巻の「バーにいた女」がひとまとめにゲストの語りで構成された例)。

     さらにないものねだりをすれば、「⑤作者による「あとがき」が各編についていること」を加えてもいいかもしれません。私は『黒後家蜘蛛の会』の各編を読み終わった後に、アシモフの愚痴めいたあとがきを読むのが大好きなのですから。ここまで条件を加えると、私の求めるオマージュとして達成されているものはほとんどありません。前に挙げた例で言うと、田中啓文の「二〇〇一年問題」にはあとがきがあり、完璧ですが。最近この渇きを満たしてくれたのは、ロバート・ロプレスティの短編集『日曜の午後はミステリ作家とお茶を』『休日はコーヒーショップで謎解きを』(創元推理文庫)でしょうか。各編はいわゆる『黒後家』流というわけではなく、もっとバリエーションに富んでいて、手を替え品を替え楽しませてくれますが、ロプレスティの人柄がにじんだあとがきが、何よりの楽しみというわけです。

     ここに①~⑤の要素を挙げてみましたが、これを全て守っていなければだめ! というわけでは当然ありません。これまでに挙げた『黒後家』オマージュの作品も、全て当てはまっているというわけではなく、むしろ、これらの要素の何かを強調したり、切り取ったりするなかで自分の作品を作ってきたと言えます。たとえば『黒後家』の新版解説を担当している東川篤哉の『謎解きはディナーのあとで』(小学館文庫)は、まさに安楽椅子探偵ものですが、④の要素については、宝生麗子による捜査パートは彼女の視点から描かれていますし(そのおかげで風祭警部という名キャラクターも生きるのです)、ここではむしろ、『黒後家』の給仕ヘンリーがもつ、恭しく喋りながらも、毒や皮肉を滲ませているような慇懃な喋り方を誇張し、影山というキラーキャラクターを生み出したことに大きな価値があるわけです(一方、『黒後家』と同時発生的に生まれた鮎川哲也の傑作シリーズである〈三番館〉シリーズも、また別のラインで多くの後続者を生んでいると思います。「春の驟雨」「竜王氏の不吉な旅」「中国屏風」「走れ俊平」「百足」「X・X」「鎌倉ミステリーガイド」あたりが好きです)。

     さて、なぜここで、瀬戸川の言葉を引き、〈黒後家〉オマージュに求める要素を挙げてみたかというと、これから紹介する二冊の新刊――私が試みに挙げた要素を全て満たして『黒後家蜘蛛の会』に完璧すぎるオマージュを捧げた二冊の新刊には、あの「なんとも表現しようのない感動」が存在するからです。そして、その感動に至るプロセスが、この二冊では微妙に異なるからです。ということで、今日は延々と『黒後家蜘蛛の会』とその周辺作の話をします。しばしお付き合いを。

    〇コージーミステリーの新たな古典!

     さて、一冊目の『黒後家蜘蛛の会』オマージュの新刊は、『コージーボーイズ、あるいは消えた居酒屋の謎』です。十一月の刊行なので、もうお読みになった方も多いかと思いますが、もう一冊の新刊とセットでご紹介したかったので、ずっとストックしていた次第です。

     少し大げさかもしれませんが、この作品集、既に東京創元社のミステリー短編集のマスターピースになり得る強度としなやかさを秘めた連作だと思っています。「ミステリーズ!」掲載時に「コージーボーイズ、あるいは消えた居酒屋の謎」を読んだ時に、『黒後家蜘蛛の会』のフォーマットを律儀なほど踏襲していることに敬服し、意外な「見えない居酒屋」のトリックに膝を打ち、何より、実に泡坂妻夫の伏線的な、ある部分の手掛かりにニヤリとさせられてしまったのです。

     まずは本書のミステリー的な魅力を掘り下げてみましょう。フォーマットは完璧に『黒後家蜘蛛の会』をなぞっていますが、本書が素晴らしいのは、伏線やヒントの堂々とした書きぶりです。読者に真相がバレてもいっそかまわない、というほど、ヒントは明々白々に置かれているのに、気付けない。そんな絶妙なバランスを突いています。試験問題で言えば、いわゆる「部分点」を取れる短編はあって、「この部分の構図だけは分かったぞ」と思いながら読むわけですが、すると、「あっ! そんなところにもう一つ手掛かりがあったのか!」「その手掛かりも綺麗に繋がるのか!」という驚きがあったりする。この塩梅が、実に気持ちいいんですね。すれっからしのミステリーマニアも泣いて喜ぶ充実ぶりです。

     私が特に好きなのは、「コージーボーイズ、あるいはロボットはなぜ壊される」です(以下、短編のタイトルは全て「コージーボーイズ、あるいは」を除いた形で表記しています)。なぜ子供は宝物にしていたロボットを壊したのか――というのがメインの謎なのですが、私はサブになっている謎の、「ある一言」のロジックに感服してしまいました。都筑道夫の短編「写真うつりのよい女」(『退職刑事1』収録)に、たった一言を論理的に突き詰めて解釈していくと、事件の構図がガラッと変わってしまうという、都筑のいう「論理のアクロバット」を体現したような趣向があるわけですが、「ロボットはなぜ壊される」には、あの感動をまざまざと思い起こさせるものがありました。

     また「謎の喪中はがき」には、誰も死んでいないのに送られた喪中はがき、という、様々な解釈が付けられそうなユニークな謎に対して、これまたユニークな解決がつきますし、「見知らぬ十万円の謎」では、お金が減るという謎は見たことがあるけれど、その逆をいって「増える」というひねった謎作りもしてあって、手を替え品を替え、各編で楽しませてくれます。また何よりも嬉しいのが、著者・笛吹太郎の人柄がにじむ各編のあとの「付記」で、特に「ロボットはなぜ壊される」における取材のエピソードや、「ありえざるアレルギーの謎」の意外なネタ元など、作品の裏話に思わず顔がほころんでしまうこと請け合いです(各編末尾の「付記」だけでなく、本の終わりにも「あとがき」がついているのも嬉しい)。

     ネタバレ有で、各編について大いに語りたくなるほど、本書のミステリーとしての充実度は素晴らしいのですが(どの短編が好き!? という話題だけで、既に三回のオンライン飲み会が大盛り上がりしました。飲み会の救世主、笛吹太郎)、本書が〈黒後家蜘蛛の会〉オマージュとして優れている点はそれだけではありません。形式、トリック、伏線。ミステリーの核に宿る感動がきちんとある上に――そう、ここには。

     この連作には、『黒後家蜘蛛の会』が持つ「おとぼけ感」が、しっかり存在するのです。

    『シャーロック・ホームズたちの新冒険』収録の「二〇〇一年問題」において『黒後家蜘蛛の会』の完璧なパスティーシュを書いた田中啓文は、同書のあとがきでこう述べています。

    “私はダジャレ小説の総帥であるアシモフ大先生の『黒後家蜘蛛の会』がめちゃくちゃ好きで、折に触れ読み返しては、あー、こんな風にダジャレひとつで一篇書いてもいいんだなあ、アシモフ大先生がやってるんだからいいにちがいないなあ、などと自己正当化を行っているわけだが、本作はコンピューターの「二〇〇〇年問題」に引っ掛けたネタである。”(同書あとがき、p,334)

     うはは、と思わず笑ってしまうではありませんか。そう、そう、そうなのである。「ダジャレ小説の総帥」。これほどアシモフの一側面を、容赦なく切り取った言葉はないではないか。もちろん、田中啓文がアシモフを愛していることは、「二〇〇一年問題」の完成度を見れば一目瞭然なのですが、四角四面にしゃちほこばったミステリー読みからは、この表現がなかなか出てこなかったでしょう。

     つまり、『コージ―ボーイズ、あるいは消えた居酒屋の謎』という作品集には、あの「ダジャレ小説の総帥」アシモフが持っていた、冗談感というか、トボけた味わいが宿っているのです。たとえば、「コーギー犬とトリカブトの謎」では、あとがきにおいてそのものずばり、「駄洒落の効用」について語っています。作品作りや発想を膨らませる段階で、アシモフ流の「駄洒落」感が生きているのは間違いありません。謎解きこそ、本格ミステリ作家クラブ編のアンソロジー『本格王 2021』に取られたほど本格派ですが、そもそも「消えた居酒屋の謎」の真相からして、実にぬけぬけとしているではありませんか。

     ダジャレ全開時のアシモフのようにトリビア的な頭の体操で一本持たせている、というわけではなく、各編きっちりと本格謎解きなのは凄いことですが、その背後には、思わず顔が綻ぶような、おとぼけた空気が備わっているのです。その空気の中でぬくぬくと温まりながら、堂々と提示された手掛かりから真相を読み解くワクワクを味わい、謎解きがもたらす「なんとも表現しようのない感動」を味わうことが出来る。これは、そんな作品集です。

    〇風太郎の明治小説×チェスタトンの逆説=博覧強記のエンタメ連作

     もう一冊の新刊は宮内悠介の最新刊『かくして彼女は宴で語る 明治耽美派推理帖』です。「小説幻冬」にて、隔月で一年間連載されていた連作短編シリーズで(雑誌掲載時タイトルは「牧神に捧ぐ推理」)、私は雑誌の頃から一話ごとに感嘆しながら読んでいました。

     木下杢太郎、北原白秋、石川啄木などなどそうそうたるメンツが隅田川沿いの料理店「第一やまと」に集い、若き芸術家たちのサロンが開かれていた。それを「 の会」といい、メンバーの出入りがありつつも、月に数回開催されていました。このメンバーの異同についても史実に基づきつつ、宮内悠介が史実の空隙を縫うように推理譚を繰り広げるというわけ。森鴎外が巻き込まれたという、乃木大将の菊人形が殺された事件(第一回「菊人形遺聞」)、華族の屋敷において発生した、野口男三郎事件の再来かと思われる残虐な嬰児殺害事件(第三回「さる華族の屋敷にて」)などなど。酒席における推理合戦のさなか、謎めいた女中・あやのが言葉を発し――。

     とくれば、これはまさしく、『黒後家蜘蛛の会』の本歌取りであると、皆様も納得されることでしょう。『黒後家蜘蛛の会』において、事件説明に入る前の、当時の時勢を語ったり伏線を仕込んだりするパートが、本作では若き芸術家たちのエピソードや、当時の隅田川、両国橋、東京勧業博覧会などの風物描写にあてられる形。これがもう、たまらないんですよね。第30回の『偽装同盟』の回でも書きましたが、土地勘のあるところの風物描写をじっくり楽しめる小説って、それだけでたまらないんです。そして、名士たちが次々登場し、その史実が見事に生かされるあたりは、山田風太郎の明治小説の作法も思い起こさせます。

     今回の短編集はとにかくこうしたディティールが魅力で、そもそも、第一話に出てくる牛鍋の描写からして、とんでもなく美味そうなんです。一人一人の芸術家の人間描写も的確で、くっきりしている。こうしたディティールの良さの背景には、一編の資料読みに二週間半もあてる(「小説幻冬」2月号のインタビューより)という作者自身のこだわりが滲んでいるわけですが、さらに、作者がTabtterで公開しているように、校閲者の鋭い指摘があるというのも面白いところ(「『かくして彼女は宴で語る ――校閲ベストテン』)。作者と作品、そして校閲者の幸福な出会いを巡る、刺激的なエピソードとして併読をオススメします。各編の末尾についた「覚え書き」にも、徹底した資料読み・校閲の成果が見て取れます。

     ちなみに、「小説幻冬」2月号のインタビュー記事も面白く、宮内の執筆の動機に、自らの推しである木下杢太郎について「私の推しを知ってくれ!」という思いがあったことが分かり、これまたニヤリとさせられます。

     閑話休題。第一回、「菊人形遺聞」を読んだ時から、もう感動。ここにあるのは、実にチェスタトン流の逆説の世界です。そもそも「美のため美」という標語から、私が連想したのが、チェスタトンの登場人物たち――現実から遊離した世界に生きているかにみえる、独特の行動原理を持った人々のことでした。パンの会が行われた1908年からの数年間といえば、チェスタトンが『正統とは何か』を著し、数年後には『ブラウン神父の童心』が刊行されるという時期。ちょうど時代感が重なった、というのもあるかと思いますが、理と思想、政治と芸術の距離という意味でも、この連作はチェスタトンの世界を思い起こさせてくれました。そこに、いわゆる「D坂」の土地や、横溝正史の『犬神家の一族』を想起させる菊人形という要素まで重なっているのですから、古典ミステリー好きにとってこれほど贅沢な作品もありません。

     もともと、私は宮内作品が大好きで、デビュー作『盤上の夜』(創元推理文庫)を発売当時に手に取った時から感動しっぱなしだっただけに、『月と太陽の盤 碁盤師・吉井利仙の事件簿』(光文社文庫)や『超動く家にて』(創元推理文庫)などで宮内ミステリーを読めた時には嬉しくてたまりませんでした。SFの中でも『彼女がエスパーだったころ』(講談社文庫)などは実に硬質で鋭いミステリー短編集の貌も併せ持つ傑作短編集だと思っています。そんな宮内悠介が、満を持して、ミステリー好きが抱く「ツボ」を全て積載し、古き良き本格ミステリーに立ち返り、推理エンタメのど真ん中を攻めてきたのが、本書だと思うのです。

     個々の短編でのお気に入りは、第三回「さる華族の屋敷にて」における、時代背景を生かした死体損壊のホワイダニットの妙と、第四回「観覧車とイルミネーション」における推理のポイントの隠し方、そして最終話で明かされる趣向の途方もないエモさ……ここでとにかく感動するのは、これまでの『黒後家蜘蛛の会』ものになかった、青春小説としての味わいなのです。

     冒頭の引用からして最高なんですよ。

    “若い芸術家が芸術より他の何ものをも見なかつた時代だ。真のノスタルジアと、空想と詩とに陶酔し、惑溺した時代だ。芸術上の運動が至醇な自覚と才能から出発した時代だ。芸術家の心の扉に、まだ「商売」の札が張られなかつた時代だ。人生は美しかつた。永遠の光に浴してゐた。
     ――長田幹彦(「パンの會」野田宇太郎)”

     そう、これこそが『かくして彼女は宴で語る』に宿る「感動」の核心ではないでしょうか。チェスタトン流の世界観や謎解きの味わい以上に、一人一人が芸術を紡ぎながら、「永遠の光に浴し」ながら、理想を、自分たちを、語らい尽くすその集まりそのものに、清冽な「感動」が宿っているのです。それこそ私が「青春小説としての味わい」と言った部分で、この部分は各編のエピローグの部分で忘れ難い余韻を残してくれます。

     若い芸術家たちが言葉でやり合うのを読むことさえ、今から思えば「永遠の光」を感じる営みと言えるかもしれません。そう思うのは、ドキュメント映画の「三島由紀夫VS東大全共闘」を最近見たからかもしれません。これは東大の900番講堂に三島由紀夫が単身登壇し、東大全共闘の学生たちと二時間半にわたる激論を繰り広げた記録なのですが、この字面を見るとかなり物騒な内容を想像してしまいますが、そうではない。むしろ、学生たちの主張を三島が受け止めながら、ユーモアをもって応答していくさまが克明に写し出されていて、学生たちの方にも思わずこぼれるような笑いがある。私はなぜかその光景を見て終盤、涙が止まらなくなったのです。三島のその後を想像したせいではありません。元東大全共闘としてインタビューを受けたうちの一人である芥正彦が、当時を振り返り、「媒体として言葉が力があった時代の最後」という言葉を言うわけですが、その言葉から想像される、あたたかで、力強い光を、画面の中から感じ取ったからかもしれません。

    『かくして彼女は宴で語る』に閉じ込められているのは、力を持った言葉たちが若き芸術家たちの信念を体現し、ときに抉っていた、そんな時代の光です。読むとほのかな苦みと共に、爽やかな風が心の中を吹き抜けていくような、そんな気持ちの良い作品になっています。

    〇このご時世に『黒後家蜘蛛の会』を読むということ

     それにしても、〈黒後家蜘蛛の会〉オマージュ作品を立て続けに読むと、なんとも幸福に満ちた気分がしてきます。これはなぜなのだろうと思った時に、ふと腑に落ちました。このご時世で、気の合う仲間と、酒席を共にして語らうということそのものが、やりにくくなっているからです。

     外に出て飲めない代わりに、荻窪のカフェ〈アンブル〉へ、明治末期の隅田川「第一やまと」へ、あるいはニューヨークのミラノ・レストランへ。作中に出てくる料理の描写がやたらと美味しそうに感じるのも、今、こうして家で本を開いていることの効用があるかもしれません。

     そう思って読み返していたら、例の二冊と『黒後家蜘蛛の会』の共通点を、また一つ見つけました。

    “ルールは二つ、作品の悪くちは大いにやるべし、ただし人の悪くちはいってはならない。もっとも後者の誓いはしばしば破られる。”(『コージ―ボーイズ、あるいは消えた居酒屋の謎』、p.7)

     そして、『かくして彼女は宴で語る』には、酒席で悪口を語るメンバーの様子を受けて、こんな描写が。

    “陰口にはやや眉をひそめるものがあったが、『巴里の美術學生』にはこうもある。
     ――能く飲み、能く喋り、又た能く悪口を云ふ奴である。
     当時のヨーロッパの美術学生を評した言葉だ。これを思い出し、それとなく静観した。“(『かくして彼女は宴で語る』、p.14)

     時代と場所を超えて、酒の入った席の雰囲気というのは、変わらないものかもしれません。そういえば、〈黒後家蜘蛛の会〉も冒頭から必ず誰かがやり合っている気がします。その雰囲気をしっかり留めているからこそ、例の二作は『黒後家蜘蛛の会』に並びうる作品になるのではないかと感じられるのです。

     ところで、この2作品の作者によるトークショーが、今月下旬に開催されるようです。なんと豪華な。その日は、お二人と酒席を囲んでいるような気持ちで、酒を持ってパソコンの前で聞こうかな、とか思っています。……ああ、こんなことを書いていたら無性に酒が飲みたくなってきた。日本酒を持ってこい! 私は「菊人形遺聞」を読んでから、牛鍋が喰いたくて仕方ないんじゃ!

    (2022年2月)



第31回2022.01.28
たった一人で、不可能の極致に挑む男 ~しかし、ユーモアだけは忘れない~

  • アンディ・ウィアー、書影


    アンディ・ウィアー
    『プロジェクト・ヘイル・メアリー』
    (早川書房)

  • 〇「ジャーロ」の新連載について

     先日、私のバイブルの一つである評論本が電子で復刊されました。千街晶之(以下、本文中敬称略)『水面の星座 水底の宝石 ミステリの変容をふりかえる』がそれです。2001年から2003年にかけて「ジャーロ」で連載されたものに加筆修正を加え単行本化したもので、単行本が長らく入手困難となっていたのです。本書の特徴は、ミステリーというジャンルが内包する〈歪み〉に焦点を当て、テーマごとにその〈歪み〉のありようを描出してくれるその手際にあります。

     例えば、第二章「宙吊りのシンデレラ」(まずこのタイトルが最高……)においては、セバスチャン・ジャプリゾ『シンデレラの罠』を題材とし、趣向ばかりが取りざたされる『シンデレラの罠』の分析を行ったのち、そこから派生していった諸作を紐解いていきます。私は高校生の頃に読んだ『シンデレラの罠』が前評判ほどすごい本なのか分からず、首をひねってしまった時に、「宙吊りのシンデレラ」を読んだので、いたく感動したのでした。当時からミステリー映画に夢中だったので、シャマランの『アンブレイカブル』から始まる第六章「操るものの座」に興奮したこともありありと覚えています。

     本書をことあるごとに読み返し、咀嚼する中で私が出来たと言っても過言ではなく、若島正の〈乱視読者〉シリーズ、法月綸太郎の評論諸作、巽昌章『論理の蜘蛛の巣の中で』、諏訪部浩一『ノワール文学講義』『「マルタの鷹」講義』と並んで、私の永遠のバイブルの一つです。

     本日発売開始の「ジャーロvol.80」では、そんな千街晶之の「ミステリから見た『二〇二〇年』」という連載が始まり、私も興味津々。第一回を読むと、コロナ禍におけるミステリーの「変容」のありようが、しっかりと同時代性をもって記録されるような思いがして、なんとも心強いのです。

     しかもしかも、今号では杉江松恋による新連載「日本の犯罪小説 Persona Non Grata」第一回も始まったのです。第一回は「はらわたを喰い破れ」というタイトルで、大藪春彦の『蘇える金狼』を取り上げているのですが、あまりにも紹介が面白く、思わず『蘇える金狼』を即座にポチってしまいました。ううむ。また本が増えてしまった。

    「紙魚の手帖 vol.2」(東京創元社)からは若島正の「乱視読者の読んだり見たり」が連載開始していますし、こんなに幸せでいいのだろうか。

     あ、「ジャーロ vol.80」には、拙作「六人の激昂するマスクマン」も掲載していただいています。まさかまさかの学生プロレス回。これでジャーロ・ノンシリーズ短編も四本溜まりました。積もる話は、短編集のあとがきで、ということで。

    〇ラファティのSFは素晴らしい

     ここからは一月刊のお話。R・A・ラファティ『とうもろこし倉の幽霊』(新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)の紹介から始めます。

     早川書房は、『町かどの穴』『ファニーフィンガーズ』と、ラファティの傑作短編集を二冊連続で刊行してきました。『町かどの穴』については、第28回のSF特集回で紹介しました。『ファニーフィンガーズ』も今月の前半にようやく読み終わりましたが、これまた傑作でしたね……アンファン・テリブルもののミステリーまで収録されているんですよ。

     で、この二冊は、翻訳のある作品の集成という側面が強かったのに対し、『とうもろこし倉の幽霊』は全篇初邦訳の全9篇というのですからたまりません。ファンにとっては、まさにマスト・リードな一冊に仕上がっていると言えましょう。ラファティらしい人を喰った幽霊譚である表題作、これほどの傑作がまだ訳されていなかったとは! と一読喝采する「下に隠れたあの人」、ラファティの語りの魅力にじっくりと浸れる「チョスキー・ボトム騒動」「さあ、恐れなく炎の中へ歩み入ろう」などがお気に入り。

    『町かどの穴』『ファニーフィンガーズ』『とうもろこし倉の幽霊』で、すっかりラファティの虜になってしまいました。折に触れて読み返す大切な三冊になると思います。

    〇アンディ・ウィアーのSFは面白い!

     で、もう一冊、またしてもSFのご紹介なのですが……いやぁ、とんでもなく面白いですよ、『プロジェクト・ヘイル・メアリー』。

     実を言うと、「とんでもなく面白い」というところまで読んでもらったら、今日はこのページを閉じていただいてもいいくらいです。私は今から、未読の方の興を削がないよう全神経を使ってこの本の魅力を書いていきます。要するに、「何も分からない状況からスタートする」ということにこの本のミソがあるわけで、だから何かを書いてしまうごとに、読者の驚きを損なってしまうのではないか……と思うのです。本当に可能なら、あらすじや帯にも目を通さずに読み始めてほしい。

     という弱音はさておき、アンディ・ウィアーの話をしましょう。ウィアーのSFの最大の魅力は、「『手の届く範囲から始める』という感覚を手放さない」ことだと思います。どんなに壮大な宇宙開発SFを展開するときにも、まずは目の前、目の届く範囲の現実をしっかりと描き、そこから始めてくれるのです。だからこそ、元来がSF者でない私のような人間も、スッと作品世界に入り込める。「そこ」から描いているからこそ、デビュー作『火星の人』はあれだけの傑作たり得たのだと思います。『火星の人』は、宇宙飛行士マーク・ワトニーが火星にたった一人で取り残されてしまい、そこで植物学とエンジニアとしての知識を総動員して、なんとか火星で生き延びようとする、という筋です。マークが「今」「目の前に」あるものだけで、自分の命を守り、食いつなぎ、地球と交信しようとするその過程を描くだけで、600ページもの大作になっているのですが、そのトライアル&エラーの過程が一切の飛躍なく、丹念に書かれていることで、これは傑作になっているのです。

    『プロジェクト・ヘイル・メアリー』にも、その感覚は生きています。冒頭だけ、冒頭だけ書くのを許してほしいのですが、本作の主人公は、大宇宙にたった一人取り残されているというシーンから始まるのです。「え、『火星の人』と同じってこと?」と思ったそこのあなた、え~っと、ここだけ聞くとそうなのですが、中盤から全然違う地点へとカッ飛んでいくのでご安心ください。今回もっとすごいのは、この主人公は自分の名前さえ思い出せず、記憶喪失の状態にあり(!)、自分以外のクルーは全員死亡している(!!)ということ。つまり、自分が誰なのか、周りの死体が誰なのか、この宇宙船はなんなのか、そもそも、「なんで自分は宇宙にやって来たのか」さえ分からない状態で、今回の冒険はスタートすることになります。

     ある意味で、強烈な「謎」ということが出来るでしょう。無論、この「謎」をクローズアップする方向には進まず、主人公の正体も序盤であっさり判明することになりますが、冒頭、自分が置かれている状況から、船のメカニズムを解明するところからして知的興奮に満ち満ちています。このように、主人公は「今」「目の前」にある状況を徹底的に読み解くことで、生き残る道を、この宇宙進出ミッションの正体を解き明かさなければならない、ということになります。この過程が、べらぼうに面白い。ミステリー的なアプローチともいえる物語のギアの作り方は、第二作『アルテミス』とも通じてくると思います。

     そして前作、前々作と共通する最大の美点は、「主人公」のユーモアセンス、これに尽きます(厳密な意味でネタバレにならないようにすると、『プロジェクト・ヘイル・メアリー』の主人公の名前すら書けないという! もどかしい!)。そもそも『火星の人』のマーク・ワトニーからして、ようやくつながった地球との交信で下ネタを飛ばしてしまうような、ある種のコメディアンだったわけですが、今回もユーモアが本当に凄い。『プロジェクト・ヘイル・メアリー』では主人公が置かれている状況を描く「現在」と、彼が少しずつ過去の記憶を取り戻していく「回想」のパートに分かれていて、基本的に「現在」では主人公と自動音声ロボットの会話しかありません(このロボットとの会話も笑える)。「現在」はほとんど主人公の一人称の地の文だけで構成されているのですが、この地の文でもう……ボケ倒しているわけです。

     そのボケにシンプルに笑うもよし、心の中でツッコミを入れながら読むもよし……あまりにも絶望的な状況を描いているにもかかわらず、全く重くないのはこのユーモア溢れる文章のおかげですよねえ。カラッとして明るく、しかし、切迫感と緊張感は失わない絶妙のライン。

     主人公はなぜ宇宙に出たのか? 彼の目的は? 正体は? 彼の「作戦」は成功するのか? 多くの謎を抱えた物語は、いくつものツイストを見せながら上下巻600ページ、爆走することになります。特にあのシーンで……!

     ……と、さすがにこの先は語ることが出来ません。ただ一つ言えるのは、「『このジャンル』のSFにおいて、間違いなく、最高級の傑作と言える一作だ」ということだけです。

     ここでは、今は分からなくても、読んだ後に帰って来てもらえば何かしらピンとくるかもしれない話を。本書のタイトル”Project Hail Mary“の Hail Mary とは、直訳すれば「聖母マリアが降りてくる(アベマリア)」という意味になりますが、ここではアメフト用語の「ヘイルメリーパス」(”Hail Mary Pass”)のことを指すと考えられます。これは試合終盤、負けている方のチームが、タッチダウンによる逆転を狙って行うロングパスのことを指します。あまりに長距離で、神頼みのような様子からつけられた名前と言います。これがアメフト用語を意識してつけられたプロジェクト名であることは、たとえば上巻p.168などで、主人公がアメフト用語を使っていることから見ても明らかです。

     そう。この本で描かれるのは、絶体絶命の状況に置かれた彼――ひいては、人類が、自らの存亡を賭けて放った「ヘイルメリーパス」なのです(タイトルに合わせるなら「ヘイル・メアリー・パス」なのですが、とりあえずアメフトの訳語を優先しています)。アメフトのボールの代りに放たれたのが、この宇宙船、ということになります。宇宙に向けて放たれた、彼らの最後の希望。だけど、そのパスを受け取ってもらえなければ、彼らの希望は潰える。そんな絶望的で、最後の願いを込めたミッション――だからこそ、このミッションにはその名前がついているのです。

     その「パス」の行方はどうなるのか。答えはぜひ、読んで確かめてみていただい、ということで。600ページ上下巻も、一気読みの面白さですよ。

    (2022年1月)



第30回2022.01.14
佐々木譲は立ち止まらない ~歴史改変SF×警察小説、無敵の再出発~

  • 佐々木 譲、書影


    佐々木 譲
    『偽装同盟』
    (集英社)

  • 〇復刊本の話題から

     12月にも言及した山田風太郎の『黒衣の聖母 山田風太郎傑作選 推理篇』に続き、今月『赤い蝋人形 山田風太郎傑作選 推理篇』が刊行されました。赤と黒で好対照の装丁が美しい二冊となっています。個人的には、『黒衣の聖母』の私の推薦文と、『赤い蝋人形』の米澤穂信推薦文が、また違ったスタイルで対称をなしているのが嬉しいところでした。『赤い蠟人形』には、ホワイダニットの傑作「新かぐや姫」も収録されていますし、表題作において、犯行計画の中に「偶然」を巧みに組み込んで運命のいたずらを描いて見せる手際には惚れ惚れさせられます。超おすすめですよ。ちなみに河出文庫からは、塚本邦雄『十二神将変』も復刊されています。これには驚きました! 現代短歌の巨匠が生み出した、言葉と事件の妖しいイメージにどっぷり酔いしれることが出来るミステリーで、私は『本格ミステリ・フラッシュバック』で言及されているのを見て存在を知りました。270ページほどの本なのですが、大学生の頃の私(いまより速読でしかも元気!)が読み通すのに一週間かかったほど、濃密で濃厚だったのを覚えています。良い本です。

     復刊関係で驚いたのは、柴田錬三郎『第8監房』(ちくま文庫)でしょうか。この原稿を書いている時はまだ発売していないので読んでおりませんが……。2014年(大学生の頃)に、『幽霊紳士/異常物語 柴田錬三郎ミステリ集』が創元推理文庫で出て、「そうなんだ! 柴田錬三郎って眠狂四郎のイメージしかなかったけど、ミステリーも書くんだ!」と気付かされたのです。特に連作短編集『幽霊紳士』の、幽霊が解決編でぬるっと出てきて「……仕損じたね」の一言から全てを解決していく、その切れ味が好きだったんですよ。変種の安楽椅子探偵ものというか。で、その『幽霊紳士/異常物語』の解説だったかどこかに「眠狂四郎にもバカミスみたいなトリックの回がある」と書いてあるのを見たので、眠狂四郎を集めたりして……。私が好きな柴田錬三郎は『赤い影法師』です。それこそ山田風太郎の世界観とも通底するような感じですね。ということで、『第8監房』は超楽しみにしているので、この原稿が出るころには読んでいるでしょう。

    〇佐々木譲、圧巻の新シリーズ

     今日の新刊は佐々木譲の歴史改変SF×警察小説シリーズの第二弾、『偽装同盟』。日露戦争に負け、ロシアの統治下に置かれた日本――というパラレルワールドの設定こそSF的ながら、国家と組織、組織と個人の相克を描く熱い警察小説を展開してくれるのです。往年のスパイ小説などのように、「事件の解決が国家の利益にならないと判断した時、一人の警察官としてどうするべきか」という問いが立ち現れてくるのが、警察小説としての面白さであり、今の自分たちが国とどういう関係を取り結ぶべきか、考えるきっかけにもなるでしょう。

     第一作『抵抗都市』では、日本橋川・堀留橋の下から発見された変死体を巡り、警視総督直属の高等警察と、ロシア統監府保安課の介入を受けながら、警視庁特務巡査の新堂と西神田署の巡査部長・多和田の二人が、一つの死の真相と、その背後に蠢く国家レベルの陰謀を描出していく過程がスリリングでした。第二作『偽装同盟』は、一作目と同じく新堂が主人公に。冒頭のエピソードが実に巧みなのです。連続強盗事件の犯人を旅館で捕らえた矢先、その男がロシア高官の名前を出したせいで、ロシアの日本総督府保安課の預かりとなってしまい、捜査の過程が断ち切られる。新堂たちの置かれている国家と警察組織の相克をわずか20ページほどで突き付け、第一作から間が開いた読者にも、設定と彼らの状況を思い出させてしまうのが上手い。そのうえで、ロシア人街にほど近い神田明神の近くで殺された女性の死の謎に挑んでいく、というのが大体の筋。女性の身の上や、街の特徴も相まって、ロシア軍人が犯人である可能性があるため、一歩間違えれば国際問題に発展しかねない……という状況設定がキモになっています。

     で、ここが歴史改変SFとしてのポイントなのですが……この小説の冒頭に、本郷三丁目~御茶ノ水~東京駅あたりの地図が載っていて、路地や建物の名前が、ロシア統治下という設定の下に変更されているのです。こういうのが私、たまらないんですよねえ。もう学歴は明らかになっているので言いますが、東京大学出身というのもあり、この辺には土地勘があるので、頭の中で架空の町を思い浮かべてその中を歩くのが、とんでもなく楽しいんですよ。なんなら中高生の頃からこの辺で遊んでいたわけで……。たとえばニコライ堂が「復活大聖堂」という名前になって、ロシア人街の中心に置かれるように配置されていたり、本郷通りは日露戦争の時の軍人アレクセイ・クロパトキンの名前から「クロパトキン通り」と命名されていたり……。設定の一つ一つが上手いんですよね。これを眺めているだけでも一冊分の愉しみがあります。そのうえで、佐々木譲が今回、『偽装同盟』で殺人を起こした路地を思うと……あ~上手い、いい設定だ……。

    『このミステリーがすごい! 2022年版』内に掲載された、2022年中の各作家の新刊の予定を発表するエッセイ「私の隠し玉」の佐々木譲の欄を見ると、本書『偽装同盟』を含めて四冊の書名が公表されています。ほかの三作は『裂けた明日』『樹林の罠』『闇の聖域』というタイトルで、それぞれ、近未来SF、道警シリーズ、SFサスペンス、と書かれています。そう、つまり、歴史改変SFである『偽装同盟』を加えると、2022年中に佐々木譲が発表する予定である四作のうち、実に三作がSFの作品だということになります。

     佐々木譲は1950年生まれなので、今年で72歳ということになります。〈第二次大戦三部作〉で圧倒的な冒険小説のセンスを見せつけ(『ストックホルムの密使』大好き!)、『笑う警官』(旧題『うたう警官』)に始まる〈道警シリーズ〉等々で警察小説の頂点を極めた作家が(『警官の血』と『廃墟に乞う』が好き!)、今まさに、持ち前の技術を全て駆使して、SFという大きな山に登ろうとしている――私にはそんな風に見えてきます。まだまだ挑戦をやめず、更なるエンターテインメントを生み出すために山を登っていくその姿を、これからも追いかけていきたいと思います。

     ちなみに第一作『抵抗都市』は、ちょうど来週、1月20日頃に集英社文庫から文庫化されることになります。念のために書いておくと、『偽装同盟』には前作の致命的なネタバレは書かれておりませんが、順番に読んだ方が、新堂まわりの描写の面白さや、『偽装同盟』のラストシーンの感動は増すと思います。

    〇国家とSFに関連して

     また、現代の国家と人間のかかわりを考えさせられる歴史改変SFとして、今月の新刊からアンドレアス・エシュバッハ『NSA』(ハヤカワ文庫SF)も最後に紹介。

     これはナチス・ドイツが現代同様のネット環境を使えたとしたら――という設定で、政治・社会的な状況は第二次世界大戦時のナチス・ドイツのそれでありつつ、通信技術だけ、当時の水準としてはオーバーテクノロジーに設定されています。冒頭からいきなり、今でいうクレジットカードの使用履歴と、成人男性・女性の平均的な使用カロリーを世帯ごとに割り出したものを突き合わせることで、法律上はいないことになっている人間(つまり匿われている人間など)をあぶりだせるのではないか、という仮説が描かれて慄然とするのですが、それはまだまだ序の口。強権的な全体主義社会が情報をほしいままにするその恐怖……にページをめくる手が止まらない一作です。主役であるヘレーネの書きぶりがたまりません。上巻最後の地の文とか、思わず胸を突かれるような文章です。訳者あとがきに紹介されている、エシュバッハの未訳作にしてSFとスリラーの合わせ技だという『ソーラーステーション』が気になってしまうのは、ミステリー者のサガか。もっと読んでみたい作家です。

    (2022年1月)



第29回2021.12.24
法月綸太郎は我が聖典 ~“疾風”“怒涛”のミステリー塾、待望の新作!~

  • 法月綸太郎、書影


    法月綸太郎
    『フェアプレイの向こう側
    法月綸太郎ミステリー塾
    怒涛編』
    (講談社)

  • 〇クリスマスにはクリスティーを!

     昨年にもクリスマスに更新したこの読書日記。昨年はマイ・シューヴァル&ペール・ヴァールーの『笑う警官』(角川文庫)をクリスマスミステリーとして読む回をやってみましたが、今年もイブということで、クリスマスミステリーの話から始めましょう。

     今年はまさにそれにうってつけの新刊が出ております。早川書房から刊行のアガサ・クリスティー『クリスマスの殺人』がそれです。新訳の短編こそないものの、早川書房の各短編集に散らばっていたクリスティーのクリスマス短編が、一挙にまとまって掲載されているというのが素晴らしい。今年は『マン島の黄金』からアレを読もうか、いや、『謎のクィン氏』からアレか? いやいやそれとも……と悩む必要はもうありません。一家に一冊、『クリスマスの殺人』を。それだけで、クリスマスに読むミステリーに、生涯困ることはなくなるでしょう。

     クリスマスを書けばますます生き生きするクリスティーのこと、良い作品ぞろいですが、中でも嬉しいのは末尾に付属した「書誌情報」の詳細さ。イギリス版、アメリカ版の収録短編集の違いにまで言及しているのですから、その資料性の高さたるや。早川書房には珍しい函装丁も素敵で、棚に並べておくだけでも幸福感に溢れる一冊です。

    〇早川書房繋がりで宣伝も一つ

     今月、エイドリアン・マッキンティの〈ショーン・ダフィ〉シリーズ最新作、『レイン・ドッグズ』が発売になりました。解説を担当させていただいております。

     80年代、暴動に揺れるアイルランド情勢を活写しつつ、熱に溢れたハードボイルド×ノワールのクリティカルヒットを放ち続けてきた本シリーズも、遂に第五弾。尻上がりに良くなり続けているシリーズなのですが、本作『レイン・ドッグズ』もまた、前作(『ガン・ストリート・ガール』)の高いハードルを越えてきたのです。今回起こる事件は、キャリックファーガス城という実在の名跡での「密室殺人」だというところも、謎解きミステリーファンへのアピールポイント。

     解説では、〈ショーン・ダフィ〉シリーズを初めて手に取る方、あるいは、これまでの歩みを振り返りつつ、最新作の魅力を知りたい方に向けて、魅力を語りまくっております。ぜひ、書店でお見かけの際はご覧くださいませ。エイドリアン・マッキンティは最高ですよ。

     ところで、前出のシリーズ第四作『ガン・ストリート・ガール』はこの読書日記の第三回で取り上げております。わお。驚いたことに、これで、第一回のジョゼフ・ノックス、第二回のジェフリー・ディーヴァー、第三回のエイドリアン・マッキンティと、フェイバリットな現代海外作家の解説を拝命したことになります。凄い話です。ありがとうございます。この連載が続いているのも皆さんのおかげです。

    〇法月綸太郎は我がバイブル

     さてさて、前置きが長くなりましたが、今月は絶対に取り上げなければいけない本があります。『フェアプレイの向こう側 法月綸太郎ミステリー塾 怒涛編』(講談社)です。なんといっても、こんな連載を始めるキッカケになったのが、この読書日記の副題「ミステリ作家は死ぬ日まで、黄色い部屋の夢を見るか?」にある通り、法月綸太郎、都筑道夫、内藤陳の三氏なのですから、その新刊が出るのであれば話をしないわけにはいかんというわけです。というかさせろ。

     法月綸太郎の作品は全作、私のバイブルで、『密閉教室』『生首に聞いてみろ』はボロボロになるまで読み返して何度も買い直していますし、『誰彼』は中学生の頃にあの二転三転する推理をノートにまとめて、ここがこうなっていたのか~とか理解する遊びをしてましたし(遊び?)、『二の悲劇』や『ふたたび赤い悪夢』も落ち込んだ時に読み返してしまいますし、今はちょうど『一の悲劇』にオマージュを捧げた誘拐ミステリーを……ってこれは喋りすぎか。さらに好きなのは『法月綸太郎の冒険』『新冒険』『功績』の短編集や、エッジの効いた『パズル崩壊』、実家のような安心感と共に読める『犯罪ホロスコープ』の1・2巻といった短編集で……と、この話延々続いてしまうな。

     で、評論集なのですが、これに至っては、もうミステリーの読み方そのものに影響を与えられているので、好きという言葉では言い尽くせないのです。中高生の頃から、この人の解説がついていれば、絶対にその本を読む、という人が何人かいて、その中の筆頭が法月綸太郎でした。特に海外ミステリーは、身近に勧めてくれる人がいなかったので(私のエッセイに度々登場する「図書室の司書さん」は国内ミステリー、特に新本格の時期以降の作品に詳しく、海外ミステリーは自力で探す必要がありました)、法月綸太郎の解説や、『複雑な殺人芸術 法月綸太郎ミステリー塾 海外編』(同じく講談社)が本を選ぶ指針になっていたのです。パトリック・クェンティンの『わが子は殺人者』『俳優パズル』、ミッシェル・ルブラン『殺人四重奏』、ジル・マゴーン『騙し絵の檻』、クリストファー・プリースト『魔法』、D・M・ディヴァイン『悪魔はすぐそこに』、ロバート・トゥーイ『物しか書けなかった物書き』(しかもこの作品は編も法月が務めています)あたりは、法月解説のおかげで出会うことが出来た、マイフェイバリットな作品群です。ジャック・カーリイに関しては、三作目『毒蛇の園』が法月解説と知り、「解説読みたいから一作目『百番目の男』から読むか~」と重い腰を上げて読み始めたところ、『百番目の男』の真相に爆笑してしまい、『デス・コレクターズ』のネタの多さに唸ってしまったので、解説のために読み始めたのに大ファンになってしまった、という経緯があります。あとこれは解説ですらないのですが、『2016本格ミステリ・ベスト10』(原書房)で法月綸太郎の5位がグスタボ・ファベロン=パトリアウ『古書収集家』(水声社)という知らない作品で、「ボルヘス・ミーツ夢野久作みたいな設定だが、探偵小説として風呂敷を畳んでいるところに好感を持った」とコメントしているのに興味を惹かれて読み、あまりにどうかしている構造と、どうかしてるのに急に解決編が始まることに驚愕するなどしていました。ちなみにこの年、このどうかしてる本を同誌で投票していたのは法月綸太郎と若林踏の二人だけでした。……って、どうして私はこんな公の媒体で、法月綸太郎のストーカーみたいなことをして本を読んできたことを告白しているんだ?

     ともかくそんなわけで、私の人格形成に多大なる影響を与えられているので、取り上げないわけにはいかないのです。せっかくなので今日は、『法月綸太郎ミステリー塾』の四冊と、プラスワンとしてそれに先立って刊行されている『謎解きが終ったら 法月綸太郎ミステリー論集』(講談社文庫)の紹介をまとめて行います。電子版は全部生きております。

     ここから行うのは、評論の評論とか評論の批評というよりは、「これが面白いよ!」という単なるオススメと、各評論を読み返して頭に去来した思い出話を原稿に刻印しておく作業に終始すると思いますが、まあ、しばらくお付き合いください。

     今日の私は、法月綸太郎の話がしたいのだ。

    〇『謎解きが終ったら 法月綸太郎ミステリー論集』

     まず、冒頭の「まえがき」を読んでくださいよ。

    “私は評論や解説の仕事をする時も、ミステリーの実作者としてのクセがどうしても抜けきらない。着想のオリジナリティとか、プロットのひねりとか、トリッキーな修辞とか、いつもそういうことばかり考えて書いている。「読み物」として面白い文章を書きたいという色気がいつもあって、その色気と思い込みの激しい分だけ、つい羽目を外してしまいがちなのである。そのせいか、作者の意図からかけ離れた極端な地点まで暴走してしまうようなことも珍しくない。しかしクリエイティヴな批評は、そうした無鉄砲な試行錯誤の積み重ねの中からしか生まれないと思う。”(同書、p.5)

     これはもう、本書だけでなく後続の『法月綸太郎ミステリー塾』四冊を通底する決意表明でしょう。この信念を持ってミステリーを読み解いてきたからこそ、法月綸太郎は「ミステリー界の至宝」(『盤面の敵はどこへ行ったか』の帯文より)になり得たのだと感じさせる一節です。

     その心意気を反映したかのように、困難な題材を果敢に解題していく、荒武者・若武者のような読み心地が『謎解きが終ったら』の特徴です。その白眉が「誰が浜村龍三を殺そうとかまうものか ――中上健次論」で、これは最新刊の「『屍体』のない事件 ――『死霊』(埴谷雄高)に関する一考察」に通底する評論でもあります。「フェアプレイの陥穽」と題した坂口安吾『不連続殺人事件』論が、後年の『盤面の敵はどこへ行ったか』に収録された角川文庫版文庫解説「本格ミステリのアキレス腱」ではよりコンパクトかつ研ぎ澄まされた形に洗練されるなど、小説だけでなく、法月の書いた評論にも水脈が見えてくるのが、今読み返すと面白いところです。

     解説の白眉は、なんといっても綾辻行人『黒猫館の殺人』の解説「座敷童子のいる『館』」。綾辻作品に登場するモチーフを座敷童子というキーワードから解題していく手つきが実にスリリング。私の綾辻行人観は、これと巽昌章の『暗闇の囁き』解説から出来ていて、だからこそ『暗闇の囁き 新装改訂版』の解説のお話をいただいた時は、「私の『子供時代』の話をするのが、構成としては一番綺麗かなあ」と考えてあのような形になったのでした。

     閑話休題。倉知淳に対する「天然カー」、東野圭吾の本格愛に関して、それぞれ戸川安宣編集長と法月、東野と北村薫の会話の再現などが載っているのも楽しく、当時の雰囲気を感じられます。あと思い入れ深いのは「デクスターを擁護する」(『オックスフォード運河の殺人』解説)で、実はコリン・デクスターを本格的に楽しめるようになったのは大学生になってからで、それまでは「なんだかよくわからんが、面白い。ただ犯人だけは本を閉じた瞬間に誰か分からなくなる」という酷い感想を持っていたのですが、デクスターのパズル・ストーリイとしての特色とスタイルを読み解いた本稿の中に、『死者たちの礼拝』について「デクスターの作品の中で最も難度の高い(何度も読んでもサッパリわけがわからない)、最後まで五里霧中のような謎めいた長編」(『謎解きが終ったら』、p.234)とあって、ああそうか、法月綸太郎でも分からないんだ、じゃあ私に分からなくてもしょうがないな、とひどく安心した覚えがあります。

    〇『複雑な殺人芸術 法月綸太郎ミステリー塾 海外編』

     言わずと知れたロス・マクドナルドについての名論考「複雑な殺人芸術」を含む、海外編であります。「複雑な殺人芸術」はロス・マクドナルドが『ウィチャリー家の女』『さむけ』『縞模様の霊柩車』で本格ミステリーとして何を試みていたかを、原文に即して読み解いていく超刺激的な文章で、特にトリックを暗示するダブルミーニングに関する分析には興奮が止まりません。「ミステリー評論はネタバレがあるからなかなか読めない! 予告なしにネタバレされたら許せない!」という人も多いかと思いますが、こうして、一作を律儀に、丹念に読み解いていく論考というのは、きちんと予告をしてからネタを割ってくれるわけですし、苦手意識のある人でも読みやすいと思います。三冊読み通してから読むと、即座に再読したくなるようなウルトラ傑作ですよ。

    「複雑な殺人芸術」は、若島正が『そして誰もいなくなった』の心理描写に隠された「趣向」を読み取る「明るい館の秘密」(『乱視読者の帰還』に収録)のバトンを見事につないだ評論、だと思っているのですが、この後、当の若島正が同人誌「Re-Clam」でロス・マクドナルド『ギャルトン事件』についての論考を試み、更に同誌で法月綸太郎が『一瞬の敵』について「フェアプレイの向こう側」という論考でさらにロスマクを掘り下げて見せたのには驚きました。この後者の論考が、今回の新刊の表題作というわけ。この二人には無限の憧れがあるので、彼らの論を読むたびにロス・マクドナルドを読み、ロス・マクドナルドを読むたびに二人とロスマクのことが好きになるという幸福な円環が完成しています。

     ちなみに、二人へのオマージュを捧げてみたのが、アガサ・クリスティーの『雲をつかむ死 新訳版』(早川書房)の私の解説だった……のですが、これ、実は、知り合いの編集にはモロバレだったので恥ずかしくなりました。凡夫では到底あの高みに及ばぬのですよ。とはいえ、本編を読んだ後に読むと、クリスティーの手つきが垣間見えるものは書けたんじゃないかと思うので、ぜひご一読ください。

     と、脱線したところで戻ってくると、やはり目玉は「ミステリー通になるための100冊(海外編)」でしょうか。中学生~大学生の私が一冊ずつつぶしていったリストです。ウラジーミル・ナボコフの『セバスチャン・ナイトの真実の生涯』(光文社古典文庫など)は、当時文庫になっていなかったので外されているのですが、本文中で「メタ・ミステリーの傑作」と書かれているので読んだりしました。このリストがなかったらナボコフはまだ読めていなかった気がします。私が一番好きなナボコフは『ディフェンス』(河出書房新社)です。『アーダ』『賜物』は読み返す必要がある。

     もう一つの大きな目玉はもちろん「初期クイーン論」「一九三二年の傑作群をめぐって」「密室――クイーンの場合」といったクイーン論。柄谷行人、ゲーデル問題、形式化といったキーワードから、エラリー・クイーンが直面していた本格ミステリーの「困難」を迫っていくのですが、実は当初中学生の私にはなかなか咀嚼しきれず、以降、何度も読み返すことになった論考です。笠井潔『探偵小説論序説』→法月綸太郎の本書→飯城勇三『エラリー・クイーン論』といった提起・応答の流れを理解する中で、少しずつ理解していったという感じです。今では初期・後期クイーンも、角川文庫の新訳、ハヤカワミステリ文庫の新訳において、飯城勇三が一作一作その作品のネタに即した形で読みどころを解説してくれているので、読みやすくなったなあと感じます。

    〇『名探偵はなぜ時代から逃れられないのか 法月綸太郎ミステリー塾 国内編』

     まずタイトルが最高。そして二つの論、「大量死と密室 ――笠井潔論」と「挑発する皮膚 ――島田荘司論」の衝撃ですよ。前者は笠井潔『哲学者の密室』を読み解く論考で、笠井潔自身の提唱する「大量死理論」に応答することを通じ、『哲学者の密室』とエラリー・クイーンのある作品との信じられないレベルの相関関係が見えてくるという実にスリリングな代物。一番面白いのは、「国内編」なのに結局クイーンの話である、というところですね。もちろん、『哲学者の密室』とクイーンの国名シリーズの一角をなす「その作品」(あえて名前は伏せます)を読んでいないとネタバレを食らってしまいますが、二作を読んでからぜひ読んで欲しい傑作。

     そして後者「挑発する皮膚 ――島田荘司論」は、私的には法月綸太郎評論のマイベストに挙げたい論なのです。冒頭から赤瀬川原平と島田荘司の相似を指摘されて面食らうのですが、そこから、島田荘司のミステリーを隠された「皮膚感覚」を読み解いていく。トリックやストーリーの中に通底するキーワード、シーンを次々読み解いていく様そのものが、例えば本棚にぎっしり並べた大好きな作家の作品の背表紙を、つうっとなぞっていくあの幸福に満ちた「皮膚感覚」を表現しているようで、読むたびに幸福に満ちるのです。この評論を読む直前に、私は島田荘司の『摩天楼の怪人』と当時新刊で刊行されていた『アルカトラズ幻想』(2012年なので高校3年の時)を立て続けに読み、そこに連続して現れた「深さ」のモチーフに興奮して、これは何か意味があるのではと思った時にこの「挑発する皮膚」を読んだので、いたく感動したのでした。この評論は1995年の「野生時代」に掲載されているのですが、そこで試みられた論が、今でも通底する作家の核を捉えているということ、これが私の感動の核心でした。

     個々の解説で言うと、どうしても殊能将之『鏡の中は日曜日』の解説には触れざるを得ない。見るたびに、凄い原稿をもらったな、と思ってしまいます。これこそ『謎解きが終ったら』のまえがきにいう、「作者の意図からかけ離れた極端な地点まで暴走してしまうようなこと」の一つなのでしょうか?

     また、麻耶雄嵩『痾』の解説もここに収録されているわけですが、今年刊行されたばかりの『夏と冬の奏鳴曲 新装改訂版』の新解説を法月綸太郎が務めているわけで、あの作品とあの続編の解説を両方務めた法月綸太郎にただただ脱帽してしまいます。

     他、思い出深いのは「ボトル底の澱のように」(西澤保彦『彼女が死んだ夜』解説)でしょうか。西澤保彦とクレイグ・ライスの相似関係について書いたものですが、これは『時計は三時に止まる』の野崎六助によるライス解説とも通底するものがあります。つまり、ライスはユーモアミステリーの作家と言われているけれども、時に「作家の暗い人生観がワインの瓶の底にたまった澱さながら、随所で顔をのぞかせる悲痛な一面」(『名探偵はなぜ時代から逃れられないのか』、p.147)を持っている、という指摘です。私は昔から、クレイグ・ライスと西澤保彦は、なかなか立て続けに読めないという肌感覚を持っていて、一冊読むとぐわっとダウナーになってしまうのですが(でも私はダウナーになる本が好きなのでこの二作家の作品が大好き)、それだけに、この解説を読んだ時に妙に腑に落ちたのを憶えています。

    〇『盤面の敵はどこへ行ったか 法月綸太郎ミステリー塾 疾風編』

     やはり冒頭の「第一部 夜明けまで十三歩」が嬉しい。電子出版サイトe-NOVELSでの不定期連載をまとめたものですが、取り上げられているのが当時の新刊メインということもあり、法月綸太郎によるミステリー時評を楽しむことが出来るのが大きい。特に、ジャン=クリストフ・グランジェ(『クリムゾン・リバー』『コウノトリの道』)、エリック・ガルシア(『さらば、愛しき鉤爪』)、フレッド・ヴァルガス(『死者を起こせ』)、ベルトラン・ピュアール(『夜の音楽』)、これはメインではなく本文中ですが、ブリジット・オベール、ポール・アルテなどを同時代的に取り上げ、当時のフランス・ミステリー邦訳の空気感が分かるところなどが、後追いから読む立場としては面白い点です。マイクル・コナリーとジェフリー・ディーヴァーの比較を、コナリーの『わが心臓の痛み』を通じて行っている「第二歩」も嬉しい。これに取り上げられていなかったら、スタンリー・ハイランド『国会議事堂の死体』も読んでいなかっただろうなあ。あんなに面白いのに。

     あと本書で嬉しいのは、ロバート・トゥーイ『物しか書けなかった物書き』の解説に、探偵小説研究会の「CRITICA」で掲載していた「トゥーイ拾遺」がセットで併録されていること。当時、この「CRITICA」を入手できなかったので、この本のおかげで、「もっとトゥーイを読みたい」という渇を癒すことが出来ました。似たような点で言うと、フリースタイル版の都筑道夫『黄色い部屋はいかに改装されたか?』の解説に付属して「『黄色い部屋はいかに改装されたか?』について、もう少し」「都筑道夫クロニクル」も併録されていて、都筑道夫のミステリー論の核心や意図、名探偵論争、「モダーン・ディテクティヴ・ストーリイ」という言葉について、手探りで整理していくような読み心地がたまらない。

     また、私はシオドア・スタージョンという作家が大好きで、エラリイ・クイーン名義で代作した『盤面の敵』について、あれほどスタージョンの作家性が刻印されているにもかかわらず、ガイドや当時の友人などは、いわゆるクイーン的なプロットの部分ばかり取り上げることに腹が立っていたのですが、その怒りを鎮めてくれたのが「盤面の敵はどこへ行ったか」でした。「孤独の円盤」を引いてくるあたりで満面の笑みになってしまいました。

    〇『フェアプレイの向こう側 法月綸太郎ミステリー塾 怒涛編』

     で、最新作ですよ。『複雑な殺人芸術』の項で既にふれたところではありますが、本書の目玉はなんと言っても表題作の「フェアプレイの向こう側」です。ロス・マクドナルドについて「複雑な殺人芸術」によって自らが読み解いた、ロスマクのフェアネスへのこだわり。それが変質していくさまを、今度は『一瞬の敵』を精読することで読み解いていくのです。

     特に、犯人の名前に関する考察が面白くて、文中に犯人の名前が出てくる箇所は何箇所で……と考察していく手つきは、若島正の「電子テキストと『ロリータ』」(『乱視読者の新冒険』収録)を読んだ時の興奮を思わせます。これは『ロリータ』の電子書籍で、たとえば「ピーター・クリストフスキイ」という名前の人物を検索して登場する箇所を確かめた時にこんなことが見えてくる、という論考です。これは電子書籍時代に小説、ミステリーを読み解く格好のヒントにもなる論考だったと思います。こういう手法は法月綸太郎の短編集『法月綸太郎の消息』に収録された、ポワロ作品を読み解く「カーテンコール」にも用いられています(電子書籍を全て買った、と話すキャラクターが出てきたはず)。

    「フェアプレイの向こう側」、締めがまたいいんですよねえ。この後に何か続けるとすると、いよいよ最後の三作、『地中の男』『眠れる美女』『ブルーハンマー』あたりに踏み込んでいくことになるのでしょうか。

     他に最高なのは、ジェームズ・ヤッフェの『ママは何でも知っている』の文庫解説「ママの名前を誰も知らない」と、同時期の「CRITICA」に掲載された「ヤッフェ覚え書き」のコンボ。これもまた、文庫解説を補完する論を併録している例です。都筑道夫も「アームチェア・ディテクティヴ・ストーリイのもっとも理想的なもの」と評する短編集の魅力を法月が語ることもさることながら、ヤッフェのママ長編四部作に隠された、とある趣向を暴く「ヤッフェ覚え書き」が素晴らしい。ママの長編って、冒頭で短編シリーズのレギュラーキャラクターをあんな形で退場させることからも分かる通り(あんまりだよ、ほんとに)、かなりビターな味わいになっているんですよね。もちろん、推理小説としての強度はそのまま、なのですが。

     あとは「架空(妄想)インタビュー三題」。ジュリアン・シモンズ、スタージョン、スタンリイ・エリンへのインタビューを捏造した妄想インタビューで、冒頭のシモンズの口調からして爆笑。結局クイーンの話になっているスタージョンも最高です(内容そのものは、「盤面の敵はどこへ行ったか」の変奏曲にもなっています)。あとエリンの口からコリアの「夢判断」の話をさせてますが、この後法月綸太郎自身が「続・夢判断」(『赤い部屋異聞』に収録)を書いたことを思うと、じわじわと笑いが込み上げてきます。

     また、解説の中では「純粋トリック空間はいかに実装されたか?」(北山猛邦『少年検閲官』の解説)がやはり白眉。北山猛邦の「世界と謎解きの乖離」を、「純粋トリック空間」という概念を用いて読み解いた解説になりますが、この後、原作となったゲームのポップでサイケデリックな世界観の中で、北山猛邦の物理トリックが生き生きと映えた『ダンガンロンパ霧切』が生まれているだけに(ゲーム「ニューダンガンロンパV3」では、北山がトリック監修を務める。私は北山猛邦の物理トリックの特徴を生かし切った最終話の構想と、この世界観でしかやる意味がないような第三話の鮮やかなトリックがお気に入り)、これもまた島田荘司の「挑発する皮膚」と同じように、芯を捉えているといった感じがします。ところで先月末情報が出たばかりですが、スパイクチュンソフトの今度の新作「超探偵事件簿 レインコード」のシナリオにも北山猛邦が参加しているってマジ? 絶対買うし即日プレイします。

     個人的に親近感を覚えたのは、「ゴーストハント」シリーズの『ゴーストハント読本』に寄稿された「作家・小野不由美ができるまで」の中にある、京大ミステリ研の初期会員が使っていた造語「悦ちゃん手がかり」という言葉だったりしました。仁木悦子のミステリーによく出てくる形式のロジックという意味で、この文章の枕に使われてる部分なのですが、あまりにも「分かりすぎる」肌感覚がツボに入ってしまいました。やはりこれも「ミス研あるある」といったところでしょうか。ところで、『ゴーストハント』が文庫化したんですから、『ゴーストハント読本』も……文庫化……。

     また、『フェアプレイの向こう側』の話をする時、触れざるを得ないのが殊能将之です。『殊能将之 読書日記 2000-2009』(講談社)に収録された解説と、追悼文「嘘が嘘であるために」(殊能将之は2013年に逝去)が収録されています。特に「嘘が嘘であるために」は、読むだけで当時のことを思い出してまた涙が出そうになります。殊能将之といえば、フランスの本格ミステリー作家、ポール・アルテの紹介をしてきたことでも有名で、中でも殊能将之が高く評価していたのが『狂人の部屋』と『死まで139歩』でした。前者は2007年に邦訳されましたが、後者はアルテの邦訳自体が長らく途絶え、今年ようやく邦訳され、法月綸太郎が解説を務めているのです。この解説では、アルテという作家性の話もさることながら、「殊能将之があの時、何を言っていたのか」を日記の記述から読み解いていく過程が、実にスリリングな読み心地になっています。『フェアプレイの向こう側』を読んで殊能将之に思いを馳せたら、『死まで139歩』も一読……というのもありかもしれません。

     ちなみに私的には、『狂人の部屋』がぬけぬけとしたトリック、『死まで139歩』が唖然とさせられる動機、という方向で突き抜けてくれた作だと思っています。いやあ、どちらも笑わされました。

    〇蛇足ながらの2021評論・読書本オススメ

     と、いうことで、『法月綸太郎ミステリー塾』四冊プラス1の紹介を終え、2021年の読書日記は終了! 来年もよろしくお願いいたします! ……といきたいところですが、今年は良い評論本・読書本が他にもあったので、簡単にご紹介を。

    ・米澤穂信『米澤屋書店』(文藝春秋)

     まずどうしたって本書を取り上げないわけにはいかないでしょう。取り上げられた作品の膨大さ、視点の鋭さ、ブックガイドとしての博覧強記ぶり、その資料性の高さで、今後、「作家による読書エッセイ」のマスターピースとなるべき一作です。私にとっては『複雑な殺人芸術 法月綸太郎ミステリー塾 海外編』がそうであり、私の同期の友人にとっては有栖川有栖『有栖の乱読』がそうであったように、大好きな作家の本としていつまでも手元に置き、取り上げられた作品を一作一作丁寧にチェックしていく、そんなキッカケになってくれる本でもあると思います。とにかく「ご挨拶より本の話をしませんか」「ご挨拶より本の話をいたしましょう」が最高なのですよ。注釈も最高です。『米澤屋書店』の嬉しいところは、ミステリーに限らずいろんなジャンルの読みたい本が増えるところですね。私の「読みたい本」メモも凄いことになってしまいました。『世界堂書店』(文春文庫)のアンソロジーとしての充実ぶりを見た時も感動したのですが、『米澤屋書店』に感じる感動はまたひとしお。必見の一作。

    ・竹内康浩・朴舜起『謎ときサリンジャー 「自殺」したのは誰なのか』(新潮選書)

     スリリングな評論、という意味では断トツでこれでした。サリンジャーの「バナナフィッシュにうってつけの日」(『ナイン・ストーリーズ』(新潮文庫)などに収録)を取っ掛かりに、サリンジャー作品の「グラス家サーガ」に隠された意図を読み解いていく、「文学探偵の新冒険」とでもいうべき作品。この「バナナフィッシュ~」という作品、何も考えずに読むと、本当にワケのわからない短編なのですが、一読してから『謎ときサリンジャー』を手に取ると、ナンセンスにしか思えなかった会話が、ガラッと反転して、裏面に隠された物語が立ち上がるようになってくるという凄い本です。特に、エレベーターの中の会話に関しては、伏線の張り方、ミスディレクションという点で、ミステリーの技法そのものではないでしょうか。本当ならグラス家サーガを読み通してからの方が、特に後段の論は読み通しやすくなるのですが、少なくとも「バナナフィッシュにうってつけの日」を読むだけでも楽しめる本ではないかと思います。ミステリーマニアも読み逃すなかれ。

    ・瀬戸川猛資・松坂健『二人がかりで死体をどうぞ』(盛林堂ミステリアス文庫、同人誌)

     1970年代、瀬戸川猛資「二人で殺人を」「警戒信号」、松坂健「死体をどうぞ」というミステリー時評がありました。国内外の新刊をばっさばっさと論じていった、その「二人の荒武者」の軌跡をたどる画期的な一冊。後追いで読んでいると全く感得することが出来ない、「ああ、この本とこの本、同時期に出ていたんだ」「当時の流れで読むと、この本って面白かったんだ」ということが記録として残っていることがまず素晴らしい。『瀬戸内海殺人事件』とか、やたら読みたくなるんですよ。私は当時のミステリー時評として、小林信彦『地獄の読書録』と大井廣介『紙上殺人現場』を愛読しているのですが、それらでは拾えない空白の時期を埋めてくれる、資料的価値が極めて高い一作であると思います。特に読んでいて嬉しかったのは、特に松坂健「死体をどうぞ」に顕著なのですが、冒頭にさらっと書かれた時事ネタ、書誌ネタが、当時の時代性を知る資料として生き、しかも語りの味を生み出していることです。この読書日記でも、毎回毎回、メインの本とは別の書誌情報を盛り込むことにしているのですが、それが間違っていなかったことを教えてもらえた気がしました。もちろん、勝手に受け取っているだけですが。カバーを外すと、ペーパーバックのビビットで毒々しい色使いがぐわっと目に飛び込んできて、これまた幸福感に包まれます。私、ペーパーバックの書影を集めた本とかやたらと買っちゃうんですよね。

     本年10月、本書の発売と前後するタイミングで、本書の執筆者の一人である松坂健さんがご逝去されました。お悔やみ申し上げます。……私は、新作ミステリーの取材のため、一度だけご自宅にお伺いしたことがある、という程度の関係性でしたが、そのたった一回で、たくさんの経験と力をいただけたと思っています。なくてはならない時間でした。中でも、書評で慣れ親しんできた、ミステリーを語る時の「声」を、この耳で聞けたことが、何よりの財産だと思っていて。『二人がかりで死体をどうぞ』を読んでいると、あの「声」をまた聞けるような気がして、だからこそ、かけがえのない一冊なのです。

     お会いした時にお伺いした話、勧めていただいた作品等々については、新作に直接繋がってくる話なので、きちんと私がその作品を完成させて、そこに「あとがき」を書ける日まで、取っておきます。困難な題材なので、数年がかりになると思っていますが、きっと完成させます。本書を見るたびに、身も引き締まることでしょう。

     ……しんみりとした気分になってしまいましたが、どうしても、『二人がかりで死体をどうぞ』の話題でもう一つ。この本を読むと、スウェーデンのカーと言われるヤーン・エクストレムの『うなぎの罠』(未訳)という本が、やたらと読みたくなるんですよ。松坂健さんの原書紹介「ミステリ診察室②」で、作中の図版付きで紹介されているのもさることながら(「事件の謎は、うなぎだけが知っていたということになるのだが……」(同書、p.273)というフレーズ、あまりに気になりますよ!)、本書の他の箇所でも度々名前が出てくるという。ヨハン・テオリンのエピソードは面白すぎです、こんなん笑うにきまってるじゃないですか。待てよ、巻末の索引を見れば、何回出てきたか分かるぞ! ……五か所……五か所!?

    (2021年12月)



第28回2021.12.10
超個人版「SFが読みたい……」 ~ファースト・コンタクトSFっていいよね……~

  • スタニスワフ・レム、書影


    スタニスワフ・レム
    『インヴィンシブル』
    (国書刊行会)

  • 〇年末ランキングの話題から

     年末ミステリーランキングの結果がぼちぼち出そろっている頃かと思います。私は今年、『蒼海館の殺人』(講談社タイガ)を送り出しましたが、各種ランキングで高順位をいただいていて大変ありがたいです(「本格ミステリ・ベスト10」で第2位、「このミステリーがすごい!」で第5位、「ミステリが読みたい」で第4位、「週刊文春ミステリーベスト10」で第8位)。皆さんのご声援の賜物です。

     個人的には、読書日記で勝手にレフェリーを務めて競わせるように紹介した(第23回)、『ヨルガオ殺人事件』『木曜殺人クラブ』『自由研究には向かない殺人』の高順位が嬉しいのと、解説を務めた『オクトーバー・リスト』『スリープウォーカー マンチェスター市警エイダン・ウェイツ』の高順位も嬉しいところ。推しが武道館に行くみたいな気持ちです。特に『オクトーバー・リスト』の解説は、本編の企みにならって全編逆行で書き上げてみた、担当編集からも「クレイジー」と評された怪作ですので、ぜひともご一読を。

    〇SFが読みたい……日もある

     さて、今回のタイトルは別にSF側のランキングムックにならったわけではなく……。海外作品オンリーとはいえ、ミステリーランキングに投票するために11月頭まで怒涛のごとくミステリーを読むことになるので、それが終ると、さあ、じゃあ他の積み本を読んでいこうか、という気分になるのです。ちなみに去年、ランキング投票後の読書日記はケイト・マスカレナス『時間旅行者のキャンディボックス』(創元SF文庫)を紹介しており(第4回)、毎年やってることは変わらないなあと苦笑した次第。あれはミステリー要素も強い一作でしたが、今日これから紹介するのは、完全にSFですね。

     SFに関しては、めちゃくちゃ詳しいというわけでなく、大学に入って先輩に勧められて読んだグレッグ・イーガン『順列都市』のオチが分からなかったと言ったら、「阿津川くん、SF読む才能ないね」と言われたくらいの男なので、別に理知的に分析しようとか、云々しようとかはまるで思っていません。好きとか興奮するとか情緒的なことしか言っていないと思います。まあ、そんなわけで、なんの参考にもならないかもしれませんが、ぼちぼちやっていきます。

     まずはスタニスワフ・レム『インヴィンシブル』(国書刊行会、旧題はハヤカワ文庫SFの『砂漠の惑星』)。〈レム・コレクション〉第二期の一冊目です。ちょっと前にも生誕100周年にかこつけて話しましたが(第22回)、実は私はレムが大好き。特に『完全な真空』と『ソラリス』が好きなんですが、後者が好きなのは、圧倒的なファースト・コンタクトSFであると同時に、「絶対に理解し得ない」存在を描いているからなんですよね。ホラー的でも恋愛小説的でもある書きぶりに夢中になって読めるとはいえ、結局、相手は惑星を覆う粘膜状の海なんですよ。こういうどうしようもなくドライな感覚が好きで、『インヴィンシブル』はこの『ソラリス』に連なる〈ファースト・コンタクト三部作〉の一つということ(あともう一つは『エデン』)。今度の相手は何せ金属製の虫。そういう話好きなんですよー。おまけに人もどんどこ死ぬし(ここ大事)。謎の廃墟、散乱した人骨、変わり果てた宇宙船の姿、一体ここで何があったのか? という謎に少しずつ迫っていく過程も迫力たっぷりです。レムのSFはこうでなくちゃあ。

     オラフ・ステープルドン『スターメイカー』(ちくま文庫)は、上記のレムや、J・L・ボルヘス(これまたド偏愛作家)に絶賛された「伝説の作品」(文庫あらすじより)で、いつか読まなければと思っていたのですが、今回全面改訳されて文庫化されたので、いざ、と読んだもの。白状しますが、一読したものの、私はこの本のことがまだ全然わかっていません。ただ、凄いものを読んだことだけは分かりましたし、とんでもなく面白かった。なんでこんなことを表明するかというと、若島正の『乱視読者のSF講義』に収録された「ジーン・ウルフなんてこわくない」の項を読んで、世の中には、なんかよく分からないけど面白い、ということはあるし、なんかよく分からないけど面白い、と言ってみることも少しも恥ずかしくないんだと思い知らされたからです。もちろん、若島正が「ジーン・ウルフ分からない」と言う時の理解度と、私が同じことを言う時の理解度とには、天と地ほどの差があるわけですが。とはいえ、『スターメイカー』は間違いなく凄い本で、冒頭、「わたし」が丘に登るシーンの描写の仕方だけで、オラフ・ステープルドンが自分の好きな小説家なのは確信したのですが、肉体を遊離して宇宙の彼方を訪れ、奇妙な人類と文明を描いていく文章にもくらくらさせられましたし、途中「あれ、今私、社会学か哲学の本読んでたっけ?」と思わされるような文章になるのも好き。私の中では、ジェイムズ・エルロイの『ホワイト・ジャズ』なんかと同じように、「なんだか全然分からなかったけど、生涯何度となく読み返してしまう一冊」になると思います。なんて頼りない感想だ。よってこの読書日記は、私の『スターメイカー』感想の途中経過その①なのです。

     そんな若島正と絡めて、サラ・ピンスカー『新しい時代への歌』(竹書房文庫)もここで紹介。本書を紹介する前に、ちょっと回り道。先述した若島正『乱視読者のSF講義』は、そのものずばり大学の講義風に、短編SFを一つずつ取り上げ、精読していく「講義」が入っていますが、その中にサミュエル・R・ディレイニーの「コロナ」(『ドリフトグラス』〈国書刊行会〉や『20世紀SF〈3〉1960年代・砂の檻』〈河出文庫〉などで読めます)という短編に言及したものがあります。もちろん、今世界を脅威に陥れているアレとは無関係。ディレイニーのSFも好きなんですが、特にこれが好きなんですよねえ。音楽が、出自も来歴も全く違う二人(大人の男と一人の少女)を、恋愛感情とは全く関係ない形で、繋ぎ止めるという音楽SFの傑作中の傑作。ライブに感動したことのある人間なら、「コロナ」に心震わされないことはないのではないか、と思うくらい。この「コロナ」がいかに感動的かを、淡々と、正確に読み解いていく若島正の講義も実に感動的なので、ぜひとも併読してください。

     さて、なんでこんな話を挟んだかというと、『新しい時代への歌』はこれまた音楽SFの新たな傑作だからなのです。感染症とテロによりライブが禁じられた世界で、「最後にライブツアーを行った女性」として伝説になった女性シンガー・ルースと、人との接触が全て禁じられ、仕事も完全リモート化した社会で生きる女性・ローズマリーの二人の物語。ローズマリーが初めて目にするオンラインライブに感動した日から、二人の人生は大きく動き出す。音楽を作るもの。それを聞くもの。二人の視点から歌に人生を捧げ、あるいは歌に人生を変えられるものの姿を鮮やかに点描していく。これが上手い……。おまけに献辞が最高なのだ。「音楽を生演奏するすべての人と、耳を傾けるすべての人に」。こんな献辞読まされたら、買わないわけにはいかないでしょう……。ちなみにこのSF、さながらコロナの現状を予言したような一冊になっていますが、本国での刊行年は2019年。期せずして現実が追いついてしまったことを「現実になることを望んでなどいなかった」(同書p.599、訳者あとがきより)と語る著者の言葉を読むと、また感慨が込み上げる一冊でした。

     竹書房文庫からはもう一冊。キース・トーマス『ダリア・ミッチェル博士の発見と変異 世界から数十億人が消えた日』を。私、弱いんですよ、モキュメンタリー。しかもこの本では、人類が数十億人消えた「上昇」という現象を巡って、あの日何が起きたのか? 世界はどう変わったのか? というのをノンフィクション形式で書いていくというのだからたまりません。ファースト・コンタクトをノンフィクション風に綴るという発想、天才のそれか? 何せ、冒頭からボイジャー1号の打ち上げを見たことがあると語る全アメリカ大統領の序文から始まるんですよ? それが終ると、こんな前書きが現れます。

    “これは世界がどのように終わったかについての、口述記録オーラル・ヒストリーである。
     本書の執筆には二十三カ月を要した。
     わたしたちが知っていた世界は、たった二カ月で終わった。”(同書、p.16)

     かぁ~っ、お前これもう、たまんねえな! 関係者への聞き取りや口述記録から少しずつ「あの時何が起こったか」が分かってくる展開も上手い。この読み味、どこか覚えがあるな、と思ったので何かと思ったら、ジャン・ミッシェル・トリュオン『禁断のクローン人間』(新潮文庫)というヘンテコSFフランス・ミステリーでした。あれはあれで、近未来の2037年、クローン人間を巡る陰謀を、口述記録や政府の機密文書の集積から暴き出していく話で、フランス・ミステリーっぽいネジの外れ方が忘れ難い一冊でした。壮大な出来事をモキュメンタリー風に綴っていく、という点が共通しているので思い出したのかも。目指した方向はまるで違うものになっていますが。私こういう話好きなので、刺さっちゃうのはしょうがないですね……。

     これにて、ファースト・コンタクトから始まり、ファースト・コンタクトに終わる原稿が終了――といきたいところですが、二、三簡単に追加します。ハヤカワ文庫SFからはアーカディ・マーティーン『帝国という名の記憶』と、R・A・ラファティ『ラファティ・ベスト・コレクション1 町かどの穴』を。前者は銀河を支配する帝国に大使として招かれたマヒートが巻き込まれる陰謀を描いた作品なのですが、前任大使の死を巡る謎、思惑を胸に秘めて単身奮起しなければいけないそのヒリついた緊張感など、ジョン・ル・カレ風のスパイ小説としての読み味があるのが大いにツボ。後者は『地球礁』(河出文庫)が好きなので読もう読もうと思っていたラファティの短編集をいただいたので、大喜びで読みました。どこかネジの外れたナンセンスな世界観と、奇妙な設定の感じがいちいちツボで、そのナンセンスさを突き詰めるあまり、ゾッとするようなオチがたまに現れてくるのがますますツボだったりします。お気に入りは、タイトルからして大好物だし、今にも蝶番の音が聞こえてきそうな「不安」の短編「世界の蝶番はうめく」、解題にある「秘密結社小説の四大巨匠」という言葉に大いに納得の「秘密の鰐について」(ちなみに他の三人として挙げられているのは、ボルヘス、ピンチョン、チェスタトン。これも大いに納得!)、名作短編を思わせる設定から来る捻ったオチ――もさることながら、冒頭で誰もツッコまない鏡の描写に笑わされた「カプリ―ト」、話という点ではこれが一番好きな「つぎの岩につづく」あたり。続刊『ファニーフィンガーズ ラファティ・ベスト・コレクション2』も超楽しみです。

     また、これは11月より前に読んだのですが、ハヤカワ文庫JAの『日本SFの臨界点 石黒達昌 冬至草/雪女』も大好きな作品集で、文章がともかく好きだし(「冬至草」のあの完璧さはなんですか? 読んでいるだけで痺れるんですが……)、モキュメンタリー的、ノンフィクション的な読み物が好きという私の好みを容赦なく突いてくる「平成3年5月2日、後天性免疫不全症候群にて急逝された明寺伸彦博士、並びに、」という論文風の小説がクリティカルヒット。こういうのが読みたくて小説読んでるんだよな。JAの「1500番到達記念」復刊からは半村良『産霊山秘録』を読んでみて、伝奇小説としてあまりにも面白くてひっくり返ることに。日本の歴史に「ヒ」の一族という奇想をぶち込み、歴史を貫通するようにしてその「裏面」を書いていくような活劇の展開に大興奮。武部本一郎のイラストがまた素晴らしい。半村良、中学生に手を出した時より、面白く読めるようになっているかもしれない。前回の冒頭に話した山田風太郎にハマったおかげですかね。今なら『石の血脈』を数段面白く読めそうだし、読み直そうかな。

     創元SF文庫からは「復刊フェア」の一冊、川又千秋の『幻詩狩り』を。毎年、復刊フェアからは何か一つ、ノーマークだった本を買うことにしています。それが今年はこれだったわけですが、なんだか眠れないなあという夜に開いたら、あまりの面白さに一気に読み切ってしまったという。1948年、戦後のパリで書かれた魔術的な詩が、少しずつ人から人へと渡り、人々の運命を歪ませていく……という筋なのですが、冒頭の古きゆかしき警察ものっぽい始まりから一転、過去へと遡っていく構成もいいですし、こういう「人をおかしくしていく芸術もの」の中でも、モチーフが詩なので、詩そのものが一部掲載されるという真っ向勝負の書きぶりが良い。私はこの、「芸術が人を殺していく」というテーマの作品がお気に入りで、先日『短編回廊』に収録されて気軽に読めるようになったデイヴィッド・マレルの短編「オレンジは苦悩、ブルーは狂気」なんかもその一つ。あれは、とある画家のことを「調べた人間が」死んでいくという怪異の書き方になっていて、理に落ちるのか、怪異に落ちるのか分からないことにより生み出されるドライブ感がキモの逸品ですが、『幻詩狩り』はそうした構成とはまた違い、純粋に詩一本で爆走していく感じがたまりません。また宮内悠介推薦帯がかっこいいじゃないですか。これは今買うべきですね。創元SF文庫では門田充宏『記憶翻訳者 いつか光になる』も大いにツボで、過剰共感能力を生かして他者の記憶を「翻訳」していくという設定からして好き。関西弁もいいんですよね。特に表題作には、この設定を生かした映画の使い方に膝を打ったうえで、そこで描かれる感情にジーンときてしまって、読んですぐに、著者の作品を全部買い集めてくるくらいにはハマってしまいました。これも『スターメイカー』とはまた違った意味で、途中経過報告、と言えるかもしれません。

     ところで、竹書房文庫の次の新刊、ヘンリー・カットナーってマジですか? 『御先祖様はアトランティス人〈ユーモアと風刺あふれるアメリカSF〉』(ソノラマ文庫)好きなので即買いします。

    「ミステリー作家は死ぬ日まで~」っていうタイトルなんだから、いい加減ミステリーの話しろよ! というそこのあなた、ご安心ください、次からは平常運転に戻ります。だって、あのお方の新刊が出たんですよ? この連載のタイトルは、都筑道夫と、内藤陳と、それからもう一人……あのお方の本から取っているのですから。

     阿津川辰海は黄色い部屋の夢を見るか? いや、誰が見ようとかまうものか、ということで、次回、クリスマス・イブにお会いしましょう。

    (2021年12月)



第27回2021.11.26
ワシントン・ポー、更なる冒険へ ~イギリス・ミステリーの新星、絶好調の第二作!

  • M・W・クレイヴン、書影


    M・W・クレイヴン
    『ブラックサマーの殺人』
    (ハヤカワ・ミステリ文庫)

  • 〇山田風太郎の話題から

     山田風太郎は2022年に生誕100周年を迎えるそうです。なんでそんなことを急に言い出したかというと、再来週になりますが、12月7日頃に河出書房新社から発売する『黒衣の聖母 山田風太郎傑作選 推理篇』の帯にそう書いてあったからです。今回、同作の帯文を書かせていただきましたので、書店でぜひご覧ください。

     山田風太郎、いいですよね。最近も河出文庫や角川文庫での復刊のおかげで絶えず目にする気がしますし、メディアミックスを見ても、モーニングで勝田文が『戦中派不戦日記』(角川文庫等)を基にした『風太郎不戦日記』の漫画連載を完結させ、今は東直輝によってあのウルトラ傑作『警視庁草紙』が『警視庁草紙 ―風太郎明治劇場―』として連載しているという状況。やっぱりみんな好きなんだなあ、とウンウンと頷いています。

     私はといえば、忍法帖や時代物には未読が多くあるのですが、山田風太郎のミステリー作品だけはめちゃくちゃ読んでいるという、ある種ヘンな読み方をしてきました。高校生の頃に『明治断頭台』で度肝を抜かれ、「厨子家の悪霊」の解決のつるべ打ちに膝を打ち、『妖異金瓶梅』のどぎつい描写にドギマギしながらそのミステリー部分の異常な構成に惚れこみ(『妖異金瓶梅』だけは何度も読んでいます)、『夜よりほかに聴くものもなし』のクールな構成と決め台詞の完璧さに打ち震え、『太陽黒点』の前に完全敗北した……といった具合。「帰去来殺人事件」『十三角関係』のあまりの面白さ・完成度に興奮して、名探偵・荊木歓喜ものは全て読もうと、高木彬光と合作して、荊木歓喜と神津恭介が共演した『悪霊の群』まで読んでいるのですから、相当です。それなのに『魔界転生』はまだ読まずに取ってあって……と言うと怒られます。

     今回の帯文のために、河出文庫で復刊された山田風太郎作品を読んでみて、中でも『八犬伝 山田風太郎傑作選 江戸篇』(上下巻)の面白さには興奮しました。「虚」「実」二つのパートを往還しながら、『南総里見八犬伝』の筋書きと、それを書いていた頃の滝沢馬琴の周辺の話を語っていくという歴史伝奇小説。もともと、子供の頃から『南総里見八犬伝』が大好きだったので、八犬伝の話というだけで興奮してしまうのですが、そこに滝沢馬琴を描いたパートまで合わさってくるので、ぐいぐい読まされてしまって。やっぱり最高だなあ、山田風太郎、と、改めて脱帽してしまいました。

     今回復刊される『黒衣の聖母』の表題作と「さようなら」は、国内ミステリー短編のオールタイムベストにも選びたくなるような、キレがあり、しかもロマンチックなミステリーとなっています。山田風太郎の短編の中で、戦時期を題材にした現代短編10編が完全に集成されたものになっています(私はハルキ文庫版の『黒衣の聖母』を所持していましたが、そこから3編増補され、戦争ものが全て揃ったという形)。推理作品というより、人間の生々しい欲望や、戦争の悲哀を描いたものが多めですが、それでも「島」を舞台にした三作の濃密な人間関係などは一読忘れ難いですよ。オススメ。

    〇ここでちょっと映画に寄り道

     さて、いつもならここでスッと新刊の紹介に入るのですが、今日はちょっとだけ、映像作品の話をさせてください。2021年の総括回に持ってこようかと思っていたのですが、急遽、取り上げたい作品が出来たので。

     今年はコロナ疲れもあって、上半期には映像配信サービスで映画を、下半期には映画館で映画を結構観に行きました。短編「六人の熱狂する日本人」(『透明人間は密室に潜む』収録)のあとがきで名前を上げていますが、あれは「十二人の怒れる男」「12人の優しい日本人」「キサラギ」などのミステリー映画が発想元になっていて、私の中では、映像ミステリー作品も創作への刺激を得るための重要な糧なのです。

     上半期とくにハマったのは、コリン・デクスターの〈警部モース〉シリーズからスピンアウトした刑事シリーズ〈新米刑事モース〉。モースの若かりし頃の事件を描くのですが、警察ミステリーの捜査の心地よさと、思い付きと推理で爆走するモースの青さ(ショーン・エヴァンズがとにかくかっこいい!)、そして彼を評価し、時にたしなめる最高の上司、サーズデイ警部補と、とにかく見所満載なのです。ミステリー的にオススメの回は、クロスワードパズルを手掛かりの中心に置き、二転三転する推理に「これぞデクスターだ!」と膝を打つCase1「新米刑事、最初の事件」(なお、邦題は各所でまちまちですが、アマゾンプライムビデオの配信に合わせてあります)、意外な犯人の出し方も良ければ、ラストシーンの胸を熱く打つセリフ回しが最高のCase3「殺人予想図」、兵器工場でのセレモニーから一転して起きた殺人事件が、見事な映像的手掛かりで解決するCase4「密謀のロンド」、百年前の殺人事件が暗い影を落とすゴシックな作りもさることながら、過去の事件を解き明かすと同時に現在の事件も解いてしまうという離れ業が決まったCase7「顔のない少女」あたり。各種配信サービスを利用してシーズン5まで観てますが、モースとサーズデイの関係性の推移もたまらなく良いのです。

     ドイツの映画「カット/オフ」は、日本では『サイコブレイカー』『アイ・コレクター』『乗客ナンバー23の消失』などで知られるセバスチャン・フィツェックと、マイケル・トゥコスとの共著“Abgeschnitte”が原作のサイコスリラー。検視官が死体の頭部から紙切れを観つけるが、そこには彼の娘の名前と電話番号が。恐る恐る電話をかけると、彼の娘を捕らえたと名乗る人物から、「指示に従わないと娘を殺す」と。しかし、その指示に従おうにも、目的地には雪による飛行機の欠航でたどり着けない。そこで彼がとった方策は……という筋なのですが、この「方策」がどうかしてるんですよね。法律的に超問題があると思うのですが、そこからパズルのように構図を手繰っていくサスペンスが良い。波状攻撃のようなどんでん返しの構成に、ああ、これはフィツェックの技だな、とニヤリとさせられる作品です。

     ここから後半戦。映画「オールド」は、「シックス・センス」「ヴィレッジ」などで知られるホラー映画監督、M・ナイト・シャマランの最新作。ヒーロー論にもガッツリと踏み込んだ、ある意味、島田荘司の「へルター・スケルター」(『エデンの命題』収録)のニューロスティックスリラー×脳科学本格的な味もある「ミスター・ガラス」が大好きなのですが(ただし、「アンブレイカブル」「スプリット」の続編なので、この2作を観てから観ること)、それだけに最新作を楽しみにしていました。そこにいるだけでみるみる年をとっていく、という奇妙なプライべートビーチを巡る話で、設定を聞いた時は、「『ジョジョの奇妙な冒険』のグレイトフル・デッド戦じゃん」と思ったのですが、観てみるとまた違った印象がありました。誕生から死までを全て高速で盛り込んでいく「奇妙な味」風味の作品、というような。私が思い出したのは、早川書房の「異色作家短編集」の一冊、リチャード・マシスン『13のショック』に収録された「人生モンタージュ」。自分の人生を「映画みたいに、うまく端折ることができたら……」と思った瞬間から、高速で自分の人生を体験してしまう30ページの短編なのですが、どこからどう読んでも奇妙な話なのに、「人生」を感じさせる温かな感動が込み上げる作品なんですよ。「オールド」にはそんな感動もありました。もちろん、ミステリー的な着地もあります。最高の伏線回収とは、目の前で同じ現象を起こすことなのですよ。あと私、「ヘレディタリー/継承」を観て以来、「オールド」でも子供役(年をとった後の青年としてですが)を演じている、アレックス・ウルフの顔が大好きなんですよね。毎度毎度どえらいことに巻き込まれてやがる。

    「マスカレード・ナイト」は東野圭吾原作で、「マスカレード・ホテル」に続く映画第二弾。やっぱりあるじゃないですか、木村拓哉と長澤まさみを観たくなる時……。というのは冗談としても、「誰が犯人であってもおかしくない」豪華キャストと、そのキャストをフルに生かした意外なツイストの連打がたまらないミステリー映画でした。ホテル周りの監修と、警察組織の書き方がしっかりしているのも良い。警察にもホテルにもそれぞれの正義があって、そのせめぎ合いと共闘をリアルに探っていく過程がいいんですよねえ。原作も好きなのですが、これだけ豪華なキャストと映像を観せられると、両方合わせて楽しんでほしくなります。作中の舞台となる「ホテル・コルテシア東京」の、異世界と見紛うばかりの仕上がり、最高です。年越しナイトが題材の作品なので、ロングランしてたら年末に観に行くのも手です。ちなみに木村拓哉繋がりで、「龍が如く」スタジオの最新作となるゲーム「LOST JUDGMENT 裁かれざる記憶」の話も。これは木村拓哉がモデル・声優を務めるキャラクター、八神隆之を主人公としたシリーズ第二弾ですが、ミステリーの名作短編にもある逆転の発想に、ヘンテコなメイントリックが掛け合わせてありました。玉木宏がめちゃくちゃ悪人で顔が良くて好き。

    「モンタナの目撃者」は、日本では『夜を希う』『深い森の灯台』などが訳されているマイクル・コリータの“ Those Who Wish Me Dead”が原作。アンジェリーナ・ジョリー演じる森林消防隊員が主人公の作品で、ある事件のトラウマから塔での森林火災の監視についている。そこに、目の前で父を暗殺された少年がやってきて、二人で暗殺者から逃げながら戦う、というサスペンス。塔から雷雲を観察するシーンとか、モンタナを焼く山火事のシーンとか、やたらとC・J・ボックスの猟区管理官の書きぶりを思い出すネイチャー映画感が気持ち良い。暗殺者の背景とか、キャラ周りはざっくりしていて、原作を読んで補完する必要があるのは間違いないのですが、頭を空っぽにして楽しめる100分間でした。やっぱりアンジーっていいよね。

    「クーリエ:最高機密の運び屋」はキューバ危機の時代、スパイにスカウトされたセールスマンの英国人を巡る「事実に基づく物語」。この英国人を演じるベネディクト・カンバーバッチは、ご存知「SHERLOCK」のシャーロック・ホームズだというのだからたまらない。私は「一市井人」から観た戦争、冷戦の話が大好きなので、このベネディクト・カンバーバッチ演じるグレヴィル・ウィンの描き方がともかくたまらないんですよねえ。運び屋として作戦には協力するが、あくまでも家庭があり、「友」として、ソ連の二重スパイ・ペンコフスキーに共感する一人の男、という描き方。これがしっかりしているからこそ、ラストシーンがとんでもなく胸を打つんだと思います。パンフレットを読むと分かるんですが、カンバーバッチはこのウィンの当時の映像や自伝から、彼のRPアクセント(イギリス英語のアクセントの一種)の特徴や、彼の上昇志向やセールスマンとしての技術の高さをしっかり読み取って役作りに生かしていて、それが全編にいい緊張感をもたらしているというか。というかウィンについて語るカンバーバッチがもうホームズみたいだな……。楽曲も絵作りも全部たまらない。ジョン・ル・カレの緊張感が好きな人にはぜひともオススメしておきたいです。今年のマイベスト・ムービーはこれ。

     ……と思ったのですが、先日、裏ベストになる一作を観てしまったのです。「急遽取り上げたい」というのはこの作品のこと。それがジェームズ・ワン監督による「マリグナント 狂暴な悪夢」です。ええ……実は私、高校生の頃から「ソウ」のファンで(R15+なのでギリギリセーフ!)、もちろん鮮やかな伏線に支えられたどんでん返しも好きなんですが、やっぱり、たまに悪趣味なものを存分に摂取したくなるんですよ。観るだに痛そうなシーンに顔をしかめたり、「こうなったら嫌だなぁ~」と思うことがどんどん実現したり、恐怖が振り切れて爆笑したりしていると、妙に元気になることありますよね~。ちなみにあまりに日常性を感じると夜眠れないので、和ホラーは観れません……。当初ホラー苦手だったのですが、大学の頃、知り合いからダリオ・アルジェントや「サンタ・サングレ」のDVDなどをまとめて貸してもらい、英才教育を受けたことでこうなりました。教育は大事。

     で、今回の「マリグナント 狂暴な悪夢」は、私がホラー映画に求めている嫌さが全部詰まっている嫌な作品だったのです(ちなみにこれは褒めてますよ~)。冒頭から、90年代のビデオテープの記録! 海辺に建つ精神病院! 謎の患者! 徹底的に患者の姿を映さないカメラワーク! 血! 血! 血! 死体! と古き良きジャーロ映画(ざっくりいうと、流血多めの殺人シーン、映像、音楽などを特徴として、フーダニットの要素は残したホラー映画のこと。「ジャッロ」とも表記する。光文社の雑誌、ひいてはこの読書日記の連載元のことではない!)を思わせる要素の乱打に興奮してしまうのです。……えっ? ジェームズ・ワンって、『ソウ』とか『死霊館』の各シリーズはいいとしても、『ワイルド・スピード SKY MISSION』とか『アクアマン』とかメガヒット映画撮ってますよね? こんなの撮ってくれていいんですか? 俺たちのために……? ありがとう……。

     で、こういうのが好きなのって、中学生の頃から綾辻行人『殺人鬼』『緋色の囁き』『フリークス』、三津田信三『スラッシャー 廃園の殺人』などが好きだったせいだと思うんですよね。大学生でアルジェントにスッと入れたのもそれが大きい気がします。有名な「サスペリアPART2」の映像的手掛かりも好きですが、「4匹の蠅」の「そうはならんやろ!」「なっとるやろがい!」感とか好きなんですよね。

     閑話休題。「狂暴な悪夢」という副題の通り、悪夢のシーンの映像的な快楽に満ちた作り込みがたまりません。アナベル・ウォーリス演じるマディソンの顔がポスターには使われていますが、目を見開いた時に映える顔なんですよね……。敵がクッソ気持ち悪い動きしてくるのも良いホラーの特徴。どう考えてもキモい。この敵の名前、ガブリエルというのですが(冒頭で言われるのでネタバレではない)、ガブリエル君、こんな一発ネタみたいな使われ方をしなければ、ホラー界のニューダークヒーローになれるポテンシャルがあった。いや、でも一発ネタみたいな使い方だから良いんだよなあ、こればっかりは。理に落ちるのか、恐怖に落ちるのかギリギリまで分からない、ホラーとミステリーの振り子運動が素晴らしい一作に仕上がっています。ぶっちゃけ、「ギリギリのフェアプレイ」じゃないですか? これ? ……そんなことないかなあ。ああ、あのホラー映画とかあのホラー映画を引き合いに出して語りたいが、どネタバレになってしまうのだ! パンフレットには全部関連作として書いてあるから観終わったらパンフレットを確かめてくれ! ちなみにパンフレットは売り切れ続出らしいですよ……ほんとに!?

     いや、でも、絶対気軽に観に行かないでくださいね? 倫理観とかは、正直、ないので。怒らないでくださいね? こういうのが好きな大きなお友達だけが観に行ってください。私のせいで今週T京S元社の担当編集さんが観に行ったそうなのですが、彼は私に「アングスト/不安」を薦めてきた男なので絶対に大丈夫だろうと満面の笑みで送り出しました。

     ということで、「マリグナント 狂暴な悪夢」の話でした。2021年はこれを観られた年として記憶しておきたいので、大脱線してみました。

    〇刑事ポーの冒険から目を離すな!

     さて、そんなわけで、映像化したらウルトラヒット間違いなし! という新刊を今回は取り上げてみようと思います。

     10月にM・W・クレイヴンの新作『ブラックサマーの殺人』(ハヤカワ・ミステリ文庫)が刊行されました。刑事ワシントン・ポーとその相棒たちの活躍を描くシリーズの第二弾で、2020年に第一弾の『ストーンサークルの殺人』が刊行されています。第一弾からかなり面白かったのですが、今年の夏とか、まだ『ブラックサマーの殺人』が刊行されていなかった段階でも、書店に面陳され、フェアとして棚が確保されている状況を観ていたので、もしかして売れているのでは、と密かに思っておりました。

    『ストーンサークルの殺人』は、舞台となる、英国カンブリア州のストーンサークルが殺人の現場となる、という観光ミステリーとしての絵作りにもミソがありました。冒頭3ページ、事件の情景を描くシーンだけでグッと引き込まれるんですよね。舞台の面白さ、加えてワシントン・ポーのユーモラスな語り、バディとなる分析官ブラッドショーのキャラクターの完璧さ(16歳でオックスフォード大学で最初の学位を受けてからずっと、学問の世界で生きてきたので世間一般の常識に疎く、ポーをぎょっとさせることも。ノーメイクで出てくるのもキャラに合っていて良い)……どれをとっても、かなり期待値高めの幕開けでした。ちなみに、これ、超重要ポイントなんですが、男女バディが恋愛関係にならないタイプの作品です(まあ、少なくとも今のところ、と留保しておきますが)。

     連続焼殺事件の目的や、加速する連続殺人のミッシング・リンク……などは当然書けないのですが、一つ、謎解きミステリー作家としてのクレイヴンの特色として言えるのは、「探偵役をただの探偵役のままにはしておかず、プロットの中で有機的に機能させることが出来る作家」だということです。こういう特徴は、たとえばマイクル・コナリーの〈ハリー・ボッシュ〉シリーズや、ジョー・ネスボの〈ハリー・ホーレ〉シリーズに通じるところがあります。『ストーンサークルの殺人』では、三番目の死体に「ワシントン・ポー」の名前と「5」と思しき字が刻みつけられていた、というのが最初の謎になっています。こうなると、ポーは否応なしに、事件に巻き込まれていくことになる。それがプロット上の都合ではなく、きちんと犯人の計画に生かされているのも、クレイヴンがそういう作家だと思う理由の一つでした。

     今回『ブラックサマーの殺人』を読んで、その印象は確信に変わりました。ポーやブラッドショー、そして捜査チームの顔見せが第一作で済んだ今作では、いよいよ「殺人事件」そのものに比重をかけて、実にトリッキーなプロットに挑んでくれたのです。

     六年前、ポーによって刑務所送りにされたカリスマシェフ。彼は自分の娘を殺害した容疑で逮捕されていた。しかし現在、殺されたと思われていた娘が、生きて姿を現したという。ポーによる逮捕は冤罪だったのか? それとも、これは何か、大きな策略の幕開けなのか? ……というのが筋。

     冒頭でポーの逮捕という衝撃のシーンから幕を開け、そこから「二週間前 第一日」に遡っていく構成からして技あり一本ですし、冒頭近くに描かれる、この六年前に死んだと思われていた娘が現れるシーンが実に良い。刑事の観察の仕方がとても地に足がついているのです。こういう細部を疎かにせず、同時にエンターテイメントとしての快感も忘れないでいてくれるのが、クレイヴンという作家の観所だと思います。

     そのうえで描かれるのは、「六年前の事件は冤罪だったのか」という謎。当然、証拠のほとんどは散逸した状態ながら、ポーの冤罪を示す証拠だけは続々上がって来る、という非常にマズい状況です。まさに、一種の「不可能犯罪」と言ってもいいでしょう。ポーはこの事件の裏には何かがあると、自分の身に降りかかる火の粉を払うために奮戦しますが、なかなか尻尾を掴めない。

     ところが、中盤のある一点、ある手掛かりによって、ポーは一つの着想を得ます(ネタバレを避けるとこんな表現に……)。このシーンがまず良い。良いのですが、本当に素晴らしいと思ったのは、その推理によって一つの壁を突破しても、まだ十重二十重に壁が立ちふさがっている、という不可能興味の描き方です。

     半ば「敵」の姿が観えている状態で、それでも詰め切れないもどかしさ。これこそ警察小説! と膝を打ちたくなるような緊迫感。しかし、重苦しくはならず、チーム捜査、ブラッドショーとの協力といった要素の風通しの良さ(今回のブラッドショーの登場シーン……最高ですよ!)もしっかり同居しているのです。描かれている事件は間違いなく陰惨で、状況も絶体絶命なのに、決して明るさを失わないんですよね。それはポーの三人称一視点の語りの良さが生んでいるものでもありますし、チーム、バディの足取りの軽やかさから生まれるものでもあります。終盤のシーンの、胸がすくようなツイストには、思わず笑顔になってしまいました。

     読めば読むほどテンションが上がる解決編もさることながら(ほぼ過不足なく伏線回収を行いつつ、エンターテイメントとしての盛り上げも一切忘れない作者の手並みは見事なもの)、『ストーンサークルの殺人』のラストで観せた「引き」の面白さは本作も健在。読み終えたばかりなのに、すぐにでも次作が読みたくなってしまいました。

    〈ワシントン・ポー〉シリーズ、いいなあ。巻末の作品リストにあるシリーズの短編集なんかもぜひとも読んでみたいところ。ガンガン訳されていってほしいなあ。こうして年に一回、〈ワシントン・ポー〉の軽やかさに舌鼓を打ちたい。

     なお、決定的なネタバレはないですが、『ストーンサークルの殺人』で描かれた〈イモレーション・マン〉の事件は本作にも影を落としていますし、ポーに関する重大な設定も明かされているのが第一巻なので、出来れば順番に読んで欲しいところ。ともあれ、〈ワシントン・ポー〉シリーズ、やはりオススメです。

    (2021年11月)



第26回2021.11.12
伊坂幸太郎は心の特効薬 ~唯一無二の寓話世界、新たなる傑作~

  • 伊坂幸太郎、書影


    伊坂幸太郎
    『ペッパーズ・ゴースト』
    (朝日新聞出版)

  • 〇新雑誌が創刊

     先月の話題になってしまいましたが、東京創元社の雑誌「ミステリーズ!」が廃刊となり、先月から新しく「紙魚の手帖」という雑誌が始まりました。

     以前は創元推理文庫の投げ込みチラシに使われていたこの〈紙魚の手帖〉という名前。結構内容も充実していて、古本屋で何気なく買った本に挟まっていると、嬉しかったものです。私の家には、この投げ込みマガジン〈紙魚の手帖〉が挟んであるF・W・クロフツの『スターヴェルの悲劇』が今も大事に取ってあります(しかもオレンジ色の背のやつ)。

     この度の新雑誌「紙魚の手帖」にはミステリーだけでなく、SFや文芸、しかも海外翻訳の短編まで掲載されていて、おまけに大好きな加納朋子の新作や、今絶好調で私も密かにファンになっている櫻田智也の最新短編まで。充実の一冊目だったと思います。ピーター・トレメインの〈修道女フィデルマ〉シリーズの短編「魚泥棒は誰だ?」の掲載も嬉しいところ。人を喰ったようなオチは思わずニヤッとしてしまうような塩梅なのですが、やはり歴史ミステリー的な描写が良い。解説文には、来年の春に出る短編集『修道女フィデルマの采配(仮)』の情報も! これは嬉しい。元の短編集“Whispers of the Dead”から5編を収録、とあったので調べてみたら、この短編集は全部で15編あるんですね。分厚い。トリッキーな作品揃いの第二短編集の『修道女フィデルマの洞察』が結構好きなので、楽しみにしています。

     初期の頃の「ミステリーズ!」や「ジャーロ」がやっていた海外短編訳出は、個人的にはあると嬉しいものです。今なお「ミステリマガジン」では海外短編が載っていますし(11月号から「華文ミステリ招待席」の連載も開始)、田口俊樹の新訳と杉江松恋の解説が同時に味わえる「おやじの細腕新訳まくり」の連載も楽しみにしているところですが(小鷹信光『“新パパイラスの舟”と21の短篇』〈論創社〉のような形で、アンソロジーと評論の両輪が一体となった書籍になってほしい……)。それでも「紙魚の手帖」に期待してしまいますね、こうなってくると。

     さて、いきなり海外短編の話をしていまいましたが、ここで今月の一冊の話へ。

    〇伊坂幸太郎が好き

     突然ですが、伊坂幸太郎のことが大好きです。

     本格ミステリー、海外ミステリーの話ばかりしているせいで、ともすればそういう印象を持たれていないと思うのですが……。なので、あえて声を大にして言わせていただこうと。私にとって、エンターテイメントへの入り口となった作家こそ、伊坂幸太郎です。むしろ、これだけ海外ミステリーを読めるようになったのは、会話のセンスやユーモア、エンターテイメントとしての風通しの良さといった小説の魅力を、伊坂作品を通じて摂取していたおかげではないかと思うのです。少なくとも、伊坂幸太郎を通らずして、私はドナルド・E・ウェストレイクやトニー・ケンリック、ローレンス・ブロックの〈殺し屋ケラー〉シリーズに出会っていません。二見文庫の『殺し屋』などのシリーズの新帯で、伊坂幸太郎の推薦文付きの黄色い帯が出たのを憶えている方もいらっしゃるのではないでしょうか。私はあれで手に取ったクチです。ちなみに私は、大須賀めぐみが伊坂作品の要素とキャラをマッシュアップしたコミカライズ『魔王 JUVENILE REMIX』が、中学一年生の頃に連載開始したという、ある意味での直撃世代で、原作の良さとコミカライズの巧さ、その両方を同級生に暑苦しく語っていた覚えがあります。

     自分にとってエンターテイメント、ひいては、海外ミステリー作品の入り口だった……そんな思い入れもあって、私の中で伊坂幸太郎は、唯一無二、なのです。1ページ開けば、伊坂幸太郎独特の寓話世界に連れていかれ、現実から遊離したようでありながら、どうしようもなく現実の一側面を切り取ったその描写や会話に、そして緻密に回収される伏線の妙技に、私は身もだえするしかない。

     新刊である『ペッパーズ・ゴースト』(朝日新聞出版)は、まさにそんな期待に応えてくれる本でした。

     1ページ開けば、ロシアンブルとアメショーという偽名を使っている二人の男の会話が始まります。「九〇年代にアフリカ、ルワンダで起きた虐殺のことは知っているか?」(本書、p.4)。ピシッと読者の頬を張るような、一気に世界に引き込まれる出だしですが、章が変わると、どうも、この二人が出てくるパートは、主人公である壇先生の生徒である、布藤鞠子という中学二年生の少女が書いた小説だということが分かってきます(この少女、中学二年生にして伊坂幸太郎の会話センスを再現できるのですから、ただものではありません!)。このあたりの切り替えでもうニヤニヤしてしまうのですが、小説はしばらく、壇先生の視点と作中作、この二つのパートをスイッチしながら進み、進むごとに視点が増えていく結構となっています。

     この中学校教師、壇は不思議な能力を持っています。他人の飛沫を浴びて“感染”すると、その人の未来が少しだけ見える能力、〈先行上映〉です。本当に少しだけしか見えず、見たものを他人に信じさせることも困難。一見、役に立つのか立たないのか分からない、少し、不思議な能力が主軸になるところは、『魔王』(講談社文庫)などを思い起こさせるでしょう。実に伊坂作品らしい想像の手ざわり。おまけに、今般の情勢に対する私たちの不安や心配を形にしたような手ざわりになっています。この能力の使い方が要所要所でバシッと決まっているのと、序盤から早くもピンチに追い込まれることで、やはり上手い! と膝を打ってしまいます。

     また、伊坂作品と言えば、有名な文学作品もその枠にとらわれることなく、ポップに取り込まれ、解釈されていく楽しみが魅力の一つです。私が特に好きなのは『グラスホッパー』(角川文庫)に登場する『罪と罰』を愛読して、常に持ち歩いている殺し屋・鯨の造形や、『ホワイト・ラビット』(新潮文庫)における『レ・ミゼラブル』の使い方、などですが、今回もまたそれらの「好き」を塗り替えてくるような面白い使い方だったのです。今回取り込まれたのは、谷崎潤一郎の『痴人の愛』と、ニーチェでした。今まで書いてきたあらすじと『痴人の愛』の一体何が繋がるのか、さっぱり分からないことと思いますが、登場した時にニヤリとしてしまうんですよねえ。

     正直、『超訳 ニーチェの言葉』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)が出た後の日本では、ニーチェを作品に取り込むこと自体、シリアスに書いてもポップに書いても陳腐化してしまって難しいのでは、と思っていたのです。そう思っていただけに、伊坂幸太郎がニーチェの「永遠回帰」の考え方を、軽やかに、それでいて温かく取り入れたのにはハッとさせられました。この人はやはり、どんな言葉でも、私たちの手に届けるまでに自分で噛み砕いて、温かく届けてくれるのだと、改めて思わされたのです。

     やはり、伊坂作品からしか摂取出来ない栄養というものが、この世にはあります。「終末時計」というワードがこんなに面白く使われている例って見たことがないし……。もちろん、この後の展開は全く書けないのですが、展開のツイストによる驚きと、伏線の回収による納得がどんどん増していくような構成で、実にたまらないのです。

     読み終えて本を閉じる時にも、確かな満足感が残る。帯にある「作家生活20周年超の集大成」という看板に偽りなし。ああ、今年も良いものを読ませていただきました。大満足。

     ちなみに、私が特に好きな伊坂幸太郎作品の話もしてみようと思います。せっかくの機会なので。たとえば……読み終えた後、自分でノートに「あるもの」を作って、その精緻な設計に更に感動することになったという思い出がある『ラッシュライフ』(新潮文庫)、死神・千葉のキャラが好きすぎて、友達と一緒に鑑賞会をやった映画も、違ったアプローチでネタを作っていることに感動した『死神の精度』(文春文庫)、冒頭からノックアウトされ何度となく再読している『陽気なギャングが地球を回す』(祥伝社文庫)(ちなみに映画も好き。何せちゃんと90分で作っているのが良い。おまけに響野は佐藤浩市なのだ。ひゃっほう!)、読んでからしばらく「痴漢は死ね」が口癖になってしまう痛い中学生時代を過ごすことになった『ゴールデンスランバー』(新潮文庫)、中学二年の時になけなしの小遣いをはたいて買い、読んでからしばらくパソコンで何かを検索するのが怖くなった『モダンタイムズ 特別版』(モーニング連載時の花沢健吾の全イラストが楽しめるバージョンです。今も宝物)、東北新幹線ではなかったとはいえ、友人との旅行に向かう新幹線の中で読んだため最高の気分になった『マリアビートル』(角川文庫)、読んでからしばらく友達との麻雀でピンフ(平和)ばかり狙い続けることになった『砂漠』(実業之日本社文庫など)、ちょうど阿部和重作品にハマったタイミングで、まるで祭りのような本が出ると興奮に興奮してその期待を裏切られなかった阿部和重との共著『キャプテンサンダーボルト』(文春文庫など)……ああダメだ、参りました。到底ここに書き尽くせない。このままでは画面を文字で埋め尽くしてしまう。

     思い返せば思い返すほど、私の青春の傍らに、いつも伊坂幸太郎がいる。

    (2021年11月)



第25回2021.10.22
世界に毒を撒き散らして ~〈ドーキー・アーカイヴ〉、またしても快作~

  • アイリス・オーウェンス、書影


    アイリス・オーウェンス
    『アフター・クロード』
    (国書刊行会)

  • 〇一周年ありがとうございます!

     なんと、今日でこの連載は一周年を迎えます。ありがとうございます! ここまで続けてこられたのも皆さんのおかげです。出版社の公式ツイッターや、取り上げた作品の担当編集さんに反応していただいたり、他社の編集さんと打ち合わせしてる時に、「読んでいます」とか、「日記を見てその本を買った」とか言われたりすると、めちゃくちゃ恐縮してしまいますが、本当にありがたいですね……。これからも情勢の許す限り、マイペースに本を取り上げていきます。

    〇ところで……

     日記なのでこれだけ残しておきたいんですけど……ゲームの話で恐縮ですが、先月、“Tales of Arise”が発売されたんですよ……テイルズ・オブシリーズは小学生の頃から大ファンなんですけど、全部後追いだったり、対象となるゲームハードを持っていなかったりで、実は新作としてすぐ購入してプレイできたのは初めてなんですよね。コラボカフェに行ったり、めちゃくちゃグッズ買ったりしているのも実はテイルズでは初めてです。テイルズ・オブシリーズでは恒例の「マーボーカレー」がリアルで食べられたのでめっちゃ楽しかったですね……。今回も壮大な世界観と中盤のどんでん返し、癖がありつつも愛らしいキャラクター(特に主人公であるアルフェンとシオンは絶品、テュオハリムも良い)を堪能しました。ラスボス周りには不満が残る作りなのですが「公式が最大手」「推しカプが最強」といった感じだったので全てを良しとしました。今回スキットの充実ぶり半端じゃなかったですからね。あと戦闘システムと曲が最高でした。サントラを早くください。執筆BGMにするので……。

     さあ、「どうして今日は本以外の話題から?」と思ったかもしれません。というのも、連載もせっかく一周年を迎えたので、とあるカミングアウト、いえ、場合によっては、誰かの救いになるかもしれない事実から、今回は初めてみようと思ったからです。それが今回取り上げる本ともつながってきます。

     私にも、一文字も本を読めない時があります。

    〇本が読めない時にはどうする?

     仕事が殺人的に忙しくなったとか、締め切りが大量に重なったとか、外出しなくなった(電車に乗らないので本を読む時間が減る)とか、ガッカリするような本を連続で読んだとか……特定の原因があることもありますが、何が原因かハッキリしないこともあります。どんな本を読んでも目が滑ったり、すぐ寝落ちしてしまったりする時、「あれっ」と初めて気付くのです。

     この読書日記をやるようになってからは、バタバタしてしまって数日読めないということはありましたが、大抵はすぐ元に戻っていました。それが今回は、随分長引きました。私はこの状態を「読書スランプ」と呼んでいます(文章が一文字も書けない状態と区別するために)。自覚症状を得てから十日だったので、大体二週間はその状態だったんだろうと思います。この日記は二週間ごとに更新されているので、二週間読まないとマズいんですよね。冒頭で言ったゲームをやっていたことは特に関係なくて、いつもはゲームをやりながらでも執筆も読書も進むので……季節の変わり目に弱いんですかねえ。

     そういう時は大抵気分も落ち込んでいることが多いので、読書を起点に生活が崩れ始めます。では、そういう時にはどうするか? 色々気分転換の方法はあると思いますが、私の場合は「一旦底まで沈む」ことをよくします。無理矢理元気になろうと思っても出来ないんですよね。陰鬱な話、暗い話、主人公がボロボロになるまで悩んで苦しむ話、不安を掻き立てられる話……そういうものを読んでいくと、ようやく、この世界に一人じゃないと思えるようになるのです。

     これまでの読書スランプ時に役立った本のリストを挙げていくと……アガサ・クリスティー『春にして君を離れ』『終わりなき夜に生まれつく』、法月綸太郎全長編(特に『密閉教室』『頼子のために』『生首に聞いてみろ』)、ジョイス・キャロル・オーツ諸作品(特に『生ける屍』、超傑作)、ジム・トンプスン全作品(特に『死ぬほどいい女』『残酷な夜』)、シャーリィ・ジャクスン諸作品(特に『くじ』『野蛮人たちの生活』)、デイヴィッド・ピース『TOKYO YEAR ZERO』『1977 リッパー』、恩田陸『ユージニア』『灰の劇場』、ローレンス・ブロック『八百万の死にざま』、多岐川恭『氷柱』『人でなしの遍歴』、平山夢明全作品(特に『他人事』『あむんぜん』などの短編集)、P・D・ジェイムズ『黒い塔』、ジェイムズ・エルロイ『ホワイト・ジャズ』『わが母なる暗黒』……。その本が持つ暗い色や毒に身を浸すことで、底の底まで沈み、逆に浮き上がってくるという。ヘンな性格をしているなあ、と思います。

     そして今回、私が読書を再開する役に立ったのが、エイダン・チェンバーズの『おれの墓で踊れ』(徳間文庫)と……アイリス・オーウェンス『アフター・クロード』(国書刊行会)だったわけです。前者は友人の墓を荒らした容疑で逮捕された少年についての新聞記事に想を得て描かれた長編です。実在の新聞記事から想像を膨らませた、という点では、この連載で取り上げた恩田陸『灰の劇場』と共通点がある作品ですね(第12回)。「その二人の少年に何があったか」を辿る青春小説なのですが、この罪を犯した少年、ハルの方を主人公として、彼が自分の心理状態を理解するために、教師の提案を受けて手記を書いていく……という設定がキモ。自分の心情を理解する過程の中で、自分の心、友人のバリーの心を掴もうとしても掴めないもどかしさにもがき、苦しみ、次第に文体が破壊されたりする過程が凄いのです。なぜ誰もオレを理解できないのか、オレ自身もオレも理解できない、という苦悩が噴出する終盤はノワールの味にも接近するのですが、全編をユーモアが覆っていて、陰鬱すぎないのも良いところです。カート・ヴォネガットが好きな男子高校生という設定で既にツボですし、カーリという女性にヴォネガットの『スローターハウス5』(早川書房)に出てくるフレーズで毒づかれた時、「これのおかげでカーリが読んでいることを知った」と注をつけてくるくだりとかでクスッときてしまいます。

    〇【警告!】この本を読む者は、一切の希望を捨てよ

     そして後者は……ここで私は、【警告!】と発しておかなければなりません。なぜならば、『アフター・クロード』は、ある種の人にとっては劇薬となり得る一冊だからです。決して……決して、面白そうだと思ったとしても、自己責任で手に取るようにしてください。正直、私には責任を負えません。

     本書は「ハリエット・ダイムラー」の筆名でポルノを書いていた作家の別名義で、ポルノ作家に枠にとらわれない作風で知られていました。日本だと富士見ロマン文庫で邦訳がある程度でしょうか(『快楽泥棒』など)。『ロリータ』の版元オリンピア・プレスでポルノ作品を発表していたという紹介文を見て、〈ドーキー・アーカイヴ〉責任編集者である若島正の名前と回路が繋がった、という感じ。

    〈ドーキー・アーカイヴ〉は元々大好きなシリーズで、若島正と横山茂雄の責任編集で、埋もれた異色作、知られざる傑作を刊行していく幻想怪奇、ホラー、ミステリ、SF等々の選書です。全10巻の予告が打たれて、2016年にL・P・デイヴィス『虚構の男』、サーバン『人形つくり』が同時刊行されたのを皮切りに、今回の『アフター・クロード』で七冊目。全部買って読んでいますが、これまで特にお気に入りなのは二冊。一冊目は、多重人格者内の人格同士のバトルという奇想天外な発想を、作者独特の不安をどこまでも惹起する文章と道具立てで実現したシャーリィ・ジャクスン『鳥の巣』。二冊目は、25ページごとにポルノ作家が原稿を進めては脱線を重ねてしまい破棄していく……という流れを繰り返し、それが変な方向にどんどん転がっていくドナルド・E・ウェストレイク屈指の怪作『さらば、シェヘラザード』。毎回とても楽しみにしているからこそ、『アフター・クロード』もすぐさま買ってきたのです。

    「捨ててやった、クロードを。あのフランス人のドブネズミ」という、作中の主人公ハリエットが吐き捨てるように放つ印象的な一行から始まり(自分のもう一つの筆名からあえて名前を取っているのが、面白いところです)、冒頭からクソ映画を連射砲のごとき舌鋒でけなし、クロードに対しても皮肉や毒を吐き続け、誰であっても彼女の追求から逃れることは出来ない。自分本位で、妙にユーモラスで、反対意見は一つも認めず、誰からも理解されず、堕ちていく。闊歩した道全てに猛毒を撒き散らすような人生を描く、地獄のような小説です。

     褒めてるのか? とお思いでしょうが、前段の部分を読んだ方はお分かりかと思います。これは、私がある種の小説に寄せる最大級にして最高峰の賛辞です。私は、最良の文学は人を完膚なきまでに傷つける力があると思っています。それは、「誰も傷つけない物語」の対置にあるような小説でもなく、反対に、特定の境遇にある人々や症例を持つ人だけを描くことで笑いやお涙頂戴を演出する「特定の誰かだけを排斥したエンターテイメント」とも決定的に違います。

     なぜ違う、と言えるのか。『アフター・クロード』に描かれるような人間像に、心のどこかで心当たりがあるからかもしれません。そのものズバリ、な人が身近にいる人もいるかもしれません。かといって、「ああ、こういう人いるいる」という共感を誘う作品でも決してない……そんなヤワなものであったら、どんなに楽か。言うなれば……「現実の一真実があまりにも残酷に切り取られており、その人生を小説の形で追体験せざるを得ないからこそ、私はここまで深く傷つく」、そんな本なのです。

    『アフター・クロード』の読み味に最も近い小説は、私のこれまでの読書体験の中から言えば、アガサ・クリスティーの『春にして君を離れ』(クリスティー文庫)になると思います。クリスティーはこの「猛毒を撒き散らし、誰からも憎まれる一人の女性」を、ミステリの技法を使った普通小説の形で紡ぎました。読者は彼女のことを俯瞰的に眺められるからこそ、鈍感な彼女の人生を、彼女の周囲の人間が舐める悪夢を、350ページの間徹底的に、執拗なまでに味合わされることになります。

     本書も似ています。「捨ててやった、クロードを。あのフランス人のドブネズミ」。この一文は、当初、作者アイリス・オーウェンスの頭の中に「あたしはクロードに捨てられた、あのフランス人のドブネズミ」(同書解説内、p.267-268)という形で存在していたと言います。その文章にコペルニクス的転回が起こることによって、今の一文になり、小説の骨格が出来た、というのです。そう、この一文を小説の冒頭で叩きつけられた後、すぐさま感じる違和感は、次第に戦慄に取って代わります。作中の主人公ハリエットが見る現実の――「信じたいと思っている」現実の向こうに見える地獄だけを、読者だけが見続けることになるのです。こんな地獄、他にあるだろうか。身近にこういう人間がいる、こういう人間に困らされたことがある、という人ほど、本書から受けるダメージは深いでしょう。「そういう人もいるよね」と笑って済ますことは、この本を手に持っている間だけは出来ないのだから。あなたはこの本を読んでいる間、ハリエットの人生を見つめ、「ハリエットを生きねばならない」のだから。

     とはいえ、ハリエットの当てこすりや皮肉自体にはユーモアがあり、私も何度か、冒頭から引き攣りっぱなしだった顔面が緩んで、本気で笑わされました。とはいえ、私は恐怖が振りきれると笑い始めるタイプなので、怖かったのかもしれません(先日もアリ・アスター監督の映画「ヘレディタリー/継承」のラストシーンを見て、ビビりながらゲラゲラ笑っていました。怖かったので)。しかしもう、気分を最低で最悪のところに持っていくには、これほどうってつけの一冊はありませんでした。この本のおかげで気分が底まで沈んだおかげで、翌朝はスッキリと目覚め、前回の読書日記で取り上げたジェフリー・ディーヴァーの『魔の山』を読了出来たのです(※あくまでも個人の感想です)。

     かくて呪いの書、産み落とされり。しかし、その呪いに救われた人間も、ここにいる。

    (2021年10月)



第24回2021.10.08
お天道様が許しても、この名探偵が許さない ~コルター・ショウ、カルト教団に挑む~

  • ジェフリー・ディーヴァー、書影


    ジェフリー・ディーヴァー
    『魔の山』
    (文藝春秋)

  • 〇「トクマの特選」、始動!

     10月より、徳間文庫から復刊専門レーベルとして「トクマの特選」、なるものが始まるようです。徳間文庫は元々復刊に力を入れている印象で、私が解説を務めた北森鴻『狐罠 旗師・冬狐堂(一)』から始まる〈冬狐堂〉シリーズの復刊もそうでしたし、先日ではSFミステリの傑作である三雲岳斗『M.G.H』『海底密室』が復刊されていました(もう今では『ストライク・ザ・ブラッド』〈電撃文庫〉の方が有名でしょうし、ストブラも最高ですが、このSFミステリ二作も凄いんですよ! 『少女ノイズ』〈光文社文庫〉とかも)。他にも中町信の創元推理文庫から漏れた作品も復刊されてきました。『悲痛の殺意』(旧題『奥只見温泉郷殺人事件』)は工夫に満ちた作品で良いのですよ。あと復刊されてない中町信だと『「心の旅路」連続殺人事件』が「心の旅路」を題に置いていることからも分かる通り、記憶喪失を扱ったトリッキーな長編で、中町作品には珍しいほどシンプルかつ見事なロジックが決まるのが嬉しいので、復刊されないかしら。

     閑話休題。で、肝心の「トクマの特選」第一回配本は全部で5作。小松左京『小松左京“21世紀”セレクション1 見知らぬ明日/アメリカの壁【グローバル化・混迷する世界】編』、かんべむさし『公共考査機構』、樋口修吉『ジェームス山の李蘭』、笹沢左保『有栖川有栖選 必読! Selection1 招かれざる客』、そして、山田正紀『山田正紀・超絶ミステリコレクション#1 妖鳥』というわけです。名作の数々がカバーを刷新して復刊されるのもさることながら、「毎月上旬に3~5点程度」を刊行すると謳われていることや、笹沢左保にいたっては表紙に「笹沢左保サスペンス100連発」と書かれていて(全著作の数を考えれば不可能ではないでしょうが)、山田正紀の復刊もまだまだ続きそうな予感。力の入れように驚いてしまいます。

     このうち、山田正紀『妖鳥』の解説を担当しています。山田正紀はSFだけじゃなくてミステリもめちゃくちゃ凄い! というのを解説にしたためました。『妖鳥』の話もたっぷりしていますが、他に山田ミステリを合計30作取り上げています。怒涛の連続紹介。詳しくは解説を確認してください、そして山田正紀ミステリに幻惑されよ!

     笹沢左保もいいですよねえ。もう祥伝社文庫等でガンガン復刊されているところですが、初期作はなかなか手に取りにくい状況が続いていました。『招かれざる客』『求婚の密室』『霧に溶ける』『人喰い』あたりはぜひとも読んで欲しい良作ですし、アリバイ崩しの究極系ともいえる『暗い傾斜』は最高です。『空白の起点』のアリバイ崩しのシチュエーションは壁が高すぎてゾクゾクしますし、『他殺岬』なんかもいいし、誘拐物にも良作が多く、『悪魔岬』『真夜中の詩人』も素晴らしい。他に好きなタイトルを列挙すると、『三人の登場人物』『海の晩鐘』『憑霊』『アリバイの唄』などなど。笹沢左保、多岐川恭、土屋隆夫、陳舜臣、海渡英佑あたりの昭和ミステリに大学時代はどっぷりつかっていたので、ポンポン出てきます(都筑道夫、泡坂妻夫、鮎川哲也の三名には中高時代にハマっています)。

     個人的な感慨ですが、笹沢をはじめとする’60~’80年代の昭和ミステリを読むようになったのは、「清張以後、綾辻以前」の「本格不遇の時期」にも本格ミステリは書き継がれていたとして、その年代の埋もれた本格ミステリを再評価した『本格ミステリ・フラッシュバック』(東京創元社)を読んだからでした。中高生の頃、新本格以後の作品や評論、解説を読んで得た「史観」に引きずられて、’60~’80年代の作品をあまり読んでこなかったからです。中学の文芸部の先生に松本清張の『波の塔』を勧められても、「ヘン、なんだい、清張なんて……」と吐き捨てて、綾辻行人『十角館の殺人』の冒頭のセリフを引用するようなクソほどイタい中学生だった私が、『本格ミステリ・フラッシュバック』を読んだ大学生の時期以来、「えっ、『時間の習俗』のアリバイ崩し超絶面白いじゃん! 鮎川哲也の鬼貫を読み尽くしちゃった渇が癒えたぞ!」「えっ、『火神被殺』とかの古代史ものめっちゃ面白いじゃん! ていうか清張中短編うま!」とか続々読んでいって、今ではこれほど好きなのだから、分からないものです。どうしても、「出会う時期が遅れたのではないか」と思ってしまうからこそ、今回の復刊でこれから笹沢左保の傑作群を手に取れる人が羨ましいと思います。なぜなら、笹沢左保が当時提唱していたのは〈新本格推理〉という言葉であり、これからの読者は、ほかならぬ有栖川有栖の手引きによって、「もう一つの〈新本格推理〉」への扉を開くことになるのですから。「トクマの特選!」の笹沢左保第二弾は『空白の起点』とのこと。これは傑作。ぜひ読みましょう。

    〇コルター・ショウの冒険、再び

     そうか、今回のシリーズは「冒険小説」がやりたかったのか。

     ジェフリー・ディーヴァーの新刊『魔の山』(文藝春秋)を読んでまず頭をよぎったのは、そんな気付きでした。

     本書は、ジェフリー・ディーヴァーの新シリーズである〈コルター・ショウ〉シリーズの第二作にあたります。第一作である『ネヴァー・ゲーム』はこの日記の第2回で取り上げているので、紹介はそちらを参照してください。失踪人探しという発端から、あれよあれよと変わる事件の「形」を追いかけることになるサスペンスフルなミステリーでした。タイトル通り、ゲームショウが絡んでくるのも面白いところで、なかなか印象に残るシーンになっていました。

     第2回の記事を読んでいただけると分かりますが、私は一作目『ネヴァー・ゲーム』の時点では、コルター・ショウを、「動」の名探偵と捉え、リンカーン・ライムやキャサリン・ダンスと同じ枠で捉えようとしていたようです。それ自体は、間違っていたとは思いません。今回の新刊『魔の山』でも、絶体絶命の状況下から、ある事実を掬い上げて逆転劇を演出するコルター・ショウは名探偵の名にふさわしいですし、細かいツイストの味は健在。ですが、それ以上に、彼の本質は「サバイバル」なのです。この『魔の山』によって、シリーズが指向している形がよりくっきりと見えたと思うのです。

     文藝春秋の本の話題を出している時に、他社の例を出して申し訳ないのですが……もし〈コルター・ショウ〉シリーズがハヤカワ文庫から出版されていたなら、間違いなく、冒険小説、スパイ小説が出る白背のNVで出ていただろう、ということです(ディーヴァーのハヤカワミステリ文庫、〈ジョン・ぺラム〉シリーズは赤背だった気がしますが……)。

     今回の舞台はというと……カルト教団〈オシリス財団〉が巣食う山の中! コルター・ショウはその財団の総本山に単身乗り込み、偽名を使って、信者のふりをして、教団の内部を探っていくのです。孤立無援の状況の描き方は、スパイスリラーを彷彿とさせます。〈コルター・ショウ〉シリーズが三人称一視点で描かれていることで、読者は、ショウが真意を隠しながら物わかりの良い信者を演じようとする「腹芸」を全て楽しむことが出来ますし、ピンチが訪れた時の心理描写も余すことなく味わえるのです。コルター・ショウがあまたの動揺やピンチをかいくぐっていく冒険や心理描写の読み味は、克己の物語としての冒険小説と繋がってきます。この日記で取り上げた作家の中だと、ディック・フランシス(第14回)やC・J・ボックス(第20回)に最も印象が近いかもしれません。

     それを象徴する一文が、これです。前後を書くとネタバレになっちゃうのですが、カルトのヤバいところが一瞬見えたところのシーンです。「〇〇〇(字数は適当)は二度と行われない」、誰もそんな目に遭わせない、と心の中で決意し――そして放たれる言葉が、これです。

    “コルター・ショウが絶対に許さない。”(『魔の山』、p.212上段)

     か、カッコいい! 「お天道様が許しても、この桜吹雪は見逃さねえぞ!」(遠山の金さんの決め台詞)じゃないですか! ミステリーに引き寄せて言うなら、『ポケットにライ麦を』で、彼女の死を知ったミス・マープルの怒りの描写ですよ。カッコいい! 天知る地知るショウが知る、ショウがやらねば誰がやる! ……と、これは麻耶雄嵩『メルカトル悪人狩り』(講談社ノベルス)の「著者のことば」にインスパイアされたものですが。

     こう考えてみると、『ネヴァー・ゲーム』の帯文に書かれていた「流浪の名探偵」という言葉が、いかにこのシリーズの真芯を捉えていたか……という気分になってきますね。「流浪」という言葉のイメージかもしれませんが、どことなく風来坊、無頼漢的な感じというか、流れ者……そのイメージがショウにぴったりなんですよ。日本で言うと股旅のイメージが合いますね。それこそ、今回の冒頭で話した笹沢左保が原作の〈木枯し紋次郎〉のような。「あっしにゃぁ関わりのねぇこって……」と紋次郎は言うところを、ショウは自分から首を突っ込んでしまいますが(今回のカルト教団に乗り込む動機なんて、実にアツいと思うんですよね)。

    〈リンカーン・ライム〉の世評でよく見る言葉として、大乱歩の時代からある「怪人VS名探偵」の現代的再現、という言葉があります。それと対照するなら、これは冷戦期の冒険小説・スパイ小説黄金時代の再現……と言えなくもないのかもしれません。全然読み味は違うんですが、アリステア・マクリーンを読んでいる時の興奮と少しダブったりするんですよ。

     このカルト集団の正体はなんなのか? 最大の謎が次第に見えてくる中盤以降、細かいツイストを重ね、意外な事実を少しずつ取り出していく手法はまさに職人芸。しかし、それが作劇上のアツさに繋がっているところが、冒険小説としての見所でしょう。あのクライマックスのシーン、そりゃこんなことしたら盛り上がりますよ。ええ、盛り上がりますとも。

     そもそもカルトに乗り込むまでの捜査の流れも結構面白いし、ライバル役として登場するダルトン・クロウのキャラなんかも面白いところ。そして『ネヴァー・ゲーム』から続く父親の物語もいよいよターニング・ポイントに。シリーズとしては、やはり順番に読むことをお勧めします。

     訳者あとがきによれば、第三作The Final Twistが2021年春に本国では発表されていて、スパイアクション風の仕立てになっているといいます。やはり! と思わされますし、三部作を貫いているショウ一家の謎も解き明かされるということ。読み始めるなら今、ですね。

    (2021年10月)



第23回2021.09.24
海外本格ミステリー頂上決戦 ~ヨルガオvs.木曜、そして……~

  • 〇ミステリー・ランキングの締め切りが……。

     第3回の読書日記でも取り上げたのですが、昨年から「このミステリーがすごい!」の投票締め切りが一か月早まりました。奥付2020年10月から2021年9月末までの本を対象に投票作を選ぶようになったのです。今年、第20回でも取り上げたように、7月、8月に新刊刊行ラッシュが続いたのも、この繰り上げが原因ではないかと思っています。

     もちろんランキングだけにこだわっているわけではないにせよ、やっぱり気になってしまうというのが、年末ランキングというもの。今年の結果はどうなるんでしょうね……。

     海外ミステリーのランキングは……。

     アンソニー・ホロヴィッツの四冠となるのか? はたまた『木曜殺人クラブ』が突き刺すのか? あるいはダークホースか? ううん、興味が尽きません。ホロヴィッツが好評を博したことを受けて、現代海外謎解きミステリー(この「現代」というのがとても重要)がまた充実してきたのではないかと思います。ホロヴィッツがいい風をもたらしたとも言えるでしょうし、各出版社のバチバチの雰囲気を感じるとも言えます。ええ、そりゃもう、バチバチですとも。

     そんな決戦を煽りたいわけでもないのですが……しかし、あまりに素晴らしすぎたので、今日は勝手にこの二作品を戦わせてみたいのです。

    〇赤コーナー:『ヨルガオ殺人事件』

     さてさて、今回前人未到の四冠に挑むのは、王者、アンソニー・ホロヴィッツ。簡単におさらいをしておくと、2019年『カササギ殺人事件』、2020年『メインテーマは殺人』、2021年『その裁きは死』(年は「このミス」の表題年)で1位となり、同作で「本格ミステリ・ベスト10」「週刊文春ミステリーベスト10」「ミステリが読みたい!」でも続々1位を獲得、連覇を重ねている絶対王者……それがホロヴィッツです。2019年以前にも、シャーロック・ホームズ財団公認で書かれた「続編」になる『絹の家』『モリアーティ』や、イアン・フレミングのジェームズ・ボンドを起用した『007 復讐のトリガー』(3作とも角川文庫)などが訳されてきましたが、日本でのホロヴィッツ受容は『カササギ殺人事件』を機に爆発的に進んだ、と言ってもいいでしょう。

     ちなみに「このミステリーがすごい!」の1位を連続で取ったのは、2004年、2005年(同前)のサラ・ウォーターズ『半身』『荊の城』の二冠がホロヴィッツ登場までのマキシマムですから、三冠達成の時点で既に異常。強すぎる。2018年刊行の『カササギ』をもって首位を手にし、今回はその続編にあたります。コンディションは万全といったところでしょう。

    『カササギ殺人事件』という本は、作中のミステリー作家、アラン・コンウェイがものした同名の推理小説(しかも長編一冊分)がまるまる作中作として組み込まれ、しかも、その作中作が作中現実で起きる殺人事件の謎解きにも直結するという、贅沢な作品でした。現実パートではアランの編集者、スーザン・ライランドが殺人事件を追うのですが、彼女の眼から描かれるアランの人物像が、また読ませるのです。

     先日ジャーロvol.76に掲載された「2010年代海外本格ミステリ ベスト作品選考座談会」では、ホロヴィッツ『メインテーマは殺人』が選ばれました。同選考では①2010年から2019年に邦訳刊行、②2000年以降に原著刊行という二要件で、「現代の」本格ミステリーを顕彰するための条件付けを整えたわけですが、ホロヴィッツは『カササギ』『メインテーマ』が対象となりました。私はこの時に二冊とも再読し(他の最終選考候補作十七作品も全て再読)、ついでに『その裁きは死』(2020年刊行)も再読したわけですが、その時思ったのは、『カササギ』は素晴らしいが、上巻と下巻のアンバランスさは認めざるを得ないのではないか、という点でした。

     各選考委員がその点を加味し、ホーソーンとホロヴィッツ(作者と同名の登場人物)のコンビを描く『メインテーマは殺人』に軍配が上がったわけです。『カササギ殺人事件』の美点の一つに、「登場人物が最大の手掛かりとするテキストを、まったく同じ形で読者も手にすることが出来る」という点があり、これはアガサ・クリスティーが『アクロイド殺し』『五匹の子豚』で試みたものと同じです。そこを〈ホーソーン&ホロヴィッツ〉シリーズでは、ホームズとワトソンにならって、ホロヴィッツが自分の遭遇する事件を現在進行形で小説にしており、それをホーソーンが読んで手掛かりを得る、という仕組みになっています。つまり、作中作、というものを導入せず、フェアプレイの実現性をストーリーテリングの中に巧みに取り込んでいて、とてもこなれているのです。

     とすれば、もちろん、個々のアイデアの美点もあるものの、ホロヴィッツの邦訳作はどんどんレベルが上がっていて、とにかく物語として面白いものになっている……ということになります。事実、私はホーソーンというキャラにはちょっと首を傾げるところがあるのですが、東京創元社から出た今までの作品の中では『その裁きは死』が好きです(ちなみに、これまでに邦訳刊行された作品で一番好きなのは『モリアーティ』です。ホームズパロディのくすぐり方も見事なのですが、謎解きがたった一撃の居合切りといった感じでカッコいいんですよねえ)。

     また『カササギ殺人事件』で一番感動したのは、あの小説の中で描かれる「作中現実」と、アランという作家の人物像が醜悪であるにもかかわらず、結末にそっと置かれた、アランが書いた名探偵アティカス・ピュントの世界(作中作部分)は、一切の夾雑物もなく美しく在り続けている、というところでした。正直、私は『カササギ殺人事件』の下巻を読む時、アランの苦悩になぜか寄り添って読んでしまったため、彼の描いた「世界」だけは美しいことが、私にはあの作品に残された救いのように見え――誰にも共感されないのですが――深く涙したのです。

     では、そんな期待を背負った『ヨルガオ殺人事件』はどうだったか。今回とくに感心させられたのは、作中作を読ませるまでの過程で、一切焦らなかった、という点です。

     アティカス・ピュント・シリーズは完結し、アラン・コンウェイは死んでいる。そんな状況で続編をどう作るのか。その問いに、ホロヴィッツは「アティカス・ピュントの既刊のモデルとなった人々が、彼の本を読み、今の事件を引き起こす」という形で答えて見せました。つまり、今の事件の手掛かりが、アランの小説『愚行の代償』に埋め込まれているのではないか、という趣向です。

     この趣向を実現するのに、ホロヴィッツはまず300ページ、きっちりと作中の現実を描き、なぜ『愚行の代償』に手掛かりがあると思われるかを丁寧に展開していきます。その過程では、当然、作中人物たちが『愚行の代償』を読んだ時の感想、世間的な評価、編集者から見た創作過程などが少しずつ詳らかにされることになり――当然、いずれ来る『愚行の代償』への期待は否応なく高まってしまうというわけです。

     50万部も売れたベストセラーとはどんな本か? やがて訪れる「不意打ち」とは? 作中にはモデルとなる人物がいるようだが、誰が誰を模して造られるのか? このように読者の頭の中で『愚行の代償』への期待が膨らんでいくのに、普通だったら耐えられないはずです(ぶっちゃけ私だったら、自分がこれから書く作中作に「50万部売れた」という設定は怖くて付けられません。プレッシャーに耐えられない!)。しかし、ここで焦ってはいけません。なぜならば、読者がスーザンと完全に同じ情報を得た後で『愚行の代償』を取り出さなければ、フェアプレイは実現されないのですから。読者は、作家のアランが、現実の登場人物をモデルに『愚行の代償』を書いたという情報も与えられているので、作中作を読んでいる間も、作中現実が二重写しになっていて、その不思議な感覚を味わうことが出来ます。ここが、作中作がいきなり登場する『カササギ殺人事件』とは決定的に違うところです。

     で、訪れる『愚行の代償』はどうかというと、読者の期待に応えるものになっているのが凄いところで、ちゃんと現実の事件への手掛かりを埋めているところも律儀。前作の作中作部分にあたる『カササギ殺人事件』は(本そのもののタイトルと作中作のタイトルが同じなのでややこしい)、「アティカス・ピュント最後の事件」の雰囲気もさることながら、葬式のシーンから始まるのがアガサ・クリスティーの『葬儀を終えて』風で実に良かったのですが、今回は「いかにも殺されそうな女」を淡々と描いて、その周辺の人物関係を描いていくあたりが、『死との約束』などを思わせます。そもそもホテルですしね。『バートラム・ホテルにて』とか(とはいえ、観光客にスポットが当たらないのがクリスティーっぽくないところではありますが)。

     作中作『愚行の代償』や、そこに至るまでの情報整理を読んでいてつくづく思ったのは、やはりホロヴィッツの魅力の核心は「演出」にあるということでした。謎解きそのものももちろんですが、それを描く筆致も、語り口も、そこに至る流れも、全てがワクワクする。今回、『愚行の代償』を読み始める時に、スーザンがサンドウィッチとジントニックを用意して読み始めるのですが、私もジントニックを作って同じように読んでみました。ジントニックを作っている時ですら、最高にワクワクしていたんですよ。わざわざジントニックを作ってこようと思うほど、ホロヴィッツの「演出」のうまさに、ここから、事件の手掛かりが得られるんだというワクワクに魅せられていたわけです。今回もホロヴィッツのミステリーを堪能しました。

     とはいえ、作中作と作中現実の紐帯は『カササギ殺人事件』の頃より明らかに緩まっていますし(設定上、しょうがないと言えばしょうがないですが)、あくまでも個人的な思いで――こんなことを言っても詮無いことは分かっていますが、まあこれは日記なので、ということで――今回は完答してしまい、感動が薄くなってしまったという点は認めざるを得ないのです。これはもちろん、「2010年代海外本格ミステリー ベスト作品選考座談会」のために緻密に全作を再読したおかげで、ホロヴィッツの書き方を学んだことが大きいと思います。

     とはいえ、これは本格ミステリーというジャンルの不思議なところで、答えが全部分かるからこそ、その伏線の張り方のうまさに舌を巻く、という経験もあるのです。うわ、ここにこんな風に置くのか。→あの伏線ここの箇所と呼応しているし、これ絶対回収するよね。でもこういう風に意識逸らしておいたら気付かれないな→こういう演出でさりげなく拾うのか、見事! というように、オーディオコメンタリー付きで映画の二回目を見ているみたいな読み方をしてしまうんですよ。そうすると、職人芸を鑑賞している思いで楽しめたりして。ううん。難儀だなあ、本格ミステリー。

    〇青コーナー:『木曜殺人クラブ』

     対するはリチャード・オスマンのデビュー作『木曜殺人クラブ』。ポケミスで初めてプルーフ(ゲラ段階の見本本)が作られたことからも、早川書房の力の入れようが分かるというもの。このプルーフに書かれた「アンソニー・ホロヴィッツ最新作を超えて英国で最速100万部突破」という惹句も、実に挑発的でしょう。オスマン自身はともかくとして、早川書房はホロヴィッツへの闘気を隠そうともしておりません。

     ホロヴィッツとオスマンの共通する特徴は、アガサ・クリスティーにオマージュを捧げているところです。オスマン『木曜殺人クラブ』は、タイトルから分かる通り、『火曜クラブ』(ハヤカワ・ミステリ文庫、『ミス・マープルと13の謎』〈創元推理文庫〉に同じ)やミス・マープルへのオマージュが盛り込まれています。

    『火曜クラブ』というのは安楽椅子探偵型の短編集です。各々が真相を知っている事件について披露し、それを解き明かすことで互いの推理力を競おうというもの。前半六編と後半七編に分かれ、前半と後半で話者たちが入れ替わっているのですが、この後半がいいのです。それぞれの話者が生き生きと描かれ、それゆえに生じる人間のひだにクリスティー流の錯誤を仕込む。前半はトリックの印象が強いですが、後半はドラマの印象が強くなります。

     では『木曜殺人クラブ』はどんな本か? たとえて言うなら、「あの『火曜クラブ』の個性豊かな面々が、町へ繰り出して大暴れしたら、どんな愉快な話になるか? それを実現した一冊」ということになるでしょう。

     元看護士、元労働運動家、精神科医、そして経歴不詳のエリザベス。個性豊かな四人の高齢者たちが、引退者用施設〈クーパーズ・チェイス〉において、元警官が持ち込んだ捜査ファイルをもとに未解決事件を調査することを趣味としている――。この設定だけでもそそりますが、このあらすじだけでも分かる通り、この高齢者たち、手段は一切選びません。町の若い警官の出世欲を煽って捜査に潜り込み、主任警部の頭を悩ませ、上へ下への大暴れ。

     ですが、この大暴れが決して、嫌な感じではないのです。語り手の一人であるこの若い警官ドナも、やれやれ仕方ないわねという雰囲気を滲ませながら、口元を緩ませて見守っている、と言いましょうか。どいつもこいつも胡乱で、自分の欲に正直に動いているので、ユーモアミステリーとして絶妙の塩梅で「大暴れ」が描けているのです。事実、作中の表現や展開には何度も声を出して笑いそうになりました。特に主任警部のハドソン。彼は作中の中ではかなり常識人として設定されているはずなのですが、それゆえに、高齢者たちの企みに巻き込まれ、ドナの相棒にされ、翻弄されつつ、ちょっと状況に悩みつつ、捜査していく感じが実に良い。出てくるたびに好きになりました。登場人物みんなが愛せて楽しいミステリーって、実に良いんですよねえ。だからこそユーモアも生きる。ああ、そうなんだよそうなんだよ! これがイギリスのミステリーなんだよ! 私の大好きでたまらない、イギリスのミステリ―!

    〈クーパーズ・チェイス〉という田舎の小コミュニティの書き方が、ミス・マープルが住む〈セント・メアリ・ミード〉をモチーフにしているのは明らかでしょうが、その書き方がまた大胆で面白いのです。〈クーパーズ・チェイス〉には再開発計画が持ち上がっており、そういう意味で、住人たちは誰も彼も利害関係者になるのですが、彼らが総出で座り込みの抗議集会を開いたりする。この感じがまた、良いのです。例えばイズレイル・ザングウィル『ビッグ・ボウの殺人』(ハヤカワ・ミステリ文庫)では、密室殺人の真相について町ぐるみで推理が行われて、次々新聞投書で素人推理が投稿されるさまが書かれたり、エラリイ・クイーンの『九尾の猫』(同)では、連続殺人鬼〈猫〉の恐怖におびえるニューヨーク市民、また都市そのものの姿が描かれたりします。こうした古典ミステリーの雰囲気、つまり、「一つの殺人事件が一つの町そのものを揺らがしてしまうほどのインパクトを持つ」という状況が、『木曜殺人クラブ』では再現されているように思うのです。それも、ユーモラスに。そういう雰囲気一つとっても、古典ミステリーの大事な部分――それは名探偵とかトリックとか、そんな表層的なものではなく――を掬い上げ、現代において再現している、と感じさせてくれるのです。

     おまけに、謎解きもしっかり面白い。前半の各章で提示された不可解なシーンや、投げ出された伏線が、展開の起伏の中で見事に回収されていく見事さ。特に、私も初読時に引っ掛かった箇所があったのですが、それも見事に回収されていく過程に膝を打ちました。メインとして使うのではなく、その後の展開の起爆剤として使っている感じが実に良い。その結果立ち現れる、ビターな味わい。本を閉じる最後の瞬間まで、「ああ、良いミステリーを読んだ!」と満足感を味合わせてくれる傑作といえるでしょう。

     ――といった具合に、実力の点では完全に首位の座を狙えるルーキー。二点だけ文句をつけるなら、視点があまりにも変わりすぎるため頭の中で整理するのが序盤は大変だったこと(480ページで115章あります)、施設の性質を考えれば当然そうなのですが、容疑者群として設定された人々の出自が違いすぎ、覚えるまでは時間がかかることくらいでしょうか。とはいえ、全編を覆うユーモアと、謎解きの見事さ、古典ミステリーの「雰囲気」の掬い方のうまさと、それ以外の点は文句のつけようがありません。めちゃくちゃ良い。

     ということで、アンソニー・ホロヴィッツとリチャード・オスマンは、共にアガサ・クリスティーを現代流にアップデートした作家と言えます。古典ミステリーをよく味わい、咀嚼し、しかしただの再生産には決してならない。こういう作品が現代に現れることに、私は感動さえ覚えます。嬉しい。私はやっぱりイギリスのミステリが好きだ。この二作が覇を競い合うのだとすれば、まさにクリスティー好きの私にとってはベストバウトと言える試合……。

     さあ、それでは『ヨルガオ殺人事件』と『木曜殺人クラブ』、どちらが勝つのか?

     ……そう楽しみにしていた矢先、私は鼻先を殴りつけられたのです。

    ホリー・ジャクソン、書影

    ホリー・ジャクソン
    『自由研究には向かない殺人』
    (創元推理文庫)

    〇ダークホース:『自由研究には向かない殺人』

     それこそが、ホリー・ジャクソン『自由研究には向かない殺人』だったのです。これは――これは、あまりに素晴らしかった。まさに「今」を描いた瑞々しい青春ミステリーです。作者は「語り」の効能について知り尽くしているとしか思えず、ハッキリ言って、全編が面白い。それは『木曜殺人クラブ』にもあった、抜群のユーモアセンスが全編を覆っているからであり、また、「情報」を追いかけ、整理し、事件の真相に肉薄する過程そのものが、ミステリーの根源的楽しみであったことを思い起こさせてくれるからです。

     この世には「ずっと読んでいたくなるミステリー」というものが存在します。あの夏に永遠にとどまっていたい。彼女たちがいるあの世界に、いつまでも。1000ページあってなお、飽くことのない世界。派手な展開なんてものは一切なくて良い。シリアルキラーも、圧倒的な悪さえも時にはいらない。一に堅実な捜査、二に地に足のついた読み心地、最後に全編を覆うユーモア。これさえあれば他にはいらない。『自由研究には向かない殺人』にはこれらの要件が全て備わっている、備わっているのですが、それでは言い尽くせないほど「巧い」作品でもあるのです。そのことについて掘り下げていきましょう。

    『自由研究には向かない殺人』のプロットはある意味シンプルです。5年前に起きた自分の町で起きた殺人事件について、高校生のピップは「自由研究」で取り上げ、事件を解決しようとします。しかし、そこは一介の高校生です。出来ることは限られているのですが、知り合いの伝手を辿ってインタビューしたり、電話で取材を試みて、少しずつ情報を集めていくのです。ハッキリ言って、骨子は「取材→情報の収集→情報の整理」だけで構成されている小説と言っても過言ではありません。しかもピップの一人称一視点を絶対に崩さないのです。派手さともケレン味とも無縁なこのミステリーが、なぜこれほど傑作になるのか? それには三つのポイントがあると思います。

     一つ目は、抜群のユーモアセンス。ピップはちょっとおせっかいで――あえて言うなら、ちょっとウザい部分もある女の子です。過去の事件をひっかきまわし、真相を暴こうとする。言ってみれば、彼女の探偵行はそんな行為です。事実、関係者たちはそれに対する嫌悪感を当初露にしていますし、敵意を向けてくる相手もいます。本来なら感じが悪くなってしまいそうなこの小説を、包み込んでいるのが、ピップの語りが生み出す抜群のユーモアなのです。

     冒頭2ページを書店で開いてみてください。ピップの自由研究案が渋々ながら担任教師に承認された、その「志望書」と「指導教師からのコメント」から始まるのです。この小説としての遊びだけでもうれしくなってしまいますが、コメントに「事件に巻きこまれたどちらのご家族ともいっさい連絡はとらないこと」(p.11)と書かれているにもかかわらず、本編に入って即家族と接触するので、あまりのテンポに笑わされてしまいます。ちょっとコミュニケーションが苦手で、緊張するとトリビアを披露しちゃう高校生の女の子。事件の捜査はするけれど、普通の女子高生の日常を過ごしているので、失恋した同級生を励ますために友人二人で家に押しかけ、彼女らを出迎えたその子の母親に「騎兵隊の到着ね」(p.40)と迎え入れられ、男への悪口を垂れ流したり、ネットフリックスを起動して「ロマンチック・コメディでもシリアスなやつでも、男どもがむごたらしく殺されるのはどれかな?」(p.42)と探し出したりします。このテンポ感、リズム感! セリフも良い! 私たちの現実と地続きのところにピップたちが生きているのだと、文章と会話の端々から実感させられます。これが実に良い、たまらない。こうしたユーモアセンスが、過去の殺人の掘り起こしというメインプロットにもかかわらず、全編にわたる「風通しの良さ」を生み出していると思うのです。

     そう、「風通しの良さ」。これは若林踏による解説でも指摘されているポイントです。こうした「風通しの良さ」を生み出しているのが、このピップの人物像だと思うのです。現代では受け入れがたい偏見や思想を持った相手にも、ピップは果敢に挑んでいき、正しいことを、青臭く、泥臭く見つけていこうとします。それが安っぽいヒロイズムに流れるのではなく、「なぜ彼の無実を信じるのか」という部分に、きわめて個人的で、しかもじーんとくる動機を用意しているところも良いのです(これはかなり序盤で明かされます)。その動機、つまり行動原理によって、読者がピップという女の子の心に寄り添った瞬間、この小説はもうたまらないものになります。少しおせっかいだけど、頑張る彼女の姿を、ずっと応援したくなるのです。

     ピップだけではありません。一人一人の登場人物に、ワルにさえ独特の味とユーモア、行動原理があって、どれもたまらなく読ませるのです。私は、アン・クリーヴスやヘニング・マンケルのミステリーで、決して真相にはかかわらない、しかし印象的で生き生きとした造形を与えられた登場人物の一人一人を、いつまでも忘れられずに覚えていたりします。あるいは、P・D・ジェイムズの容疑者で、結局犯人じゃなかったけど好きだった人物とか……。ロス・マクドナルドの小説に一章だけ登場する鷹匠とかも好きなのです(これについては、誰も覚えていないとよく言われるので、もしかしたら自分の捏造記憶ではと疑っているのですが)。

     こうした人物たちを覚えているというのは、小説を読んでいる間、彼らと共に生きた故だと思います。それが小説を読むということの幸福であり、そして『自由研究には向かない殺人』では、登場人物の大半を私は瑞々しく覚えていると思います。彼らは物語の中で有機的に動き、あるいは生き生きと発言し、風通し良く議論を交わして、いつまでもあの夏の中に輝かしい記憶として残り続けるからです。

     二つ目は、情報の整理の上手さです。「取材→情報の収集→情報の整理」で構成されているというのは前述のとおりですが、この「情報の整理」がキモなのです。「作業記録――エントリー1」と題された、レポートの文書の使い方、容疑者リストの作り方が実に素晴らしい。この「作業記録」は、電話取材やインタビューを書き起こししたもの、それに対するピップの解釈、ピップが作成した容疑者リスト、という三つのレイヤーに分かれています。これがミソなのですが、ピップは作業記録を書く時、必ず自己と取材時の情報を客観視出来ているのです。このワンクッションが、先ほども指摘した「風通しの良さ」を生み出す効果を上げています。例えば、ある人物に「彼と寝ていたのか」と質問をしたとします。この時、ピップは書き起こしで自分の声を聴き、“(正直、いま録音を聞いて自分でもドン引きしているけど、なんでもかんでも知っておかなきゃならない)”(p.138)というコメントを残しています。取材の当時には熱が入り、暴走したとしても、書き起こしの時には冷静に自分を客観視し、適度に自戒する。おまけに、取材を書き起こす時間を経ているので、素人探偵であっても、実に小説上自然な流れで、その後に推理を展開するだけの下地を経ていると言えるのです。それゆえ、ここでの「ピップの解釈」の切れ味の鋭さと速度は見事になっています。

     閉鎖的な田舎コミュニティを舞台にした本格ミステリーの場合、緊密な関係性を持つ関係者たちが、ある共通の秘密をひた隠しにしていたり、それぞれに隠し事があって全員異常に口が重かったりするわけです。お互いにお互いの顔を知っている空間だからこそ生じる重さです。しかし、『自由研究には向かない殺人』は違います。事件の関係者たちは表面上、完全に5年前の事件を乗り越え、「現実」を生きている(ふりをして)います。ピップのインタビューを煩わしく思い、「なんでそんなこと聞くんだ!」とシャットアウトすることはあっても、基本的な受け答えはしてくれます。ピップはこうした受け答え、あるいはシャットアウトされた事実一つ一つに推理を巡らせ、自分の容疑者リストを増やしていくのです。つまり、表向きには普通の顔をある程度保ちつつ、ピップがその裏に隠れた「共通の秘密」や「隠し事」を推理していく、という形を取っているのです。小さなコミュニティを描きつつも、決して閉鎖的にならない「風通しの良さ」は、この情報整理の巧みさによって生み出されているのです。古風ゆかしい小コミュニティミステリーを極めて現代的に再現するための画期的なバランス感覚と言えるでしょう。

     この「情報整理」は、「これまでの推理・展開」を絶えず読者に再確認させてくれるという意味でも小説の読みやすさに寄与しています。同じような情報整理は、例えばジェフリー・ディーヴァーの〈リンカーン・ライム〉シリーズで小道具として用いられる「ホワイトボード」にも共通してみられます。これまでの捜査の過程を端的にまとめ、情報を列挙する。そのパリッとした読み心地が、次第にリズムを取っていく、というわけです。

     この小説が「風通しの良い」小説だというなら、サスペンスは不足しているのか? ところがそうではありません。一つの取材から新たな情報が現れて、新たな推理から新しい容疑者が増える。この容疑者というのは、子供の頃から良く顔を知っている友達の親戚や町の住人なわけです。ピップの町の人々に対する視線は、少しずつ変化していく。その過程そのものがスリリングですし、中盤以降、調査を続けるピップに対する悪意も動き出すことになります。われらがピップはどんなピンチに遭おうとも、決して折れず、くじけない。その力強さが、何よりも本書の「謎解き小説」としての力なのです。

     三つ目は、現代性の取り入れ方の巧みさです。先に述べたように、田舎コミュニティを現代的に書くための工夫はもちろんなのですが、FacebookやLINE等のメッセージアプリ、図版などを積極的に取り入れた語りの工夫も見事です。それがまた絶妙の緩急で、変化を付けてほしい時にポッと現れるのです。また、SNSの作中での使い方の上手さについては、国内外見渡しても最高峰だと思います。その呼吸、リズム、文体が息づき、まるで本物であるかのように感じられるという点において。そして、そうした文体、形式を挿入することが、小説のリズムを一切殺しておらず、むしろ高めているという点において。著者ホリー・ジャクソンの生年は創元推理文庫のプロフィールには書いていませんが、かなり自分と同年代に近いのではないかと思います。

     お気づきでしょうか。現代に流行っている海外本格ミステリーの有名作では、いずれも「書かれたもの=テキスト」が効果的に取り入れられているのです。登場人物の一人が、何かを能動的に書き、したためるという行為。そのワンクッションがもたらす感情の整理や情報の整理、フェアプレイへの貢献。アンソニー・ホロヴィッツは『カササギ殺人事件』『ヨルガオ殺人事件』でアティカス・ピュントが主人公となる作中作を取り入れ、『メインテーマは殺人』『その裁きは死』では語り手であるホロヴィッツが事件に遭遇しながら小説の原稿を書き、それを時折探偵であるホーソーンがチェックするという構成を取っています。また、今年同じく創元推理文庫から出たエリー・グリフィス『見知らぬ人』では、怪奇短編小説が取り込まれ、しかも、古風な「日記」を好む女教師を語り手の一人に据え、その「日記」を要所要所で挿入します。『木曜殺人クラブ』でも語り手の一人が日記の形で親戚に情報を伝え、その中で自分の持つ情報や感情を整理しています。

     こうした趣向は、先にホロヴィッツの項で指摘しましたが、「探偵役が推理のために必要とするテキストを、まったく同じ形で読者も保有している」という点で、フェアプレイに寄与する機能を持っています(グリフィスがそもそも犯人当てを志向していたかどうかは、議論の余地があると思っていますが)。これは、アガサ・クリスティーの『アクロイド殺し』『五匹の子豚』と全く同じだという意味で、英国ミステリーの伝統を継いだ趣向と言えるのです。

    『自由研究には向かない殺人』は、決して先達へのオマージュのつもりで書かれたものとは思っていませんが、ここで導入される「テキスト」の多様性(志願書、レポートの下書き「エントリー」、Facebookのコメント、SNSのメッセージ、ピップによる手書きの図版、あるいは警察による取調調書)によって、そうした現代海外ミステリーシーンの中でなお輝きを放つ作品だと思います。テキスト=「情報」の見方が多面的になっているのです。

     終盤、こうした「多様性」の楽しさは、視覚的に立ち現れます。追い詰められ、推理を立て直す必要に駆られたピップと彼女を手伝うある青年が、ピップがこれまでに書いたエントリーを全てプリントアウトし、並べるのです。私はその瑞々しいシーンを読んだ時、「これだ!」と膝を打ちました。多様な情報を整理し、バッと目の前に広げることによって得られる情報のタペストリー、そこから自分の答えを導き出すために奮戦する情熱、これこそまさに、「自由研究」ではないかと。

     冒頭で、「『情報』を追いかけ、整理し、事件の真相に肉薄する過程そのものが、ミステリーの根源的楽しみであったことを思い起こさせてくれる」と述べたのは、こういう点を指してのことです。もちろん、本書は最終的な解決や結末の鮮やかさも見事ですし、青春ミステリーが兼ね備えるビターな味わいもちゃんとあります。結末がさあ、結末がさあ、また良いんですよね……本当にジーンとする……。

     正直言って、文句のつけようのない一作で、仕事や読書日記のことなど完全に忘れて、全ページ楽しんで読んでしまった作品でした。ピップの力強さと気風の良さに、何度救われ、何度泣かされたことか。

     ……と、いうわけで、『ヨルガオ殺人事件』と『木曜殺人クラブ』の圧倒的な完成度を認めつつ、偏愛度で『自由研究には向かない殺人』を激推ししてしまった、という結果になりました。刊行時期も締め切りギリギリで、『ヨルガオ』『木曜』といった作品群の中で埋もれてしまうのではないかと心配ですが、ぜひとも推していきたいところです。

     訳者・服部京子と解説・若林踏というタッグ(編集者も一緒でしょうからそこも含めればトリオ)は、カレン・M・マクナマス『誰かが嘘をついている』(創元推理文庫)と共通のものでした。この作品も、SNSを巧みに取り入れつつ、四人の語り手を順繰りに行き来して真相を探っていく青春×本格ミステリーで、『自由研究には向かない殺人』に勝るとも劣らないほど、展開と謎解きが鮮やかな逸品でした。ランキング投票期間ギリギリに出たので、期間内に読めずにかなり後悔していたのですが、今回はちゃんと読めました。ううん、このタッグ、トリオ、これからも見逃せませんね。

    (追伸)この原稿を書いていたところ、ツイッターで、『自由研究には向かない殺人』の重版情報と、続編“Good Girl, Bad Blood”の刊行情報が飛び込んできました! 来年刊行! いやっほおおおおお!! 『木曜殺人クラブ』のシリーズ第二弾“The Man Who Died Twice”も来年邦訳刊行が予告されていますし(ちなみに「二度殺された死体」という趣向は私の超好物。泡坂妻夫『花嫁は二度眠る』などなど)、ホロヴィッツは来年、〈ホーソーン&ホロヴィッツ〉第三弾“A Line to Kill”の刊行も『ヨルガオ殺人事件』の帯裏で予告されているところ。ううん、参ったなあ、来年も祭りじゃないですか。最高。翻訳ミステリーの未来は明るいなあ。日本ミステリーの末席を汚す人間として私も頑張らなければ……。本当に……。

     ということで、私とこの連載が元気だったら、来年もここでお会いしましょう! (編集さんの方を振り向きながら)エッ、マジで来年もやるんですか!?

    (2021年9月)



第22回2021.09.10
“日本の黒い霧”の中へ、中へ、中へ ~文体の魔術師、その新たなる達成~

  • デイヴィッド・ピース、書影


    デイヴィッド・ピース
    『TOKYO REDUX 下山迷宮』
    (文藝春秋)

  • 〇今月も本の話題から

     スタニスワフ・レム、生誕百周年ですって! おめでとうございます!!

     百周年記念の一環として、国書刊行会から〈スタニスワフ・レム・コレクション〉第Ⅱ期が刊行されるそうです。今月の『インヴィンシブル』が第一弾。これは『砂漠の惑星』の新訳版ですね。各種短編集の刊行はもちろん、『捜査/浴槽で発見された手記』なども新訳刊行とのこと。『捜査』が私は結構好きなんですが、後者はサンリオSF文庫の言わずと知れたキキメ(流通量が少ないからか古書でも高価な巻)で、古本に強い友人に貸してもらって読もうと思っていたのに機会を逃して、実はまだ読んでいないんですよねえ。なので読めるのが楽しみ。〈泰平ヨン〉シリーズの最後の作品『地球の平和』や、レムの連続インタビュー集『レムかく語りき』なども早く読みたいですねえ。

     早川書房でも、あの傑作『ソラリス』が新カバーで登場とのこと。ホログラム加工で虹色に光るらしいです。『ソラリス』のことはあまり好きすぎて、家にハヤカワ文庫旧版(『ソラリスの陽のもとに』)、国書刊行会版、ハヤカワ文庫新版、電子書籍と4冊あるのですが、また『ソラリス』を買ってしまうのか……いや、買うでしょう。買いますね。

     私は『ソラリス』『完全な真空』『虚数』あたりがすごく好きです。『ソラリス』はファースト・コンタクトSFとしての強靭で力強い面白さと、読むたびに「違うジャンルの小説の読み味」で楽しめる奥行きが、後者二冊は、私はヘンな小説が好きなので好きです。それぞれ、〈存在しない本〉の書評集と、序文集という体裁の本なのですよ。そのうち、読書日記も存在しない本を取り上げることがあるかもしれませんね(そんな虚無回は作ろうと思っても作れません。難しい)。

    〇待ってたぜ、デイヴィッド・ピース!

     という冗談はさておき、今回は腕にずっしりと来る重量級の一冊を取り上げましょう。それこそがデイヴィッド・ピースの『TOKYO REDUX 下山迷宮』(文藝春秋)です。待っていた、本当に待っていました。デイヴィッド・ピースによる〈東京三部作〉の完結編にあたります。この三部作は、GHQ占領下で起きた昭和の犯罪を題材にとっていて、一作目『TOKYO YEAR ZERO』(文春文庫)は小平事件、二作目『占領都市 TOKYO YEAR ZERO Ⅱ』(文藝春秋)は帝銀事件、そして本作は副題から分かる通り下山事件ということになります。

     この「東京三部作」は、実際の事件が持つ荒涼で暗澹たる「黒い霧」を描きつつ、それをピース文体によるノワールの中に効果的に取り入れた三部作です。ピースはデビュー作『1974 ジョーカー』(ハヤカワ・ミステリ文庫)から続く〈ヨークシャー四部作〉で、ヨークシャー・リッパーを題材にとって、暗黒のヨークシャー史を描いてきましたが、そのピースが目をつけたのが日本の昭和史だったというわけです。東京大学の文学部講師であり、芥川龍之介など日本文学に造詣が深いことを考えると、それも当然と言えるかもしれません。

     もちろん、これはミステリー、ノワールの範疇に属する作品なのですが、私がピースと出会ったのは、大学の文芸サークルに所属していたSF読みの先輩の影響でした。「これが面白いぞ!」と言われて『TOKYO YEAR ZERO』の単行本を渡されたのです。「この人がミステリーを褒めるとは珍しいな」と思って読んでみたら、これが面白いのなんの。私はミステリーとしての構成に感嘆したのですが、先輩には英国人作家が書いた昭和の像が刺さった様子。私は今からミステリーとしての本書の魅力を語るのですが、『TOKYO YEAR ZERO』の解説に、本書が浦沢直樹『BILLY BAT』に影響を与えたと書かれていたことからも分かる通り(正確にはストーリー共同制作者の長崎尚志がインタビューで語っているのですが)、多面的な魅力を持つ作品なので、文芸作品として読んでも十分な実りがある作品だと思う、ということを、思い出話に添えて言っておきたいと思います。

    〇ノワールなんかこわくない

    「実際の事件」を取り入れたフィクション小説は、ノワールと呼ばれるジャンルの十八番です。この「ノワール」というものがどんなものかを念のため補足しておくと(この言葉の語感が同年代に伝わりづらいというのを、肌感覚で知っているからです)、これは「孤独や屈折を原因として、精神的な自壊、破滅に陥るまでの過程を描く小説」であると私は考えています。この過程において、ファム・ファタール(運命の女)が多く登場したり、独特の文体や特徴的な表現手法を用いたり、実在の事件が持つ闇を取り入れたりするわけです。ちなみにこのノワールの勃興においてアメリカの大恐慌による不安がもたらした影響も分析しつつ1900年代前半からのノワールの勃興を見つめる諏訪部浩一『ノワール文学講義』(研究社)であるとか、私の定義よりもよっぽど完璧でかっこいい定義づけを書いている『1974 ジョーカー』の池上冬樹激アツ解説とかを読むと、よりニュアンスが伝わるかもしれません。

     この「実在の事件が持つ闇を取り入れ」るという部分ですが、例えば、そもそもノワールという時必ず引き合いに出されるジェイムズ・エルロイの『ブラック・ダリア』(文春文庫)からして実際の惨殺事件を題材としているわけです。同じ事件を題材としたマックス・アラン・コリンズの『黒衣のダリア』は、主人公であるネイト・ヘラーという私立探偵が、この殺された女性と昔恋仲だったという設定まで付け加えて、虚々実々の調査行で読ませてくれますし、ネイト・ヘラーものでは他にも禁酒法の時代のアル・カポネ(『シカゴ探偵物語』、扶桑社ミステリー)や、リンドバーグ誘拐事件(『リンドバーグ・デッドライン』、文春文庫)と実在事件を取り入れていきます。いずれも大変良い作品です。オススメ。これはノワールだからというより、例えば『タイタニック号の殺人』(扶桑社ミステリー)では史実に基づいて船上のジャック・フットレルが謎解きに挑む本格ミステリを書いていたりするので、コリンズ自身の特色でもあるのでしょう)。最近私が解説を書いたジョゼフ・ノックスも二作目『笑う死体』(新潮文庫)において「タマム・シュッド事件」という、歯を見せて笑いながら死んでいる身元不明死体の事件を想起させる事件を主人公に解かせます。

     こうした手法の何がいいかというと、やはり、リアルが持つ生々しい質感が、ずっしりと体に覆いかぶさってくる感覚だと思います。例えば前述の『笑う死体』では、死体が『ルバイヤート』の破ったページの紙片を握らされているという描写があるのですが、どうも調べるとこれは「タマム・シュッド事件」を反映したもののようです。どう考えても現場にそぐわず、身元不明の死体に関する唯一の手掛かりに見えるけれども、どうも据わりが悪い。落ち着かない。不安になる。この落ち着かなさというのは、フィクションとして作られたものに挿入されたリアルの質量によるのではないかと思うのです。

     そしてこの「不安」というのは、ノワールの語り手の精神的自壊に読者を巻き込むために、必要不可欠な要件だと思います。大変雑な言葉を使えば、私の中でノワールの評価は「ノレるか」に大きくかかってきます。鬱屈や孤独、そうした語り手の心情描写にどこまでのめりこめるか。語り手が感じている「不安」を読者も感じることが出来るか。癖のある文体を導入したり、決定的なタイミングで特徴的な文体を取り入れる(例えばジム・トンプソン『残酷な夜』『死ぬほどいい女』〔扶桑社ミステリー〕などの終盤を読むと伝わると思います)のも、ザラッとした肌触りを与えて読者の「不安」を煽っているのではないかと思っています。現実の事件を取り入れることによって、フィクションが私たちの現実へと浸潤してくるような「不安」も惹起され……。

     と、まあ、あまりに長い脱線をしてしまいました。ともあれ、おおざっぱに言うと、①精神的自壊、②特徴的な文体、③(実在の事件がもたらす)重みと不安。こうした要素を兼ね備えた作品が、ノワールであり、その中でも飛び切り「ノレる」作品がノワールの傑作だと、私は考えているわけです。③のカッコ内については、必ずしも不可欠ではないのでカッコにくくってみました。

     そう、この①~③までを兼ね備えた私の大好きなノワール作家というのが、ジム・トンプソン、チャールズ・ウィルフォード、ジェイムズ・エルロイ、馳星周、そして、このデイヴィッド・ピース、というわけです。

    〇ピースの〈ヨークシャー四部作〉、その文体

     デイヴィッド・ピースのデビュー作となった『1974 ジョーカー』から始まる〈ヨークシャー四部作〉は、先にも述べた通り、ヨークシャー・リッパーの史実に基づき、暗黒のヨークシャー史を描く四部作となっています。実在事件の持つ「闇」を作品に取り入れる、という先ほど指摘した特徴がきちんとあるわけです。これはもちろん、ピースがエルロイに影響を受けているゆえなのですが、そこについて語ったピースの言葉がまた、良いんですよね。『1983 ゴースト』(ハヤカワ・ミステリ文庫)の巻末に掲載された「作家対談 デイヴィッド・ピースvs.小川勝己」から引用します。

     “――ピースさんはジェイムズ・エルロイを目標としているとおっしゃっていますが。
    ピース……エルロイは歴史について情熱をもっています。彼の書きたいと思っていることと自分の書きたいことがかなりオーバーラップしている。エルロイは自分のスタイルを変えながらもそれを強烈に押し出す、それが成功するかどうかわからない危険性がありながらも押し出すところは感銘をうけます。いつかは越えていきたいと思っている。
    小川……エルロイといえば、馳星周さんがエルロイを意識して作品を執筆したことがありましたが、そうしたことで「おれはエルロイじゃないことがわかった」と言われたそうですね。
    ピース……作家はそうした他の作家を意識することで自分のスタイルを認識します。エルロイ自身というのもダシール・ハメットを何度も何度もコピーすることで自分のスタイルを確立してゆく。そういう「父親」のような存在を持っていた。作家というのはそういう「父親」をいつか殺さなきゃならない。父親殺しの日がくるんですね。”(同書、p.830-831)

     エルロイが「歴史について情熱をもってい」ると指摘し、その情熱に果敢に挑んでいくピース。〈ヨークシャー四部作〉はもちろん、今から語る〈東京三部作〉もまた、その延長線上にあると言っていいでしょう。ちなみに、対談者の小川勝己の小説は私、かなり好きで、『眩暈を愛して夢を見よ』(角川文庫)とか『撓田村事件 ―iの遠近法的倒錯』(新潮文庫)とか『ぼくらはみんな閉じている』(新潮社)とか……今から考えると、ノワールを感じていたから好きなのかもしれません。

     閑話休題。文体の面でも、ピースの四部作はエルロイに対する「父親殺し」の試みの一環だったのではないかと、あとから振り返ると思わされます。エルロイ文体の最高峰はやはり『ホワイト・ジャズ』(文春文庫)の、記号や短文を立て続けに叩きつける独特の切り回しということになるでしょうが、『1974 ジョーカー』でも、中盤以降から短文による言葉の連打があったり、自分さえが溶けていくような展開の中で唯一確からしい基盤として与えられる各節冒頭の日付と時刻の情報があったりと、文体の面でもエルロイを思わされる部分が多いのです。

     ですが、二作目である『1977 リッパ―』を読んだ時に、その印象は大きく変わります。「エルロイの息子の本を読んでいる」という感覚が、「ピースという作家の本を読んでいる」に変わったのです。各節冒頭のラジオの会話の挿入の仕方もそうですが、終盤で「執拗」とも言える独特の文体をいよいよ確立し、「破滅」を描くラストに関しては、もはやこれを誰も越えられないのではないかというほどの凄みに達しています。語り手のみならず、こちらの足元さえ揺らがすような文体の凄み。不吉で心をかき乱すイメージのカットバックをリズムよく繰り出すことにより生じる魅惑的で真っ黒な幻視。初読時に、ほうっ、とため息が漏れたのを覚えています。

     だから私は〈ヨークシャー四部作〉、とりわけ『1977 リッパ―』が好きなのですが……今回、〈東京三部作〉では、それすら凌駕したと感じています。

    〇〈東京三部作〉が描いた地平

     冒頭で述べた通り、〈東京三部作〉では日本の実在事件を取り上げています。ここでキーワードとして取り上げたいのが、芥川龍之介を始めとした日本文学の存在です。『TOKYO YEAR ZERO』の冒頭では『或阿呆の一生』がエピグラフに用いられ、『占領都市』の「参考資料」においては“「羅生門」と「藪の中」からヒントを得た”(p.375)と明言されています。さらに、〈東京三部作〉の合間に刊行された『Xと云う患者 龍之介幻想』(文藝春秋、2018年)は芥川文学をコラージュ・マッシュアップした連作短編集になっています。

     ピースが確立したノワールの文体・構想に、こうした要素が注入された結果、何が起こったか。一言で言えば、それは〈語りの複層化〉という現象だったのではないかと思います。

     それはもちろん、ピースが「あの時代」の日本の姿を捕らえるために摂取した日本文学、海外文学、映画などのイメージが幾層にも折り重なっている……という意味でもあります。今ここでより強調したいのは、「文体」の部分なのです。

     一作目『TOKYO YEAR ZERO』では、冒頭で終戦の日の情景が描かれ、その一年後にGHQ占領下の日本で凶行を繰り返す「小平事件」の犯人を捕らえようと奮戦する警視庁の刑事たちの活躍が描かれます。ここで導入されたのが、太明朝体による文章の挿入、という趣向です。これがピース独特の「執拗」な文体と相まって、独特のリズムを生んでいるのです。ちょっと引用してみましょう。

     夜は昼だ。目を開いた。もう錠剤はない。昼は夜だ。雨の音が聞こえた。視線を逃れる。夜は昼だ。日が昇るのが見えた。もう錠剤はない。昼は夜だ。目を閉じた。死体。夜は昼だ。現場百回。もう錠剤はない。昼は夜だ。白い朝の光が黒い芝公園の木立の後ろから。丈の高い、高い草の中に。夜は昼だ。見えるのは黒い木立だけだ。もう錠剤はない。枯葉と雑草。昼は夜だ。再び姿を現す黒い葉。もう錠剤はない。夜は昼だ。わたしは向き直った。もう錠剤はない。昼は夜だ。現場を離れた。別の国の死者。夜は昼だ。黒門の下で。もう錠剤はない。昼は夜だ。犬はまだ待っていた。別の国。夜が昼になった。(同書、p.221)

     要所要所で繰り出されるこのリズムに、私はもう、参ってしまうのです。好きすぎて……(今、「阿津川の作品は読んでいたがピースの作品は読んでいなかった」という人は、そういうことかと腑に落ちたりしたでしょう。そうです。慣れないことをやっていたのです)。文藝春秋の編集者に伺ったところ、太明朝体の部分は、原文だとイタリックで表記しており、太明朝体で表現するというアイデアはその編集者の発明だということです。素晴らしい。

     この太明朝体の部分が、語り手「わたし」の心の奥底から湧き上がる心の声のようでもあり、真相を知る者から投げかけられる声のようでもあり、あるいは読者の現実世界へと闇が浸潤してきているように見える視覚効果もあったり……最初は慣れずに驚いてしまったのですが、読み進めるうち、これがクセになってたまらなくなりました。〈語りの複層化〉による第一の効用はこの文章上の特徴だったと思います。

     ちなみに一作目は、この文体以外に、精緻に作られたミステリー部分にも大きな魅力があります。小平事件の使い方が巧みで、史実の生かし方が良いというか、「あの事件の真相はこういうものだった!」的な見せ方じゃないんですよね。終盤のあるシーンが特に素晴らしく、あんなに禍々しく、映える使い方ってあるだろうかと惚れ惚れします。また、再読の楽しみはこの上ないものです。

     そして二作目『占領都市 TOKYO YEAR ZERO Ⅱ』は、帝銀事件について、十二の章で異なる語り手を用い、異なる文体で事件を記述するという趣向になっています。これは芥川龍之介「藪の中」を下敷きにして、「複雑性と不確実性」(同書p.381)を表現するためのもので、〈語りの複層化〉が目に見えて現れたことになります。刑事の視点、生き残りの視点、投獄された平沢貞通の視点(!?)などを次々繰り出すだけでも面白いのに、それを「〇本目の蝋燭」とナンバリングしていき、百物語にもなぞらえることで、禍々しい毒が暗黒として現出するさまを演出しているようで、ゾクゾクくるのです。

     また、この小説では二人称の語りも印象的に用いられています。『1983 ゴースト』でも「あんた」と地の文で使っているので、初めてではないのですが、『占領都市』は効果的なタイミングで使われている気がします。この二人称小説というものも好きで、初体験は法月綸太郎の『二の悲劇』か「しらみつぶしの時計」(いずれも祥伝社文庫)になるのではないかと思います。「しらみつぶし~」は、施設に運び込まれてゲームに参加させられている、という部分以外の設定は捨象し、論理パズルに徹していることもあり、「きみ」という呼称によって、まるで読者である私自身もこの知的ゲームに参戦しているような感覚がもたらされていました。あるいは、レイ・ブラッドベリの「夜」(『壜詰めの女房』(早川書房)収録)。読者の心のどこかにもあるかもしれない、子供時代の一情景を「きみ」という呼びかけと共に切り取り、幻想と現実のあわいが揺らぐその一瞬を鮮やかに切り取る幻想小説の逸品です。ここでは「きみ」という言葉は読者のノスタルジーを喚起する働きをしているのではないかと思います。特に翻訳においては、作品の“you”の効果に最も近い言葉を選び取るのが肝心なのでしょう。

     では、ピースはどうか。〈東京三部作〉の翻訳に使われたのは「おまえ」です。誰かを名指しで示すような語感が感じられます。ほかならぬおまえ、というような。この語感は文藝春秋の他の翻訳書でも効果的に使われていて、『イヴリン嬢は七回殺される』の帯文でも、「おまえが真犯人を見つけるまで、彼女は何度も殺される。」と書かれています。これもまた、登場人物の一人に対して、「ほかならぬおまえ」と呼びかけるニュアンスがあると同時に(既読者はさらにニヤッとしますよね)、読者もまたこの推理に参戦させられる感じがします。この「ほかならぬおまえ」のニュアンスは、『占領都市』の最後の章、とある人物が語りを始めるにあたって、最大限の効力を発揮しています。

     ちなみに、帝銀事件がモチーフ、異なる語り手による複層的語り、という共通点から、恩田陸『ユージニア』を思い出させるのが、私の偏愛ポイントでもあります。『ユージニア』については、第12回の読書日記で『灰の劇場』を取り上げた時に言及させていただきましたが、「不安」を描かせたら右に出る者はないというか……。しかし、その『ユージニア』にも負けないくらい、『占領都市』も凄い本なのです。

    〇新刊『TOKYO REDUX 下山迷宮』について

     では最後、『TOKYO REDUX 下山迷宮』はどうなのか。下山事件とは、1949年当時、国鉄総裁だった下山定則が朝の三越百貨店で失踪、深夜に線路上の轢断死体となって発見されたという事件です。国鉄職員十万人以上の首を切ろうとした矢先の犯行であり、他殺が疑われますが、自殺か他殺かで捜査機関の意見は真っ二つ。捜査機関は「自殺」の結論を下し、のちに内部資料を「下山白書」として雑誌「改造」と「文藝春秋」に流出させ、事件は表向きには収束します。しかし、この事件について、のちに多くのノンフィクションが「下山総裁謀殺論」をしたためていくことになります。私もこの事件について最初に詳しく知ったのは松本清張『日本の黒い霧』(文春文庫)を通じてでした(後述)。

     とはいえ、事件の経過や結論については知らなくても、『TOKYO REDUX』を楽しむことは出来ます。むしろ、GHQ捜査官の視点から事件の発生前夜からその顛末を追いかけていくというのが筋なので、ピースの語りに身を任せて事件について知り、後からノンフィクション本などに手を出してみるというスタイルが良いかもしれません。

     下山事件を描く警察小説の逸品であり、三部作の掉尾を飾るにふさわしい大部であり、律儀なまでに作りこまれた謎解き小説でもありますが、私はこの作品の魅力を一言で、「〈語りの複層化〉を物語のダイナミズムの中で達成した圧巻の傑作」と言ってみたいと思います。

     太明朝体によるレイヤー(階層)の違う語りの挿入、語り手の変更による事件解釈の多層化。そうした今までの手法に加え、今回は、プロットの中で様々な文体・語りが巧みに挿入され、「下山事件が起きたあの夏」が複層化していくのです。未読の方の興を削がないよう、明言は避けますが、この小説は部の切り替わりごとに新鮮な驚きがある小説なのです。その驚きの中で、小説の原稿、証言、あるいは「おまえ」という二人称を使った語りなどが、物語のダイナミズムの中に続々投入されていくのです。

     また会話文を意味するカギカッコ(「 」)の排除も、今回の特徴と言えるでしょう。私の担当編集者に、「ミステリーにおいて読者の読みの基盤になるのは、三人称の地の文だと思います。会話文など、他の部分には嘘が含まれているかもしれませんから。地の文が多いミステリーの方が、安心して読むことが出来ると思うんです」と指摘してきた方がいます。この言を借りるなら、本書では、「信頼できる(はずの)地の文」と「信頼できない(はずの)会話文」を視覚的に区別するためのシグナルが一切存在しないことになります。もちろん、ゆっくり読んでいけば、どこが発話内容で、どこが語り手の心情なのかは分かるので、混乱することはないのですが、ふとした拍子に、この徹底したカギカッコの排除が不思議な酩酊感を生み出してくれるのです。この「溶け合う」という感覚が最も重要で、〈東京三部作〉で多用される太明朝体や、『占領都市』における章などの明確な区分けなしに、物語の起伏の中で多くの文体を経由していくのです。

     加えて今回、エピグラフの使い方の巧みさには触れざるを得ません。初読時には、おお、と流す程度で大丈夫です。読み終えた後帰ってくれば、不思議な感慨に包まれるでしょう。

     複層化し、互いに響き合っていく「語り」のダイナミズム……この楽しさと言ったらありません。現実と虚構の境目はどんどん曖昧になっていき、語り手の精神が揺らぐのと同調するように、読者である私の不安も増幅していきました(私は「不安」を感じる小説が大好物なので、これは超褒め言葉です)。

     特に今回はこの「おまえ」の使い方が絶妙です。ある箇所で唐突に「おまえ」の語りが始まった時、一瞬立ち止まって、どうして急にこの語りが挿入されたのか考えたのですが、そこで意味に気付いた時にハタと膝を打ちました。「ほかならぬおまえ」という名指しのニュアンスが、これ以上ないほど生きているのです。ちなみに、ここで指摘した「意味」については、黒原敏行による「訳者あとがき」において、ピース本人の意図もちゃんと書かれているので、読んだ後に確認してみてください。

     そもそも第一部において、「GHQによる下山事件の捜査」が描かれることからして、今までにない新鮮な書き方です。敬愛する松本清張の影響で、私も昔からこの下山事件には関心があったのですが、どうしても日本人の眼から見た事件の再構成になってしまうので、GHQ捜査官の視点というのが、それだけで嬉しく感じたのだと思います。

    『TOKYO REDUX 下山迷宮』は、下山事件について書かれた犯罪小説の新たなるマスターピースであり、まさにこの夏に読むべき逸品です。

    〇蛇足ながらの副読本

     ところで、下山事件についてよく知らない、という方のために、おすすめの副読本を挙げておこうと思います。

     まずは先述した松本清張『日本の黒い霧』(文春文庫)。上巻冒頭にある「下山国鉄総裁謀殺論」が、下山事件についての文章です。松本清張の凄みは、下山事件に関する事実の整理、疑問点の洗い出し、謀殺論の構築を、わずか100ページでやってのけてしまったことにあります。下山事件に関する基礎知識を頭に入れておくのに、これ以上格好のテキストはないでしょう。アプローチや深度が異なっており、それぞれに美点があるのですが、後続の「下山謀殺論」のどれもが、松本清張が築いたレールの上に載っているようにも感じます。松本清張には、ピースが『占領都市』で描いた帝銀事件を扱った傑作『小説帝銀事件』ですとか、1965年に起きた実際の事件、アムステルダム運河殺人事件の真相に小説の形で迫る本格推理『アムステルダム運河殺人事件』などの作品もあります。

     閑話休題。他には柴田哲孝『下山事件 最後の証言』(祥伝社文庫)。「自分の祖父が下山事件の実行犯かもしれない」との疑いから始まった柴田の調査行を描く圧巻のノンフィクションで、2006年の日本推理作家協会賞と日本冒険小説協会大賞の評論・実録部門賞をW受賞しています。「下山事件」の真相を探ろうとするジャーナリストとしての心と、祖父の真実を知ったら家族が悲しむかもしれないという一人の人間としての葛藤が鮮やかに描かれていて、手に汗握るドキュメントになっています。ある出来事の繋がり方なども面白いんですよね。ちなみに柴田はこのノンフィクションで描いたことを、フィクションの形でまとめ、ノンフィクションでは埋めきれない空白を鮮やかに埋めた『下山事件 暗殺者たちの夏』(祥伝社文庫)も発表していて、これも実に読ませます。

     他にもいろいろありますが、長くなる一方なので、このくらいで。

    〇ノワールの時代

     ここで持ってきたのは、デイヴィッド・ピースの『1974 ジョーカー』が邦訳刊行された時の「ハヤカワミステリマガジン」2001年8月臨時増刊号のサブタイトルです。当時エルロイからの影響を公言し、『不夜城』三部作で日本ノワールの最先端をひた走っていた馳星周(完全に私は後追いで想像しているだけですが)とピースの対談、ノワール必読書やフィルム・ノワールのリスト、ジェイムズ・M・ケインやチャールズ・ウィルフォードについてのエッセイ、デニス・レへインとジョージ・P・ペレケーノスの対談、当時〈リーバス警部〉が立て続けに刊行されていたイアン・ランキンの短編……当時のノワールを語るのに、この一冊は欠かせない、という雑誌なのです。ともにサングラスをかけてキメッキメの馳とピースの写真だけでも、たまらない。

     この一年、やたらとノワールの傑作に行き会った、というのが私の実感です。佐藤究『テスカトリポカ』(読書日記第11回)ピエール・ルメートル『僕が死んだあの森』、紫金陳『悪童たち』(読書日記第20回)、ジョゼフ・ノックス『スリープウォーカー』(読書日記第21回、解説)、デイヴィッド・ピース『TOKYO REDUX 下山迷宮』。古典の年代ですが、諏訪部浩一『ノワール文学講義』で取り上げられたジェイムズ・M・ケインの『ミルドレッド・ピアース 未必の故意』も訳されました。また、『ノワール文学講義』内ではその作品そのものは取り上げられていないものの、『サンクチュアリ』や『エルサレムよ、我もし汝を忘れなば』に初期ノワールの雰囲気があると論じられていたウィリアム・フォークナーについて、その諏訪部の訳で『土にまみれた旗』(河出書房新社)が刊行されたのも今年のこと……。去年に戻れば、扶桑社文庫から『コックファイター』や『ナイトメア・アリー』といった最高のノワールが出て嬉しかった……。そもそもの話、①鬱屈・屈折から脱出しようとする主人公が陥る破局、②人生を破滅に導くファム・ファタール(それも複数)、③独特の絵作りと世界観で築き上げられた世界(=文体)という三要件を完璧に具えている以上、藤本タツキ『チェンソーマン』(集英社)は最高のノワール漫画ということが出来……(この人は、ツイッターでも言っている妄言をまた言っているよ)。

     ピースが出た時と同じように、また「ノワールの時代」と言い張ってもいいような気がしたので、あえてミステリマガジンを引っ張り出してきたのです。『ノワール文学講義』においては、アメリカにおける初期ノワールの勃興と大恐慌の発生が重ね合わせられています。社会に対する不安、不満が噴出するときに、ノワールという文学形式が力を得るのだと、私は思っています。今年刊行されたノワールの傑作・良作群を見ていると、「鬱屈・孤立」の書き方のレイヤーや、文体の使い方、先行作の咀嚼の仕方などが各国によってまるで違い、そうした発見の一つ一つに楽しめます。

     ノワール……ノワール、書きたいですよねえ……。ノワールを書きたいという気持ちが暴走したのが、さっきもちょっと触れた某小説のある一章なんですけど……まあ……もっと文章が上手くならないと無理だな……。

    (2021年9月)



第21回2021.08.27
世界水準の警察小説、新たなる傑作 ~時代と切り結ぶ仕事人、月村了衛~

  • 月村了衛、書影


    月村了衛
    『機龍警察 白骨街道』
    (早川書房)

  •  まずは本の話題から。八月末に、ジョゼフ・ノックス『スリープウォーカー マンチェスター市警エイダン・ウェイツ』(新潮文庫)が刊行され、私が解説を務めています。『堕落刑事』『笑う死体』に続く三作目ですが、ここからでも十分読めます。『堕落刑事』『笑う死体』でも既に、ハードボイルドのプロットやギャングの抗争といった展開、あるいはモジュラー型警察小説の面白さの中に、「謎解きミステリ」のセンスの良さが光っていたのがノックスですが、今回の『スリープウォーカー』は完璧に本格ミステリーなのです。なぜなら、「名探偵 みなを集めて さてと言い」を地でいったような解決編まであるのですから。ノワール、ハードボイルドのファンは間違いなく手に取るべき連作ですが、謎解きミステリのファンも決して読み逃してはなりませんよ。

     そう、この日記を最初から読んでくれている方はお気付きでしょう(一体何人いらっしゃるのでしょうか)。記念すべき第一回の読書日記で取り上げたのが、このノックスの『笑う死体』だったのです(なので、一作目、二作目の詳しい紹介については第一回をご覧ください。担当者の方がページをリニューアルしてくださったので、探している回まで飛びやすくなっているんですよ)。新潮社の編集さんに聞いたところ、第一回のことは知らなかったようなので、完全に偶然なのですが、でもノックスの解説を書けたのは光栄なことでした。

       *

     ノックスも世界水準の警察小説シリーズですが、今月、日本でも世界水準の警察小説シリーズ最新作が登場しました。月村了衛『機龍警察 白骨街道』(早川書房)がそれです。ファンの多いシリーズだけに、私がここで取り上げるのも緊張してしまうのですが、これは一読震えてしまったので、ぜひとも取り上げようと思った次第。

     新型機甲兵装「龍機兵」という、市街地を想定した近接格闘兵器が存在する世界が描かれる本シリーズでは、この「龍機兵」を擁する日本の警視庁特捜部と、そこに属する警察官の異端児たちの活躍が描かれます。この設定を展開しつつ、特捜部と他の部局との対立、謎の組織との対決を描いたのが第一作『機龍警察』でしたが、シリーズは第二作で、早くも世界に目を向けます。

     それが第二作『機龍警察 自爆条項』(以下、シリーズ名を共通タイトル「機龍警察」を除いた部分のみで表記)であり、日本に潜入したアイルランドのテロ集団の戦いが描かれます。「至近未来小説」と作者自身が称する本シリーズでは、時に作品の題材が現実の事象に肉薄し、例えばロシアン・マフィアが絡んでくる『暗黒市場』では、日本でのカジノ法案が議論され始めたタイミングでそうした話が取り上げられていましたし(刊行は2012年)、『未亡旅団』ではチェチェンから日本に潜入した、自爆テロすら辞さない女性によるテロ集団「黒い未亡人」との戦いを描きました(刊行2014年)。

     現実に限りなく肉薄するからこそ得られるスリルと興奮、そして心がざわつくような読中感は、もはや冒険小説の域を超え、ポリティカル・フィクションの面白さにも近接していきます。私などは、冷戦を肌感覚で知らないため、スパイ小説にしばらく苦手意識がありましたが(今ではル・カレはマイフェイバリットな作家の一人ですが)、当時読まれたスパイ小説はこうした「現実に近い絵空事」の感覚で楽しまれていたのだろうと想像しています。

     内藤陳の『読まずに死ねるか!』に収録された開高健との対談「内藤陳vs.開高健」に、こんな一節があります(こういう時に内藤陳を持ってくるって、お前は一体いくつなんだよ、というツッコミはさておき)。

    開高 しかし、西側の作家にとってみても、スパイ小説は難しくなってるのよ。第二次大戦以後はね。東ヨーロッパ圏が広がったでしょう。(……)何を食って、どんなものの言い方をして、どんな慣用語句があってと、これを全部いちおう押さえていかなきゃいけない。ものすごい勤勉なやつでないと、これはとてもつとまらないわけです。
    内藤 しっかりしたものを書くには、ですね。
    開高 そうです。スパイ小説というのは、新聞――「タイムズ」でも何でもいいけど、その新聞の欄外余白に書かれたニューズ、解説なんだな。だから母体である新聞そのものの成熟度とスパイ小説の成長は密接な関係があるんで、スパイ小説のいい、悪いでその国の新聞の程度がわかるといっても過言ではないんです。”(p.49)

     この文章全体には、どこか古めかしいところというか、時代を感じさせるところがありますし、月村一人が上手く書けているから日本の新聞は優れているということにもならないのですが、この「新聞の欄外余白」という感覚にはどこか頷けるものがあります。現実のニュースとどこまでも近い距離感にありながら、しかし、現実からは少し外れたもの。絵空事であると頭では理解しながらも、少しのバランスで現実に雪崩れていきそうなもの。そんなスリルを味わうことが、スパイ小説を読む楽しみだったのでしょう。『007』まで行けば「大人のおとぎ話」になりますが、ここで言っているのはもっと現実との距離が近い作品です。

     私が〈機龍警察〉シリーズに感じていたのは、何よりもこのスリルでした。国際政治へのアンテナ感度が高く、それを作品に組み込める力のある作家だからこそ、滲み出てくるスリル。冒険小説としての構成の力、月村了衛の高い空間把握能力が生み出すキビキビとしたアクションの切れ味、そして魅力溢れ、過去にも暗い影を持った登場人物たち。そうした小説としての奥行きの中でも、読んでいる間に感じる「ゾクゾクとした」感覚は格別のものだったのです。

       *

     では、今作の『機龍警察 白骨街道』はどうか。これはもう、ゾクゾク、などという生易しいものではありません。もはや、戦慄といっても過言ではない。フィクションが現実と切り結ぶということの意義。「現代を照射する物語」と月村自らが語る構想が、最高の形で結実したことの凄み。そうした興奮を感じると同時に、途方もない奈落の果てに突き落とされたかのような、この読後感。帯に書かれた「日本はもう終わっているのか?」という惹句は、この読後感を見事に言い表しています。

     つまり、〈機龍警察〉はこれまでも高い水準を維持し続け、一作ごとに「最高傑作」を更新してきたにもかからわず、今回で更なる高みに到達してしまったのです。それはミャンマーを題材にとったからでしょうか。あまりにも現実と接近し、絵空事としては読めないほどのその迫力ゆえでしょうか。私は、もう一つ理由があると思います。

     それは、前作『機龍警察 狼眼殺手』から本作の刊行までの四年間、作者が「月村版 昭和―平成史」とも言える傑作群を次々発表したことと無縁ではないのではないでしょうか。『東京輪舞』『悪の五輪』『欺す衆生』『奈落に踊れ』の四作品が、これにあたります。

    『東京輪舞』(小学館文庫)は、ロッキード事件、東芝ココム事件、ソ連崩壊、地下鉄サリンなどの昭和史の裏側で展開されていた公安警察の戦いを年代記形式で描く骨太の傑作です。女スパイとの戦いがとにかく手に汗握りますし、前回の読書日記で個人的な思いを述べたオウム真理教の事件も取り上げられています。

    『悪の五輪』(講談社文庫)は昭和のオリンピック公式記録映画監督を巡る利権争いを描く、昭和史×映画ものの傑作です。映画好き(当時なので「カツドウ好き」と呼ばれます)の変人ヤクザ、人見の人間像が素晴らしい。オリンピックからいかに金を吸い上げるかを考える人間たちの群像と、ラストシーンの身を切るような切なさが、現代のオリンピックにも重なってくる。今思えば、なんて完璧なタイトルでしょう。

    『欺す衆生』(新潮社)は戦後最大の詐欺事件である「豊田商事事件」を材に取り、その詐欺事件を目撃した「個」の視点から時代を描くことで絶妙のクライム・ノヴェルに仕立てています。プロットの起伏が良くて、この長さでも一気読み出来てしまうんですよね。第10回山田風太郎賞に輝いています。

    『奈落に踊れ』(朝日新聞出版)は、1998年にノーパンすき焼きスキャンダル事件が発覚し、揺れる大蔵省を舞台にしています。東大出で飛び切り優秀にもかかわらず、出世街道から外れた変人・香良洲が、スキャンダルによって首を切られそうな四人の身勝手な頼みをあえて聞き入れ、大蔵省に切り込んでいくのが痛快です。どうしてもノーパンすき焼きという言葉に引っ張られてしまいますが、それは話のきっかけに過ぎず、中身はクールなピカレスクロマン、経済小説になっています。ラストシーンがしびれるのです。

     これらの傑作群はいずれも、近過去の事件を虚実取り交ぜて描き切ることによって、それが現在の腐敗構造をも照射し、日本人への警鐘となるような書き方がされています。例えば、『奈落で踊れ』では、消費増税は恒久的な増税を意味するとの批判や、「十年、二十年後の未来において、日本全体を根こそぎさらおうとする大津波を幻視して」(同書、p.271)香良洲が立ち尽くすシーンがあります。刊行されたタイミングを考えると、震えてきます。この『奈落で踊れ』や『東京輪舞』を興奮しながら手に取り、読み進めていったときに、月村の小説はまだまだ進化するのかと興奮したのを覚えています。

     そして、この「月村版 昭和―平成史」の視点が、遂に「至近未来」を書く〈機龍警察〉と合流してしまったのが、今回の『白骨街道』なのです。

       *

     月村が今回題材にした日本の過去とは、インパール作戦。いわゆる援蒋ルートを遮断するために、ビルマ側からインパールに侵攻しようとした作戦のことです。史上最悪の作戦として名を残し、日本兵の死者は一説によると七万人以上、大半は戦死ではなく、病死や餓死だったと言います。狭い山道を埋め尽くした日本兵の白骨を、『白骨街道』と呼ぶわけです。

     本作で姿俊之含む三人の龍機兵パイロットが従事させられるのは、ミャンマーで確保された犯罪者の身元引き渡し。日本初の国産機甲兵装を開発していた会社から、軍事機密を盗んだ男を、「現地での引き渡し」を条件に特捜部へ引き渡す。明らかに、これは罠です。そういう気配を察しながらも、特捜部長・沖津は三名の搭乗要員をミャンマーに派遣する。この時、元傭兵である冷笑的な男、姿俊之が漏らすのが、「まったく、二十一世紀になってインパール作戦に従軍するハメになろうとはね」(p.36) という言葉なのです。本作は「インパール作戦」を描くことによって、現代の日本を照射し、さらにミャンマー情勢へも肉薄するという、現代小説として最高峰の構成を取っているのです。

     もう、シリーズ読者はお気付きでしょう。〈機龍警察〉にはこれまで、魅力満点に書かれたキャラクターのうち一人が主演を務めるような構成になってきました。第二巻『自爆条項』ではライザ・ラードナーの壮絶な過去をアイルランド系テロリストとの戦いを通じて描き出し、第三巻『暗黒市場』では、三人の搭乗要員のうち元から警官だったユーリ・オズノフの過去が描かれます。『未亡旅団』はあの人、そして『狼眼殺手』では……これは読んでのお楽しみとして、私は常々、「もう一回姿俊之がメインに据えられる巻が来るだろう」と、シリーズ読者の友人と話をしていました。そして『白骨街道』では、登場して早々の皮肉めいたやり取りで姿俊之の魅力が満載。過去を掘り下げるというベクトルではありませんが、姿の目から過去の日本と現代の日本を重ね、照射するために、今回は彼が選ばれたのではないか、と思います。

     そして、この叩きつけるようなラストシーン。姿俊之だからこそ、そしてこの夏に読むからこそ映えるこのシーンは、一読忘れがたいものです。本書の発売記念メッセージとして、「庶民の怨念と文学の強度」という文章を月村了衛が著しており、私はプルーフに挟まれていたメッセージカードで読んだのですが、同内容の文章を早川書房のnoteから読むことが出来ます。「現代を照射する物語として構想した『機龍警察』が、ようやくその本質を実証できたように思う。この上は、白骨と化した怨念と文学の強度を堪能していただきたいと願うばかりである。」とのメッセージには力強さを感じます。過去を描き、至近未来に分け入ってきた月村了衛だからこそ、遂に辿り着いたこの高み。もちろん、この小説は現実の変容にこれからも耐え抜き、世界を見据えた日本警察小説×冒険小説の金字塔として残り続けるでしょう。ですが、この戦慄を、怨念を、熱さを、最も実感できるのは「今」です。月村了衛と同じ時代に生きていることの幸せを、一作ごとに噛み締めています。

     本書を読み終えてすぐ、ニュース番組を眺めていると、本書の舞台となっていたミャンマーの情勢が目に飛び込んできました。クーデターにより国軍が実権を掌握、国軍が酸素ボンベを一括管理し、医療を支配しており、酸素ボンベを手に出来ない民衆が二日以上も長い列をなしてボンベを求めているという映像で、『白骨街道』が描いた「現実」とは違うものの、薄皮一枚も隔たっていないところに私たちの現実があることに息を呑み、驚かされました。『白骨街道』をエンターテイメントとして消化することと、私たちの現実を見据えてものを考えることとは、矛盾しないと私は思います。月村了衛の小説を読むとは、月村了衛の眼を通じて、私たちの世界とその悪を見つめることと同じなのですから。

     月村了衛がこのシリーズで、次はどんな「悪」との闘争を見せてくれるのか。読者としてはワクワクすると同時に、緊張感をもって、国際政治のフィールドを見定めておかなければいけないような気がしています。

       *

     さて、かなりエモーショナルな方向で日記を締めくくろうとしていて、空を切っているような感覚がしてしまうので、もう少し作品の具体論に立ち返っておきましょう。

    〈機龍警察〉シリーズは『未亡旅団』以降、冒険小説としてのプロットの強靭さで読ませる方向にシフトしており、実はそれぞれ一作ごとにそこから読み始めることが可能になっています。本作『白骨街道』も、ここから読むことは十分に可能で、設定やキャラクターについては作劇の中で把握できるように書かれていっていますし、何より、ミャンマーを縦断する作戦の面白さで牽引されるので、あれよあれよと読めてしまうと思います。「地点Aから地点Bに辿り着くことがプロットのメインになる」という点は海外冒険小説の王道で、その終着駅が「白骨街道」というだけでも興奮してしまうのですが、何より、このシンプルで強靭なプロットから『土漠の花』(幻冬舎文庫)を思い出して嬉しくなってしまいます。

     最近は「いかに龍騎兵の見せ場を限定し、盛り上げるか」という作劇にもどんどん力が入っていて、特に今回のアクション小説としての趣向には興奮しました。これだけのアイディアと動きをこの短さで書けてしまうのは、本当に凄いことなのですよ。『槐』の杉江松恋解説には、当時のインタビューが引用されていて、月村はアクションを考える時、「地図やそれぞれの位置関係の覚え書きやタイムテーブルを作って、三次元的に把握しながら書いていきます」(同書、解説内p.399)と話していますが、作品を読めば、本当にその通りにやっているのだと一目瞭然です。今回は機龍兵の動きにある「縛り」が課せられるシーンがあるのですが、それがまた面白いんだよなあ……!

     また、海外出張に向かう姿たちと、日本に残り推理を巡らせる沖津たち、という役割分担を明確にしたおかげで、かなりプロットを追いやすくなっています。おまけに、沖津が推理する「この事件の裏に一体何があるのか?」というホワットダニットの内容は、限りなくポリティカル・フィクションでありながら、同時に、そう考えればすべてが結びついてしまうという謎解きミステリーの快感に満ちたものでもあります。おまけに、この謎解きが「月村版 昭和―平成史」ともある意味結びついてしまうのですから、舌を巻くほかありません。〈機龍警察〉はどんどん「情報戦」の書き方が上手くなって、そういう意味でスパイ小説をも思わせるのが魅力です。

     また今回、在ミャンマー大使館の愛染、ミャンマー警察や国軍の面々も、それぞれに思惑を抱え、しっかりとした行動原理で姿たちと渡り合ってくるので非常に読ませます。特に愛染、彼の語る過去パートがなかなか良いのです。それを聞く姿の醒めた反応も良い。こういう作戦に、まったく違った行動原理の人間が一人介入するだけで、冒険小説はグッと深みを増すのです。

     ああ、まだまだ到底、語り足りません。そもそも、今年月村了衛は『非弁護人』(徳間書店)という傑作を世に送り出しています。弁護士バッジを持たず、裏から法廷を操っていく元弁護士を主人公に、「ヤクザ喰い」と呼ばれるビザールな悪との戦いを描いていくピカレスク小説で、キビキビとした調査パートによって次第に敵の恐ろしさを点描し、ようやく姿が見えたかと思いきやツイストがあり……という、これまた年間ベスト級に面白い作品だったわけです。それさえアッサリ超えてくる『白骨街道』って……。いやいや、素晴らしい……。

     ともあれ、『機龍警察 白骨街道』。今すぐにでも読むべき、「今」、そして「未来」の小説として、大いにオススメいたします。

    (2021年8月)



第20回 特別編62021.08.13
七月刊行のミステリー多すぎ(遺言)~選べないから全部やっちゃえスペシャル~

  • エドワード・ケアリー、書影


    エドワード・ケアリー
    『飢渇の人
    エドワード・ケアリー短篇集』
    (東京創元社)

  •  この七月、私がデビューした新人発掘プロジェクト「カッパ・ツー」から、遂に第二弾の作品が登場。犬飼ねこそぎ『密室は御手の中』(光文社。以下、敬称略)がそれです。

     石持浅海・東川篤哉の両氏を選考委員とするこのプロジェクトは、最終選考で受賞作が決定した後、石持・東川・新人作家の三人で鼎談の機会を持ち、「どう直していくか」「プロとしてもう一段高めるには何をするか」をじっくりと議論し、形にするというスタイルを取っています。そのため、受賞から刊行までに間があり、読者から見ると「忘れた頃にやって来る」という形になっていると思います。ある意味、「最も面倒見が良い『本格ミステリー専門』新人賞」と言えるのではないでしょうか。

     今回の受賞作、犬飼ねこそぎ『密室は御手の中』は、新興宗教『こころの宇宙』で起きた密室殺人を名探偵が解き明かすという、いかにも古式ゆかしい本格ミステリーの結構を取っていますが、文章や構成力のおかげでスッと物語に入っていけるのがとても不思議。いい意味で、肩の力が抜けた書きぶりで、緻密なロジックにより二転三転する展開と、タイプの違う密室トリックの競演で読ませてくれます。特に「百年密室」の回答には、思わず膝を打ってしまいました。また、少年教祖と名探偵との関係性も面白く、なぜ謎を解くのか、なぜ論理をふりかざるのか、という部分をサッと入れることで後半のドラマを引き立てています(このサッと、というのがキモで、第一回カッパ・ツー受賞者のように暑苦しくなっていないのです)。今年の本格ミステリーの注目作です。ぜひ。

        *

     さて……そんな『密室は御手の中』を含む七月刊ミステリーですが、ここで一言。「多すぎる!」。あまりの充実ぶりにホクホクする気持ちと、これだけ畳みかけられるとさすがに息切れしてくる気持ち。おそらく、「このミステリーがすごい!」のランキング対象期間が一か月早まったせいではないかと思うのですが(昨年、奥付9月30日までの刊行作品とレギュレーションが変わりました)、大部の完結編なども出ており、「この夏はミステリーマニアを試しているのではないか?」と思ったほどです。

     いつもは楽しく読んだ多くの本の中から、断腸の思いで二冊を選び、この読書日記に載せていますが……もうだめです。さすがに選びきれません。そこで、開き直ることにしました。

     分かった、全部書いちゃおう。

     こんな思い切ったことはこれきりにしたいというのが本音です。ただ、このままどこにも書かないと、私の感情の行き場もなく……。なので、七月刊と、六月刊なのに私が読んだのは七月になってしまったという作品をまとめて紹介していこうと思います。紹介で気になるのがあったら手に取ってください、というノリでいきます。今回の書影の掲載は偏愛度で『飢渇の人』に譲りましたが、正直、ここで取り上げたものは全部面白いと思っています。

     また、頑張って読みましたが、正直、刊行ペースに全く追いついていません。読者の皆様は「あれがない」「これがない」と言いたくなるかもしれませんが、このままではこの原稿が無限に長くなるので、「七月三十一日までに読んだ本」でバサッと切ってしまうことにしました。正確には竹本健治『闇に用いる力学』は八月一日の午前一時に読み切っていますが、まあ私が寝るまでが三十一日だったということです。

     ちなみに、第18回の冒頭で取り上げ、解説も書いたラグナル・ヨナソン『閉じ込められた女』と、第19回の冒頭で紹介した若林踏編『新世代ミステリ作家探訪』も、本来ならこのラインナップに並べられるべき作品。この二作も素晴らしい作品ですので、あわせてご覧ください。

     では、いきます。

     マイケル・ロボサム『天使と嘘』(ハヤカワ・ミステリ文庫)は、臨床心理士サイラスと、嘘を見抜く体質の少女「イーヴィ」のコンビを描いたミステリーです。この二人の出会い、少しずつ距離を縮めていく過程、一緒に事件を解くまでの流れがとにかく面白い。冒頭、自分たちの悲惨な生い立ちを語る少年少女の中で、一人だけ映画のあらすじを語るイーヴィと、聞いていた中でたった一人気付いて笑ってしまうサイラス、なんていう序盤のシーンだけで、たまらなく顔が綻んでしまうのです。また、シリーズ一作目である本作では殺人事件に割かれる比重が少なめですが、こちらも、あるワンポイントに着目したキレのあるフーダニットになっています。解かれ方が論理パズルみたいで、そのくせ事件関係者の背景がちゃんと立ち上がるので、なんだか不思議なんですよね。イーヴィの過去にはかなり凄惨な事件があったことがほのめかされており、このシリーズは次作でそこをもっと掘り下げるよう。三部作になるとの予定で、これからますます面白くなること請け合いです。

     小池真理子『神よ憐れみたまえ』(新潮社)は、小池ミステリ史上最大にして、最高の犯罪小説。昭和38年11月に両親を惨殺された十二歳の少女の人生を辿るという筋で、序盤は彼女や彼女を取り巻く人々、そして両親を殺した「彼」のパートで進んでいくのですが、この「彼」がその昭和38年11月の日に国鉄の事故に巻き込まれているという設定がまた良い。ボタンの掛け違い。または歯車のひずみ。何か大いなるものに運ばれていくように、しかし、一歩一歩歩んでいく「犯罪後」の彼女の来し方に思いを馳せながら読んでいくと……ある箇所で不意に驚きが訪れます。それはミステリー的な驚きではありません。「この先を、書いてくれるんだ」という嬉しさと困惑、そしてそのページを開いた瞬間に始まる、喪失と別離の物語。このラストによって、漆黒に塗りたくられたこの圧巻の大部は、読者の心を熱くさせる見事な小説となるのです。残酷で、やるせなくて、それなのに生きる力をもらえるような小説です。最後は涙が止まらなかった。昭和38年に十二歳なので、小池真理子自身の生年とほぼ同じなんですよね。素晴らしかった。

     C・J・ボックス『越境者』(創元推理文庫)は、猟区管理官〈ジョー・ピケット〉シリーズの最新作。講談社文庫で長らく訳されてきましたが、昨年、『発火点』によって創元推理文庫に翻訳刊行を移籍。その『発火点』はリアルな山火事描写によるサスペンスを描いた作品でしたが、今度の『越境者』は舞台に雪が降っているのもあり、ある意味好対照をなしています。ジョー・ピケットの盟友である鷹匠のネイト・ロマノウスキが登場するのが、シリーズ読者にとっては嬉しい作品ですし、ジョーが追跡する暗殺組織の裏にネイトの陰が見え隠れするという、「ジョーvs.ネイト」を押し出した構成にも興奮間違いなし。このシリーズは前作のネタバレ等は一切ないので、どこから入っても楽しめます。ネイトのことを知りたければ、彼が主演を務める最高の作品『鷹の王』(講談社文庫)が現役で手に入るうちに買い、読みましょう。主人公の克己の物語に焦点が当たること、冒険小説としての奥行き、一年に一回刊行のペースをボックスが守っていることなど、この読書日記で第14回に取り上げたディック・フランシスの特徴を思い出すのが彼です。一作ごとの充実度と完成度では、フランシスをも凌駕するかも。

     アルネ・ダール『狩られる者たち』(小学館文庫)は、2021年のミステリ・ランキングで健闘した犯罪小説『時計仕掛けの歪んだ罠』の続編。『時計仕掛けの歪んだ罠』は、ありふれた猟奇サスペンスのように始まった作品が、四部構成のうち、第二部に入った瞬間、「こんな展開今まで見たことない」というようなスリリングな切り返しを見せ、そこから謎解きサスペンスとして突っ走っていく構成に妙がありました。しかし、同じ手は二度通用しません。さあ、今回はどうするのかと思いきや……あっさりと、ハードルを飛び越えて見せたのです。今回も四部構成なのですが、一部で既に驚愕。「こんな展開にして、一体何をどうするつもりなんだ!?」と驚いたのも束の間、ダールに鼻面を引き回され、一寸先も読めないスリラーに魅了されることになります。特に感心したのは、場を引っ掻き回すだけ引っ掻き回した後、二部に一度「これからやるべきこと」を整理して次の展開へ動いていくという、キビキビとした捜査小説としての基礎部分です。これが固まっているからこそ、どんな展開に持っていこうとついていけるんですね。とはいえ、前作『時計仕掛けの歪んだ罠』から続くストーリーについては、いったん綺麗に収束させてほしいところ。少年漫画かよというぐらい引っ張ります。引っ張るなら、せめて解決するまでは邦訳が続いてほしいです。

     エドワード・ケアリー『飢渇の人 エドワード・ケアリー短篇集』(東京創元社)は、ダークでグロテスク、そして奇妙なファンタジーを得意とする作家、ケアリーの日本オリジナル短篇集です。本文だけでなく、作中に出てくる不気味だがユーモラスなイラストもケアリーお手製、さらには作中に登場する町の模型を作り写真を掲載してしまう(『アルヴァとイルヴァ』、文藝春秋)など、クリエイティブ精神においては国内外眺め渡しても比ぶ者なき逸材ですが、大長編が多く、敬遠していた向きもあるかもしれません。本作『飢渇の人』は、これまでの長編でも発揮された、ケアリーのエピソード作りのうまさと切れ味、「物」に対するフェティシズム、細かな描写から世界を立ち上げる力がいかんなく発揮された作品で、たとえて言うなら早川書房の『異色作家短篇集』に入っていてもおかしくない作品集です。それも、訳者の古屋美登里がケアリーに、初めての短編集を編みたいと伝え、この短編集のための作品が六編も書き下ろされているというのですから、これほど贅沢な話もありません。私のお気に入りは、色んなものを仮託しながら読むと不思議な笑いが込み上げてくる「バートン夫人」、短篇集のこういう遊びが好きすぎる「アーネスト・アルバート・ラザフォード・ドッド」「鳥の館 アーネスト・アルバート・ラザフォード・ドッド著」(前者でアーネストの人生を短編で書き、後者でその人が書いた短編をそのまま載せる、という趣向です)、短編にして群像劇でもあり、長編『望楼館追想』さえ思わせる「私の仕事の邪魔をする隣人たちへ」、長編『おちび』と同じくフランス革命の時代を題に取ったスピンオフとも言える短編「飢渇の人」です。『おちび』と「飢渇の人」は、どちらを先に読んでも楽しめます。ケアリー愛好者にとって最高の贈り物であり、入門にもうってつけの作品集です。

     紫金陳『悪童たち』(ハヤカワ・ミステリ文庫)は、早川書房や文藝春秋から今一つの潮流としてプッシュされている「華文ミステリー」紹介が、新たなステージに入ったと感じさせられる傑作です。妻の実家の財産を狙う男が、義父母を事故に見せかけて殺害。これが冒頭で描かれるのですが、このシーンを少年少女三人が偶然撮影していたカメラで収めてしまいます。警察に届けるべきところですが、三人のうち二人は孤児院から逃げてきたので警察に見つかるのはまずい。彼らは自分たちの将来のため、犯罪者を脅迫して大金をせしめようとする……といった筋の犯罪小説なのですが、偶然噛み合ってしまった歯車があれよあれよと計画を狂わせていく、その過程が面白い。特に感心したのは、下巻、ある展開によって物語の底が抜けた瞬間です。それまで、「最悪」に向けて突き進んでいく犯罪小説のプロットを楽しみながらも、感じていた違和感。それが解消されると同時に、「この物語はなんだったのか」が鮮やかに明かされる。面白い犯罪小説を読みたい人も満足できる作品ですが、この驚きは、必ずや謎解きミステリーのファンも満足させることでしょう。あまり日本に引き寄せて語りたくはないですが、訳者あとがきには、東野圭吾の『容疑者Xの献身』を読んで「社会派」ミステリーを志したと書いており、まさしく、東野ミステリーの犯罪小説的側面、『白夜行』などをはじめとした東野ノワールのプロットなどを咀嚼し、昇華させた作品だと考えています(これはネタバレスレスレなので挙げられませんが、本格ミステリーとしても評価が高い東野のある作品をも取り込んでいます)。あえて「華文ノワール」と称したい傑作で、これまでに邦訳刊行された華文ミステリーの中で一番好きです(これまでは水天一色『蝶の夢 乱神館記』(文藝春秋)が一番好きと公言してきました)。ところで、最新のハヤカワ・ミステリマガジンには紫金陳のインタビューが掲載されているのですが、伊坂幸太郎と東野圭吾が好きと語ったうえで、東野圭吾で一番好きと言った作品が……私も大好きだけど、それかい! なんだか気になります、紫金陳。

     ライリー・セイガー『すべてのドアを鎖せ』(集英社文庫)は、献辞をアイラ・レヴィンに捧げていることからも分かる通り、マンハッタンのアパートメントで起こる怪事件に巻き込まれる『ローズマリーの赤ちゃん』にオマージュを捧げつつ、それを見事に現代式にアップデートしてみせたホラー・サスペンス。高級アパートメントの空き部屋に番として住むだけで、大金がもらえるという求人広告。見るからに怪しい広告ですが、失業中で、とにかく金に困っているジュールズは飛びつく(この「貧困」の書き方が、実に現代的で……ある意味日本の状況にも重なります)。女優や憧れの作家、医師。セレブたちが暮らす高級アパートメントの雰囲気に酔いしれるジュールズ。しかし、不穏の陰は少しずつ忍び寄っていく。「敵がいるのは分かっているのに、その正体が見えない」序盤はかなりヤキモキさせられるのですが、マンハッタンの街の描写なども良く、それらを楽しんでいたところ、ある物証が発見された瞬間、恐怖が加速。そこからはノンストップで読んでしまいました。特に、どんでん返しの連鎖の中のある部分の処理があまりに上手いことに、唸ってしまいました。ここからどう持っていくんだろうと思っていたら、するっと方向転換するんですよね。で、伏線も張ってある。感心しきりでした。アイラ・レヴィン好きはニヤニヤしながら読むと思いますが、そんな人も驚くでしょう。リーダビリティーも高く、この次の作品も面白そうなので紹介が待たれるところです。

     マイクル・コナリー『鬼火』(講談社文庫)は、〈ハリー・ボッシュ〉シリーズの最新作。ボッシュものであると同時に、『レイトショー』『素晴らしき世界』と続いてきた深夜勤務の女性刑事・バラードの三作目でもある……のですが、実は私はあまり褒められたコナリー読者ではなく、『エコー・パーク』あたりまでをなるべく順番に追い、あとは『転落の街』など評判を聞いたものを拾い読みして、ここ数年はサボってしまっていました。ではなぜ、今回手に取ったかというと、やはりコナリーには「Night」の印象があって、原題“The Night Fire”を見て興味を惹かれ、訳者あとがきにも「終盤の怒涛の展開は近年屈指」(『鬼火』下巻「訳者あとがき」、p.343)とあったため。第一作の原題は“The Black Echo”なのですが、邦題は『ナイトホークス』(扶桑社文庫)なんですよね(ちなみにBlackも多い)。『暗く聖なる夜』とかの印象が強いのでしょうか。で、読んでみたところ……いや、凄い、ウルトラ傑作でしたね……。ボッシュの恩師である刑事が亡くなり、その葬儀の日に託された麻薬がらみの殺人事件の調書。バラードが遭遇するホームレス放火殺人。判事暗殺事件の裁判。この三つの事件が絡み合うのですが、一個一個の演出が本当に上手い。そもそも、ボッシュの異母弟のハラー(リンカーン弁護士のことです)が判事暗殺事件の裁判で見せる法廷戦術からして面白いのに、それを上巻であっさり使い切るし……。「繋がるぞ。絶対にこの事件は繋がるぞ」と身構えて読んでも、読者が夢中になって読んでしまいガードを下げるタイミングを心得ているし……。本当に衰え知らずですね、コナリーは。また、今回の事件の構図は、核は一言で説明出来るというくらいシンプルなのが良い。それをここまで演出してみせるんだから凄いですね。堪能しきったので、バラードものに追いつこうと『レイトショー』『素晴らしき世界』を即座に買いました。また、訳者あとがきによると、次のコナリーはジャック・マカヴォイ・シリーズである『ザ・ポエット』『スケアクロウ』の続編になるよう。この二作が結構好きなので、次も発売日に買います。

     西澤保彦『スリーピング事故物件』(コスミック出版)は、このところ西澤作品を復刊刊行していた同出版社から遂に刊行された書き下ろし新作(『神のロジック 人間のマジック』が気軽に手に取れるようになったのは本当にうれしいことです。超大好きな一冊なんですよ)。いわくつきの事故物件にルームシェアして住む三人の女性。犯罪が起きた物件であるその家では、部屋の中にあるワープロ専用機を動かさないよう禁止事項が言い渡されているのですが、そのワープロに文字を打ち込んだところ、幽霊となった被害者と交信することに。21年前の殺人事件の真相とは? というのが筋。愛憎微妙な関係が入り乱れた三人の女性の、ブラックでどこかトボけた会話劇(これは作者の現代ミステリーの特徴ではありますが)に乗せられていると、背筋が凍り付くような異形のホワイダニットに背負い投げを食らわされます。サイケでポップな表紙に騙されていると、飛ぶぞ、といった代物です。

     エリー・グリフィス『見知らぬ人』(創元推理文庫)は語りの魅力満点のビブリオミステリー。イギリス・ミステリーからまたしても実力派の登場です。タルカーズ校は、かつてヴィクトリア朝時代の怪奇作家・ホランドの邸宅だった。そんな学校で教師が殺され、遺体の傍にはホランドの短編に登場する言葉が書かれたメモが。これは、ホランドの小説の再現なのか? というのがメインの謎ですが、それを日記にしたためる女性教師のクレア(今時、あえて「紙の日記」というのが良いですし、それを可能にするキャラ設定も面白い)の語りの魅力によって、ユーモアに満ちた、しかし少し底意地の悪い人間観察に溢れた作品になっています。この「少し底意地が悪い」というのは誉め言葉で、私はイギリス・ミステリーのそういう皮肉めかしたところが好きなんですよ。語り手を少しずつスライドしていって事件を複数の目で描いていく、堅実ながら魅力的な書きぶりや、終盤に向けたサスペンスの高まり、要所要所に挿入されるホランドの短編小説「見知らぬ人」の面白さなど(同じく創元推理文庫の『怪奇小説傑作選』の一巻に入っていてもおかしくない出来栄えです。大時代的な語り口が、いいんですよね。「猿の手」なんかを思い出します)、見所満載。この本、更に嬉しいのが、本編が終わって、解説の前に、アレがちゃんと収録されているところ。こういうプレゼントが、何より嬉しいですよね。ちなみに、学校が昔は違う建物で……という設定を生かした作品に、テレビドラマ「新米刑事モース ~オックスフォード事件簿~」の「顔のない少女」という回があって、百年前の事件が関わってくるところや、ゴシックな雰囲気などが共通しています。この「顔のない少女」は、百年前の未解決事件に拘泥するモースが、そこから現在の殺人事件まで解き明かしてしまうアクロバティック・パズラーで、それを思い出させる『見知らぬ人』の設定も嬉しくなってしまったわけです。

     古野まほろ『征服少女 AXIS girls』(光文社)は、同じく光文社より2019年に刊行された『終末少女 AXIA girls』の続編。アポカリプス的な世界観と夏の孤島という取り合わせ、そして怒涛の解決編と論理に圧倒される『終末少女』は、まさに夏に読むべき傑作ですが、『征服少女』はまたしても趣を変えて読者の脳を揺るがす本格ミステリーの雄編です。天国の勢力を上げた地球再征服作戦。彼女らは最大の戦艦にして新世界の方舟〈バシリカ〉に乗り込み、悪魔に支配された地球へと……という筋なのですが、この独特の世界観の中に配置された違和感と、少女たちを襲う惨劇の謎が、たった一つのフーダニットを始点に全て鮮やかに解き明かされてしまう、その手腕が見事。この快感は凄まじいものですし、戦艦という舞台設定から『天帝のみぎわなる鳳翔』を思い出す往年のファンもいることでしょう。滅びゆく世界を舞台に、「まだ分からないこと」がたくさんある状況を描き、夏の清冽なイメージも描き切った『終末少女』と対照的に、この世界観の全てがいよいよ説明・解明されていく『征服少女』。対照的な二作でありながら、本格ミステリーとしての構築性と驚愕は同じ高みにあると思います。特に、不可能興味の書き方が好きでした。この設定、この状況下で、絶対にこの犯行は不可能だ、とガチガチに詰めておいて、それを鮮やかに解いてしまう見事さ。これは先も述べた『鳳翔』の毒殺経路の特定の鮮やかさを思い出します。読み応えもあり、大満足の一冊。

     山沢晴雄『死の黙劇 〈山沢晴雄セレクション〉』(創元推理文庫)は、著者初の文庫化。私は高校生の頃、光文社文庫の『本格推理』から出ていた別冊シリーズ『本格推理マガジン』という企画を愛読していて、その中でもぶっ飛んだのが、『硝子の家』に収録された山沢晴雄の「離れた家」。こういうアリバイトリック系の中では最も複雑なのではないかと思えるほどなのですが(分刻みの行動表がついている麻耶雄嵩『木製の王子』(講談社文庫)よりも、体感では「離れた家」の方が複雑ってどういうこと)、実は解かれてみると、事件全体の構図はかなり見通しやすいと感じて、狐にでも化かされたような気持ちを味わったのです。それ以来、私は山沢作品の虜となり、日本評論社から出た『離れた家』をなんとか手に入れ、『本格推理マガジン 絢爛たる殺人』に掲載された山沢参加のリレー小説「むかで横丁」を読み……と過ごしてきたわけですが、今回『死の黙劇』が文庫になると聞いて驚愕。山沢の探偵役・砧が出演する五作に加えて、犯人当てなどの四作。私も未読が五作も読めるとあって大満足でした。たとえていうなら、偶然まで含めて複雑に絡んだ因果の糸を、彼はこういう意図で動いた、一方彼女はこう考えて動いた、など一つ一つの必然性の説明によって一本一本ほぐしていくのが山沢ミステリーの味で、鮎川哲也なら長編一本かけてくれそうなところをあえて四十ページで早回ししてみせる「京都発“あさしお7号”」なんかはまさにそうした読み味。だから短編の尺にもかかわらず、じっくり、腰を据えて読むことが求められる感じがします。とはいえ、私にとって山沢作品を読むことは、チェスタトンや天城一、あるいは平石貴樹の純正論理の世界に浸る楽しさに通ずるものがあって、自ずから読む時の心構えも変わってくるというわけなのです。初めて読む方には、落ち着ける環境で腰を据えて読むことをオススメします。創元推理文庫からは幻の長編『ダミー・プロット』も刊行予定とのことで超楽しみです。

     三津田信三『忌名の如き贄るもの』(講談社)は、〈刀城言耶〉シリーズの最新作。自分の名前とは別に与えられ、決して他人に教えてはならず、その名で呼ばれても振り返ってはならないという「忌名」。その儀式の最中に起きた殺人に刀城言耶が挑む、という筋なのですが、冒頭で語られる怪異のシーンがもう怖い。「生きながら埋められる」というのは私の中で「ホラーで一番怖いやつ」なのですが(あとは眠っている間に何かされるやつ。防御不能なのが怖い)、それに加えて、今回は儀式の最中に道を歩いている時に後ろから呼ばれるというシーンで、語り手も振り返らず、そこにあるものを直接見ないだけに、読者の側も恐怖が高まるという趣向。夏に読むのにうってつけです。そこから刀城のパートに移っていくわけですが……今回はもう、まさに一読驚愕。刀城言耶というのは、名探偵なのですが、作中でも「迷探偵」と言われるくらい推理が迷走するところがあって、何せ関係者を集めた時点ではまだ事件を解いておらず、警察側も「人を集めたら刀城へのプレッシャーになって何か思いつくかも」と人を集めてくるという次第なのです。その迷走ぶりが生み出す「一人多重解決」がこのシリーズのウリにもなっているわけですが、ここが今回はべらぼうに面白い。伏線の張り方と解釈の利用の仕方が上手いんですよね……それによって、今回の異形の動機が際立っている。思わずため息を漏らすような見事なホラー×本格ミステリーでした。途中の事件の手数の多さや充実度の点では、『山魔の如き嗤うもの』や『碆霊の如き祀るもの』(どちらも講談社文庫)に譲りますが、真相のインパクトはシリーズ屈指だと思います。面白かったー。

     ペーター・テリン『身内のよんどころない事情により』(新潮クレスト・ブックス)はベルギーの作家によるメタ・フィクション小説。あるパーティーを断るために「身内のよんどころない事情により……」という表現を使った作家は、「もし自分の伝記が書かれるとすれば、この表現をきっかけに色々邪推されるのだろうか」と考え出す。彼は新たな小説の構想を得、娘と一緒に幸福に暮らしていたが、その娘が病に倒れた。「身内のよんどころない事情」は本当になったのだ……というのが大体の筋。小説家のパートだけでなく、彼が書いた小説の登場人物「T」(「ぼく」)のパートも含めて、複雑な入れ子構造をなした小説で、一読ではすべてを見通しづらいのですが、読み返してみると、この複雑な構造がどうなっていたのかが少しずつ見えてきて、その興奮がまた面白さを搔き立てる、といった読み味。この小説は三部構成を取っているのですが、部の切り替わりごとに、「そっちに転がるのか」と思わされる展開が面白く、特に「この小説は一体なんだったのか」が、ジグソーパズルのピースが嵌まるように見えてくる第三部が素晴らしい。細かい部分には多くの謎が残る文学作品なのですが、この構成がミステリー好きにもアピールすると思い、あえて取り上げてみました。皮肉とユーモアに満ちた語りも魅力満点です。

     竹本健治『闇に用いる力学』(光文社)は、「赤気篇」「黄禍篇」「青嵐篇」の三部作で、四半世紀の時を経て遂に完結。ただし、書籍化されていたのは「赤気篇」のみで、「黄」「青」初の書籍化です。通常の「普及版」販売とは別に、定価三万円の「特装版」(!?)も同時発売で、力の入れようが分かるというもの。二十世紀末の東京を舞台に、人喰い豹の出現、超能力少年の蒸発、高齢者を狙い撃ちで広まっていく突然死ウイルス〈メルド〉など、世界が破滅に向かっているとしか思えないほどの大事件・怪事件が連なっていくというのが大まかな筋で、正気を失っていく人々の恐怖を群像劇として描き切った暗黒小説と言えます。際限なく広がっていく事件に感じる酩酊感は凄まじいものです。私は旧版の『闇に用いる力学 赤気篇』を手に取った時、竹本が1995年のオウム真理教事件について「あの事件の決着のかたちは現実にあってはならないものだという想い」があったと述べ、「あの事件によって歪められてしまった現実のかたちを、小説のなかであるべきかたちにもどしてやればいい」と書いていました。これが、私が『闇に用いる力学』という本を手に取った動機、だったのです。地下鉄サリン事件の時、私はまだ生後間もない頃で記憶はありませんが、両親と共に祖父母の家に帰省していて、たまたま一日早く帰ったからいいものの、予定通り帰っていたら、父親はあの地下鉄に乗って出勤していた、と両親から聞かされたことがあります。それ以来、オウム真理教、地下鉄サリンという言葉は、私の中で絶対に手の届かない淀みのようなものになっていて、だからこの竹本健治のあとがきの言葉が、深く胸に残ったのです。当時のあとがきでは詳らかにされなかった、竹本健治のあの事件に対する意見は、『黄禍篇』の中で表明され、『青嵐篇』で作品の形で完全に成就され、特装版の特別付録冊子の中で、インタビュワーの千街晶之が踏み込んで聞いています。あのあとがきの言葉が分かるとともに、『赤気篇』帯の「私たちは本当に世紀末を乗り越えたのか」という言葉になぜかヒヤッとするような。四半世紀をかけた大部は、例えばウイルスの描写などが今のコロナ情勢を思わせるなど、時間をかけただけに、現実と重なる箇所も多くなっています。現実の変容にさらされながら、遂に完結したこの大部は、私の中で『匣の中の失楽』や『フォア・フォーズの素数』、『狂い壁 狂い窓』と並ぶほど好きな竹本作品になりましたし、個人的な体験の意味でも特別な一冊(まあ、三冊ですが)になると思います。

     さて、今月は浅田次郎の『兵諫』(講談社)も刊行され、これは『蒼穹の昴』シリーズの最新作であり、西安事件を描いたという意味で蒋介石を描いた小説でもあります。そして、『闇に用いる力学』は、現実の変容にさらされながら、「この国の終わり」を描いた作品でもありました。そうした二冊と共時性を持つように、蒋介石を妨害するためのインパール作戦を描きながら、現実の変容と取っ組み合い、国の終焉を見据えた傑作が八月に刊行されます。

     それこそが、月村了衛『機龍警察 白骨街道』(早川書房)です。発売前の新刊を取り上げるのは気が引けるので、これは次回に詳しく書いていきましょう。

    (2021年8月)



第19回 特別編52021.07.23
ヴァランダーは、われわれと共に生きている ~警察小説の最高峰、最後の贈り物~

  • ヘニング・マンケル、書影


    ヘニング・マンケル
    『手/ヴァランダーの世界』
    (創元推理文庫)

  • 〇「作家本」の話

     作家についての特集本や、その作家についての資料。そうした「作家本」を読むのはやはり楽しい。もちろん、好きな作家の思わぬ一面を知らされ、ショックを受けることもあるが、それも一つの発見です。

     その話は第12回で恩田陸・山尾悠子(以下、敬称略)のムックを取り上げた時もしましたが、やはり一番興奮させられるのは、作家その人が関わるものです。インタビュー・対談も良いですし、自作解説や自選短編集などは作者のこだわりや好み、それを書いた時の手応えが窺えます。実作者の一人として目がランランとしてしまうのはやはり創作ノートですね。神奈川近代文学館の特別展で「巨星・松本清張」展が開かれた時は、『点と線』(新潮文庫)の創作ノートをいつまでも穴のあくほど見ていたので、同行者に引かれました。

     さて、今月、そんな「作家本」が発売になります。若林踏編『新世代ミステリ作家探訪』(光文社)がそれです。これは書評家・若林踏と10人のミステリ作家との対談集で、参加陣は、円居挽、青崎有吾、逸木裕、斜線堂有紀、呉勝浩、澤村伊智、矢樹純、方丈貴恵、太田紫織、そして私という顔ぶれ。光文社からは綾辻行人対談集の『シークレット』が昨年発売されていますが、一人も対談相手が被っていないのが面白いところです。『シークレット』は、ミステリ史上、そして各人の原体験として大きな存在である「綾辻行人」への各作家の反応、模索を追走することが出来る対談集でしたが、本作はまた読み味が異なります。書評家としての若林踏が、その作家を構成するものは何なのか、根源は何か、をスリリングに解き明かしていく対話の面白さなのです。私自身、他のインタビューや対談では出来なかった話が出来たという実感があります。各々の作家が、己の創作哲学や理想のミステリについて明かすところもあり、まさに「これから」のミステリの姿を想像するのに格好の一冊となっています。

     駆け足で特にグッと来たところを紹介すると、青崎有吾の青春ミステリの核心に触れた感のある青崎有吾回、ミステリで社会を描くことについて深い納得と共に力強い示唆を得ることが出来る逸木裕回、「この背中についていけば大丈夫だ」とさえ思わせる呉勝浩のミステリへの情熱に胸打たれ目頭を熱くする呉勝浩回、「特殊設定ミステリ」とはミステリの可能性を拡張する試みなのだと感じさせられる方丈貴恵回などなど……ちなみに、私は矢樹純回を読んですぐに、ヒッチコックの『映画術』を買ってしまいました。感化されやすい。

     ともあれ、これは実に良い一冊です。ところがこれが本題でないのが今回の恐ろしいところ。「作家本」という切り口で、更に脱線していきます。

        *

     去る6月はそんな作家本が二冊も出ました。一つがジョゼフ・グッドリッチ『エラリー・クイーン 創作の秘密』(国書刊行会)。エラリー・クイーンという作家は、従兄弟同士であるフレデリック・ダネイとマンフレッド・リーの二人のペンネームで、ダネイが詳細なプロットをしたため、リーが小説的な肉付けをして執筆する、という分業がなされていました。この本では、そのダネイとリーがやり取りした往復書簡が読めるのです。

     私たちミステリ作家は(私のような若輩者が「たち」と言い張るのはなんだかおこがましいですが)それぞれのやり方で創作ノートやメモを残し、あるいは残さずに直感で進めていきます。他の作家と交流してノートの類を見せ合うと、あまりのスタイルの違いに驚くことしばしです。しかも、完成までの間には編集者とのやり取りで詰めていく作業もあります。この時点で、二つの脳が議論に参加することになって、その過程を全て記録に留めることは難しくなっていきますし、互いにどんどん忘れていきます。何が何だか分からない。

     ところが、ここに「エラリー・クイーン」という「二人で一人」の作家が作品を作る過程で残した議論を、往復書簡という形で追跡できる本が現れたのです。これはもう、並みの創作ノートを見せられるよりもよほど凄いことです。波乱万丈の議論、舌鋒鋭い指摘と反論のラリー、そしてあの傑作群が生まれるに至った軌跡の全てを味わうことが出来るのですから。

     ここで取り上げられたのは『十日間の不思議』『九尾の猫』『悪の起源』の執筆時の往復書簡です。小説としての奥行きと、謎解きミステリとしての完成度を併せ持つこの三作が作られる過程は、ミステリの創作の指南になり得る本ですし、ミステリ読者も楽しめる本だと思います。確かに、ダネイとリーのやり取りは凄まじいものですが、それぞれの指摘は正当ですし、彼らはギリギリまでユーモアの感覚を忘れていないと思います。そこが読み物として良いのです。

     個人的には、名探偵という存在に対して、創作ノートによく「聖痕」という比喩を書いてしまいますし、打ち合わせでもよく「聖痕」と口にするので、「エラリー」という名の「聖痕」」(p.107)という表現に深く頷いてしまいました。ダネイとリーの苦悩が深く身に染みてくるところもたまりません。私はたぶん、それが作中の名探偵や私立探偵であろうが、作者その人であろうが、彼らの「苦悩」というものに目がないんだと思います。同じ作家本でいうと『別名S・S・ヴァンダイン』(国書刊行会)を読んだ時の凄絶な感覚を思い出しました。

     書簡集はやはり作家本としてはある意味究極のものですね。実のところ、創作ノートを書く時は、「いずれインタビューとかで見せる時が来るのだろうか、私が死んだときはどうなるのかな」という思いが一瞬頭をよぎるのですが、書簡は基本的に「相手以外に読まれるとは思わない」ですからね。より生々しいものが残るのです。それが合作作家のものとくれば、その史料価値は計り知れません。

     書簡集でいうと、ロス・マクドナルドの書簡集”Meanwhile There Are Letters: The Correspondance of Eudora Welty and Ross Macdonald”も原書を持っているのですが、いつか訳されてほしいところです。文通相手のユードラ・ウェルティーは『デルタの結婚式』が代表作のアメリカの作家です。拾い読みしか出来ていませんが、リュウ・アーチャーという「視点」に対するロス・マクドナルドの考え方などが窺えて興味深い本です。同じくらいの時期に出たポール・ネルソン”It’s All One Case: The Illustrated Ross Macdonald Archives”は私が社会人一年目の初任給で買ったもののうちの一つ。大判本で、たまに開いて幸福に浸るための、本棚の肥やしになってしまっています……いつか読み切りたい。

     さて、前置きが長く、既に一回分の分量がありますが、今回はどうしても取り上げたい――このタイミングで、絶対に取り上げなくてはいけない作家がいるのです。

     それが、ヘニング・マンケル。そして彼の輝かしい警察小説シリーズ、〈クルト・ヴァランダー〉シリーズなのです。

    〇新刊『手/ヴァランダーの世界』について

     この6月、『手/ヴァランダーの世界』(創元推理文庫)が刊行されました。これが〈クルト・ヴァランダー〉シリーズ十二作目、最終作にあたり、これにてシリーズの邦訳刊行も最後となります。

     本書には、オランダの書店のキャンペーンのために書かれた中編「手」と、マンケル自身が書いたシリーズ各巻についての辞典「ヴァランダーの世界」が収録されています。前者についてはこの後の全作レビューで語るとして、先に後者の話をしましょう。

     この「ヴァランダーの世界」には、ヴァランダー作品の各作品あらすじなどはもちろん、シリーズに登場した全登場人物の索引、地名索引などが掲載されています。日本の読者にとっては、馴染みのない文化を少し伝えてくれる「文化索引」も嬉しいところです。これはたとえて言うなら、「『アガサ・クリスティー百科事典』(ハヤカワ文庫-クリスティー文庫を、アガサ・クリスティー本人が書きました」というようなもので、その手間と労力を考えるだけでも恐れ入ってしまいます。しかも、読者の立場からまとめたのではなく、作者の立場から語り直すのですから、ポロッと裏設定らしきものが漏れてくるところまである。なんて贅沢な本なのでしょう。まさしく、シリーズのファンへの格好の贈り物です。私は「Ⅶ ヴァランダーの好きなもの」の章で、作中の色々なことを思い出してうるっときました。『目くらましの道』の杉江松恋解説では、それまでのシリーズ5作品に登場する刑事について、どの作品で初登場し、どんなエピソードがあるのかを9ページかけて詳細にまとめてありますが(黒川博行『海の稜線』の杉江解説も同じことをしています。なんと手間を惜しまぬ作業だろう)、「ヴァランダーの世界」でマンケルは全作品分をまとめてしまったわけです。しかも本人が。あまりのことに、笑うことしか出来ない……。

     マンケルはなんと素敵な贈り物を遺してくれたのでしょう(マンケルは2015年に逝去、本書の原著刊行は2013年)。これから折に触れ、「ヴァランダーの世界」に浸りたくなった時に手に取る本になりそうです。

     ですが、これはシリーズを追いかけてきた人への贈り物……であるのも確かです。まだ読んだことがない、あるいは途中でやめているという人のために、ここから、〈クルト・ヴァランダー〉シリーズの全作レビューを開始しましょう。

     初めにことわっておくと、私もヴァランダーを読んだのは最近のことです。時系列的にヴァランダーの最終作にあたる『苦悩する男』が翻訳刊行された2020年の8月、その直後に友人二人に熱烈に勧められたのです。そして『殺人者の顔』を手に取ったのが2020年の11月頭、年末のランキング投票を終えて肩の荷を下ろしたところでした。それから八か月間、一か月に一冊のペースで読もうと決めて……ある時点を境に、月一ペースでは満足できなくなりドンドン読んでいったのです。

     なので、各作品の記憶も鮮明ですし、時間としてはハマりたて。シリーズは2001年に『殺人者の顔』の邦訳が刊行されてから20年の期間にわたるわけですから、当時からのファンの熱には敵わないですが、この機会に自分なりにまとめてみようと思います。

    〇〈クルト・ヴァランダー〉シリーズ全作レビュー

    ① 『殺人者の顔』(原著1991年、邦訳2001年)

     地方の片隅で暮らす農家の老夫婦。夫は無残な傷を負って死亡し、重体だった妻も次いで息を引き取った。彼女は死ぬ直前「外国の」と言い残した。その言葉が、外国人移民への憎悪を誘発する……。

     ヴァランダー・シリーズの特徴の一つは、基本的にヴァランダーの三人称一視点で記述されることです。ヴァランダーはよく〈マルティン・ベック〉シリーズ(角川文庫)と並び称され、確かに北欧のミステリ作家であること、社会問題に深く関わる犯罪を取り上げること、刑事の私生活が濃密に描かれることなど数多くの共通点がありますが、この「視点」こそが大きな相違点ではないでしょうか。〈マルティン・ベック〉シリーズは三人称多視点によるチーム捜査で、多角的に事件を切り取り、彼らのきびきびとした捜査がときに失敗し(この「失敗」、いい意味での「無駄足」感をいかにプロットの中に残せるかが、警察小説の味に直結すると思うのです)、そして歯車がかみ合うように事件が解けていくかを演出する。一方で〈クルト・ヴァランダー〉シリーズでは三人称一視点を固定することで、ヴァランダー自身の懊悩を事件の捜査に直結させているのです(ただし、プロローグなどでは他の視点が挿入されますし、サスペンスを高めるために犯人の視点が入ったりもします)。この試行錯誤と、社会の流れについていこうとしながらついていけなくなっている、ヴァランダーの感覚がたまりません。

     かといって、ヴァランダー以外の刑事たちに魅力がないという意味ではありません。むしろヴァランダーの視点から固定して描くからこそ、性格が見え、顔が見え、〈マルティン・ベック〉とはまた違った魅力が味わえます。特に私はリードベリという刑事がとても好きなのです。それにヴァランダーの父もいいんですよね。ヴァランダーの姉と親父の仲は良好なのに、ヴァランダーと親父の仲は最悪。時に読むのがストレスになるほどのクソ親父なのですが、最後まで読むと……ああ、良いなぁ。

     事件そのものも「外国の」という言葉から手掛かりを捻り出し、試行錯誤する過程で読ませますし、400ページで綺麗にまとまっています。マンケルは謎解き部分もしっかりしていますし、この「外国の」という言葉の真相も私は結構気に入っています。ただ、まだ一作目でキャラクターが定まり切っていなかったのか分かりませんが、ヴァランダーが「いくらなんでも、それはどうなの?」という行動を取る箇所もあります。

    ② 『リガの犬たち』(原著1992年、邦訳2003年)

     海岸に一艘のゴムボートが流れ着いた。ボートの中には二人の男の射殺死体。彼らの身に着けていたもの、そしてボートを手掛かりに捜査を進めると、彼らはソ連か東欧の人間らしいと分かったのだが……。

     実のところ、一作目『殺人者の顔』を読んだ時点では、まだ『苦悩する男』まで完走――おまけに、一年以内に完走――する気は全くありませんでした。それがこの『リガの犬たち』を読んだ瞬間、ヴァランダーにハマってしまったのです。

     もちろん、ボートを手掛かりに追跡をかけていき、遂には海外出張編が始まるという、捜査小説の部分も面白い。ですが、最もヒットしたのが名キャラクターの登場です。それこそが、バイバ・リエパ。この後ヴァランダーの人生に深く関わることになる女性の登場です。一度自分の知性を下げて率直に書いておくと……なんか、なんでか分かんないけど、いい女なんだよなあ……。

     ちなみに、先に言及した〈マルティン・ベック〉シリーズの二作目、『刑事マルティン・ベック 煙に消えた男』(角川文庫、旧題『蒸発した男』)も海外出張編なのです。これはマンケルが狙ったのか狙っていないのか。いや、関係ないか。

     また、これは1991年春の「ソ連のクーデター」を目撃した後のマンケルが、クーデター前のリガを瑞々しく描いた小説でもあります。ヴァランダーは、「時代を見つめ続けた人」です。あとがきでマンケルが“今日われわれはバルト諸国の発展について状況的知識をもっているわけだが、この小説を書くにあたってそれを使わないようにするというむずかしさがあった”(p.435)、“わずか一年前のことなのだが、あのときはどうだったのかを常に思い出さなければならない。あのときはすべてがまったく違っていた。もちろんいまよりもすべてがずっと不明瞭だった。”(p.436)と述べているのを見て、バルト諸国の独立宣言を見た直後の著者が、あえてその「直前」を描くこの作を書き切ったことの困難を思い、マンケル自身も「時代を見つめ続けた人」だったと深く腑に落ちたのです。

     その瞬間、私はヴァランダーに、マンケルにハマりました。

    ③ 『白い雌ライオン』(原著1993年、邦訳2004年)

     男は暗殺を請け負った。標的はその人、南アフリカの英雄ネルソン・マンデラ。一方スウェーデンの田舎町では女性が失踪、その近くで謎の空き家が炎上した。焼け跡から黒人の指と南アフリカ製の銃、ロシア製の通信機器。ヴァランダーを世界的規模の陰謀が襲う。

     北欧ミステリのシリーズが社会問題を取り上げる際、アフリカに話が及ぶのは、移民に対する関心の高さゆえでしょう。他にアフリカの話をしている北欧ミステリとしてパッと思いつくのはトーヴェ・アルステルダール『海岸の女たち』(創元推理文庫)やアンデシュ・ルースルンドの某作品などでしょうか。

    『白い雌ライオン』は文庫一冊で700ページもあり、それでもこの後に続く上下巻の作品に比べればまだ(少し)短いのですが、スケールのデカさゆえにヴァランダーの一視点では到底収まらず、多視点になっているのもシリーズの他作品に比べてとっつきにくい原因かもしれません。とはいえ、最後まで読むと立ち現れてくる陰謀は読みごたえがありますし、シリーズとしても一つの重要作になることは確かです。

    ④ 『笑う男』(原著1994年、邦訳2005年)

     ヴァランダーの友人である弁護士が、彼のもとにやって来た。父は交通事故で死んだが、その死に腑に落ちない点がある、と。直後、その友人が殺されて……。ヴァランダーはいくつもの経済犯罪を追ううち、その背後に潜む「笑う男」の存在に気付く。

     め~ちゃくちゃ好きな長編です。③『白い雌ライオン』の結末を受けたヴァランダーの冒頭の情景があまりにも好きすぎる。デンマークのスカーゲンの海岸を一人で歩く失意のヴァランダーと、それを毎朝見つめる一人の女。苦悩する主人公が信じられないほど心に刺さってしまう私にとって、たまらないシーンです。

     それだけでグッと引き込まれてしまうのに、今回の犯人像と、その犯人との攻防がまた面白い。中盤ではもう「こいつが犯人だろ!」というのが出てくる(タイトルもタイトルですしね!)のですが、その後の「犯人は確定しているんだけど詰め切れない」感じが「刑事コロンボ」なんかを思わせるからでしょうか。謎解きミステリとして、というよりも、ドラマとして読ませるという感じですが。その滋味溢れる感じが、たまらなく読ませるんですよねぇ……。いやぁ本当に好き。

    ⑤ 『目くらましの道』(原著1995年、邦訳2007年)

     夏の休暇を待つヴァランダー警部の前に、凄惨な事件が続発する。菜の花畑の真ん中で、焼身自殺を遂げた少女。背中を斧で割られ、頭皮の一部を髪の毛ごと剥ぎ取られた猟奇死体の発見。猟奇死体はやがて連続殺人に発展する。恐るべき敵に、ヴァランダーはいかに立ち向かうか?

     さあ、ここから〈クルト・ヴァランダー〉シリーズの黄金期が始まる。『目くらましの道』から最終作『苦悩する男』に至るまで、ここから先は一作残らず傑作なのです。

     ここだけ太字にしてフォントデカくしておきたいくらいです。シリーズを読むよう熱烈に勧められた時、「『目くらましの道』以降はすべてが傑作である」と言われました。本当かよ、と思っていたのですが、完全に本当でした。『目くらましの道』は、1995年の時点で猟奇殺人VS名刑事のフォーマットを使いこなした警察小説なのです。マイ・フェイバリット・ヴァランダーその1。

     私はこの『目くらましの道』を読んだ時、あまりに猟奇的な事件の様相に驚きました。これまでヘニング・マンケルについての書評や評価を見た時に、猟奇サスペンス的な側面が強調されたことはあまりなかったからです(そういう書評や解説があったとしたら、ごめんなさい)。犯行の様相自体も残酷ですし、なぜ犯人がそのような行動をするに至ったか、という点には異形のドラマが用意されています。古式ゆかしい「名探偵VS怪人」の再現を行っているジェフリー・ディーヴァー『ボーン・コレクター』の原著刊行が1997年ですから、それより2年早いことになります(邦訳は1999年で、一方『目くらましの道』の日本刊行は2007年ですから、一見マンケルが先には全然見えませんが)。マンケルとディーヴァーでは読み心地も目指す方向も違うとはいえ、時をほぼ同じくして、共にシリアルキラー・サスペンスの魅力を確立しているのには驚かされました。

     本書には犯人側の視点も挿入されるのですが、その不気味さと、異形のドラマの面白さも素晴らしい。サスペンスに牽引されて、上下巻の分厚さも全く気になりません。おまけに、本格ファンなら、事件の構図にある海外古典を思い出すかもしれません。タイトルにある「目くらましの道」とは、「捜査が全く違う方向に進んでいるのではないか」というヴァランダーの不安をあらわした言葉です。そう、先に〈マルティン・ベック〉シリーズに触れながら述べた、警察小説の良い意味での「無駄足」感を象徴する言葉です。捜査手続きとして、人間の直感として、その可能性を潰しておくのはもちろん必要なのだけれど、でも真相から離れていっているような気がする……警察小説とはその過程を面白く描くミステリであり、それは本格ミステリが可能性潰しを行う楽しさと全く変わらないのです。

    「死体搬送車が夏そのものを運び去った」(p.63)とかそういう描写から出てくるロマンチシズムも良いんだよなぁ。ともあれ、『目くらましの道』はここからの傑作群の中でも、間違いなくマストリードの一つ。オススメです。

    ここから読む、というのもアリではあります。第二作『リガの犬たち』で登場したバイバが今作にも登場していて、ヴァランダーと付き合っているので夏の旅行に一緒に行こうとしている、という点だけ押さえておけば、基本的には、シリーズ上のことも大丈夫です。

    ⑥ 『五番目の女』(原著1996年、邦訳2010年)

     濠の中で数本のポールに突き刺されて死んだ男。花屋の主人は失踪し、木に括り付けられて絞殺される。彼らはなぜこのように残忍な方法で殺害されたのか? 父親とのローマ旅行から帰ってきたヴァランダーは、再び、異形の犯人との対決に挑む。

     マイ・フェイバリット・ヴァランダーその2。さっき言ったばかりじゃないか。速いよ、あまりにペースが速いよ。

     しかし、これはめちゃくちゃ良いのです。特にもう、連続殺人の意味が明らかになる瞬間と、犯人との対決シーンがとんでもなく良い。プロットの切り返しもうますぎで、大満足の一冊。

     マンケルはプロローグの置き所が上手い作家です。『五番目の女』はその良さが端的に現れています。彼は必ず、事件の遠因を示す地点から話を始めます。しかもその遠因というのが、本来置くべき位置から半歩ほど、絶妙にズレている気がするのです。その絶妙なズレが、一体この話はどこに繋がってくるのか? という興味を引き立てる。この「半歩のズレ」というのは、ジョン・ル・カレの第一章にも通じるのではないかと思うのです。ル・カレは冒頭では絶対に本題に入らないのですが、あとから本題でしかなかったことが分かりますからね。その「半歩のズレ」が人によっては「とっつきにくい」と言われてしまうところでもあるので、とっつきにくさを感じたら、サッと読んで本編に入ってしまうというのもアリです。後から戻ってくれば必ず意味が分かりますから。それにヴァランダーが登場した瞬間からもう超絶面白くなりますから。

     また『五番目の女』には、マンケルの「社会に対する感覚」が鋭敏に現れた一節があります。長いですが、以下に引いてみましょう。文中に登場する「リンダ」とは、ヴァランダーの娘の名前です。

    “紅茶を注ぎながら、リンダはなぜこの国に暮らすのはこんなにむずかしいのだろうと言った。

    「ときどき思うんだが、それはわれわれがくつ下をかがるのをやめてしまったからじゃないだろうか?」

     リンダは不可解な顔で父親を見た。

    「いや、本気だよ。おれが育った時代のスウェーデンは、みんな穴の開いたくつ下をかがっていた時代だった。おれは学校でかがりかたを習ったのを覚えているよ。そのうちに急にみんなそれをやめてしまった。穴の開いたくつ下は捨てるものになった。古くなったものを捨てるのは、社会全体の風潮になってしまった。もちろん穴の開いたくつ下をかがることを続けた人もいただろう。だが、そんな人たちの存在は見えなかったし、話にも聞かなかった。それがくつ下だけのことなら、この変化はそんなに大ごとではなかったかもしれない。だが、それがいろいろなことに広がった。(……)」”(本書上巻p.410)

     若い人から読むと(お前だって十分若いだろう、というツッコミはさておき)、高齢者の回顧にしか見えないかもしれませんが、この一節がとても良いのです。がっつりと社会問題の話に触れていた初期四作や、「菜の花畑で焼身自殺した少女」というモチーフを早々に叩きつけた『目くらましの道』と異なり、『五番目の女』では序盤から中盤にかけて連続殺人サスペンスとしてのエンタメ力でひたすら物語を駆動していて、社会的なものからは一度離れたように見えます。だが、そうではない。理解不可能な連続殺人を描くことが、その悪意を描くことそのものが、「スウェーデンがどこかおかしくなってしまった」という主題にそのまま直結している。そのことを、先に引用した一節は示しているのです。殺人を描くことそのもので社会のひずみを表現するうまさは、アーナルデュル・インドリダソン『厳寒の町』(東京創元社)などにも現れています。北欧ミステリはそういうのが絶妙に上手いんですよ。

    ⑦ 『背後の足音』(原著1997年、邦訳2011年)

     十八世紀末の衣装をつけて、野外パーティーを楽しむ若者たち。彼らは突然失踪を遂げた。夏の間は暇なイースタ警察署を、再び不可解な事件に巻き込む第一報は、失踪した娘の母親からの、必死の捜索要請だった。やがてヴァランダーは直感する。もう彼らは死んでいるのだ。彼らを殺した冷血な殺人者が存在するのだ。この町の誰かが……。

     マイ・フェイバリット・クルト・ヴァランダーその3、なんなら最終作『苦悩する男』を除けば、これこそがマイベスト。

     なぜならば、『背後の足音』は連続殺人サスペンスとしても中盤の二転三転の切り返しが見事な作品であると同時に、「一緒に働いていたはずの同僚の『顔』を知らない」ことに気付き、彼の行動を追いかけていく――そう、〈マルティン・ベック〉シリーズの『笑う警官』に通じる話であるからです。

     ネタバレなしで語れることは多くありません。とにかくこのプロットは凄い。警察小説で複数の事件が起きた時、それらの事件が繋がることに驚きを覚えるのは、似た趣向の作品が濫発された現代ではもう不可能で、興味・関心は「どう繋がるか」に焦点化されるでしょう(無論、R・D・ウィングフィールドの〈フロスト警部〉シリーズのように、どんどん事件を起こしてモジュラー型と言えるまでに事件を増やせば、例えばAとCの事件は繋がり、その繋がりからから事件Dの目撃者が現れるが、Bの事件は全く繋がらないで解けるというように、「そもそもこの事件とこの事件は繋がるのか」という含みを残しつつ読者を翻弄することが可能です)。

    『背後の足音』はこの「どう繋がるか」がもう既に見事ですし、そこからさらに何度も底が抜け……そして、最後に現れる犯人像が、実に素晴らしいんですよ。私は『目くらましの道』『五番目の女』『背後の足音』の三作が連続殺人サスペンスとしてトップクラスの完成度を誇るので、これだけを指して勝手に「異形の連続殺人鬼三部作」と呼びたいのですが、『背後の足音』の犯人はその三部作の最高点に位置します。不気味でゾッとする犯人、最高だよなあ。

     もっと言えば、この「不気味さ」というのは、独白が変わっているとか、その程度では全然ダメで、犯行態様そのもので、そこに潜む人間への悪意そのもので魅せてくれなきゃダメなのです。連続殺人鬼は独白ではなく、犯行現場と死体で語れ。『背後の足音』はそれが良い。犯人が現場で何をしたか分かった瞬間、腹の底から震えあがるなんてもう何年も味わっていなかった。ここにはその戦慄がある。なんてビザール。

    ⑧ 『ファイアーウォール』(原著1998年、邦訳2012年)

     19歳と14歳の少女がタクシー運転手を襲う事件が発生した。彼女らは金欲しさの犯行だと自供するが、ふてぶてしい態度を取り、反省の色はない。尋問の席で母親を殴った少女にカッとしたヴァランダーは、取調室で少女を殴ってしまう。その瞬間を、新聞記者は押さえていた。

     上のあらすじを読んで、「うわあ」と思った人は同志です。警察小説が大好きな私でも、どうしても受け付けない描写があって、それはマスコミの描写です。警察小説に限らず、私は「無理解な他者の集積」という表現が苦手で、まあそれは現実そのままだから、と言えばそれまでなのですが、どうにも。同じ理由でSNSの描写も苦手で、よほど良いバランス感覚で書かれていないと受け付けられません。日本のドラマをあまり見られなくなったのは結構それが理由。横山秀夫の『64』のように、広報が主人公としてガッツリ書かれ、主題になっているとかなら、良いのですが。

     さあ、ではヴァランダーはどうだったか。結論から言いましょう。マンケルのバランス感覚は、やはり絶妙でした。記者のくだりはしっかり書かれますが、そればかりに拘泥することはありません。むしろ、その後の容疑者の翻意という形で、謎の一つに絡んでさえいます。実に器用。そうそう、こういう感じでやってくれないとダメなんですよ。

     また、怒りっぽいというのは彼自身の人間描写でもあります。後に娘のリンダを語り手に据えた『霜の降りる前に』でも、父親の爆発がいつも苦手だったという旨のことが書かれています。少女に手を上げた瞬間にはさすがに私も引きましたし、1999年の作品だなあと思いましたが、そのあたりのバランスを対マスコミ描写でうまく取っていたということも出来るかもしれません。

     しかし、これでは殺人事件周りの話がまるで伝わりません。では、あらすじを少し変えてみましょう。

     二人の少女がタクシー運転手相手に強盗を働いた。彼女らは犯行を認め、証拠もそれを示している。だが、ヴァランダーはこの事件の背後には何か大きなものが蠢いていると直感する。しかし、その直後容疑者の少女が失踪。変電所からは謎の焼死体が発見され、モルグからは死体が消える。一体、何が起こっているのか?

     どうです? 面白そうでしょう? マンケルはこれまでの作品でも複数の事件を起こしてきましたが、『ファイアーウォール』までくると「モジュラー型」に発展したと見て良いと思います。壮大な図柄のピースが繋がり、タイトルにもある「ファイアーウォール」に結びつくまでの流れが実に見事です。お察しの通り、パソコンのファイアーウォールのことですが、今のところ全然パソコン出てこないでしょう? どう繋がるのか気になりませんか?

    ⑨ 『ピラミッド』(原著1999年、邦訳2018年)

     ヴァランダー・シリーズの中短編集です。各編のあらすじは、ここでは割愛します。この後今年の新刊『手/ヴァランダーの世界』によって中編「手」が一本追加されたわけですが、基本的にはシリーズの中短編集はこれ一冊。しかも、これは『殺人者の顔』以前のヴァランダーを描く作品集なのです。そう、「新米刑事ヴァランダー」というわけ(Netflixでも同名のドラマが独占配信されていますが、また原作とは違う内容でこれも面白い)。二十代、まだマルメ署で働いていた頃から、イースタ署に移るまでの過程や、ヴァランダーの元妻・モナとの関係性の変遷も味わうことが出来ます。

     これからヴァランダーを追いかけたいけど、長編はどれも長くて食指が動かない……という人には、まずこの『ピラミッド』を大いにオススメします。謎解きミステリとしてのヴァランダーの魅力、社会を見つめる警察官としての視点も、既にここには色濃く表れています。冒頭の「ナイフの一突き」の1ページ目を読めば、思わずグッと引き込まれてしまうこと請け合いですし、「裂け目」という30ページ強の短編には、ヴァランダーの社会への「視線」の魅力が端的に現れています。「海辺の男」「写真家の死」も良い謎解きミステリですし、本書の中で最も長い「ピラミッド」は中編サイズでマンケル作品のスケールの大きさと、ヴァランダーの父親とのいざこざを楽しむことが出来ます。大充実の作品集で、自信を持ってオススメします。

     また、この作品集では、短編・中編ごとに登場人物紹介がついているのが嬉しいところ。海外短編集をオススメしても、「海外を読む時はいつも登場人物紹介を参照しているけど、中短編集だと自分でメモを取らないといけないからなかなか読めない」と言われたことが昔、ありますが、そんな人でも『ピラミッド』は安心です。最近だと、アレックス・パヴァージ『第八の探偵』(ハヤカワ・ミステリ文庫)も、作中作の短編の登場人物紹介がしおりカードの形で付属していました。こういう工夫で少しでも読む人が増えるなら良いですね(それにしても、ハヤカワの登場人物紹介カードは、あれがついているかついていないかで、将来古書店での値段が変わったりしそう)。

    ・番外編『タンゴステップ』(原著2000年、邦訳2008年)

     森の中の一軒家で、人形をパートナーにしてタンゴを踊る退職刑事。54年間、彼を追いかけ続けてきた過去が、その日、彼の命を奪った。かつての師である刑事の死に、舌癌の宣告を受けたステファン・リンドマンが挑む。

     この作品は番外編の位置づけで、『手/ヴァランダーの世界』の「Ⅱ クルト・ヴァランダーの物語」のあらすじ紹介でも触れられていません。事実、『タンゴステップ』にはヴァランダーは一切登場しません。ただ、ここに登場するステファン・リンドマンが、次作『霜の降りる前に』で印象的に登場するので、順番に全て攻略したいという場合は読んでおくべき作品です。

     2000年にスウェーデン本国で刊行され、2002年にドイツで翻訳刊行されたという本作。プロローグを見ても分かる通り、第二次世界大戦時のドイツからの因縁がこの作品には流れています。それが明らかになるまでの過程がややもったりしているのがとっつきにくさの原因ですが、ステファンの苦悩はヴァランダーのそれとも重なり、非常に読ませます。『リガの犬たち』で既に原型が完成していた、「国際政治上の事件が波及して、スウェーデンで悲劇を生む」というプロットが一つの結実を生んだ作品です。ラストシーンの感慨もひとしお。『目くらましの道』に続いて優先して翻訳されたのも納得の力作です。

    ⑩ 『霜の降りる前に』(原著2002年、邦訳2016年)

     ヴァランダーの娘・リンダは、父親と同じ道を歩むことになった。この秋にイースタ署に赴任することが決まったリンダの前で、友人の一人がいきなり失踪した。まだ警官になっていないからと諫める父をよそに、リンダは事件にのめり込んでいくが……。

     長期シリーズの、こういった変化が嬉しくてたまりません。あのリンダが警察官に! しかも語り手を務めてくれるのです。私は新米刑事作品の「新米ゆえの危うさ・失敗」というのも大好きなので、『ピラミッド』の「ナイフの一突き」でヴァランダー自身の新米刑事ぶりを味わった後に、こんな形でまた新米刑事ものが読めていいのか、と飛び上がってしまいました。今まで、ヴァランダーから見た自己と、同僚から見たヴァランダーは描かれてきましたが、娘の目から見た父がきちんと描かれるのも嬉しいところ。先に述べた、父親が癇癪を起した時の娘の反応なども、辛いとはいえ読ませます。ヴァランダーの元妻・モナとも、ヴァランダー自身はあまり関わりを持っていなかったなか、リンダの目から今の姿が描かれて、思わず衝撃が走ります。モナ……。

     事件の展開自体も、ありふれた失踪事件かと思いきや、中盤のツイストを経てどんどんねじれた方向に向かっていきます。これも結構残酷な話だよなあ……。プロットのツイストで何度も驚かされるんですよ。特にあのシーンなんて……おっと、これはやめておきましょう。あと下巻のステンドグラスの表紙ですが、読み終えてみると確かにこれがぴったりだと思わされますね。ヴァランダー・シリーズ、衰え知らず。

     そして、彼の冒険は、次で最後になります。

    ⑪ 『苦悩する男』(原著2009年、邦訳2020年)

     リンダのパートナー、ハンスとの間に子供が生まれた。五十九歳のヴァランダーは、初孫の誕生に喜ぶが、自分の記憶が時折欠落することに悩まされてもいた。そんな中、ハンスの父親・ホーカンの誕生日パーティーに招かれる。退役した海軍司令官である彼は、ヴァランダーに「ある話」をする。なぜ、彼は自分のその話をしたのだろうか? そして突然、ホーカンは姿を消した。あの「苦悩する男」は、一体何を抱えていたのだろうか?

     ここには、目を惹きつけるような連続殺人も派手さもありません。ただ、滋味溢れる、最高の推理小説があるのです。失踪した人間の追跡から始まるプロットは、これまで見たとおりマンケルの十八番で、なんなら前作『霜の降りる前に』にも似ていますが、ある時点のツイストで事件は異様な様相を呈します。この事件の背後に、一体何が潜んでいるのか? ぞくぞくするような謎ですし、そこにプロローグで書かれたような政治状況がしっかり絡んでくる。他の国の歴史上の事件、国際政治上の事件が波及してスウェーデンで悲劇を生む構成は、『リガの犬たち』で早くも試みられ、『タンゴステップ』で一度完全に成就させたダイナミズムです。

     そして、ヴァランダーの私生活上の苦悩も、一つずつ繋がっていきます。あのキャラクターとの関係。あのキャラクターとの人生。彼自身が記憶の欠落に悩まされる中、事件をひたすらに追いかけ、真実に迫っていく。事件の構図を遂に導き出すヴァランダーの姿は、名探偵の輝きに満ちています。本書の解決はまさしく謎解きミステリのそれです。

     そして、ラストシーン。

     全てが暖かく柔らかな光に包まれ、ヴァランダーという男の人生が一つの地点に収束する瞬間。それを限りなく綺麗に切り取った美しい文章。このエピローグを、私は生涯、決して忘れることはないでしょう。

     今も思い出すだけで、涙ぐんでいます。

     未読の方はぜひ、「クルト・ヴァランダー」という名の旅路を、ここまで順番に、きっと、追いかけてきてください。絶対に、この作品は最後に読まなくてはいけません。

    ⑫ 『手/ヴァランダーの世界』(原著2013年、邦訳2021年)

     そして、これが今年の新刊です。「ヴァランダーの世界」についてはさんざん話しましたので、オランダの書店で、犯罪小説を一冊買うとおまけに小説がついてくるというキャンペーンが開かれて、そのキャンペーンのために書き下ろされたという「手」。なんだその豪華なキャンペーンは? おまけでマンケルの小説を?? しかも150ページもある中編を??? と脳がバグってしまうのですが、『霜の降りる前に』から『苦悩する男』の間を埋める、ファンにとってはとても嬉しいボーナストラックです。

     ヴァランダーはある時から田舎暮らしを夢見るようになりますが、その物件探しの最中に人間の手の骨を見つけてしまう、というあらすじ。ヴァランダー、なんであなたはいつもいつもそんな目に……? 過去の殺人を掘り起こしていく過程に味がありますし、ラストの犯人との対決まで、一気呵成に読ませるスマートな中編です。もうとっくに時効の事件なので人員も予算も割けない、と人員を激絞りされるあたりが実に「らしい」ですね。今から追いかけるのだとすると、時系列的順に『霜の降りる前に』→『手』→『苦悩する男』と読むのもアリだと思います。『苦悩する男』を読み切った後は、しばらく動けなくなりますもんね……。

    〇完全攻略、まとめ

     ということで、八か月にわたるヴァランダー完全攻略をこれにて終了いたします。結論から言うと、

    1、 長編からいきなり入るのが億劫な人は、時系列的にも最初にあたる『ピラミッド』から読み始めるのもオススメ

    2、『目くらましの道』以降は全て傑作で、特に『目くらましの道』『五番目の女』『背後の足音』の三作は「異形の連続殺人鬼三部作」と称したいほど、サスペンスの魅力と謎解きミステリの鮮やかさに満ちた超傑作群。一作目から四作目が読みづらければ、『目くらましの道』から読む方法もある

    3、『苦悩する男』だけは、絶対に最後に読んで欲しい。

     こうなります。いやぁ、本当に面白かったです。〈マルティン・ベック〉シリーズをまとめ読みした時も興奮しましたが、〈クルト・ヴァランダー〉シリーズはこれからも折に触れて読み返す作品群になりそうです。高校生でスティーグ・ラーソン『ミレニアム』を読んだ時から、北欧ミステリには陰惨なスリラーの印象がついていて敬遠していたのですが、いやいやどうして、〈マルティン・ベック〉〈クルト・ヴァランダー〉は滋味に溢れた実に良い推理小説ではありませんか。この流れに、アーナルデュル・インドリダソンやヨハン・テオリン、ラグナル・ヨナソンを加えてもいいです。

     マンケル作品は全部で四十五作品あり、ヴァランダー以外にも多彩な作品世界が広がっています。2019年に邦訳された『イタリアン・シューズ』も、老境の主人公と過去の恋を描いた素晴らしい作品で、訳者あとがきによればその続編「スウェーデン製のゴム長靴(仮題)」の邦訳に次は取り掛かるとのこと。期待が高まります。ちなみに私はヴァランダーを完全攻略すると決めた時から、『北京から来た男』はもったいなくて読むことが出来ていませんし、『流砂』は闘病エッセイと聞いているのでもっとメンタルが整ってから読もうと大事に取ってあります。でもマンケルのユーモア感覚なら、陰鬱にはなっていないと思うんですよね……。

     最後に。「ヴァランダーの世界」の「Ⅰ 始まりと終わり、そしてその間になにがあったか?」では、なぜヴァランダーがこれほどの人気を勝ち得たのか、作者自身による分析があります。これ自体、ユーモアの感覚に満ちた、実にマンケルらしい文章ですが、私も私なりに一つ、なぜヴァランダーがこれだけ人気を集めたか、自分の思いを書いていこうと思います。

     今回、完全攻略のタイトルの横に、原著刊行年と邦訳刊行年をあえて併記しています。『殺人者の顔』の原著刊行は1991年、『苦悩する男』の刊行が2009年、その間は18年間。そう、邦訳刊行年は前者が2001年、後者が2020年なので、19年間。訳者・柳沢由実子による着実な、そして統一された邦訳のおかげで、作者と本国の読者が歩んだのと同じペースで、日本の読者はクルト・ヴァランダーの世界に接することが出来たのです。ヴァランダーは社会を見つめ続け、そこに順応できない自分に悩み、一歩一歩、『苦悩する男』で訪れる、最後の暖かく柔らかな光に向けて、歩んできたのです。

     この約20年、クルト・ヴァランダーはわれわれと共に生きてきた。だから、彼の体温をわれわれは愛するのです。

    (2021年7月)



第18回2021.07.09
輝かしき三部作(サーガ)、ここに閉幕 ~皆川愽子の底知れぬ魅力~

  • 皆川博子、書影


    皆川博子
    『インタヴュー・ウィズ・
     ザ・プリズナー』
    (早川書房
     ハヤカワ・ミステリワールド)

  •  今週、小学館文庫からラグナル・ヨナソン『閉じ込められた女』が発売されました。解説は私、阿津川辰海が務めています。この作品は、フルダという女性警察官を描いた三部作の完結編にあたるのですが、フルダ・シリーズは〈逆年代記〉の手法で綴られているのがミソ。第一作『闇という名の娘』では六十四歳、定年間際のフルダ、第二作『喪われた少女』では五十歳。そして本作『閉じ込められた女』が、実は時系列では一番前に来るというわけです。つまり、三部作の完結編にもかかわらず、ここから読むことも可能です。

     寒さが厳しいアイスランドの田舎で、クリスマスの吹雪に降り込められた夫婦と一人の「招かれざる客」。三人だけの奇妙な空間で繰り広げられる凄まじいサスペンスと、フルダによって解き明かされる意外な真実。そしてフルダ自身を襲った「悲劇」の顛末とは? 素晴らしい傑作です。ぜひご一読を。

     今年は何やら、三部作の最終巻を読むことが多い気がします。先月も言及した『三時間の導線』(ハヤカワ・ミステリ文庫)は「時間三部作」の完結編にして最高到達点と言えますし、今解説を書いている本も……と、まあ、この情報は、またのお楽しみということで。

     さて、そんな三部作の中から、今月は皆川愽子『インタヴュー・ウィズ・ザ・プリズナー』(早川書房)をご紹介。第12回本格ミステリ大賞を受賞した『開かせていただき光栄です ―DILATED TO MEET YOU―』が一作目となる本作は、18世紀のロンドンを描く歴史小説であり、作中随一のトリックスターであるエドワード・ターナーの魅力によって牽引された無類の本格ミステリなのです。

     一作目『開かせていただき光栄です』では、18世紀ロンドンでまだまだ異端視されていた解剖学の描写が目を引きます。死体を盗掘してサンプルを得るしかなかった当時の状況や、外科医ダニエル・バートンの五人の弟子たちのユーモラスでどこか病んだやり取り、盲目の治安判事ジョン・フィールディングというキャラクターの魅力がてんこ盛りに盛られたうえ、「解剖教室からあるはずのない死体が出現する」「しかもその死体は四肢を切断されている」という魅力的な謎が現出するのですから、これはもう、たまりません。

     詩人志望のネイサンを描いたパートも、青春小説としてとても読ませますし、ネイサンのパートとダニエルたちの殺人事件のパートがどう絡むのかも物語の吸引力になっています。ここで生きてくるのが本シリーズのトリックスター、エドワード・ターナー(エド)の活躍で(三作目の帯に「エド、最後の事件」ってデカデカと書いてありますし、これくらいでは致命的なネタバレにはならないということで……)、彼がカードを開くたびに二転三転する事件の行方には思わず手に汗握ります。第12回本格ミステリ大賞は城平京『虚構推理』との同時受賞で、『虚構推理』は先鋭的な多重解決の趣向が話題になったわけですが、皆川愽子も中盤の手数の多さ、事件の構図のうねりは、まさに「多重解決」と言っていいほどです。

     そして二作目『アルモニカ・ディアボリカ』。ネタバレを避けようと思うと言及できることがどんどん少なくなるのですが、順番に読んでいくと、思わず嬉しくなってしまうことと、思わず叫びそうになるようなことがどんどん起こります。これがこの三部作を「サーガ」と呼びたい理由で、やはり順番に追いかけなければと思わせるのです。

     洞窟の縦穴から、まるで天使のように現れた死体。その胸には「ベツヘレムの子よ、よみがえれ! アルモニカ・ディアボリカ」という謎の暗号が。暗号の意味を巡って、事件は過去へと遡っていくのですが、これが一作目の刑務所描写以上に胸を抉ってくるようなもので、実に読ませるのです。ここまでくればもうこの三部作から逃れるのは不可能。心に深く刻み込まれる、あまりにも印象的なラストは忘れようがありません。

     そして、三作目。『インタヴュー・ウィズ・ザ・プリズナー』です。読み始めてすぐに膝を打ちました。アメリカ独立戦争! 18世紀ロンドンを生き生きと描いてみせた皆川愽子が、更に新天地を求め、まだまだ高みに登り詰める。もちろん、皆川愽子の歴史ミステリが絶品なのは知っています。『死の泉』や『伯林蝋人形館』、『総統の子ら』あたりが私のイチオシですが、ここに来てまた超えてくるなんて……。アメリカの先住民族・モホークが、互いを「空を舞う鷹」「美しい湖」と呼び合う描写、風物の描写だけで、もう良質の海外歴史小説を読む感覚に舌鼓を打ってしまうわけですが(ある意味ジーン・ウルフのSFミステリ『ケルベロス第五の首』の二話目なんかも思い出しますね)、そこに、囚人として捕らえられているエドの謎まで加わっているのですから、面白いのなんの。

     今回の謎は、なぜエドはある男を殺したか? というものですが、本来は追及されるはずのエド(このタイトルですしね)がある手記を手渡された途端、一転して推理を始めるのが面白い。人を喰ったようなエドのキャラクターも相まって、二転三転の本格ミステリに仕上がっています。

     一作目『開かせていただき光栄です』以来、エドワード・ターナーと他の弟子四人の来し方に思いを馳せていたファンに対しての贈り物と言える作品ですが、そんな言葉では済みそうにないのも、さすが皆川愽子、一筋縄ではいかないというか……。今回も堪能しました。くれぐれも、順番に、順番に、ですよ。

    (2021年7月)



第17回2021.06.25
ユーディト・W・タシュラー、ますます好調の二作目!  ~ドラマ豊かな文芸ミステリ~

  • ユーディト・W・タシュラー、書影


    ユーディト・W・タシュラー
    『誕生日パーティー』
    (集英社)

  •  オーストリアの作家・タシュラーは2019年に、本国で権威あるミステリー賞であるフリードリヒ・グラウザー賞を受賞した『国語教師』(集英社)が邦訳されました。日本でも各種ミステリーランキングで好成績を収めた作品です。

     十六年ぶりに再会した男女。男は有名作家、女は国語教師。彼女は学校のワークショップのために男に連絡を取ったのです。小説は彼らのメールのやり取りから始まり、やがて彼らの会話文、彼らがそれぞれに語る「物語」、さらには供述調書(!)で構成され、彼らが序盤からなかなか語らない、謎めいた過去の事件の正体を次第に明かにしていきます。

     タシュラーの特徴を一言で言うなら、「カードの開け方が上手い作家」です。メールや会話文などから、モザイク状の図柄を少しずつ見せていき、次への引きを作りつつ、しかし、肝心な部分は決して見せない。この書き方が堂に入っており、しかもストーリーにも凄まじい求心力があるので、グイグイ読まされてしまうのです。

     しかも『国語教師』の構成要素には作中作、つまり「物語」がありました。もちろんある程度作中の現実を反映していますが、虚構も混じっている。そうした虚々実々の構成の中から、真実を紡ぎだしていき、二人の主人公の物語がぐわーっと立ち上がってくるという、非常にトリッキーな構成でした。文芸寄りでありながら、ミステリーファンにも自信を持って勧められたのは、そうした構成のゆえでした。

     さて、では今回の邦訳二作目『誕生日パーティー』はどうか。今回もまた、メールのやり取りから始まるのにはニヤッとさせられますが、作品の狙いは『国語教師』とまた別のところにありました。つまり、『国語教師』は「物語」を描く小説だったのに対し、『誕生日パーティー』では苛烈なまでの「現実」が描かれるのです。

     あらすじはこうです。ドイツで妻と子供三人との幸福な家庭を築いたカンボジア移民のキムは、五十歳の誕生日パーティーの日、末っ子が用意した「びっくりプレゼント」に困惑する。そのプレゼントとは、キムがカンボジアから亡命した際、一緒に逃げてきた妹分の女性、テヴィとの再会だったのだ。苦しい時を一緒に過ごした存在だが、同時に、最も会いたくない人物でもあった……。

     小説は、2016年の誕生日パーティーの模様を描く三人称多視点の家族の群像劇、1970年代、ポル・ポト政権下でクメール・ルージュの活動に苦しめられる二つの家族の物語、キムの回想、そしてキムとテヴィをドイツに引き取ってきた女性モニカの日記などで構成され、「キムの過去に何があったのか?」「それほど大切な妹分と何年も音信不通だったのはなぜなのか?」という謎を少しずつ解きほぐしていきます。

     中盤以降から克明に描かれていく、ポル・ポト政権下でのカンボジアの様子は、思わず胸が痛くなるほどです。知識人よりも農民の方が価値あるとされ、知識人や反体制派が次々連行され処刑されていく。読み書きができる、眼鏡をかけている、というだけの理由で殺された人もいる。そんな「地獄」の中で、回想の中に現れる二つの家族はどう選択し、どう生きてきたのか。その凄まじいドラマが、物語の求心力にもなっています。

     また中盤、そうした苛烈な状況下で生き残ったキムを「誇りに思っている」娘・レアが、学校の授業でキムに当時のカンボジアでの体験を話してもらえないかと乞われ、学校に行くパートも特に心に残りました。こんな辛いシーン、よく書けるな、と思いつつ、すっかりのめり込んでしまいました。

     こうした家族一人一人の描写、書き方も素晴らしいのです。レアが父を「誇りに思っている」こと、父に過剰なまでの優しさを向けてしまうその心情や、そこに戸惑いを感じてしまうキムのありよう。あるいは完璧な善意でテヴィを誕生日パーティーに呼び寄せてしまった息子ヨナス。テヴィとキムに対する妻イネスの態度。カンボジアのパートに現れる一人一人にも、描写の妙があります。特にホテルのシーンがとても良い。『国語教師』がテクスト中心というか、ひたすらに「語り」のみで構成された小説だったがゆえに、風物描写や凄惨な現実の描写もこんなに上手いのかと感心させられっぱなしでした。

     ミステリー的にも、タシュラーお得意の「カードの開け方」によって、鮮やかなネタが用意されていますし、『国語教師』と同様、暖かな救いに導くその手際が素晴らしい。ネタ自体は、最近の翻訳ミステリーにも似た趣向の作品があるのですが、物語が優れているので、それだけで評価が下がることはありません。1970年代のカンボジア情勢の苛烈さをここまで描いているにもかかわらず、この救いに暖かさと、そして納得を感じるのは、「それから」のキムたちの生活、その姿をタシュラーが克明に紡いできたからでしょう。大満足のミステリーでもあり、一級品の小説でもある。今回も堪能いたしました。

     人間性さえ剥奪されるような苛烈な状況を描いたミステリーとして、ほかにベン・クリード『血の葬送曲』(角川文庫)、アンデシュ・ルースルンド『三時間の導線(上・下)』(ハヤカワ・ミステリ文庫)、アレックス・べール『狼たちの城』(扶桑社BOOKSミステリー)も併せてオススメしておきます。

    『血の葬送曲』は1951年のレニングラードを描いた作品で、警察官も秘密警察に粛清される時代が描かれます。線路の上に並べられた五つの惨殺死体、という謎も描かれますが、この事件の動機については完全にどうかしていて、しかし不思議と納得感がある。そういう謎解きミステリー的な意味でも良いですし、音楽の道を断たれた主人公が過去と立ち向かっていく犯罪小説としても、歴史小説としても大いに楽しめます。そもそも、主人公のチームが線路上の死体の調査に赴いたのも、現場の所轄署の警官が一人を除いて秘密警察に連行されたからで、思わず呆れかえってしまうような描写に、妙なリアリティーがあるのです。トム・ロブ・スミス『チャイルド44』はもちろん、猟奇殺人アイデアとの取り合わせがニクラス・ナット・オ・ダーク『1793』なども思わせます。

    『三時間の導線』は、グレーンス警部シリーズの最新邦訳作にして最高傑作です。ベリエ・ヘルストレムをコンビとして、『制裁』『ボックス21』『死刑囚』『地下道の少女』(いずれもハヤカワ・ミステリ文庫)と、犯罪捜査を通じて社会の暗部を抉るミステリーを書き続けてきた作者ですが、『三秒間の死角』(角川文庫)から、これまでの作風にサスペンスや冒険小説の興奮を加えたものを立て続けに発表しています。続く『三分間の空隙』(ハヤカワ・ミステリ文庫)、そして新刊『三時間の導線』のいわば「時間三部作」(果たして三部作なのかは分かりませんが)は、そのスケールの大きさと興奮度を一作ごとに加速させていて、『三時間の導線』は本格ミステリーとしても冒険小説としても超絶無比。死体安置所に、一体死体が増えている……という発端から始まり、冒頭100ページはその謎解きにあてられますが、人を人とも思わない過酷な環境に放り込まれた、凄惨な状況がいきなり描かれ、胸を締め付けられます。グレーンス警部が猟犬のように獲物を追いかける過程も面白いですし、ある「潜入作戦」を描くパートは手に汗握ります。最大限楽しむためには『三秒間』から順番に読む必要があるので、追いつくには時間がかかりますが、それだけの価値がある傑作です。

     アレックス・べール『狼たちの城』は第二次世界大戦下のドイツを描いた作品です。半密室状態の古城で殺害された女優。彼女の発見された部屋はゲシュタポ長官のノスケのもので、門番が人の出入りを監視していたので、ノスケが第一容疑者として疑われる状況……いかにも本格ミステリーらしい状況設定ですが、ゲシュタポはこの門番を拷問して自白を引き出そうとするという。呆れる描写の妙なリアリティーは『血の葬送曲』にも通じます。この事件を解決するのが、なんとユダヤ人の古書店主。彼がなぜ名探偵を務めるか――務める羽目に陥るかは、それ自体がスパイスリラー的なくすぐりに満ちているので、出来ればあらすじ等にも目を通さずに読み始めてほしいところ。アウシュヴィッツ収容所での虐殺前夜を描いた作品なので、主人公の古書店主の命運いかに、とハラハラドキドキしながら読める良質な歴史スリラーです。

     今月は紹介したい新刊が多く、長々と書いてしまいました。特に、『血の葬送曲』『狼たちの城』の二作は歴史ミステリーで、『誕生日パーティー』も歴史をがっつり描いたものだというのが、歴史好きの私には嬉しいところ。日本では米澤穂信『黒牢城』が、戦国時代の武士の価値観を描いて、描いて、描き切ることが不可能犯罪や不可解な曲事、またそれを解く理由に説得力を与えていて、かつそれが結末において胸を打つダイナミズムにもなっているという、歴史とミステリー両方大好きな私が随喜の涙を流すような作品でした。嬉しい月でしたね。

     ところで、『誕生日パーティー』の冒頭は鴨を捌くシーンから始まって、小説の全体に鴨が印象的に登場するのですが、なんだか鴨が食べたくなってきてしまった。血抜きとか断頭のシーンが多いので、全然おいしそうじゃないのに。鴨南蛮とか食べたいなあ。

    (2021年6月)



第16回 特別編42021.06.11
「普段使い」のミステリが好き ~ディヴァイン邦訳作品全レビュー~

  • D・M・ディヴァイン、書影


    D・M・ディヴァイン
    『運命の証人』
    (創元推理文庫)

  • ●「普段使い」が出来るミステリとは?

     翻訳ミステリ大賞シンジケートのホームページで、毎月、書評七福神と称された七人の評論家がその月で面白かった海外ミステリを紹介する連載があります。2011年から続く連載が、このたび、一冊にまとまりました。それが『書評七福神が選ぶ、絶対読み逃せない翻訳ミステリベスト2011‐2020』(書肆侃侃房)です。

     手に取った印象は、まさに、壮観。巻末の著者別、タイトル別索引リストも嬉しい。毎月毎月、10年間も継続してきたことというのは、形にまとまると凄いな、と思いました。しかし、何より嬉しいのは、書き下ろしのコラムでそれぞれの方が挙げる「この10年間のベスト作品」や、あるいはそれぞれの方の年末ランキングの選考からは漏れてしまうような、面白い本をたくさん拾えるところ。例えば既読作でも、マイケル・オンダーチェ『名もなき人たちのテーブル』とか、ロバート・クーヴァー『ノワール』とか、フランシス・ディドロ『七人目の陪審員』などなど、あまり触れられないけれど面白く、懐かしいタイトルを見るだけでニヤッとしてしまいます。

     この本を読んでいると、霜月蒼が何かのイベントの折に、リー・チャイルドやマイクル・コナリーを指して言っていた「『普段使い』が出来る新刊」というフレーズが思い出されます。気軽にパッと読めて、いつも本棚に常備しておきたい。いわば「常備菜」なのです。そうした作品は、決して年末のランキングで高い位置につけることはありませんが、しかし、毎月毎月の生活の中で、日々に潤いを与えている存在であることは間違いありません。例えば海外新刊の分厚いハードカバー上下巻を読む時などは、さすがに、えいやっと気合を入れて、面白かったら年間ベストにも投票できるかもしれないぞ、と思いながら読むわけですから、そうした気負いもなく読める「普段使いの新刊」「常備菜」がいかに身に染みるか……。毎月行われていた「書評七福神」の連載からは、そうした「普段使い」も色々見つけられそうで、ウキウキしています(もちろん、各々の「この10年のベスト」発表も見ごたえ抜群ですので、お見逃しなく)。

     ということで、今回のテーマは私にとっての「普段使い」のミステリとしました。ここで5月の新刊、D・M・ディヴァイン『運命の証人』(創元推理文庫)をご紹介。

     私にとって「普段使い」の本、「常備菜」としての本とは、大体三つの種類があります。一つは「短編集」。お気に入りの作家・シリーズの短編集を持っておいて、それを一日一編ずつくらい読む。北村薫、恩田陸、若竹七海作品や、もう読み尽くしてしまった中では「異色作家短篇集」シリーズ(早川書房)、「現代短篇の名手たち」(ハヤカワミステリ文庫)、「英米短編ミステリー名人選集」(光文社文庫)などがあります。最近は『ソーンダイク博士短篇全集』全三巻(国書刊行会)をちまちま楽しんでいます。

     二つ目は「通勤電車で読むと楽しい本」。要するにお仕事小説などですが、とりわけ警察小説、しかもチームでの捜査がぴたりとハマっていればいるほど、通勤電車で下がった気分を持ち直してくれます。〈刑事マルティン・ベック〉シリーズも、〈クルト・ヴァランダー〉シリーズ、あるいはヒラリー・ウォーの小説などもここに入ります(ヴァランダーは大体上下巻だけどいいのか、という声が聞こえてきそうですが、マンケルは読みやすいのであまり長さが気にならないんですよね……)。だから面白い警察小説シリーズに出会うと、嬉しくなってしまうわけですね。大学生の頃、サークルのOBが「横山秀夫は社会に出てからの方が数十倍面白く読める」と言っていて、卓見だと思ったことがありましたが、感覚はかなり近い気がします。

     そして三つ目が、「地味なミステリ」です。誤解しないで欲しいのですが、私は「地味」という言葉を、誉め言葉として用いています(このせいで人と感覚が合わない)。描写はゆったり、事件はさほど多くは起こらない、人間を描くことに力を注ぎ、ケレン味などは一切ない。これがもう、とにかく落ち着くのです。日々の生活で疲れた心を癒してくれる本です。このカテゴリに属するのが、レジナルド・ヒル、P・D・ジェイムズ、アン・クリーヴス、ジム・ケリー、そしてD・M・ディヴァインです。クリスティーとラブゼイも加えたいところですが、どちらかというとこの二人にはケレン味のうまさを感じるので、近い位置ですが別枠なイメージ。

    ●ディヴァイン作品との出会い

     私が初めてディヴァインの作品を手に取ったのは、高校二年生の正月のことです。高三のセンター試験本番に向けて、高二の同日にセンター試験の問題を解く、という予備校の模擬試験があり、うちの高校では全員でその模試を受けることになっていました。勉強しろと教師からも口うるさく言われていたのですが、正月だから祖父の実家には行くと連れ出され、とにかくミステリを一冊持っていこうと本棚の前で呻吟。その時、クリスティー絶賛の評に惹かれて買っていた『兄の殺人者』(創元推理文庫)をなんとなく手に取り、持って行ったのでした。

     そうしたら、面白いのなんの。まるで霧の中を手探りで行くような、重苦しく、濃密な人間関係を楽しみ、フーダニットの冴えを楽しみ……。実は、『兄の殺人者』は初読時からすでに、手掛かりから真犯人まで完答してしまったのですが、それだけにディヴァインのフーダニット作りのうまさ、伏線のうまさに、初読で感心しきってしまったのです。

     それ以来、折を見て、『悪魔はすぐそこに』『ウォリス家の殺人』『災厄の紳士』『五番目のコード』などを買い集めて読み……今でもその習慣は変わりありません。しかも、初読時に、大学受験というある程度ストレスのかかった、慌ただしい環境からの逃避として読んだので、私にとってのディヴァインは「落ち着きを得るための常備菜」になったのでした。

     そんなディヴァインなので、新刊が出るたびに大事に読み、折を見て再読や昔の未読作をつぶしてゆっくり読んでいたのですが、今回の新刊『運命の証人』は、ちょうど心を落ち着けたい時期に発売したので、すぐに読むことにしました。

    ●新刊『運命の証人』について

    『運命の証人』は四部構成の法廷ものとなっています。刊行予告を見て、「法廷もの!?」とまず私はひっくり返りました。ディヴァインはとにかくドメスティック寄りに話を展開したがる作家です。家族や恋人、友人、同僚。半分身内のような人々の中で「思い込み」を丹念に描くことが、犯人特定の驚きにも、主人公のドラマの面白さにも繋がっています。

     つまり、例えば警察の人間を視点人物にして、外部からその身内サークルを描くことはやや不得手、という印象があったのです。その弱点を自覚しているのか、警官自体をその半身内の中に含めてしまったり、容疑者の一人とメロドラマを演じさせて「思い込み」の中に取り込んでしまったりします。とはいえ、法廷ものではそうした「外部の人間」が何人もいるはずだし……と、私はどんな作品に仕上がっているか、期待半分、不安半分で待っていました。

     ところが、読み始めてすぐ、その不安は氷解したのです。確かに冒頭で法廷シーンが描かれ、「二人の人物が殺されたこと」「主人公が被告人であること」という二つのショッキングな事実が明かされますが、明らかにディヴァインの関心は、法廷シーンそのものを描くことにはありません(褒めているんですよ!)。形式的なセリフは大胆に端折り(もちろん、被害者の名前を隠す『被害者を探せ!』的な趣向もあるのでしょう)、即座に、主人公の視点から回想を描いていきます。

     きた! と私は膝を叩きました。これぞディヴァインお得意の、半身内関係を利用した濃密な人間関係の書きっぷりなのです。友人とその恋人との三角関係、二人の女性の間での板挟み、友人の父親や周囲の人々の反応……特に主人公の行動にはヤキモキさせられっぱなしで、第一部に展開した人間関係をさらに押し進める第二部に入ると、さらにこのヤキモキは高まっていきます。こういう「ヤキモキ」に耐えられない、という向きもあるかもしれませんが、ある意味ベッタベタなロマンスや過ちを楽しみながら、犯人に繋がるものを探そうと目を皿にするのも、ディヴァインを読む楽しみというわけです。

     さて、しかし、本書は法廷ミステリです。先述した「外部の人間」の視点の問題はどうなるのでしょうか。中盤以降、法廷シーンをじっくりと描き、読者にも既に顔なじみになった各登場人物たちが次々現れて証言を行います。その時、私は先述の不安が思い過ごしだったことを痛感しました。そうなのです、半身内サークルの「中」の視点だけでは描き切れない、彼らが「中」の人間に見せる顔と「外」の人間に見せる顔の微妙な違い。これを描き出すために、ディヴァインはあえて「法廷ミステリ」のフォーマットを用いたのではないか。だからこそ、あの手掛かりを埋め込むことも出来たし、法廷シーンで訪れる、「ある瞬間」は感動的でさえあるのです。

     三人称一視点である理由もそこにあります。ディヴァインは『こわされた少年』以降、三人称多視点を多用し、複数のカメラ・アイの死角を突くようなフーダニットを作ってきましたが(こういう特徴もアン・クリーヴスと似ています)、今回はあえて一視点を採用しました。おかげで視野の狭さが生まれており、犯人に仕立て上げられた主人公が誰をどこまで信じていいのか一切分からない、孤立無援の状態が出来上がっているのです。

     ……とまあ、こんなことを考えながら読んでしまいましたし、全十三作中、読むのは十二冊目。さすがにこちらも手の内は分かっていて、手掛かり・犯人含めて今作も完答出来てしまいましたが(もちろん全作当ててるわけじゃないですよ)、もうそんなのはどうでもよく、ただただこの地味な法廷ミステリを楽しんだ、ベタベタなメロドラマを味わった。それに尽きるのです。

     これぞ、私の常備菜。ありがとうD・M・ディヴァイン。

    ●おまけ

     せっかく十三作品のうち十二作も訳されて読んでいるのですから、ここらで刊行年順に作品を振り返ってみようと思いました。ネタバレなしでザクっとコメントもつけますので、未読の方も参考になればと。
     タイトルの前には通常「〇」をつけていますが、「◎」がついている作品は、特にオススメ、という意味です。

    〇『兄の殺人者』(1961)
     クリスティーに絶賛されたデビュー作。一人称視点で殺人事件と兄の隠された秘密を探っていく話で、ディヴァイン独特のゆったりとしたテンポはすでに確立しています。シンプルなトリックを用いて、構成と伏線で見せる作品です。自分の最初のディヴァインだったのであまり悪く言えない。

    〇『そして医師も死す』(1962)
     二か月前に死んだ共同経営者の死は、実は殺人だったのではないか? 一行目からグッと心を掴む書き出しもグッドな二作目で、既に医師やその妻、市長の妙にイヤ~な人間関係を描く筆が冴えてきています。
     今回のフーダニットは「驚いたもん勝ち」で、取っ掛かりは面白い。ディヴァインはこの後、三人称多視点を導入してカメラ・アイを増やし、死角を作ろうとしていきますが、これは一人称の視野の狭さを利用した作品とも言えるのかも。

    ◎『ロイストン事件』(1964、現代教養文庫、絶版)
     これは正直、凄いと思う。
    父親の実家で見つけた、自分に何かを伝えようとした手紙の書き損じ。「きわめて重大なことがわかった。おまえの義弟は……」。父は「ロイストン事件」の再調査中に、亡くなったのだ。主人公は弁護士として、「ロイストン事件」の渦中に義弟を告発しており、それが実家とのしこりの原因ともなっていた。父の身に一体何が、そして、あの事件の真相とは?
    「ある事件」をきっかけに引き裂かれてしまった家族と、その事件のせいで結ばれてしまった人々。ディヴァインの描く濃密な「小サークル」の題材として、これほど強烈で、嫌なものがあるだろうか? 家族の確執はディヴァインお得意のテーマですが、これほど苛烈なのも珍しいというくらい。
     はっきり言って謎解き面はあざとい部分はあるけれども、もっと読まれてほしい一冊。創元推理文庫に入れてほしいし、入れる時には、出来れば真田啓介解説も入れてほしい……。

    〇『こわされた少年』(1965、現代教養文庫、絶版)
     ここで初めて、三人称多視点を採用。しかし、五つのパートに分かれ、それぞれのパートを消えた少年の姉と、警部とが交互に受け持つ形となっているので、非常に読みやすい。
     とはいえ先に述べた通り、ディヴァインは「中」から「中」の人間を書くから面白いのであって、「外」から覗かせても……と思いきや、なんとディヴァインはいつもの手癖で、この姉と警部が惹かれ合うという書き方をし始める。そうきたか、と思わず笑わされました。
     真相はやや強引なんですが、この小説はとにかく「過程」が面白い。少年が一人、失踪したという発端を受け、警部が聞き込みを始めた段階でも少しずつ見えるものが変わって来て、中盤からは何度もひねっていく。新たなスタイルに挑んだ力作です。

    ◎『悪魔はすぐそこに』(1966)
     D・M・ディヴァインの最高傑作。何せ、創元推理文庫に10冊もディヴァインが入ったのも、第一打の『悪魔をすぐそこに』のホームランのゆえでしょうから。
     これにはもう、異論はありません。三人称多視点記述をものにしたディヴァインが、いよいよキビキビと視点を変え、大学の教授やその身内たちの、絶妙に嫌~な人間模様を描き出し、そこに巧妙な技巧を忍ばせる。ディヴァインは犯人当ての手掛かりがシンプルであるがゆえに、再読するとやや評価が減じる作品も多いのですが、『悪魔はすぐそこに』は何度読んでも下がらない、むしろ上がっていきます。
     これはあまり指摘されていませんが、『悪魔~』の衝撃は、何作かディヴァインを通った後の方が大きいのではないか、と思っています。私自身がそうだったからですが、ともあれ、最高傑作であることは間違いないので、参考意見として受け止めてください。

    ◎『五番目のコード』(1967年)
     もう、ノリにノッちゃってるわけです。
     6作目にして挑んだのは「連続絞殺魔」。ディヴァインが遂に連続殺人を!? しかも「殺人者の告白」を冒頭に置いて、「八人がわたしの手にかかって死ぬだろう」と宣言! いいぞ!
     ということで、地方都市で暗躍する殺人鬼と、自らも疑われながら犯人を追いかける記者の奮闘が読ませます。殺人者による独白まで挿入され、ディヴァインにしては珍しくケレン味たっぷり。ぐいぐい読むことが出来るので、初ディヴァインにもおすすめの一作と言えるでしょう。
     連続殺人周りの謎解きはもちろん、フーダニットの意外性・伏線も十分。サスペンスと謎解きのバランスが取れた傑作です。
     なお、作中でクリスティー『ABC殺人事件』のネタが容赦なくバラされます。未読かつネタを知らないという幸福な人がいたら、すぐに『ABC殺人事件』も読むのです。

    〇『運命の証人』(1968年)
     今回の新刊。人称の変化を並べてみると、『こわされた少年』から三作連続で三人称多視点を試した後、ここで三人称一視点を試みているのが分かります。ある意味実験作とも言えるかもしれません。

    〇Death Is My Bridgeroom(1969年)
     未訳。原書も持っていません。お待ちしております……。

    〇『紙片は告発する』(1970年)
     町長選挙をめぐって揺れる村で、タイピストが殺された。彼女は仕事中に見つけた紙片のことについて、誰かに話していたらしい。一体そこには、何が書かれていたのか?
     地方都市、選挙という取り合わせがディヴァインお得意に見えるのは、後年の『跡形なく沈む』の印象が強いからでしょうか(『跡形~』が2013年邦訳、『紙片~』が2017年邦訳)。
     謎解きはそれなりで(ヒントの示し方が煽りすぎてしまっています)、全体から考えると間違いなく水準作なのですが、ますます落ち着きをたたえたディヴァインの筋運びに心地よさを感じてしまいます。

    ◎『災厄の紳士』(1971年)
     ロジック面で見た時の、ディヴァインの最高傑作。
     ディヴァインが示す犯人当ての手掛かり、根拠というのは、いわゆる「疑いを抱くキッカケ」「些細だが見過ごせない矛盾」といった性質のものです。犯人登場からわずか10~20ページで物語が終わるのも、謎解きパートの指摘がシンプルであるがゆえです。鮮やかで緻密な伏線に支えられ、それまでの人物描写も丹念なため、納得させられますが、堅固な論理でこの人でしかあり得ない、と特定するものではありません。
     しかし、『災厄の紳士』は違います。堂々と書かれているのに気づかなかった手掛かりによって、バシッと犯人が決まってしまうのです。例えて言うならエラリー・クイーンの『エジプト十字架の謎』の……それはちょっと、褒めすぎかもしれませんが。
     結婚詐欺を題材にしたコンゲーム風に書かれた前半(やや書きなれていないのはご愛敬ですが、それでも、ロマンス風に楽しめます)と、ある事件を経た後の後半に分かれ、巧みな二部構成も光る作品です。オススメ。

    〇『三本の緑の小壜』(1972年)
     ディヴァインが13歳の少女の一人称を書いた作品で、彼女を含めた一人称多視点の小説になっています。初期の特徴であった「一人称」と、『こわされた少年』『運命の証人』などに顕著な「第何部」構成との組み合わせは、ある意味回帰とも言えるかもしれません。
     私はすぐに犯人が分かってしまったのですが、それだけに、周到に配置された作品であることも分かります。私が特に好きなのは、中盤で、ある手掛かりから容疑者の枠が確定するところ。推理、検討から、「あの時あの場所、あそこに居合わせた人たちの中に犯人が……?」と判明するパートは、思わずゾクッとするような寒気に満ちています。

    ◎『跡形なく沈む』(1978年)
     前作からかなり間が空いています。死後に発表され、書いた時期は初期にあたるのではと推測される『ウォリス家の殺人』を除けば、事実上の最終作と言えるでしょう。
     数年前の市議会議員選挙を巡る秘密、それを探ろうとし周囲を混乱に追い込むタイピスト、惹かれあう二人、その背後にまた現れる選挙のこと、そして殺人。これまでのディヴァイン作品の要素を片端から集めてきたような作品で、しかし、これがやたらと落ち着くんですね。「実家のような安心感」というやつです。この作品に「◎」をつけたのは、正直そのあたりが大きいです。
     この作品は手掛かりと、犯人のラストシーンがとても印象的です。実にいい余韻が残るシーンなのです。

    〇『ウォリス家の殺人』(1981年)
     最後の最後、これぞ王道と言える「家」もの。まさにクリスティー、と言いたいところですが、語り手のモーリスにあまり惹かれないのが玉に瑕です。
     高校生の初読時は、作中に配置されたある偶然の使い方が気になり、評価が低かったのですが、再読してみると着眼点が非常に面白いと思いました。
     今『ウォリス家』を読み返すと面白いのが、訳者・中村有希による、「ディヴァイン邦訳戦略」のあらましです。一定のパターン、お約束のネタが多いディヴァインの作品を、似ている作品の邦訳時期はずらし、マニア好みのものは先にして、という工夫。今こうして本国での刊行順に並べてみて、創元推理文庫での刊行順を考えてみると、その「戦略」が窺えます。

     というわけで、今回のディヴァイン新刊も楽しみました。次にゆったりしたいときは、積んでいるP・D・ジェイムズを何か崩そうかな……。

    (2021年6月)



第15回2021.05.28
命を削る雪中行 ~突発企画・ノンフィクションが読みたい!~

  • ベア・ウースマ、書影


    ベア・ウースマ
    『北極探検隊の謎を追って:
    人類で初めて気球で北極点
    を目指した探検隊はなぜ
    生還できなかったのか』
    (青土社)

  •  5月は解説を二本書かせていただきました。綾辻行人(以下、敬称略)『暗闇の囁き〈新装改訂版〉』(講談社文庫)と西澤保彦『パズラー 謎と論理のエンタテインメント』(創元推理文庫)の2冊。どちらも、綾辻作品、西澤作品の中でベスト級に好きな作品です。中学生の時から大好きなお二方を前にして、ただでさえ緊張しながら書いたのですが、さらに併録される旧版解説(『パズラー』は集英社文庫版解説)は巽昌章という、この凄まじいプレッシャー。担当編集には「Wタツミ解説ですね」とメールで言われましたが、私は完全にアワアワしてました……。

     巽昌章の名は私にとってはお二方と並ぶぐらいとても特別で、『論理の蜘蛛の巣の中で』は私のバイブルですし、巽解説をひたすら集めていた時期があったり、短編や長編『森の奥の祝祭』を読んで「傑作だ」と大学サークル内で騒ぎまくったり……なのでプレッシャーには感じましたが、綾辻作品、西澤作品を数多く再読して見つめ直すことが出来て、貴重な時間を過ごせた気がします。

     とはいえ……疲れたのも事実。解説の荷を下ろすと、私の中に猛烈に、湧き上がってきた感情がありました。

     ――ノンフィクションが読みたい!

     事実は小説より奇なり、などという月並みな文句は嫌いですが、時折どうしようもなくノンフィクションが読みたくなります。ミステリー仕立てなら、なおのこと良い。あくまでも現実に起きたことである、という事実そのものの重みをしっかりと受け止めつつ、スリルも奥行きも味わえるような、そんな体験をしたくなります。そう思い立った時は、大型書店のノンフィクション本コーナーに行き、興味を惹かれる本を片端から見てみるのです。

     そこで今月はベア・ウースマ『北極探検隊の謎を追って』(青土社)を手に取ってみました。「人類で初めて気球で北極点を目指した探検隊はなぜ生還できなかったか」という長いサブタイトルがついており、そのものずばり、北極探検隊三人の死因を巡るノンフィクションになっています。

     極地探検隊、アンドレー探検隊は、気球に乗って北極点を目指した。サロモン・アウグスト・アンドレ―、ニルス・ストリンドベリ、クヌート・フレンケルは、1897年10月5日、クヴィト島に上陸した。四か月以上にわたる雪中行の最後だった。探検隊の一人が書いた日記は、10月8日の記述を最後に途絶え、後には三人の死体だけが遺された。一体、彼らは何が原因で死んだのか。本書は、300ページかけて、ただそれだけを解き明かす作品だ。

     ――とはいえ、答えは明白ではないか! 私も最初はそう思いました。低体温症でも凍死でも、細菌でも、ホッキョクグマを食べたというのでその寄生虫でも死に得る。ところが、本書の凄いところは、そうした主要な仮説の一切を、ほぼ冒頭の時点で全て退けてしまうことです。

     著者、ベア・ウースマは、自らもクヴィト島に行こうとします。三人が踏んだ地をその足で踏もうとするのです。あるいは、三人の日記を、そのまま掲載したりもします。何よりも大量の事実を集め、検証することで、この謎に挑もうとします。

     この日記は、なんと40ページをも占め、本書の白眉とも言えるパートでしょう。雪中行の過酷さが淡々と描かれ、体感温度の低さのデータを見るだけでも体の芯から震えあがってしまいます。そんな40ページのなかにも、きちんと手掛かりは書かれているのです。

     そうした「事実」を重視した姿勢の中に、ベア・ウースマは時折詩情と、狂おしいまでの熱情を覗かせます。例えば69ページ、突然1ページを使ってこんな表現が入ります。事実を基にした作品に、突然詩のページが挟まったような具合なのです。

     “三人の居場所をだれも知らない。
    体は影を落とさない。”

     なぜ三人に執着するのか、その感情をベア・ウースマ自身は「ラブストーリー」という言葉で表現したりもします。その熱情もまた、この作品の求心力になっているのです。

     さて、最後には謎はきちんと解かれます。現場周辺の見取り図を作製するパートだけでも興奮するのですが、ある物証の写真をじっくり見た瞬間、目の前に存在していながら、たどり着けなかった答えを見つけるような感覚は無類でした。とはいえ、「誰かその説を思いつかなかったのか」とは思わなくもないのですが、納得させられるほどの迫力が、本書にはありました。

     ということで、『北極探検隊の謎を追って』は、無類の謎と熱情に導かれた、実に面白いノンフィクションでした。オススメ。

     今月はもう一冊、亜紀書房から出たスザンナ・キャラハン『なりすまし 正気と狂気を揺るがす、精神病院潜入実験』もかなり面白いノンフィクションでした。詐病によって精神病院に潜入したローゼンハンという男を巡る作品ですが、精神医学上有名だというこの論文に対して、著者が取るアプローチが面白いというか、「そっちの方向から検証するのか!」という面白さがありました。これもまた、併せて勧めたい一冊です。

    (2021年5月)



第14回2021.05.14
ディック・フランシス「不完全」攻略 ~年に一度のお楽しみ~

  • ディック・フランシス、書影


    ディック・フランシス
    『出走』
    (早川書房電子書籍)

  • ◎結論

     私と同じ年代で、「ディック・フランシスの名前くらいは知っているが、あまり読んでこなかった」という人にぜひおすすめしたい作品は、以下の順番です。カッコ内に示したのは、原書の初出年、フランシスの作品順では何番目にあたるかと、主人公の種別(騎手・非騎手)です。

    ①『出走』(1998年、短編集)
    ②『利腕』(1979年、第18作、元騎手、現在調査員)
    ③『証拠』(1984年、第23作、非騎手=ワイン商)
    ④『度胸』(1964年、第2作、騎手)
    ⑤『血統』(1967年、第6作、非騎手=諜報員)
    ⑥『名門』(1982年、第21作、非騎手=銀行員)
    ⑦『横断』(1988年、第27作、非騎手=保安員)
    ⑧『本命』(1962年、第1作、騎手)
    ⑨『大穴』(1965年、第4作、元騎手)
    ⑩『黄金』(1987年、第26作、騎手)
    別格 『女王陛下の騎手』(1957年、自伝)

    ◎総論

     ディック・フランシスは何を読めばいいですか?
     私はこの質問を年上のミステリ読みに何度となくぶつけてきました。フランシスは2010年に逝去、その時私はまだ高校生でした。すでに、息子との合作も含めて44作品の著作が出揃っており、作品を読もうにも、どう追いかけていいか分からない状態でした。唯一の手掛かりは『東西ミステリーベスト100』に『興奮』『利腕』がランクインしていること。
     初めてのフランシス体験は、中学三年生の時に読んだ『興奮』でした。そして、恥を忍んで告白すれば、私はその時、面白さがまるで分からなかったのです。馬が虐待される描写ばかりが胸に残ってしまい、モヤモヤしながら読み終えることに。
     だが、これだけ高い評価なのだ。何か理由があるに違いない。そう思った私は、とにかく年上のミステリ読みに聞きました。「ディック・フランシスは何を読めばいいですか?」。答えはいつも同じでした。『興奮』と『利腕』。他の情報はまるで上がってこない。なにが始末に悪いって、たまにそれ以外の作品の情報が上がってきて、えっ、ちょっと待ってくださいよとメモを取っても、どれもこれも二文字タイトルなので、古本屋の棚の前に行った時には、ハテどれを勧められたのやら、と首をかしげてしまうのです。
     そんなわけで、冒頭に「結論」と題して、私のおすすめしたいタイトルについて並べさせていただいた。これなら、古本屋で探している時、「そういえば、阿津川という作家がネットに書いていたな」と思い出してもらえれば、すぐ参照してもらえるだろうと思ってのことです。

     今回、ディック・フランシスをまとめ読みしてみようと思い立って、一か月強で読めたのは二十冊でした。全体からすると半分にあたる。その中から、勧めたい作品が既に十作+一作挙がったのだから、これはもう、実は大変なことです。いやいや、面白いじゃないですか、ディック・フランシス。
     しかも一番びっくりさせられたのは、原書の初出年一覧を確認した時です。一年に一冊、出しているのです。デビュー作『本命』(1962年)から第二作『度胸』(1964年)の間には2年の期間があるが、それ以外は年一ペースで、1965年の『興奮』『大穴』のように2冊出している年さえある。2000年の『勝利』から2006年の『再起』までの間は空いていますが、それまでは年に一冊とにかく出ているということです。
    『ディック・フランシス読本』に収録された、来日記念講演の箇所にも、「だいたい秋に次の小説の筋を練ります。そのためには、かなり調査をしなければなりません」と述べられています。一年ごとに調査・取材する対象を変えて、ルーティーンを守って刊行し続けてきた、その姿勢が窺えます
     邦訳もほぼそれに近いペースで、ハヤカワポケットミステリから、ハヤカワ・ミステリ文庫から、ハードカバーから、とにかく何かしらの形でほぼ年に一回のペースで訳されています。初邦訳の『興奮』は1967年10月31日発行で、『大穴』は同年の11月15日発行というデータを見るにつけ、「おいおい、一体どんなペースだよ」と驚かされます(訳者の菊池光は、同じ年にギャビン・ライアル2冊とジョン・ボール1冊を訳しているので、このペースも驚き)。
     この「一年一冊」という事実には、もう一つ感じたことがあるのですが……それは本筋ではないので、本稿の末尾で触れることにしましょう。
     さて、今回、私がオススメ作品を選んだポイントは以下のとおり。

    ① 「謎」の魅力
     後続の立場から追いかける身として、やはりストーリー上の大きな魅力である「謎」自体の魅力は重視しました。ここでいう「謎」とは、密室とかアリバイとかそういう話ではなく、「自分の周囲で、悪意が蠢き、自分の思惑を超えた何かとんでもない事態が進行している」というゾクゾクとした恐怖のことを意味する。こうした意味での「謎」作りが、ディック・フランシスは病的に巧みなのです。具体的に、どういう謎があるのか。それはこの後、各作品の紹介にて触れていきます。

    ② その「謎」を起点にした中盤の展開
     なんだか江戸川乱歩の「中段のサスペンス」みたいな話になってきましたが、要するに、そういうことです。「謎」の転がし方が巧かどうか、サスペンスに満ちているか、を重視してみました。

    ③ 登場人物の魅力
     これは正直、あえて論じるまでもなく、実はフランシスは毎回満点級です。ただ、作品によっては少し違った陰影の視点人物を入れることで雰囲気を変えていることもあるので、そこにも注目していきたい。

     こんなポイントを参照しながら、以下、各作品の紹介をします。

    〇各論

    ①『出走』(1989年、短編集)
    “話を聞かせてくれ、それも力強く、速く。
     面白い寝物語を聞かせてくれ。血まみれの死体がなく、ぞっとするような出来事がなく、絞首刑後、はらわたを抜かれ、体を四つに裂かれた主人公のいない話を。” (同書、p.5)

     どうだ、この冒頭は。最高の短編集の序文でしょう。なんともゾクゾクするではないか。
     今これからフランシスを追いかけるなら、この短編集を外すことは出来ないのではないか? そう思わせるほど、粒よりの短編集です。小説家としてデビューして(自伝を入れず)36年目にして、初の、そして唯一の短編集。長いキャリアの中で一つずつ書かれた作品集は、まさしくフランシスの魅力のショーケースのように思えます。
     フランシスの作品は全て一人称小説で、そのどれもが作者自身を投影したものになっているのですが、『出走』では三人称記述や、悪党をメインに据えた作品があるのも印象的。長いキャリアの中で一編ずつ仕込んだという経緯からして、各編がフランシスの実験にもなっているのです。いつもヒーローを書いていたフランシスが、「正しくあろうとしても、そうできない人」を書いたことが、また一段フランシスの深化につながったとも取れます。
     さて、全13編、どれもユーモアとツイストに満ちた好短編ばかりで、中でも、人生の皮肉を悲喜こもごもに写し取っていく傑作「敗者ばかりの日」、フィニッシング・ストロークが見事な「悪夢」などが出色の出来。ぜひとも、おすすめの一作です。

    ②『利腕』(1979年、第18作、元騎手、現在調査員)
    (以下、☆印は各項目5個が満点)
    謎 ☆☆☆☆☆
    中盤☆☆☆☆☆
    人物☆☆☆☆☆

     これはもう、冒頭2ページ、「プロロゥグ」をまず読んでみてほしい。私は『利腕』を大学生で読んで以来、未だに、思い出したようにこの冒頭を読み返しに行って、密かに涙ぐんでしまうのです。それは騎手の夢、喪ってしまった男の夢、『利腕』が奪回すべきものを示した、美しい2ページです。
     これこそ、ディック・フランシスのマスターピース。確かに大ベタですが、大学生の私が読んで、「いつかフランシスをちゃんと読まなくては」と密かに思うきっかけになった本です。そして、今回二十作品読んだ中でも、やはり評価は揺るぎませんでした。
     次々とレース生命を絶たれていく本命馬たち、一体、何が起こっているのか? この謎自体が、フランシスが一番ベタに取り上げる謎であるのは事実ですが、これを隻腕の元騎手、シッド・ハレーが捜査することにより、無類の冒険小説の味を放っています。それはハレーのハンディキャップゆえに出てくる緊迫感でもあるでしょう。
     トラウマからの克服、というサブテーマも加え、これこそ隙のないエンターテイメント。北上次郎が『ディック・フランシス読本』で書いた「ディック・フランシスの30年」によれば、やはり『利腕』が出世作であり、長いスランプから抜け出した作品でもあるようですが、これで終わらなかったのが凄いことです。

    ③『証拠』(1984年、第23作、非騎手=ワイン商)
    謎 ☆☆☆☆
    中盤☆☆☆☆
    人物☆☆☆☆☆

     これも『出走』と同じく、魅力的な冒頭を引用してみましょう。

    “社会生活では苦しみを表に出す事は許されない。人は涙を見せない事になっている。特に一応人並みの容姿を具えた三十二歳の男は泣いてはならない。妻が亡くなって半年たち、周りの者すべての哀悼の念が消えて久しい場合はなおさらである。”(同書、p.7)
     ワイン商を主人公にした作品ですが、これも無類の面白さ。ワインのラベルを張り替えて、同じワインを違うワインとして売り出しているバー。これだけなら偽酒売りの話に過ぎないが、主人公にこのバーのうわさを持ち出した人物が馬車に轢かれ(そうやって馬が出てくんのかよ!)、事態は風雲急を告げる。
     ワインの世界に分け入っていく面白さだけでも十分に読ませるし、中盤にも事件が続発し飽きさせない。騎手が主人公だったり、競馬ががっつり絡んでくる話に抵抗感があるなら、こうした、非騎手が主人公の作品から入るのアリでしょう。何せ、『証拠』は、トラウマからの回復、という要素を取り出せば、『利腕』で確立したパターンの再生産でもあります。そういう意味でも完成されており、入りやすい。
     ところで、冒頭に掲げた一文は、実はフランシスが書く小説の主人公が共通して持つ信念の核なのではないでしょうか。男は、恐怖を感じていても、その恐怖を表に出す事は許されない。それを克服し、立ち向かい、危機に打ち勝っていく。そこがかっこいいし、何より共感を呼ぶのではないか。
     私が中学生の時『興奮』を読んで、面白さが分からなかったのは、この「社会生活では苦しみを表に出す事は許されない。人は涙を見せない事になっている」という感覚を、まだ肌で理解しきっていなかったからかもしれません。

    ④『度胸』(1964年、第2作、騎手)
    謎 ☆☆☆☆☆
    中盤☆☆☆☆
    人物☆☆☆☆

     新人気鋭の騎手が、28回連続最下位を取る。すげえ謎だ! この謎を読んだ時、正直、ぶっ飛んだ。あまりにも凄い悪意ではないか。どんなことをすればそんな事態が生み出せるのか、その見当すらつかないのだ。
    レースに出なければ食い扶持を稼げない、イギリスの競馬界のシビアな側面も描かれて、なんとも堂々とした充実ぶりを見せた二作目です。なんと冒頭に掲げた謎も、見事に解決する。あったのだ、トリックが。28回連続最下位を取らせるトリックが。しかもそれを仕掛けた犯人もちゃんといるのだ。その動機も常軌を逸している。フランシス作品の犯人は、金を動機とした人間は別として、結構常軌を逸している、というのが私の持論なのですが、『度胸』の犯人はその中でも頭一つ抜けているでしょう。

    ⑤『血統』(1967年、第6作、非騎手=諜報員)
    謎 ☆☆☆
    中盤☆☆☆☆
    人物☆☆☆☆☆

     スパイスリラー編です。これが結構面白い。輸送中の名馬が突然消える、という謎と、主人公たちがいきなり命を狙われるつかみで十分だが、他の「ゾクゾクする謎」に比べるとやや力不足の感は否めないか。今回特筆すべきは、手数の多さというか、中盤の「名馬奪還劇」の面白さでしょう。
     やや陰鬱なスパイを主人公に据えたことによって、ややグルーミーな読み味となっていることで、個人的には読みやすく感じた。とはいえ、たとえばネオ・ハードボイルドという感じではなく、上司の娘をあしらう描写などには、やっぱりマッチョなハードボイルド観が見え隠れします。全体としてはグルーミーですが。
     スパイ小説ならでは、組織と個人の相克の苦みも最後には立ち上ってきて、非常に楽しめる作品です。

    ⑥『名門』(1982年、第21作、非騎手=銀行員)
    謎 ☆☆☆☆☆
    中盤☆☆
    人物☆☆☆☆☆

     異色作にして問題作。ロンドンの名門銀行のバンカーを主人公にし、インテリをメインに据えていること自体が異色だし、銀行の投資信託を描くために、三年という長い時間軸の話が設定されているのも異色です。
     しかし、本書の凄みはそこではない。名馬の種付け事業に投資信託を行う、という筋なのだが、この種付けをした馬が一年後……奇形ばかりを生んだ、という謎なのです。
     この謎が立ち現れた瞬間、私はとにかくゾッとした。凄まじい悪意、あまりにも底知れない悪意である。しかもこれが見事に解けて、犯人までちゃんといるのだから恐れ入るではないか。
     銀行家の周辺を描くモジュラー式の書き方も、最後にはきちんと繋がり、ある意味では本格ミステリのベタな構図さえ立ち上がる。謎解き小説としては無類だし、恋愛小説としてもかなりナイーヴかつ甘く仕上がった快作です。ただ、謎の性質も特殊だし、異色作、取扱注意のもと読んでほしい。
     ちなみに、本書巻末の池上冬樹の解説では、『連闘』までの各作品の採点表までついていて、後続の立場からかなり参考になったことを付言しておきます。

    ⑦『横断』(1988年、第27作、非騎手=保安員)
    謎 ☆☆☆
    中盤☆☆☆☆
    人物☆☆☆

     やっぱり、フランシスが一年に一冊書いていたというのは、大きいのだと実感した作品。ミステリートレイン、カナダ横断鉄道。しかも馬主を満載して、カナダの競馬場を巡るという趣向なのです。その車に乗ったある男の悪巧みを暴くため、英国ジョッキイ・クラブ保安部員の主人公は列車に乗り込む。つまり、列車、競馬、スパイスリラー、ミステリ劇の四本立てです。豪華ではないですか。これが原書刊行年だと、後述する『黄金』という、古風ゆかしい犯人捜しものの翌年に出るのだから、そりゃあ、バリエーションの付け方に楽しくなってしまうでしょう。おまけに『横断』の翌年は、宝石業界を描いた『直線』という、またガラッと変わった題材なのです。
     列車に乗り込むまで100ページ近くかかるのが難点だが、終盤に、列車、馬主たちの人生、ミステリ劇の三本の筋がきっちりと重なり、意外な真相と結末がきちんと立ち上がるのは見事です。題材の圧倒的な楽しさも加味して、この位置につけたい。

    ⑧『本命』(1962年、第1作、騎手)
    謎 ☆☆☆☆
    中盤☆☆☆
    人物☆☆☆

    “熱した馬体のにおいと河からたちのぼる冷たい霧が入り混じって私の鼻をついた。聞こえるのは疾走する馬の足がシュッシュッと空を切り蹄が地面を蹴る音、それに時折蹄鉄がぶつかりあう鋭い音だけである。”(同書、p.5)

     これがフランシスのデビュー作の冒頭です。どうでしょう。馬上の騎手の息遣いまで聞こえ、臭いまで臭い立ってくるような描写ではないですか。それ以降の冒頭のユーモアセンスに比べると、まだまだ生硬な味わいがありますが、掴みはバッチリというものです。
     障害競馬の最中、騎手が死んだ。これは事故なのか? それとも……。これこそ、騎手にとって、騎手である過去を持つフランシスにとって、最も生々しく、しかも迫力ある謎というわけです。
     ということで、これはむしろ、王道のフーダニットと言える作品なのです。この面白さで300ページ台というのも本当に驚かされます。アラン・ヨーク自身の魅力は、それ以降の主人公たちに比べるとやや見劣りはするかもしれません。

    ⑨『大穴』(1965年、第4作、元騎手)
    謎 ☆☆☆
    中盤☆☆☆
    人物☆☆

    “射たれる日まではあまり気にいった仕事ではなかった。その仕事も自分の一命とともに危うく失うところであった。”(同書、p.5)

     フランシスの冒頭の掴みのうまさは、ぜひとも学ぶべきところでしょう。どれもこれも、グッと心を鷲掴みにされ、思わず続きを読みたくなる冒頭です。疑うのなら、古本屋でフランシスが並んだ棚の前に立ち、片っ端から冒頭だけを読んでみてください。
     ここに引用しなかった各作品の冒頭も、一行目から人が死んだり、掴みは見事です。
     さて、『大穴』は、『利腕』で名演を果たすシッド・ハレーの初登場作です。ハレーを狙撃したのは誰か、という謎で、ベタだがゾクゾクする謎である。ただ、シッド・ハレーというキャラについては、やはり『利腕』で再登場させるつもりが当初はなかったからか、ここではまだちょっと魅力が薄いようには思えます。
     ちなみに、シッド・ハレーはこの後『敵手』『再起』で登場し、それらもやはり面白いが、『再起』はややオマケ的な感じがします。

    ⑩『黄金』(1987年、第26作、騎手)
    謎 ☆☆☆☆
    中盤☆☆
    人物☆☆☆

    “私は父の五番目の妻を心底から嫌っていたが、殺すことを考えるほどではなかった。”(同書、p.7)

     フランシスのトリッキーな冒頭も、ここまでくると笑うしかない。ということで、本作は五回再婚した父を巡るサスペンスで、拡大家族の中の誰が殺人者なのか? という、いわゆる「クリスティー流のフーダニット」に仕上がっています。
     正直、中盤のサスペンスの部分でかなり見劣りするのだが、後半200ページ、今までろくに向き合ってこなかった家族一人一人を調べ、その人生を理解していく過程には面白さがある。意外な真相もなかなか。
     フランシスの作品の特徴の一つに「親子関係」があるが、明確に現れた作品でもあります。

    別格『女王陛下の騎手』(1957年、自伝)

     ディック・フランシスの騎手時代を綴った自伝。これまでにも触れた通り、フランシスの作品は全てフランシス自身を投影した一人称小説なので、実は、「フランシスその人を好きになること」がフランシスを読む最大のコツなのです。
     ということで、『女王陛下の騎手』を読み、その人生そのものに興味を持ってしまうというウルトラCもオススメです。

    〇蛇足

     ということで、ディック・フランシス、面白かった! ここまでに紹介したのは、後続の立場で、二十代の私が読んでも面白かった、というものなので、当時追いかけていた皆様とはずいぶん感じ方が違うかもしれません。とはいえ、誰かしらの参考になれば幸いです。

     で、ここまで考えてみて気が付いたのです。
     ディック・フランシスは、今の私でいう、ジェフリー・ディーヴァーや、「劇場版名探偵コナン」のような楽しみ方をされていたのではないか?
     ちょっとたとえが分かりにくいかもしれません。私は毎年、ディーヴァーの新作と「劇場版名探偵コナン」の新作は、発売日・公開日に鑑賞する、それが難しければ翌日には鑑賞することにしています。分かっています。ディーヴァーなら『コフィン・ダンサー』『ウォッチメイカー』やコナンなら『瞳の中の暗殺者』『天空の難破船』レベルの傑作がそうそう味わえるわけではないだろう、とは。見果てぬ夢を追いながら、それでも毎年、出たら読む/観るのです。「今年は面白いらしいから読もう」「今年は評判が悪いから金曜ロードショーでいいか」ではないのです。出たら、読む/観る。これは確定事項です。なぜならそれが習慣だからです。一年間に一度、ディーヴァーの新作を読み、劇場版コナンの新作を見ることは、なにものにも代えがたい楽しみだからです。
     それに、この「楽しみ」は、毎年恒例の幸せな時間をも約束してくれます。気の合った仲間たちと、ああでもない、こうでもないと、感想を言い合う時間です。「今年の『〇〇』はどうだった?」「いまいちだったね、去年の方が良かったよ」とか、よし、じゃあ一作目から順に評価を確認しようとか、毎年似たような話を、喫茶店にでも入ってだらだらするわけです。そうしているうちに、今年の作品と前の作品が思わぬ形で繋がって面白い考察が出来たり、むしろ前の作品の評価が下がってしまったり、そういう時間を過ごすのが何より楽しいのです。
     そりゃ、楽しいでしょう。こんなにユーモアとサスペンスにあふれた作品が毎年のように出て、「今年の『横断』はミステリートレインだったね」「珍しい題材だけど、やっぱり列車がピンチに陥る終盤のところはいいね」なんて、あーでもないこーでもないと話していたら、そりゃあ面白かろうと――
     まあ、そんなこんなでイマジナリーミス研での会話を妄想したのですが、「それでも、後の時代から振り返った時、ミステリマニアが後追いできる足掛かりは必要だろう」と思うのです。私も多分後二十年、三十年すると、「ディーヴァーは何を読めばいいって? ボーン、コフィン、ウォッチの三作で十分かな」などと言いだし、『石の猿』『クリスマス・プレゼント』『ブラック・スクリーム』『煽動者』『オクトーバー・リスト』を挙げることを忘れるようになるかもしれませんが、それだけに、どんなものでも蹄跡を残しておく必要があるのではないか、と。『オクトーバー・リスト』(文春文庫)に寄せた私の解説には、そんな思いも乗せていました。
     と、いうことで、現在進行形でディック・フランシスを追いかけていた人たちの熱量には多分もう追いつけないことを自覚しつつ、「今読んでも面白いフランシス」を指針として残しておこう、というのがこの文章の狙いでした。
     残り半分の作品については、いつか読んで、この記事の「不完全攻略」から「不」が取れる日が来ると良いのですが。
     いやそれにしても、「一年に一冊必ず新作が出る」とは、やはりエンターテイメントにおいて一番大事なことじゃないでしょうか? フランシスもディーヴァーも「劇場版名探偵コナン」もそこが偉い……ちょっと待て、こう締めくくると、自分の首を絞めることにならないか?

    (2021年5月)



第13回2021.04.23
心を見つめる警察小説

  • ヨルン・リーエル・ホルスト、書影


    ヨルン・リーエル・ホルスト
    『警部ヴィスティング 鍵穴』
    (小学館文庫)

  •  私の好きな刑事といったら、なんといっても大沢在昌の新宿鮫、誉田哲也の姫川玲子、ヒラリー・ウォーの諸作、マイ・シューヴァル、ペール・ヴァールーらのマルティン・ベック、そして今現在進行形で月に一冊ずつ読んでいるヘニング・マンケルのクルト・ヴァランター、ユーモアも入れればフロスト警部とドーヴァー警部、路線は本格寄りですが、P・D・ジェイムズのアダム・ダルグリッシュやアン・クリーヴスのジミー・ペレスも……。

     と、キリがないのですが、最近このリストに加わった大好きな警察小説シリーズがあります。この読書日記でも取り上げた、ジョゼフ・ノックスのエイダン・ウェイツ・シリーズ(第1回)、エイドリアン・マッキンティのショーン・ダフィ・シリーズ(第3回)、そして、ヨルン・リーエル・ホルストが描く警部ヴィスティング・シリーズです。

     そこで、今月の2冊目は、ホルストの新刊『警部ヴィスティング 鍵穴』(小学館文庫)を取り上げましょう。なんとも不思議な魅力をたたえたシリーズなのです。

     ヴィスティングの印象というのは、上に列挙した刑事たちの中では、ダルグリッシュやペレスの印象に近いでしょう。事件を静かに眼差しながら、その本質を捉えようとする。その静かさが、このシリーズの捜査の魅力を形作っています。

     ホルストがノルウェーの作家であることを考えると、北欧の作家という点ではむしろマルティン・ベックやクルト・ヴァランターに近いのかと思えば、そうではない。それは恐らく、警部ヴィスティング・シリーズに、どこか時代から遊離したような感覚があるからではないでしょうか。ベックとヴァランターは、現在進行形の事件、しかも人身売買や大量殺人、年金暮らしの孤独な生活者など、現代の社会問題が絡んだ事件にがっぷり四つで取り組んでいく。その中で刑事自身も傷つきながら、捜査というドラマを見せてくれる。

     一方で、これまでに邦訳されたホルストの小説は、いずれも話のベクトルが過去に向いています。『猟犬』(早川書房)は、ヴィスティングが解決した17年前の誘拐殺人事件で採用された証拠が捏造されたものだったのではないか、という疑惑を巡る物語ですし、『警部ヴィスティング カタリーナ・コード』(小学館文庫)は24年前の失踪事件を静かに解き明かしていく作品です。時間は世界にも人々にも堆積しており、ヴィスティングはその中に静かに分け入って、真実を見つけ出そうとする。マルティン・ベックやヴァランターが抉る社会問題は時代を経てもなお鮮烈ですが、ヴィスティングはまた別の意味で、違う時代にも読まれ続けていくような気がするのです。何か普遍的なもの――「人の心のありよう」を見つめようとする、その眼差しに惹かれるからでしょうか。

     警部ヴィスティングには捜査チームの他に、娘のリーネという頼れる相棒がいます。彼女はタブロイド紙の記者で、『猟犬』『カタリーナ・コード』では、警部と記者、父と娘のそれぞれの立場から情報を集め、必要な時に情報の交換を行う姿勢が描かれていました。いわば警部が「静」なら、リーネのパートは「動」を担当していたわけです。『カタリーナ・コード』などは、失踪した女性の夫であるマッティンとヴィスティングとが友人になっていて、ヴィスティングは彼との対話から何かを見いだそうとし続けますし、後半150ページは、犯人と目される人物と延々と会話をし続ける(!)のです。リーネのパートがあるから動きはありますが、そうでなければ恐ろしいほど動きのない小説です。京極夏彦の京極堂シリーズで、京極堂の店で京極堂の話を聞いている時くらい動きがない。だけどそれがいいのです。

     たとえて言うなら、夜にストーブをつけ、ホットコーヒーを飲みながら、穏やかな心でページを開くと、ミステリを読むということの幸福を静かに味わえるような本なのです。

     と、こんな具合にシリーズを概観したところで、『鍵穴』の話を。今までの邦訳二作品の主役がヴィスティングだとするなら、今回はリーネにスポットが当たった話だと言っても過言ではないでしょう。つまり、本作は「動」の印象が強いのです。

     今回の事件は、大物政治家が遺した大金の謎を追うことから始まります。不正献金か、裏金か。ヴィスティングは秘密裏の捜査を開始しますが、大金を政治家の倉庫から移した直後、その倉庫が放火される。ここで事件は一気にきな臭くなり、政治家の周辺で起きていた未解決の失踪事案を巻き込んで更なる展開を見せていく……。

     次から次へと事件が掘り出され、繋がりが明らかになり、加速度的に事件が広がっていく捜査小説の面白さ。謎の侵入者など、リーネの身に迫る危険まで描きつつサスペンスを高める手法。これまでの『猟犬』『カタリーナ・コード』と比べると、文体や静かさの魅力は共通しながらも、よりエンタメ寄りのプレゼンになっていると言えるでしょう。作中何度も「鍵穴」「ジグソーパズル」の比喩が登場しますが、まさにジグソーパズルの印象に近い一作です。パーツが増えていき、それを合わせていきながら、ぴたりとはまる最後の「鍵」を探す物語なのです。

     しかし、作中で実にさらりと描かれた、「政治家が大金を手にした理由」がまた良い。時の中に埋もれた思いに手を伸ばした感覚がたまりません。

     ということで『鍵穴』も実に楽しく読みました。もしこのシリーズを初めて読まれるなら、いぶし銀の魅力がストレートに現れた『カタリーナ・コード』をオススメしておきますが、前作のネタバレなどはないので、『鍵穴』から読んでも問題なしです。

     小学館文庫では、『カタリーナ・コード』『鍵穴』に続いてあと二作を「未解決事件四部作(コールドケース・カルテット)」として引き続き刊行予定とのこと。くうう、たまりません。めちゃくちゃ待っています。

    (2021年4月)



第12回2021.04.09
「不安」を描く作家、恩田陸 ~人生を賭した「謎解き」~

  • 恩田 陸、書影


    恩田 陸
    『灰の劇場』
    (河出書房新社)

  •  作家特集のムック本というのは、やはり良いものです。インタビューやエッセイに触れるうち、その人の作品がますます読みたくなり、いつしか再読の海の中で溺れている。そう思わされたのは、『文藝別冊 恩田陸 白の劇場』(KAWADEムック)と、『夜想#山尾悠子』(ステュディオ・パラボリカ)の二冊を手に取ったゆえです。充実した本で、どちらも作者のファンは絶対に買い逃してはならないというレベル。

     ということで今月の1冊目は、恩田陸の『灰の劇場』(河出書房新社)です。先月の読書日記でも、二月刊行の作品としてさらっと名前を挙げたのですが、やはりどうしてもそれでは済まない気持ちになったので取り上げます。

     先述した、この本と同時発売のムック『白の劇場』を読んで、大森望と全作を概観したり、桐野夏生や小川洋子と対談しているのを読んだり、各評者のエッセイや評論を読んで触発され、中学・高校の頃にまとめ読みした恩田陸作品を、この二月・三月にひたすらに再読していたのです。まさしく三月の国。ともかく幸せな時間でした。もちろん青春小説やホラーも好きですが、特に好きなのは『ユージニア』(角川文庫)、『Q&A』(幻冬舎文庫)の二冊。この二冊だけは今回の機会がなくとも何度も読み返していて、あの世界に浸るのが好きなのです。

     それはなぜかといったら、あの二冊が「不安」を描いた作品だからだと思うのです。『Q&A』はショッピングセンターでの大量死事件を巡り、インタビュアーの質問とそれへの回答だけで構成された小説で、そこに描かれるのは、あの日、あの場所にいた人たちを襲った正体のない「不安」の姿です。これがもう、中学生の私には、どんなホラーよりも怖かった。とにかく心がざわついた。しばらくショッピングセンターには近寄れなかったほどです。

     そして『ユージニア』は名家の大量毒殺事件を巡り、14の章でかわるがわる関係者が登場し、それぞれの「真実」を語るという長編なのですが、事件のイメージや各登場人物の語りがもたらす「不安」はもちろんのこと、単行本版では本文がちょっと斜めに印刷してあって、それがとにかく「不安」を誘いました。見た目には普通に見えるのに、どこか感覚が揺らいでいく……。親が買っていた単行本版を読んだので、世代的には全く被らないのに、中学の時にそんな経験をし、未だに『ユージニア』のとりこなのです。『ユージニア』のオマージュ元であるヒラリー・ウォーの『この町の誰かが』(創元推理文庫)も、同じくオマージュを捧げたという宮部みゆきの『理由』(新潮文庫)も、擦り切れるほど読んでいます。

     それで、今回の新刊『灰の劇場』では、「事実に基づく物語」として、恩田陸が1994年に目にした三面記事を巡る物語が描かれます。45歳と44歳の女性が橋から飛び降りて死亡。二人は私立大学時代の同級生だったという。

     恩田陸自身がモデルと思われる語り手が、この三面記事を見た記憶をたどっていく「0」の章、彼女が「飛び降りた二人の女性」の視点を描く小説部分の「1」の章、その小説を舞台で上演する過程が描かれる「(1)」の章と三層構造の物語となっています。三層構造といえば、『中庭の出来事』(新潮文庫)も「三層」で構成され尽くした物語でした。何が現実だったのか宙づりにしてしまう『中庭の出来事』が、多視点の語りによって読者の拠って立つ足場をぐらつかせる『Q&A』『ユージニア』の先にある物語だったとするなら、『灰の劇場』はさらに一歩も二歩も上を行くものだと言えるのではないでしょうか。

     海外ノンフィクション風の読み味があるのも魅力の一つです。「0」の章においてミネット・ウォルターズの『養鶏場の殺人/火口ほくち箱』(創元推理文庫)を引き合いに出していますし、ローラン・ビネの『HHhH プラハ、1942』(東京創元社)について『白の劇場』での桐野夏生との対談で「やられた!」と思ったと口にしていますが、特に、『HHhH』と『灰の劇場』との類似には驚きます。 『HHhH』というのは、ビネ自身が『HHhH』というノンフィクションを書くまでを描く記述と、ナチスドイツを巡るノンフィクション的記述の部分が交互に登場し、やがてもつれあってしまう作品です。『灰の劇場』でも、作者自身を描く「0」と事件を描く「1」の交錯があり、「やられた!」と思うのも頷けるところです。

     ですが、結果としては全く違う傑作に仕上がっている、と言えると思います。大きな違いの一つが、「(1)」の章の重みです。作者自身の声である「0」だけでなく、その作者が一人の観客として「演じられた物語」に相対しなければならない「(1)」があることで、作者自身がこの「三面記事」の事件に相対する感覚が深まっていると思うのです。事件に向き合い、何かを見いだそうとするその姿勢に、私は深く感じ入ったのでした。

     そしてこの物語、特に「事実に基づく物語」である小説部分の「1」は、どうあっても自殺の瞬間に辿り着くという、そんな途方もない「不安」を描いた小説でもあります。作中の語り手が、亡くなった二人に、作者が自分たちの死を小説に仕立てることを「望んでません」と言葉をぶつけられるシーンもあります。書くことそのものが葛藤であり、不安である。そうして、この先には二人を死に追いやったある種の「絶望」がある。その感覚が私の心を飲み込み、『灰の劇場』という小説体験に、恩田陸自信をモデルにした語り手の声を聴くことに、二人の女性の人生を「生きる」ことに、どうしようもなく夢中になったのです。

     この「不安」は、現代に生きる人すべての「不安」をも包摂しているのでしょう。「事実に基づく物語」やそうした映画がもてはやされる風潮について述べた、印象的な一節があります。

     “彼らは、それほどまでに、本や映画に向かう理由を欲しているのだ。本や映画に一定の時間を割くのは、それだけ孤独を強いられるということでもある。それは、常に「リアル」な繋がりを感じていられる、SNS等の世間からいったん離脱しなければならないことを意味する。そこから離脱するだけの動機を保証してほしい。「リアル」な繋がりから、ほんの数時間だけでも離れたことを後悔するような失敗だけはしたくないのだ。”(『灰の劇場』、p.20-21)

     この言葉にどこか刺されるような感覚がありました。今の小説家が読まれるためには、ソーシャルゲームと戦わなければいけないなんて言葉を聞いたことがありますが、本当はその背後にある、もっと大きな何かと戦っているのかもしれない。そんなことを思いながら、また「不安」の中に叩き落され、しかし、その形のない「不安」になにがしかの名前と言葉を与えてくれる恩田陸の作品が、私はやはり、どうしようもなく愛おしいのです。

     ……さて、以下は蛇足ですが、実はこの三面記事、私もなぜか見たことがあるような記憶がありました。作中で何度も「棘」の比喩を使って、この飛び降り事件が心に刺さった棘だったと語り手は何度も述べますが、私にもなぜかこの棘が刺さっている。

     でも、そんなことはあり得ないのです。記事は1994年の9月25日に掲載。私はまだ生まれて3日しか経っていない時です。三面記事なので、どこかで見たり聞いたりした、ということも考えられません。なのになぜ、私にはこの記事の記憶があるのか……。

     実はこれも、『灰の劇場』を読んで囚われた不安の一つでした。その不安の影につきまとわれながら、恩田作品の再読を繰り返していると、答えがありました。『puzzle』(祥伝社文庫)の中の一節です。長いですが引用してみましょう。

     “「そういえば一つ思い出したよ。親父がミステリ・ファンだったから、新聞の隅っこに載ってる小さな記事から事件の真相を組み立てるゲームを家族でよくやったんだ。刷り込まれたせいか、今でも結構習慣になってる。で、いつ読んだ記事かは忘れたけど、とても印象に残ってる事件がある」
    「へえ、どんな?」
     志土は興味を覗かせた。
    「女の人二人が橋の上から身を投げて死んだという事件なんだけどね。自殺らしいんだけれど、なかなか身元が分からなかったんだそうだ。でも、暫く経ってから、近所のアパートに住んでいた女性二人だと分かった。二人は大学時代の同級生で、血の繋がりはなかったんだけれど、ずっと一緒に暮らしていたらしいんだな。二人は五十歳くらいだったと思う。遺書もなかった」“
    (『puzzle』、p.93)

     二人はこの後、「いろいろなストーリーが思い浮かぶ」と言って、望んで一緒に住んだのか、やむを得ずか、心中だったのか、過去の犯罪も絡んでいるのかなど取り留めもなく話した後、本筋である事件の検討に戻っていきます。『puzzle』の刊行は2000年ですから、この頃から、本当に恩田陸の中の「棘」になっていた事件だったのだと思い知らされました。1994年から、『灰の劇場』の連載を終了するまでの2020年、その26年間、恩田陸はこの謎を心のどこかに抱え続けてきたのです。

     これだけさりげなく出ていたのですから、実は私が知らなかっただけで、他の作品にも出ていたのかもしれませんし、恩田ファンの間では有名な話だったりするのでしょうか……?

     立て続けに再読した中でこのエピソードがふっと現れた時の感覚は、もう、衝撃というか、戦慄としか言いようがありませんでした。しかも、「(1)」の章の技巧というのは、『中庭の出来事』や、あるいは『猫と針』(新潮文庫)といった戯曲の作品を通ってきた恩田陸だからこそ書けた、と言うことも出来るかもしれません。だとすれば、恩田陸はこれまでの人生、そのすべてをもって、1994年9月25日のあの事件を解き明かしたとも言えるのではないか、と。

     私は『puzzle』を手にしたまま、暫く呆然としていました。小説を書くというのは、書き続けるというのは、これほど凄まじいことなのかと、恩田作品の前で立ち尽くしてしまったのでした。

    (2021年4月)



第11回2021.03.26
足元で口を開く暗黒の淵 ~分厚く、切れないエンターテイメント~

  • 佐藤究、書影


    佐藤究
    『テスカトリポカ』
    (角川書店)

  •  これが載るころには先月の話になっているのですが、2月の国内新刊の量がちょっとおかしかった(褒め言葉)。著作刊行70冊の節目にふさわしい傑作である恩田陸の『灰の劇場』と、それと連動した豪華なムック本『白の劇場』、柄刀一版〈国名シリーズ〉の長編にして論理の牙城を築いた『或るギリシア棺の謎』、待望の新作にして幕末に不可能犯罪の華を咲かせた雄編である伊吹亜門『雨と短銃』、充実の犯人当てアンソロジーである『あなたも名探偵』、デビュー作で類まれなミステリセンスを見せた著者がガチガチのロジックミステリを刊行した紙城境介『僕が答える君の謎解き』、ますます充実ぶりを発揮する人気シリーズ短編集である誉田哲也『オムニバス』、更には、私もコメントを寄せた呉勝浩『おれたちの歌をうたえ』は著者最高傑作とも言えるエンタテインメントで……多分、書き忘れているものもあるはずです。それくらい、冊数が多かった。幸福な時間でした。

     しかし、中でもぶっ飛んだ一作を紹介したいのです。佐藤究の『テスカトリポカ』(角川書店)がそれ。こいつはもう、ぶっ飛んだ(二回目)。年に何回か、角川書店から出る極厚の小説のあまりの面白さにタコ殴りにされてしまい、寝食も忘れて一気読みをしてしまうことがあるのですが、これはまさしくそんな本でした。

     耳慣れないタイトルですが、これはアステカ神話の神の名前です。ストーリーもメキシコに住む十七歳の少女・ルシアから始まりますが、なんと舞台は早々に日本の川崎に。時は経ち、彼女の息子であるコシモが生まれてから、物語は本格的に動き出します。

     川崎に住むコシモ少年に、一体どのようにアステカ神話の神が絡んでくるのか。読者の心配をよそに、佐藤究は自在に視点を飛ばし、メキシコの麻薬密売人とジャカルタの臓器ブローカーが手を組んだ「新たなビジネス」の話や、日本の保育園に勤める女性など、「事件」の渦中に飛び込んでいく人々を、ゆっくりと、焦らず、どこか突き放したような文体で精緻に描いていきます。さながら大木のような小説です。作者は一つ一つの枝葉をゆっくりと描き、また別の地点から枝葉を描き、最後にはどっしりとした幹が中心に現れている。その中心というのが本作では、アステカ神話の神と現代との「重ね合わせ」なのです。

     メキシコの麻薬カルテルということで、まず連想したのがドン・ウィンズロウの「犬の力シリーズ」。『犬の力』『ザ・カルテル』『ザ・ボーダー』では、大部の小説の中で、麻薬戦争に翻弄される人々や捜査官アート・ケラーと、麻薬カルテルとの戦いが描かれますが、何より胸に迫るのは、麻薬というものを前に、紙屑のように人間が消えていく、その怖さです。特に凄いのが『ザ・カルテル』で、好きになったキャラが次のページではあっさり殺されているなんてザラで、麻薬戦争を前にした人の命の軽さが残酷なまでに描かれます(だからこそ、そこからの解放と安らぎを描こうとする『ザ・ボーダー』の輝きも凄いのですが)。

     (前略)さまざまな形を取る資本主義の魔法陣のうちで、おそらくもっとも強力な魔法システムの図形である麻薬資本主義ドラッグ・キャピタリズム、(後略)(『テスカトリポカ』、p.152)

     人一人の命をあっさりと捧げてしまう現代の魔法と、古代の信仰の重ね合わせ。その取り合わせは意想外でありながら、同時にとても馴染んでいます。

     しかしこれは資本主義だけの物語では終わらない。これは同時に「信仰する者」の物語たり得ているのです。教義。太古の歴史。そして出し抜けに古代と現代の光景が重なってしまう時。そのイマジネーションの中で、現代の暴力が紡ぐ悪夢と、古代の神話が彩る祝祭が同時に立ち現れる。名シーンの数々が描かれる第Ⅳ章は圧巻の面白さでしょう。ミステリ的なネタバレでは一切ないことを前書きしたうえで書くと、私は第50節の会話の素晴らしさだけで、この本を生涯忘れないと思います。

     神話というと、なんだか難しそうと思われるかもしれませんが、必要な知識は全て作中で解説されていますし、一人の登場人物に感情移入して追いかけるだけでも、かなり充実した読書体験が約束される本です。クライム・ノベルとしても、幻想文学としても無類の本作。個人的には2021年ベストエンターテイメントに早くも推したい。

    (2021年3月)



第10回2021.03.12
海洋ミステリの見果てぬ夢 ~高橋泰邦が生み出した「名探偵」~

  • 高橋泰邦、書影


    高橋泰邦
    『偽りの晴れ間(上・下)』
    徳間文庫

  •  今月、文春文庫からジェフリー・ディーヴァーの新作『オクトーバー・リスト』が刊行され、私、阿津川辰海が「解説」を務めさせていただきました。ノンシリーズ長編、いきなり文庫での刊行になる本作の趣向は、「逆行する犯罪小説」というもの。第36章から2日間の出来事を遡っていき、最後、時系列ではいちばん最初にあたる「第1章」にかけて全てが解き明かされる凝った構成で、ディーヴァー作品で一、二を争う衝撃を味わうことが出来ます。本の構成要素もすべて逆順になっているので、本来なら「解説」になる私の文章も、「日本語版・序文」になっているという趣向。解説も知らず知らずのうちに気合が入り、「逆行する解説」をしたためてしまいました。ディーヴァーからしばらく離れていた方にも自信を持ってオススメできる逸品です。

     さて、今月の1冊目は高橋泰邦の『偽りの晴れ間』(講談社、文庫版は上下巻で徳間文庫にて刊行)をご紹介します。

     高橋泰邦といえば、今のミステリ読みからは翻訳家として名高い方でしょう。有名なのはアントニイ・バークリーの『毒入りチョコレート事件』(創元推理文庫)でしょうか。ハヤカワ文庫から刊行のホーンブロワー・シリーズや、アリステア・マクリーン『北極基地/潜航作戦』など、船舶が関わるミステリや海洋ミステリにも強かった人です。

     そんな高橋泰邦ですが、「翻訳家になりたくて小説を書き始めた」という異色の経歴の持ち主。しかし、余技と言い切るには惜しいほど、今読んでも面白い作品ばかりなのです。中でも、補佐人・大滝辰次郎という男を主人公にした一連の海洋ミステリ・シリーズは、海難審判を扱った法廷ものとしての魅力と、航海士たちの人間ドラマや海のサスペンスが調和した傑作揃い。補佐人というのは、海難審判の弁護士のことだと思ってもらうと良いです。

     大滝シリーズは全部で四作、うち三作は光文社文庫で刊行され、今でもKindleで購入できます。そこで、本稿の末尾で、その三作もあらすじや魅力を紹介させていただくとして、今はシリーズ第四作にあたる『偽りの晴れ間』の話をしましょう。

     1970年発表の本作は、1954年の実在の海難事故「洞爺丸事件」をテーマにした長編ミステリ。死者・行方不明者あわせて1155名にのぼる、この海難史上に残る事故に対し、船長たちの責を問う海難審判が始まる。とはいえ、船長は死亡しているため、矢面に立つのは二等航海士(セコンドフサー)だという一事をとっても、複雑な事件であるわけです。

     探偵役を務める大滝は、洞爺丸側の弁護士である「海事補佐人」としてこの事件に関わることになります。大滝はそれまでのシリーズ三作品では、もちろん架空の事件を解き明かしていたわけですが、本作は実在の事件に大滝を登場させていること自体が一つの驚きになっています。高橋泰邦は1962年にこれまた実在の事件である「南海丸沈没事件」を扱った『紀淡海峡の謎』というノンフィクション風の事件小説を出していますが、大滝は出ていません。ではなぜ、大滝は『偽りの晴れ間』に登場したのでしょうか。

     そこには、大滝がシリーズを通して言い続けてきた、ある信条が関連していると思います。彼は事あるごとに言います。「審判が海難の真因を究明することを目的とするとうたっているからには、“人間審判”でなければならぬ」「人間的な要素を無視して、何が真因か」(いずれも『偽りの晴れ間』講談社版、p.26)

     高橋泰邦の海洋ミステリは、全てのディティールを疎かにしません。船乗りが使う言葉一つとっても、船の部位の名前一つとっても、細心の注意を払って全てを余すところなく書きます。『黒潮の偽証』(光文社文庫)の解説にて、新保博久氏がこんなエピソードを紹介しています。かつて内藤陳氏が率いた日本冒険小説協会で、海洋部なるものを発足させたことがありました。その第二回会合のゲストに高橋泰邦氏が呼ばれたといいます。

     (……)一同酔余の果て、最近腹の立った本を一冊ずつ挙げる段になると、高橋氏は書名は伏せながら、ある海洋小説の翻訳が難しい個所をぜんぶ飛ばして訳しているのを非難した。「原文の難しいところほど、その小説のおいしい部分であるはずなんですよ」(『黒潮の偽証』解説より抜粋、p.280)

     まさに、この信念こそが、たった一つの言葉ですら疎かにしない高橋泰邦の迫力ある海洋ミステリを生み出した、と窺わせるエピソードである。そして、『偽りの晴れ間』では、対象が実在の事件であるがゆえに、高橋のこの信念は人間にまで及びます。洞爺丸の中から発見された死体の状況も、遺族が手をつけられないでいる遺体を、遺族と共に泣きながら湯かんしていた国鉄労組函館支部の婦人部長がいたことも、いきなり家族を奪われ、補償への道をただ一つのよすがに裁判を見守っていた遺族の姿も、彼は何一つ書き飛ばさず、誠実に、ただただ眼差していくのです。

     法廷ミステリ風に言えば、大滝を巡る状況はまさに四面楚歌です。全ての責任は、台風の大シケの中漕ぎだしていった、船長=国鉄側の重過失と考えられるのですから、そこを弁護する大滝は遺族から見ると「敵」です。大滝を睨みつける遺族の姿も、高橋泰邦はしっかりと細部まで描き切る。まさに「公正」な書きぶりです。世界に対して誠実で在るとは、なんと勇気のいることか。そのうえで大滝、いや高橋は、「洞爺丸事件」は人災だったのか、天災だったのか、という主題に立ち向かっていくのです。

     そこには幾つもの要因が絡んでいます。当時は船で経済が動いていたという事実も、一つの欠航から生まれる経済的損失の予測も、損失を恐れて会社側が出航させたのではという疑惑も、出航を決意させたと言われる「台風の目」の晴れ間の正体も、当時の気象予報技術も。複雑性の網の中で起きる事件を、公正に、ディティール豊かに書く。その一つ一つが、刊行から五十年以上経てもなお、圧倒的な熱として読者に伝わってきます。

     中でも、転覆の一つの要因とみられる地形の条件を確かめるべく、シケの海に乗り出していく大滝の姿を描いた中盤のシーンは、ミステリ的な一つの山場の意味でも、海洋冒険小説としての面白さという意味でも、屈指の名シーンでしょう。

    「それにしても、連絡船も出ないシケのなかへ、小船で出られますか?」
    「洞爺丸はもっとひどい海に出ていった」
    「だって、先生……、だから事故を……」
    「わたしはその洞爺丸の事故を調べとるんだ。机上の推論だけでは確信はもてない。確信のもてないことに説得力や訴求力はありえない!」
    (『偽りの晴れ間』講談社刊、p.127)

     大滝はこう喝破し、「悪魔の剣」と称する地形の特徴を論説しにかかる。そして助手にあたる鳥居という男を容赦なく引き回し、シケの海に小船で乗り出していくのである。まさに名探偵。それはすべて、船長に対するいわれなき𠮟責だけは退けたいという、彼の「人間審判」への情熱がなせるわざでしょう。

     もちろん、背景にあるのは実在の事件、実在の判決です。法廷論戦は丁丁発止で読ませますが、根本的にはアンチクライマックスな物語と言っていいでしょう。しかし、人災か天災かを巡る議論は、飛行機事故や製造物責任といったものに形を変えて、今なお何度も繰り返されているのではないでしょうか。だからこそ私も、生まれる前の事件の話で、馴染みのない海難審判の話であっても、これだけ読まされ、心を揺さぶられたのです。

     いや、実は『偽りの晴れ間』が大きく私の心を揺さぶった要因が、もう一つあります。それは中井英夫の『虚無への供物』です。『虚無への供物』では、連続殺人の中心となる「氷沼家」が洞爺丸の遺族として設定されており、それが重要な一要素になっています。私は結末部分で放たれるある言葉を、「洞爺丸事件」だけではなく、それ以後も繰り返されてきた多くの悲劇の名前に変えて受け止めていました。それだけに通時性のある言葉だと思っていたのですが、『偽りの晴れ間』を読んだことで、洞爺丸事件のことを知り、高橋泰邦が再現した出航前の「死闘四時間」を文字の力によって体験したことで、今ではより深く、あの言葉を理解できた気がします。今の私がそんなことを言ったところで、当時『虚無への供物』を読んだ読者に比べれば、程度の浅いものであることは、重々分かっています。それでも、氷沼蒼司の腕時計が、洞爺丸の沈んだ十時三十九分で止められているという、9章の描写の切なさは、『偽りの晴れ間』を読んだ後だとより一層感じることが出来ました。

     そんな個人的な体験も相まって、『偽りの晴れ間』は私の中で、大層大事な一冊になったのです。

     ……とはいえ、『偽りの晴れ間』は今となっては入手困難。そんなのおすすめされても読めないよ! と思われてしまうでしょう。だが、先ほども述べた通り、大滝シリーズの前三作は、電子書籍のKindleならすぐに読んでいただけます。しかも全部面白いのです。最後に、各作品の見どころを紹介させてください。

    〇『衝突針路』1961年、光文社文庫(Kindleあり)
     傑作。高橋の小説で何か一冊読むなら絶対にこれです。貨物船が衝突して事故を起こし、機関員は謎の死を遂げた。彼は殉死なのか、それとも他殺か? 事故の真相を巡る海難審判に、死の謎を絡めた無敵の法廷ミステリです。第一部で展開する、事故直前の船内の描写や、ボート漂流パートのサスペンスが既にたまらないですし、その中に巧妙に隠された伏線も見事。法廷論戦の楽しさも、本書が一番よく表れています。老獪な探偵役、ここにあり。

    〇『賭けられた船』1963年、光文社文庫(Kindleあり)
     サスペンスに注力した一作です。航海士の失踪と乗組員の謎の死。大滝の命を受けた一等航海士・紅林竜太は、単身船に乗り込み、そこで船を巡る悪意と対峙する。言ってみればスパイもの、潜入捜査の面白さもあって、船で事件に巻き込まれる紅林が、翻弄されながらも犯人を追い詰めるくだりが見事。ちなみに光文社文庫入りは一番これが早いのですが、やはり当時はサスペンス重視だったということでしょうか。

    〇『黒潮の偽証』1963年、光文社文庫(Kindleあり)
     東都ミステリーの一冊として刊行されたときには、最後の犯人の名前が伏せ字になっていたという「犯人当て」長編がこちら。謎の密航者、密室で殺害される一等航海士、そして犯人当て。わりとオーソドックスな本格の道具立てを備えた一作ですが、やはり中盤のサスペンスの迫力が無類なのです。「なぜ不可解な状況が生じたか」に着眼した論理展開は、今読んでも古びないパズラーの味です。

     シリーズを除くと、『大暗礁』(光風社、1961年、品切れのため入手困難)という短編集も素晴らしい。こちらは老船長・桑野を巡る短編集ですが、犯人当ての結構を備えた「マラッカ海峡」、船の上で犯罪(それも殺人とかではなく、より大きな犯罪)を企てる人間を倒叙風に描き、サスペンスとドラマを両立させる「誤差一分」「大暗礁」、そして桑野の殉死そのものを謎とし、法廷ミステリに仕立てる傑作「殉職」と、どれも外せない名短編集です。徳間書店(Tokuma novels)のアンソロジー『血ぬられた海域 海洋推理ベスト集成』の収録作「天国は近きにあり」あたりと合わせて五編で復刊とか……いや、やはり難しいですかね……。

    「たしかに、船と人と海の世界を書くことは難しい。日本人読者の身内に眠っている血をかきたてることはなお難しい。だが、誰かが書かなければならない。誰かが日本人の体内にひそむ海洋民族の血潮を目覚まさなければならない」(『衝突針路』あとがきより)

     熱い思いから、海洋ミステリの理想を追い求めた高橋泰邦の小説は、今読んでもなお、心の中にある何かを熱くさせます。それは彼の小説が、船の世界を緻密に描き、同時に、人間を描いているからだと思うのです。

    (2021年3月)



第9回2021.02.26
無比のヒーロー、ここに在り! ~寡黙な男が全てを救う~

  • ロバート・クレイス、書影


    ロバート・クレイス
    『危険な男』
    創元推理文庫

  •  今月の二冊目は、なんといってもこいつを取り上げないといけません。ロバート・クレイス『危険な男』(創元推理文庫)!

     直近の邦訳『指名手配』(エルヴィス・コール・シリーズ)が2019年5月だったことを考えると、まだ2年は経っていないのですが、随分首を長くして待っていた気がします。ジョー・パイク・シリーズの邦訳を待ちわびていたからでしょう。前に邦訳された『天使の護衛』は2011年8月。なんとほとんど10年ぶりの刊行になるのです。

     クレイスはデビュー作『モンキーズ・レインコート』以来、ロスの探偵エルヴィス・コールと、そのパートナーであるジョー・パイクのコンビを書き続けてきました。コールは陽気なおしゃべりで、しかしただのお気楽男ではなく、信念を持った陽気さで世界を愛する。パイクは警官上がりで、凄腕の元傭兵という異色の経歴を持つ寡黙な戦士。正反対ですが互いを信頼し合うこのコンビの活躍は、いつ見てもシビれるほどカッコ良い。私は特に『ララバイ・タウン』という作品が大好きで、あそこに書かれた1990年代のアメリカの風景に、懐かしい何かを感じてたまらないのです。

     そんなシリーズからポップアウトした新シリーズが、ジョー・パイクを主人公とした「ジョー・パイク・シリーズ」というわけです。前述の『天使の護衛』が一作目にあたります。交通事故によってとある犯罪者と顔を合わせてしまった大富豪の娘が、命を狙われる。パイクは彼女の護衛を務め、冒頭からクールな銃撃戦を繰り広げる。そしてコールの活躍もしっかり楽しめる。パイクがコールに電話をかけ(このシーンがまたたまらないのです。パイクは電話では一言二言しか話さないのですが、コールもそれに慣れきっているんですよね)、コールが「何が起こっているのか」の調査に参入してから、事実は二転三転。アクションだけでなく、プロットと心理描写でも巧みに読ませる名品です。

     さあ本作『危険な男』も、スピード感では負けていません。冒頭わずか4ページ、愛おしい家族の風景の中に不穏な何かを忍ばせるシーンの妙だけで舌鼓を打ってしまいますが、次のページではもう銀行員の女の子が拉致されることがほのめかされ、程なく実行。現場に居合わせたパイクは、放っておくことが出来ず助けに入る。このシーンだけでもとんでもなく面白いのに、事態はこの後二転三転。なぜ彼女が狙われるのか、という謎で牽引しながら、コールの活躍や、誘拐犯たちの視点でもしっかり楽しませてくれます。

     ロバート・クレイスは最初、完璧な一人称ハードボイルド小説を書く作家だと思ったのですが、こうして多視点サスペンスをものにして、今なおエンタメの雄であり続けていることに感動させられます。パイクは寡黙な男なので、三人称記述がしっくり来るんですよね。逆にコールの内面描写はいちいちニヤッとします。この塩梅が実に楽しい。

     ロバート・クレイス、もっと読みたい。あまりにも楽しみにしすぎて、今回も発売日に読んでしまいました。エルヴィス・コール・シリーズの『ララバイ・タウン』『死者の河を渉(わた)る』あたりも大好物ですが、相棒を失った刑事と相棒を失ったシェパード、マギーがかけがえのない「相棒」となり再生するまでを描く『容疑者』、その一人と一匹に加えてコール、パイクの二人もゲスト出演し、交錯するフルスロットルエンタメ『約束』も最高です。『約束』なんて全ページ面白い。

     クレイス作品の何がそんなに私を魅了するのかと言われれば、クレイスの小説が飛び切り格好良いからです。コールの饒舌さの中に潜む愛が、パイクが寡黙さの中に隠す世界への怒りが、私の心を震わせるからです。

     『死者の河をわたる』の解説に一部引用されたクレイスの言葉に、「人間の心以外は書くに値しない」というものがあります。多彩な陰影を持つ登場人物の中に、人間への対称形の理想を投影したかのようなパイクとコールの姿が、私には永遠に眩しく映るのです。

    (2021年2月)



第8回 特別編22021.02.12
ランドル・ギャレットの世界 ~SF世界の本格ミステリ~

  • ランドル・ギャレット、書影


    ランドル・ギャレット
    『魔術師を探せ! 〔新訳版〕』
    ハヤカワ・ミステリ文庫

  •  1月29日頃から、早川書房〈このミステリがヤバい!〉フェアが展開されています。四人のミステリ作家が、海外本格の名作四作にそれぞれ推薦文を寄せる、というもの。

     円居挽(以下、敬称略)がクリスチアナ・ブランド『ジェゼベルの死』、青崎有吾がコリン・デクスター『キドリントンから消えた娘』、斜線堂有紀がポール・アルテ『第四の扉』、そして私がランドル・ギャレット『魔術師を探せ!〔新訳版〕』。推薦文の内容などは、早川書房のnoteにも掲載されています。

     このフェア、面白いのは担当編集が「次の展開」を考えて組み立てたであろう「手つき」が感じられること。長らく絶版だった『キドリントンから消えた娘』の新カバーによる復刊が目玉なのは間違いありませんが、アルテは『殊能将之読書日記』で「傑作」と紹介された『死まで139歩(仮)』が今年刊行予定といいますし、ギャレットも品切れ中の『魔術師が多すぎる』の復刊に向けた編集者の野望についてチラッとnote記事内で言及されています。古き良き傑作を、新たなパッケージで打ち出し、次に繋いでいく。そんな力にあふれたフェアだと思います。

     そこで今月の一冊目は『魔術師を探せ!〔新訳版〕』を取り上げようと思います。決して帯文を書いたから、というわけではなく、読んでいるうちに色んなものと繋がって、今感じたことを書き留めておきたくなったからです。昨年のクリスマスに続き二度目の特別編です。

     本作はSF作家ランドル・ギャレットによる本格ミステリ・シリーズから、中編三編を収めた作品集です。他に長編『魔術師が多すぎる』(早川書房、品切れ中)が出ており、各雑誌、アンソロジー等でシリーズの短編が訳されています。

     科学の代わりに魔術が発達したパラレルワールドの英国で、魔術が絡んだ犯罪を、魔術による捜査で解き明かす。痛快な本格ミステリです。探偵役のダーシー卿と、法廷魔術師のマスター・ショーンのコンビもお互いに信頼感があって良いですし、何より、推理と魔術捜査を役割分担したのがうまいところ。ダーシー卿の推理に必要な魔術知識は全てショーンの口から説明されるため、バランスの取れたフェアプレイを実現しているのです。

     長編『魔術師が多すぎる』で起こるのは直球の密室――不可能殺人ですが、『魔術師を探せ!』では「不可解」な犯罪が多いのが特徴的です。身元不明の死体と、消えた侯爵の謎はどう関連するのか。なぜ死体は藍色に染め上げられていたのか。これらの不可解な謎が、現実的な論理で解きほぐされていく過程には、確かな本格の快感があります。

     もちろん特殊設定ミステリの語で捉えてもいいですし、設定が社会に浸透して一つの世界をきちんと形作っている意味でSFミステリでもありますが、「ダーシー卿シリーズ」にはそれらの語だけでは済まないような奥行きが感じられます。

     なぜそのような奥行きが感じられるのか、その理由を自分なりに探るために、補助線を一本引こうと思います。都筑道夫の「モダーン・ディテクティヴ・ストーリイ」という概念です。この語は都筑道夫が理想とした謎解き小説の理念を多岐に含むものですが、おおざっぱに言って、ここでは「不合理な謎を論理によって解き明かすことを、何より優先しなければならない」という理念の核を捉えておきます。トリック不要論も、シリーズ名探偵を求める後段の議論も、全てはこの核に立脚していると思うからです。

     ここで都筑道夫の話が出るのは唐突に思えるかもしれませんが、キッカケがあってのことです。『魔術師が多すぎる』の解説は、早川書房の編集者であった都筑道夫が執筆しているからです。SFとミステリの関係性やSFミステリの難しさなどを分析した名解説ですが、まず重要な箇所を、少し長いですが引いてみましょう。

    「(……)この場合のSFはサイエンス・フィクションではなく、スペキュレイティブ・フィクションであるわけだが、それを本格推理小説としてまとめた点に、新しいSFファンは不満を持つかも知れない。謎とき推理小説にはルールがあって、それをまもることの古風さが、まずスペキュレイティブ・フィクションの自由奔放さと相反するものだからだ。しかし、いっぽう推理小説ファンにとっては、その不自由さに魅力がある。かぎられた枠のなかに、思いがけない変化を見いだすことが、本格推理小説ファンの楽しみなのだ」

     この箇所に登場する「スペキュレイティブ・フィクション」という語は、1960年代から70年代前半、SF界で巻き起こった「ニューウェーヴSF運動」において使われ、従来のSFに哲学的、思弁的な要素を持ち込もうとしたものです。特にハーラン・エリスンがこの理念に意欲的だったことは、これまた早川書房で最近完訳されたアンソロジー『危険なヴィジョン〔完全版〕』(全3巻)の序文からビシバシ窺われて、この話もまた面白いのですが、今日は本筋ではないので脇に置いておきます。

     都筑道夫『黄色い部屋はいかに改装されたか?』(フリースタイル、以下『黄色い部屋~』と表記する)の解説において、法月綸太郎は「都筑のモダーン・ディテクティヴ・ストーリイ論には、六〇~七〇年代前半のニューウェーヴSF運動の担い手たちが掲げたスペキュレイティブ・フィクションという理念に通じるセンスが感じられます」と述べています(この引用箇所はこの後理念を推し進めた時の危うさにも言及していますが)。その相似性を分析するのはここでは差し控えておきますが、ここでは二つの概念の同時代性を確認し、その概念が提唱された時代の中にランドル・ギャレットの「SF本格」もあったことを意識しました。『魔術師が多すぎる』の原書が1966年刊行、ポケミス刊行が71年7月、『黄色い部屋~』は70年10月から71年10月にかけて連載されていました。数々の締め切りに追われる中、都筑はギャレットの作品に触れ、解説を著したことになります。

     翻って、都筑道夫の実作を探ってみます。都筑道夫の短編には、「犯人以外の意図・価値観が介在して、事件が不可解・不可能な様相を呈してしまう」という趣向が数多く見られます。ネタバレになってしまうので具体的な名前が挙げられないのが残念ですが、「犯人以外の意図」とは、「被害者自身」や「犯罪以外の価値観を持った関係者」のことです。

     都筑道夫は先述した『黄色い部屋~』の中で、ジャック・リッチーの短編“By Child Undone”とエドワード・D・ホックの「長方形の部屋」を比較し、前者の犯罪者の計画の「危険」さを指摘、「トリック中心の本格推理小説の、これは落ちこみやすい落し穴です」と言っています。後者は「この解決は、すばらしいと思います」「犯人のトリックはなく、状況から生みだされた謎があるだけですが、その謎が読者の興味をそそるに足るもの」であると述べています。都筑道夫の実作はまさにこの「状況から生み出された謎」という感覚に立脚していると思います。その「状況」というのが、先に言った「犯人以外の意図」ではないかと。犯人が不自然なトリックを仕掛け、謎が生まれたとするのでなく、犯人自身も様々な意図やアクシデントに翻弄されるなかで、不可解な犯罪が生じてしまった、と構成する。エラリー・クイーンの実作を都筑が気に入っていたのも、畢竟こういう点だと思います。

     そして、「ダーシー卿シリーズ」では、SF設定である「魔術」というものが、この「犯人以外の意図」になっていると思うのです。犯人の計画を超えて、「魔術」のルールに従うことで(従わざるを得ないことで)、犯人の意図していなかった不可解な謎が生まれてしまう。つまり、犯人もまた、魔術の論理に縛られる。とすれば、これは「魔術により形作られたモダーン・ディテクティヴ・ストーリイ」とも言えるのではないかと。だからこそ今でも新鮮に読むことが出来、論理も古びない。

     とはいえ、そんな理論をギャレットが考えていたとは思いませんし、都筑道夫がギャレットを読んで考えたなんてことも思っておりません。この感覚とは究極的に言ってしまえば一つの事実に基づいていると思います。世界が先に立っている、という感覚です。

     ミステリであろうとすること、犯罪を描くこと以前に、そこに魔術により形作られた世界があり、ルールがあり、論理がある。その世界が先に立っており、犯人もまた、その世界の住人である。だからこそ、犯人もまた、そのルールに縛られ、もがき、意図せぬ謎を作ってしまうこともある。先に引用した解説の個所の中で、都筑は「謎解き推理小説にはルールがあって」「その不自由さに魅力がある」と述べています。まさに、この「不自由さ」こそが、犯人をも縛り付けるのです。まず先に世界があり、思索があり、ルールがある。堅牢に作られた世界そのものが、犯人をも縛る枷になっているのです。世界の一部である魔術は犯人だけでなく、探偵たちにも味方し、例えば「その眼は見た」(『魔術師を探せ!』収録)では、「そんなことまで分かるの?」と言いたくなるような魔術捜査の凄さと、そこから生まれるツイストが見事なオチになっています。このオチは、もちろん犯人の意図したトリックなどではありません。これもルールが公正であるがゆえです。

     例えば、ある犯罪を実行するためにルールが作られることがあれば、それは作者と犯人が共犯関係を取り結ぶことになります。その瞬間、作り上げた世界のほころび、ほつれが見えてしまう。世界が先に立っていれば、ほころびは生じない。

     世界が先にあるとは、SFとして読めばごく当たり前のことで、なんらすごい結論ではなく恥ずかしいのですが、大きな回り道を経て、それが実感として確かめられた気がしたので、ここに残しておきます。

     そして、この「世界が先にある」「犯人もまた世界のルールに縛られる」という感覚は、SFミステリのシリーズ化を可能とする意味でも、かなり有効ではなかったかと思います。SF設定を連ねていったとき、どうしても「前作品に出てきた魔法でこれは解決できるのではないか」「なぜ前作の魔法が使われていないと言い切れるのか」というツッコミを避けるのは難しくなります。SFは世界を広げるものであるため、どこかで確定させる手はずが必要になります。ところが、『魔術師』シリーズはそこも軽やかに超えてみせる。世界観全体が先に完成していれば、どの魔法が今回関わるかは、ショーンによる魔術捜査であらかじめ確定させてしまえばいい。この世界にある魔法全てをその都度説明しなくてもフェアプレイを実現でき、読者と探偵の立場を対等にしているのは、こういう細かな点です。面白いのは、スペキュレイティブ・フィクションという「自由奔放な」ものを介在した結果として、トリックではなく不合理な謎を押し出し、シリーズ名探偵を使う、まさに都筑道夫の「モダーン・ディテクティヴ・ストーリイ」に合致する作品が出来上がっていることです。

     これは補足ですが、日本にも、似たやり方で「SFミステリのシリーズ化問題」をうまく解消している作品群があります。西澤保彦の〈チョーモンイン〉シリーズです。『念力密室!』に顕著ですが、「観測装置」によってどんな種類の超能力が使われたいつ、どこで使われたかまで特定し、ホワイダニットに問題を絞るというやり口は、まさしく都筑理論をSFミステリで達成した好例といってよく、ランドル・ギャレットの世界の延長線上にあるものだと思います(脱線ですが、創元推理文庫版『退職刑事6』に収録された西澤保彦の解説は、『退職刑事』の変遷から先駆的評論家/実作家としての都筑の像を、西澤作品の登場人物のような妄想めく推理で明かしていく名解説でオススメ)。

     ランドル・ギャレット、西澤保彦の実作、そして都筑道夫の評論を読み返す中で、自分の作品を顧み、反省するような時間を過ごせました。

     そんな思いを込めての帯文50文字は、ぜひ店頭や早川書房のnoteでご覧ください。そして『魔術師を探せ!』、ぜひご一読を。

     それにしても、「ダーシー卿シリーズ」は粒揃いで実に素晴らしいのです。長編の『魔術師は多すぎる』はわが理想にして最愛のSFミステリなのでぜひ復刊してほしいですし、未収録短編だと急速に年老いた死体の謎が極めてロジカルに解かれる「十六個の鍵」、『オリエント急行の殺人』パロディーまでぶち込んだ「ナポリ急行」、ダーシー卿とショーンの出会いを描きながら、ポーランド軍の所在が分からないというユニークな謎を展開する未訳短編“The Spell of War”等まだまだ好きな作品があります。「ダーシー卿」フリーク、増えないかしら。

    (2021年2月)



第7回2021.01.22
進化し続ける「探偵自身の事件」

  • ジョー・ネスボ、書影


    ジョー・ネスボ
    『ファントム 亡霊の罠(上・下)』
    集英社文庫

  •  来週、1月30日から第1回「みんなのつぶやき文学賞」の投票が始まるようです。昨年まで「Twitter文学賞」という名前でしたが、今年から名前を変えて立ち上げるとのこと。Twitterで読者投票出来るので、気になる方は投票してみては。年末のランキング企画とは一風変わった、SNS時代の文学賞に注目していきたいところです。

     さて、今月の二作目はノルウェーの作家ジョー・ネスボの『ファントム 亡霊の罠』(上下巻)。ハリー・ホーレという警官が主人公のシリーズの九作目。〈ハリー・ホーレ・サーガ〉とでもいうべき大部です。ちなみに前作のネタバレはないので、ここからでもいけます。

     このサーガ、とにかく驚かされるのは、高い謎解きのセンスとハリー自身の物語の厚みが同居していること。警察小説ではありますが、シリーズの中ではハリーが一匹狼として事件を追う作品のほうが深く心に突き刺さります。

     作者はあまりにも徹底してハリーを追い込みます。第三作『コマドリの賭け』から始まる「ハリーの相棒三部作」では、アルコール漬けになってボロボロになりながら連続殺人鬼を追うハリーの姿が胸に迫りますし(第五作『悪魔の星』)、第六作『贖い主 顔なき暗殺者』以降、集団としての警察組織と、個人としてのハリーの相克は苛烈なほど描かれていきます。ネスボは「探偵耐久実験」でもやっているのかと言いたくなるほど、壮絶な起伏です。

     そして、『ファントム』は中でも飛び切り凄い。何せ本作では、ハリーはもはや「警官」の立場すら追われているのですから。彼はある容疑者の無実を証明するべく、組織にも属さず、一人事件を追うことになります。

     その容疑者というのが、自分の「息子」――息子同然に接してきた青年、なのです。

     あまりのことに「待ってよ! どうしてそんなに酷い目に遭わせるの!?」とネスボに向けて叫んでしまいました。証拠は完全にオレグが犯人だと示している。絶体絶命の状況です。ハリーはそれでも、オレグにかかった容疑を覆すため、奮闘する。

     下巻の第四章以降、めまぐるしく容疑者が入れ替わり、フーダニットの面白さはかなりのハイレベル。おまけに謎解きの端緒となる伏線の置き方までユニークとあっては。

     ジョー・ネスボ、やはり凄い作家です。同じ集英社文庫から出ているノンシリーズの 『ザ・サン 罪の息子』は良いサスペンスだったし、早川書房から出た別シリーズ『その雪と血を』『真夜中の太陽』は好対照をなす二作で、共にノワールの名品だし。『ファントム』の続編、第十作の“Police”、英訳版で読んでみようかな……。

    (2021年1月)



第6回2021.01.08
形式の冒険 ~『驚き』の復刊~

  • 清水義範、書影


    清水義範
    『国語入試問題必勝法 新装版』
    講談社文庫

  •  2020年12月号の「小説現代」に面白い企画が載っていました。謎の作家「X」による長編小説「XXX」一挙掲載。1959年のアメリカを舞台にしたハードボイルドで、黒人コミュニティとの交流の書き方も好みだし、フーダニット興味もしっかりと。満足して、何よりまず思ったのは、「なんのバイアスもなしに読む」経験の貴重さでした(この作家のものだから面白いに違いない! というプラスの先入観も、一種のバイアスですし)。読む時の自分も試されているような。同誌の2021年1月号では、名前を明かしたその作家のインタビューが掲載されていて、タイトル募集もしていました。気になる方はチェックしてみては。

     発表の仕方、作品の「形式」で遊ぶような企画はこれからも見たいものです。そこで今月は、そんな「形式の遊び」を体現するような復刊書籍を一つ。清水義範『国語入試問題必勝法 新装版』です。

     清水義範はパロディ、パスティーシュを大得意として、私はユーモラスな推理小説シリーズもお気に入り。中でも、表題作の「国語入試問題必勝法」は、抱腹絶倒の名短編なのです。

     誰しも、国語入試に悩まされたことはあるでしょう。現代文の難解さとか、小説の読み方に正解はないはずなのに唯一の解を求められる理不尽さとか。

     そんな国語入試が大嫌いな主人公・浅香一郎が、月坂という家庭教師に「必勝法」を教わる、というのが短編のスジ。なんともうさんくさい感じですが、「この種の問題は、原文とは無縁の点取りゲームにすぎないんだよ」と喝破する月坂は、まるで塾のカリスマ講師のよう。次々披露される眉唾物の、いやしかし、どこか真理を突いていそうなテクニックの数々がなんとも可笑しい。

     素人によるリレー小説を偽作する「人間の風景」や、丸谷才一のパロディ「猿蟹合戦とは何か」など抱腹絶倒の全七編。私はこの本の他には『主な登場人物』などが好きです。本編を読まず、登場人物表だけで本編を妄想する話です。

     さて、ここまでで目安の800字なので、以下は完全に余談です。『国語入試問題必勝法』の復刊タイミングに驚いたのは、まさに1月29日発売の「ジャーロvol.74」に載る私の短編で、「国語入試問題必勝法」をエピグラフとして使用しているからです。2021年、コロナと新制度入試で変わる受験界を舞台にした推理小説で、タイトルは「2021年度入試という題の推理小説」(タイトル元は都筑道夫『怪奇小説という題名の怪奇小説』です)。

     こういうものに挑みたいと思ったのは、やはり高校生の頃、「国語入試問題必勝法」に触れた経験があったからだと思うのです(他に、『ウンベルト・エーコの文体練習』や法月綸太郎『挑戦者たち』に触発された面もありますが)。だからこそ、狙い澄ましたような復刊タイミングに驚きました。講談社のほうでも、新制度入試にかぶせる意味があったのかもしれません。

     とまれ、今回の作品も古い形式を使った新しい推理小説を目指しました。全体のトーンは「六人の熱狂する日本人」(『透明人間は密室に潜む』収録)に近いでしょうか。昔、塾講師のアルバイトをさせてもらったりしていたので、愛のある業界に対して時折やってしまう、すちゃらか・フルスロットル本格です。

     ここで書きすぎると、いずれ書きたい「あとがき」で書くことがなくなるので、今日はこの辺で!

    (2021年1月)



第5回2020.12.25
🎄クリスマスにはミステリを!🎄

  • マイ・シューヴァル、ペール・ヴァールー、書影


    マイ・シューヴァル
    ペール・ヴァールー
    『刑事マルティン・ベック
    笑う警官』
    角川文庫

  •  ※作中、訳の明記がない引用は全て新訳(訳者・柳沢由実子)に準拠。

     今になってマルティン・ベックシリーズにハマっています。全作良いので「完全攻略」はいずれどこかでやりたいのですが、今日はクリスマス。それなら『笑う警官』の28章の話をしましょう。ミステリ部分のネタバレはしませんのでご安心を。『笑う警官』の28章、このたった一章の精読を通じて、ストックホルムのクリスマスの風景を感じ取ることが出来ますし、この小説の眼差しのありようにも迫れるのではないかと思っています。というわけで、今回は特別編です。

    『笑う警官』で起こるのは市バス内で八人が銃殺される大量殺人。被害者の一人の若い刑事・ステンストルムの行動を追い、彼の私生活に分け入っていくところにミソがあります。刑事の私生活を書くことは、主役刑事たちに対して作者がずっとやってきたことでもあります。

     28章はそんな主役刑事二名、マルティン・ベックとレンナルト・コルベリが迎えるクリスマス・イブの日。シリーズは全作「30章」で構成されていますが、28章には20ページ以上の紙幅が割かれており、29・30章が事件解決に向けたものであることと比較すると、私生活を描いたこのシーンの厚みが際立って来ます。29章以降は新年にかけて描いているので、今の時期にぴったり。

     28章は最も重要な章と考えられます。タイトルにもなっている「笑う警官」のレコードがかかるシーンであり、事件解決に至る大きな手掛かりを得るシーンでもあるからです。後者についてはミステリ部分に関わるので省略し、「笑う警官」の話をしましょう。聞いたことのない人は「The Laughing Policeman」とYouTubeで検索すれば原曲に当たれるので聞いてみてください。

     なんとも陽気な曲です。高見浩訳では「高らかな笑い声」、あるいは『警官殺し』で再登場する際「哄笑」という語が使われますが、笑い声が印象的で耳に残ります。「聞いていると笑いがうつるらしく、インガもロルフもイングリットも笑いこけている」とあるように、一家団欒の小道具として効果的に用いられています。

     1922年にイギリスで発表されたコミックソングで、本国では子ども番組などでかかっていたらしいです。1898年のジョージ・W・ワシントンによる"The Laughing Song"が音楽やメロディ、笑い声の元といいますから、作中でコルベリが「第一次世界大戦前からのものだ」と言っているのはこれを受けてのことでしょう。作中でマルティンは娘のイングリットから、この「笑う警官」を収録した「笑う警官の冒険」というタイトルの「四十五回転のEPレコード」を贈られます。彼女にとってこれが会心のプレゼントだったのは、24章で笑顔の少ない父に「クリスマスイブにはきっと笑うわよ、パパは」/「ええ。あたしのプレゼントをもらったら笑うにきまってる」と予告しているのを見ても明らかでしょう。警官の父親にこのレコードを贈るのが、彼女なりのしゃれだったわけです。

     ところが、そんな会心のプレゼントを貰い、曲を聴いてなお、マルティン・ベックは笑うことが出来ない。

    “「パパ、ぜんぜん笑わなかったわね」不機嫌そうだ。
    「いや、とてもおかしいと思ったよ」と言ったが、説得力はなかった。”

     続けてかかる「陽気な警官たちのパレード」もそうですが、歌詞の中では「警官」を戯画化して描いています。家族にとっては現実を忘れ、団欒を愉しむのが目的です。ところが、マルティンは「レコードのジャケットを見つめた」「ステンストルムのことを考えた」とあるように、彼の意識はすっかり目の前の家族から離れてしまい、現実を見つめている。そこに決定的なずれがあります。

     一方のコルベリも家族の団らん中に電話を受け、受刑者と話をするべく刑務所に向かうことに。かくて、彼は事件の手掛かりを手に入れますが、妻には「食事が。すっかりだめになってしまったじゃない」と涙ながらに出迎えられる。気の利いたフォローを入れているのがコルベリのいいところですが、注目すべきはコルベリの帰宅後のシーンにも、マルティンからの電話越しに「笑う警官」の笑い声が響いていることです。かくして、クリスマス・イブにも仕事を忘れられず、現実に生き、家庭の中で不和を抱えた二人の警官を、戯画化された太った警官の笑い声が包み込んでいる。その笑い声のエコーが結末にも響いていることは言うまでもありません。

     また、28章では以下の表現も印象的です。

    “街は静まり返っていた。唯一、動いていたのはよろよろ歩きのサンタクロース。それも任務を果たすには遅すぎ、酔っぱらい過ぎたサンタ。彼らはたくさんのスナップスを、たくさんの振る舞いが大好きな家でごちそうになってすっかりご機嫌だった。”

     どこか温かいまなざしで、「しょうがないなあ」と見つめるコルベリの視線を感じる表現です。19章で「お祭り騒ぎの前触れの年中行事、すなわちぐでんぐでんに酔っぱらったサンタクロースたちが建物の入り口や公衆便所から担ぎ込まれる」と書かれているのと比較すると一目瞭然。そんな端々の描写もあって、『笑う警官』の28章は、家庭内の不和という要素はあるにもかかわらず、ストックホルムのクリスマス・イブの幸福な光を切り取ったシーンのように私には感じられるのです。

     最後になりますが、旧訳の高見浩氏訳と新訳の柳沢由実子氏訳を28章のみ読み比べて気付いたことを書き留めておきます。

     まず、このシリーズにはスウェーデン独特の固有名詞が多いとは聞いていましたが、まさにその通りで、たとえば高見「両親の墓」→柳沢「スコーグ教会墓地」、「しょうが入りケーキ・ビスケット」→「伝統のねじり棒の揚げ菓子クレネッテール」など、ストックホルムの異国情緒に染まる意味では新訳が好ましい。とはいえ、軽妙洒脱な高見訳もやっぱり面白いですね。

     そして、28章には新旧で大きな違いがあります。「笑う警官」の歌詞が旧訳には書いていないのです。旧訳は英訳版からの重訳で、新訳はスウェーデン語から原語訳したことが一つのウリになっていましたが、この異同は恐らく偶然ではありません。理由の一つは先に言及した「陽気な警官たちのパレ―ド」の歌詞は旧訳にもあること、もう一つは、「笑う警官」の歌詞を受ける形で、新訳では結末に二行追加されているからです。この異同は、「笑う警官」という曲の出自にも理由があるのかもしれません。1922年にイギリスで発表された「笑う警官」は、1955年にスウェーデンで新しいバージョンが作られます。1898年を始点にすれば、約30年周期で新しい命が吹き込まれていることになります。スウェーデンではまだ「若い」曲だから聞いたことのない世代がいて、一方マルティン・ベックぐらいの年なら原曲に触れたことがある、とすれば共通理解のため歌詞の表記は必要です。反対に、もしかしたら、英語圏では歌詞をあえて書かなくてもいいくらい有名な曲だから歌詞が省かれたのかもしれません(その辺りは一か月では調べきれず……)。仮説以上のものではありませんが、この二行の違いは、新旧訳の違いの中でもかなり大きなものだと言えるでしょう。

     ただでさえ印象的な結末が、この二行の、ある男の反応によって感動的なユーモアに変貌するのです。28章から通奏低音として流れる「笑う警官」の高らかな笑い声と共に、『笑う警官』はクリスマス・イブの幸福な光を閉じ込め、今もなお、警察小説の金字塔として燦然と輝き、そこに在る。

    (2020年12月)



第4回2020.12.11
年の暮れにSFミステリの理想を夢見ること

  • ケイト・マスカレナス、書影


    ケイト・マスカレナス
    『時間旅行者の
    キャンディボックス』
    創元SF文庫

  •  この度、拙著『透明人間は密室に潜む』が「本格ミステリ・ベストテン」で第一位の名誉に与りました。ありがとうございます。他の順位も続々出ていますが、過去最高順位ばかりです。皆様の応援のおかげです。デビューから四年目、一歩一歩踏みしめるように進んできて本当に良かったと思います。これからも倦まず弛まず精進し、この読書日記も「死ぬまで」続けていきます(言いましたね?)。

     さて、気持ちも新たに12月の1冊目はケイト・マスカレナス『時間旅行者のキャンディボックス』。毎年あるんですよ。ランキング投票後に、超好みの本を読み後悔すること。2年前のハーディング『嘘の木』、去年の呉勝浩『スワン』等。

     で、本書。タイムトラベルが実用化され、タイムトラベラーが巨大組織により管理されている社会を描いたSFなのですが、主題の一つに射殺体、密室殺人という謎が据えられていて、意外な犯人・トリック・動機までしっかり炸裂する本格ミステリであるという。

     私はSFミステリというのは、設定やアイデアだけではなく、それがあった時に人間や社会がどう反応し、適応していくかというところまで触れて欲しいという理想があるのですが、本書はその思いに応えてくれる作品。

     例えば、タイムトラベラーは未来の自分の死期や恋人の死を見てしまうので、死生観に大きな揺らぎが生じ得る。そこで、就任試験にあたっては、心理テストを行って、精神的に健全な人間を登用しようとする。巻末にはそのテストがそのままついたりしているわけです。

     他にも、邦題にもあるキャンディボックスは、タイムトラベル機構を用いて、中に入れたキャンディが60秒後に出てくるようにした子供のおもちゃ。奇抜すぎず、しかし質感のある小道具なのが面白くて、しかも違法改造の記録に挑むチーターたちがいるなんて描写まであってニヤリとします。ここには、「時間旅行」という一つの特異点によって区別された、しかし、私たちと似姿の社会がくっきり描かれている。

     SFとして楽しく、謎解きミステリとして見事、時間・性を超えた愛憎のストーリーも面白いという。やられました。目が離せない作家がまた一人。

    (2020年12月)



第3回2020.11.27
〈ショーン・ダフィ〉、完全開眼!
北アイルランドの鬼才に乗り遅れるな

  • エイドリアン・マッキンティ、書影


    エイドリアン・マッキンティ
    『ガン・ストリート・ガール』
    ハヤカワ・ミステリ文庫

  •  今年からミステリ・ランキング投票のうち「このミステリーがすごい!」のレギュレーションが変わり、奥付9月までの本が対象に。一か月前倒しになった形。例年、「このミス」に投票すると年末ムードに入りますが、今年はロスタイムの気分です。

     今月の新刊はエイドリアン・マッキンティの『ガン・ストリート・ガール』。1980年代、紛争が続発する北アイルランドを舞台に、刑事ショーン・ダフィの活躍を描くシリーズの4作目です。このシリーズ、警察小説とハードボイルドの魅力ムンムンで、注目していました。

     1作目『コールド・コールド・グラウンド』ではバラバラ死体、3作目『アイル・ビー・ゴーン』では密室と、作者はガジェット型の謎を用意してきましたが、むしろシリーズの魅力は「ダフィがこの情勢下でいかに動き、選択し、過去や現在に立ち向かうか」を描き切るところでした。だからこそ、『アイル・ビー・ゴーン』ラスト100ページの熱に浮かされたような文章と展開に胸打たれたのです。

     そして4作目の本作では、そうした魅力はそのままに、捜査小説としての面白さがグンと高まっている。両親が殺され、子供は失踪。これまでよりシンプルに見えるこの事件が、捜査を進めるうちに次々様相を変え、加速していく。この読み味を加えた上で、ダフィの物語としても熱を放っているとあっては。巻を措くあたわずとはまさにこのこと。助手役の刑事のキャラや「因縁」のあの女を巡る展開がまた良いのです。

     次作『レイン・ドッグス』は、1作目の訳者あとがきで早くも触れられていて、とても期待していたタイトル。帯裏によれば来年刊行予定とのことで、また来年の愉しみが一つ増えました。

     ちなみに、私がこのシリーズを最初に手に取ったきっかけは、中学の頃読んだ石持浅海の『アイルランドの薔薇』でアイルランド情勢にある程度興味を持っていたおかげ。そう思うと、読書はちゃんと繋がっていく、と感じます。

    (2020年11月)



第2回2020.11.13
新しいのに懐かしい、名手のニューヒーロー!

  • ネヴァー・ゲーム、書影


    ジェフリー・ディーヴァー
    『ネヴァー・ゲーム』
    文藝春秋

  •  10月分の2冊目はジェフリー・ディーヴァー『ネヴァー・ゲーム』。もはや秋の風物詩となった名手ですが、今回はなんと新シリーズ。しかもこれが良い。リンカーン・ライムが「動かない『静』の名探偵」だとするなら、新主人公コルター・ショウは「飛び回る『動』の名探偵」なのです。失踪人を探し出した時に出る懸賞金で稼いで、家はキャンピングカーというのがまたいい。ディーヴァ―のキャラ造形ってやっぱり半歩くらい先を行ってる気がする。

     ライムシリーズは三人称多視点を採用し、立体的に立ち上げた事件の構図の中に死角を用意してくれますが、今回は徹底して三人称一視点。ショウ自身も事件の全体像や、どの事件が繋がるのかまるで見通せないまま、暗中模索しながら走り抜けるグルーヴ感が味わえます。失踪人探しから始まり、事件の「形」がどんどん変わるのがミステリ的な読みどころ。

     彼の父親が「~べからず」の形で教えた「狩りの心得」がまた好きなんですよ。私は師弟関係が好きで、ドン・ウィンズロウ『ストリート・キッズ』、レナード・ワイズ『ギャンブラー』等がフェイバリットなのも、煎じ詰めればそれが理由。忘れがたい印象を残すいいキャラです。

     いやあ、シリーズの続きが楽しみ。しかも、訳者あとがきには「第三短編集」の文字も! ディーヴァーの短編集、二冊とも偏愛しているので、首を長くして待ちたいと思います。

     と、10月分の2作は、どちらも池田真紀子さんの翻訳ミステリになってしまった。たまたまそうなっただけですが、「この人の翻訳ならなんでも読む!」のモードに入ることってありますよね。他に偏愛翻訳者を挙げると……エッ、文字数がもう足りない?

    (2020年10月)



第1回2020.10.23
ミステリー界の"ノックス"はもう一人いる!

  • 笑う死体、書影


    ジョセフ・ノックス
    『笑う死体』新潮文庫

  •  例年、9月、10月は各種ミステリ・ランキングに向けた読書で大慌て。刊行点数も凄まじいので、凄い勢いで原稿を書いて読書もしないと終わりません。でもどんなに辛くてもやるのは、まあどれだけ暑かろうが夏コミに、寒かろうが冬コミに行くのと同じで、学生時代からこの業界にいる人特有のサガ、骨がらみの習慣です。

     そんな中から2冊。1冊目はジョセフ・ノックスの『堕落刑事』『笑う死体』(新潮文庫)。後者が今年の新刊。

     マンチェスター市警エイダン・ウェイツを主人公にしたミステリで、解説によれば原書では三作目が刊行されており、三部作となる見込みが高いとのこと。

     とにかく本シリーズの美点は、ノワールの魅力と本格ミステリの快感とが高いレベルで融合していること。

    『堕落刑事』では麻薬抗争によって、三分の一を過ぎたあたりからバタバタ人が死に、エイダンもボロボロに。結末近くなり、「俺はとにかく説明が欲しい」と言って、真相究明に動く彼のカッコよさときたら! 死体の山の中から、たった一人の死の真実を解き明かすのです。

    『笑う死体』では、身元不明でしかも歯を剥き出しにして笑っている死体の謎や、連続放火の謎が絡み合う、モジュラー型のミステリに。エイダンは夜勤の警官として街を駆けます。間違った街で、間違った人たちの中で、自分もそこに身を染めながら、でも「正しく」あろうとする……だからこそ、彼の行動の一つ一つにハラハラさせられ、胸打たれるのだと思います。三作目、切に待ってます!

    (2020年10月)