ミステリ作家は死ぬ日まで、
黄色い部屋の夢を見るか?
~阿津川辰海・読書日記~


「いったい、いつ読んでいるんだ!?」各社の担当編集者が不思議がるほど、
ミステリ作家・阿津川辰海は書きながら読み、繙きながら執筆している。
耽読、快読、濫読、痛読、熱読、爆読……とにかく、ありとあらゆる「読」を日々探究し続けているのだ。
本連載は、阿津川が読んだ小説その他について、「読書日記」と称して好き勝手語ってもらおうというコーナーである(月2回更新予定)。
ここで取り上げる本は、いわば阿津川辰海という作家を構成する「成分表」にもなっているはず。
ただし偏愛カロリーは少々高めですので、お気をつけください。
(※本文中は敬称略)


著者
阿津川辰海(あつかわ・たつみ)
2017年、本格ミステリ新人発掘プロジェクト「カッパ・ツー」第1期に選ばれた『名探偵は嘘をつかない』でデビュー。作品に『録音された誘拐』『阿津川辰海・読書日記 かくしてミステリー作家は語る〈新鋭奮闘編〉』『入れ子細工の夜』『星詠師の記憶』『透明人間は密室に潜む』『紅蓮館の殺人』『蒼海館の殺人』がある。
読書日記が単行本になりました!『阿津川辰海・読書日記かくしてミステリー作家は語る〈新鋭奮闘編〉』


目次

第75回~最新

2024.05.10 第80回『両京十五日』は、今年最高の冒険小説だ! ~中国冒険小説の面白さを満載して~

2024.04.26 第79回ぼくの盛岡・仙台・神戸紀行 ~作家ゆかりの地を訪ねる~

2024.04.12 第78回犯罪小説への愛、物語への愛 ~スティーヴン・キングの最高到達点~

2024.03.22 第77回ぼくの山形紀行 ~もはやただの旅行記録~

2024.03.08 第76回作家たちの忘れ物 ~芦辺拓、新たなる偉業~

2024.02.23 第75回この罪だけは見逃せない ~ルー・バーニーの小説世界~

第69回~第74回

2024.02.09 第74回歩き、踏みしめる確かな道 ~私の愛する土屋隆夫~

2024.01.26 第73回評論を読もう! ~後半戦・海外ミステリー叢書の海に溺れる~

2024.01.12 第72回評論を読もう! ~前半戦・本格ミステリーの最前線~

2023.12.22 第71回ぼくの福岡清張紀行 ~松本清張記念館に行ってきました~

2023.12.08 第70回御無礼、32000字です ~『地雷グリコ』発売記念、ギャンブルミステリー試論~

2023.11.24 第69回これがほんとの「読書日記」 ~10月に読んだ本を時系列順にざっくり紹介~

第63回~第68回

2023.11.10 第68回書きたい人にも、読みたい人にも ~都筑流小説メソッド、再受講~

2023.10.27 第67回疲れた時に沁みるもの ~「日本ハードボイルド全集」総括とクロフツの話(なぜ?)~

2023.10.13 第66回17年ぶり、その威容 ~〈百鬼夜行〉シリーズ長編再読記録~

2023.09.22 第65回私の「神」が、私の「神」に挑む物語群 ~〈柄刀版・国名〉シリーズ、これにて終幕~

2023.09.08 第64回全員信用ならないなあ…… ~作家小説大豊作~

2023.08.25 第63回翻訳ミステリー特集・2023年版 後半戦 ~シビれるような「名探偵」~

第57回~第62回

2023.08.11 第62回翻訳ミステリー特集・2023年版 前半戦 ~ブッキッシュ・オン・ブッキッシュ~

2023.07.28 第61回映画と小説のあいだ ~後編(国内編)~

2023.07.14 第60回映画と小説のあいだ ~前編(海外編)~

2023.06.23 第59回多崎礼の話をしよう ~私を作った作家たち・2~

2023.06.09 第58回私たちを救うカナリアの声 ~私を作った作家たち・1~

2023.05.26 第57回古典の効用 ~今を忘れ、今を想う~

第51回~第56回

2023.05.12 第56回「老い」を考え、「謎」に痺れる ~「探偵役」の使いどころ~

2023.04.28 第55回 特別編10極私的「時代・歴史小説が読みたい」 ~〈修道女フィデルマ〉シリーズ全作レビューもあるよ!~

2023.04.14 第54回解かれぬ事件に潜むもの ~〈コールドケース四部作〉、堂々完結!~

2023.03.24 第53回新ミステリーの「女王」、新たなる羽ばたき ~マシュー・ヴェンの冒険、のっけから最高潮~

2023.03.10 第52回大いなる山に捧ぐ情熱 ~山岳ミステリー小特集~

2023.02.24 第51回新刊詰め合わせ ~それと、誰得すぎる2022年雑誌短編傑作選~

第45回~第50回

2023.02.10 第50回現代英国の新たなる「女王」! ~アン・クリーヴス全作レビュー(仮)~

2022.12.23 第49回クリスマスには仁木悦子を! ~江戸川乱歩賞受賞の傑作、三回目の再読~

2022.12.09 第48回極・私的『SFが読みたい……』2022年版 ~韓国SFから古典まで~

2022.11.25 第47回驚愕と奇想のミステリー集成! ~9月・10月新刊つめあわせ~

2022.11.11 第46回これまでのアメリカ、これからのアメリカ ~心に染み入るロード・ムービー~

2022.10.28 第45回現代英国本格の新たなる旗手、さらなる覚醒! ~イギリスの「ディーヴァー」~

第39回~第44回

2022.10.14 第44回 特別編9ジェフリー・ディーヴァー試論 ~その「どんでん返し」の正体、あるいは偽手掛かりと名探偵への現代米国アプローチ~

2022.09.23 第43回 特別編8-2翻訳ミステリー頂上決戦・2022年版! 後半戦 ~壮大なる物語の迷宮の先に、辿り着いた景色とは?~

2022.09.09 第42回 特別編8-1翻訳ミステリー頂上決戦・2022年版! 前半戦 ~無法者の少女と懐かしきアメリカ、そして謎解き~

2022.08.26 第41回 特別編7-2まだまだ阿津川辰海は語る ~新刊乱読編~

2022.08.12 第40回 特別編7-1まだまだ阿津川辰海は語る ~旧刊再読編~

2022.05.27 第39回全ページ興奮の本格×冒険小説、待望の最新刊 ~進化するアンデシュ・ルースルンド~

第33回~第38回

2022.05.13 第38回春の新刊まつり ~絞り切れなかったので、「かわら版」的短評集~

2022.04.22 第37回その足跡に思いを馳せて ~ミステリーファン必携の一冊~

2022.04.08 第36回心に残る犯人 〜未解決事件四部作、いよいよ好調!〜

2022.03.25 第35回悪魔的なほど面白い、盛りだくさんの超本格ミステリー! ~我が生き別れの、イギリスのお兄ちゃん……(嘘)~

2022.03.11 第34回引き裂かれたアイデンティティー ~歴史ミステリーの雄、快調のクリーンヒット~

2022.02.25 第33回児童ミステリーが読みたい! ~あるいは、私を育てた作家たちのこと~

第27回~第32回

2022.02.11 第32回かくして阿津川は一人で語る ~あるいは我々を魅了する『黒後家』 の謎~

2022.01.28 第31回たった一人で、不可能の極致に挑む男 ~しかし、ユーモアだけは忘れない~

2022.01.14 第30回佐々木譲は立ち止まらない ~歴史改変SF×警察小説、無敵の再出発~

2021.12.24 第29回法月綸太郎は我が聖典 ~“疾風”“怒涛”のミステリー塾、待望の新作!~

2021.12.10 第28回超個人版「SFが読みたい……」 ~ファースト・コンタクトSFっていいよね……~

2021.11.25 第27回ワシントン・ポー、更なる冒険へ ~イギリス・ミステリーの新星、絶好調の第二作!

第21回~第26回

2021.11.12 第26回伊坂幸太郎は心の特効薬 ~唯一無二の寓話世界、新たなる傑作~

2021.10.22 第25回世界に毒を撒き散らして ~〈ドーキー・アーカイヴ〉、またしても快作~

2021.10.08 第24回お天道様が許しても、この名探偵が許さない ~コルター・ショウ、カルト教団に挑む~

2021.09.24 第23回海外本格ミステリー頂上決戦 ~ヨルガオvs.木曜、そして……~

2021.09.10 第22回“日本の黒い霧”の中へ、中へ、中へ ~文体の魔術師、その新たなる達成~

2021.08.26 第21回世界水準の警察小説、新たなる傑作 ~時代と切り結ぶ仕事人、月村了衛~

第15回~第20回

2021.08.13 第20回 特別編6七月刊行のミステリー多すぎ(遺言)~選べないから全部やっちゃえスペシャル~

2021.07.23 第19回 特別編5ヘニング・マンケル「ヴァランダー・シリーズ」完全攻略

2021.07.09 第18回皆川博子『インタヴュー・ウィズ・ザ・プリズナー』

2021.06.25 第17回ユーディト・W・タシュラー『誕生日パーティー』

2021.06.11 第16回 特別編4D・M・ディヴァイン邦訳作品全レビュー

2021.05.28 第15回ベア・ウースマ『北極探検隊の謎を追って:人類で初めて気球で北極点を目指した探検隊はなぜ生還できなかったのか』

第9回~第14回

2021.05.14 第14回 特別編3ディック・フランシス「不完全」攻略

2021.04.23 第13回ヨルン・リーエル・ホルスト『警部ヴィスティング 鍵穴』

2021.04.09 第12回恩田 陸『灰の劇場』

2021.03.26 第11回佐藤究『テスカトリポカ』

2021.03.12 第10回高橋泰邦『偽りの晴れ間』

2021.02.26 第9回ロバート・クレイス『危険な男』

第3回~第8回

2021.02.12 第8回 特別編2 ~SF世界の本格ミステリ~ ランドル・ギャレット『魔術師を探せ! 〔新訳版〕』

2021.01.22 第7回ジョー・ネスボ『ファントム 亡霊の罠』

2021.01.08 第6回清水義範『国語入試問題必勝法 新装版』

2020.12.25 第5回 特別編~クリスマスにはミステリを!~ マイ・シューヴァル&ペール・ヴァールー『刑事マルティン・ベック 笑う警官』

2020.12.11 第4回ケイト・マスカレナス『時間旅行者のキャンディボックス』

2020.11.27 第3回エイドリアン・マッキンティ『ガン・ストリート・ガール』

第1回~第2回

2020.11.13 第2回ジェフリー・ディーヴァー『ネヴァー・ゲーム』

2020.10.23 第1回ジョセフ・ノックス『笑う死体』

画面下の番号リンクから目次の回に切り替えることが出来ます

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第80回2024.05.10
『両京十五日』は、今年最高の冒険小説だ! ~中国冒険小説の面白さを満載して~

  • 馬伯庸『両京十五日 Ⅰ 凶兆』、書影
    馬伯庸『両京十五日 Ⅱ 天命』、書影


    馬伯庸
    『両京十五日 Ⅰ 凶兆』
    『両京十五日 Ⅱ 天命』
    (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

  • 〇カッパ・ツー第三期受賞者、信国遥に注目せよ!

     信国遥『あなたに聞いて貰いたい七つの殺人』(光文社)が刊行されました。新人発掘プロジェクト「カッパ・ツー」の第三期作品。第三期は、信国遥さんと真門浩平さんのお二人が選ばれたので、これにて出そろった形になります。これまでの選出者をあらためて整理すると、

     第一回:阿津川辰海『名探偵は嘘をつかない』
     第二回:犬飼ねこそぎ『密室は御手の中』
     第三回:真門浩平『バイバイ、サンタクロース ~麻坂家の双子探偵~』
         信国遥『あなたに聞いて貰いたい七つの殺人』
     (刊行順、版元はいずれも光文社)

     このようになります。ガチガチの本格ミステリー賞、という性質になってきましたね。いいぞいいぞ。それぞれにそれぞれの探偵像/名探偵像が提示されているところも個人的には推しポイントです。

     さて、そんなわけで満を持して登場の『あなたに聞いて貰いたい七つの殺人』ですが、これがすこぶる面白い。劇場型犯罪×本格ミステリーという発想だけで嬉しくなってしまいますが(アガサ・クリスティー『ABC殺人事件』であり、エラリイ・クイーン『九尾の猫』だ!)、設定、展開、解決いずれも巧みで、唸らされます。

     若い女性ばかりを殺害し、その様子をインターネットラジオ「ラジオマーダー」で実況する殺人鬼ヴェノム。その正体を突き止めてほしいと、探偵・鶴舞に依頼したのは、オッドアイと真っ黒な服装が特徴のジャーナリスト・桜通来良だった。鶴舞たちは「ラジオマーダー」に対抗して「ラジオディテクティブ」を起ち上げ、ヴェノムの放送に入り込んだノイズから、その殺害場所や法則を割り出そうとする……。

     相手が「劇場型犯罪」なら、こちらは「劇場型探偵」とは、帯にある東川篤哉の推薦文のフレーズ。この設定が絶妙で、しかも、抑制の効いた文体で書かれているために、実にスリリングに演出されているのが見事です。そのスリルに、「音」がもたらしている効果は絶大でしょう。映画「ギルティ/THE GUILTY」では、コールセンターの職員が電話の音声のみから、今まさに危機に瀕している女性を救おうとする推理行が描かれますし、島田荘司の短編「糸ノコとジグザグ」(『毒を売る女』収録)では、ラジオ番組の中でリスナーからの電話に応えるコーナーがあるのですが、そこでリスナーが自殺を仄めかしたため、彼の言葉から推理を進めて、自殺を止めようと奮闘します。これらの先行作や『あなたに~』に共通するのは、「音」という少ない手掛かりから少しずつ犯人/対象者に肉薄しようという過程の演出であり、そこに推理小説としての興味が生まれているのです(ちなみに、本書の成立にヒントを与えていそうなのは、むしろ別の映画なのですが、それを仄めかすタイミングなどもニヤリとさせられます)。

     300ページ台の長さでこのスケールの劇場型犯罪を捌き切った手際も見事ながら、解決編の精妙さにはますます唸らされます。構図の一部が見通しやすくなっているのは確かですが、全体像を言い当てるのは難しいのではないでしょうか。もちろんネタバレは出来ませんが、作中序盤の出来事に対する解釈と、探偵の使い方には膝を打ちました。凝りに凝りまくった本格推理として、大いにオススメします。

     ちょっと紹介が長かったのは、同時受賞の真門浩平さんを第72回と第78回で2回取り上げているから。カッパ・ツー受賞の『バイバイ、サンタクロース』だけでなく、東京創元社から『ぼくらは回収しない』も刊行したので、そうなったんですよね。紹介した字数を足したら同じくらいな気がします。改めて、真門浩平さん、信国遥さん、デビュー作の刊行、おめでとうございます!

    〇『両京十五日』、凄すぎる。

     凄すぎるんで読んでくれ、とだけ言って終わりたい。だってもう、凄すぎるんだから。

     馬伯庸『両京十五日 Ⅰ 凶兆』『両京十五日 Ⅱ 天命』(ハヤカワ・ポケット・ミステリ)に対する偽らざる本心です。この作品の魅力を言い尽くせる気がしない。作中にも登場する長江のように、雄大で汲めども尽きない冒険小説。『両京十五日 Ⅰ 凶兆』はハヤカワ・ポケット・ミステリの2000番作品であり、記念すべき一作ですが、その特別な番号にも恥じない大傑作になっているのです。

     簡単にあらすじを紹介しましょう。舞台は中国、明の時代。1425年、明の皇太子・朱瞻基は遷都を図る皇帝に命じられ、首都の北京から南京へと遣わされる。しかし、南京に到着した直後、朱瞻基の船は爆破される。これはクーデターなのか? 皇帝危篤の報も間を置かずに届き、皇太子は命を狙われる。彼は切れ者の捕吏(罪人を捕らえる役人)・呉定縁、才気迸る下級役人・于謙、秘密を抱えた女医・蘇荊渓らと共に、北京への帰還を目指す。その距離、1000キロメートル。しかも敵が事を起こすまで、わずか十五日しかない。朱瞻基は北京へ帰れるのか? そこで待ち受けるものとは?

     こんなあらすじを書いているだけでもう、面白い。A地点からB地点へ行くことが作品の最大の目的になる点は、ギャビン・ライアル『深夜プラス1』月村了衛『土獏の花』といった冒険小説の王道プロットです。しかし、こうしたアクション・活劇中心の冒険小説は、どうしてもパリッとした文体ときびきびした展開で書かれるところ、『両京十五日』はちょっと違う。もちろんアクションシーンもキレキレなのですが、それ以上に、ストップモーションやスローモーションの使い方も絶妙で、読んでいるだけで、自分の感覚が何倍も引き延ばされていくような感じがする。そういう巧さなのです。たとえば、序盤、朱瞻基の船が爆破されるシーンを、「第一の刹那」などと場面ごとに記述し、その瞬間のドラマを2ページもかけて記述するところなどが代表例でしょう。中国の歴史小説ならではの文体も、その感覚に一役買っています。ゆっくりと、雄大な大河の流れのように、事物を説明し、それを解釈し、説諭していくふくよかな文体が、実に心地よい。これは翻訳者(斎藤正高、泊功)の功績も大きいのだと思います。ともすれば大仰に感じられてしまう文体と人間ドラマですが、それがこの時代の「命の軽さ」に見合っているんですよね。命が軽いからこそ、瞬間瞬間に命を懸け、大見得を切る文体が似合う、というか。

     だから、実は『深夜プラス1』よりも、むしろ私は『水滸伝』『三国志』を想起したのです。小学生から中学生の頃、夢中になって読んでいた中国の大河小説の面白さ。『両京十五日』で、新キャラクターが出るたびに、その来歴や代表的なエピソードなどを歯切れよく紹介していく場面は、まさに『水滸伝』で武将たちが紹介されるシーンの面白さと同じ。政変や白蓮教徒の思惑に翻弄されながら戦うところは『三国志』の興奮が思い出されました。読書をするようになって、あえて背伸びして大人向けの本を読んで、分からないところや難しいところもあるけど、圧倒的に面白くて、何度も何度も読み返した、あの頃の感動が蘇ったのです。こんな本には、そう出会えない。あえてとうかいすれば、ジャンルの書き手/読み手として長く生きすぎたせいで、分析癖だったり(プロットを見て「ああ、『深夜プラス1』のアレね」と思っちゃうのもそう)、そもそもミステリーを読むことへの義務感だったりが染みついてきて、そういうのが鎧のように身についている状態で、普段は本を読んでいるというイメージがあります。その鎧の存在を忘れさせてくれるような面白い本に出会うと、うわあ、これは面白かったなあとここで採り上げているわけなんですが、『両京十五日』には、鎧どころか、もう、丸裸にまでされたという感じ。だって、読み始めの頃の興奮そのままなんですもん。

     私がグッと心掴まれたのは、Ⅰ巻の序盤で、蘇荊渓が登場したタイミングです。もちろん、男装の女医というキャラだけでバチバチに強いのですが、呉定縁と二人になったタイミングで、こいつがぶちかます話がもーとんでもなく面白い。エピソードからしてぶっ飛んでいるのですが、初対面でそんな話をするふてぶてしさにグッと来てしまったのです。それで、一気にのめり込んで、あとはもうずっと面白い。私があともう一人好きなのは、敵方ですが、白蓮教徒の〝病仏敵〟の異名を持つ男、梁興甫。信念のある敵役はいつだって好きですが、活躍の仕方がとんでもない。

     全キャラクターが魅力的であるがゆえに(敵方の策士に、いつもおやつを食べながら登場するキャラクターまでいるんだぞ!)、彼らの葛藤も冒険も全て楽しめるのが素晴らしい。朱瞻基とかはねー、今行けよ! みたいな場面で躊躇ってしまうシーンがあり、ヤキモキさせられることも多いのですが、その心理も頷けるので見守ってしまうんですよね。長江を見ながら国の政治について考えるシーンとか、そういうちょっとしたシーンまで全部心に残る。

     しかもね、これは「謎解きミステリーとしての興趣もある冒険小説」なわけです。無敵でしょう? プロットと展開があまりにも強く、波乱万丈の冒険譚を楽しめるにもかかわらず、最後の最後に見事な謎解きが待ち構えている。そのシーンの意味合いには惚れ惚れとするよう。なるほど、だからこそ、この謎解きはこのタイミングで行われなければならなかったんだ……と、茫然としながら膝を折るしかない。すごいぞ、これは(すごい、しか言っていない)。

     ちなみに、本作は明の時代を扱った歴史小説でもあるのですが、「史実がどうなのか」「どのように史実が生かされているのか」「どの登場人物は実在し、どの登場人物は創作なのか」という点については、一切気にせずに物語を楽しんでOK。なぜなら、Ⅱ巻の巻末には、作者による「物語の周辺について」という解題がついているからです。歴史小説としての面白さについては、この解題だけでも十分に補完出来ます。というかね、本文を読んでいる間は、細かいことを気にしている暇もありません。面白すぎるから。

     それにしても、今まで紹介されてきた華文ミステリーって、新本格直系のハードな本格推理が多い印象でしたが、最近、そのイメージも変わってきているというか、本格以外の物も紹介されるようになった気がして、楽しいです。紫金陳『悪童たち』『検察官の遺言』は、前者は秀逸な犯罪小説、後者は大上段に構えた捜査小説で、それぞれ東野圭吾の〈加賀恭一郎〉シリーズを思わせるような味わいがありましたし、陳漸『大唐泥犁獄』のように中国の馥郁たる歴史と物語を活かした歴史推理小説もある。歴史小説の枠は、文体まで含めると、ちょっと『両京十五日』が圧倒的すぎるのだけれど、こういう方向性の作品はもっと読んでみたいな。

     普通に「傑作」というと、「今年度のベストミステリー」とか「今年を代表する一作」というニュアンスになるのですが、これはもう、生涯単位の傑作に挙げてもいいくらい。だって、ちょっと圧倒的なまでの面白さだもの。Ⅰ・Ⅱ巻合わせて1000ページ超、しかもポケミスなので二段組という、手を出すのに躊躇うレベルの分量かもしれませんが、それに見合う大いなる価値がある大部です。ポケミス2000番の記念でもありますし、ぜひ買って挑みましょう。はぁぁ、しかし面白かったな。それにしても、これを読むと無性に漫画『キングダム』も読み返したくなりますね。時間の吸われ方がエグい。でも幸せだ

    (2024年5月)



第79回2024.04.26
ぼくの盛岡・仙台・神戸紀行 ~作家ゆかりの地を訪ねる~

  • 陳舜臣『昭和ミステリ秘宝 三色の家』、書影

    陳舜臣
    『昭和ミステリ秘宝 
    三色の家』
    (扶桑社文庫)

  • 〇まずは告知から

     4月25日発行の「季刊asta vol.11」に、「失恋名探偵」シリーズの第二話「キミが犯人じゃなければ」が掲載されています。惚れた相手が全員犯人、という不幸体質に生まれた男子高校生を、名探偵を夢見る女子高校生が使役するコンビ探偵物ですが、今回のシチュエーションは「『想い人』は現場近くの密室の中に閉じ込められた女性のはず。他の人物が犯人なら密室の謎など存在しないのに、なんといまいましいことか!」というものです。エラリー・クイーンの某長編の変奏曲ですが、そこまで本格的なものでもない、かな。このシリーズは設定をどこまでひねれるか勝負なので、これからもこんな感じでやっていきます。

    〇盛岡・仙台紀行編

     三月前半に、盛岡に行く用事があったため、そこに仙台への取材旅行をくっつけてみました。盛岡に行く日の前日は、とあるイベントのために横浜に行っていたので、横浜飛び出し盛岡、取って返して仙台、そこから東京へ帰還という、どうかしているスケジュールを断行することに。さすがに疲れました。

     さて、旅行の一冊目は風見潤『スキー場幽霊事件』(講談社X文庫)。少女文庫レーベルから発表されていた〈幽霊事件〉シリーズの一作で、以前、50冊以上揃ったセットを古書店で購入したため、いつ読もうか悩んでいたところ。で、タイトルを眺めているうち、日本の地名が多いことに気付き、旅行の時に持ち歩いて、その土地で読もうと決めました。『スキー場~』はタイトルにこそ地名が入っていませんが、パラパラしたら、岩手は遠野の近くにある架空の村が作品の舞台と分かったので、持っていくことに。ティーンズ文庫らしいカップルの雰囲気に気恥ずかしくなりながらも、足跡のない殺人と、スキーのリフトからの人間消失の謎に魅了され、どちらの謎にも一定程度の満足感。文体も平易ですんなり読めてしまうし、これは旅行にうってつけかも。ちなみに、本書で最も驚いたのは、作中に出てくる暗号の作成に、新井素子が協力したという「あとがき」で披露されたエピソード。

     この「旅行に合わせて〈幽霊事件〉を読む」縛りの難点は、『バリ島幽霊事件』『香港幽霊事件』を読むのが大変なことでしょうか。パラパラしてみないと地名が分からないパターンもあるので、見逃してしまうことも多そう。そして、最大の難関があります――『ヤマタイ国幽霊事件』。まいったな、これはどこに行く時に読めばいいんだろう?

     二冊目は高田崇文『QED 河童伝説』(講談社文庫)。こちらも岩手県遠野が舞台なので持参。なんとなく、旅行の時には一冊は『QED』を持っていこうという意識があるので、まさしくうってつけでした。河童伝説はなぜ現代まで伝えられる形になったのか? という部分の読み解きが面白く、アニメや漫画での受容のされ方も相まって、なんとなく可愛らしいイメージすら抱いていた「河童」の裏に隠された、薄ら寒い物語にぞっとしてしまいました。

     ここまで読んだところで、東北新幹線は盛岡駅に到着。ちらつくぐらいの雪は降っていますが、基本的には天候に恵まれ、歩きやすい。まあ、寒いのは間違いないですが……。この日は昼・夜と盛岡で用事があるため、動きはほとんどそれに制約されます。見られた観光名所も石割桜くらいでした。盛岡冷麺を食べるために夜は焼肉店へ。翌朝はじゃじゃ麺の店に開店凸。一泊二日の滞在ながら、かなり食べてしまった。

     東北新幹線で仙台に移動。盛岡までは友人と二人旅でしたが、友人は仕事があるというので、ここからは一人旅になります。三冊目は井沢元彦『義経はここにいる』(講談社文庫)。宮城県といえば義経伝説ということで持参しました。作者の作品では『本廟寺焼亡』『六歌仙暗殺考』『欲の無い犯罪者』などにも登場する名探偵・南条圭による推理を堪能できる歴史本格ミステリー(なお、井沢は『義経幻殺考』でも義経伝説の一つを検証する物語を書いており、そのことについて本書の作中で触れている)。歴史本格は、歴史解釈か、現代で起こる本格ミステリー部分のどちらかが弱く感じられることがあるのですが、本書はどちらもなかなかの強度。平泉の金色堂にまつわる絵解きの面白さや、「宮沢賢治が義経の秘宝を発見し、日記に書き残していた」というハッタリの効いた説の提示は、歴史ミステリーの面白さに満ち溢れていますし、現代部分も、首のない死体の使い方が結構面白い。やはり、井沢元彦、いいなあ。ちなみに、井沢元彦では『修道士の首 織田信長推理帳』『五つの首 織田信長推理帳』(いずれも講談社文庫)はかなりの本格度を誇っており、オススメです。

     仙台に着いて荷物をホテルに預けたら、仙台旅行のメインイベント——古本旅へ(なんでだよ!)。まずは、仙台駅からバスで三十分ほど行った鈎取バス停の近く「萬葉堂書店」へ。十万冊がずらりと並び、地下にまでみっしりと古本がある店で、遠方から訪ねる人も多い名店です。しかし、これは車が必須だなあ。広い店内を二時間ほど彷徨した後、①・②ディーン・R・クーンツ『逃切』『ストーカー』(いずれも創元推理文庫)、③ハーバート・レズニコウ『ゴールド1/密室』(創元推理文庫)、④・⑤・⑥陳舜臣『虹の舞台』『神戸異人館事件帖〈夏の海の水葬〉』『影は崩れた』(いずれも徳間文庫)、⑦陳舜臣『昭和ミステリ秘宝 三色の家』(扶桑社文庫)、⑧陳舜臣『割れる 陶展文の推理』(角川文庫)、⑨辻真先『銀座コンパル通りの妖怪』(双葉文庫)、⑩司城志朗『街でいちばんの探偵』(光文社)、⑪ルース・レンデル『ハートストーン』(福武書店)、⑫アキフ・ピリンチ『猫たちの森』(早川書房)、⑬野崎六助『煉獄回廊』(新潮社)、⑭黒川博行『雨に殺せば』(文藝春秋)、⑮法月綸太郎『頼子のために』(講談社ノベルス)。私が古書店で探すのは品切重版未定の本(ついでにいえば電子書籍化もされていないこと。正確に言えば、『三色の家』の収録長編二本〈『三色の家』『弓の部屋』〉はKindle化されていますが、扶桑社文庫版には、ここでしか読めない短編と杉江松恋の解説がついている)で、ここでしか読めないものが中心ですが、⑭、⑮の毛色が違うのは、いずれも初版帯付きだから。特に『雨に殺せば』の帯は素晴らしい。「浪速のポワロ」という呼び名が、この当時から与えられていたことが分かる(今ちょうど、黒川博行にハマっていて、創元推理文庫に入っている初期作品は全て新品で買い直したばかりなのです。『キャッツアイころがった』『雨に殺せば』『八号古墳に消えて』『ドアの向こうに』が特に好き!)。①・②・⑪・⑫はいずれも再読なのですが、状態が良いのと、帯付きなのが嬉しくて購入。特に、⑪はレンデルの中でもひときわ短い作品ながら、猫の表紙が可愛いゴシックな装いの佳品なのでオススメ。④~⑧は今回の後半でお届けする「神戸旅行編」に向けて買ったところ。正直、家の中を探すよりも、古書店で探した方が早いんですよね。

     萬葉堂が遠いので、時間のほとんどをそこで使い果たしてしまったのですが、なんとか仙台駅まで戻ってきて、牛タンを食べ、駅の東側へ抜けたところにある古書店「あらえみし」へ。玄関でスリッパに履き替えて、室内にみっしりと並べられた本を見るアットホームな雰囲気の古書店で、こちらもじっくりと堪能。ずっと探していた本があったけれど、かなりの美本&お値段だし、運ぶ最中に帯を破ってしまったらと思うと怖くて手が出せず、ここでは⑯南條範夫『連鎖殺人』(双葉社)を購入する。著者の「推理短編傑作集」だというので、興味津々。著者の作品に初めて触れたのは、『綾辻行人と有栖川有栖のミステリ・ジョッキー1』に収録された「黒い九月の手」という作品で、これに頭をぶん殴られたのです。なんというか、ヘンな論理を用いた作品なのです。有栖川さんの選出、だったかな。

     店を出ようとしたところで、店員さんに、近くに2号店があって、そこにはミステリーがたくさんありますよと言われたので、な、なんと、と尻尾を振ってついていく。そちらもスリッパを脱いで上がる、一般の住宅のような雰囲気ながら、創元推理文庫やハヤカワ・ミステリ文庫、ポケミスがずらっと並び、読売新聞社の「フランス・ミステリー傑作選」まで六冊中五冊は置いてあるという充実ぶり。国内ミステリーの見たことがないところなども置いてあり、頭を悩ませる事態に。旅先なので買う冊数は絞らなければと思いつつも、⑰ジャック・ヒギンズ『サンタマリア特命隊』(河出文庫)、⑱F・W・クロフツ『ポンスン事件』(創元推理文庫)、⑲カーター・ディクスン『一角獣の殺人』(創元推理文庫)、⑳マーク・マクシェーン『雨の午後の降霊会』(創元推理文庫)、㉑カトリーヌ・アルレー『大いなる幻影 死者の入江』(創元推理文庫)の五冊を購入。⑰、⑳、㉑は、いずれも川出正樹『ミステリ・ライブラリ・インヴェスティゲーション』きっかけで読みたいと思った本の拾い残し。特に⑰は内藤陳の推薦帯がちゃんとついているので、めちゃくちゃ嬉しい。⑱は既読のクロフツ作品なのですが、黒い表紙のクロフツで揃えたくて、見かけたら集めることにしているのです。⑲は文庫で持っていなかったので、ぜひとも持っておきたかった。

     ミステリマニアはぜひ、店主に声をかけて、2号店に連れていってもらうと楽しいことでしょう。私はまるで知らなかったので、声をかけられなかったら、きっと出会えていなかったと思います。その節は皆さん、ありがとうございました。

     さて、旅行中の四冊目は伊坂幸太郎『アイネクライネナハトムジーク』。こちらは仙台駅中のくまざわ書店で購入。というのも、仙台駅に降り立った瞬間、ペデストリアンデッキを見て――あ、これ『アイネクライネナハトムジーク』の表紙で見たやつだ! と思って、読み返したくなったから。現地で読むと、冒頭のシーンの臨場感とか嬉しい。確かにペンギンの群れのように人々があちこちを向いて立っている感じ。しかし、読み返してみると、なんて優しい小説なんだろう。一人旅の最中に読んでいると、なんだか無性に目頭が熱くなってきます。伊坂作品を読みながら、ふと思い立って、帰りの新幹線までの間、伊坂作品ゆかりの地を歩いてみることに。勾当台公園は、『ゴールデンスランバー』の青柳が無実を訴えた野外音楽堂があるところですが、アニメ「Wake Up, Girls!」の聖地でもあります。チェックアウト前の朝の散歩で行ったので、近隣の官庁街に通うサラリーマンたちが、そこかしこで煙草をふかしていて、旅情はあまり湧かないのでサッと見学して退散しました。その後は、あまり時間もないので、せめて仙台駅でコインロッカーを探そうと思い立ちます。『アヒルと鴨のコインロッカー』のラストで登場する、アレを閉じ込めたコインロッカーです。しばらく探し回って見るものの、調べたら、東西連絡通路の開通とともに、問題のロッカーは撤去されたと知り、断念。一応、作中の描写的にこのあたりかなー、というところまで行って、現代的な、交通系ICがそのままカギになるタイプのコインロッカーを見てきて、あのシーンがこのコインロッカーだったら、と空想したところでタイムアップでした。なんだか、ちょっと間が抜けたシーンになってしまいそう。ガチャ、という音の代わりに、ピッ、ですからね。

    〇三月後半 神戸紀行編

     さて、神戸編です。光文社の担当編集に同行してもらい、取材旅行です。このタイミングで決行したのは、神戸文学館で開催中の「陳舜臣生誕100周年 神戸が生んだ名探偵 陶展文の事件簿」も見に行けるから(会期は2024年4月14日までなので、更新の時には終了してしまっています)。

     東京駅から新幹線に乗り込み、一冊目は J・L・ブラックハースト『スリー・カード・マーダー』(創元推理文庫)を。出発直前に献本がきたというのもありますが、紀行編ではその土地の作家や作品を優先するので、海外物をあまり読めていないな、ということに気付いたため。今回は土地にこだわらずに読んでみました。『スリー・カード・マーダー』は2023年にイギリスで発表された作品ながら、密室殺人、それも複数の密室に挑んだ直球勝負の本格ミステリー。作中にはジョン・ディクスン・カーの『魔女の隠れ家』や『三つの棺』、おまけに『三つの棺』作中で展開される密室講義に関する言及まであるという始末(ちなみに、作中で密室トリックの一つが引き合いに出されていますが、これは『三つの棺』のネタバレではないので気にしないで大丈夫ですよ)。ではマニアックな味わいなのかといえば、そうでもない。警官の姉と詐欺師の妹、というアンビバレントなバディーものとしての味が立っていて、思いもよらない問いを突き付けられるクライマックスまで含めて、むしろ現代サスペンスとして読んだ方が吉という感じ。水準以上には楽しんだので、次回作も楽しみ。

     二冊目は陳舜臣『昭和ミステリ秘宝 三色の家』(扶桑社文庫)。今回の神戸旅の目的である「陶展文の事件簿」に合わせて持ってきたもの。内容自体は再読になります。「陶展文」が登場する作品は、長編が四つ、短編が六つあります。長編はデビュー作である『枯草の根』に続いて、『三色の家』『割れる』『虹の舞台』の四作品で、今回の旅行には、『三色~』『割れる』『虹~』の三冊を持参しました。

     扶桑社文庫版の『三色の家』には、表題となっている『三色の家』の他、陳舜臣の第三長編である『弓の部屋』、短編「心で見た」が収録されています。いずれも神戸の異国情緒を活かした作品であるのはもちろんなのですが、『三色の家』は密室もの、『弓の部屋』は毒殺もので、いずれもトリッキーな作品です。派手なトリックというよりは、観察と巧みな伏線配置に基づく、心理の陥穽を突くような作品で、濃い味付けの現代ミステリーに食傷した心を癒すのにうってつけです。特に『弓の部屋』で使われるトリックは、実にシンプルで、漫画などでも作例を見たことがあるほどなのですが、作品年代的には相当早い。しかし、ここで重要なのは、むしろ、探偵役がなぜそのトリックに気が付いたか、という「気付き」の伏線の巧さだと思うのです。

    『三色の家』というタイトルは、海岸通りに立つ家が、フランス国旗のような三色に塗り分けられていて、「三色の家」と呼ばれているというところから。倉庫である一階が赤レンガ、二階と三階は白のモルタルだけれど、海岸通りに面した三階の表側だけが青色に塗られている。青、白、赤で「三色の家」というわけ。この家が密室殺人の舞台となるわけですが、昭和八年の神戸の雰囲気を活写し、その中に巧みに伏線を埋め込んでみせる手際にあらためて感嘆しました。むしろ再読の方が楽しめるというもので、最後の最後に回収されるトリックの小道具が、こんなにも序盤にさりげなく置かれていたのか! という点には感心しきり。

    『割れる』(角川文庫。徳間文庫版もある)は、陳舜臣マイベスト3に入るほどの作品なので、読み返すのも三回目。あらすじはこう。日本に滞在しているはずの兄を探すべく、林宝媛は陶展文を訪ねる。兄の行方を探り始めた陶展文の前に現れる死体。その兄が泊まっていたとされるホテルの部屋から、中国人の撲殺死体が発見されたのだ……。

     かなりシンプルな状況設定かつ文庫で250ページ弱という短さの作品ですが、中心となる構図が明らかになった時の衝撃が素晴らしいのです。海外の有名作家のあの作品を、裏側から書いた作品だったのか……というのは、ちょっとネタバレを気にしすぎて分かりづらいですが、たった一つの発想をもとに真相が明らかになっていく解決編の興奮はかなりのものです。特に、物証の扱いが見事で、細かな矛盾を拾い上げていく手つきが面白いのです。自分の作品でも参考にしました。18節の「真っ二つに」と19節の「割れる」という章題の付け方もニヤリとさせられますし、タイトルの意味が明らかになるところにも膝を打ちます。

     と、陳舜臣の思い出に浸ったところで、新幹線は新神戸駅に到着。所要時間は約三時間。そのまま元町へ。春休みということもあってか、かなりの人出で、学生と思しき人々もたくさんいます。中華料理屋でフカヒレ麺と炒飯、天心のセットを食べる。そういえば、張國立『炒飯狙撃手』(ハーパーコリンズ・ジャパン)を読んだので、美味い炒飯も食べたかったのだった。美味い。

     ここからは、「ジャーロ」掲載の佳多山大地「〈名作ミステリーの舞台を訪ねて〉第14回」(「ジャーロ」vol.93に収録)を参考に神戸を歩いていく。商船三井ビルディングまでは、元町駅から大体歩いて十分くらい。周囲のビル群と比べるとひときわ古く、歴史を感じさせるビルで、確かに、これなら昭和八年から陶展文が店を開いていてもおかしくはない。味のある感じの建物です。元町・中華街からも少し離れているので、余計にキャラに合っているように見えるのかも。陶展文の店はこのビルの地下にあった設定ですが、今は一般客が地下に降りることは出来なさそう(地下への階段は、職員の通用口の方にしかない)。そこまで見るのは断念して、港の方へ。神戸第二地方合同庁舎は、かつて陶展文が何度も訪れた水上警察署の跡地。そこから道沿いに行けばメリケン波止場の方へ辿り着きます。陶展文が推理をするために何度も歩いたであろう道を歩きながら、何か霊感でも得られないかと期待してみるものの、メリケン波止場に立つスターバックスを見て、「あ! ここ『相席食堂』で見た!」と思った瞬間に脳内の風情は雲散霧消。この旅の一つの重要な目的である「陶展文展」を目指します。

     元町から電車に乗って灘駅へ。灘から坂道を上がって十二分ほど歩いたところに神戸文学館があります。神戸らしい赤煉瓦の雰囲気が良い建物で、入ると左手にラウンジ、右手の大部屋に展示があるという感じで、規模は小さめ。企画展「陶展文の事件簿」も、じっくりと全ての文字を読んでも三十分あれば見切れる感じでした。しかし、陳舜臣ファンとしては、内容は充実。四つの長編と六つの短編の紹介はもちろん、「三色の家」の模型や、作中で陶展文が遊んでいる「象棋(シャンチー)」の実物もあります(象棋については、HUNTER×HUNTERに出てくる「軍儀」の原型と考えられるアレといったほうが伝わるかもしれないですね)。神戸ゆかりの作家たちについての常設展もじっくりと堪能。横溝正史はいいとして、翻訳者である西田政治の訳書カーター・ディクスン『プレーグ・コートの殺人』まで展示されていたのにはびっくりしたのですが、そういえば、お二人がカーに出会ったのは、神戸に輸入される本が理由だったんですよね、確か。横溝正史を読むという手もあったなあ。主要な長編はもう読み切ってしまっていますが、再読ならいくらでも楽しめるし。好きなのは『蝶々殺人事件』『獄門島』『悪魔が来りて笛を吹く』『夜歩く』『悪霊島』で五選、という感じかなあ。

     ちなみに、陳舜臣作品についてもベストを挙げると、『炎に絵を』がダントツのマイベスト、次に『方壺園』『影は崩れた』『月をのせた海』『黒いヒマラヤ』などが続きます。『炎に絵を』なんかは、300ページにも満たない作品の中に、ミステリーに求める衝撃と、小説に求める滋味が全て入っていて、何度読んでも本当に素晴らしい。短編集では『紅蓮亭の狂女』が素晴らしい出来栄えですし、いかにも著者のお得意の歴史小説の領分っぽい『漢古印縁起』なども美術ミステリーの良作なので侮れない。いずれもオススメですし、最近ではちくま文庫で『方壺園』が復刊されたのが喜ばしいのですが、あとが続かないのがちょっと寂しい。

     夜は神戸牛焼肉とマジックバーへ。肉が美味い。肉が美味いから何を食べても美味い。脂が美味い。マジックバーなんておしゃれなところ、入ったこともないので怖かったけど、関西圏なのもあってか、お客さんの反応がテンション高めで楽しめました。マジックも近くで、しかもお客さんの反応込みで見てみると、勉強になるなあ。必要以上に酔っ払った頭で、ホテルに帰ってから、陳舜臣『虹の舞台』(徳間文庫)を開いてみる。四つの「陶展文」長編の中では十年ほど発表時期が開いているからか、謎解きミステリー度はやや低めながら、チャンドラ・ボースに関する挿話が楽しく、ボースの本を陶展文が読み耽ってしまうシーンがやけに心に残る。これも実に楽しい一冊。

     翌朝は姫路に移動し、姫路城観光を決行。神戸駅から姫路駅までの道すがらは、風見潤『ミナト神戸幽霊事件』(講談社X文庫)を読む。神戸で殺された女の人が、同じ頃、横浜の元町で目撃されていた! という謎が出てくる作品で、いわゆるアリバイトリックものですが、「ひねった時のアリバイ物の王道」みたいなオチがつくところはご愛敬か。とはいえ、サクッと読めるところも含めて、やっぱり旅のお供にはうってつけ。大事なカレとの旅行♡的なのを大事にするから、旅情的な部分も程よいしね。

     桜の季節一歩手前で、まだ桜は咲いておらず、残念。しかし城内に入り、天守閣へ至る道すがら、少しだけ咲いている桜の木を見つけて嬉しい気分になりました。肝心の天守閣は……もちろん世界遺産なので、見られたという感動や、こんなにでかい木造建築ってすげえなあという感慨もあるにはあるのですが、それ以上に、とにかく上って下りるのが大変だったという気持ちが強い。昔の階段、細くて高くない? 光をあまり取り入れない構造になっているからか、外は快晴なのに、中が薄暗かったのも階段への恐怖を掻き立てられました。いや、すごく楽しかったけれど。

     姫路城を脱出(笑)してから、城の目の前にある料理店で播磨の魚介を食べる。ウナギ科の魚であるハモのかば焼き風丼を食べたのに触発されて、姫路駅のジュンク堂に寄り、ヤーン・エクストレム『ウナギの罠』(扶桑社文庫)を現地調達。旅行の時、まさに発売した直後くらい、だったかな。東京に戻ってから買えばいいものを、読みたい気持ちになったので買ってしまいました。これは読書日記第29回で松坂健・瀬戸川猛資『二人がかりで死体をどうぞ』を取り上げた時に、松坂健が紹介していた作品として言及していたもので、「スウェーデンのカー」による幻の密室ものです(原著刊行年は1967年。なお、松坂健による紹介文は、『ウナギの罠』の「解説」として収録されています)。読んでみたいとはかねてから思っていたのですが、はてさて、どんな作品だろうと思ってみたら、ウナギをとるための罠の中で起きる密室殺人というユニークな状況設定もさることながら、「一つ一つの構成要素・原理は見たことがあるのに、全体としては見たことがない」感じの密室トリックにびっくり。人によっては苦笑の作品でしょうが、個人的には、第二の事件とのリンクを含めて技あり一本という感じでかなり楽しみました。作者のもう一つの邦訳である『誕生パーティの17人』(創元推理文庫)はもう中身を覚えていないんですが、こんなに面白い作家だったか。一つこうやって訳されてみると、もう一つ、二つぐらいは読んでみたいなあと思ってしまうのがマニアのどうしようもなさですが、さて、この夢はどうなることやら。

    (2024年4月)



第78回2024.04.12
犯罪小説への愛、物語への愛 ~スティーヴン・キングの最高到達点~

  • スティーヴン・キング『ビリー・サマーズ』、書影
    スティーヴン・キング『ビリー・サマーズ』、書影


    スティーヴン・キング
    『ビリー・サマーズ』
    (文藝春秋)

  • 〇カッパ・ツー第三期受賞者に新たな動き

     カッパ・ツー第三期に選ばれた二人のうちの一人、真門浩平さんの二作目――というよりも、「もう一つのデビュー作」が刊行されました。『ぼくらは回収しない』(東京創元社)がそれ。帯に推薦文を寄せております。「ミステリーズ!」新人賞最後の受賞作である「ルナティック・レトリーバー」を収録したノンシリーズ短編集です(「ミステリーズ!」新人賞と同じ座組や条件で、現在は「創元ミステリ短編賞」と名前を改めています)。一言でいうなら、多彩なプレゼンテーションにより作家としての技巧の幅を見せつけた作品集になっていると思います。冒頭の「街頭インタビュー」からして、テレビで放映された数十秒のインタビュー映像から、意外な真相を読み解く「日常の謎」ものになっていますが、最後まで油断のならない構成が曲者。続く「カエル殺し」では、お笑い芸人の殺人事件が描かれますが、核となる発想はなかなかユニーク。「速水士郎を追いかけて」のトリッキーさも好みかな。先んじて刊行された、カッパ・ツー第三期受賞の『バイバイ、サンタクロース 麻坂家の双子探偵』(光文社)は、ダークな剛腕といった感じの連作短編集になっていましたが、こちらは一転、爽やかでほろ苦い衣を纏わせた、達者な短編揃いで、その振れ幅に驚いてしまいます。共通するのはミステリセンスの確かさ、でしょうか。併せて楽しんでいただきたい二作品です。

     さて、カッパ・ツー第三期受賞のもう一人、信国遥さんの『あなたに聞いて貰いたい七つの殺人』も、いよいよ今月、4月下旬に光文社から刊行されます。ぜひこちらにもご注目ください。この読書日記ではタイミング的に、5月前半の日記で感想を書かせていただくと思います。

    〇自分の告知

     間に挟み込むように、一応自分の告知を。3月22日発売の「小説新潮4月号」に、〈迷探偵・夢見灯の読書会〉の第三話「モザイク岬の謎」を掲載しております。大学サークルの読書会を描いて、課題本に似た事件が夢で起こるという趣向の連作です。第一話「第三の短剣」ではカーを、第二話「そして誰にも共感出来なかった」ではクリスティーを題材とし、今回はいよいよエラリー・クイーン。『スペイン岬の謎』が課題本です。全裸死体の謎に新たなパターンを加えてみようという試みが、ヘンな形で形になった作品ですが、連作として、御三家を並べることは出来たので、ほっと一息。第四話からは趣向を変えて、国内作家にも挑んでいこうと思うのですが、はてさてどうなることやら。

    〇『ビリー・サマーズ』はマイベストキングだ!

     さあ、とにかく今回はスティーヴン・キング『ビリー・サマーズ』(文藝春秋)の話だ。もう思い切って言ってしまうが、これは「今年のマイベスト」確定だし、圧倒的に「マイベストキング」です。いわゆるホラーではなく、恐怖小説の要素はカケラもないにもかかわらず、「マイベストキング」だと言い張ってしまいたくなる強さ。だって開いた瞬間からビリーのことが好きになって、たびたび涙腺がギュッと締め付けられて、物語巧者ならではのクリフハンガーに鼻面を引き回されて、最後には声を上げて泣いたんだから。もう、今年はこれに勝る読書体験をするのは無理だよ、無理。それほどまでにこの本は愛おしくて、切なくて、そして明るい光に満ちている。

     あらすじを書きましょう。本作の主人公は、殺し屋であるビリー・サマーズ。彼は引退を決意し、「最後の仕事」を引き受けるが、収監されているターゲットを狙撃するためには、ある一瞬を狙うしかない。狙撃地点となる街に潜伏するため、エージェントたちはある筋書きを考え出した……それは、小説家だ。ビリーは小説家に扮し、街で生活を始める。時には、ご近所付き合いまで。小説家はあくまでも偽装の身分だから、小説を書く必要はない。内容について聞かれたら、事前の打ち合わせ通りのことを答えればいい。それなのに、ビリーは自分の体験を小説に書き始めてしまう……。

     序盤は信じられないほど何も起こらない。「殺し屋小説」と聞いて、派手なアクションや展開を期待して開いた読者は面食らうでしょう。しかし、このスロースタートぶりがキングだなあと思わされるところ。あとに『11/22/63』の話もしますが、近年のキングはこのどうでもよいはずの日常描写がどんどん巧くなっている気がして、ビリーがご近所付き合いの一環としてモノポリーをするシーンなど、すごく良い。序盤は、ディティールの積み上げ方の巧さをじっくりと味わいながら、キングのスローな語りにゆったりと身を預けるのが吉。そうしている間にも、エンジンはしっかり温まっているのですから。

     このディティールという部分が、また嬉しい。ビリーは、エージェントには「狙撃以外に能のない愚鈍な男」だと思われようとしているので、アメコミを読むポーズをとるのですが、実際の愛読書はカバンに忍ばせたエミール・ゾラ。この描写からしてニヤッとしてしまうのですが、肝心の小説を書く時も、パソコンが監視されている可能性を考えて、あえて下手に、暴力的な文体で記述しようとする。その書き方が……これもまた、すごく良い。ウィリアム・フォークナーの南部小説的な荒涼たる世界観を書いているし、子供の頃の体験から始まるので、粗雑な文体が妙にマッチするのです。こういう、ディティール選択の理由付けとそれによる小説上の効果が、無理なく一つ一つ読み取れるところに、ひたすら感心するばかり。

     あらすじであえて「最後の仕事」とカッコ書きしたところで、ははあ、と思った犯罪小説ファンも多いでしょう。犯罪小説の世界では、『「最後の仕事」モノ』と名付けられるような作品群があって、殺し屋や運び屋が「最後の仕事」を引き受けると、それがキッカケで最悪のトラブルに巻き込まれたりするものなのですが(最近の映画だと「ベイビー・ドライバー」などを思い出してもらえば良いかと)、ビリーが引退を決意しながら「最後の仕事」を引き受けた時に、犯罪小説ファンはニヤニヤしてしまうことでしょう。しかし、キングの意地の悪いところは、そういう視線すらメタに皮肉ってしまうところ。ビリーにあえて『「最後の仕事」モノ』というフレーズを使わせてまで、評論家の視点を先回りしてしまうという始末。このあたりは「読書家」キングの面目躍如といった感じ。

     犯罪小説とキングの取り合わせが、実は一番好きなので、キングが殺し屋を書くというだけでワクワクしてしまう自分がいます。ホラーで怪人による恐怖とそこから生き残った人々の人生を書ける(『IT』など)作家は、人がどういう時に犯罪の側へ転がっていくか、どういう偶然が人を犯罪に導いてしまうかを見つめ、あるいは、犯罪・暴力の荒涼たる酷薄さも描けるのではないかと思うのです。ここで引き合いに出すのはちょっと違うかもしれませんが、ホラー作家・貴志祐介の犯罪小説『青の炎』『兎は薄氷を駆ける』を読んだ時の感慨に似ているでしょうか。『悪の教典』は展開こそホラーに近接していますが、起こる事件や犯人に着目した構成は犯罪小説のそれといってもよさそうです。

     そういった点で、スティーヴン・キング諸作の中でかなり印象に残っていたのが『ダーク・ハーフ』です。のちに「好きなキング作品の話」で詳しく取り上げようと思っているのですが、リチャード・バックマンという別名義が明らかになった時の騒動からヒントを得た作品で、注目すべきは、作中の作家の設定。文学作家、サド・ボーモンドとして知られる作家が、別名義、ジョージ・スタークで犯罪小説を書いていた、というものなのです。まあもちろん、「表の顔」がホラーではなく文学で、しかも、「表の顔(文学)では売れていない」という点も含めて、現実と全く違うのはもちろんなのですが、「裏の顔」にあえて犯罪小説家を選び取ったところに、ニヤリとしたのです。そして、愛読者の中の一人が、「実はジョージ=サドに気付いていた」と言い出すシーンが面白い。その読者はジョージの犯罪小説の方がむしろ好きなのですが、すこぶる退屈なサド作品の中に、ひときわ光る描写があったと話す。それは、殺処分しなければいけない馬を射殺しながら、牧場主がマスターベーションをする、というシーン。そこに描かれた暴力性が、ジョージ・スタークの作品そのものだった、と語っているのです。

     肝心のシーンがお下劣なのはキングらしいところですが、この描写を読んだ時に、なんだか、ジム・トンプソンの自伝的な作品を読んだ時と同じような、奇妙な感慨に捉われたのです。「そういうこと」をしてしまう人々、暴力的な行動・犯罪に流れてしまう人々の、荒涼たる心の中を抉り出すような筆致に、うわぁ、キングってこれを書かせても巧いんだな、と実感しました。

     ビリーが綴る小説は、キングがこれまでのキャリアの中で描いてきたどれよりも素晴らしい犯罪小説たり得ています。ビリーの小説は、「これまで」の自分が、なぜ殺し屋になったのか、なぜそのような生き方を選択しようと思ったかを綴るものであると同時に、「これから」の自分が、なぜあんな行動を取ったかを、読者に悟らせる役割も果たしています(それを読者だけが気付く、という構成も愛おしい)。「作中作」を含むキング作品といえば、やはり『ミザリー』が思い起こされるところでしょう。あちらではメタフィクショナルな仕掛けを全開にして、トリッキーな密室劇の中に読者を引きずり込む役割を果たしていますが、私が思い出したのはむしろ、中編「スタンド・バイ・ミー」です。映画の方が有名な作品ですが、小説の魅力は何より、作中に登場する作家、ゴーディ・ラチャンスの習作短編を二つ読めるところです。ここではメタフィクショナルな仕掛けなどは先鋭化していませんが、書くことそのものが喜びだった頃の情動が閉じ込められているような気がして、なんだかほほえましくなってしまうのです。

     ビリー・サマーズの小説(作中作)は、作品外にいる私たちやキングにとってみれば優れた犯罪小説であると同時に、ビリー自身が自分の体験を抉り出すことによって生まれた自伝でもあります。そして、ビリーは自らの体験を小説にしていくことに、いつの間にか没頭していきます。ここの描写が、めちゃくちゃ良い。任務のためであった行動が、いつの間にか自分のための時間になり、自分を見つめ直し、描き直す行動になる。この、作品を書くものなら誰にでもあったはずの、黄金色の瞬間が閉じ込められている――それだけで、この本には読む価値がある。何よりも強い価値があるのです。

     さあ、しかし、ビリーの小説には最後のピースが足りない。それは読者です。ある一つの出会いがビリーを、思いもよらなかった結末へ導いていく……この流れまで含めて、全てが素晴らしい。いまは作中作まわりの話しかしていませんが、「外枠」にあたる殺し屋の「最後の仕事」部分のサスペンスだって、上巻の後半からギアを上げて加速していきます。こちらも鳥肌が立つほど巧い。スロースタートに見えた前半も前フリにして、完璧にして感涙の下巻へなだれ込んでいく。多くを語れず、作品の周りをうろうろするように話すしかないのが心苦しいですが、この下巻は絶対に物語読者の心を掴むでしょう。犯罪小説への愛、物語への愛が、これ以上ないほど綺麗な黄金色の輝きに結実した作品――それがこの、『ビリー・サマーズ』です。とにかく、今年はこれを読んでくれ。

    〇好きなキング作品の話 ~なんとか十作に絞って~

     さて、ちょっと先走るようにして、過去作の話も色々出しましたが……ここからは、自分の好きなキング作品の話をあれこれしていこうと思います。『シャイニング』や『IT』は、自分の原体験に刺さり過ぎていて、もはや「別格」の扱いになってしまっているので、それらを除いて選んでみます――主に、大学生の時期以降に読んだ作品群です。記憶もかなり鮮明だし、じっくり書けるラインかな、というあたりから。

    1、『死のロング・ウォーク』(扶桑社ミステリー) 1979年

     いきなり、キングの別名義であるリチャード・バックマン作品から一冊。十四歳から十六歳までの少年百人が、アメリカ・カナダの国境から出発して、ただひたすら南に歩く競技に参加させられるのですが、歩行速度が時速四マイル以下になると警告が発せられ、一時間以内に三回以上警告を受けると射殺される……という、すこぶる異常な設定で書かれた最強の青春小説。この設定がとにかく強い! のは言うまでもないのですが、番号を与えられた少年たちが繰り広げる群像劇があまりにも見事で、避けようのない死へと一人一人呑み込まれる過程にどうしようもなく引き込まれます。語り手はレイ・ギャラティに固定されているのですが、それぞれの理由でこの競技に参加した参加者たちのキャラクターや物語が、一つ一つ心に残るんですよね。生き残ったら本を書くために、一人一人にインタビューしてる奴、大好き。

     恩田陸『夜のピクニック』高見広春『バトル・ロワイヤル』に影響を与えた作品としても知られていますし、歩きながら行われる対話によって物語を駆動するテクニックは、米澤穂信『ふたりの距離の概算』、ピーター・ラヴゼイ『死の競歩』なども思わせます。スティーヴン・キング作品のマスターピースとして復刊してくれないかな。これはただのデスゲームではなくて、青春小説であり、ヒューマン・ドラマなのです。そう言うと甘っちょろい物語に聞こえるかもしれませんが、死が約束されていることもとても大事なんですよ。

    2、『ミザリー』(文春文庫) 1987年

     作家ポール・シェルダンが自動車事故で半身不随になり、元看護師のアニーに助けられる。しかし、アニーはポールの愛読者であり、病院には全く連れていってもらえず、監禁されてしまう。ポールが書いていた長編『高速自動車』を燃やし、ポールの人気シリーズであるミザリーものの新作を書かせようとする――というのがあらすじ。

     ここにきて大ベタ。50周年記念帯の時に買ったので記憶が鮮明なのです。つまり、作家になってから読んだのですが――作家だからこそ、怖いんじゃないの? と言われそうですが、とんでもない。途中まで、アニーにはイライラさせられ通しです。『高速自動車』を燃やされるくだりではこっちの方がキレそうになりました(笑)。それが恐怖に取って代わったのは、「N」の文字が欠けたタイプライターという小道具が、小説全体の中で暗喩として意味を持つことに気付いてからです。そして、第三部に入ってからは、いよいよ絶望。怖すぎる。スーパーナチュラル要素のない犯罪小説・密室劇・メタフィクションとして、ある意味最も広くミステリー好きにも薦められる作品です。

     本書と『ビリー・サマーズ』には一つの共通点があることを、キングは明かしています。『スティーヴン・キング大全』から『ビリー・サマーズ』に言及したくだりを引用すると、以下の通り。

    〝本書(注:『ビリー・サマーズ』)はまた、書くという行為を探求した作品でもある。「これまで書いた本の中には、書くことをある種の中毒性とみなす作品がある。しかし2冊だけは異なる。ひとつは『ミザリー』で、もう1冊が『ビリー・サマーズ』だ。それらの作品では、書くことが救いとなることが語られている。プロの作家でなくても、そういうことはときおりあると思う。書くことは自分自身の感情や世界線への入り口となる。だから、それはいいことなんだ」〟(『スティーヴン・キング大全』、p.216より)

    「なんてこった、キング、あなた、『ミザリー』を救いとして書いていたのか!」とハリウッド映画風に天を仰ぎたくなるような記述ですが、そう思って、一編の傑作として、それも、ポールにとっての「極めて私的な傑作」として作中で書かれた「ミザリーの新作」を振り返ってみると、その閃光のような輝きが胸に迫ってきます。自分の作品世界に縋るポールの姿も。とてつもなく怖く、感情を揺さぶられる作品ですが、ただ怖いだけではない。その多面的な魅力を、未読の人はぜひ体験してみてほしいです。

    3、『ダーク・ハーフ』(文春文庫) 1987年

     実は、『ビリー・サマーズ』が出る前は、これが私のキング偏愛作ナンバーワンでした――というのも、これは犯罪小説に関する物語であり、失われた半身を描く物語であり、飛び切り不気味なシーンが最後に現れる怪奇小説でもあるからです。

     売れない文学作家サド・ボーモンドは、犯罪小説家としての裏の顔を持っていた。その名はジョージ・スターク。サドはある日、すべてを公表し、ジョージ・スタークの名前を葬り去ることを決意する。しかし、ある殺人事件が身近に発生し、事態は急変する。ただの別名義だったはずの「ジョージ・スターク」が血肉を得て、人を殺した、というのだ……。

     スティーヴン・キング=リチャード・バックマンが明らかになった騒動に着想を得て書かれた小説で、「転んでもただでは起きない」創作姿勢には感服するしかありませんが、作中の「ジョージ・スターク」が書いた犯罪小説の概要が、とにかく面白そうなんですよねえ。「スターク」という名前から明らかな通り、ドナルド・E・ウェストレイクの別名義「リチャード・スターク」から取ったもので(ちなみに、「リチャード」・バックマンの由来も同じらしい)、著者の犯罪小説観が窺える記述も興味深いですし、そういった記述の数々から「読書家」キングの肖像が立ち上がってくるのも面白い。もちろん、話の筋も絶妙に面白い。サスペンスフルな展開も良ければ、最後に現れる、ゾッとするようなビジョンもさすが。

    『ダーク・ハーフ』にも登場する架空の地方都市「キャッスルロック」は、キングの複数の作品で出てきますが、私は「キャッスルロック」が出てくる作品が大好き。能力者ゆえの苦悩を描き、「喪失」の物語としての凄まじい強度を備えた傑作『デッド・ゾーン』、狂犬病にかかった犬に襲い掛かられる恐怖が素晴らしい『クージョ』(車の中に閉じこもるシーンの厭さときたら!)、手塩にかけて育てた街を、丁寧に丁寧に破壊していく『ニードフル・シングス』など(蜘蛛の足を嚙み千切るシーンとか、未だに忘れられないんですが……)、10選をこれで全て埋めてしまえるほど。『骨の袋』も物悲しいゴースト・ストーリーでいいですね。エモいし。

    4、”Four Past Midnight“→『ランゴリアーズ』『図書館警察』(文春文庫)の二分冊 1990年

     キング中編集の中で最も好きな作品――と、まあ、「中編」と言いましたが、文庫で300ページクラスの作品二つで一冊、分冊されてもその総ページ数は約1400ページという大容量なので、日本作品の感覚で言えば「長編が四つ読める」といった方が正しいかも(笑)。私が ”Four Past Midnight“ を勧める理由は、ここに、キングが展開する「恐怖」のパターンが総覧のように並べられているからです。

     まず冒頭「ランゴリアーズ」は、ジャンボ機の中で眠ってしまい、目を覚ましたら、11人だけを残して乗客全員が消えていた――という、有名な事件「メアリー・セレスト号事件」を遭難者の視点から覗いたような「厭な」物語。乗客たちを襲う怪異のビジュアルからしてサイコーですし、11人を群像劇のように動かし、駆動していく手さばきには、マルチ・キャラクターを得意とするキングの手腕が遺憾なく発揮されています。中編「霧」や長編『アンダー・ザ・ドーム』と同じように、「大いなる理不尽」に襲い掛かられる恐怖を描いた傑作。中核のアイディアはSFでもある。

    『ランゴリアーズ』に同時収録の「秘密の窓、秘密の庭」は、映画「シークレット・ウィンドウ」の原作。自分の作品を盗作したのではないか、と疑いをかけられる作家の心理を描いたサスペンスで、真相の意外性もなかなか。『ミザリー』や『ダーク・ハーフ』好きには堪えきれない逸品ですし、新刊『ビリー・サマーズ』にも連なる、「キングの作家小説」としても読ませる作品。

     二分冊の二冊目『図書館警察』の表題作では、不気味な図書館と、借りた本を返さないと現れる「図書館警察」の恐怖を描き、リアルな描写を積み重ねることにより、日常の中にぽっかりと開いたファンタジックで不気味なビジョンを際立たせるキングお得意の骨法が存分に発揮されています。恐怖という点では、四つの中で一番怖いかな。世界観の作り込み方も好み。

    『図書館警察』に同時収録の「サン・ドッグ」は、『ダーク・ハーフ』の項で述べた町・キャッスルロックが登場する物語。破滅編である『ニードフル・シングス』への橋渡しをする役割を果たしています。異界を写すカメラがもたらす破滅を描いた作品――なのですが、冒頭にキングが置いた献辞にある通り、「ジョン・D・マクドナルドへの追慕」として書かれた作品なのが特徴。ジョン・D・マクドナルドというのは、私立探偵の〈トラヴィス・マッギー〉シリーズなどで知られる作家で(『濃紺のさよなら』など。ちなみに私はそのシリーズではない『夜の終り』が好き)、そのジョンに捧げたためか、犯罪小説としての切れ味も素晴らしい作品になっています。

     ちなみに、『図書館警察』の巻末には翻訳者+装幀者座談会が収録されており、翻訳者の白石朗、小尾芙佐と装幀者の藤田新策の三人が収録作とキングについて語り倒しています。『IT』が優れた恋愛小説であると言及する藤田氏の指摘には首がもげるほど頷いてしまいますし、キングの各作品の繋がりなどを続々と読み解いて指摘していく白石氏の熱量に脱帽です。また、これは小尾氏も含めて、三人共通の特徴ですが、キングについて話す時、全員、微に入り細を穿って、ディティールや細かな表現の巧さを騙っているので、キング作品のディティールがいかに人を魅了するかが分かって面白い。

    5、『ドロレス・クレイボーン』(文春文庫) 1993年

     取調室でのやり取りのみで構成された、真正面のミステリー作品。「キングは女性が書けない」という批判に応えるために書かれた〈虐待される女性〉三部作の第二作(第一作は『ジェラルドのゲーム』、第三作が『ローズ・マダー』。この三部作の命名は風間賢二『スティーヴン・キング論集成 アメリカの悪夢と超現実的光景』で知ったもの。なんて命名だ)。設定の奇抜さが際立つ『ジェラルド~』、絵の中の世界というファンタジー要素も掛け合わせた『ローズ~』に比べると、本書『ドロレス~』には、派手さはなく、スーパーナチュラル要素もなく、「ないない尽くし」に思えますが、その代わり、キングの「語り」の魅力が横溢し、ミステリーとしての構築性も高い傑作になっています。

     30年前に夫を殺したと噂される女性に、新たな殺人の容疑がかかる。共に暮らし、生活の世話をしていた女性が亡くなったのだ。二つの殺人の真相は? 過去の殺人の日にあった皆既日食は、彼女の秘密を見ていた……。

     同書は「黙秘」というタイトルで映像化もされており、こちらはキング映画の中でも屈指の傑作となっています。「ミザリー」以来の主演キャシー・ベイツによる熱演も見事ですし、皆既日食と秘密のコントラストは、映像で見た方が映えているような気さえします。また、原作では問わず語りのようにドロレスが話をまくしたて、時系列を頭の中で整理するのが大変なのですが、映画は分かりやすくするため巧みに再構成されているので、「副読本」的な扱いをする場合でも大変優秀です。もちろん、原作も読んでほしい。文章を読みながら、頭の中で再生される「読者それぞれのドロレスの声・ドロレス像」にこそ、この作品の本質があるのですから。

    6、『回想のビュイック8』(新潮文庫) 2002年

     倉庫に眠る謎めいた車、ビュイック8を巡って、息子が亡き父の同僚たちをインタビューし、父の意外な過去を知っていく……という筋の物語で、車を描いたホラー『クリスティーン』のような話と思いきや、あれよあれよと意外なところに導かれる、語り部の才を味わえる佳品。名作『グリーン・マイル』を思い起こさせる要素もあり、それぞれの語りが響き合いながら、クライマックスに向かっていく下巻の展開でその印象は最高潮に。語ることで物語を駆動し、語ることで世界を変えていく。その構成にグッときました。

     ちなみに、この作品、帯裏の文言が良い。チェックボックスにはチェックがついています。

    〝本書はこんな方にお薦めです
    □『スタンド・バイ・ミー』が好き。
    □『グリーン・マイル』には感動した。
    □『アトランティスのこころ』は傑作!
    □『骨の袋』の愛の切なさに涙した。〟

     こうして挙げられているタイトルを見ると……うーん、まさに思うつぼというか。私はキングの「エモさ」が好きなのだなあと、改めて再認識させられた帯です。

    7、”Full Dark, No Stars“→『1922』、『ビッグ・ドライバー』(文春文庫)の二分冊 2010年

     原題が象徴する通り、とにかく暗く、陰鬱で、厭な後味が残る作品が集まった中短編集。特に犯罪小説×ホラーとして出色の中編「1922」が素晴らしい。息子と共に妻を殺し、古井戸に捨てる犯行シーンの書きぶりからして堂にいっていますが、なぜその罪を告白したのかが明らかになっていくパートの薄ら寒さときたら。読んだ後しばらく具合が悪くなるくらい厭な話。告白・語りによって話を駆動していく点は、『ドロレス・クレイボーン』の再演ともいえるのですが、「1922」はむしろ、虐げていた側の男性の視点から書いているからこそ、これほどの「厭」さを表現し得ているともいえます。『ジェラルドのゲーム』『ドロレス・クレイボーン』『ローズ・マダー』で、女性の視点から男性を書いたキングが、あえて男性にもう一度帰ってきた時に、これほど暴力的で、最悪の犯罪小説が産み落とされるのかと、ゾッとしてしまったのです。

     復讐譚の「ビッグ・ドライバー」、夫が殺人鬼であることを知ってしまった妻の心理描写に暗澹とする「素晴らしき結婚生活」など、どれも引き込まれます。しかし、厭な話であるということは共通している(笑)。読者は選びそうですが、どうしても挙げたかった。

    8、『11/22/63』(文春文庫) 2011年

     邦訳が2013年ということで、私が大学に入った年に日本で刊行されたキング作品。これが面白いんだよなあ。何回読んでも面白い。ケネディが暗殺される1963年11月22日にタイムスリップし、その暗殺を阻止しようとする――というあらすじだけ聞けば、陳腐そのものなのですが、移動手段をタイムトンネルとしたうえで、行ける年代を「1958年」に設定するアイディアが天才的。タイムトンネルを使えばリセットは出来るものの、1958年から5年間の人生を過去で過ごさなければならず、肉体は年を取るので、簡単にリセットボタンを押せない。ここが、便利なタイムトラベルとはまるで別なのです。

     そこで、『11/22/63』は、物語上最大のXデーである1963年のケネディ暗殺の日をよそに――1958年の世界で「日常」を生きる物語として立ち上がっていきます。ここを退屈なスローテンポと捉えるか、物語巧者の圧倒的な余裕と捉えるかで、本書の評価は百八十度変わるでしょう(事実、大学のサークルではそんな雰囲気だった気が)。私は肯定派で、円熟期の今のキングは――今回の新作『ビリー・サマーズ』も含めて――さりげない日常描写が実は一番面白いと思うのです。心に沁みるし、そんな描写の中にきっちり伏線を張り巡らせている。ラストシーンの、憎たらしいほど巧いこと! エモいこと!

     タイムトラベルそのものの物珍しさがなくなった今、「タイムトラベラーの悲哀」「割を食った人生の悲哀」というものが、胸に迫ってくるようになったというのもあります。佐々木譲『図書館の子』に収録の短編「遭難者」とか、真相の明かし方にグッとくるんですよね。オススメ。

    9、『ジョイランド』(文春文庫) 2013年

     キングの中でもミステリー度の高い一冊。というか、直球のフーダニットですからね。海辺の遊園地、ジョイランドで殺人を繰り返す殺人鬼を追う物語で、青春時代を描くエモさとミステリーの骨法がコンパクトにまとまった一作(文春文庫で360ページぐらい。キング長編の中では圧倒的に短いですね)。本国では、「Hard Case Crime」という、復刊なども積極的に行っているレーベルから出た作品で、ミステリー度が高いのも頷けます(同レーベルはマックス・アラン・コリンズやローレンス・ブロックなどを一昔前のアメリカのペーパーバックみたいな表紙で出してくれるので、かなり好きです)。最後の一行がとてもいいんですよねえ。エモい時のキングは無敵。

     ちなみに、キングは同レーベルで、第一弾に「コロラド・キッド」、第二弾が本書、第三弾が “Later” という作品で、今回の「スティーヴン・キング50周年記念ラインナップ」で、第一弾・第三弾も読めるようになるので、ありがたいことです。特に「コロラド・キッド」は、日本では新潮文庫版『ダーク・タワー』の全巻購入特典でしか手に入らず、古書店等での市場価格は数万円だったので、どうしても読めなかった。50周年、様様ですね。

    10、『アウトサイダー』(文春文庫) 2018年

     キングのミステリー作品としては、〈ビル・ホッジズ〉三部作を欠かすことは出来ない――『ミスター・メルセデス』『ファインダーズ・キーパーズ』『任務の終わり』、いずれも素晴らしく、特に『ファインダーズ・キーパーズ』がお気に入りですが、やはり三部作で読んでほしい気持ちもあります――ですが、ここはあえて外して、『アウトサイダー』を。

     キング作品の特徴として、怪異・恐怖の世界へと足を踏み込む前段としての、「現実・リアルの描写の確かさ」を重んじることが挙げられると思います。描写されている世界が、私たちの世界と全く地続きの世界であることを、描写のリアルさ、確かさが保証してくれるだけに、その後に描かれる恐怖が際立つ――自分の生きている現実を、侵犯されている気分になるからでしょう。その一手法としてここで使われているのが、警察小説の骨法なのです。警察小説としての描写がリアルを保証し、ホラーへの飛躍をも可能にする。〈ビル・ホッジズ〉三部作とはそういうものだったと思いますし、『アウトサイダー』には、そちらでは三作かけてやったことを、一作の中で実現したような面白さがあります。

     事件の発生→捜査→検証のプロセスによって、「どこからどう見てもある人物が犯人であると考えられるにもかかわらず、同時に完璧なアリバイが成立している」という奇妙な現実を徹底的に描き、それを恐怖により解体する。この手際の巧さには感心するほかありません。下巻のチェンジ・オブ・ペースが素晴らしく、ここで「ある事実」を掘り出すことによって、ミステリー的に大きなヒントが与えられると同時に、「この事件ってもしかして……」という恐怖が襲い掛かってくるところが巧み。まあ、ヘンな小説であることは間違いないですし、本格ミステリーが読みたいとか思って読むと激怒しかねないですが、エンタメ作家・キングの力量を堪能するにはうってつけの一冊でしょう。

    〇まとめ

     ということで、新刊『ビリー・サマーズ』を入り口に、ホラーにとどまらない巨匠の魅力について好き勝手に書き散らしてみました。ビビリで怖がりの人間がこれほど楽しめているのだから、海外作品やホラーへの苦手意識がある人でも、楽しめるものが見つかるはず。今では、『ミザリー』の項で取り上げた『スティーヴン・キング大全』が初心者からマニアまで嬉しいガイドブックになっていますし(各作品について、証言録や作品を取り巻く状況、映画化作品のスチルなどをまとめているのもさることながら、キャッスルロック、デリーが舞台となる作品についてまとめたり、作家が主人公になっている作品をリスト化したりと、芸が細かい)、風間賢二『スティーヴン・キング論集成』の巻末についた「スティーヴン・キング全作品(1974~2020)紹介」も大いに参考になるでしょう(なお、ビリー・サマーズの原著刊行は2021年なので、こちらの紹介はなし)。そのリストでは、キングの全作品について、怖さ、難易度、お薦め度の三つのパラメータを使ってレビューされているのです。読むべき作品が分かるのも良いですし、何より、「怖さ」「難易度」という項目の立て方が良い。私のようなビビリは段階を上げて怖さに慣れることが出来るし、海外作品に尻込みしている読者には「難易度」が大いに参考になるはず(たとえば、メタフィクショナルな趣向が立ち過ぎた『ミザリー』は、もちろんお薦め度★5ながら、難易度の採点は★5になっています。『呪われた町』も同じくお薦め度は★5ですが、難易度は★3。入り口としては、こちらのほうがいいかもしれませんね)。作家活動50周年を迎えるキングだからこそ、今から追いかける人のためのケアも充実しているのです。

     さあ、しかし、何はともあれ『ビリー・サマーズ』です。なぜなら『ビリー・サマーズ』は物語を愛する全ての人のための本なのですから。

    (2024年4月)



第77回2024.03.22
ぼくの山形紀行 ~もはやただの旅行記録~

  • 松本清張『殺人行おくのほそ道』、書影


    松本清張
    『殺人行おくのほそ道』
    (光文社文庫、上下巻)

  • 〇雑誌の話題を少しだけ

    「小説宝石」2024年3月号からは、奥田英朗の新連載エッセイ「あなたと映画と音楽と」に注目。奥田が好きな映画と音楽について語るもので、第一回のテーマは「ニューヨーク」なのですが、「フレンチ・コネクション」「タクシー・ドライバー」「ホット・ロック」など往年のクライム・フィクションの名前が続々挙がり、楽しいことこの上ない。さらに嬉しいのは、末尾に「今月のプレイリスト」と称した音楽リストと、Spotifyに飛べる二次元コードがあることだ。こういうのは楽しいし、作者が奥田英朗というのもいい。

     新潮社から砂原浩太朗『夜露がたり』が刊行されました。著者初の「江戸市井もの」ですが、これがもうとても面白い。一編30ページほどの短い小説なのに、そこに人々の生活のありようと、胸を抉られるような心理描写が息づいています。「小説新潮」掲載時から、いつも短編を楽しみに読んでいたので、まとめて読めて大喜び。「帰ってきた」「幼なじみ」など、見事なツイストが決まった作品もあり、ミステリー好きも読み逃せない作品集。「小説新潮」2024年3月号は「春の歴史時代小説特集」で、酒井順子×砂原浩太朗による「「裏ごのみ」な私たち」という対談も掲載されている。『夜露がたり』に関するもので、特に、武家ものと市井ものの書き方の違いなどは、時代小説については門外漢なので勉強になりました。やっぱりいいなぁ、砂原浩太朗。一作ごとに、しみじみと好きになっていく。

    「小説新潮」誌上においては、酒井順子による「松本清張の女たち」もついに完結。今までにあまりなかった視点から描かれる清張像が面白く、毎月楽しみに読んでいたので、ちょっと喪失感がある。読んだ時、ただ嫌な味だけが口の中に残った「黒地の絵」について、ここまで腑に落ちる取り上げ方を見たのは初めてかも。

    〇ぼくの山形紀行編

     そんな清張の話から繋がって、今月の本は松本清張『殺人行おくのほそ道』(光文社文庫、上下巻)。2月に山形に行く事情があり、山形の酒田が出てくるという本書をチョイスし、旅に出ました。まあ、結論から言うと、松尾芭蕉の「おくのほそ道」がモチーフになった作品なので、別に山形旅行の時に限ることはまったくなく(なんなら、今回の旅行はイベント合わせで行ったので、山形駅周辺からほとんど離れることはなく、酒田に行くことも出来なかった)、全国どこに旅行に行く時も、お供として読めそうな作品でした。作品冒頭に掲載された地図を見ていただければ分かる通り、東北から北陸までしっかり行くし、地図にはないが、九州旅行の描写まであります。

     この『殺人行おくのほそ道』を読んだのには、先ほど取り上げた「松本清張の女たち」も絡んでいます。当該連載の中で議論された「お嬢さま探偵」というワードがやけに印象に残っていたのです。上流階級に生きる両親の娘が、自分ならではの視点で事件に首を突っ込んでしまう、というパターンが清張には多いという趣旨の指摘でした。

     そう思って読んでみると、確かに、そもそも取っ掛かりとなる謎は、「お嬢さま」である麻佐子が叔父との旅行中、所有していた山林を叔母が売却していたことが分かるが、その時の叔父の態度が不審だった……というもので、そりゃあ「お嬢さま」の視点からしか出てこない謎である。そのせいもあってか、どこかゆったりしたような空気が全編を覆っていて、それだけに、叔父と芭蕉ゆかりの名跡を巡る序盤の描写を読んでいるだけでも旅情気分に浸れるし、調査を進めていくうちに、少しずつ、叔母を巡る怪しげな人間関係が見えてくる手つきなども、どこか海外のオールドカントリーミステリーを読んでいるような味わいがあります。なので、謎解きの要素が薄いとはいえ、好ましいし、800ページの分厚さも不思議と苦になりません。

     今回、初めて乗った東北新幹線の車窓からの景色も堪能して、山形駅に到着。目的のイベントまでは時間があるので、少し町を散策します。霞城公園内にある山形城跡を見て、山形市立郷土館を見学。前に、「ミステリーの舞台みたいな館」という情報を見かけて、ちょっと気になっていたところです(文中に他の写真を挟んで、前に画面がおかしくなったことがあるので、写真は貼らずにおきます。検索してみてください)。ということで、試しに行ってみたところ……おお、本当だ。十二角形の塔のような形状をしていて、真ん中にはでかい中庭があり、螺旋階段がある。この館は、確かにミステリーに出てきそうだし、なんなら回転するでしょう。「昔は病院だった」というおまけつき。展示も見たのですが、もはや建物の方が記憶に残ってしまっている始末。反省。

     山形市立郷土館に置かれていたラックに、藤沢周平作品の朗読会の知らせがあり、そういえば、山形に行くなら藤沢周平を持ってくるのも良かったな、と後悔しました(藤沢周平は山形にゆかりがある)。私が好きなのは『暗殺の年輪』『闇の歯車』です。と思っていたのに、八文字屋という書店に着いた頃にはすっかり忘れて、西村京太郎『つばさ111号の殺人』(講談社文庫)を購入。旅をしたら、その土地の西村作品を買うのを習慣にしようかと思っていまして。ちなみに、この作品は山形からの帰り道に読んだのですが、東北新幹線に乗った後の方がピンとくるトリックが使われていて、やっぱり旅をしながら読むのにうってつけだなぁと思いました。作者の勘所は、むしろ殺人事件全体の構図の方な気がしますが。

     霞城公園の近くに香澄堂書店という古書店を見つけ、思わず店内へ(かすみ、で掛けているのかな)。その土地の古書店で思わぬ出会いを探すのも、旅の楽しみです。すると、店内には古めのミステリーや海外文学がたくさんあり、探していた作家のノベルスがごっそりと。二十冊ぐらいあるので、これを全部買ったら大変なことになるし、帰れなくなるな……と思い、泣く泣く冊数を絞ることに。試みに、買った本のリストを載せてみると、種村直樹『長浜鉄道記念館』、岩崎正吾『探偵の夏あるいは悪魔の子守唄』『探偵の秋あるいは狸の悲劇』(いずれも創元推理文庫)、辻真先『紺碧は殺しの色』(双葉社)、野坂昭如『三味線殺人事件』(講談社ノベルス)、大谷羊太郎『御神火殺人事件』(ベストブック社)、ジェイムズ・マクヴェイン『血の臭跡』(サンリオ)、アーウィン・ショー『ザ・ニューヨーカー・セレクション』(王国社)、マウリ・サリオラ『ヘルシンキ事件』(TBS出版会/ワールド・スーパーノヴェルズ)と全九冊。『紺碧は殺しの色』は既読・既所持ですが、入手困難となってしまっている傑作なので、一応布教用に購入。『ヘルシンキ事件』は帯付美本で1500円だったので、帯のために買い、所持している帯なしの『ヘルシンキ事件』は友達にあげる予定。あとは未読です。こんな買い方をしているとあっという間に本棚に入らなくなるから、皆さんは絶対にやめましょうね。

     目的のイベントを終え、運よく入れた日本酒バーで山形の芋煮や山形牛の炭火焼を堪能し(何を食ってもうまい!)、翌朝は早々に東京に帰るも、大満足の旅となりました。帰り道の読書では、長岡弘樹『血縁』(集英社文庫)を再読。作者が山形出身であることと、好きな短編集であるためにセレクト。「文字盤」のように、人の視線の動きに着目した推理の鮮やかさが映える作品もありますし(読んだ人は気付かれるかもしれませんが、『星詠師の記憶』の謎作りをする際に参照した作品です)、「オンブタイ」のように、かなりトリッキーな趣向が盛り込まれた作品まであって、本格ミステリーマニアにも強く薦められるノンシリーズ短編集になっています。

     そんなわけで、旅行感の少ない紀行編をお送りしました。この原稿が出る頃には、また次の旅に出て帰ってきているの、なんかペースがおかしい気がする。

    (2024年3月)



第76回2024.03.08
作家たちの忘れ物 ~芦辺拓、新たなる偉業~

  • 芦辺拓・江戸川乱歩『乱歩殺人事件 ―「悪霊」ふたたび』、書影


    芦辺拓・江戸川乱歩
    『乱歩殺人事件
    ―「悪霊」ふたたび』
    (KADOKAWA)

  • 〇またやってくれたぞ、芦辺拓!

     KADOKAWAから芦辺拓・江戸川乱歩『乱歩殺人事件 ―「悪霊」ふたたび』が刊行されました。恥ずかしながら、江戸川乱歩に「悪霊」という中絶作があるのは知っていたものの、テキストにあたったことはなく、どんな作品なのかも知らなかったので、今回初めて触れたことを最初に述べておきます。というのも、芦辺拓が「合作者の片割れによるあとがき」で述べている通り、「犯人が誰かはミステリファンの常識となるぐらい知れわたっているのに、それ以外のことはほぼ何もわからない」(同作、p.205)というのが、『乱歩殺人事件』が書かれる前の状況だったようなのですが、私はその「犯人が誰か」についても、全く知らないまま読むことが出来たからです。だから多分、すれっからしのマニアの人よりも、驚きのポイントが一つ多い、幸運な状態で読むことが出来ました。

    「ミステリファンの常識になっている」とまで言われたような状況を知るためには、例えば光文社文庫の江戸川乱歩全集第8巻『目羅博士の不思議な犯罪』に収められた、新保博久の解説を読むのが手っ取り早い。そこには、江戸川乱歩と横溝正史の「悪霊」をめぐる関係や、正史が犯人にまつわるキモの部分を乱歩から聞いており、それを都筑道夫との対談で明かしたことなどがまとめられています。そのうえで、当該人物が犯人だったとすると……という検討までさらりと書かれているという至れり尽くせり。とはいえ、この犯人に対するキモの部分は、それを聞いてしまうと、一切の驚きが損なわれるようなものなので、何も知らないのであれば、この解説を読むのは後回しにするのをオススメします。私は今回『乱歩殺人事件』を読むにあたり、「さすがに原文にいったんあたっておかないと」と思い、『目羅博士の不思議な犯罪』に収録された「悪霊」を読み、解説を一旦置いておき、すぐに『乱歩殺人事件』を手に取ったので、またまた運よく、ネタバレを免れたというわけ。

     とはいえ、『乱歩殺人事件』はそれ単体で楽しめるよう、見事に設計されています。私が言った「原文にあたっておかないと」みたいな心配も無用で、乱歩が書いた「悪霊」は全文がそのまま掲載されています(作中に、連載版の形式に揃えて掲載された「悪霊」の第三回までが乱歩で、最終回にあたる第四回は芦辺の手によるもの)。原文にあたっておくメリットを強いてあげれば、『乱歩殺人事件』に掲載された「悪霊」は総ルビかつ黒っぽい紙に印字されており、目が疲れるので、いったん白い紙で読めるのがありがたかったことくらいでしょうか。しかし、その程度のものです。

    『乱歩殺人事件』では、奇しくもネタバレされてしまった真犯人にまつわる趣向だけでなく、土蔵の密室殺人、現場に残された不可解な記号の謎、謎めいた形をした血痕など、種々の謎が丁寧に解かれています。その手つきだけでも、パスティーシュ・贋作をお手の物とする作者の面目躍如といったところですが、この作品がさらにすごいのは、「乱歩が「悪霊」を中絶した理由」にまで踏み込んでいくところ。そのため、連載「悪霊」の全三回分と、芦辺の書いた第四回は作中作になっており、作品の額縁部分では、乱歩が連載をしていた当時の時代が描かれます。一種のメタミステリーとして、「悪霊」が蘇っているのです。不可解な記号の謎をも絡め、さながら『孤島の鬼』の頃の乱歩のようなどこか耽美でねっとりとした企みの中に、作品全体がからめとられていくところは、妙な酩酊感もあり、絶妙の味わいです。

     全体が202ページに及ぶ中、乱歩のテキストは64ページ、残りの136ページは芦辺拓が書いたということになるので、6割以上を芦辺拓が補完したという形になります。今回の読書日記では、こうした「未完の作品」を他の作家が完結させた例を色々と探っていくのですが、やっぱり、「問題編」にあたる未完作品のテキストが長ければ長いほど、構想のヒントが多くなり、「解決編」の見通しが立ちやすくなるという特徴があると思います(『復員殺人事件』のように、むしろ解けない謎を抱え込む例もあるわけですが)。乱歩の「悪霊」を完成させようと思った時に、頭が痛いのは、テキスト全体が短いわりに構成要素が多く、しかも、その要素がどういう全体像をなすのか分からないという点です。おまけに、最も大きなパズルのピースであるはずの「犯人」が外部事情で明かされてしまっている。考えれば考えるほど、「悪霊」を一つの作品として完成させつつ、作品の成立事情の謎まで解こうとするという剛腕ぶりには頭が下がります。

     乱歩執筆部分の「悪霊」を含めて、わずか200ページほどの薄い体の中に、みちみちに筋肉が詰まったパワフルな快作になっています。「悪霊」のことが分からない、読んだことがない、という人でも大丈夫。ここに、「常識とされる」犯人を一切知らないまま、最高に楽しんでしまった人間がいます。芦辺拓の新たなる偉業、ぜひ見届けましょう。

     ちなみに、電子版では電子版特典として「芦辺拓+江戸川乱歩特別対談 ~「悪霊」の九十年ぶり完結を記念して~」という対談が収録されています。法月綸太郎の評論本などでみかける「架空対談」というやつですね。思わずクスッと笑わされてしまいました。

    〇せっかくなので、「未完の作品」を読み潰し ~国内編~

     さて『乱歩殺人事件』に大いに触発され、せっかくなので、本棚にある「書き継がれた」「未完の作品」を読んでしまおうと思い立ちました。やはり、その作家自身に強い興味や思い入れがあって、全部読破するくらいの勢いでないと、「未完作品」にまで手を出そうと思わないので、幾つも宿題が残っているのです。既読の中で印象に残っているのは、やはり、北森鴻の絶筆を公私にわたるパートナーであり自身も作家である浅野里沙子が書き継いだ『邪馬台』(新潮文庫)です。残された構想ノートをもとに完成させたもので、作中に登場する古文書の解読方法はメモがほとんどなかったようなのですが……そんな経緯が信じられないほどハイレベルに謎が解かれることに感動しました。〈蓮丈那智〉シリーズ、のみならず、北森作品全体の中でも最重要作とさえ思える完成度・充実度を誇る『邪馬台』を、完成させてくれたことに、とにかく感謝しかありません。

     そんなわけで未読作を本棚から探して、読んでいくのですが……ここで参考になるのが、前回も紹介した探偵小説研究会編『妄想アンソロジー式ミステリガイド』(書肆侃侃房)です(同作は第24回本格ミステリ大賞評論・研究部門にもノミネートされています)。こちらに収録された横井司「墓場へ持ちこまれた謎を解く」では、ミステリー作家が未完のまま終わらせたものの、他の作家が書き継いで完成させた例が幾つも紹介されているのです。このリストを参照しながら、未読を潰していきました。なお、作者名については「原作者&完成者」というような表記で統一しようと思います。

     まずは「悪霊」つながりで、小栗虫太郎&笹沢左保「悪霊」。こちらは扶桑社文庫〈昭和ミステリ秘宝〉版の小栗虫太郎『二十世紀鉄仮面』で読むことが出来ます。小栗虫太郎が長編として構想していた「悪霊」には、構想の一端を示すメモ書きがあり、そちらは海野十三の「遺作「悪霊」について」という文章の中でまとめられています(こちらも『二十世紀鉄仮面』に収録)。笹沢による解決編は、さすがに文体の点で虫太郎の迫力はないものの、読みやすい文章で、虫太郎らしく「顔のない死体」を二重に捻ったトリッキーなプロットと、戦争を通じて描かれる人物たちの悲喜劇を味わうことが出来るので、これはこれで面白く読めました。

     山村美紗&西村京太郎『在原業平殺人事件』(中公文庫)は、山村が一九九六年に急逝した際、途中で終わってしまった連載を、西村が書き継いだもの。同様の経緯で成立したものに、『龍野武者行列殺人事件』(ジョイ・ノベルス)がありますが、古書店で見つからなかったのでそのうち読むことにしました(Kindle版はあります)。『在原業平~』は全十二章の構成で、第九章までが山村の手によるものであり、第十章からは西村にバトンタッチしますが、第十章の冒頭には「未だに、明子には、今回の事件の性格が、はっきりしないのだ」という文章があり、そこから事件の整理が始まります。まるで、故人の遺した謎に挑む、西村の声がそのまま聞こえてくるかのようなパートです。実にスリリング。愛憎劇や在原業平についての学説まで広げた風呂敷を、手際よく畳んでみせています。

     続いて天藤真&草野唯雄『日曜日は殺しの日』(カドカワ・ノベルス)。こちらは、天藤真による同題の中編「日曜日は殺しの日」について(この中編は創元推理文庫『背が高くて東大出』などで読むことが出来ます)、天藤自身が長編化する構想があり、原稿も半分ほど出来ていたものの、作者逝去により完成が叶わなかったもの。天藤の遺言により、その親友である草野が作品の完成を請け負った、という経緯です。冒頭で示される「交換同時殺人」というハッタリの効いたアイディアが魅力的なサスペンスとなっています。日曜日に妻が病気になり、「近在の医師は全部休診、救急車をたのめばどんな医師に当るかわからず、不安と焦燥で一日を過ごした」(『背が高くて東大出』、p.267)天藤自身の暗い体験から生まれた作品であるだけに、シリアスな筆致になっているというのは、カドカワ・ノベルス「あとがき」における草野の言。それには違いないのですが、中編版には、解決編直前に刑事たちが事件にまつわる「三つの疑問」を傍点付きで挙げる場面があり、見逃していたポイントを掬い上げるその手つきには、パズラー作家らしい折り目正しさが感じられます(長編版にも同様の指摘はありますが、粒立てて強調はされず)。出来れば草野による長編完成版だけでなく、中編版も読み比べてほしい一作です。

     国内編の最後に坂口安吾&高木彬光『復員殺人事件』(高木彬光の続篇のタイトルは『樹のごときもの歩く』)。こちらは再読。色んな判型で手に入りますが、今一番手に入りやすいのは、2019年に刊行された河出文庫版でしょう。安吾の傑作『不連続殺人事件』でも活躍した巨勢博士が登場する本格編であり、堂々たる本格ミステリーの興奮を味わうことが出来ますが、新たな死体が登場した瞬間に安吾の作品が終わってしまい、なんとも寂しい気持ちになります。高木彬光による解決編は、一応ドラマの面では納得のいくもので、作者らしいケレン味は効いていて、神津恭介ものの水準作を読んだぐらいの満足感はあります。そういう意味で、個人的には大きな不満のある作品ではなかったのですが、高木彬光自身は「あとがき」で述べている通り、忸怩たる思いがあったよう。高木は安吾の逝去後、その妻に会って、彼女が聞いていた範囲の「構想」について四箇条のリストをまとめていますが、そのうちの一つについては「無理を通せば何とかならないことはないとしても、私の力では書きこなせそうにもなかった」と述懐しています。つまり、ある意味でこの「完結篇」は未完成だったといえるのです。

     今回私が『復員殺人事件』を再読したのは、とある事情で読み返したくなっており、タイミングをうかがっていたからでした。その事情というのが、「ジャーロ」誌上で連載している新保博久と法月綸太郎の両氏による往復書簡「死体置場で待ち合わせ」です。この二人による『復員殺人事件』の謎解きが、往復書簡内で試みられているのです。ジャーロNo.89に掲載の第7回に収録の第二十一信(新保→法月への手紙、二〇二三年六月十二日)からNo.91に掲載の第9回に収録の第二十七信(新保→法月への手紙、二〇二三年十月九日)まで、『復員殺人事件』の解決について論じていて、約四カ月の間、色んなアプローチでその真相に迫っています。『復員殺人事件』を再読してから読むと、とても楽しい往復書簡で、ぜひとも『復員殺人事件』と併読してほしい。ちなみに、ジャーロは小説の冒頭試し読みと評論の全文が読める「ジャーロDASH」というものを電子で無料販売しており、「死体置場で待ち合わせ」は、この「DASH」でも読めます。ちなみに、この往復書簡は現状の最新号であるNo.92で、ようやく「多重解決」にテーマを移しましたが、その俎上にあがったのはロナルド・A・ノックスの『陸橋殺人事件』。激渋ですね。この往復書簡もまた、奇妙な「合作」ということで、今回の特集に挙げておきたかった次第。

    〇「未完の作品」潰し 海外編

     お次は海外編、なのですが、他の仕事もしながらだったので、あまりテキストは手に入らず、読めたのは二作品のみでした。『エイプリル・ロビン殺人事件』も本棚から見つからない始末。どうなっているんだ、我が家は。「墓場へ持ち込まれた謎を解く」に挙げられている、コーネル・ウールリッチの遺作を戸川昌子が書き継いだ「負け犬」とかも、すごく興味があったのですが、二月中には古書店で見つけられませんでした。悔しい!

     まず読んだのはレイモンド・チャンドラー&ロバート・B・パーカー『プードル・スプリングス物語』(ハヤカワ文庫)。レイモンド・チャンドラーの手が入っているのは冒頭の四章のみで、あとはそれを素材にロバート・B・バーカーが膨らませたという経緯。『長いお別れ』で出会ったリンダ・ローリングと結婚して、プードル・スプリングスの豪邸に移り住むことになったフィリップ・マーロウを描写する最初の四章だけで、何か不思議な気分になってしまう作品なのですが、続く五章で依頼人が登場し、いつも通りのハードボイルドに。解説の権田萬治が「会話に知的な閃きが乏しい」とバッサリ切り捨てているのには、そこまで言わないであげてよ、と苦笑してしまうのだけれど、私があんまり気にならないのは、やっぱり根本的にチャンドラーのマニアじゃないからなのかな。

     コーネル・ウールリッチ&ローレンス・ブロック『夜の闇の中へ』(ハヤカワ・ミステリ文庫。私の手元にあるのは早川書房の「ミステリアス・プレス」版)は、コーネル・ウールリッチのタイプ原稿をもとに、欠落した箇所をローレンス・ブロックが補ったもの。併録されたフランシス・M・ネヴィンズJr. の解説に、元原稿の欠落箇所が丁寧に書いてありますが、ざっくり言うと、全体が300ページほどあるうち冒頭20ページと終盤3ページが欠落していて(ページ数はミステリアス・プレス版、つまり邦訳に準拠)、あとは中盤にぱらぱらと合わせて約20ページ分の欠落があったようです。要するに、ほとんどがウールリッチの作品、というわけです。この点を捉えて、訳者の稲葉明雄は、「ローレンス・ブロック=補綴」というクレジットの仕方をしています。

     拳銃自殺しようとしていた時に、誤って撃ち殺してしまった女性に執着し、やがて彼女のための復讐劇に身を投じていくという昏い情熱に満ちたプロットは、まさしくウールリッチそのもので、会話劇も「ならでは」のものを楽しむことが出来ます。誤って女性を撃ち殺し、その存在に執着していく過程を描いた冒頭20ページなどは、ウールリッチならもっと饒舌に、読者がのめり込んでしまうように(ついでに、めちゃくちゃ長く)書いたでしょうし、結末が甘すぎるというフランシス・M・ネヴィンズJr,の指摘も頷けますが、総じてウールリッチ作品として楽しめる一作。

     ではローレンス・ブロックの功績は少ないかといえば、そうではない、と言っておきたい。解説において、結末が甘すぎるといったフランシスは、タイプ原稿の消し忘れに、奇妙な記述があるのを発見し、それがウールリッチの勘違いではないとしたら、こういうダークなエンドが想像出来る、という趣旨のことを述べています(ネタバレになるので、圧縮して書いています)。しかし、ローレンス・ブロックはそちらの結末は採らず、やや御都合主義的すぎたとしても、主要登場人物二人が互いの罪を赦し合い、手を取り合うような、優しいラストを択び取ったのです。この選択を、ひとまず私はウールリッチという作家への愛と捉えたいですし、消し忘れたタイプ原稿という形で、ハッピーエンドの裏面に張り付くバッドエンドの陰を想像することは、それはそれでゾクゾクするではありませんか。

     そんなわけで、結論らしい結論もないまま、「未完の作品」読み潰し回を終わろうと思います。まあ、実作者として一つ気を付けることがあるとすれば、後世にこういう宿題を残さないように、精一杯仕事を終わらせて、少しでも長く生きることでしょうか。

    (2024年3月)



第75回2024.02.23
この罪だけは見逃せない ~ルー・バーニーの小説世界~

  • ルー・バーニー『7月のダークライド』、書影、書影


    ルー・バーニー
    『7月のダークライド』
    (ハーパーコリンズ・ジャパン)

  • 〇告知関連

     2月15日に『黄土館の殺人』(講談社タイガ)が刊行されました。〈館四重奏〉の第三作にあたり、第一作が山火事、第二作が洪水をテーマにしておりましたが、今回は地震をテーマにしております。作品成立の経緯等につきましては、作品のあとがきにも詳しいことを書いておりますので、そちらを参照していただければと思います。3年も空いてしまって、すみません。

     2月25日に発売される「野性時代」において、連載「バーニング・ダンサー」が完結しました。特殊な能力を使える「コトダマ遣い」という存在がいる世界観で、警察小説のパロディーめいたことをやらせてもらった作品です。自分にとって初の長編連載ということもあり、悩むことも多かったですし、反省も多々ありますが、まずは走り切れて安心しています。単行本作業はこれから。

     ホッとしたのも束の間、2月27日に発売される「小説幻冬」において、次の長編連載「ルーカスのいうとおり」がスタートします。こちらは一応ホラー×本格ミステリーという触れ込みでプロットを書き、幻冬舎の担当さんに提出したものですが、どうなることやらといったところです。モチーフは映画「チャイルド・プレイ」美内すずえの漫画「人形の墓」など……というと、どんな話か想像がつきますね。こちらも頑張って走っていこうと思います。

     と、告知関係が溜まってしまい、駆け足での紹介になりました。諸々、何卒よろしくお願いいたします。

    〇評論本のトピック

     ここで少しだけ、評論本の話題に寄り道。大矢愽子『ミステリの女王の名作入門講座 クリスティを読む!』(東京創元社)は、クリスティの入門に最適の一冊。どのあたりがうってつけかといえば、作品の話や、クリスティを語るためのワード(「見立て」「回想の殺人」などのベタなミステリー用語から、海外もの読み始めの頃は私も知らなかった「メイヘム・パーヴァ」という言葉まで)を解説してくれるのはもちろん、作家の周辺情報も丁寧に拾ってくれるため。『スタイルズ荘の殺人』の図面に関する指摘などは、思ってもみなかったもので、思わず「おっ」と唸らされたりもします。

     白眉は「第5章 読者をいかにミスリードするか」で、ここではネタバレ解説を解禁し、クリスティのノンシリーズ作品『シタフォードの謎』『殺人は容易だ』の二作についてその「騙しのテクニック」を繙いています。霜月蒼による『アガサ・クリスティー完全攻略[決定版]』(ハヤカワ・ミステリ文庫)においては、五つ星を満点とした評価がついているのですが、『シタフォードの謎』『殺人は容易だ』は二作とも星三つ。霜月によれば「読んで損なし」のラインです(星二つになると「クリスティーが好きならば問題なし」と、ちょっと濁した言い方です)。『シタフォードの謎』や『殺人は容易だ』も、他の作家に比べれば一段、二段よく出来たウェルメイドな作品ですが、ハイクオリティなクリスティの作品群からするとアベレージな出来と評されるのも頷けます。ところが、その「アベレージな出来」の作品ですら、これほど堂々とした「騙しのテクニック」が盛り込まれているのです(ちなみに、私が解説を書き、その伏線をネタバレ解説で拾ってみた『雲をつかむ死[新装版]』も、霜月の評価では星三つでした)。傑作でなくても、評論の俎上に載せればこれだけの成果が見つかる。クリスティという作家の底知れなさを感じると同時に、そのテクニックを解説する著者の明朗な文体に胸がすくようです。

     評論本の話題に、もう一つ寄り道。探偵小説研究会編の『妄想アンソロジー式ミステリガイド』(書肆侃侃房)は、「ジャーロ」誌上に掲載されていた企画の書籍化。小鷹信光「続パパイラスの舟」のように、架空のアンソロジーを組み上げ、収録作品の内容や「編集意図」を語っていくという趣旨の企画で、それぞれの作品への偏愛ぶりやミステリーを読む視点の「角度」が窺われて、面白い内容でした。短編によるアンソロジーを構成したもの(巽昌章「死のカードあわせ――可動式アンソロジーのすすめ」や円堂都司昭「ベスト本格ミステリ21世紀」など)から、全〇巻の長編全集のような内容(千街晶之「戦争ミステリ傑作選」や諸岡卓真「『そして誰も』系ミステリの世界」など)まで、盛りだくさんの内容で楽しめます。法月綸太郎「パリンプセストの舟――メタハードボイルド全集(第一期)」は、元ネタ(元ネタ?)である小鷹信光を意識したようなタイトルでありながら、そこでは拾い切れなかったハードボイルド観を丁寧に拾っているアンソロジーですし、佳多山大地「鉄道ミステリー選集(二巻本)」や荒岸来穂「「陰謀論的想像力」とミステリ」のように、後の仕事のプロトタイプのような企画を読むことも出来ます(佳多山はこの後、双葉文庫から鉄道ミステリアンソロジーを三冊刊行し、作品セレクトは大部分が重なっていますし、荒岸は現在「ミステリマガジン」誌上において「陰謀論的探偵小説論」を連載しています)

     とはいえ、内容は全て妄想で、手に入らないので、見果てぬアンソロジーへの夢が膨らみ、実際に読んでみたくなるのも仕方のないところ。ということで、今私は、末國善己「歴史時代小説作家ミステリ傑作選【戦後篇】」に挙がった作品を探して読むことにしています。どういう作品が挙がっているかは、実際に読んでいただくしかないのですが、目次だけ引用してみます。

    〝第一巻『山本周五郎集』
    第二巻『柴田錬三郎集』
    第三巻『司馬遼太郎集』
    第四巻『平岩弓枝集』
    第五巻『ポスト隆慶一郎の時代集』
    第六巻『宇江佐真理とその後の作品集』
    第七巻『文庫書き下ろし傑作選』
    第八巻『酒見賢一・佐藤賢一集』
    第九巻『青山文平・岡田秀文・幡大介集』
    第一〇巻『二〇一〇年代デビュー新鋭集』〟(『妄想アンソロジー式ミステリガイド』、p.136)

     このうち、私は一巻・二巻・四巻は元々好きで読了済、第九巻・第十巻も時代小説に興味を持った頃以降の作品群なので読了済ということで、第五巻~第八巻がごっそり抜けてしまっている状況だったのです(ちなみに、第三巻の司馬遼太郎は、元々好きなのでかなり読んでいるのですが、選ばれたのが『豚に薔薇』『古寺炎上』なので読めていない! 二つとも古書価が高騰していて、まだ手に入れていないのです……)。つまり、既読の巻のラインナップから「あっ、絶対に自分が好きなやつだぞ」と確信できたのが大きく、今はこのガイドを指針に本を集めているところです(そうじゃなくても、創元推理文庫の選集が面白すぎて、アンソロジストとしての末國には信頼しかないですが……横溝正史『名月一夜狂言 人形佐七捕物帳ミステリ傑作選』〈創元推理文庫〉も素晴らしかった。この系列で特に好きなのは、笹沢佐保『流れ舟は帰らず 木枯し紋次郎ミステリ傑作選』柴田錬三郎『花嫁首 眠狂四郎ミステリ傑作選』〈いずれも創元推理文庫〉)。

     ひとまず一冊読んでみたのは、第六巻『宇江佐真理とその後の作品集』の中の一冊、澤田瞳子『与楽の飯 東大寺造仏所炊屋私記』(光文社文庫)。うわぁ、これは面白い! 奈良時代が舞台、東大寺の大仏造営事業がテーマというところで、お堅い作品なのかと思いきや、大仏造営という大事業に振り回される人間たちの悲喜こもごもと人間模様を、お食事ミステリーの形で(!?)紡ぎあげる、絶妙な時代ミステリー作品でした。大事業の中で、名前は残らないけれど偉大なことをした人々……という主題は、現代でも重なる気がしますし、一編一編がどうにも心に残るんですよね。一編目「山を削りて」で、主人公が「ある心理」に困惑する瞬間にもう心を掴まれましたし、二編目「与楽の飯」も巧すぎる。主人公が一旦探偵役を疑う流れが巧い。私のお気に入りは五編目「巨仏の涙」。幕切れの余韻に浸ってしまう。

     いやいや、先月の『本格ミステリ・エターナル300』(行舟文化)や『ミステリ・ライブラリ・インヴェスティゲーション 戦後翻訳ミステリ叢書探訪』(東京創元社)に引き続き、また面白い遊びを見つけてしまったという気分です。読む本が増えて大変だぁ……。

    〇ルー・バーニーが面白い!

     ルー・バーニーってどんな作家? と聞かれると、非常に答えるのが難しい。会話劇が魅力的な犯罪小説家だし、軽妙さの中でも熱を放つ文章が魅力的な人でもあります。

     女性キャラクターの魅力も素晴らしい。2014年に『ガットショット・ストレート』(イースト・プレス)が邦訳刊行された時、私が心掴まれたのは、ジーナという女性キャラが最高だったからですし、『11月に去りし者』(ハーパーコリンズ・ジャパン)のシャーロットの造形も素晴らしく、目を離すことが出来ませんでした。そうした、キャラクター描写の巧さにも、惹かれています。『11月に去りし者』は、追う者/追われる者の二つの視点に加えて、ごく普通の主婦であるシャーロットが配置され、この三つの視点を切り替えながら進む小説なのですが、どのキャラクターも絶妙に惹かれる造形なので、ページをめくる手が止まらなかったことを覚えています。ケネディ大統領暗殺について「あること」を知っているために追われることになるフランクももちろん、殺し屋であるポールの徹底的なまでの非情さにもシビれました。

     展開は型破りで、定型を知り尽くしているがゆえに、一切先が読めない。そうした驚きも、魅力の一つです。『ガットショット・ストレート』はギャング小説かと思いきや、〇〇を巡る秘宝の物語に姿を変えますし、『11月に去りし者』も視点人物三人のもつれ合いは予想を超えます。ケネディ大統領暗殺という史実の使い方も絶妙です。

     推せるポイントはこのように幾つも浮かびますが、「どういう作家」か一口で言おうとすると、悩んでしまいます。『ガットショット・ストレート』の杉江松恋による帯文や、『11月に去りし者』の加賀山卓朗による訳者あとがきでは、エルモア・レナードカール・ハイアセンといった先人の名前が挙がっています。私はどちらも、二、三作読んだだけでピンと来ず、数は読んでいないのですが、そのせいでルー・バーニーという存在がとてつもなく新鮮に感じられるのでしょうか。それも含めて、ルー・バーニーは私の中で、ずっと大きな宿題であり続けているような気がします。この作家を咀嚼しきるには、自分の中の何かがまだ足りていない、という感覚でしょうか。

     ただ、一つだけ確実に言えるのは、どの作品も圧倒的なまでに面白いということです。

     ルー・バーニーの新作『7月のダークライド』(ハーパーコリンズ・ジャパン)は、過去邦訳の二作とはまた違った世界を見せてくれる作品です。あらすじはこんな感じ。主人公である23歳の青年、ハードリーはある日、幼い姉弟の足首や襟元に、煙草の火傷跡があるのを発見してしまう。すぐさま母親が出てきて二人を急き立て、連れていってしまうが、ハードリーは彼らを見捨てることが出来なかった。当局に虐待を通報したり、ケースワーカーに事情を訴えたりもするが、助けてはもらえなかった。ハードリーは素人探偵まがいの調査を開始し、姉弟の父親のドス黒い裏の顔を探っていく……。

     後ろ盾がない弱い立場である主人公が、自分の生い立ちが理由で子供たちに執着し、調査行を繰り広げるプロットは、まさにハードボイルドのそれです(いわゆるタフガイではまったくありませんが)。ところが、バーニー独特の熱が籠もった文章や、圧倒的なカタストロフィになだれ込んでいく終盤の味わいは、徹底的なまでにノワールのそれ。この指摘さえ上滑りしていると感じてしまうほど、バーニーの作品世界はどうにも分類不能で、ただ圧倒的に面白い。どうしてこんなに執着してしまうんだろう、という疑問こそ湧いてくるのですが、使命感に突き動かされて、孤独な戦いを挑んでいくハードリーの姿はどうしようもなく感動的で、ページをめくる手が止まらないのです。

    〝ぼくが人生で有意義なことをしたのは、これが初めてなんです。ぼくが有意義になったのは、人生で初めてです。ぼくはいま、なりたかった人間になってる。(後略)」(同書、p.300)

     このセリフの、なんと熱く、爽やかなこと! こうした胸を打つセリフや、主人公が何をも持たない、等身大の青年であるがゆえに抱く懊悩――もう見て見ぬふりをするべきじゃないかとか、命の危険を冒してまでやるべきことなのかとか――が、この作品を見事な青春小説に高めています。

     目の前にいる女性を助けたい。その主題自体は、『ガットショット・ストレート』のジーナや、『11月に去りし者』のシャーロット相手に向けられた感情と同じものかもしれません。しかし、ジーナは助けられるようなタマではなかったし(ほんと、びっくりさせられるようなシーンばかりなのだ!)、シャーロットの夫も、酒浸りではあるけれども、今回の父親ほどの「ヤバさ」は感じさせません。『7月のダークライド』は、主題としてはこれまでのバーニー作品と重なりながらも、最も切実で、のっぴきならない事態を描いていると言えます。だからこそ展開から目を離せない。

     しかし、かと思えば、この主人公は事件が縁でエレノアという女性と出会い、恋に落ち、溺れたりする。こういうあたりの匙加減もアンバランスな気がします。社会的な主題を書いているようで、徹底的にこの小説は「ハードリー」という男の個人的なものでしかない。虐待に対する怒りも、恋人との性愛も、全て同列に描かれる。だからこそ訪れるラストシーンの鮮烈さには息を呑みます。

     もちろん、バーニー作品の例に漏れず、今回の展開も予想がつきません。終盤の展開を読み切れる人はいないんじゃないでしょうか。S・A・コスビーの『黒き荒野の果て』を読んだ時も、「犯罪小説への愛情がほとばしりすぎるあまり、全てを放り込んだうえで、崩落寸前でまとめあげた」という印象を持ったのですが、『7月のダークライド』を読んだ時の、最初の感情をなんとか言語化してみると、「ハードボイルドのプロットとノワールの熱の中で引き裂かれそうになるギリギリのところで作品が着地した」という感じ。うまく言えているかどうかは分からないのですが、そんな風に、破綻寸前の熱に満ち溢れた作品が私は好きなのだと思います。

     ハッキリ言うと、『11月に去りし者』の方が構築性・完成度が高いと思うのですが(ちなみにこちらの作品のラストシーンも震えるほど素晴らしい)、全編にみなぎる熱量と面白さ、そしてラストシーンのカタストロフ感では、やはり『7月のダークライド』に軍配が上がるという感じです。歪ではあるけれども、圧倒的に面白い。そんな小説だと思いました。

    (2024年2月)



第74回2024.02.09
歩き、踏みしめる確かな道 ~私の愛する土屋隆夫~

  • 土屋隆夫『推理小説作法 増補新版』、書影


    土屋隆夫
    『推理小説作法
    増補新版』
    (中公文庫)

  • 〇ポプラ社で新シリーズ、はじめます

     1月25日発行の「季刊asta」において、新シリーズを始めます。連作のタイトルは「失恋名探偵」。高校生の瀧花林と幣原隆一郎のコンビが謎に挑む連作ミステリーになっていますが、趣向としては、「この隆一郎という男が惚れた相手は全員犯人」というもので、TVドラマの「キミ犯人じゃないよね?」「うぬぼれ刑事」、ドラマ化もされた『婚活刑事』シリーズなどをモチーフに、これを名探偵の世界に持ち込もうとしたものです。花林は隆一郎の特異体質に気付き、高性能レーダーとして利用しているという設定。第一話「ライターは知っていた」では、学校で起きた殺人事件の謎に挑みます。「季刊asta」は、年四回、1・4・7・10月に発行予定なので、テンポよくいきたいですね。

     本当は「失恋探偵」という語感を最初に思いついた後、これって、何かあったな……と記憶を探ったら、岬鷺宮『失恋探偵ももせ』(電撃文庫、全三巻)なる傑作を思い出しました。ちょうど、私が大学生の頃の作品。懐かしい。こちらは「失恋の真相を探る」という設定のライトノベルシリーズであるため、もちろん趣向は違うのですが。

    〇土屋隆夫の創作指南

     1月の新刊案内を見ていた時、うわぁ、と声が出ました。土屋隆夫『推理小説作法 増補新版』(中公文庫)の文字を見つけたからです。うわぁ、と言ってしまったのは、本書は大学生時分からの私の宿題で、いつか通読しないといけないと思っていたため。

     というのも、この『推理小説作法』、創元ライブラリ版で所持しているのですが(その版は……今は手元にありません。書斎の膨大な山の中に埋もれていることでしょう)、大学時代に読んだ時は、一旦読むのをやめてしまったのです。というのも、「第四章 創作メモの活用」の部分が理由。土屋隆夫が書いた創作メモを示し、そのメモからこんな作品を書いた、というのを延々と示していくパートなのですが、ここで短編も含めて大量の作品のネタバレが行われているため、「あっ、こりゃあ色々読んでから戻ってくるべきだぞ」と思ったからです。『危険な童話』は高校生の時に読んだので、凶器消失トリックのネタバレは喰らわずに済みましたが、核心に触れているメモが載っているんですよね。

     あれから十年近く経って、幸い、全長編+創元推理文庫の「土屋隆夫推理小説集成」に収録された短編集+αくらいは読んだので、まあ、今回はいよいよ気にせずに読んでいいだろうと思い、手に取りました。そのうえで言えることは……ネタバレは、そんなに気にしなくて良さそうでしたよ、ということです。

     というのも、土屋隆夫の長編では、トリックがたった一つということはなく、複数のトリックが有機的に組み合わされて、それが水平的に解かれていくからです。この「水平的」というイメージは、確か、「土屋隆夫推理小説集成4 妻に捧げる犯罪/盲目の鴉」(創元推理文庫)に収録された麻耶雄嵩の土屋隆夫論「間断なき対決」で頭に植え付けられたものだと思います。麻耶の論の冒頭では、『盲目の鴉』既読者なら「ああ」と思わず声が漏れるような、しかし、未読者なら全くその意味には気付けないほど些細な伏線がポンと引用され、その伏線の佇まいを語っています。未読者がもしこの論から先に読んでしまっても、『盲目の鴉』の魅力が損なわれることはないでしょう。それは土屋隆夫の推理小説においては、一つの重要な鎖の輪ですが、言ってしまえば、一つの輪に過ぎないからです。

     だから、『推理小説作法』も同じように楽しめると思います。むしろここでは、作家がどのように日常生活からヒントを得て、メモを残し、それを実作にあてはめていくか、という実践のありようを観察するのがおすすめです。でも短編は一つネタが分かるだけで致命的じゃないの、と思う方もいるでしょう。ですが、きっと大丈夫。ここで読んだ短編の一ネタくらい、実際に作品にあたる時には忘れてしまっていると思います。それほど、土屋隆夫のメモは短いものなのです(解説の円居挽は、「あなたが新しい土屋隆夫になってみるのはどうだろうか?」と投げかけていますが、そのためのヒントになるのもこの第四章かもしれません。なぜなら、土屋隆夫が結局作品に使用しなかったメモまで引用されているからです。言語学にまつわるそのメモを読んで思い出したのは柄刀一『サタンの僧院』(原書房)なので、ハードルは高いかもしれない)。

     土屋隆夫の推理小説観を知るのにうってつけの一冊ですが、中でも白眉は「第七章 実作篇「三幕の喜劇」」。短編「三幕の喜劇」を素材として用い、どのようにこの短編の着想を得て、書いていったかを明かしていくパートです。第68回で取り上げた『都筑道夫の小説指南 増補完全版』(中央公論新社)でも、都筑の短編「風見鶏」の改稿過程を示したパートに興奮したことを示しましたが、やはりこうした実作込みの解説パートの味わいは無類です。なお、この第七章では、三幕ものの短編小説であるこの作品を分割し、間に解説を挿入するという形をとっているため、順番に通読しようとすると、頭に入りにくい。そこで、まずは「三幕の喜劇」だけを通読し、頭に戻って再度、第一幕→その解説→第二幕→その解説→……と読んでいったのですが、こちらの方がより味わえた気がしました。とりあえず、老婆心ながらのオススメということで。

    〇土屋隆夫の話 ~オススメ作品など~

     2020年から連載しているこの読書日記ですが、土屋隆夫の話をしたことはまだありません。第24回で、好きな昭和ミステリー作家として名前を挙げたくらい、でしょうか。まあ、それもそのはずで、作者は2011年に逝去していますし、新装版の刊行や復刊などもなかなかなく、言及する機会がなかったからです(正確には、2019年に行われた講談社の「発掘ミステリー」という企画で『影の告発』が復刊されています。この時、仁木悦子『猫は知っていた』泡坂妻夫『花火と銃声』などと共に書店に並んでいて、ウキウキしたのを覚えていますが、まだ読書日記の開始前でした)。正直に言って、最近言及している人も少ないと感じます。唯一強く覚えているのは、澤村伊智でしょうか。

     ここでちょっと寄り道すると、澤村は2019年に発表した『予言の島』(KADOKAWA→角川ホラー文庫)を、「白上矢太郎へ」という献辞で結んでおり、これは土屋隆夫『天狗の面』に登場した探偵役(作中では弁護士)の名前です。土俗の息づく島が舞台の『予言の島』では、登場人物の一人が「まさに三津田、まさに京極、まさに横溝獄門島」という露悪的なセリフを吐いており、土俗ホラーやそれを利用したミステリーをもてはやすマニア心理の気持ち悪さを抉っているように思えます。つまり『予言の島』という作品自体が、ミステリーの歴史を斜めに見るようなメタ性を有しているのですが、『天狗の面』もまた、似たような一面を持つ作品です。そこで早くもイジられているのは、「横溝正史的」なミステリーの骨格と登場人物たち。その感覚を明晰な言葉で語っているのが、『土屋隆夫推理小説集成1 天狗の面/天国は遠すぎる』における、飛鳥部勝則の土屋隆夫論「エロティックな船出」で、この論では『天狗の面』作中における「なつかしき人々」という言葉の引用が絶妙でした。土屋隆夫の時代で既に、横溝的な構造が「なつかしき」ものであることを抉ったセリフだったと思います。そこを捉えたうえで、作品そのものを「白上矢太郎へ」捧げてしまう澤村もさるものです。

     閑話休題。解説の円居挽は、学生だった2000年頃の推理研内での土屋作品の捉えられ方を振り返って、「鮎川作品のようないわゆる本格ミステリを好む会員からの評価は高かったが、熱心な読者が生まれるほどではなかった」(『推理小説作法 増補新版』解説、p.316)と述べていますが、私が学生だった2013年頃はもっとひどい状況で、そもそも新刊で手に入る土屋隆夫作品はなく、古本屋を巡って探すしかありませんでした。そんな中でもどうにか探して長編全作を読んだのは、2000年代前半に、光文社の新装版文庫や東京創元社の「土屋隆夫推理小説集成」が刊行されて、読むべき作品の交通整理が済んでいたからですし、何より、『針の誘い』が面白いと差し出してくれた先輩がいたからでした。だから、私が土屋隆夫を好きだというのは、世代的なものではなく、個人的な体験でしかありません。会内の同期に読んでいる会員はおらず、全日本大学ミステリ連合に出向いて、ようやく、土屋隆夫の話が出来る同期を見つけた記憶があります。

     なんでこんな経緯にもかかわらず、土屋隆夫が好きなのか……トリックの一つ一つは時にチープなことも多く、そのトリックを瓦解させるロジックの切れ味も、同種の本格ミステリーとしてなら鮎川哲也の方が学ぶことが多い気がする(『死のある風景』の〇〇とか、『黒い白鳥』の△△とか。どっちもたまたま二文字ですね)。それなのに、どうしてか、読んでみるとどうしようもなく面白い。誤解を恐れずに言うならば、私が土屋作品に惹きつけられるのは、作品世界のどこかヘンないびつさと、にもかかわらず、現実の足場を踏み固めていく足取りが堅実であるところなのです。

     この「ヘンな歪さ」について語るには、恐らく、私が土屋隆夫に大いにハマるキッカケになった『妻に捧げる犯罪』という作品の話をするのが良いでしょう。交通事故で男性機能を失い、妻に裏切られ、挙句にその妻に愛人と共に死なれてしまったという悲しい過去を持つ男が、イタズラ電話を夜ごとの楽しみにしている……というのが発端の作品です。既に、この設定がヘンではないですか。それも、イタズラ電話をかけて、その家の妻との不倫をほのめかしてみたり、小さい子供が電話に出ても、母親との情事を示唆するメモを書き取らせたり、といったどうしようもなさです。これを「夜の童話メルヘン」と彼は呼んでみせます。思わず苦笑してしまうのですが(このあたりの、「昭和」感のある描写が多いのも、人に薦めづらい理由です)、ある電話が状況を一変させます。この男、電話番号を記憶に留めると、「夜の童話」が損なわれるので、暗闇の中で、でたらめに番号を回すのですが、そうして適当にかけた電話が、殺人現場に繋がってしまうのです。共犯者と思しき男を現場で待っていた女性は、主人公からの電話を取り、謎めいたワードや、殺人を示唆するフレーズを発しますが、番号が分からないので、殺害現場すら不明なのです(この頃の電話には、まだリダイヤル機能がありません)。その内容に興味を持った主人公は、電話の会話の内容(わずか4ページほど!)を分析して、被害者も、殺害現場も不明なこの事件を推理によって解き明かそうとするのです。

     後半こそサスペンス風味の展開になだれこんでいくとはいえ、この設定のスリリングなこと! そして、会話の内容から少しずつ推理の輪を狭め、その現場へと一歩一歩足を進めていく過程は、やはり本格推理そのものなのです。その高揚と共に思わず忘れてしまうのです――「あれ、そういえば設定、ものすごくヘンじゃなかったか?」ということを。この頃には、「夜の童話」という言葉も素晴らしく感じられてきます。主人公が全てを喪った人物であることも、終盤のサスペンスに向けて効いてきます。ことここにいたって、「どうしてこんなにも歪なバランスで、全てが成り立っているんだろう」というところに、大いに惹かれてしまったのでした。とはいえ、これが凄まじくヘンな読み方であることは否定できないところ。だから『妻に捧げる犯罪』を最初の土屋隆夫体験にすることは、絶対にオススメしません。

     じゃあ、何がいいのということになると、一つの答えとして『針の誘い』を挙げておきます。誘拐事件を主軸に大小のトリックを見事に掛け合わせた作品で、300ページの間、常に緊迫感に満ちた逸品です。動機の着想も素晴らしい。もし、『妻に捧げる犯罪』の変態性に惹かれる場合は、推理作家が女性に監禁されるというシチュエーションの『ミレイの囚人』を薦めておきます。創元推理文庫の「土屋隆夫推理小説集成」の六巻にも収録されていますが、この六巻の挿画は飛鳥部勝則が担当しています。ちなみに、先に引き合いに出した飛鳥部の論「エロティックな船出」は、エロティックな描写に耽溺する作者の姿を強調したもので、これまでに読んだどの土屋に対する論よりもしっくりきました。これだけのために、創元推理文庫の集成の一巻を探して買った方がいいレベルです。ミステリーという枠だけでは捉えきれない土屋の姿を、飛鳥部は「エロティック」な描写からひもときましたが、私は同じようなところに「歪さ」を感じているから、しっくりきたのかもしれません(なお、土屋隆夫論としては、『土屋隆夫推理小説集成2 危険な童話/影の告発』に収録された巽昌章「肉体の報復」も出色です。これも、このためだけに2巻を買う価値があるレベル。しかし、土屋論そのものよりも、横溝正史『本陣殺人事件』に対する読み解きの方に痺れた記憶が強いです)。

    『妻に捧げる犯罪』から顕著に感じられた歪さは、例えば、週刊文春ミステリーベスト10において第一位を獲得した『不安な産声』という傑作にもあります。四部構成からなるこの長編は、第一部、第二部が犯人から探偵役である千草検事にあてた手紙になっており、第三部に至って千草検事がようやく登場。謎めいた強姦殺人と、容疑者が主張するアリバイの謎に挑む、という構成になっています。こうした構成自体は、倒叙ミステリーを読み慣れた読者にとっては珍しいものではなく、書簡体形式を採用するという手法も今となってはよくある型の一つになっている気がしますが、私が「歪」だと思っているのは、この手紙の内容。もちろん、『不安な産声』の最大の主題である動機の謎に深く絡んでくるから……なのですが、人工授精に対する議論と描写の量がえげつないんですよね。医大教授である犯人がラジオに呼ばれ、そこで人工授精について話をする箇所とかは、さすがの上手さを感じさせるのに、人工授精が絡んだ殺人事件の事例を書いたパートは、「ここまでやらなくても」と思わされるような生臭く、陰湿な描写に満ちています。男性のセリフが厭すぎるんですよね。しかし、その事例紹介そのものが、書簡体形式による、どことなくロマンチックで感傷的な文体に挟まれているので、なんだか酷く歪に思える。こんな手紙を書くこの犯人は、一体どんな奴なんだろうと思わされてしまう。

     それでも、現実を踏みしめる足並みは確かなのです。土屋隆夫作品を読んでいると、「歩く」という描写の上手さに惹かれます。

    〝そして、私はまた歩き出していました。あてもなく、行き先も定めず、私はただ歩きつづけました。どこまでも、地の果てまでも、私は歩いて行きたかったのです。(中略)
     私は殺人に向かって歩いていました。あなたは、事件に向かって歩いていたのでした。〝(『不安な産声 新装版』〈光文社文庫〉p.246-247、第二部より。犯人から探偵役である千草検事に宛てた手紙の一節)

    〝私は検事さんの足ですよ。これも、酒席で彼がよく口にすることばだった。検事の足であることを誇りにしている男、野本利三郎。
     現代の事件が複雑化し、捜査に科学や機械の力を借りるようになっても、犯罪の真相を見抜くのは人間の目であり、犯人に近よっていくのは、生きた人間の足であった。着実に大地を踏みしめて行く、動く人間の足であった。〟(『不安な産声 新装版』〈光文社文庫〉』p.307、第三部より)

    〝久野は歩き出した。心がおどった。足どりが早くなった。いつか走り出していた。オーバーの裾が、膝にまつわりついた。
     若松町の、信濃演芸館の前まで引き返したとき、息をハアハアさせていた。彼は、自分が、ゴールの前に立ったことを、ハッキリと知った。勝利の充足感で、心がふくらんでいた。〟(『天国は遠すぎる 新装版』〈光文社文庫〉p.181)

     よく「詩情」とか「ロマンチシズム」という言葉が土屋隆夫の解説やあらすじには書いてありますが、個人的には、そうした「詩情」を求める作風と、あくまでも泥臭く現実を描く堅実な足並みがもたらす生臭さとの間で鳴る軋みのような音に、どことなく惹かれているのだと思います。だから、「未来の土屋隆夫」にどうやったらなれるのかということは、全然分からない。同時代的な事柄に広くアンテナを張り巡らせ、メモを残し、そこから作品を紡ぐことによって、少しは肉薄出来るのでしょうか。

     今引用した『天国は遠すぎる』もまた、一個の自殺事件と一個の失踪事件の謎を、たゆまぬ推理によって一枚ずつ解きほぐしていく、推理の名品ですし、千草検事シリーズ(『影の告発』『赤の組曲』『針の誘い』『盲目の鴉』『不安な産声』)はどれも一定の水準を保った佳品揃いです。長編は全部で十四作という寡作ぶりですが、一作ハマれば、どれもある程度の水準は超えてくるという安心感もあります。短編集なら『粋理学入門』『九十九点の犯罪 ―あなたも探偵士になれる』がオススメでしょうか。

     とまあ、こんな風に長々と語ってきましたが、実は、この作家を愛するのはたった一つの理由によるのです。それは、『天国は遠すぎる』という長編第二作に寄せられた、作者による「初刊本あとがき」です。「―わが子へ―」という副題がついたこの文章の名調子に、私は惚れこんでしまい、以来、この作家を追いかけることを決めたのでした。最後にそれを引用し、この回を締めくくろうと思います。円居挽の言う通り、『推理小説作法』が、「未来の土屋隆夫」になるための足掛かりの一つになり得るのだとしたら、ここで呼びかけられている「わが子」という言葉の響きを、後進世代である自分への問いかけとして受け取ることも出来るのではないでしょうか?

    〝(……)推理小説が文学たり得るか否かについては、多くの議論がある。あるものは、謎の提出とその論理的解明のみが、この小説の使命であると称し、あるものは、それを児戯に類するとして、謎を生み出す人間心理の必然性をこそ、まず考えるべきであると主張する。
     トリックか。人間か。議論の高潮する所、一方は文学精神を無益なものとして排し、他方は文学を尊重するのあまり、謎の面白さを捨て去ろうとする。
     わが子よ。
     私は不遜にも、この両者の全き合一を求めて歩み出したのだ。常に、私の机辺を離れない江戸川乱歩先生の「随筆・探偵小説」の中にある「一人の芭蕉」と題する一文が、私の歩みを決定したといってもよい。
     もとより、私に、芭蕉の才を認めたからではない。ただ、その道が、先生の言われるように、至難であり、永遠の夢であるが故に、私の心を誘うのだ。(中略)
     わが子よ。
     お前達が大きくなった日に、私の歩んだ道の嶮しさを、理解してくれるだろうか。〟(『天国は遠すぎる 新装版』〈光文社文庫〉、p.450-451)

    (2024年2月)



第73回2024.01.26
評論を読もう! ~後半戦・海外ミステリー叢書の海に溺れる~

  • 川出正樹『ミステリ・ライブラリ・インヴェスティゲーション 戦後翻訳ミステリ叢書探訪』、書影


    川出正樹
    『ミステリ・ライブラリ・イン
    ヴェスティゲーション 戦後
    翻訳ミステリ叢書探訪』
    (東京創元社)

  • 〇アガサ・クリスティー評論本が目白押し

     なぜだか、2023年はアガサ・クリスティー関連の評論本が目白押し。7月にはサリー・クライン『アフター・アガサ・クリスティー 犯罪小説を書き継ぐ女性作家たち』(左右社)が邦訳刊行、12月だけでも、ルーシー・ワースリー『アガサ・クリスティー とらえどころのないミステリの女王』(原書房)、カーラ・ヴァレンタイン『殺人は容易ではない アガサ・クリスティーの法科学』(化学同人)の二冊が登場。どれも特徴が違うので色とりどり楽しめます。

    『アフター・アガサ・クリスティー~』はクリスティー以後の100年、犯罪小説を書き継いできた女性小説家に対するインタビューから、この100年の歩みを振り返ろうとする本ですが、一人一人にじっくり聞くというよりは、共通のトピックに対する複数の小説家の反応を切り貼りしていくという構成で、目当ての作家の情報を探すのはなかなか大変。とはいえ、いつか重要な情報を拾いに帰ってくることになりそうな気がする、何かオーラのある本です。

    『アガサ・クリスティー とらえどころのないミステリの女王』は、クリスティーの伝記ですが、今まであまり目を向けられてこなかった、「望まれた顔を演じてしまう一人の女性」アガサという肖像を紡ぎ、その本当の顔に迫ろうとする一作になっています。かなりスリリングな大部で、読み応えは抜群。二作目の作品の刊行を巡り、当時の一般的な見方として「家計を助けるために書いていた」という像を押し付けられてきたクリスティーについてまず描写したうえで、当時の手紙から「せっせと働きたがっていた」クリスティーの姿を描出するところなど、胸がすくようです。

    『殺人は容易ではない~』は、今まであまりなかった「マニア本」で、アガサ・クリスティーが法科学にも高い関心を持って、それに精通し、作品の中に取り入れてきたことを淡々と語る一冊。情報密度が他の二冊とはまるで別で、法科学の勉強本としても楽しめる本です。今は刑事ドラマでも当たり前と化している、「鑑識キットを持ち歩く探偵・捜査員」の描写を初めて行ったのがクリスティーであり(『スタイルズ荘の怪事件』のポアロ)、現実にも先駆けていたというくだりには驚き。こういうレベルの、普段は注目しない細部を延々と拾っていく作業がまるで鑑識作業のようで、楽しめる一冊です。

    〇『ミステリ・ライブラリ・インヴェスティゲーション』が面白い!

     昨年末に川出正樹『ミステリ・ライブラリ・インヴェスティゲーション 戦後翻訳ミステリ叢書探訪』(東京創元社)が刊行されました。以前から楽しみにしていた本なので、届くなり夢中になって読んでしまいました。「叢書」という宇宙に分け入っていくことで、戦後の翻訳ミステリーの受容史を辿るという一冊で、「クライム・クラブ」や「フランス長編ミステリー傑作選」など、なかなか全部集めるのは難しい叢書を辿ってくれるのはもちろん、「ゴマノベルス」や「イフ・ノベルス」など、なんだか手を出しにくくて出してこなかった叢書まで、とにかく概括的・徹底的に紹介してくれるのが面白い。翻訳ミステリーの紹介者や編纂者にもスポットライトを当てることで、「受容史」を繙いていくところが「プロフェッショナル」でも観ているかのようでユニーク。叢書について語ることは、本について語ることであると同時に、人について語ることでもある。この二面性を同時に捉えているところが、本書を類書のない、唯一無二の傑作にまで高めているといえます。道先案内人の川出正樹の語り口も、どこか胸に沁み込んでいくような名調子です。

     中でも白眉といえるのは、【世界秘密文庫】編。およそ聞いたことのない「世界秘密文庫」という叢書に対するレビューがなされるだけでも衝撃的なのですが、その内容たるや、昭和の作品ならではのグレーゾーン感満載で、抄訳だったり濡れ場ありの改変があったり原作者名のクレジットもなかったりといった無法地帯ぶり。もはや真面目に考える気さえなくしそうな叢書なのに、その特徴に着目したうえで、一作一作について、原作を突き止め、どこを改変したかを明らかにしていく過程が、まるで一編の探偵小説を読んでいるかのよう。叢書名探偵・川出ですら二作の宿題が残るという驚異の叢書。怖いもの見たさで探したくなってきました。

     ちなみに本書の冒頭には、紹介された叢書の背表紙がカラーページでずらっと並んでいます。すごい光景です。このカラーページは、「まえがきにかえて」の冒頭に書かれた「色」のイメージに繋がるもので、著者の原体験に読者を接続するための重要な役割を果たしていますが、古本者としては「背表紙」の情報が得られるのがこの上なく嬉しい。なぜなら、古書店で探すのは本棚にずらっと並んだ「背表紙」なので、この叢書の、狙っている巻の色が何かを覚えておくだけでも、本棚の視認性が格段に上昇するからです(案外、馬鹿にならないんですから! 好きな作家が講談社文庫では何色で光文社文庫では何色かを覚えておくようなもの。どこかでそういうクイズ大会開かれないかな)。そんなところまで含めて、何度も読み返したくなるような名著です。古本巡りをする時は、いつもカバンに忍ばせています。

     さて、本書の最も素晴らしいところは、その叢書や作者の作品を「読みたい」と思わせる紹介の妙。『ミステリ・ライブラリ・インヴェスティゲーション』に紹介されていた本を古書店で買い集め、12月後半に15冊読むことが出来たので、その中から、特におすすめの作品を紹介していきます。本を読みたくなるのは、良い本である証拠なのです。

    〇紹介された本を読んでいこう!

    ・『クライム・クラブ』から

     こちらからはカトリーヌ・アルレー『わらの女』(創元推理文庫)を読みました。2019年刊行の新訳版です。恥ずかしながら初読で、理由は、中学生の時に旧訳で読んで挫折して以来、再挑戦の機会を持たなかったから。今回は新訳版で読んだのですが……これはまた、なんとも面白い。ヒルデガルトが大富豪から出された「良縁求む」の新聞広告を見つけ、面接に赴き、そこで思わぬ計画を持ち掛けられる冒頭から、とあるアクシデントが起きて坂道を転げ落ち始める中盤、そしてやるせない終盤と、まさに巻を措く能わずといった面白さ。サスペンスとしては、当の大富豪の視点に切り替わり、彼の目から秘書の人物描写がされたところでニヤリとしました。人間関係が立体的に立ち上がってくるんですよね。そう思うと、秘書パートの記述なども実に堂々としていて、惚れ惚れとするようです。

    『ミステリ・ライブラリ~』では川出正樹オススメのアルレー作品が幾つか挙げられているので、それを参考に読み潰していくことに。カトリーヌ・アルレー『理想的な容疑者』(創元推理文庫)は、口論の果てにミシェルの妻が車から姿を消し、翌日、車で轢かれ顔の判別もつかない女性が死体で発見される……というあらすじで、主人公であるミシェルは一夜にして「理想的な容疑者」になってしまうのです。彼には一切心当たりがないのに、全ての状況証拠は彼が犯人だと示している……というあたりのシチュエーションや、ミシェル自身のやや露悪的な振る舞いはギリアン・フリン『ゴーン・ガール』の先取りを見るかのよう。中盤の意想外な展開も含め、読み逃すには惜しい一作だと思いました。

    ・『イフ・ノベルス』から

     こちらの叢書からはジョン・ブューアル『暴走族殺人事件』(イフ・ノベルス/番町書房)を読みました。というのも、以前からオススメされていたものなので、これを機に読まなければと思ったのです。主人公であるグラントが車に家族を乗せて高速道路を走っていると、三人組の暴走族に襲撃され、妻と娘を殺された……という悲しい事件から始まる本作は、平凡な幸せを踏みにじられた男が、復讐を決意するノワール……と進めばまだ爽快さがあるのかもしれませんが、ストレートには向かわないところがキモ。システムの中でしか人を救えない警察や、証拠がなければ助けてくれない裁判。作者はグラントを巡る現実をシビアに描きながら、とんでもないところまでグラントを追い込んでいきます。この過程が実に物悲しい。裁判後の衝撃の展開から、実に奇妙な味わいの「共同生活」が描かれるくだりは本書屈指の面白さ。寂しい風が心に吹き抜けるような読み心地がたまらない、犯罪小説の逸品でした。

    ・『ゴマノベルス』から

     ノベルスより背が高く、単行本よりも寸詰まっている不格好な「ゴマノベルス」。存在こそ知っていましたが、『ミステリ・ライブラリ~』を読むとちょっと持っていたくなるような叢書に。ゴマノベルスの四作は全て改題して創元推理文庫に収められているので、たとえばディーン・クーンツの『もう一つの最終レース』は創元推理文庫の『逃切』でもう読んでいるんですけどね。そんなわけで、今回は未読のものを選ぼうと、スティーヴ・ニックマイヤー『殺し屋はサルトルが好き』(ゴマノベルス/ごま書房・『ストレート』と改題して創元推理文庫)を購入。サルトルが好きな殺し屋とその相棒を、私立探偵コンビが追いかける私立探偵小説ですが、もうこの「サルトルが好き」をはじめとして、私立探偵の相棒も「女好きなのにいざ付き合うとストレスで胃が痛くなる色男」とか、めちゃくちゃヘンな奴らが揃っていて、このオフビートで笑える味わいが、フランク・グルーバーやら伊坂幸太郎やらを連想させて楽しい限り。私立探偵としての観察力を見せつける冒頭の「つかみ」もバッチリ決まっているし、真犯人指摘もかっこいいしね。ゴマノベルスには片岡義男の推薦文が載っていて、その名調子も楽しい限り。引用して終わりにします。

    〝本書は型破りなミステリーだ。サルトル、ニーチェを愛読し、チャイコフスキーに耳を傾けるという殺し屋から、ギャンブルに目のない私立探偵、暇さえあればテレビの修理に余念のない町長、はては密室の鍵をあけてのける黒猫まで、登場人物のだれ一人(一匹?)をとっても、型にはまった連中はいない。
    (中略)スコッチでもブランデーでもない、バーボンを飲みながら楽しむにうってつけのミステリーである。〟

    ・『フランスミステリー傑作選』から

     読売新聞社から発売の「フランスミステリー傑作選」からは、フレデリック・ダール『蝮のような女』(フランスミステリー傑作選/読売新聞社)を。ダールは心理サスペンス的なフランスミステリーの中でも、その心理描写の巧みさと、結末の衝撃度でお気に入りの作家なのですが(最近邦訳された『夜のエレベーター』も良いし、入手困難だけど『絶体絶命』がとにかく素晴らしい。どこか復刊してくれないものか)、『蝮のような女』でもその本領は発揮されています。車の中でたった一夜を共にした女性を追いかけて、ある姉妹に出会った男。あの夜を共にした女性はどちらなのか? 美しい謎に彩られた心理サスペンスは、最後の最後、唖然とするような容赦のない結末を迎えます。

     同叢書からはジョルジュ・シムノン『メグレと死体刑事』(フランスミステリー傑作選/読売新聞社)も読了。これも実に良い。中期メグレの傑作でしょう。田舎町で事件の捜査を依頼され、警察官としての後ろ盾がない状態で事件に挑まなければいけなくなる……という田舎ミステリー×メグレの読み味もさることながら、メグレが「死体刑事」というあだ名をもつ同僚の動きに着目するのがポイント。独特の存在感を持つこの「死体刑事」は、一体何を企んで、メグレの周りをうろつくのか? その謎が開けた瞬間、メグレは自分が何をするべきか決断する。驚いたのは、当時の帯文にほとんど全てのネタバレが書いてあること。これはひどい。今なら古本で探すでしょうから、帯まで揃っていることは稀かもしれませんが、どこかで新訳して出してくれないものか。

    ・『シリーズ 百年の物語』から
     瀬戸川猛資による同叢書からはデイヴィス・グラップ『狩人の夜』(創元推理文庫)を。こちらも名作ですが、恥ずかしながら未読だったものです。サイコスリラーの祖ともいえる作品です。左手に「H・A・T・E」(憎悪)、右手に「L・O・V・E」(愛)の刺青を掘った伝道師が、死刑囚が遺した財宝を巡って少年を追いかけて来る……というのが大体の筋ですが、この刺青の設定を見て、「ONE PIECE」のトラファルガー・ローじゃんと思ってしまいました(ローの右手の指には親指から順に一本ずつ「D・E・A・T・H」の刺青がある)し、左手と右手の闘争という独特の世界観による説話を何度も繰り返す辺りは、まるで「ジョジョの奇妙な冒険」の登場人物のよう。そのあたりの描写が視覚的・音声的に立ち上がってきて、怖がるよりもむしろ面白がってしまったというのが正直なところ。少年の視点から描かれているのも瑞々しく、今読んでもなお楽しい名作です。

    (2024年1月)



第72回2024.01.12
評論を読もう! ~前半戦・本格ミステリーの最前線~

  • 探偵小説研究会・編『本格ミステリ・エターナル300』、書影


    探偵小説研究会・編『本格
    ミステリ・エターナル300』
    (行舟文化)

  • 〇カッパ・ツー第三期が来たぞ!

     光文社の新人発掘プロジェクト「カッパ・ツー」から第三期作品が登場です。私が第一期としてデビューしたプロジェクトですね。第三期はお二人入選されているのですが、第一の刺客として放たれたのは、真門浩平『バイバイ、サンタクロース 麻坂家の双子探偵』(光文社)。12月に刊行された作品ですが、まさにクリスマスにうってつけの赤い表紙が目印。小学生の双子探偵を主人公にした連作短編集で、名探偵コナンも真っ青のロジック推理合戦をほぼ全編にわたって繰り広げる贅沢な作風です(コナンよりは、麻耶雄嵩『神様ゲーム』の鈴木君が推理を捏ねているという超然とした感じ……といったほうが近いですかね?)。二人の推理や人間に対するスタンスの違いから、解決が分岐する構成も見どころ。マイベストは「黒い密室」でしょうか。密室トリックに対するアプローチのひねくれ方が好み。子供の世界ならではの駆け引きが描かれる「誰が金魚を殺したのか」もユニークです。

     作者は東京創元社の「ミステリーズ!」新人賞を「ルナティック・レトリーバー」で受賞しており、東京創元社からはそちらを収録した短編集も出る見込みとのこと。こちらの受賞作も、人間心理の陥穽をついた逆転の発想が見所の作品で、単話でKindle販売もされているので、ぜひ注目してほしいところ。また、カッパ・ツー第三期ではもう一作、信国敦子『あなたに聞いて貰いたい七つの殺人』(入選時タイトル)も入選しているので、こちらについての続報も心待ちにしております。

    〇『本格ミステリ・エターナル300』の話

     2023年の末に探偵小説研究会・編『本格ミステリ・エターナル300』(行舟文化)が刊行されました。探偵小説研究会が刊行してきたガイド本シリーズで、『本格ミステリ・クロニクル300』(2002年刊行、原書房)、『本格ミステリ・ディケイド300』(2012年刊行、原書房)に続くシリーズ第三弾ということになるようです。一冊につき十数年の区切りを設け、その各年について本格ミステリーの注目作を丁寧に挙げ、ガイド本として紹介してくれるこのシリーズは、高校生・大学生の頃の私にとってかなりありがたい本でした。一作一作読み潰していくためのガイドとして有効に使っていたのです。遂にその第三弾が出て、しかも自分の作品が三つ(『名探偵は嘘をつかない』『透明人間は密室に潜む』『蒼海館の殺人』)も取り上げられているのですから、感無量というもの。

     映像作品、コミック、ゲームに関するコラムも充実していて、今回も非常に読み応えがあります。とはいえ、高校・大学の頃と違い、ガイド本に頼らなくても色々読むようになったので、かなり既読作が多かった印象。ということで、せっかくなので何冊読んでいるか数えてみました。すると……取り上げられていた300作品中、読んでいたのは242作品。8割は読めていますが、58作品は未読という計算になります。こういうのがガイド本の楽しみですね。

     せっかくなので読み潰そうと思い、12月前半に18冊を読んだのですが、今日はせっかくなので、その中からおすすめの作品を5作品選んで簡単に紹介します。

    〇おすすめ作品

    ・麻見和史『虚空の糸 警視庁殺人分析班』(講談社文庫)

     まずは人気警察小説シリーズから一作。刊行点数が多く、どこから読めばいいか二の足を踏んでいたので、こういう形で読めるのはありがたい。『虚空の糸』では、都民一千万人を人質に取り、一日一人ずつ殺していくと警視庁を脅迫する連続殺人鬼を描いています。犯人視点の記述を入れてサスペンス感を高めたり、細かな物証や発言から事件の構図がぐるっと反転してしまうあたりは、さながらジェフリー・ディーヴァーを思い出す仕上がり。中でも、犯人視点の記述に仕組まれた、堂々たるダブル・ミーニングに膝を打ちました。作者の会心の笑みが目に浮かぶよう。

     ジェフリー・ディーヴァー的といえば、佐藤青南『ヴィジュアル・クリフ 行動心理捜査官・楯岡絵麻』(宝島社文庫)にも言及しておきたいです。相手の仕草から嘘を見破る、行動心理学、キネクシスなどのキーワードから、ディーヴァーの〈キャサリン・ダンス〉シリーズを思い出す作品ですが、ダンスもまだやっていない、「主人公に行動心理学を手ほどきした『師匠』が敵」というシチュエーションで燃えます。

    ・家原英生『(仮)ヴィラ・アーク設計主旨』(書肆侃侃房)

     第62回江戸川乱歩賞最終候補作を書籍化したもの(佐藤究『QJKJQ』の年!)。一級建築士が書いた「館もの」ということで、冒頭の図版からしてものが違いますし、物語の舞台である「ヴィラ・アーク」を訪れてからは、普通の「館ミステリー」ではお目にかかれない専門用語と解説のラッシュ。それだけでも独自性がありますが、やはり最終的に立ち上がってくる「そんなの、あり?」と言いたくなるような「ビジョン」が強烈。見たことのない本格ミステリーが読みたい、という人には挑んでみてほしい一冊。

    ・浦賀和宏『デルタの悲劇』(角川文庫)

     読み逃していたのを恥じ入る傑作です……。この作品については多くを語ることが難しいのですが、著者独特の文体と展開、本文となる「デルタの悲劇 浦賀和宏」をプロローグ・エピローグにあたる二通の手紙と「解説」でサンドイッチしたメタフィクショナルな構造など(「解説」の後にエピローグがきていることからも分かる通り、「解説」も作者の仕掛けの一部)、あらゆる要素が収まるべきところに収まる快感が凄まじい。作中作「デルタの悲劇」は浦賀和宏の「遺作」として扱われますが、本作を発表した2019年の翌年に浦賀和宏は病死したため、今になって読んでみると、何か悲愴な覚悟のようなものを感じ、本の前に立ち尽くしてしまいます。

    ・鳴神響一『猿島六人殺し 多田文治郎推理帖』(幻冬舎文庫)

     恥ずかしながら本当にノーマークの作品だったので、慌てて購入して読んでみました。すると……なるほど! 探偵役の文治郎が猿島で起きたという連続殺人の現場に見分に向かうと、猿島に渡った六人が全員死んでおり、そのうちの一人が書いた手記が発見される……という冒頭で、これはアガサ・クリスティー『そして誰もいなくなった』の時代ミステリー版だと納得しました。『そし誰』型のミステリーは数多く書かれていますが、クローズド・サークルの内側にべったり入り込んでしまうパターンが多い気がするので、実地検分の形で「何が起こったか」を明らかにしていく読み味が快調です。思わぬ拾い物。

    ・藤崎翔『おしい刑事』(ポプラ文庫)

     ドラマ化もした連作短編集のようですが、ドラマも未見で、知らなかったのが恥ずかしい限り。推理力が優れてるのに、最後の最後で詰めが甘くて、手柄を横取りされてしまう「押井刑事」の物語で、様々なパターンで「間違える」名探偵のファルスを味わえます。「おしい刑事参上」で大体のパターンが分かるのですが、「おしい刑事のテスト」の「ミス」については「そんなのないよ」と言いたくなるほど細かいポイントから全てが瓦解してしまいますし、「安楽椅子おしい刑事」は安楽椅子探偵ならではの豪快な反転が面白い。個人的には某番組風の「密着・おしい刑事」にゲラゲラ笑ってしまいました。

    (2024年1月)



第71回2023.12.22
ぼくの福岡清張紀行 ~松本清張記念館に行ってきました~

  • 或る「小倉日記」伝、書影


    松本清張
    『或る「小倉日記」伝』
    (角川文庫)

  • 〇あの対談集の続編登場!

     11月に光文社から若林踏編『新世代ミステリ作家探訪 旋風篇』が発売されました。2021年に刊行された『新世代ミステリ作家探訪』の第二弾にあたる本です(第一弾では、私もインタビューしてもらいました)。第二弾では、2022年1~10月にオンラインで開催された全十回のイベントの模様が収録されており、対談作家は浅倉秋成、五十嵐律人、櫻田智也、日部星花、今村昌弘、紺野天龍、白井智之、坂上泉、井上真偽、潮谷験(収録順)の十名。ブラウン神父への敬愛を語った櫻田智也や、『バトル・ロワイヤル』で忘れられがちな要素を掬い上げて『スイッチ 悪意の実験』を書いたと語る潮谷験など、本格ミステリーの作家のインタビューもその創作理念を伺わせて面白い内容ですが、児童ミステリーの分野について掘り下げた日部星花と、警察小説の分野を語った坂上泉の回がかなり勉強になりました。特に坂上泉の『渚の螢火』佐々木譲『笑う警官』を意識しているというくだりには驚きましたし(同時に、なぜ気付かなかったのかとも思いました)、横山秀夫について語った部分が白眉でした。日部作品は小説の既刊を即座に全て購入。

    ○貴重な「文庫初収録」

     11月に光文社文庫から鮎川哲也『クライン氏の肖像 鮎川哲也「三番館」全集第4巻』が刊行されました。鮎川哲也の安楽椅子探偵シリーズである「三番館」シリーズを、光文社独自の編集で全集4巻に収めた文庫シリーズで、一巻から順に、『竜王氏の不吉な旅』『マーキュリーの靴』『人を呑む家』が刊行されました。発表年代順の編集も素敵でしたし、それぞれ「三番館」短編の原型となった作品を収めるなど、「オマケ」の部分も充実した全集になっていたと思います。「人を呑む家」などは、今までの「三番館」短編集で表題作になったことのない、一見地味な作品ですが、こうして年代順に通読してみると、「三番館」シリーズの中期・後期には「人間消失」テーマの短編が多く、その傾向を代表する作品として表題作に上り詰めても面白いのかも、と思いました。

     初めに「三番館」シリーズの話をしておくと、私がこのシリーズに触れたのは大学生の時、読んだのは創元推理文庫から刊行されていた全六巻の文庫でした(『太鼓叩きはなぜ笑う』『サムソンの犯罪』『ブロンズの使者』『材木座の殺人』『クイーンの色紙』『モーツァルトの子守唄』)。鮎川哲也の鬼貫ものを読み終わってしまい、鮎川作品に飢えていた時期に通読したのです。私立探偵による足の捜査と、推理によって事件をあっという間に解決する「三番館」のバーテンの頭脳、という役割分担の按配がツボで、鮎川哲也の推理小説はこうじゃないと……と大いに楽しんだのを覚えています。創元推理文庫版は解説も印象深く、エラリー・クイーンと鮎川哲也の手法について共通点を見出していく『クイーンの色紙』の飯城勇三もさることながら、『サムソンの犯罪』の霞流一解説は絶対に忘れられない。なぜなら、霞は解説で作中に出てくる料理の名前を列挙し、鮎川の食事描写の話を深く掘り下げていくからです。他の作品も含めて、「料理」だけを拾っていく鬼気迫る様子もたまらないし、霞自身の「美食描写」の源流を辿った感があって強烈な印象がありました(霞作品の美食描写は、それはもう、よだれが出るような素晴らしさで、『火の鶏』の焼き鳥やオムライス、『サル知恵の輪』の焼きうどんの描写などをぜひ見てほしい)。

     閑話休題。ここで光文社版の全集に話を戻すと、『クライン氏の肖像』の文庫を手に取った時、少し違和感があったのです。というのも、これまでの全集三巻に収録された分を除くと、収録作はあと九編のはずで、いずれも長い作品ではない。それなのに、ページは500ページ以上ある。どうしてこんなに分厚いんだろうと、上の空でレジに通し、家に持ち帰って帯を見て、初めて気付きました。なんと、この文庫には絶筆である「白樺荘事件」を収録しているというのです!

    「白樺荘事件」とは、ファンの間で長らく幻とされてきた未完長編で、鮎川哲也の作品『白の恐怖』を改稿しようとしたもの。2017年に論創社から刊行された『鮎川哲也探偵小説選』に『白の恐怖』「白樺荘事件」が併録された時に話題を集めましたが、それまで「白樺荘〜」は単行本未収録だったのです。今回はいよいよ文庫で読めてしまうということで、ありがたい限り(なお、『白の恐怖』も2018年に光文社文庫に入っていますので、比較的簡単に読むことが出来ます)。

    『白の恐怖』は遺産相続をテーマにしたクローズドサークルもので、主人公の弁護士「私」が書いた日記をもとに、鮎川のシリーズ探偵である星影龍三が快刀乱麻に全ての謎を解いてしまうという趣向ですが、中編のボリュームなので、確かに長編化出来そうな按配。「白樺荘事件」では、弁護士の代わりに、「三番館」でお馴染みの私立探偵が出馬しており、遺産相続の対象になる親族の数も膨れ上がっています。しかも、なかなかクローズドサークルには突入しないという形。バーテンによる推理はお預けなので、「白樺荘事件」の結末は夢想するしかありませんが、思わずニヤリとしてしまったのは、フィリップ・マクドナルド『ゲスリン最後の事件』(後に改題され『エイドリアン・メッセンジャーのリスト』)への言及があるところでした。飛行機事故で死んだ男が持っていたリストを唯一の手がかりに、徹底した推理によって真相に辿り着こうとするこの長編は、確かに鮎川哲也が好みそうなところですし、「白樺荘事件」のようなテーマの作品に、あえてネタバレをしてまでこの挿話を入れているところは、何かしら意味深長な感じがします。まあ、単に好きで言及したのかもしれませんが……(同じくだりで他にJ・J・コニントンとS・A・ステーマンに言及しているのも面白い)。

     とまあ、光文社文庫版の全集は、この嬉しいボーナストラックも含めて、他のバージョンで持っていても買い直す意味がある全集だと思いました。全編再読して相当楽しめたなあ。

    ○松本清張の話

     11月初旬。ある用事があって二泊三日、北九州の小倉まで行ってきました。小倉といえば松本清張、ということで、持っていく本は全て松本清張にしました。ライブが主目的なので、バタバタしながらにはなりますが、せっかく行くのだから松本清張も楽しみたい。

     一冊目に読んだのは『渡された場面』(新潮文庫)。四国と九州・博多が舞台だというので、ちょうどいいかと思ってセレクト。同人誌で原稿を書いている男が、プロ作家の原稿をひょんなことから盗作してしまい、それが同人誌の書評で取り上げられた。それを見た警察官は、男に目をつける。なぜなら、その原稿の風景描写が、ある殺人事件の被害者宅の周辺の様子に酷似していたからだ……というのが大まかなあらすじ。

     この「ひょんなこと」が大いにツボで、プロ作家が旅館に泊まっている時に、旅館の女中がその6枚分の原稿を書き写し、恋人である同人誌男に渡した、というプロセスなのです。そして、同人誌男は恋人の前では散々描写が古臭いだのなんだのこき下ろしたにもかかわらず、自作にその風景描写6枚を盗作する。これだけでもアイタタタ、といった感じなのに、同人誌の書評では、「この作品の内容は平凡というよりは水準にも達していないが、その中の六枚くらいの文章が実に美事である。荒筋は省いて、そこだけを引用する」と書かれてしまう始末。その引用箇所が、警察官の目に止まった、という次第なんですね。もちろん、盗作元であるプロ作家がどうも問題の殺人事件と関わっているのでは、と読者はわかっているのですが、同人誌男の方は、自分の都合で恋人を殺しているので、自分の殺人と盗作、二重の隠し事をしないといけないことになるのです。

     こうして、ズルズルと罠に落ち込んでいってしまう展開がたまらないし、問題の描写と実際の風景を比べて証拠を列挙していくところなどは鬼気迫るところがあります。また、書評欄の話などから当時の文芸誌や同人誌界隈の雰囲気などが窺えて、耳の痛いところもありつつ、かなり楽しめる一冊でした。

     と、一冊目を読んでいるうちに、飛行機が福岡空港に到着、昼飯はとにかく適当に入った店で水炊き定食を食べ(適当に入ったのに、なんでこんなに美味いんだ!)、そこから新幹線で博多―小倉間を行き、小倉に到着です。新幹線に乗っている間に、二冊目に切り替え。『或る「小倉日記」伝』(角川文庫)に。再読になります。やっぱり表題作を小倉で読みたいと思ったので。

     短編「或る「小倉日記」伝」は、田上耕作という男が、小倉に住んでいた時の森鴎外の十年分の足跡を辿る短編で、昭和二十六年に森鴎外の「小倉日記」が発見される前に年代を設定した一作。森鴎外の史伝小説『渋江抽斎』は、その書き振りが渋江抽斎その人に迫っていく推理小説のようにも読めると思っているのですが、森鴎外について辿っていく「或る「小倉日記」伝」もまた、足跡を辿っていく推理小説に違いないのです。ただ、再読してみると主人公である田上の人生、その屈託が厚みをもって描かれているのが注目されてきて、それゆえに結末の寂しさが胸に迫ってきました。慣れない土地で読んだから、余計にそう感じたのかも。

     森鴎外を巡る作品なので、森鴎外旧居なども訪れて、とにかく小倉を満喫する。この日はライブの一日目なので、荷物をホテルに置いたらライブへ。夜は友人と鉄鍋餃子の店を満喫して、ホテルに戻る。「或る「小倉日記」伝」を読んだらあまりに寂しくなったので、お笑い芸人のラジオを聞きながらベッドに横になりました。

     二日目も午後はライブだけれど、午前中は自由行動。友人が朝は部屋で休むというので、一人で小倉観光へ。西小倉の方まで歩いて、小倉城、八坂神社、そして松本清張記念館を見物する。二階建ての清張の家を再現した空間で、仕事場や応接間よりも長い時間、書斎の本棚を眺めてしまいました。芥川賞受賞時の火野葦平の手紙は、Xで伊吹亜門も言っていたけど、本当に良い手紙なので実際に目で見てほしいですね。特別企画展は「清張福岡紀行」というもので、清張作品に描かれた九州の描写をエリアごとにひたすら並べたもので、清張作品の描写が好きな私にはたまらない展示でした。当然、パンフレットも購入。

     松本清張記念館の売店は、おそらく現在流通している清張文庫は全部あるだろうなと思わせる品揃えでしたが、何よりも目を引いたのは、過去の企画展のバックナンバーでした。一番好きな長編である『時間の習俗』について、『時間の習俗展 「和布刈」発、ミステリーの旅』という企画展があるのを発見。昭和三十年代の風物や清張愛用のカメラなどを紹介するのみならず、犯人の供述に基づく「アリバイ」と、推理に基づく「実際の行動」を比較した見開きのページに目を惹かれ、迷わず購入しました。この企画展は1999年に行われたもののようで、こうした資料が今も手に入るのが嬉しいですし、お金と鞄のスペースが許せば全バックナンバーを買いたくなったほど。

     他に、『E・A・ポーと松本清張』の特別企画展パンフレットと、文庫からは『黒の様式』(新潮文庫)を購入。松本清張で「黒」とつく作品にはハズレがないという印象があるので(『黒い画集』『黒い福音』『日本の黒い霧』など)、選んでみました。これが旅行中の読書の三冊目。そうしたら、これもなんとも面白い! 『黒の様式』には「歯止め」「犯罪広告」「微笑の儀式」という三つの中編が収められているのですが、「黒の様式」というタイトルは作品の題名ではなく、1967年1月から1968年10月まで「週刊朝日」に連載された中短編のシリーズタイトルだというのです。つまり「黒い画集」と同じ経緯ですね。「黒い画集」連作には、清張短編のあらゆるパターンが含まれていると同時に、謎解きミステリーとしてもハイレベルな作品群であり(山岳ミステリーの傑作「遭難」や、意想外の仕掛けで最後まで読者を翻弄する「紐」など)、私の偏愛作であるだけに、『黒の様式』への期待も高まります。

     で、読んでみると、最初の一編目「歯止め」こそ、息子である男子中学生の性への目覚めに困惑する母親の描写が中心となるサスペンスですが、ほか二編は『黒い画集』を思い出すような堂々たる謎解き編。二編目「犯罪広告」は、冒頭から母親を義父に殺されたと告発するチラシが提示されて面食らいますが、母親の死体を探すために義父の家の床下を掘り返す段になっても、依然としてふてぶてしい態度を取り続ける義父の描写にたどり着くと、死体探しを巡るスリーピング・マーダーものとしての力強い骨組みが見えてくるという次第。トリックもちゃんとあります。三編目「微笑の儀式」は、仏像のアルカイック・スマイルを巡る講釈が古代史好きの清張らしい面白さですし、それを受けて、死体が微笑みながら死んでいるという不気味な謎が秀逸。こちらも謎解きに注力した作品です。

    「黒の様式」の連載は、この三編のほか、「二つの声」「弱気の蟲」「霧笛の街(改題・内海の輪)」と三つ続いたようです。このうち、「内海の輪」については、第69回の読書日記で広島旅行の際に読んだと書きました。その時は駆け足だったので細かく内容を書きませんでしたが、「内海の輪」は考古学助教授が兄嫁と不倫関係にあり、瀬戸内海の旅行中に妊娠を告げられたため、殺害を決意する、という筋立ての作品であり、徹頭徹尾身勝手な男の態度にヤキモキさせられる作品です。ただ、不倫関係がバレないように知人の前で咄嗟に他人のふりをするシーンなど、サスペンスとしての読み味は十分で、古代史関連の発掘シーンも読みごたえがあり、楽しめる作品でした。

     残りの二編については、東京に帰ってきてから、光文社文庫の松本清張プレミアム・ミステリーの一冊『弱気の蟲』を手にいれ、ようやく読めました。「二つの声」は俳句仲間と野鳥の声を録音しにいった先で起こる殺人事件の話で、俳句趣味も清張作品の特徴なので嬉しくなってしまいますが、何より素晴らしいのが、謎解きのポイントを録音された音声に絞ってみせたところ。どうしてもアリバイが崩せない、と思ったところに、シンプルながら効果絶大の謎解きが描かれて唸ります。「弱気の蟲」はどちらかというとサスペンスに振った作品で、公務員である主人公が麻雀仲間に連れられて麻雀にハマっていき、しかし弱いのでカモられてしまう、という状況をまず描き、彼が借金を抱えてからいよいよ殺人事件が起こるという筋立て。麻雀好きは身につまされるような話で、かなり嫌な後味の作品です。

     11月に光文社文庫に清張の新刊があったので、これもいい機会だと思い購入。時代ものの『紅刷り江戸噂』です。時代ものなので、そんなに謎解き要素は強くないのかなと思いきや、一編目「七草粥」で驚愕。これ、直球のミステリー短編集じゃないか! 「七草粥」は新年の大店で、通りにやって来たなずな売りから七草を買い、七草粥を作ったところ食べた者が苦しみだした。あのなずな売りから買った草の中に、「とりかぶと」が混ざっていたからではないかと思われる――という設定の作品で、帝銀事件や農薬コーラ事件など、昭和の犯罪を思わせるどこか陰惨な悪意を描いていてゾクゾクさせられます。事件の構図が分かってくるうちに、冒頭のさりげないシーンの冷たさが効いてきて、最後にはまるで本格ミステリーのようなトリックまで登場する作品。この一編ですっかり魅せられてしまい、残り五編も大いに楽しみました。サスペンスが横溢する「虎」なども見事ですが、なぜ首を斬られた死体の顔が穏やかなのか、という謎を扱った「術」は構成そのものがトリッキーな逸品ですし、短編集の中で最も短い「役者絵」は倒叙ミステリーで、ラスト、犯人が口を滑らせる仕掛けが鮮やかな一編。もちろん、時代小説らしく、季節ごとの江戸の風物の描き方も面白くて、「七草粥」でも、爪の剪り初めの際に、七草の余ったものを水に入れて、手をつけておくと、たとえ怪我をしても傷にならないという信仰があるとか、こういうさりげない描写がやけに心に残る作品です。

     そんなわけで、11月はほとんど清張漬けの日々を過ごしました。今月は清張作品の中でも偏愛の『ガラスの城』講談社文庫から新装版で刊行されて、何かと思えば、来年1月4日放映のドラマの原作だから復刊した模様。二夜連続企画で、第一夜は「顔」かあ。これも見ちゃうかもなあ。そうなると、来年も清張から始まることになりそうです。

    (2023年11月)



第70回2023.12.08
御無礼、32000字です ~『地雷グリコ』発売記念、ギャンブルミステリー試論~

  • 地雷グリコ、書影


    青崎有吾
    『地雷グリコ』
    (KADOKAWA)

  • 〇今年最高の新刊が出たぞ!

     さあ、まずはこの話をしないわけにはいきません。青崎有吾『地雷グリコ』(KADOKAWA)! ロジックの名手・青崎有吾が仕掛けた五つの頭脳戦。全てが子供の遊びをアレンジしたオリジナルゲームになっており、そのルールだけでもわくわくさせられますが(宮内悠介による帯文「ルールを聞くだけでわくわくする。それはきっと、いいゲームであることの証左」はまさに言い得て妙)、特筆すべきは、詰将棋の手順を一手一手解説するかのような、徹底したロジックによる絵解きです。ギャンブルものとしてのケレン味、ハッタリも十分。

     内容を簡単に紹介しましょう。第一話「地雷グリコ」では、高校生の射守矢真兎は、高校で行われる屋上の使用権を賭けた《愚煙試合》に挑みます。生徒会代表の椚先輩が対決する相手で、審判は江角先輩が務めるという構図。行われるゲーム「地雷グリコ」とは、じゃんけんを行い、勝った手(グー・チョキ・パー)に従って階段を上っていくゲーム「グリコ」に、オリジナルの要素を加えたもの。双方のプレイヤーはゲーム開始前に、任意の段を三つ指定し、「地雷」を仕掛けることが出来るのです。「地雷」を相手プレイヤーが踏むと、それが炸裂して十段下がることになる、というルール。

     このシンプルかつ強力なルールが面白いのです。作者の素晴らしいところは、このルールからプレイヤーが思いつくはずの「定石」を丁寧に書いて、それによる駆け引きを描いたうえで、読者と相手プレイヤーの予想を超える更なる「奥の手」を用意する、その手際の良さです。ギャンブル物に求める全ての魅力が、ここには備わっているといえます。「地雷グリコ」はシンプルなルールであるとはいえ、わずか45ページに収まっているというのも驚愕に値します。

     全体的な雰囲気は(この作品については後の特集で詳述しますが)漫画「嘘喰い」からの影響が多分に感じられます。大きな類似点としては、①プレイヤーの他に審判(「嘘喰い」においては「立会人」と呼ばれる)を立て、ルール説明、進行、裁定、賭けの結果の回収を行わせる。②双方のプレイヤーはルール説明から初めて聞くため、戦略の組み立てや実行もその場で全て行う必要がある。③実際にあるゲームや遊びをアレンジして、オリジナルのゲームを作っている。この三点に求められるでしょう。これらの特徴は、ギャンブルをテーマにした作品――「カイジ」や「LIAR GAME」などを見ていれば――当たり前に聞こえるかもしれませんが、実は重大な特徴になっています。このことはこの後の項「ギャンブルミステリー総論」で述べていこうと思います。

     ここで②の点から特異的といえるのは、第二話「坊主衰弱」です。ゲームのルールは百人一首の札を利用した「坊主めくり」と「神経衰弱」を掛け合わせたもので、③の特徴通りですが、ここでは真兎の相手となる「かるたカフェ」のマスター=胴元が仕掛けるゲームに挑むことになるのです。つまり、ゲームの理解度においてそもそも差がある状態であり、イカサマなどを仕掛けられる点において、そもそも出発点に開きがあるのです。これは「カイジ」シリーズで多用される構造であり、「胴元=敵の仕掛けたトリック(イカサマ)を見破り、その裏を取って勝つ」というギャンブル物の一つの王道をいく展開をみせてくれるのです。水も漏らさぬ行動によって築き上げられた真兎の仕掛けに唸る逸品。

     第三話「自由律ジャンケン」は、グー・チョキ・パーに加えて、双方のプレイヤーが指定する「独自手」を加えた、五種類の手で行うジャンケン。「独自手」の形は開示されますが、「効果」は開示されないため(効果というのは、例えば「グーには負けて、チョキには勝つ」など。ネタバレにならないように思いっきり馬鹿な例を挙げましたが)、これによって「読み合い」が深化することになります。「ジャンケン」でギャンブルをするとなれば、「ジョジョの奇妙な冒険」第四部「ダイヤモンドは砕けない」の中の1エピソード「ジャンケン小僧がやってきた!」を思い出しますが、あの作品にも通じる、熱量MAXのジャンケン描写の中に、怜悧な計算が潜んでいたことに気付かされる「解決編」が素晴らしい。

     第四話「だるまさんがかぞえた」は、「だるまさんがころんだ」に「入札」要素を追加したゲーム。「だるまさんがころんだ」は、鬼役が振り向いた時に、プレイヤーが動いていたら負け、というゲームですが、本作のゲームでは鬼役もプレイヤーも動きますし、さらに互いに歩く歩数を「入札」によって決めるという趣向。

     作者の巧妙なところは、このゲームが膠着状態になってしまうパターンをルールの追加によって潰して、ゲームバランスを整えたうえで、真兎が持ちかける「もう一つの条件」によって駆け引きの方向性を定めているところ。この二つのさりげない「逃げ道」潰しが、作者がギャンブル小説に本気である証拠。「振り向くことで相手を殺す」という要素は、後に語る漫画「嘘喰い」の最終章「ハンカチ落とし」編の構図を思わせますし、「だるまさんがころんだ」をモチーフに頭脳戦をやるという部分では、ドラマ「イカゲーム」で行われた「だるまさんがころんだ」ゲームが、ビジュアル的にはかなり面白いとはいえ、一皮むけばただのデスゲームに過ぎなかったことによる渇を癒された感じがします。

     ここまでの四話は、「小説屋sari-sari」「カドブンノベル」「小説 野性時代」掲載時から夢中になって読んだ作品ばかりだったので、私の期待は書き下ろしである第五話「フォールーム・ポーカー」に注がれていました。そして、その期待は一切裏切られなかった! 『地雷グリコ』連作の最高傑作であると同時に、青崎作品の最高傑作をも更新するような大傑作です。ざっくりいえば四つの部屋を巡ってカードを引き、自分の手を作るというポーカーなのですが、シリーズ最強の敵に対して、一手ごとにしのぎを削る展開がとにかく読ませますし、最終的な到達点にもため息が出ます。漫画「嘘喰い」には、「エア・ポーカー」編という、ポーカーを基盤にした素晴らしいオリジナルゲームがあり、全49巻にも及ぶ「嘘喰い」の中でも、そして全ギャンブル漫画の中でも最高到達点ともいえるような駆け引きが繰り広げられるのですが、「フォールーム・ポーカー」はそれにも比肩する充実した作品なのです。「エア・ポーカー」の話は、あとでじっくりしますよー。

     短編が一つ進むごとに、真兎を巡る状況や賭けの対象も変わっていくなど、連作短編集を読む楽しみはしっかりありますし、第五話の最終対決に向けてボルテージが高まっていく構成も見逃せないところ。ルールを理解し、定石を頭の中で組み立て、答え合わせをし、さらにその先の展開を読もうとし、裏切られる――350ページの間、ひたすらに頭を使い続ける凄まじいミステリーですが、読み通した後には、心地よい脳疲労がもたらされるでしょう。

     実を言えば、拙作『午後のチャイムが鳴るまでは』において、「消しゴムポーカー」なるオリジナルのゲームを使った「賭博師は恋に舞う」という中編を書いたのは、この『地雷グリコ』がキッカケでした。正確には、第一話「地雷グリコ」が2017年11月号の「小説屋sari-sari」に掲載されたことに端を発します。もともと、後に語る「カイジ」や「嘘喰い」には世代的な思い入れがあり、「ギャンブル物の面白さは、本格ミステリーにも通じる、だからこそ、自分でもそうした作品を作ってみたい」と思っていたのですが、小説で表現することの難しさを感じてもいました。そんな時に、「地雷グリコ」を読んで頭を殴られたわけです。もちろん、それまでもギャンブルをモチーフにした小説作品はいくつも書かれているのですが、感動したのは、学園ものとギャンブルを掛け合わせるその手際と、普通のギャンブル物にはない「清涼感」でした。ギャンブルの世界は、どうしても陰惨だったり、残酷だったり、とにかく暗い世界になりがちで、「負ければ底に堕ちる」という構造があるからこそ、物語が盛り上がります(負けた場合に何億もの借金を負うとか、指を切られるとか、ペナルティーも陰惨なものです)。だからこそ、そうした雰囲気の無いギャンブル物――いい意味で、勝負にただ熱中する「だけ」の、陰惨でないアプローチ――が出来ないだろうかと思っていたのですが、そこに現れたのが短編「地雷グリコ」だったといえば、衝撃の程は伝わると思います。もちろん、真兎にも賭けているものがあり、負けられない理由があるわけですが、全体が纏う雰囲気は怜悧でありつつポップであり、「明るい熱」なのです。

     というわけで、青崎有吾の最新にして最高傑作、おまけに「オリジナルゲームギャンブル本格ミステリー」の2023年版最高峰『地雷グリコ』。どうかお見逃しなきよう。

    〇ギャンブルミステリー総論 ~より公正に、より独自に~

     さあしかし、ここまでも「カイジ」「嘘喰い」の名前をたびたび出してきましたが、分からない人にとってはこのあたりの話が全然理解できないと思います。そこで、ここからは「ギャンブルミステリー特集」を組んでみたいと思います。まずは作品群全体の特徴を洗ってみたうえで、「小説編」「漫画編」「映像編」に分けて、それぞれの代表的な作例について語ってみたいと思います。

     この記事をまとめてみようと思ったのには理由があります。それはやはり、私自身が、こうした「ギャンブル」を取り入れた作品に学生時代から多く触れており、そこには本格ミステリーに通底する魅力がたくさんあると感じていたからです。これは何も私に限った話ではなくて、たとえば福井健太『本格ミステリ漫画ゼミ』(東京創元社)においては、「思考ゲームとしての漫画」という項において、頭脳戦・ギャンブルを扱った漫画が紹介されており、その冒頭では次のように述べられています。

    〝探偵や犯罪などの装置がなくとも、理知的なゲーム空間を築くことはできる。ルールを伴う頭脳戦を軸にしたエンタテインメントは、本格ミステリに通じるゲーム性を備えている。語弊を恐れずにいえば、型に嵌まった本格ミステリ以上に、柔軟かつ純粋なそれを扱いうる形式なのだ。〟(同書、「思考ゲームとしての漫画」より)

     ギャンブルを扱った本格ミステリー的作品に魅せられる、と同時に、自分でも中編一つ書いてみたことからも伝わるであろう通り、こういう作品を取り入れてみたいという欲が私にはずっとありました。少し世代を下ったり、あるいは上ったりすると「分からない」と思われるかもしれないこの「欲」が、なぜ生まれてきたかを記録に残すために、一旦全部書き出しておこうと思うのです。

     さて、まずはギャンブル物の特徴についてです。最初に見ていくのは、プレイヤー間の関係性です。ここには大きく分けて三つのモデルがあると思っていて、一つは「単純型」。二つ目は「カイジ型」。三つ目は「立会人型」です。①の「単純型」からいくと、全プレイヤーが対等であり、賭けの胴元はあくまでも賭博の「場」と「機会」を提供するのみというシンプルな構図です。麻雀漫画などは代表的にこの構図で、金の取り合いは当事者間でのみ発生します。この時互いに使えるのは「技」に近接したイカサマの数々です。阿佐田哲也の名作群はもちろんこの型ですし、多くのギャンブル作品はここに属することになります。こうしたギャンブル物は、阿佐田哲也の『麻雀放浪記』やそこから派生した傑作『ドサ健ばくち地獄』が「ピカレスク」と謳われる通り、基本的には、勝負の世界に生きる男たちを描く作品であり、ゲーム「そのもの」を描くことが目的にはなっていない印象があります(「コンゲーム」と呼ばれる作品群も同様です)。しかし、二つ目の型以降、ゲームのルールの部分に凝っていくことによって、時にはゲームに淫するような複雑なルールを課したギャンブル作品が数多く生まれていくことになります。

     ②の「カイジ型」では、基本的に胴元=敵という等式が出来上がっています。ゲーム(ギャンブル)を仕掛けるのは胴元側であり、プレイヤーはそれに挑んでいく、という構図です。もちろん、胴元側も組織ではなく、代表者を一人立てるわけですが、胴元側なのでゲームの内容もルールも全て知り抜いていますし、そのルールに応じたイカサマを行って「常勝の仕掛け」を作り上げています。この時、プレイヤー側が行うべきことは①相手の行っているイカサマを見抜くこと、②相手が絶対的な優位に油断している状況を利用して、そのイカサマの裏を取ること、の2つです。イカサマが分かってもすぐに告発せず、それをあえて利用するというところにポイントがあり、それによって①:胴元=犯人側のトリックと②:プレイヤー=探偵側の逆トリックの両方を味わえるのがこの型の特徴です。「カイジ」やその影響を受けた作品群の多くはこの型に属しています。絶対的な上位者を智略によって打ち負かし、その鼻を明かす――という成り上がり物語の構図をもっているからこそ、この型は書きやすいのでしょう。後に紹介する作品では、漫画「カイジ」シリーズだけでなく、福本伸行「銀と金」の誠京麻雀編や「賭博覇王伝 零 ギャン鬼編」の「100枚ポーカー」編、カミムラ晋作「マジャン ~畏村奇聞~」、円居挽『今出川ルヴォワール』などがこれに該当し、パーシヴァル・ワイルド『悪党どものお楽しみ』にもこの型の作品があります。胴元=敵でなくても、イカサマの解明→その逆用というパターンは青山広美「バード―砂漠の勝負師―」でもなぞられています。

     ただ、②の型には大きな問題点があります。胴元=敵である以上、プレイヤーが勝ったとしても、その「勝ちの回収」に大きな不安が残るのです。究極的に言えば、相手が実力行使に出てしまえば、殺されてしまう可能性もありますし、手に入れた金を奪われるかもしれません。もちろん、胴元側にも「フェアに見せかけなければいけない」という体面上の問題もあるとはいえ、です。「カイジ」ではこの問題を、敵の上位者に裁定させることによって無効化しています。ゲームをプレイする際、カイジ自身も実はこの不安から解き放たれることはないはずですが、シリーズ第一弾で帝愛のトップである兵藤と対峙してからは、「兵藤は勝ち負けの解釈はフェアだ」という信頼感をもって、この「勝ちの回収」の問題を巧妙に棚上げしています(ただし、シリーズ最新作「賭博堕天録カイジ 24億脱出編」〈現在25巻、連載中〉においてこの問題が再発生していることも言い添えておきます。兵藤和也とのワン・ポーカーギャンブルに勝ったカイジは、24億もの大金を抱え、帝愛から逃げ回らないといけないのです。今までカイジが棚上げにしてきた「勝ちの回収」という問題が、約20年越しに再燃したのです)。

     この「勝ちの回収」に目を向ければ、③「立会人型」の道が出てきます。この「立会人」というのは、漫画「嘘喰い」においてギャンブラー同士の戦いに立ち会い、ルール説明、ゲームの進行、勝敗の裁定、債権の回収までを行う存在を意味する用語ですが、「嘘喰い」に敬意を表してこの型は「立会人型」と名付けることにします。この型のポイントは、プレイヤー二人の他に中立な裁定者を配置する点です。これによってゲームへの中立性が保たれるだけでなく、「双方のプレイヤーが今、この時初めて、ゲームのルールを聞く」というスタートラインの同定も出来るのです。勝負としてかなりフェアな作りであることを強調することが出来ますし、互いのプレイヤーがしのぎを削り合う熱量も自然と高まっていきます。この型に属するのは漫画「嘘喰い」を代表として、「LIAR GAME」「ジャンケットバンク」、そして『地雷グリコ』になります。

     一見、「立会人」を置くことによって②で指摘した「勝ちの回収」の問題は解消されたようにみえます。立会人がきっちり裁定を行ったうえで、債権も回収してくれるのですから。事実、「LIAR GAME」ではルールによって暴力行為が排除されており、大金がかかったゲームであるにもかかわらず、静謐で怜悧な頭脳戦の世界を実現することに成功しました(付言すれば、「LIAR GAME」において敗者に課せられるペナルティーは負債のみ。しかし、借金の苛烈な取り立てなどの描写もないことから、その数字は無機質なデータのように動いていきます。言ってみれば、過去のギャンブル作品において、よく敗者の代償として描かれた「人体損壊」や「大事な女性の身柄」などの「血と色」が巧妙に排除されているのです。これが同書の想定読者層を広げたと思います)。

     しかし、「嘘喰い」ではあえて「勝ちの回収」という問題を「暴力」を描いたアクション漫画の形で先鋭化させました。一方「ジャンケットバンク」では、「勝ちの回収」の問題は「生死を分かつ罠」という「知」の領域で立ち上げました。どちらも問題を潰したうえで、独自の味をつけているのです。

     こうした三分類に加えて、ゲームそのものも分類してみましょう。これは「A:元からあるゲームのルールを変えずに行うギャンブル」「B:元からあるゲームにオリジナルのルールを追加するギャンブル」「C:オリジナルのゲームで行うギャンブル」の三つの型に大きく分類出来ます。

     は簡単ですね。麻雀漫画の多くはこのパターンに属し、ギャンブル要素として強く立ち上がってくるのは元のゲームが持つ「駆け引き」と、そのゲームにおいて現実でも行われる「イカサマ」の要素です。こうしたAのパターンでは、それぞれのプレイヤーによる技量・器として「イカサマ」が立ち上がってきます。つまり、ここでのイカサマとは、技と技とのぶつかり合いである、ということが出来ます。元からそのゲームのルールを知っていれば、その世界にすぐ入り込んでいけるのが特徴です。

     については、例えば福本伸行の麻雀漫画「天 ~天和通りの快男児~」における「二人麻雀」を代表例に挙げておきましょう。基となるルールは麻雀そのものですが、麻雀は通常四人、もしくは三人で行うものであり、二人で行うために作者が独自のルールを付け加えた……というものです。ここでは、「元のゲームのルール」+「追加されたルール」の二つを理解する必要があります。この特殊ルールにおける「定石」は、プレイヤーと共に、読者も読み解いていかなければなりません。

     の代表例は漫画「LIAR GAME」でしょう。現実には存在しないゲームのルールを一から作り上げ、その「定石」整理やゲームバランスの調整までを自分で行い、作品の形で供する。最もハードルが高いけれど、やりがいのある形です。しかし、ここではゲームそのものを「一から全て理解する」必要性が生じます。読者と作者の間にシミュレーション量のギャップが如実に出て来るわけです。

     そこで、このギャップを解消するためによく行われるのが「C―1、オリジナルゲームではあるが、現実にある遊びやゲームを基に作られている」です。BとC―1との差異は程度問題ということになってしまいますが、元々はギャンブルではない「グリコ」を、アレンジによって「地雷グリコ」というゲームに作り替えた……という経緯は、このC―1型の代表例と理解してもらえるのではないでしょうか。

     反面「C―2、どこから生えて来たのか分からない完全オリジナルゲーム」も存在します。「LIAR GAME」で扱われるうち、「密輸ゲーム」感染パンデミックゲーム」などはこの型に属するといっていいでしょう(なお、同じ「LIAR GAME」にもC-1の型に属する「17ポーカー」「回らないルーレット」「入札ポーカー」などがあります)。

     野球×頭脳戦漫画「ONE OUTS」と、オリジナルゲームによる頭脳戦漫画「LIAR GAME」をどちらも著した甲斐谷忍は、映画「LIAR GAME The final Stage」のパンフレットに掲載された原作者インタビューにおいて、「『LIAR GAME』という作品を書こうと思ったキッカケ」を問われ、次のように述べています。

    〝この作品の前に、やはり騙し合いの勝負を描いた「ONE OUTS」という漫画を描いていたのですが、野球漫画という形を取っていたために、野球のルールを知らない方にはなかなか読んでもらえませんでした。それで割と近いテイストで、創作したゲームで騙し合って戦うという話に挑戦してみたというのが、きっかけです。〟(同書、【原作】甲斐谷忍インタビューより)

     ある意味で現実のルールに即した型:①、Aの「ONE OUTS」(連載:1998~2006年)が、特殊なルールを導入した型:③、C―2の「LIAR GAME」(連載:2005~2015年)へと変遷する――この流れそのものを、本格ミステリーから「特殊設定ミステリー」への変遷と重ね合わせることも出来るかもしれません。ですがここでは、一つ大きなメッセ―ジを取り出してみましょう。すなわち、「AやBの型は読者の知識(そのゲームを知っているか、やったことがあるか)に依存してしまうが、Cの型は読者とプレイヤーの出発点を揃えることが出来る」ことです。Cの型は、複雑になりすぎると誰もついてこない可能性が出てきますが、絶妙なバランスを見付けさえすれば、AやBよりも広い読者層を獲得する道が見えてきます(事実、「LIAR GAME」はドラマ化・映画化までされ、2011年3月時点で累計500万部を突破しています)。そういう意味で、C―1のように、「誰もが子供の頃にやったことのあるゲームを、オリジナルゲームに改造する」という手法は、読者の知識・経験を利用したかなり上手い手です。

     では、ざっくり分類したところで、各論に移ります。この総論に述べたのは概略なので、細かい話は、作品の具体的な話をしながらまた掘り下げていきます。重複する個所もありますがご容赦を。

     注意事項としてここでは二つ。一つ目は用語についてです。この日記で扱うのは、麻雀やポーカーなど「実際にやったことがないとルールが分からない、難しい」と思われるゲームについて扱った作品がどうしても多くなります。そうした麻雀、ポーカーなどの用語については、適宜説明を加えようとは思いますが、説明が難しく(もしくは不必要に長くなるため)、そのまま使う場合も多々あります。ご容赦ください。ただ、その作品独自の語法や用語については丁寧に説明していこうと思います。

     二点目です。以下では、ゲームそのものへの興味も持っていただきつつ、ギャンブル作品の様々なパターンを掘り下げるために、極力、ゲームのルールについて詳しく書いていきます。「ゲームのルールそのもの」をネタバレと捉える人は少ないとは思いますが、ギャンブル作品において、独自ルールが開示される瞬間というのは得難いワクワク感があります。そうしたワクワク感は作品で味わいたい! という方は、ルール説明のくだりは適宜飛ばしながら読んでください。「ルールは以下の通り」「ルールはこんな感じ」という表現が頻出するのと改行が多いのはそのためなので、サクッとスクロールしてください。なお、こちらは既読者への注意ですが、未読者へのネタバレ(こちらは大ネタの方)を避けるため、あえてルールの細かい部分は避けて記述しています。あれがない! と思われることもあるかもしれませんが、ご容赦ください(対戦相手なども、漫画全体の展開を明かしてしまう恐れがあるので、適宜省いたりしています)。

     ではこれから、「小説編」「漫画編」「映像編」の三段階にわけて紹介します。……しかし、どうしても「漫画編」の厚みがすごくなるなぁ。大変な文字数だ。

    〇小説編

     まずは小説編から。冒頭に挙げるのは円居挽『今出川ルヴォワール』(講談社文庫。型:②、C―1)。著者による〈ルヴォワール〉シリーズの第三弾。ゲーム「逆転裁判」を思わせる丁々発止の法廷劇が見所の「双龍会」が魅力のシリーズですが、本書は前半の三分の一にあたる第一部で、この「双龍会」パートを終わらせてしまいます(もちろん、二転三転する推理の魅力はそのままで、このパートだけでも十分面白い)。では残りの三分の二は何をやるかといえば、オリジナルゲームによるギャンブルが行われるわけです。種目は「鳳」と呼ばれるもの。

     ルールを見ていきましょう。1~16までのカードを使い、親と子の間で勝負をするもの。数字の大きい方が基本的には勝ちますが、足して17になる組み合わせ(1と16、2と15など)が出来てしまった場合は、小さい数字が勝つ一発逆転が起こって、おまけに負けた方のポイントが全て相手に奪われてしまう「大取」というルールが追加されているのがミソ。

     このように、シンプルで、小説の形で描くにもやりやすい設定でありながら、大逆転を仕込むことも可能……というルールになっています。円居本格ならではの大掛かりなトリックや、漫画ネタのくすぐりなども含めて、自信をもってオススメ出来るギャンブル本格になっているといえるでしょう。

     円居作品には随所にギャンブルを思わせる要素が登場しますが、もう一つ明瞭に、ギャンブルの結構を備えた作品が短編「ペイルライダーに魅入られて」(『京都なぞとき四季報 町を歩いて不思議なバーへ』〈角川文庫〉収録。型:①、C―1)でしょう。シリーズそのものは、バー「三番館」を舞台にした「日常の謎」連作ですが(バーの名前は鮎川哲也を思わせますが、探偵役は「御神酒はいかが?」と口にするため、エドワード・D・ホックの〈サム・ホーソーン〉シリーズも連想させます)、第四話にあたる「ペイルライダー~」では、ある「賭け」が描かれます。

     ルールはこんな感じ。三杯のカクテルのうち、一杯がペイルライダーで二杯がペイルホースになっていて、この二つのカクテルは見た目では区別がつかない。これを二人のプレイヤーが飲むのですが、Aが先に一つ選び、この時点では飲まず、次にBが残った二つのうちからハズレだと思う方を除外する。そしてAは、最初に取ったものか、Bが残した方を選ぶ……というルール。

     この短編の冒頭でも示唆されている通り、数学の「モンティ・ホール問題」をモチーフにした作品で、確率論の裏をかく結末が印象的な一編となっています。

     同じように「モンティ・ホール問題」を鍵とした作品が、有栖川有栖「ロジカル・デスゲーム」(『長い廊下がある家』〈光文社文庫〉収録。型:①、C―1)。火村とある人物の賭けを描くこの作品では、三杯の盃のうち、一つに毒が入っているという設定。火村の編み出した必勝法とは? 文庫版で50ページ弱という短めの作品ではありますが、常識の枠をついた意外な手段が印象的な作品。

     優れたギャンブル小説を書き継いでいるのが宮内悠介。11月に文庫化された『黄色い夜』(集英社文庫。型:(ギャンブルによって異なる)、A)は、巨大なカジノ塔が聳え立つアフリカE国で、イタリア人のピアッサを相棒に、カジノ塔の最上階を目指す日本人ギャンブラー・ルイの活躍を描いた作品ですが、文庫で160ページという短さの中に、聖書のページ当て、セキュリティコンテスト、ポーカーなど幾つものギャンブルが凝縮された作品になっています。文庫版では短編「花であれ、玩具であれ」も収録されており、こちらもシャープな良作。

     宮内悠介には「スペース蜃気楼」(『スペース金融道』〈河出書房新社〉収録。型:②、A)というポーカー小説の傑作もあります。太陽系外の星、通称二番街で債権回収担当者として生きる「ぼく」が、アンドロイドから借金の取り立てをするという連作短編集なのですが、取り立てのためなら宇宙のどんなところでも行く! という主人公がこの短編で巻き込まれるのはカジノでのポーカーゲーム。自分の臓器さえチップとして賭ける極限の状況下で、「ぼく」はいかに勝利するか。経済小説的な大ボラまでキマって、抱腹絶倒の一編に仕上がっています。

     小説編の最後に紹介するのが、パーシヴァル・ワイルド『悪党どものお楽しみ』(ちくま文庫。短編によって異なるが基本的に型:②、A)という作品。こちらは1929年の作品ながら、改心した元ギャンブラーが、その知識や経験をもとに、イカサマ野郎たちが張り巡らせたイカサマの仕掛けを見破り、その仕掛けの裏を取って逆転する……という、後に紹介する「カイジ」などと全く同じ構造を持ったギャンブル本格ミステリーの逸品なのです。今でもそのまま成立しそうな仕掛けを使った「火の柱」や、負けないルーレットのトリックを見破る「赤と黒」など、名作が目白押しですが、ただ「イカサマのトリック」だけでなく、より探偵小説的な小技も効いた「ビギナーズ・ラック」などの好編もあり、隙のない作品集になっています。何より、元ギャンブラーで今は農夫として暮らすビル・パームリーと、彼に泣きついたり、ビル宛ての依頼を受けてしまい困り果てたりする「愛すべきワトソン役」トニー・クラグホーンとのコンビが素晴らしく、スイスイ読めてしまいます。ちくま文庫版には、『世界推理短編傑作選3』に収録されているために、国書刊行会のハードカバー版では削られていた名作「堕天使の冒険」を収録しており――こちらもブリッジをテーマにしたギャンブル小説の傑作で、フーダニット要素まで追加した隙のない逸品――今から探すなら断然、文庫版でしょう。

     海外編に目を向ければ、ロアルド・ダール「南から来た男」(『あなたに似た人』〈ハヤカワ・ミステリ文庫〉収録)やポーカー勝負のシーンが印象深いイアン・フレミング『007/カジノ・ロワイヤル』(創元推理文庫)なども見逃せないところですが、ギャンブラーの世界と師弟関係を描いた作品としてレナード・ワイズ『ギャンブラー』(早川書房)の名前も挙げておきます。とはいえ、オリジナルゲームなどを用いたものはやはり日本独自なのかも。

    〇漫画編

    *福本伸行の話から

     どうしても、ここの層は厚くなります。長くなりますが、ご容赦を。まず世代的に名前を挙げなければならないのは福本伸行。中学2年生の頃、2007年10月~2008年4月まで「賭博黙示録カイジ」(型:②、C―1)を原作にしたアニメが放映されていたこともあり、「カイジ」の名前は独特な絵柄と「ざわ……ざわ……」というエフェクト、ネットミームとして必須教養のようになっていて、それで見ていたというのが入り口(なお「アカギ」のアニメは2005年放映開始なので、こちらは大学生になってから見ました)。同世代の友人はみんなギャンブルものとして見たり、名言を真似したりというのが主な楽しみ方でしたが、その頃から一人だけ「これって本格ミステリーじゃん!」と一人孤独に言い続けていたのが私でした。この原稿で挙げたような全てのギャンブル物に興味を持つキッカケになったのが「カイジ」なので、福本伸行の影響力は絶大、というわけです。

     総論のところで、「カイジ」においては敵=イカサマの主体=胴元であるという構図の話をしましたが、これには「ゲームを知悉している敵」「一からゲームを理解し戦略を組み立てなければいけないカイジ」の不均衡があると述べました。〈カイジ〉シリーズでは、その「胴元」というのが帝愛グループという闇金融になっており、彼らが仕掛けるゲームや、彼らが運営するカジノに勝負を挑んでいくというストーリーになっています。シリーズ第一弾「賭博黙示録カイジ」(以下、「黙示録」と表記)の9巻から12巻まで展開される「Eカード」編でこの構造は確立しますし、シリーズ第三弾「賭博堕天録カイジ」(以下、「堕天録」と表記)も(当初は帝愛の関連施設とは分からないままですが)「通し」によるイカサマをしているカジノのオーナーに挑むことになります。

     一方で、プレイヤー同士の戦いを描くのがシリーズ第一弾の「黙示録」の冒頭、1~5巻で展開する「限定じゃんけん」編です。

     グー、チョキ、パーそれぞれ四枚のカードを支給され、そのカードを使ったじゃんけんを行う、というシンプルなルールながら、枚数が限られていることによる「読み」の要素が色濃くあり、「カイジ」の代名詞の一つといえるゲームになっています。

     ここでは未知のルールに対抗し、即興で戦略を組み立てていくプレイヤー同士は対等に見えますが、ここで「リピーター」という設定が重く効いてきます。「限定じゃんけん」を金儲けの機会と考え、何度も参加しているプレイヤーがいて、実際にカイジは、このリピーターの男に最初に騙されることになります。この「リピーター」という設定を読み直すと、策(イカサマ)を弄する敵(上位者)を倒す、という構造そのものを「カイジ」が徹底して貫いているのが分かってきます。

    「カイジ」には名品が多いので駆け足で紹介。まずは「黙示録」から。「限定じゃんけん」編は、相手の「手」のロジカルな一発特定や、枚数が限られていることを利用した戦略の面白さなど、プレイヤー同士の戦いだからこそ映える要素が幾つもあります。「Eカード」編は「皇帝」「市民」「奴隷」という三竦みのカードを使ったシンプルなゲームであるのに、そこにイカサマの仕掛けを加えることでドラマチックに演出された展開が何度読んでも見事です。福本は「血」の表現が素晴らしい。12~13巻で行われる「ティッシュくじ」編は、「Eカード」の後に行われるゲームとしてはかなり地味ながら、現在のところ、唯一カイジが相手に勝負を持ち掛けるゲームであり、それだけに対峙するラスボス・兵藤会長の手強さを裏付けるエピソードになっています(しかし、このラスボスは現在連載中の「24億脱出編」においては、息子・和也を想う子煩悩エピソードばかりが溜まっており、この時のリベンジをカイジが果たすことはもはや期待出来なさそうな気がします)。

     シリーズ第二弾「賭博破戒録カイジ」は、帝愛が経営する地下施設にカイジが放り込まれてしまった後の話で、地下施設内でのチンチロ賭博を描いた前半(1~4巻、型:②、A)と、チンチロで通貨(ペリカ)を貯め「一日外出券」を手に入れたカイジが外の世界で帝愛の運営するカジノが擁する一玉四千円のパチンコ「沼」に挑む後半(5~13巻、型:②、A)に大きく分かれます。ここでの白眉はなんといっても「沼」編。ここで紹介する漫画の中でも、唯一「パチンコ」を使ったギャンブル物というだけで価値がありますが、パチンコの当たりを阻む壁――敵サイドから見れば「常勝の仕掛け」――を「釘の森」「玉を弾く番人」「3段クルーン」の三つに分け、それぞれにトリックを仕掛ける丁寧な策略は、まさに「困難は分割せよ」を地で行くような「不可能犯罪」ものの謎解きにも似た興奮を味合わせてくれます。

    「堕天録」は全13巻がすべて、麻雀を使った特殊ゲーム「地雷ゲーム「17歩」」(型:②、B)の攻略にあてられたシリーズ第三弾。

     そのルールはこんな感じ。二人で行う麻雀として組み立てられたゲームで(通常、麻雀は四人、もしくは三人で行う)、一山34枚の牌を使い、13枚でテンパイ形の自分の手牌を作り、残り21牌を捨て牌候補として、それぞれが21牌から順に切っていくというゲーム。地雷原を踏破するようにして17牌を捨てる、という意味で「地雷ゲーム」と名付けられています。

     ここでは先に紹介した通り、胴元が部下を使って「通し」(相手の手を覗き、サインで味方に伝えること)のイカサマを行っており、その裏をいかにとるか、というところが見所になっています。一つのゲームに13巻使っている分、これまでのシリーズよりは間延びした印象が強くなってしまうとはいえ、最終的な決着の前、9~10巻に使われるトリックがとても好み。カイジが仕掛けたウルトラC的トリックだけでなく、それを見抜く「気付き」のロジックが綺麗です。

    *福本伸行の麻雀漫画(福本作品、まだ続きます)

    「堕天録」の名前が出たところで、福本伸行「天―天和通りの快男児」(全18巻、完結済・以下、「天」と表記。型:①、Aで「二人麻雀」のみB)の話をしておきましょう。主人公は天と彼に魅せられる井川ひろゆきですが、後にスピンオフ「アカギ」が描かれる天才・赤木の姿もここで初めて描かれます。「堕天録」における「地雷ゲーム「17歩」」は世にも変わった二人で行う麻雀ですが、「天」にも二人麻雀が存在します。こちらは単に「二人麻雀」という名前で、この漫画で行われた関東と関西勢の戦いである「東西戦」の最終局面となる12~15巻に収録されています。

     大まかなルールは以下の通り。大きく分けて二つのステージに分かれた麻雀で、Aステージでは通常通りに牌をツモっては切りテンパイを目指し(二人なのでチーは対面からも行えるとか、細かい取り決めはあり)、どちらかがテンパイを宣言するまでこれを行う。つまりテンパイ競争。その後のBステージでは、宣言した方がツモり続け、された方は相手の待ちと思われる牌を指定して防御し続けるというもの。防御側が二つ、牌を指定し、それが外れていた場合は攻撃側が五回ツモる権利を与えられます。

     この特殊ルールに基づいて、定石や策略を巡らせる序盤・中盤もさることながら、本格ミステリーの興奮を感じさせるのは、最終局である第17回戦。主人公側である東代表の天が満貫を達成しなければ勝てない、という状況下で、天がテンパイを宣言。西代表の原田は点数リードの状況なので、天のアガリ牌を突き止め、アガリを阻止すれば勝てるという状態です。ここで展開されるのは、「満貫条件」+「天は鳴き(チー)を入れている」+「天の捨て牌」という三重の縛りによる、徹底的な消去法推理。決着にあたる15巻では、ほぼ1冊丸々、この消去法推理が行われているのです。ひたすらロジックによって候補を絞っていき、最後の最後に残されたか細い光のような可能性。イカサマなどない、ただ純粋な勝負の世界だからこそ成立する、麻雀漫画ならではの本格ミステリー編といってもいいでしょう。

    「天」はミステリー読みの琴線に刺さるに違いない麻雀漫画であり、特に東西戦が本格的に開始する4巻からは、赤木をはじめ、ガン牌の達人・銀次(「ガン」とは牌に目印をつけ、伏せた状態でもどの牌か分かるようにすること)などといった強者たちがそれぞれの策やトリックを披露しあう、山田風太郎の忍法合戦のような面白さで(奇しくも赤木しげるが「まあ 忍法みたいなものさ 原田くん」と口にする場面もある)、特に銀次が披露する異例のガン牌トリック(8巻)とひろゆきが決勝の椅子を手にするに至った返し技(7巻)が好み。「天」16~18巻は赤木しげるの最期を描いたパートで、よく福本伸行漫画の名言として引用される箴言・格言は大体この三冊が出自ですが、このパートはギャンブル漫画から離れてしまいます(ただ、私はすごく好きですし、気持ちが弱くなるとこの三冊を読み直しにいきます)。

    「天」から派生した「アカギ—闇に降り立った天才」(全36巻、完結済。型;①、A)は後半に描かれた透明な牌を使う「鷲巣麻雀」が特に有名になりました。8~36巻まで描かれるこの凄絶な勝負は、終盤こそ引き延ばしが多く間延びした展開になったきらいはありますが、序盤はナイフのような鋭さの駆け引きが特徴でした。

     同書における白眉は4~6巻で描かれる「対浦部戦」。かなりのところを偶然に頼った最終盤までの展開は、赤木の才気に酔いしれるしかないところですが、最終局、赤木が浦部から満貫を討ち取らないと逆転しないという場面で、赤木は鳴きを繰り返し、自分の手牌が残り一牌(その牌の単騎待ちのみというこの状況を「ハダカ単騎」と呼びます)という状況になるとこう言います。

    〝決着はつくよ あのハダカ単騎には魔法がかけてある…… 浦部は手中の14牌から 必ず… この牌を選び… 振り込む……!〟(『アカギ』6巻、47話)

     ミステリー風にいえば「読者への挑戦状」とでもいうべき宣言です。つまりこの時アカギは、浦部の手の中を読み切ったうえで、彼の心理まで掌握していると宣言しているのです。なぜそんなことが言えるのか? その解明を行う48~50話では、赤木がどういう戦略を積み上げたのか、そのロジックが淡々と語られるのですが、このシーンはまるで本格ミステリーの「解決編」のよう。何度読み直しても惚れ惚れするような名シーンです。

    「銀と金」(全11巻、完結)はあらゆるタイプのギャンブルが満載された傑作で、3~4巻ではブローカーを相手にした絵画詐欺、4~5巻ではポーカー、そして10~11巻ではなんと競馬編が収録されていて、特に競馬編のトリックが好み。「なぜこんな気弱な青年を、手間のかかる仕掛けまで弄して仲間に引き込んだのか?」というホワイダニットが良い手掛かりとなっています。そして「銀と金」の麻雀編は、5~7巻で展開される「誠京麻雀」編(型:②、B)で、こちらも傑作。

     この麻雀は大企業・誠京が主宰するギャンブルで、牌を一つツモるごとに金を出し、最終的にトップを取るとその金を総取り出来るというルール。ツモる時の掛け金はアップが出来ますし、これに加えて、気に入らない牌を引いた時に、倍の金を出せば隣の牌をツモり直すことが出来る、というルールが入っています(引きたい牌を引くチャンスは二倍ですし、相手に振り込みたくない牌を引くリスクは二分の一に出来る)。

     つまり、金を持っている方が圧倒的に有利で、主催者側(胴元)はその点でも有利に立っているという、挑戦者からしてみればどうしようもなく不利なギャンブルです。このルールの中に潜む罠を突き、逆転を目論む森田たちの策略は、ギャンブル漫画ならではの熱量も備えていて、どうしようもなく読ませます。呆気に取られるようなラストの一コマの威力がピカイチ。大胆な「あらため」のふてぶてしさが見事。

     最後に短編も挙げておきましょう。短編集「銀ヤンマ」から短編「ガン辰」(型:①、A)です。ガンの名人であるガン辰が末期がんにかかってしまったが、息子を救うために最後の麻雀勝負に挑むという短編です。ガンを封じられているうえ、死期が近く視界がかすんできて、牌も指で触らないとどれがどれだか分からないという状況。この状況をいかに脱するのか。漫画という形だからこそ表現できる鮮やかなトリックと、ラストシーンの寂しさが素晴らしい逸品です。

    *オリジナルゲームの世界① ~LIAR GAME~

     オリジナルゲームをモチーフにしたギャンブル……その急先鋒であり、里程標ともいえる作品が甲斐谷忍「LIAR GAME」(全19巻、完結済。型:③、C―1ないしC―2)です。プレイヤーに一億円を貸し付け、プレイヤー同士をゲームで戦わせ、敗者は貸し付けられた金と負け分の負債を負うことになる……これが「騙し合いのゲーム」である「ライアーゲーム」の大まかな構造です。「バカ正直」なカンザキナオと、詐欺師としてマルチ集団を潰し、服役した経歴を持つ男アキヤマシンイチのタッグが活躍するのが特徴で、このアキヤマが「このゲームには必勝法がある」と喝破するところが一種のカタルシスになっています。序盤から2回戦「少数決ゲーム」2回戦敗者復活戦「リストラゲーム」など、オリジナルのルールを用いたゲームで楽しませてくれるのですが、いよいよ真価を発揮するのは3回戦「密輸ゲーム」(4~6巻収録。型:③、C―2)。個人戦からチーム戦に移行する最初のゲームになります。

     ルールはこんな感じ。「北の国」と「南の国」に分かれ、相手の国にあるATMから自分の資産を引き出し、自国まで密輸する……というのが大まかなルール。ここに、トランクの中に引き出した資金を入れて、相手チームの「取調官」と対峙するという要素が加わります。取調官は、密輸人がトランクの中に金を入れていると思ったら、「ダウト〇〇万円」とコールし、実際に入っている金額が〇〇円より下だったらダウト成功で資金ダッシュ、入っていなかったら慰謝料としてコールした金額の半額を密輸人に支払う、というルールです。

     オリジナルゲームはオリジナルであるがゆえに、ゲームバランスや定石などを丁寧に整理しておかないと、細かい取り決め(細則)ばかりが増えて大変なことになります。細則にもフェアなゲームだというニュアンスをにおわせないといけませんし、「ゲームを理解する難しさ」と「どんでん返しの快感」のバランスを上手く取らないといけないわけです。「密輸ゲーム」はルールこそ複雑であり、50回のタームを繰り返して1ゲームという驚異的な長さですが、今後の重要な敵役となるヨコヤを登場させ、「アキヤマVSヨコヤの頭脳戦」という構図を強く押し出し、情報整理を巧みに行ったことで、ダレることなく見事などんでん返しを演出しています。アキヤマが提示する「必勝法」のポイントを自分で気付けなかった時に、絶妙に「思いつけたはず! 悔しい!」となるのです。これは、良いギャンブル漫画の条件であると同時に、良い本格ミステリーの条件でもあります。

    「LIAR GAME」で他に好きなのは、4回戦予選の「感染パンデミックゲーム」(9~10巻、型:③、C-2)における意想外の展開とか、4回戦本選の「イス取りゲーム」(10~13巻、型:③、C―1)のつるべ打ちのようなどんでん返しです。特に「イス取りゲーム」は、広い島の中に隠された椅子に他のプレイヤーより早く座る……という、どう考えても体力勝負としか思えない勝負が、次第に頭脳戦としての形を明らかにし、意外な勢力の登場によって事態が急展開するなど驚きの連続。最終的な到達点については、ルールや定石が整理されていくごとに「もしや……」と気付いてしまったのですが、気付いただけに、その剛腕というべき着地点には頭が下がりました。

     なお、「LIAR GAME」は松田翔太、戸田恵梨香のW主演によりフジテレビ系列でドラマ化(2クール)、映画化(「LIAR GAME The final Stage」「LIAR GAME REBORN -再生-」)されており、ドラマで上記「感染ゲーム」までが映像化(ドラマでは名称がアレンジされ「天使と悪魔ゲーム」と命名されましたが、内容は一緒です)、映画の「final」はオリジナルですが、「REBORN」では「イス取りゲーム」編が映像化されています。ドラマが大ヒットを記録するなど、この複雑なルールや展開に多くの視聴者がついていっていた状況は圧巻ですが、ドラマは力の入った美術や劇伴によって映像的な快楽が強くなっていて、おまけに、簡略図などを利用したルールの説明などの手際が良かったため、放映当時も全くストレスなく家族みんなで楽しんでいたのを覚えています(第1期は2007年放映で、当時6歳だった妹まで覚えているのですから、相当なものです)。「REBORN」において、原作では大事な敵役であるカルト宗教の教祖・ハリモトのキャラ付けや、彼を嵌めるためのトリックが追加されるなど、細かい変更点は色々ありますが、アレンジしつつ原作をかなり高いレベルで再現しているという印象です。では、オリジナルの「final」は? ……これについては、実は超オススメ作品。詳しくは、本稿の最後「映像編」でお話ししましょう。

    *オリジナルゲームの世界② ~嘘喰い~

     今ギャンブル漫画を語るにおいて欠かせないのが、迫稔雄による漫画「嘘喰い」(全49巻、完結済。外伝に「嘘喰いと賭郎立会人」があり。型:③、C―1ないしC-2)。「総論」でも代表的作例として言及していますが、この作品の最大の特徴は「賭郎」というシステムにあります。ギャンブルのゲームを提供したうえで、その勝敗を見届ける立会人。進行、取り決め、取り立てを一手に担う立場です。零から百までの「號」が決められており、號の低い立会人は號の高い相手に「號奪戦」を仕掛けることも出来ます。勝負の裁定者であるのはもちろんですが、勝負を最も近い距離で見届けることが出来る「立会人」たちを巡るドラマが、本作の太いサブプロットになっているのは間違いないところです。

     また、「嘘喰い」の特徴的なところは、この「立会人」というシステムを含めて、多くのギャンブル漫画が棚上げにしてきた「勝ちの回収」の観点を前衛化させたところにあるのではないでしょうか。ただゲームに勝つだけではだめで、相手が実力行使に出てきた時に、自分が得た金品や自分の命を守れないと本来は意味がないわけです。

     たとえば「カイジ」では、胴元=敵という世界線で描かれているために、この「勝ちの回収」は困難なように思えますが、ゲームの勝利者が確定したタイミングで、必ず胴元側の帝愛の「上司」が現れ、「カイジの勝ちだ。お前がつけいる隙を与えたのが悪い」と裁定させる手順を経ています。「LIAR GAME」では、「これは騙し合いのゲームであり、暴力行為は厳禁。行った場合は罰金一億円」というルールが課されており、ギャンブルの世界であるにもかかわらず、どこか静謐な雰囲気が漂った作品になっています。

     ところが「嘘喰い」はどうかというと、よくSNSの感想などでも「「知」パートと「暴」パート」という言い方がされる通り、アクション・格闘シーンにも凄まじい筆力が割かれているのです(事実、作者の迫稔雄は、『嘘喰い』の完結後、カポエイラを題材とした『バトゥーキ』を連載中。こちらも滅法面白い)。例えば、19~24巻で展開される「業の櫓」というゲームは、ゲームそのものは、1~10の数字が書かれた珠を、双方のプレーヤーが二つずつ取り、二つの珠の合計値がそれぞれのパスワードになる。塔の頂上にある端末に、相手のパスワードを入力すれば勝ち……というものなのですが、ここで「暴力行為あり」という取り決めが追加されることで、智略と暴力が入り乱れる凄まじい攻防が展開されます。

     また、紙とペンを使用したボードゲームである「ラビリンス」を用いたギャンブル迷宮ラビリンス」(8~14巻収録)は、実際にあるゲームの通り、紙とペンで行う前半と、ボード上の光景を現実に再現した地下施設で行う後半に分かれており、前半は胴元=敵の仕掛けたイカサマを見抜いてその裏を取る、というシンプルな頭脳戦ですが、後半はまさに知×暴。たとえていうなら、前半が「基礎編」、後半が「応用編」のようになっているのも面白いところです。

     嘘喰い・斑目獏とマルコのペアと、対立する二人の敵、合計四人で行うチーム戦で、三十六個ある部屋のうち、それぞれのプレイヤーが別の場所から出発するという設定ですが、もし同じ部屋でかち合ってしまうと「Mタイム」というベットタイムが発動(Mはこのゲームにおけるポイントを指し、一部屋通過するごとに1Mが加算される)。このベットで負けてしまうと、30秒の間、一方的に蹂躙されることになります。

     嘘喰いとマルコは、そのまま「知」と「暴」をそれぞれ担当していますので、嘘喰いが相手プレイヤーとかち合うとその場で殺される可能性がある……という制約下で行われるゲームはスリル満点。紙の上の世界ではなく、地下のリアル世界で行うからこそ実現する大仕掛けが見所です。

    「嘘喰い」のもう一つ大きな特徴は、「実際にあるゲームをギャンブルにアレンジする巧さ」です。これは『地雷グリコ』にも直系で受け継がれている要素でしょう。前述の「ラビリンス」は、日本ではあまりなじみがないものの、実際にあるゲームですし、序盤で行われる「ハングマン」(4~7巻)は相手の考えた単語を当てる「ハングマン」というゲームに「ババ抜き」をミックスしたゲームになります。他にも、「四神包囲」(31~32巻)は「あっち向いてホイ」がベース、「矛盾遊戯」(34巻)は「たたいて・かぶって・ジャンケンポン」がベース、「ハンド・チョッパー」(36巻)は「割りばし」などいろいろな呼び名があるようですが、「両方の指を一本ずつ立てて、入れ替わりに相手の指を叩き、一本で叩かれたら自分の立てている指を一本増やす、二本で叩かれたら二本増やす、のようにして、五本指が立ったら負け」という子供の手遊びをモチーフにしたギャンブル。身近なもので、誰もがやったことのある遊びだけに、「どのように逆転するのか」という興味が一段と高まるのです。

     この傾向の最高傑作は、「嘘喰い」の最終ギャンブルである「ハンカチ落とし」編(45~49巻、型:③、C―1)でしょう。

     ルールは以下の通り。この「ハンカチ落とし」は二人で行うギャンブルで、プレイヤーはハンカチを落とす「D側」(Drop側)と、椅子に座って振り向く側「C側」(Check側)に分かれ、この役割を交互に入れ替えます。ルールは簡単で、一分間の制限時間の間に、Cが振り返った時、Dが落としたハンカチがあればCの勝ち、Cが振り返った時、Dがハンカチをまだ手に持っていたらCの負けです。一分間の間に、Dは必ずハンカチを落とし、Cは必ず振り向かなくてはなりません。この時、ハンカチを落として、発見されるまでの時間(秒数)が「座視の際」と呼ばれ、ゲームの行方を左右する重要な要素になります。すなわち、Cがチェックに失敗した時、これまでに溜めた「座視の際」の秒数+一分間分の臨死薬を体に注射、一度死ななければならないのです。この臨死薬は、五分を超えた場合、蘇生は困難になるという設定です。いかに長くハンカチを落としていられるか、いかに早くハンカチを見つけられるか。見慣れたゲームが、生死を賭けた「読み合い」に変貌してしまうこのスリルこそが「嘘喰い」の魅力です。

     プレイヤー二人もスーツなら、立会人もスーツということで、椅子に座った顔の良いスーツの男と、ハンカチを握った顔の良いスーツの男の対決を、顔の良いスーツの男が裁定するという、一種異様かつ贅沢な緊張感を持ったギャンブルです。誰がどう見ても、これで「殺し合っている」とは思えない、静謐で濃密な時間。登場人物と共にその時間を味わうという唯一無二の体験を与えてくれる傑作です。最終的な着地点も見事ですが、それまでの駆け引き・攻防がドラマチックに描かれているのも素晴らしく、まさにギャンブル漫画の最高到達点の一つ――といえるでしょう。

     一つ、と言ったのは、「嘘喰い」にはもう一つ「最高到達点」があるからです。それは40~43巻に展開される「エア・ポーカー」編(型:③、B)

     ルール……つまり、最初に開示されるルールは以下の通り。ベースとなっているのはタイトル通り「ポーカー」なのですが、二人のプレイヤーに配られるのは数字が書かれた5枚の鉄のカードのみ。全部で10枚だけで行われるポーカーで、勝負は5回戦。つまり、互いに出すカードは1枚ずつなのです。プレイヤーは中に水を満たしたガラス張りの部屋の中で、中に酸素の入ったボンベを「チップ」としながら、このポーカーを行います。この勝負に勝つには、そもそも、カードの数字の法則性を推理しなければならない、という状況です。

     このゲームが素晴らしいのは、段階的な謎解き・絵解きが行われることで、少しずつゲームの全貌が明らかになっていく、そのスリリングな過程です。最初に提示された謎は、今書いたように「カードの数字の法則性」ですが、この後も段階的に情報が提示されていき、少しずつ「謎」そのものが形を変えていくのです。最初に読んだ時最も感動したのは「駆け引きのすべてが分かる」ことでした。予想出来る、ということではありません。これだけ複雑な構造と、二枚も三枚も裏があるゲームだというのに、今必要な情報が何で、ここまで情報が明かされたからプレイヤーはこの行動を取っていて、そうなってくると次にはこの要素が気になってくる……という展開が、凄まじくクリアーに整理されているのです。最も感動するのは「天災」という事項の扱いです。ゲームのルール説明の際、「ある特殊な負け方をすると、「天災」が発生し、賭けたチップの倍額を支払わなければならない」というルールが明かされるのですが、その「ある特殊な負け方」はその時点では全く分かりません。しかし、ゲームが進んできた時、読者が「そういえばあれってなんだったんだろう」と思ったその瞬間に、見開きコマでその真相が開示されるのです。この情報提示のリズムが圧倒的に巧いからこそ、置いて行かれずについていける……何度読んでも惚れ惚れしてしまうような技術です。作者は読者の思考を制御する点において、アガサ・クリスティーに完全に比肩するといっていいでしょう(なんだその比喩は)。

    *オリジナルゲームの世界3 ~ジャンケットバンク~

     さて、次は現在連載中の漫画です。田中一行「ジャンケットバンク」(現在13巻まで。連載中。型:③、C―2)。カラス銀行中央支店は地下で「賭場」を経営しており、銀行員・御手洗暉は、ギャンブラー・真経津晨に魅せられ、ギャンブルの世界に足を踏み入れていく……というのが大まかな設定で、この「賭場」ではギャンブラーの戦績によって「ランク」が上昇するため、少しずつ敵が強くなっていくという仕掛け。胴元は銀行であり、銀行内のそれぞれの班がギャンブラーを擁し、互いのギャンブラーを戦わせるという構造で、これは「嘘喰い」と同様の「立会人モデル」といっていいでしょう。「嘘喰い」と異なるのは、大抵の場合、ゲームには「罠」が仕掛けられており、その「罠」を見抜かないと勝つことが出来ないという部分です。

     この「罠」ですが、実は作品によって扱いが違います。例えば「LIAR GAME」にも「罠」があり、主人公・カンザキナオはたびたびゲームの冒頭でそれを見抜くのですが、ここでいう「罠」とは「各人が利得を最優先すると、事務局(胴元)が得をする仕掛けになっている」というものなのです。たとえば10枚のチップをプレイヤーの2人で奪い合う時、プレイヤーの中で奪い合っていればそれはその中での「勝ち」「負け」ですが、このチップが「流れる」というルールがあって、この「流れ」があるとプレイヤーにわたるはずの金を胴元が得てしまうではないか――というようなもの(「LIAR GAME」における「24連装ロシアンルーレット」のシーン)。「LIAR GAME」でいう「罠」とは「ギャンブルは胴元が必ず儲かるように出来ている」という根本原理を突くもので、カンザキの信条である「プレイヤー同士団結しましょう」という主張に繋がる飛び石に過ぎません。「嘘喰い」ではどうか。「エア・ポーカー」編に顕著ですが、立会人はルール説明の段階で堂々と「このルールには罠(「天災」というルール)があります」と宣言します。彼らの態度は、徹底してフェアであり、「罠」もまたルールの一部に過ぎないのです。

     さて、では「ジャンケットバンク」はどうかというと――ここでいう「罠」は、その存在に気付けなければ命さえ失うような危険なものなのです。この構造が、実にスリリング。こうした「罠」の存在が盤面外の返し技のような鮮やかさで行われるのも、本作の魅力になっています。プレイヤーは説明されたルールだけでなく、その裏の裏まで完璧に読み切らなければ勝てないのです。先ほど説明したギャンブラーのランクは、賭ける命の度合いを示すもので、死なないまでもかなりのダメージを負う「1/2ライフ(ハーフライフ)」や、負けたら死亡必至の「ワンヘッド」などはかなり危険を伴うゲームです。漫画では3巻以降がこの「1/2ライフ」になっています。「嘘喰い」はギャンブルにおける「勝ちの回収」という側面をアクション漫画の「暴」として先鋭化させた――と指摘しましたが、「ジャンケットバンク」でも「勝ちの回収」という鍵が「罠」という形で現れています。そういう意味では、ここでは「勝ちの回収」まで含めて「知」の領域で表現されているといっていいでしょう。

     まず特筆すべき傑作として挙げたいのが、その3巻から4巻にかけて展開されるゲーム「ジャックポット・ジニー」

     ルールはこんな感じ。六枚のカードを使ったゲームで、カードの効果によって、プレイヤーの頭上の金貨が増えていくというものです。6枚中4枚は「黄金」。自らの金貨を4倍に増やす。1枚は「盗賊」。相手の金貨を半分奪います。1枚は「魔人」。これは守備のカードで、相手の「盗賊」を無効にしたうえで、相手の金貨を90%奪うものです。金貨は「黄金」によって等比級数的に増えていきますが、「魔人」の使い方を誤らなければ一発逆転が可能、というなかなか「そそる」ルールです。

     ゲームの展開は序盤から中盤にかけても意外なものですが、真経津に寄り添って読む読者からすると「拍子抜け」といった感じの意外さ。それに油断していると、終盤、予想外の方向から襲い掛かる――しかし主人公のパーソナリティーが見事に活かされた――とんでもない「罠」の正体には驚愕必至。それも、冒頭から完璧に伏線が張られているのです。

     また、「ライフ・イズ・オークショニア」(10~11巻)も素晴らしい。真経津のかつての敵であった村雨と獅子神のタッグが挑むゲームです。

     ルールは以下の通り。1~4の数字が書かれた札を使って競売を行い、重複した数字は無効とし、残った数字の中で最大数を提示したプレイヤーの勝利となりますが、勝利したプレイヤーは提示した数字の強さの電流を受けなければいけないというルール。提示額の合計が16を超えると死に至る、という設定です。

     いかにもシンプルなルールですが、このエピソードが素晴らしいのは、「理論上の勝ち」と「「罠」を利用した盤面外の勝ち」、二つの勝ちパターンをどちらも見せてくれることでしょう。特に「理論上の勝ち」が出てくる回は、連載を通勤前の朝の気怠い状態で読んでいたのですが、「見たい」と思っていた戦術があまりにも見事に決まったので、思わず立ち上がってしまったのを覚えています。

     現在完結済の12~13巻「シヴァリング・ファイア」は、ジャンケンによって室温を操作するというルールのゲームですが、史上最強の敵が真経津に立ちはだかる回で、最後まで結末を読ませない。結末を目にした時、思わず「マジで?」と声が出ました。

     また、田中一行には、「エンバンメイズ」(全6巻、完結済。型:③、B)という過去作があります。こちらは世にも珍しい、ダーツを主題にしたギャンブル漫画で、ルールはダーツの「カウントアップ」を基にしていますが(単純に点数を競うもので、20のトリプルである60点が一投で出せる最高点)、そこに様々なルールを掛け合わせてギャンブルにしています。2巻の「VS華原清六」編(もしくは「実験体と博士」ゲーム? 作中で正式な名前は提示されていません)では、毒ガスを使ったゲームに挑みます。

     ルールは以下の通り。このゲームには「博士の矢」と名付けられた白い矢と、「実験体の矢」という赤い矢の二本を使います。「博士の矢」で的を射てば、10点につき1分間、そのプレイヤーのいる部屋に入る毒ガスを止められます。「実験体の矢」を射てば、的に当てた点数をそのまま得ることが出来ますが、10点につき1分間分の毒ガスが追加で流れ込みます。この時、1080点を獲得するか、相手プレイヤーが死亡すれば勝ちになります。「エンバンメイズ」世界では、「絶対に狙ったところに射てる」という設定で行われるため、基本的には3投=180点の計算で話が進みますが、ルールはシンプルに見えるのに、二転三転の駆け引きがあって読ませます。

     私のフェイバリットは4巻における「VS志道都」編(もしくは「早投げカウントアップ」編)。1000個の的を使った「早投げ」勝負で、各プレイヤーは1000個の的を広い空間に配置し、相手を「迷路」に誘うことが出来ます。「エンバンメイズ」の主人公・烏丸煌は「迷宮の悪魔」と呼ばれているので、その悪魔が実際に作る迷路とはどんなものか――というのが、読者も気になる所ですが、まずここで作者は見事に読者の予想を外してきます。そのうえで、意外な展開と駆け引きを連鎖させ、最後には見事な返し技まで決まるという逸品。絵面としては完全にアクション漫画なので、ギャンブル物という文脈からはやや外れるかもしれませんが、心に残る名勝負の一つです。

    *スポーツ×ギャンブル?

     スポーツ漫画も実はギャンブルと相性が良い。これは何も、野球賭博とかサッカー賭博とかそういうグレーな話ではなく、「ド素人同然のプレイヤーが策略によっていかにしてプロプレイヤーに勝つか?」という見せ方が出来る、という意味です。この分野においても福本伸行に作例があり、「零」を主役にしたシリーズ第二弾の「賭博覇王伝 零 ギャン鬼編」の1~2巻には、零とプロプレイヤーによるゴルフ対決が描かれています(型:③、A)。1ホール(パー3)のみの勝負で、零が勝てたら、このプロの練習場建設のために立ち退きさせられようとしている高齢者たちをそのまま置いてやってほしい、という条件で行われる勝負。1ホールのみとはいえ、クラブも握ったことのないド素人の零が、一体どうやってプロに勝つのか? かなり狡い手を使いながらも、幾つもの仕掛けを打ってこの状況を逆転してしまう手数の多さが魅力です。

     スポーツ×ギャンブルの代表的作例は、先にも紹介した甲斐谷忍の「ONE OUTS」(全20巻、完結済。型:①、A)。沖縄で1ピッチのみの賭博野球を行っていた渡久地東亜は駆け引きのプロであり、賭博野球では負けなしだったが、プロである児島との勝負に負けて、リカオンズというチームのピッチャーとしてプロ野球の世界に足を踏み入れることになる。しかし、彼が投げられるのはストレートのみ。にもかかわらず、彼はリカオンズのオーナーと「ワンナウツ契約」という奇妙な取り決めを結ぶ。それは「試合でワンアウトを取るごとに500万円もらい、1失点するごとに5000万を支払う」というものだった。この無茶苦茶な契約を軸に、彼がいかにプロたちに勝っていくか、というのがストーリーの大枠。

     私自身は野球がすごく好きというわけではなく、ルールも詳しいところまではよく知らないのですが、この「ONE OUTS」はそんな私でもすごく面白く読めた漫画です。というか、たとえば4巻では、リカオンズが16失点してしまった試合で渡久地が「ウルトラC」を使い状況をひっくり返す、という展開なのですが、ここで行われるのは「野球マイナークソルール選手権」みたいな抱腹絶倒の泥仕合で、野球好きでもこんなの見たことないんじゃないの、という超展開が繰り広げられます。

     また、7~10巻においては、「ブルー・マーズ」という球団との連戦が描かれますが、ここでのテーマは「イカサマを使ってくる球団相手に、いかに立ち向かうか?」という「イカサマの解明→その逆用」という②の公式を大胆に使った騙し合い。渡久地はブルー・マーズの球場を「トリックスタジアム」だと喝破し、彼らが仕込んだトリックの数々に迫っていきます。まさに「詐欺師VS詐欺師」の頂上決戦ともいえる大一番。

     この後、ワンナウツ契約そのものの新展開に潜んだ少年漫画的「覚醒」エピソードの連鎖や、「なぜ80キロ~120キロ台のストレートしか投げられない渡久地の球を打てないのか」というそもそもの疑問に対する謎解きが行われ、その対策をする敵チームの姿が描かれる終盤など(漫画「巨人の星」における、星飛雄馬の「消える魔球」の謎を解明しようとする終盤の展開をなぞっているかのようです――あれだって、構造は本格ミステリーだもんなぁ!)、見所満載。野球が分からずとも楽しく読める野球漫画として、大いにオススメです。

     この傾向の作品で、今も続いているのが原作:渡辺ツルヤ、作画:西崎泰正による『神様のバレー』(既刊32巻、連載中)。「バレーの神」を自称する天才アナリスト・阿月は、相手の弱点を見つけ、それを突く「嫌がらせの天才」であるという設定で、彼が「万年1回戦負けのチームを全国優勝させる」という難題に挑む漫画となっています。ギャンブルというと大袈裟かもしれませんが、阿月が仕掛ける人を人とも思わないような(自分のチームに対してすら!)策略の数々は、ここに紹介した作品群に比肩する面白さを備えています。

     こうした「スポーツ×ギャンブル」ものの面白さは、それぞれで展開される策略はもちろん、「相手の心理の隙を突く」というギャンブル物のシンプルな魅力が、体を武器とするスポーツの世界に映えることだと思います。この特集の冒頭で取り上げた『地雷グリコ』においても、こうした「スポーツ×ギャンブル」の要素が一つだけあり、それは主人公である真兎が中学生の頃、「運動会のリレーで陸上部にいかに勝つか」という難題に答えたという作品冒頭のエピソードです。真兎の「勝負強さ」を読者に印象付けるためのいわゆる「つかみ」のエピソードですが、ここで真兎が用意した仕掛けは、まさに陸上部部員たちの「心理の隙」を突いたものといえるでしょう。

    *ポーカーの世界

     ポーカーをモチーフにした作品はこれまでも紹介してきました。青崎有吾「フォールーム・ポーカー」、「嘘喰い」の「エア・ポーカー」編、「銀と金」にもポーカー回、小説編の『悪党どもはお楽しみ』も大半がポーカー……ルールを覚えるのは大変ですが、一度覚えてしまえば楽しめるものです。しかし、実はポーカーもののギャンブルにおいて、イカサマを仕掛けている場合は、そのパターンはあまり多くありません。味方が裏から覗いてカードの内容を伝える「通し」や、カードに印をつける「ガン」など、使える手は限られてきます。だからこそ、そうした定石に縛られない、純粋な頭脳戦である「フォールーム・ポーカー」や「エア・ポーカー」が独自性を持って光り輝くのです。

     しかし、もう一つ、こうした定石に縛られないポーカーものがあります。それは福本伸行(またかよ!)の『賭博覇王伝 零 ギャン鬼編』の2~4巻で展開された「100枚ポーカー」(型;②、B)

     ルールは以下の通り。互いに52枚ワンセットのトランプを持ち、制限時間内に10セットポーカーの手役を作ります。この時、5枚×10セット×2人分のトランプを使うので「100枚ポーカー」というわけ。セットを作ったら伏せて置き、先攻から相手の好きなセットを指定して攻撃、開示したうえで、まず勝敗を判断、手役を構成するトランプのうち最も高い数字を勝者の得点としていく……という取り決めです。これだけならただの総力戦のポーカーですが、この後対戦相手のジュンコが仕掛ける「〇〇〇〇タイム」が効いています。資産の差があるので、主人公の零は絶対に負けられない状態で挑むのですが、ここで展開されるのは、まさに「ロジックの鬼」としか言いようのない鬼詰め(笑)。徹底的な読みによって次々に勝ちを挙げていく零のロジックが痛快です。

     また、この「100枚ポーカー」は、敵が提示した条件によって行われる前半パート(2~3巻)と、零が提示したもう一つのルールを追加して行われる後半パート(4巻)に分かれているのですが、この後半パートの面白さも無類です。ルールを聞いた時、「そのルールを追加した方がゲームとしては面白いんじゃ……」と思ったまさにそのルールを零が提示したので、嬉しくなってしまったのです(ジュンコとしては、「常勝」の仕掛けを作るために、自分の普段のゲームでは入れられないルールでした)。

    *麻雀漫画の世界

     麻雀漫画にはギャンブル物の名作が多く、どれを挙げるか迷ってしまいますが、あくまでも「本格ミステリーファン向け」のものを二作品挙げてみましょう。まずは青山広美による「バード ―砂漠の勝負師―」(全2巻、完結済。型;①、A)。「バード」シリーズはこの後も続いていますが、まずは入門編としてこの作品を取り上げます。ここで描かれるのは「全自動卓天和」という大トリック。天和とは、親が最初に配られた14枚の牌でアガリ形が成立していることをいい、役満の一種ですが、手積み麻雀の時代は「サイコロ振り」と「積み込み」の技術があればイカサマで達成できたものです(阿佐田哲也作品では、二つのサイコロで「2」と「2」を出し、その位置の配牌に必要な牌を積み込んでおく「2の2の天和」がよく描かれますし、それとは全く違う技ではありますが、「天」の主人公である天も当初はこの「天和」専門のサマ師として登場しました)。

     ところが、全て自動で牌を設置する全自動卓では絶対に積み込みやイカサマなど出来ないはず……その不可能を可能にしたのが、この「バード」というわけ。「全自動卓天和」を成し遂げるのは「蛇」と呼ばれた雀士で、対する主人公・バードはこのためにアメリカから連れてこられたマジシャン。果たして彼は、トリックを見破り勝負に勝つことが出来るのか? バードが「全自動卓天和」を目の当たりにした際の「ビューティフル…」という言葉は、美しいトリックを目にした時、思わず呟きたくなるような名台詞です。ちなみに、この「バード」はのちに山根和俊の作画により「バード 最凶雀士VS天才魔術師」としてリメイクされています。リメイクでは一部トリックが異なるのももちろんですが、青山オリジナル版はグロに、山根リメイク版はエロに寄っているという特徴もあり、読み比べるのもユニークな作品です。

     青山広美はもともとミステリーセンスが素晴らしい作者で、この〈バード〉シリーズもさることながら、「九連宝燈殺人事件」といった直球の本格ミステリーもありますし、世代的には「少年チャンピオン」にて連載された「GAMBLE FISH」(原作:青山広美、作画:山根和俊)も重要で、こちらは学園×ギャンブル物の傑作として、「賭ケグルイ」(原作:河本ほむら、作画:尚村透)やあるいは『地雷グリコ』に先立つものです。

     閑話休題。数ある麻雀漫画の中で、次に紹介するのはカミムラ晋作による麻雀漫画「マジャン ~畏村奇聞~」(全11巻、完結済。型:②、B)です。父の故郷を訪れた中学生・山里卓次は、村の掟により行われる「マジャン」という遊戯に巻き込まれる。「マジャン」とはつまり「麻雀」のことなのですが、通常の麻雀にはない特殊ルールが一つ追加される仕掛けになっています。しかし、村の住民は卓次のことを敵対視していますし、カモだと思っているので、当然そんな特殊ルールの内容を教えてはくれません。卓次が行うのは、①どんな特殊ルールが使われているかを推理により特定し、②そのルールを利用するか、あるいは裏を取って反撃する、という難題。プレイヤーの間にルールの知悉度という不均衡が生じているうえ、上位者としてのプレイヤーを打ち負かしていくという要素もあるので、「カイジ」型にかなり近い構造であるといっていいでしょう。

     この特殊ルールそのものが面白く、1~2巻で展開される取り決め「バンサン」や、4巻で行われる取り決め「牌叛」など、麻雀のゲームバランスの一部を弄るユニークなものもありますし、5~6巻の「聴用財神」では古の麻雀ルールを蘇らせるなど、バリエーションは多岐にわたっています。そうしたルールが産み出す意想外の「定石」を読むのも楽しく、勝負師として強くなっていく卓次の成長も見どころです。私のお気に入りは、出て来る数字を確かめるだけで頭が痛くなる7~8巻の取り決め「月無」です。いやあ恐ろしいルール過ぎる。絶対こんなので打っちゃダメですよ。

    〇映像編

     映像の世界でも、ギャンブル物の名作は作られています。しかし、ここまでに紹介した作品群に並べられるような、いわゆる「オリジナルゲームを用いた」「本格ミステリーにも通じる魅力を持った」ギャンブル物となると、かなり数は限られてきます。「コンゲーム」まで含めれば、「スティング」を含め数々の名作映画がありますし、日本でも「コンフィデンスマンJP」が傑作を連発していますが(映画「ロマンス編」「英雄編」は、多重どんでん返しと怒涛の伏線回収を備えた、本格ミステリーマニアも大満足の作品。「ロマンス編」なんかは回想の使い方が上手くて惚れ惚れとしてしまう)、「ギャンブル」それ自体が目的であるような作品は、やはり画が動かない分作りにくいのかもしれません。

     そんな中でも、「カイジ」「嘘喰い」は映画化、「LIAR GAME」はドラマ化・映画化されるなど、やはり需要は確かに存在します。中でも傑作として挙げたいのが、「LIAR GAME The final Stage」(2010年)。映画の一本目ですが、こちらは原作にはないオリジナルゲーム「エデンの園ゲーム」を扱った作品。ドラマ「LIAR GAME」は、細かいアレンジを除けばほとんど原作をなぞっており、第二期のラストで行われる「ゴールドラッシュゲーム」だけはドラマオリジナルですが、基となっているゲームは原作の「密輸ゲーム」であり、アレンジといって差し支えない範囲。完全オリジナルといえるのは、この映画における「エデンの園ゲーム」だけなのです。

     でも、邦画オリジナル展開なんて大丈夫なの――と不安になる方もいるでしょう。しかし、この映画には、ドラマ「謎解きはディナーのあとで」「貴族探偵」「ラストマン―全盲の捜査官―」などを書いた脚本家・黒岩勉が参加しており、彼の手によって徹底的にゲームが作りこまれているのです。原作にそのままあっても、不思議ではない程に。また、そもそもが映像作品に合わせて設計されたのもあってか、映像での演出に最適化するように作られている印象があり、見ていてめちゃくちゃ楽しいゲームに仕上がっているのです。

     ゲームのルール、そのあらましはこんな感じ。このゲームは十一名のプレイヤーで行い、「金リンゴ」「銀リンゴ」「赤リンゴ」の三つを使います。プレイヤーは投票室に入って、一つリンゴを選び、投票します。基本的には「多数決」で、結果は以下に整理するパターンのみです。

    ・「赤」が11名全員揃えば、全員が+1億円。
    ・「金」「銀」のみ投票されている場合、「多数派」が+1億円、「少数派」が-1億円。
    ・「金」「銀」のみ投票かつ片方の投票者が「1名」の場合、1名はボーナスで+2億円、残りは-1億円。
    ・「赤」と「金」または「銀」が投票されており、「赤」の票数が1でない場合、「金」「銀」の投票者は全員+1億円、「赤」の投票者は-1億円。
    ・「赤」と「金」または「銀」が投票されており、「赤」の票数が1の場合、「金」「銀」の投票者は+1億円、「赤」投票者は氏名公表の上、-10億円。

     少し長くなりましたが、全員が利得を得る条件が揃いながらも(赤11のケース)、「赤」投票には高い確率でマイナスのリスクがあり(最悪の場合-10億円)、「金」「銀」のみで勝つには多数派になり続ける必要がある――と、「ただリンゴを投票するだけ」のシンプルなルールでありながら、様々なパターンや展開が考えられるゲームになっています。他にもいろいろな細かい取り決めがあるのですが、後に回収する伏線は全て提示されるフェアプレイも見事ながら(投票時間を示す時計盤などなど、後の展開の手掛かりとなるものは全てカメラの画角にさりげなく収められているのが高ポイント)、さらに特筆すべきは「開票結果を提示するごとにどんでん返しがある」というキマった構成。ゲームは全部で13回戦に分かれるわけですが、第1回戦の「ああ、はいはい、カンザキが『みんなを信じましょう!』って言ういつものやつね」からの予定調和的どんでん返しから、全く予想もつかないところから飛んでくる裏切りまで、グラデーションをつけたどんでん返しが次々に連鎖するのです。この、贅沢な構成。しかも、本格ミステリー好きは驚くなかれ。中盤以降、このゲームにはアキヤマの敵となりうるような驚異のプレイヤー「X」が存在することが推理によって判明し――この「X」を、アキヤマが消去法推理によって導き出すのだ! まさにこの設定でしか出来ない堂々たる本格ミステリー。かなり駆け足の展開ながら、犯人を指摘出来る手がかりは十分に提示されているのです。「X」の正体が明らかになってからの、アキヤマ対Xの構図もしっかりまとめ上げていて、これぞ本物の傑作というべき出来栄え。

     ところで、この映画「The final Stage」とうたわれていますが、この時点では原作「LIAR GAME」は完結していません。そこで何をするかというと、映画の結末に至って、「ライアーゲームとはなんだったのか」を語る短いシーンが描かれ、ゲームの終幕が描かれているのです。この真相は、もちろん原作とは違うもの。胴元として金を集める、という目的を廃したうえで、「なぜこんな大掛かりなゲームを仕掛けるのか」という大疑問に挑んだ作品は、やはりスッキリと説明してくれるものは少ないですが(ゲーム「ダンガンロンパ」シリーズも同じ構造があり、そもそもデスゲームものが抱えている弱点であるともいえます)、原作における「ライアーゲーム」の真相は、終盤のヨコヤのハッタリにも効いてくるユニークなもので面白いと思います。なお、映画は「final」を謳いつつも、原作の「イス取りゲーム」を映像化した「再生 -REBORN」でちゃっかり復活。お約束ですね。

     映像編はほとんど「LIAR GAME」の紹介にあててしまいましたが、簡単にもう一作だけ。映画化作品、という枠組みでは「賭ケグルイ」の映画第一弾も見逃せないところです。ドラマに続くオリジナル・ストーリーとして構想された本作は、同作の世界観を生かしながら、「心理の足跡」による鮮やかな謎解きをみせた一作です。

    〇最後に ~ギャンブル物のヒューマニズム~

     以上のように、ギャンブルを扱った頭脳戦を描く作品は、本格ミステリーにも通じる知的快感を与えてくれるものです。だからこそ、ミステリーを中心に取り上げるこの読書日記において、こんなにもとんでもない文字数を使って紹介したわけですが……。

     ここまで書いてきた流れで言えば、ギャンブルミステリーの世界にも変遷があり、それは①単純型から③立会人型への先鋭化、A:現実にあるゲームからCオリジナルのゲームへの「奇妙な一般化」、と大雑把に言うことが出来るのかもしれません。しかし、それは一作ごとにそれぞれの作者が試行錯誤(「勝ちの回収」を「暴力」や「罠」の形で描く、あるいは、現実のゲームを基にオリジナルの物を作るなど)を加えてきたもので一概には言い尽くせない奥深さがあります。今はただ、一つでも多くの新たな傑作を読めることを願うばかりです。

    (2023年11月)



第69回2023.11.24
これがほんとの「読書日記」 ~10月に読んだ本を時系列順にざっくり紹介~

  • 古本屋探偵登場 古本屋探偵の事件簿、書影


    『古本屋探偵登場 
    古本屋探偵の事件簿』
    (創元推理文庫)

  • 〇評論本の話題から

     メフィスト・リーダーズ・クラブ(MRC)発信の書籍『ミステリースクール』(講談社)が昨月に刊行されました。十三名の書評家・評論家が参加したMRCのLINE企画の書籍化です。MRCのLINEを友達登録(+企画や対象書評家のお気に入り登録など)をしていると、毎週書評が配信されてくるという、ある意味贅沢な企画だったんですよね。十三名がそれぞれ違ったフィールドの作品を紹介していくというスタイルも面白く、執筆陣とその担当領域を列挙していくと、末國善己(古典)、佳多山大地(本格)、千街晶之(新本格)、円堂都司昭(社会派)、村上貴史(翻訳)、杉江松恋(特殊設定)、栗俣力也(現代/ライトノベル)、吉野仁(冒険)、瀧井朝世(一般文芸)、若林踏(警察小説)、吉田伸子(恋愛)、大森望(SF)、政宗九(短編)となっています。

     このように、ミステリーという共通項はあっても、ミステリーの中の様々なサブジャンルについて基本書・傑作を教えてくれる内容ですし、瀧井朝世の「一般文芸」、大森望の「SF」のように、「本来は別ジャンルの作品だけれど、ミステリー好きが読んでも楽しめる」という視点も提示してくれるのです。ちなみに、私の作品でいうと、短編「二〇二一年度入試問題という題の推理小説」(『入れ子細工の夜』)を、政宗九「短編」の項で取り上げてもらっています(他にも見逃していたら、ごめんなさい)。

     また、MRCのLINE企画では、アンケート機能も利用しています。読者の方にアンケート形式の質問を投げかけ(例えば「月に何冊くらい本を読みますか?」という質問があったら、「A 1~3冊、B 4~6冊……」のように選択肢があるというイメージ)、そのアンケート結果を見て楽しむ、という感じです。「本格」編を担当した佳多山大地は、アンケート機能を使い「次以降に作品紹介を希望する『形式』(クローズド・サークルや顔のない死体など)」を聞き取って選書をしています。そうした、読者とのコミュニケーションの様子を探るのも面白い本です。

     十三人の書評家が、それぞれ十五回の書評を担当したという関係上、500ページを超える大ボリュームの評論本となっていますが、独自の試みという点でも読み応えのある一冊になっていると思います。ちなみに、私は取り上げられた本のうち、36冊(全体は195冊)、未読のものがあったので、気になったものから読んでいこうと思います。

     これはいよいよ余談ですが、MRCでは、この「ミステリースクール」という企画の次に、作家五名が書評を配信する「ミステリーツアー」という企画が立ち上がっていて、参加メンバーは青崎有吾、伊吹亜門、似鳥鶏、真下みこと、私の五名となっています。私が今週配信したのが第13回なので、こちらも終盤ですが、選書にクセがあったり、作家の生活が時折滲んだりするので、読んでいて面白いです。伊吹亜門が小倉に行く用事があった際に、松本清張ゆかりの地だからと読んだ松本清張『球形の季節』(文春文庫)を紹介する回、良かったなぁ。

    〇10月の日記風本紹介

     さて、今回ですが、読書や執筆以外の用事で忙しかったり、季節の変わり目も相まってちょっと低空飛行の体調だったりしたので、いつものように一冊・一作家をじっくり取り上げるというのではなく、日記のように、10月に読んで印象に残った本をつらつらと綴っていこうと思います。これがほんとの「読書日記」ということで、どうか一つ。

     10月の頭は書店訪問で広島、大阪に行き(本当は京都と名古屋にも行く予定だったのですが、途中で体調が悪くなり、断念)、移動時間中にせっせと本を読んでいました。読めたのは①鮎川哲也『黒い白鳥』(創元推理文庫、再読)、②柚月裕子『孤狼の血』(角川文庫、初読)、③松本清張『内海の輪 新装版』(角川文庫、初読)、④西村京太郎『広島電鉄殺人事件』(新潮文庫、初読)、⑤高田崇文『QED 神器封殺』(講談社文庫、初読)、⑥東野圭吾『しのぶセンセにサヨナラ 新装版』(講談社文庫、再読)というラインナップ。①・⑤は日本全国を行き来する話なので、行脚旅行にうってつけとチョイス。②は広島の呉市に行く用事があるので、「呉原市」を舞台にしたこの作品を読むなら今しかないとセレクト。呉→広島間はJR呉線で30~40分ほどあったのですが、広島駅への帰り道に読む本がなくなったので、啓文社ゆめタウン呉店で現地調達したのが③・④。呉線からは瀬戸内海が臨めるので、ちょうど良いと思ったのが③で、書店訪問の時に使った広島電鉄が出て来るからと買ってみたのが④。⑥も現地調達で、こちらは紀伊国屋書店グランフロント大阪店で購入。大阪の雰囲気を味わえる本を選びたかったので。

     中でも感動したのは、鮎川哲也『黒い白鳥』の再読。高校生の頃、まだまだ鮎川哲也の楽しみ方が分からず、『黒いトランク』についていけなくてイマイチな気分で読み終えてしまった……という時、「鮎川哲也をいかに楽しむか」を指南してくれたのが、この創元推理文庫版『黒い白鳥』の有栖川有栖解説でした。鮎川哲也に関する「伝説的なエピソード」他、作品のポイントを14ページにもわたって詳らかにする、「静かな熱量」ともいうべき内容が面白かったからです(創元推理文庫版『死のある風景』の麻耶雄嵩解説も双璧で、こちらはロジックのポイントの美しさを簡明に語っていたので、「そうか、鮎川哲也ってそういう風に楽しめばいいのか」と分かったのでした)。

     有栖川解説を読んだおかげで、その後読んだ鮎川哲也作品はどれも面白く、再読した『黒いトランク』も見違えるほど面白く感じた……という次第。とはいえ、『黒い白鳥』そのものの再読は機会を逃し続けていたので、えいやっと、今回旅行に持って行ったのです。そうしたら、面白いのなんの。橋の上から落ちた死体が、電車の屋根の上に乗って移動し、やがて発見される、という発端からして面白いですし、容疑者が次第に炙り出されていく過程も読み応えがあります。アリバイトリックも二段構え、三段構えになっていて、後半は全編が解決編であるかのような、静かな興奮に満ち溢れています。

     最後のアリバイを突き崩す二つの鍵のうち、先に明かされる一つの方は、作中でも何度も強調されることもあり(章題にも「声優は何を知ったか」とうたわれているほど)、再読時にもはっきり覚えていて、伏線を確認することが出来たのですが、恥ずかしながら二つ目の方は忘れていました。そして、その手掛かりのあまりの鮮やかさに改めて感動してしまったのです。序盤からはっきりと手袋を投げている、その潔さと堂々とした態度にも感服してしまいます。何より新幹線の中で読むというのが良い。

     電車移動だから、という理由で楽しめたのは西村京太郎『広島電鉄殺人事件』(新潮文庫)も同じ。こちらは2018年が初刊なので、かなり新しめの作品ですが、実際に広島電鉄に乗った直後だと、各駅や線路の特徴、路面電車ならではの「あるある」などが巧みに作中に織り込まれていて、妙に楽しい。『広島電鉄殺人事件』で描かれる最初の謎は、運転士の行動を巡る謎で、「毎時40キロメートルの速度制限がある広島電鉄を、20キロオーバーの60キロで走らせてしまい、処分を受けた運転士がいて、彼はなぜそんなことをしたのか」というもの。この謎に対する解答は、中盤で十津川警部が出て来るとすぐ明かされてしまうわけですが、実際に自分が目で見てきた体験を基に解かれたので感動してしまいました。知り合いに一人、「旅行に行く時は、その時乗る路線の西村作品を探して持っていく」というやつがいたのですが、彼がそうしていた理由がよく分かります。こりゃあ楽しいわけだ。

    〇ここまでは元気! だったのですが……

     しかし、X(旧Twitter)をご覧いただいていた方はお分かりの通り、かなりぎゅうぎゅうのスケジュールで動いていたため、旅行三日目で急に体調が悪くなってしまい、その先のスケジュールを断念したという残念な状況に。まいったなぁと思いながら、執筆も一旦止めて、家で静養。昔読んだことのある本の再読しか出来ないぐらいの体調だったので、泡坂妻夫『奇術探偵 曽我佳城全集』(創元推理文庫・上下巻)を引っ張り出してきました。こちらは高校生以来の再読。創元推理文庫版は、発表年代順に収録されているので、一編一編味わうにはこちらの方が嬉しい(講談社で刊行された単行本も発表年代順だったんですが、講談社文庫で分冊文庫にされた時、配列が変わってしまったんですよね)。発表年代順に読むと、あの短編に出てきたキャラがここに出てきて、この店のエピソードはここに繋がっていて、という各編の繋がりがくっきりと見えてくるので良いですね。

     創元推理文庫版の米澤穂信解説にも既に指摘されているのですが、こうして再読すると、ミステリーのあらゆるパターンが総覧のように並んでいることに感じ入ります。上下巻全22編で、不可能犯罪もあれば、アリバイ崩し、顔のない死体、暗号もの、異常心理……「今後何か一冊だけしか本を読めないとしたら?」という質問を投げ掛けられたら、『奇術探偵 曽我佳城全集』がいいと言ってしまいそうです(上下巻はいいのか、と問われたら、講談社の単行本なら一冊だ、と言い返します)。それくらい、ここにはミステリーの愉しさのすべてが詰まっていると言えるのです。

     22編の短編を、体調が悪かったというのもあって、10日間かけてじっくりと読んでいったのですが、再読して特に感動したのは「ビルチューブ」という短編。冒頭のシーンから最後まで、あるアイテムの動きがずっと書き込まれていたことに、再読すると気付きますし、犯人の不自然な行動もめちゃくちゃあからさまに書いてある。あからさまに書いてあるのですが、その後の佳城のセリフでカバーされているので、初読時は全く気付かないんですよね。40ページくらいの中に、伏線と手掛かりが隙間なく埋まっていて……こういう美しさを味わうのが再読の愉しみなのです。あとは、初読時は著者の別シリーズである〈亜愛一郎〉シリーズを思わせるような、犯人の「奇妙な論理」だけが目についていた「白いハンカチーフ」という作品も、あえて戯曲形式を選択したことによる会話劇の妙を楽しめた気がします。また、回文趣味が現れた『喜劇悲喜劇』のような、言葉遊び、語呂合わせの愉しさに満ちた「とらんぷの歌」の面白さも、ゆっくり再読する方が味わえたかも。

     泡坂妻夫を読んで心の元気を取り戻すと、無性に出かけたくなってきましたが、まだまだ体の元気は戻ってきていないので、「出かけたい欲」を誤魔化すために旅がテーマの本を探しました。ユン・ゴウン『夜間旅行者』(ハヤカワ・ポケット・ミステリ)は、旅行は旅行でも、戦争や災害の跡を巡る「ダークツーリズム」を題材にした作品。それだけでもかなり珍しい作品ですが、この作品が恐ろしいのは中盤以降。主人公のヨナという女性が、半ば左遷の前段階みたいな状況で「休暇を取ってこい」と、あるツアーに参加することになり、そこで事件に巻き込まれ……ダークツーリズムをターゲットにした、ある恐ろしい計画に参加することになってしまうのです。これが明らかになる瞬間の、ゾワゾワという気持ち悪さといったら。去年でいうとエルヴェ・ル・テリエ『異常アノマリー』(ハヤカワ書房)みたいな、薄気味の悪い小説です。体調の悪い時に読む本じゃなかったかもしれませんが、まあ妙ちきりんな本は好物なので、これはこれで良し。

    〇古本屋に行きたくなった! 紀田順一郎作品の話

     今度は段々と古本屋を巡って品切本を集めたくなってきたので(探したい資料もいっぱいあるし……)、その欲を抑えるために、紀田順一郎作品に手を伸ばします。9・10月と連続で、紀田順一郎の作品が復刊・文庫化されたのです。①『古本屋探偵登場 古本屋探偵の事件簿』、②『夜の蔵書家 古本屋探偵の事件簿』、③『神保町の怪人』(いずれも創元推理文庫)がそれ。①・②は元々『古本屋探偵の事件簿』として一冊組だったのを、三つの中編を収めた①と長編サイズの『夜の蔵書家』を収めた②に分冊したもので、もとがかなり分厚かったので手に取りやすくなりました。③は2000年の刊行以来、初の文庫化となります。

     私自身は、紀田順一郎の評論は読んだことがあったのですが、『古本屋探偵の事件簿』の分厚さに尻込みしてなかなか読みだせずにいました。なので、このように分冊で復刊されて嬉しい限り。そして読み始めてみれば、古本屋や古本蒐集家たちのディティールが面白すぎて、一気に作品世界に引き込まれてしまいました。①の中編「書鬼」に出て来る、ステッキを持ち歩いている高齢者が、ステッキに引いた線の高さまで本を買わないと満足せず、時には女性誌まで買ってノルマをクリアしているという描写には鬼気迫るものを感じつつ、自分自身「リュックがいっぱいにならないと満足出来ない」と大学時代には思っていたなあと苦笑。②の『夜の蔵書家』では、京急デパートで行われる古本市を目掛けて、おじさんたちがデパートの開店と同時に疾走するという場面が描かれていて、抱腹絶倒すると同時に、自分にも思い出すフシがあってアイタタタ、と。

     池袋の西武で行われている古本市は、開場前の時間は、一階の非常階段のあたりから外に順番に並ばせて、開場が近くなったら店内に客を入れ、二階の会場の近くでまた列を形成して開場時間を待つ……という手順なのですが、あの時、二階の無印良品を眺めながら開場を待つ、なんともいえない時間のことを思い出してしまいました。意識してしまうと、なんだか恥ずかしいんですよね。それでいうと、作中に出て来る「古本を買いに行って、掘り出し物を手に入れる夢を見る」というのもめちゃくちゃ「あるある」で、あれは下手な悪夢よりも「なぜ私はあんな夢を……」という羞恥と無念に襲われる分、いやな夢です。

     閑話休題。というわけで、ここに紹介した紀田順一郎の作品群は、登場人物やエピソードのディティールが妙に心に残る良い小説で、じっくりと味わうのにうってつけと言えるのです。「読書の秋」にあえて復刊・文庫化したのはこれが狙いなのかも。①の巻末には、紀田順一郎と瀬戸川猛資による対談が掲載されていて、こうしたディティールを楽しそうに拾っていく瀬戸川の姿にもほっこりします。この対談が行われたのが山の上ホテルというのも良い。神保町を見下ろしながら話したんだろうなぁ、とニコニコしてしまいます(山の上ホテルは2024年2月から全館休館に入ってしまうようです。時代の流れを感じさせます)。

     こんな話をしていると、なかなかミステリー部分に触れられませんが、ミステリーとしてももちろん面白い作品群です。①の「書鬼」で、三つのバラバラに見えるエピソードが繋がり、意外な犯罪が現れ、カタストロフが訪れるところは何かミステリーのお手本を見ているかのようですし、オークションの世界を描いた「無用の人」も面白い。②の『夜の蔵書家』はハードボイルド・ミステリーで、禁書、いわゆるわいせつ文書を戦後期に出版していた人物を探し求める追跡行が読ませますし、主人公の視点をある地点でサッと切り上げて、あとはある人物の独白によって全てを描いてしまう潔さも良い。結末の余韻が素晴らしい。③は①・②で味わったエピソードの面白さを違った形で味わえるのも良いですが、三編目の「電網恢々事件」がインターネットによる電子検索・文献整理を扱っていて、その目の付け所がユニークなのでお気に入りの作品です。

     どうしても世代的に、「ビブリオ・ミステリー」というと、三上延『ビブリア古書堂の事件手帖』のシリーズを連想してしまい、舞台である鎌倉と、主人公である栞子さんの清浄なイメージをもって受け止めてしまうのですが……ここにあったのは、それとはまったく逆の、どちらかというとゴミゴミとした、しかし古本市の喧噪などを知っているとひどくリアルな世界。紀田順一郎の作品は、誤解を恐れずにいえば「本バカ・ミステリー」といった感じです。つまり、めちゃくちゃ好きでした(このくだりを読むとビブリアは嫌いなのかと思われそうですが、一巻丸ごと江戸川乱歩が題材だった『ビブリア古書堂の事件手帖4 〜栞子さんと二つの顔〜』〈メディアワークス文庫〉は今でも印象に残っていますし、最近では『百鬼園事件帖』〈KADOKAWA〉が内田百間を題材にした怪奇連作で面白いです。今は通常、百「閒」と表記していますが、内田が芥川龍之介や夏目漱石と出会う頃のエピソードなので、当初の百「間」を使うという心遣いも嬉しい)。

    『神保町の怪人』の帯にも引用されていますが、紀田作品には「本集めの極意はね、殺意です」という箴言が何回か出てきます。単なる熱意を越えた、鬼気迫るものが描かれているのです。古本屋に行きたい欲を鎮めるために読み始めたはずなのに、この言葉を読んだら、またあの「殺意」が飛び交う空間に行きたいような気分にさせられて、神保町が古本まつりをやっているうちに、一度は行こうと心に決めました。ここまで思えれば、もう元気、といっていいでしょう。

    (2023年11月)



第68回2023.11.10
書きたい人にも、読みたい人にも ~都筑流小説メソッド、再受講~

  • 都筑道夫の小説指南、書影


    都筑道夫
    『都筑道夫の小説指南』
    (中央公論新社)

  • 〇『レーエンデ国物語』の新刊が出た!

     さて、多崎礼の最新刊『レーエンデ国物語 喝采か沈黙か』(講談社)が刊行されました。『レーエンデ国物語』『レーエンデ国物語 月と太陽』(いずれも講談社)に続くシリーズ第三弾の刊行です。この読書日記では第59回に多崎礼特集を行い、『レーエンデ国物語』を取り上げ、第64回に『レーエンデ国物語 月と太陽』を取り上げています。このシリーズは、新刊が出るたびに感想を書くという約束でした。

     シリーズ第二弾『レーエンデ国物語 月と太陽』(以下、『月と太陽』と表記)は、本作のテーマである「革命」の物語がいよいよ本格化し、勇壮でありながら残酷でもある、ずっしりと心に重くのしかかってくるような作品でした。絶望の中にも力強さがある結末には、今思い出しても強烈な苦みが込み上げます。その絶望と共に、読者は「テッサ」の名前を脳裏に刻むことになったでしょう。

     そして第三弾『レーエンデ国物語 喝采か沈黙か』(以下、『喝采か沈黙か』と表記)では、それからさらに時代の下ったレーエンデが描かれます。自由が死んだ暗黒の時代に生きた一組の双子の物語、というだけでわくわくしてしまいますが、ここで演劇文化を主題として、これまでの二作とはガラッと変わったテーマを選択していることに驚かされました。

     双子の兄、リーアン・ランベールは劇作家であり、弟アーロウは俳優。彼らは、歴史から隠蔽された「テッサ」の物語を戯曲にするために、知らなかった歴史を知るための旅に出ることになる――というのが大体の筋ですが、「テッサ」とは『月と太陽』を既読の方はお分かりの通り、第二巻の主人公といえる存在でした。そう、第三巻では、テッサの歴史は葬られてしまっているのです。『月と太陽』で読者が600ページ以上もの間、テッサと共に過ごしたこと、そしてそれゆえに絶望した事実そのものが、第三巻では重く、重く響いてくる。これがもう大変に巧い。物語を隠蔽する国の理不尽への怒り、「語られ直す」テッサの物語への感動に、読者の心は否応なしに揺さぶられることでしょう。『喝采か沈黙か』は、『月と太陽』を読むことなしには、その最大の力を発揮しない、と言っても過言ではないでしょう(なので、必ず順番通り『月と太陽』→『喝采か沈黙か』と読むんですよ!)。

     そして、劇作家であるリーアンを主人公の一人としていることから明らかなように、ここには、なぜ書くのか、何を書くのか、という葛藤が描かれていきます。中盤のシーンですが、中でも心揺さぶられた一節を引用してみましょう。

    “「お前は書かなきゃならない。俺達を信じて秘密を打ち明けてくれた人達のために、弾圧に負けることなくテッサのことを語り継いできた人達のために、パン屋のマウロやレイルのリカルド、春陽亭のペネロペのように、絶望の暗闇の中、それでも夜は明けると信じて戦い続けている人達のために、お前はテッサの戯曲を書かなきゃならない。世界中の人間の心を揺さぶる戯曲を書いて、この世界の在り方を変える。それがお前の使命なんだ」”(『喝采か沈黙か』、p.230)

     この力強いセリフと、直後に続く、「この世界において、テッサの物語を紡ぐことにどんな困難があるか」を一言で表したゾッとするようなセリフに、『喝采か沈黙か』の面白さの全てが凝縮されているといっていいと思います。視点人物が弟のアーロウである理由は、後半のドラマに至っていよいよ際立ってきますし、幕間にそれぞれ挿入されている、戯曲を演じる人々の「第一幕」「第二幕」……の場面の意味も、結末に至って心に沁みてきます。構成まで含めて、完璧といっていい物語です。第一巻『レーエンデ国物語』で読者が気になったこともさりげなく説明されていますし、多崎礼の中には、一体どれだけの物語の沃野があるというのか。

    『レーエンデ国物語』は、2024年に第四巻『レーエンデ国物語 夜明け前』、第五巻『レーエンデ国物語 海へ』が刊行される予定のようです。こちらも引き続き楽しみですし、また新刊が出るたびに、こうして読書日記の冒頭で紹介させていただければと思います。あ、そういえば、多崎礼のデビュー作である『煌夜祭』(中央公論新社)が、11月10日(この日記の更新日ですね!)に決定版として単行本で刊行されますよ。おまけ短編も収録した決定版、ぜひゲットしましょう。私も買います。この作品集はミステリー好きにも大いにオススメです。詳しくは第59回の多崎礼全作レビューを見てください。

    〇3年ぶりの鮎川哲也賞正賞受賞作

     ミステリー好きとしては、第33回鮎川哲也賞を受賞した岡本好貴『帆船軍艦の殺人』は取り上げないわけにはいきません。3年ぶりの正賞受賞作というだけで嬉しくなりますし、しかも、その内容が18世紀を舞台にした海洋冒険小説×本格ミステリーだったのですから。

     主人公の一人である靴職人のネビルは、家族と平穏な生活を過ごしていたある日、強制徴募されて戦列艦ハルバード号に乗り込むことに。乗り込むことに、と書きましたが、その実態はもはや誘拐のようなもので、有無を言わせぬ強制的なもの、しかも脱走すれば家族まで追いかけるぞなんて脅されるものだから、たまりません。おまけに当時の航海は決して楽なものではありませんから、地獄のような生活を味わわされる羽目になります。

     この絶望的かつ危機的な状況を描き、主人公が少しずつ船の生活を知っていくパートが100ページ近くもあるわけですが、ここが既にとても面白いのです。キャラクターが生き生きとしていて、ディティールもくっきり際立っている。まだ殺人事件が起こっていないのに、こんなにも面白い。遂に事件が発生した時は、もっと面白いわけです。事件が起こるまでのテンポと、それが事件にもしっかり関わってくるあたりの緻密さは、同じく海洋冒険小説×本格ミステリーだったスチュアート・タートン『名探偵と海の悪魔』の堂々たる書きぶりを思い出します。

     三つの事件が絡み合う構成となっていますが、三つ目の事件もさることながら(トリックの強度はもちろん、原理がシンプルなのが美しいですよね)、個人的に好感を持ったのは、第一の事件のネタでした。ヴィジュアル的にも、構図的にも面白いネタですし、中盤で解き明かしておくことで事件の構図の見え方が変わってくるのも快い。フランス海軍との戦争もただの背景で終わらず、冒険小説の文脈で書き込まれて、ミステリー的にも生きるので嬉しい。

     単行本が刊行される前にプルーフで読んだのですが、そこには作者の好きな作家として〈フロスト警部〉シリーズのR・D・ウィングフィールドと、〈リンカーン・ライム〉シリーズのジェフリー・ディーヴァーの名前が上がり、参考文献にはジュリアン・ストックウィン『海の覇者トマス・キッド(一) 風雲の出帆』、セシル・スコット・フォレスター『海の男ホーンブロワーシリーズ(一) 海軍士官候補生』が上がるなど、読書傾向を見るのも面白く、なんだか嬉しい気分。いろんな形の本格ミステリーを読ませてほしい書き手が登場です。

     ちなみに、10月20日に共同通信社さんの主催で、青崎有吾さんと新刊『午後のチャイムが鳴るまでは』についてのトークイベントを行ったのですが、その時に出た「今年読んだミステリーのベストは?」という質問で、私と青崎さんが二人とも『帆船軍艦の殺人』を挙げ、かぶってしまいました。イベントでも、上に書いたような作品の話で大いに盛り上がりました。

    〇評論としてもエッセイとしても、面白すぎる小説指南!

     去る10月、都筑道夫『都筑道夫の小説指南 増補完全版』(中央公論新社)が刊行されました。同書は、1982年に講談社から刊行された『都筑道夫の小説指南』に、初書籍化のエッセイや対談など500枚以上を増補したもの。1990年に『都筑道夫のミステリイ指南』として文庫化されたものは、Kindleなど電子書籍で買うことが出来ますが、増補された部分の面白さが素晴らしいので、ぜひともこの「増補完全版」を手に入れてほしいところ。講談社文庫では「ミステリイ指南」とうたわれていますが、怪奇小説やSFなど、その話題が多岐にわたるのがこのテキスト群の特徴なので(冒頭に収録された「エンタテインメント小説の書き方を伝授しよう」は「SFイズム」に掲載されたものだったり、高橋克彦との対談は「SFアドベンチャー」が元の掲載紙だったりします。都筑の幅広い作風を考えれば当然のことではあるのですが、)、「小説指南」とタイトルが戻ったのも嬉しいですね。

     私は小説指南本などで、このやり方だけが絶対に正しい、自分のやり方だけが正義だ、という主張が強かったり、主張が強いわりに技術面の話が少ないものを読むと鼻白んでしまうタイプなのですが、本書では、冒頭に置かれた「エンタテインメント小説の書き方を伝授しよう」の第三講ではやくもこんなことを言っています。

    “僕はこの講座について、「そういった技術レベルのことは枝葉末節で、どうでもよいと思う。小説を書く上で大切なのは、技術テクニックより内容なのではないか」という意味の投書があったそうなので、今回はまずそれにお答えしましょう。
     確かにおっしゃる通り、小説というのは内容がおもしろければそれでいいんですけど、おもしろいストーリイを創る才能というのは、九〇パーセントまでが生まれつきであって、人が人に教えられるものではないんですね。
    (中略)
     極端なことを言えば、へたな絵をうまく見せかける技術とでもいうのかな、絵の方では下塗りの方法とか、日本画では絵の具をどうやって重ねていくかといった、細かい技術の問題がたくさんあるでしょう。小説にもそれがあって、そういうことしか教えられないから、僕は枝葉末節のことしか言わないわけね。
    (中略)
     中身だけでなく、外側も大切なわけです。それでその外側のところは、何とか経験者が未経験者に教えられる部分なんですね。だからそれだけのことしか言わない。言わないんじゃなくて、言えないのね。もしそれを言えるという人がいたら、それはインチキですよ。“(『都筑道夫の小説指南 増補完全版』p.21~23)

     序盤で既に、投書に対してこのハシゴの外しっぷりである。あまりの「らしさ」に苦笑してしまうのですが、この言葉を実践するように、本書には小説を書く際の技術的な側面にかなり多くの言及が割かれている印象です。「エンタテインメント小説の書き方を伝授しよう」第5講では「売れるショート・ショートを書くには」と題して、「添削式SF小説作法教室」への応募者の原稿を講評する都筑の姿を見ることが出来ますし、「都筑道夫の小説指南」パートの第3講「怪奇小説を書く」では、都筑が講師を務める「池袋コミュニティ・カレッジ」で出席者の書いた「首」という短編の二つのバージョンを読むことが出来ます。二段組なので、上段に第一稿、下段に都筑や他の受講者たちの意見を容れて修正を施した決定稿が掲載されているという体裁です。この二つを読み比べる作業だけでも面白いですし、「なぜこのように直してもらったか?」を技術的に淡々と、しかし明晰に語っていく都筑の語り口には、何か感動を呼び起こすものがあります。他にも、「わが小説術」の第14回「会話らしく」で、会話文の書き方と情報整理の仕方を、例を示しながら解説するところも参考になるでしょう。

     こうした実践的な話の中でも白眉は、「都筑道夫の小説指南」パートの第2講「怪奇小説を読む」でしょう。ここでは、都筑自身の作品について、3つの違ったバージョンを提示し、なぜこのように直していったかが語られていきます。題材となっているのは「風見鶏」という短編ですが、この作品はショート・ショート「夜の声」(読切連載「異論派ガルタ」の一編)→SF短編「電話の中の宇宙人」(福島正実・編『SFエロチックミステリ』収録)→怪奇短編「風見鶏」(『十七人目の死神』〈角川文庫〉などに収録)といった経緯を辿っており、そのたびに描写やアプローチが変わっています。しかし、根本のストーリーラインは変わっておらず、結末の薄ら寒い心理とか、展開の面白さといったところは、同じなのです。つまり、なぜ都筑がこのように直していったのかを考えていくことが、都筑のいう「細かい技術の問題」のニュアンスを正確に捉えることに繋がるというわけですね。

     この三編を読み返し、都筑自身の考えを読み込んでいく作業は実に刺激的。「風見鶏」の冒頭の描写の意味合いなどはなるほどと思わされますし、よりミステリーに近接した「風見鶏」の方が、女性がなぜ逃げられないか、いまどういう状況に置かれているかを慎重に検討しているので、緊張感をもって読むことが出来ました。「電話の中の宇宙人」の方も、相手の女が宇宙人だと言い始めるのが、ナンセンスで面白いんだけれども……。

     実はこの「風見鶏」の部分については、元版の『都筑道夫の小説指南』にもあるので、私は高校生の時に読んだことがあるんですね。そしてその時は、こう直すのか、こう考えて動くんだ、というのに刺激を受けはしたのですが、どうも根本のところで腑に落ちていなかった部分がありました。でも、曲がりなりにも6年間、作家としてなんとかやってきて、編集者に送る前に自分で直したり、編集者のアドバイスを容れてより良い直し方を考えたりするうちに、「風見鶏」のことが腑に落ちていったような気がします。話の骨格やアイディア、謎を生かしながら、手を入れられるところはいっぱいあるし、自分の作品なら、入れたくなるよな、というか。もちろん『小説指南』は面白い本なんですが、本当のところは、自分で手を動かしてみて分かってきた気がします。だから今の状態で立ち返ってみると、まだまだ全然自分が意識していないことがはっきり分かったりして、頭の痛くなるようなところがありました。また時間を置いて読み返してみたいですね。

     ちなみに「風見鶏」が収録されている『十七人目の死神』については、怪奇小説集なのですが、巻末近くに収録された高橋克彦との対談「ほんとうに怖い話が好きだ!」において、「あれには、怪奇小説のあらゆるパターンが入っている」(『都筑道夫の小説指南 増補完全版』、p.350)といって、各編の良いところを楽しそうに、しかもリスペクトに溢れた姿勢で語っていくので、めちゃくちゃ読みたくなりました。やっぱり時を経ても、こういう熱意に溢れたリスペクトって響きますねえ。

     そんなわけで、現在新刊で手に入らない『十七人目の死神』を、神保町古本まつりで探して読んでみました。一番ゾッときたのは「はだか川心中」という短編。温泉宿に泊まりに来たカップルが宿泊を断られるのですが、その宿から出てきた宿泊客に話を聞くと、部屋は空いているという。一体、どうして泊めてもらえないのか。二軒目、三軒目と巡ったところで、三軒目の宿の主人が、アッと驚くような解答を述べるわけです。現実的な解釈はもちろん出来るのですが、その一言がポンと出てきた時の気味の悪さは凄まじいですし、結末の味も良い。選集などにはたびたび採られている作品なので、どこかで読んだことはあるかもしれませんが、高橋対談を読んだ後だからこれほど印象が強いのかも。

     他には、手紙と録音テープのみで構成された「妖夢談」、章ごとに少しずつ物語の見え方が変わって、最後に薄気味悪さの残る「ハルピュイア」などがお気に入り。この短編集では、「寸断されたあとがき」が各編のあとに挿入されており(私たちは法月綸太郎『赤い部屋異聞』霧舎巧『新本格もどき』でこの手法に慣れている)、そこで、作品の舞台裏やねらいを自ら解説してくれるのも楽しい一冊でした。

     と、少し脱線してしまいましたが。『都筑道夫の小説指南』は最初に紹介したように、小説を実践的に書くための資料として使うのも良しですが、ざっくばらんな語り口の都筑エッセイを、肩の力を抜いて楽しむも吉。増補で追加された「わが小説術」は、実践集としてよりは、ショート・エッセイとして読んだ方が面白いですし、投書に対する容赦のない打ち返しなども味があります。先に名前を出した高橋克彦との対談の他、佐野洋、鏡明との対談、果てはエドガー・アラン・ポーとの架空対談(!)まで、おまけも充実しているので大満足の一冊です。

     この原稿を書いている10月下旬にはまだ手に入っていませんが、10月末にはフリースタイルから都筑道夫のエッセイ『二十世紀のツヅキです』も刊行される予定。1986年から1999年にわたる13年間のコラム連載を初めて書籍化したものということで、こちらも楽しみにしています。小説にも未読のものが残っているので、まだまだ楽しめるなぁ。

    (2023年11月)



第67回2023.10.27
疲れた時に沁みるもの ~「日本ハードボイルド全集」総括とクロフツの話(なぜ?)~

  • 鵼の碑、書影


    北上次郎・日下三蔵・
    杉江松恋編
    『日本ハードボイルド全集7 
    傑作集』
    (創元推理文庫)

  • 〇短編の告知から

     小学館の雑誌「STORY BOX」は今月発売の11月号より、WEB版に移行します。WEBなので、サイトから無料で読んでいただけるようになります。その11月号に、「特別養護老人ホーム・隅野苑」の第2話「熱室の死角」が掲載されます。紙版最終号となる9月号に、第1話「回廊の死角」を掲載した新シリーズで、紙→WEBの連動企画として、1・2話を続けて掲載するという試みでした。

    「熱室の死角」で殺人事件の舞台となるのは、なんとサウナ! 実は会社員時代の趣味で四、五年前からサウナに結構通っていたのですが、サウナを舞台にした事件のシチュエーションを思い付いてしまったので、安楽椅子探偵もので使ってみました。昔日の「サウナ」のイメージがこびりついてしまっている高齢者たちが、あーでもない、こーでもないと安楽椅子の中で事件をいじくり回す、という形式をとることで、サウナに馴染みのない人でも楽しめるバランスに出来たと思います。多分。もちろん2話からでも楽しめるように書きましたので、ご興味のある方はぜひ。

     ちなみに、「STORY BOX」で私が担当している書評欄「採れたて本!」の海外ミステリー編については、11月号から毎月更新になる予定です。今月はアンソニー・ホロヴィッツ『ナイフをひねれば』(創元推理文庫)で書きました。もう後押しの必要もないシリーズかもしれませんが、今回はイギリス演劇界の様子が見えてめちゃくちゃ良かったので。

    〇クロフツの話

     さて、この原稿は9月のうちに書いているわけですが……9月はとにかく新刊ラッシュで……読んでも読んでも終わらず……。前回の読書日記で『鵼の碑』について書き、他にも書きたい本、話題を拾っておきたい本は数え切れないほどなのですが、書評やコメント等で言及したものも多く、今回は思い切って違う視点で選書していきたいと思います。

     まずは、F・W・クロフツ『ギルフォードの犯罪』(創元推理文庫)です。クロフツは今年、読書日記の第57回(5月26日更新)でも読んでいますね。その時にも言いましたが、私にとってまだまだ未読の多い古典海外作家であるクロフツは、現実を忘れたい時の大切な癒し。第57回の内容からも分かると思いますが、そう、私は完全に疲れてしまったのです。

     ということで、これも未読の『ギルフォードの犯罪』を。冒頭3章じっくりかけて、ロンドンの宝石商である「ノーンズ商会」の役員たちの人間関係が描かれ、その中に、経理部長であるチャールズ・ミンターの死と、会社の金庫から紛失した宝石類の謎という、二つの事件が描かれています。ミンターの死は、当初事件性のないものとみられましたが、宝石類の盗難事件が発覚し、一転、きな臭くなっていく……というのが大体の筋。続く4章でおなじみフレンチが登場し、捜査が始まるという流れです。

     本作ではギルフォード市警署長のフェニングが登場し、フレンチの頼もしい議論相手になってくれるのが嬉しい限り。6章「市警登場」から行われる指紋についての議論からして、要領を得ていて鋭いですし、それに応えるフレンチの洞察も気持ちが良い。少しずつ事件を追いかけていき、もつれた糸をほぐしていく捜査行もいつもの安定した面白さがあります。

     ただ、本作で用意されたアリバイトリックは本当にちょっとしたものですし、後半2章の力点は、むしろサスペンス溢れる犯人との追跡劇にあると言えます。いわゆる本格ミステリーを期待すると、第57回で取り上げた『黄金の灰』と同様、クロフツの中ではBかB+程度の出来になるのではと思いました。ただ、追跡劇の点も含めて、「警察小説」として読むなら読み応えは十分で、やっぱりクロフツはいつ読んでも満足できるなあと思いました。今回も癒されたので、良しです。

    〇『日本ハードボイルド全集』について

     2023年9月、『日本ハードボイルド全集』が全七巻で完結を迎えました。ラインナップを見た時から楽しみでしたが、実際に読むのも楽しく、充実した時間を過ごすことが出来ました。まずはリストを以下に掲げます。いずれも、編者は北上次郎・日下三蔵・杉江松恋の三者で、出版社は東京創元社の創元推理文庫となります。

    ・生島治郎『日本ハードボイルド全集1 死者だけが血を流す/淋しがりやのキング』
    ・大藪春彦『日本ハードボイルド全集2 野獣死すべし/無法街の死』
    ・河野典生『日本ハードボイルド全集3 他人の城/憎悪のかたち』
    ・仁木悦子『日本ハードボイルド全集4 冷えきった街/緋の記憶』
    ・結城昌治『日本ハードボイルド全集5 幻の殺意/夜が暗いように』
    ・都筑道夫『日本ハードボイルド全集6 酔いどれ探偵/二日酔い広場』
    ・『日本ハードボイルド全集7 傑作集』

    『傑作集』を除く六作品については、第41回の読書日記において言及しております。結城昌治の第五巻の刊行に合わせて、駆け足でそれまでの六作品の紹介を行ったという経緯です(全集のナンバリングは必ずしも刊行順とは一致しておらず、1→6→2→3→4→5→7という順番でした。結城昌治の巻は2022年7月に刊行されていますので、『傑作集』を1年以上待った計算になります)。これまでの六巻を振り返ってみると、収録作品が全て既読だったのは仁木悦子のみで、ほとんどが初読の新鮮な体験になったと言えます。元々好きな作家である生島治郎、結城昌治、都筑道夫の三人についても、収録作については未読だったため(結城の短編パートはほとんど既読でしたが)、新鮮な気持ちで楽しめました。大藪春彦、河野典生についてはこれが初めての出会いとなり、作家名は知っていたのになかなか手を出す機会がなかったため、ありがたかったです。全集を読んで以来、大藪春彦は『蘇える金狼 野望篇/完結篇』(角川文庫)を読んで、今どき見られないほどの密度の濃いアウトロー小説ぶりに感嘆し、河野典生は光文社文庫の「昭和ミステリールネサンス」で読み逃していた『八月は残酷な月』を読んだり、古書店で『迷彩の森』などを買い集めて、その文章に浸っていました。

     そんなわけで、『傑作集』の刊行も心待ちにしていたというわけです。まずは作品リストを参照してみましょう。参考までに、「既読の作品」には◎を打っておきます。

    ◎大坪砂男「私刑リンチ
    ・山下諭一「おれだけのサヨナラ」
    ・多岐川恭「あたりや」
    ・石原慎太郎「待伏せ」
    ・稲見一良「凍土のなかから」
    ・三好徹「天使の罠」
    ◎藤原審爾「新宿その血の渇き」
    ・三浦浩「アイシス讃歌」
    ・高城高「骨の聖母」
    ◎笹沢左保「無縁仏に明日をみた」
    ◎小泉喜美子「暗いクラブで逢おう」
    ・阿佐田哲也「東一局五十二本場」
    ◎半村良「裏口の客」
    ◎片岡義男「時には星の下で眠る」
    ・谷恒生「彼岸花狩り」
    ・小鷹信光「春は殺人者」

     以上全十六編について、既読は六作品。好きな作家である多岐川恭、稲見一良、高城高、阿佐田哲也、小鷹信光も未読の作品が収録されていたので、個人的にはお得感満載でした。収録作品のうち、高城高「骨の聖母」は、創元推理文庫で全四巻の『高城高全集』から漏れてしまった作品の採録ですし(初出が「農業北海道」という聞いたこともない雑誌であることに驚かされます)、他、三浦浩「アイシス讃歌」、小鷹信光「春は殺人者」も書籍への収録は初となるようです(小鷹作品の方は、初出である「ミステリマガジン」1980年6月号のほか、2016年3月号の「小鷹信光追悼特集」においても再録されていますが)。稲見一良「凍土のなかから」も、光文社の『短編で読む推理小説傑作選50 上』で読むことが出来ましたが、著者の『ダブルオー・バック』(新潮文庫)最終話の原型作品という経緯があるため、こうしたアンソロジー等で読めるのは貴重なことです。そういう意味でも、好事家であれば買い逃すことは出来ない、大充実の巻ということが出来るでしょう。

     そして本作の感想ですが……もう、感無量といったところ。疲れ切った心に染み渡る、素晴らしい一冊でした。実はこの巻、とあるイベントのために名古屋に旅行する前日に届き、なんとなく鞄に詰めて出発したのですが、一編一編、絶妙の文体と語り口からもたらされるデトックス効果が半端ではなく、電車移動の合間でひたすら読み倒してしまったのです。東京へ帰る新幹線に乗る前に読み終わってしまったので、電子書籍で収録作家の別作品を購入し、ずっと読んでいました。それくらい、のめり込んでしまったということです。

     まずは「◎」をつけた既読作品について簡単にいきます。この中で特にオススメなのは藤原審爾「新宿その血の渇き」。これは『新宿警察』の中の一話で、このシリーズは現在比較的入手しやすい形態で言えば、双葉文庫で選集が全四巻、Kindleで全集が全十巻で刊行されていて、私は、双葉文庫分の四冊は全て読了し、今はKindle版をちびちびと読み進めているところです。新宿署の警察官たちが活躍する群像小説ですが、読むたびに、犯罪者たちの心情や、刑事として生きることへの懊悩がサッと滲んできて、ため息がこぼれるような作品群なのです。「新宿その血の渇き」は、町工場で働く男が通り魔をしている、という導入なのですが、捜査ものとしては呆気ない結末の中に、どうしようもない悲哀が滲んでいて、読むたびに心臓が締め付けられます。

     笹沢左保「無縁仏に明日をみた」は、同氏の代表的時代小説〈木枯らし紋次郎〉シリーズの一編。第四巻『暁の追分に立つ』(講談社等)の一編で、私が読んでいるのもちょうど四巻まででした。大学の先輩に「初期『紋次郎』にはミステリーとして切れ味の鋭いものがある」と聞いたので、四冊まで読んだのだと思います。いわゆる「ミステリーとして切れ味の鋭い」ものについては、『流れ舟は帰らず 木枯し紋次郎ミステリ傑作選』(創元推理文庫)で大体読むことが出来るので、今から読まれる方はそれを手に取ると良いでしょう。「赦免花は散った」とか「女人講の闇を裂く」とか素晴らしいのです。で、今回『傑作集』に収録された「無縁仏に明日をみた」は、そちらの『流れ舟は帰らず』の選集には採録されなかったエピソードです。読んでみるとそれも納得で、「無縁仏~」は、ある人物と身代わりに生き長らえた紋次郎を書いた小説で、このシチュエーションを三人称の描写によって淡々と、しかし迫力をもって紡いでいくところに味があるのです。『流れ舟~』の選集が本格ミステリーなら、こちらはちゃんとハードボイルド。

     小泉喜美子「暗いクラブで逢おう」は、店を経営する男・ジョーンジイの視点から描かれる「暗いクラブ」の描写と会話劇が読ませる作品です。作家志望の「友だち」にジョーンジイが声をかけるところなどは、何度読んでも身に詰まされるような気分になります。こちらが収録された作品集『暗いクラブで逢おう』は粒よりの短編集で、同作品集の中では、「日曜日は天国」という短編もお気に入りの一編です。《鉄腕》と呼ばれるボクサーが、息子と一年に一度だけ会える「日曜日」の日を描いた一編なのですが、このタイトルを見るたびに目頭が熱くなってしまうような展開が待ち受けています。息子との会話のシーンとか、もう絶妙に巧いんだよなあ。光文社文庫から刊行の『ミステリー作家は二度死ぬ』などでも読むことが出来ます。

    〇稲見一良について 「凍土のなかから」×「銃執るものの掟」

     特に良かったのが、最前も言及した稲見一良「凍土のなかから」です。『ダブルオー・バック』の第四話「銃執るものの掟」の原型短編ですが、読み比べてみると(この作業を、名古屋から東京へ帰る新幹線で延々とやっていました)、作中で起こる出来事はほとんど同じであるにもかかわらず、全く印象の違う作品になっているのが素晴らしいのです。基本的なストーリーラインは、雪山で犬と共に狩りを行っていた主人公が、雪山で行き会った「男」に犬を殺されてしまい、さらには「男」の逃亡の手助けをするように脅される、というもの。

     以下、「凍土」、「銃」と表記することにしますが、「凍土」は「私」を視点人物とするオーソドックスなハードボイルドの語り口であり、「銃」は「わし」を語り手として「事件が起こった後、『わし』が回想しながら誰かに話を聞かせている」という構成を取っています。「銃」はその語りによって、軽妙さとサスペンスを同時に引き出しているわけですが、反面、事件の後に「わし」が生存していることが明らかとなってしまっています。その分、暗中模索感というか、一寸先も見えない雪中行のサスペンスは「凍土」の方が強くなっているのです。

     もう一つの大きな相違点は、主人公が行き会う「男」の素性についてでしょう。「凍土」では刑務所の看守を殺して逃げてきた「二人の囚人」という設定であり、かなり一面的な「悪」として描かれますが、「銃」では、「男」は単独犯であり、彼自身も「ある組織」から逃げようとしている、という描写になっているのです。「銃」の方が、「男」のパーソナリティーを複雑に描いているということになります。「銃」において、「男」が主人公に料理を振る舞われて、きちんと礼を述べるという、さりげないシーンの巧さは素晴らしい。

     どちらのバージョンでも、「男」が主人公の犬を殺してしまうのは同じなのですが、その出来事の重みも違うものになっています。「男」に関する設定と、その描写の仕方の違いが、結末の違いをもたらしているのだと思います。これはどちらが良い、というものではなく、「凍土」と「銃」、それぞれの設定と語りから考えれば、どちらも必然の選択・結末に思えるというのが素晴らしいのです。作中で起こっている出来事がほぼ同じだけに、この感覚が面白くて、読み比べるのがとんでもなく楽しい作業でした。

     稲見一良については、ハードボイルドの語感があまりよく分からない中学生の時に一度『ダック・コール』(ハヤカワ文庫JA)を読んだのですが、中学生には少し早すぎたようで、そこから稲見作品に入れなかったというのが正直なところでした。そこで、今回「凍土のなかから」にいたく感動したということもあり、『ダック・コール』を再読したのですが……もう、沁みる沁みる。C・J・ボックスを経た後だと、自然描写の美しさだけでも感じ入ってしまいますし、語り口もスッと心に入って来て、スイスイ読めてしまいます。特に第二話「パッセンジャー」の結末の余韻と、第三話「密猟志願」の文章の密度が好きです。しばらくは稲見一良作品を掘っていこうと心に決めた読書体験でした。

    〇「繋がっていく」読書の話

    『傑作集』の中でもかなり好きだったのは、阿佐田哲也の短編「東一局五十二本場」。阿佐田哲也はとにかく『麻雀放浪記』が好きで、原作はもちろん『天牌』の嶺岸信明による漫画化も追いかけていますし、私の新刊『午後のチャイムが鳴るまでは』のオマージュ元にもなっているくらいなのですが、短編はカバー出来ていませんでした。「東一局五十二本場」は、傑作集の中でもとりわけ短い20ページほどの短編ですが、この短さの中に、積み上がる点棒の緊張感がムンムンに立ち込めていて、短編でもこれほど切れ味鋭い賭博小説を書いているのかとひっくり返りました。一体どう落とすのか、とヤキモキしながら読んで、これ以外ないというオチに辿り着くラストが凄まじい。これで惚れこんでしまい、名古屋旅行中に寄った古書店で『東一局五十二本場』(角川文庫)を購入し(旅行中にまで古書店を巡るな)、すぐさま読み始めてしまったほど。人を食ったタイトルと展開が好ましい「麻雀必敗法」や、凄絶な結末に息を呑む兄弟小説「雀ごろ心中」などが心に深く残りました。

     同じように、作家として面白いのは知っていたけど……枠だったのが、石原慎太郎「待伏せ」。戦場にやってきた記者の視点から、戦場の恐怖を描出する短編なのですが、氷の刃のような鋭い描写に感じ入りました。石原作品は、『本格ミステリ・フラッシュバック』というガイド本に掲載されている『断崖』のみ読んでいて、こちらは確かに謎解きミステリーとしても読みごたえのある作品だったのですが、それ以降はなかなか作品を追いかけられず、でした。杉江松恋による解題の中で「素晴らしい」と太鼓判を押されている短編「鴨」が掲載された『密航』(講談社)という作品集をKindleで買い、すぐさま読んだくらいには「待伏せ」に心動かされました(なお、『密航』はロマン・ブックスという叢書の一つで、同叢書は多くがKindle化されているため、こういう時にすぐに読めて嬉しい)。

    〇『傑作集』は解説も凄い!

     全短編に触れているととてもじゃないけど終わらないので、このくらいにしておきますが、『傑作集』の目玉はもう一つ。編者である日下三蔵・北上次郎・杉江松恋のリレーによって紡がれた、「日本ハードボイルド史」です。全部で50ページにもわたる分量もさることながら、圧倒的な書誌情報により[黎明期]の展開をまとめた日下三蔵、あくまでも個人的な体験から出発する議論が実に「らしい」[成長期]の北上次郎、冒頭の一文の切れ味から思わず「うわあっ」と声が出た[発展期]の杉江松恋と、それぞれのスタイルによって一連の「史学」を紡いでいく流れが面白いのです。リレーの良さがこれ以上ない形で出た解説になっていると思います。

     この解説も、「あれもこれも再読したい」となる充実した内容なのですが、実際に再読したのは今のところ、レイモンド・チャンドラーの短編「待っている」。北上次郎パートにおいて、大沢在昌がチャンドラーの「待っている」を褒めた文章が引用されているんですよね。元々チャンドラーに苦手意識があって、なかなか再読出来ていないので、これを機に読み直すか……と創元推理文庫の『待っている』を自宅から発掘(さりげなく書きましたが、発掘、としかいいようのない本の量なので……)。短い短編ですがあえてじっくりと読んで、会話劇や文体を噛み締めることにしたら、以前よりも分かった気がする、でも、まだ核心には辿り着いていない気もします。チャンドラー再読の旅はまだまだ先が長そうです。

    (2023年10月)



第66回2023.10.13
17年ぶり、その威容 ~〈百鬼夜行〉シリーズ長編再読記録~

  • 鵼の碑、書影


    京極夏彦
    『鵼の碑』
    (講談社ノベルス)
    ※単行本も同時発売。
    書影は講談社ノベルス

  • 〇ポケミス70周年の話

     早川書房の「ハヤカワ・ポケット・ミステリ」が70周年を迎えるということで、「ミステリマガジン」11月号は「ポケミス創刊70周年記念特大号」となっております。普段の倍の定価にはびっくりしますが、「ハヤカワ・ミステリ解説総目録」も収録された永久保存版とくれば、むべなるかなというもの。

     同誌の特集内で、「特別鼎談 ポケミス創刊70周年に寄せて」に参加しております。メンバーは翻訳家の平岡敦さん、評論家の杉江松恋さん、そして私の三人です。テーマはポケミスについて色々話すということで、「初めて読んだポケミス」や「初めて買ったポケミス」「ポケミス、この一冊」などなどのテーマに沿って、ポケミスの話を色々と語っております。

     なお、同誌ではもう一つ、日本推理作家協会の「翻訳小説部門」(プレ第一回)を受賞したニクラス・ナット・オ・ダーグさん『1794』『1795』について、著者への「受賞記念インタビュー」が掲載されておりまして、インタビュアーを務めております。といっても、メールで質問を出して、翻訳家のヘレンハルメ美穂さんに翻訳をお願いしたものなので、いわゆるインタビュアー的なことはほとんど出来ていませんが……。ともあれ、短いながら情報量が凄いので、同誌を手に取ったら、ぜひ読んでみてください。

     ポケミスもいよいよ70周年ということで、「2000番」のポケミスは2024年2月に刊行されるようです。2023年9月刊行の新刊、クリス・ハマー『渇きの地』(ハヤカワ・ポケット・ミステリ)から、「70周年」のロゴが帯に印字されており、70周年特集の第一弾ということになるようです。オーストラリアの作家の紹介であり、閉鎖的なコミュニティーにおける殺人と、オーストラリアの風土ならではの暑すぎる気候の描写などから、以前ポケミスから刊行されたジェイン・ハーパー『渇きと偽り』(ハヤカワ・ポケット・ミステリ、のちにハヤカワミステリ文庫)を思い出す質感だったのが嬉しい限りでした。

    〇〈百鬼夜行〉シリーズの新刊が出た!

     去る9月、京極夏彦の〈百鬼夜行〉シリーズの最新長編『鵼の碑』(講談社/講談社ノベルス)が刊行されました。前作『邪魅の雫』の刊行から17年ということで、当時からのファンは首を長くして待っていたことと思います。私自身は、2008年、中学2年生の時にこのシリーズにハマり、一気に通読して追いついたという経緯ですので、それでも15年待った、ということになるでしょうか。今回、朝日新聞における5段広告にコメントを寄せた関係で、『鵼の碑』の単行本版は献本でいただけたのですが、書店で講談社ノベルス版も購入してきました。「自分で働いたお金で」ノベルス版の〈百鬼夜行〉シリーズを買うのは、これが初めてだったからです。2008年の時点で、まだ『邪魅の雫』は文庫化されておらず、この時は親にねだってノベルス版を買ってもらったので、自分が働いて得たお金で買う――というのは全く別の意味合いを持っていたのです。

     そんな体験込みで追いかけてきたこのシリーズ。新刊の予告を見た時から、正直、気持ちが昂り過ぎていたので、8月頭から全作再読してしまいました。短編2本と長編連載2回と『午後のチャイムが鳴るまでは』の刊行に向けた仕込みをこなしながら、良い息抜きになったと思います。

     さて、そんなわけで、もはや恒例となった全作レビューをやっていきます。今回はあくまでもシリーズの長編に限って、となりますが、それぞれ再読した回数なども違うので、出来る限り、初読時と再読時、それぞれの感想の違いなども、丁寧に拾っていこうと思います。もちろん、ネタバレはなしです。私はこのシリーズについて、背景知識部分まで含めて全部解説出来るわけではありませんし、特定のキャラクターへの深い読みがあるわけでもなく、あくまでも、ただミステリーとして本作に興味がある一読者の視点しか提供出来ません。とはいえ、個人的な体験を書き綴ることに、この日記の意味があると思うので、今日もやっていこうと思います。しかし、今回も長いよ~。

     なお、シリーズ名については『姑獲鳥』『魍魎』のように、初出以降はなるべく妖怪名のみの表記にしていこうと思います。前作や関連作の言及をする必要があるたびにフルネームで引いていると煩わしいからです。サークルの部室で話す時も、大体妖怪名だけで話していたので、その感覚です。

    『姑獲鳥の夏』

     第一作『姑獲鳥の夏』を中学生で読んだ時の興奮、いえ、「困惑」は、未だによく覚えています(2008年のことですので、もちろん読んだのは講談社文庫版)。久遠寺医院の娘が妊娠二十カ月に達しており、その夫は密室状況から忽然と姿を消している。ミステリー的な謎と怪異がミックスされた状況に、わくわくしながら読み進めていくと、京極堂(中禅寺秋彦)による絵解き――「憑き物落とし」が行われる。その解決に、もっと言えば「密室」の部分に、私の「困惑」はあったのでした。そんな解決がまかり通るなら、もうなんでもありになっちゃうじゃないか……中学生の頃の私は、そんな素朴な思いからこのシリーズに出会いました。今から思うと、頭の固い本格信者だった当時の私らしい感想だなあと思いました。

     そこですぐに諦めずに、困惑する頭を捻りながら、「伏線って張ってあったのかな」と、ちゃんと密室の検証を行うシーンに行き、作家・関口巽と名探偵・榎木津礼二郎の会話を読み返しにいった中学生の頃の私を、本当に褒めてあげたい。そのシーンを読み直した私は雷に打たれたようになり(榎木津というキャラクターの能力の使い方、あるいはその「使い捨て」方に感動したからです)、すぐに、初読時は「早く本題に入らないのかな」と思いながら読んでいた1節の関口と京極堂の会話を読み直しにいったのです。すると全部書いてあった。全部書いてあった、というのは大げさにしても、人がどのように認識の陥穽に滑り落ちていくか、という過程の部分が克明に書いてあったのです。ここまで書かれていて分からなかったのだから、これは私が悪いだろう、とすがすがしい敗北感を味わったのでした。

     そんな体験もあって、初読と再読が近いタイミングで行われたのが『姑獲鳥の夏』で、それ以来も、夏になると読み返したくなる一冊です。古本屋「京極堂」に行くまでのだらだらとした坂道を上りたくなる時が、やっぱり夏なんですよねえ。また、600ページというコンパクトな分量も相まって(この文章が成立するのがおかしいんだよなあ)、「京極夏彦」の世界観に帰りたくなった時にちょうどよい一冊でもあります。

     今回の再読はおそらく通算で五回目になりますが、今までの再読では「密室」の部分にだけ意識を取られてきたところを、今回はその後段で明かされる「繰り返される死」への謎解きに快感を覚えました。「密室」のセンセーショナルさがようやく自分の中で薄れて、「繰り返しの構図」を成立させるための、この要素がこう働き、あの要素がこう作用し、だから悲劇が起きたのだ、という丁寧な絵合わせのような謎解きの繊細さに目が向くようになった、ということです。そこまでに五回かかってしまいました。修行のような気持ちです。

    『魍魎の匣』

     第二作『魍魎の匣』は、数多くのメディアミックスのことを考えると、一体何回ストーリーを味わったのか数えきれないほど。私が「京極堂シリーズ」にハマった直後、2008年の10~12月にアニメ化され、2007年から2010年にかけて刊行された志水アキのコミックスも何度も読みました。

     ちなみに、ここで一度脱線すれば、中学生の頃の映像体験というのは凄いもので、未だにこの『魍魎の匣』アニメには強烈な影響を受けている気がします。特に、京極作品を読んでいる時です。ナイトメアが担当していたOP「Lost in Blue」は未だに覚えていますし、京極作品を読んでいる時にいつも脳内で聞こえてくる音楽があって、「これなんだろう」と思って記憶を探ってみると、必ずと言っていいほどアニメの劇伴なのです。それほど耳に沁みついているということですね。まあ、アニメ版については関口と刑事の木場修太郎は美形すぎるので、そこは当時から注文をつけたいところでしたが。

     私は『魍魎』に登場する作家・久保竣公のことが本当に好きで……彼が書いた作中作「匣の中の娘」を読むたびに面白い(作品を読んだ京極堂が、これを評する言葉も面白い)。匣の中に入った娘、胸から上だけしかないのに生きていて、「ほう、」と喋る、という幻想的なイメージが、文字で、漫画で、アニメで、全てで悪夢のように反復し、脳に焼き付いてしまったのです。年齢を重ねるほど私も「何だか酷く男が羨ましくなつて」しまう……読み返すほどに羨ましくなるのは、なんでですかね。現実がひたすらつらい中で、やっぱり作中の「男」が満ち足りているように見えてくるからですかね。正直、心の疲れチェッカーみたいな接し方をしています、「匣の中の娘」。

     そんなわけで、『魍魎』については読み返しすぎ、ストーリーも何度も追いかけ直しているせいで、初読→再読の感慨の変化などを辿ることが難しいのです。少なくとも、アニメや漫画を比較検討する中で、初読の時には発見出来なかった伏線などを幾つも発見し、それも感動の要素だったことをよく覚えています。

    『狂骨の夢』

     ここからは中学2年の初読以来、初めての再読となります。初読の時にあまり楽しみきれなかったので、『狂骨の夢』は再読の折にもなかなか手が伸びなかったのです。四度夫を殺したという宇多川朱美という女性のイメージと、事件の舞台となる逗子の屋敷の異様な雰囲気だけは強烈に脳に残っていました。再読してみると、初読の時にあまり楽しめなかった理由もはっきりと分かり、それも面白い再読でした。

     まず「初読の時にあまり楽しめなかった理由」について説明すると、百鬼夜行シリーズの解決編(憑き物落とし)は大体200ページくらいの分量があって、すごくざっくりと分けてしまうと「妖怪周り・宗教周りの『絵解き』」と「作中現実で起きた事件の『謎解き』」に分かれると思うのです。ここの交通整理が毎回巧いのはもちろんなのですが、中学生の頃の私は、コテコテの本格ミステリーが好きだったので、後者の謎解きにしか興味がなかったんですよね。前者は少し流しながら読んでしまった。で、『狂骨の夢』は、後者の謎解きはすぐに見当のついてしまうもので、前者の絵解きの方が面白い作品だと思うのです。「この事件の真犯人は〇〇です」と京極堂が喝破するのですが、前者のような絵解きに興味のある人間なら、これだけで「えーっ!」と叫んでしまうような大ケレンなんですよ。

     中学から今までの間に、友人の影響で、高田崇史の〈QED〉シリーズを読んだことや、個人的に松本清張の古代史ものなどを読んだこともあって、ようやくこういった「前者の絵解き」に自然と興味が湧くようになって、今回はそこに面白さがあったので興奮できた、という感じです。再読って、初読時からこれまでの読書体験を判定されるというか、「さ、この10年あまり、君は何をやって来た?」と本に問われているような気がするのですが……こういう「前回よりも楽しく読めた」ところをサッと挙げられるだけで、良い再会が果たせたなあという思いになります。

    『鉄鼠の檻』

     冒頭のシーンでの「拙僧が殺めたのだ」の衝撃がやはり第一印象。死体があり、犯人による自白まで行われているのに、視点人物の尾島が盲目なので、誰が犯人かは分からない――という仕掛け。この冒頭は、初読の時にもすぐに読み返しに行ったのですが、ここにほぼすべてが書かれているという大胆不敵さには頭が上がりません。〈百鬼夜行〉シリーズは、この冒頭の引きも素晴らしいんですよね。

     さて、こちらも中学生の初読以来、全体は読み返しておらず、今回が再読になります。初読時点では、ウンベルト・エーコ『薔薇の名前』(東京創元社)と近い時期に読んだこともあり、宗教×ミステリーの作品として、脳内で同じ枠にカテゴライズされていました。ここでエーコの話に脱線すれば、当時の私には『薔薇の名前』が本当によく分からず、とにかく気合で読み通したというのと、あとはせいぜい、読書家だったら絶対に嫌な毒殺トリックが心に残った程度で、世評よりも楽しめなくて不安を感じていました。

     翻って『鉄鼠』ですが、こちらは箱根を舞台に、禅の世界が描かれる作品ですが、『薔薇の名前』と同様、宗教的な説明はよく分からずに読み通しました。ただ、そこが『薔薇の名前』と違ったのですが、とにかく、『鉄鼠』には「なんだかかっこいいことがかっこよく語られている」という印象がしっかりあって、それが中学生の私レベルでもとても楽しく読めた要因になったのです。

     さて、そして再読です。今回、宗教的な説明や解説が全て分かったとは、やはりまだまだ全然言えません。間に15年もあったのに全然勉強していないし、見通しが良くなったわけでもない。ただ、説明の中に余念なく伏線が張られていて、初読時には顎が外れるほど驚いた犯人の犯行動機にも、今回は納得させられてしまいました。しかも、宗教対立、論争の丁々発止が巧みに描かれているのがよく分かって、思わずため息をついてしまいました。今回、本筋となる憑き物落としの前にある禅僧と議論を戦わせ、その人物の憑き物を落とす、というシーンがあるのですが、ここの面白さは無類です。これは『狂骨』で言った「絵解き」の面白さが分かるようになった、という話にも繋がる気がします。

    『絡新婦の理』

     これは偏愛作で、今回の再読で四回目になります。実は偏愛作なんです、と宮内悠介さんに言ったら、「そうじゃなかったら『蒼海館の殺人』なんて書かないでしょ」と言われて恥ずかしくなったのを覚えています。大学の同期にも『絡新婦の理』が偏愛作というやつがいて、やっぱり「操りの構図」が……という話をしようと思ったら、「俺は女学園ミステリーに目がないんだ」と返された思い出もあります。その視点を得たのは初めてだったなぁ。いや、彼が「好きな作品は『絡新婦』と綾辻行人の『緋色の囁き』です」って言ってきた時に気付かなかった私が悪いのかもしれないけど。

     閑話休題。今回のポイントは、冒頭のシーン「あなたが――蜘蛛だったのですね」でも仄めかされる「操りの構図」にあるといってもいいでしょう。作中の時系列では最後にあたる「絵解き」のシーンを冒頭に持って来るというだけでも大胆ですが、それを読んでいてもなお全然事件の真相が見通せない、という巧妙さが素晴らしい。最後まで予想を外され続けたのをよく覚えています。

     女学園で行われる儀式により人を殺すという「目潰し魔」と「絞殺魔」。二人の殺人犯を追うパートが交互に現れ、しかし、事件の全体像は読者の目にはなかなか見えてこない……という仕掛け。「操り」の構図が示されているだけに、一体誰がどのような意図で動いていて、あるいは動かされているのか、思考は常に要求されますが、それでも読まされてしまうのがすごいところ。今回なんて四回目なのに、それでも細部は忘れているので、ここはこうしていたのか、あそこはああなっていたのか、などの発見があるのが楽しい。巽昌章による解説も絶品で、何度も読み返してしまいます。

    『塗仏の宴 宴の支度』『塗仏の宴 宴の始末』

     二冊合わせて文庫本でも2000ページ超えという驚異の厚さ。その厚さに恐れをなした、ということもあり、今回の再読まで読み返しませんでした。『宴の支度』は六つの中編に分かれ、「ぬっぺっぼう」「うわん」「ひょうすべ」「わいら」「しょうけら」「おとろし」、各話の繋がりが見えないまま進行します。私は初読時、この『塗仏の宴』に入る前に『百鬼徒然袋』のシリーズを経由したこともあって、中編スタイルに抵抗はなく、むしろ、六つも中編を読んだ先に、それが繋がるのが保証されている(『宴の始末』)のだから贅沢じゃないか、というぐらいの気持ちで読み進めていった記憶があります。私は関口巽が大好きなので、今回の事件で彼が襲われるピンチには、「一体どうしてそんなところまで追い込んじゃうの」とヤキモキする思いもあって、それが読み進める原動力になりました。

     そして今回の再読ですが……いやあ、腰が重かった……。中学生の頃は「まだページ残ってるじゃん!」とむしろ陽気に受け止めていたので、こればかりは、エネルギー、バイタリティーの衰えを痛感するばかり。しかし、今回『鵼の碑』に合わせて行われた「ダ・ヴィンチ」の京極夏彦インタビューで、本作が「フラクタル構造」を意識して書かれたというのを読むと納得する思いがありました。フラクタル構造とは、部分が全体と同じ形になっている、というもので、それを企図したものであれば、『宴の支度』の六つの中編と、『宴の始末』で語られる「ことの真相」の立ち位置が分かります。面白いのは、六つも中編を読まされているのに、全体の構図を想像出来ない、という巧みさでしょうか。

    「陰謀論」的な想像力が、〈百鬼夜行〉シリーズの真骨頂だとするなら、それが極限にまで達し、崩落するギリギリでまとめあげられたのが『塗仏』ではないか……という気がします。崩落するギリギリ、とあえて言ったのは、2000ページも読まされた先にある真犯人の悪意が、きちんと驚ける強度と邪悪さに踏みとどまっているからです。それがやりたいなら、ここまでのことをするよね、と納得出来るレベル、というか。

    『陰摩羅鬼の瑕』

     白樺湖にそびえる洋館、そこに住む由良伯爵が関わる事件を描いたシリーズ第八作。この由良伯爵に嫁いだ女性が、次々と命を落としてしまうので、今回は護衛として探偵の榎木津と関口がやってきた……というのが大体の筋。初読時の印象は、「真相のかなりの部分が分かってしまい、そうじゃないといいなと期待しながら読み進めた」というものでした。なので、再読である今回の方が「そうである」と分かっている分、細部に目を配って楽しむことが出来ました。

     たとえば、本作には関口巽の小説「獨弔どくてう」が登場します。関口巽の小説が読める、というだけで、関口ファンとしては嬉しいですし、この小説が重要な伏線の役割を果たしているのが面白いところ。また、シリーズ中では珍しいことに、「本格探偵小説」に対する自己言及がなされるなか、江戸川乱歩、横溝正史の名前まで登場するのを、さっぱり忘れていたので驚きました。しかも、横溝正史は由良伯爵と会ったという設定で、これがミステリー上も伏線になっているのが面白いのです。再読で奥付を読み、気が付いたのですが、「獨弔どくてう」は『死の本 The Book of Death』に掲載されたもので、件の横溝正史が出て来る章の一部分は、『金田一耕助に捧ぐ九つの狂騒曲』に掲載されたものだったんですね。一度外部媒体に掲載された「使用済みの」、たとえていえば「死んだ」パーツから、この幹が立ったことを思えば、「剥製」が象徴的に登場する今作のテーマにも沿っているのもかもしれません。

     これも再読による発見ですが、京極堂が行うのは「謎解き」でも「解決」でもなく(この読書日記では便宜上そう呼んでいることもありますが)、あくまでも「憑き物落とし」なので、初読時に私が思っていたような「真相が分かった」という不満はそもそもお門違いのようなところがありました。今回で言うと、真相が分かったとしても、じゃあそれをどう明るみに出し、憑き物を祓い、秩序を回復するのか――ミステリーの用語で言えばその「演出」の部分にもこのシリーズの面白さがあり、再読ではそこも楽しんで読むことが出来ました。

    『邪魅の雫』

     再読するまでほとんど内容を思い出せなかったので、初読のような気持ちで読めたのが本作。どうして覚えていないのか、大体二つの理由があって、一つ目はこの作品の章・節の数です。大体〈百鬼夜行〉シリーズは100ページに1章のペースで進行するのですが、この作品はそれよりも短く節が切られていて、一つのシーンが長く続かないのです(前作『陰摩羅鬼』は13章構成、今回は28章で、『邪魅』の方が100ページほど長いとはいえ章の切れ目が細かいことが分かります)。このカット割りのペースが、今までのシリーズと比較しても早いので、リズムに馴染めなかったというのが一つ。

     二つ目は、この作品と近い時期に読んだ『ルー=ガルー2 インクブス×スクブス 相容れぬ夢魔』と記憶が混ざってしまったこと。私が『邪魅の雫』を手に取ったのは2008年のことで、『ルー=ガルー2』は2011年の刊行です。そして、この二作品が「毒」を巡る話であったために、細かいエピソードが頭の中で混じり合い、どちらがどちらだっけ、とこんがらがってしまったという次第。恥ずかしい限りです。

     ということで再読した『邪魅の雫』ですが、「得体の知れないものが跳梁している感じ」は初読の時よりも強く味わうことが出来、また、榎木津のパーソナリティーが語られる貴重な回という楽しさもあって、初読よりも面白く読むことが出来ました。『ルー=ガルー2』の記憶とも一旦距離を取ることが出来たので、そこで混乱することもありません。このシリーズは、これだけ長大な作品であるにもかかわらず、事件の構図の核となる部分だけはたった一言で言い表すことが出来る、という潔さがあると思うのですが、『邪魅』はそれが出来ないところに良さがある気がします。

     ところで、再読すると、7章で展開される「書評論」にどこか救われるような思いがあります。小説家になったから、余計にこの辺の議論に耳が痛くなって、同時に、京極堂の言葉がスッと心に入ってくるのでしょうね。関口と同じタイミングで私も、諒解したよ京極堂、と心の中で返答してしまいました。

    『鵼の碑』

     さて、長くなりましたがようやく最新刊です。今回は鵼という妖怪の見た目に合わせて「蛇」「虎」「狸」「猨」「鵺」という五つの章立てに分かれ、それぞれが六節の構成で進行していきます。それぞれの章に、関口巽、木場修太郎、榎木津礼二郎とその探偵事務所の探偵・益田、日光にやって来た京極堂、などが配され、それぞれの「事件」を追うことになります(京極堂の妹である記者、中禅寺敦子は今回お休みですが、それは『今昔百鬼拾遺 ―月』で語られた、「鬼」の事件に出馬しているからだそうです。あの作品で敦子成分はだいぶ摂取出来ましたが、ちょっと残念)。

     鵼という妖怪を選択したためか、今回は今まで以上に、事件の「捉えどころのなさ」が際立った作品となっています。これまでの九作は、それぞれの形で、「今、まさに、この瞬間、得体の知れないことが起こっている」という厭な感情を呼び起こしてくれる作品でした。例えば、『魍魎』のバラバラ殺人は現在進行形ですし、「匣」というキーワードが幾重にも響き合うところにも厭らしさがある。『陰摩羅鬼』も、殺人事件の発生までにはだいぶかかりますが、舞台を白樺湖のそばに立つ洋館一つにほぼ絞り込んで、そこに不気味な、異界めいた雰囲気を漂わせることでこの「厭な感情」を呼び起こしてくれると思います。

     翻って今回の『鵼の碑』ですが、作中で言及される「事件」の数々がほとんど過去のものということもあり、なかなかその「厭な感情」が起こるまでに(いつも以上に)時間がかかるところが、シリーズ読者としては不思議な感じでした。何か得体の知れないものが動いてい「た」のは分かるのだけれど、今この時ではないから、どう対処していいのか分からない、この「得体の知れなさ」「正体の分からなさ」が今回の事件のポイントだという気がします。しかし、そこに因果関係を見出し、隠された関係を見抜いてしまおうとするのが人間というもの――〈百鬼夜行〉シリーズで繰り返されてきた、「陰謀論」的な想像力の働きは、本作でも登場人物たちの間をゆっくり行き来しているように見えます。「何かあるのかもしれない」「何かありそうだ」。この想像力に対して、京極堂がいかに回答するか。ここにこそ本作の力点があり、2023年というこの「現代」に読まれる本として、本作が「あるもの」へのカウンターパンチとして書かれたことの意義があるのではないかと考えました。

     また、著者には『百鬼夜行――陰』『百鬼夜行――陽』という作品があり、これは、〈百鬼夜行〉シリーズの関係者たちが、「魔に魅入られた瞬間」を描いた短編集群で、これまでのシリーズ作品のサイドストーリーが描かれていたわけです。この『陽』のほうに、「墓の火」と「蛇帯じゃたい」という短編が二編あり、これはいずれも『鵼の碑』のサイドストーリーであることが明かされていました。「墓の火」では、日光を訪れた寒川秀巳が「光る石碑」を目撃してしまう。「蛇帯じゃたい」では、ホテルのメイドである桜田登和子が蛇を恐れ、それが異常であると指摘される。この二つのエピソードが先行して存在しており、しかも、繋がりがなさそうなエピソードであるからこそ、どのように使うのだろうという興味も搔き立てられました。

     しかし、このエピソード二つを事前に示されていても、何をするつもりなのかまるで分らないのがすごいところで、シリーズ屈指の捉えどころのなさです。『狂骨の夢』の節で言った『絵解き』の部分、今回は、鵼という妖怪についてのことですが、この部分は楽しめましたし、細かい事件の『謎解き』にもなるほどと思わされる箇所がありましたが、一番のポイントは、この小説が〇〇〇に言及した小説であることではないでしょうか。1950年代を舞台に設定した本シリーズでは、例えば『絡新婦』におけるR・A・A(進駐軍特殊慰安施設)に対する議論であるとか、『魍魎』や『邪魅』のように軍が開発した技術や兵器が引き起こす事件であったりとか、現実のものから陰謀論的なアイテムまで、戦争の罪に一つずつ言及していく側面がありました。その意味で、『鵼の碑』が〇〇〇についての小説だったことは必然と言えますし、書かれなければならなかったのだなぁという思いを新たにします。

     ……さて、こんな風に長々と語ってきましたが、実はこういった感情にようやく辿り着いたのは、本作を二回通読した後のこと。二回目は、「蛇」の章だけ(一)~(六)まで通読し、次は「虎」を一気に通読……というように、中編を五つ読んでから解決編を読む、という読み方をしてみました。そうすることで、この作品が『塗仏』の構造に見えてきて、あの作品がああいう作品だとすれば、今回は……と想像を膨らませていった結果、ようやく上記のような感情に辿り着いたという感じです。初読時は、京極堂が繰り返す言葉があまりにも意外で、感情の整理をつけるのが難しかったのです。

     一つだけ、特にこれは良かったなあという場面を挙げておくと、関口巽と久住による会話の場面で、関口がこれまで自分が巻き込まれた事件とそこでの役割を振り返って、「期待」というものにどう接するか、と口にするところです。これは色々な事件を経た関口にしか言えない言葉だと思うので、なんだか感慨深い思いに捉われてしまいました。

     そんなわけで、得難い体験となった、シリーズ最新刊でした。

    (2023年10月)



第65回2023.09.22
私の「神」が、私の「神」に挑む物語群 ~〈柄刀版・国名〉シリーズ、これにて終幕~

  • 或るスペイン岬の謎、書影


    柄刀一
    『或るスペイン岬の謎』
    (光文社)

  • 〇新刊が出ますよ!

     さて、昨日、9月21日に新刊『午後のチャイムが鳴るまでは』(実業之日本社)が刊行されました! 二年前に雑誌「THE FORWARD」において、第1話「RUN! ラーメン! RUN!」を掲載していただいた時から、この連作の最終形を見据えてずっと頭を動かし、心を燃やしていたわけですが、ようやくゴールに辿り着きました。「昼休み」をテーマに、全短編の事件を「昼休み」に起こすという超絶縛りプレイに挑んだ青春学園ミステリーです。どうかお手に取ってくださいませ。

     第1話は誰にもバレないようにラーメンを食いに行くという「完全犯罪」の物語で、ラーメンを食う描写は平山夢明『デブを捨てに』(文春文庫)にインスパイア。第2話は徹夜合宿を行った文芸部を襲う人間消失の物語、物語のノリははやみねかおる『復活‼ 虹北学園文芸部』(講談社)を意識。第3話は消しゴムを使ったポーカーというオリジナルゲームを楽しむ男子高校生たちによる騙し合い化かし合いを描いたコンゲーム、阿佐田哲也『麻雀放浪記』(文春文庫等)への熱い思いを形にしました。第4話は「星占いじゃ仕方がない。まして木曜日ならなおさらだ」という言葉から推論を展開する、ハリイ・ケメルマン「九マイルは遠すぎる」の本歌取り。米澤穂信「心あたりのある者は」他このタイプの後続作品の数々も意識しました。第5話は天文台からの人間消失という、ロマンあふれる謎に挑みます。オマージュ元はミシェル・ビュッシなんですけどね。

     今回の「あとがき」では、細かい作品の話はしないと自分でルールを設けたので、ここでまとめて紹介しておきました(笑)。もちろん、ここに挙げたような書名を知らなくても楽しめます。しかし、他の出版社でもまだやらせてもらっていないような、青春ミステリー全開の雰囲気を出しつつ、従来の青春ミステリーで自分が物足りないと思っていた部分を克服するようなものが作れたと思っているので、大いに満足しています。このシリーズは〈九十九ヶ丘学園〉シリーズと銘打って、既に第2弾のプロットは出してありますが、果たしてどうなることやら。

    〇数年後絶対忘れるので、書き残しておきたい「9月21日」の話

     それにしても、この9月21日ですが、同時に刊行された新刊が、伊坂幸太郎『777』(KADOKAWA)、東野圭吾『あなたが誰かを殺した』(講談社)、今村昌弘『でぃすぺる』(文藝春秋)と強豪揃い。数年前から「このミステリーがすごい!」の規定が変わり、奥付が「前年10月~今年9月末」までの本が対象になったので、年末ランキングを狙いたい本が9月に目掛けて出るようになった……という事情はあるにせよ、ちょっとこの重なり方はひどい。

     本当に泣きたい気分ですが、伊坂の〈殺し屋〉シリーズと東野の〈加賀恭一郎〉シリーズは、自分でも毎回楽しみにしているシリーズなので、多分今日にはうっきうきで読んでいると思いますよ(他人事なのは、私がこれを書いているのがまだ8月末であるため)。特に〈加賀恭一郎〉シリーズですが、私は『新参者』(講談社文庫)を読んで触発され、中学生の頃に人形町や水天宮前の界隈を歩き回ってあの世界に浸ったことがあるぐらい好きなのですが、『どちらかが彼女を殺した』『私が彼を殺した』(いずれも講談社文庫)は、当時一度読んだきりで、再読したことがなかったので、今回勇んで再読してみることに。どちらも結末が書かれていない(犯人が誰か明言されない)趣向の作品で、講談社ノベルスで発売された当初は問い合わせが殺到したという話もありますが、講談社文庫版にはいずれも西上心太による「推理の手引き《袋綴じ解説》」が付けられています。

     この二作、犯人当ての定石やら、論理的な考え方やらがまだよくわかっていない中学生の時期に読んでいるため、何が何やら分からず、「推理の手引き」を読んでも「分かったような分からないような……」とモヤモヤしたまま終わってしまっていました。しかし、あれから十五年を経て読み返してみると、描写の端々から「作者がどう解かせるつもりなのか」がくっきり見えてきたので、おお、自分も曲がりなりにも成長したんだなあと思いました。再読するのって、それ自体ももちろん楽しいんですが、「あの時より一つでも多くの要素を楽しめるか」「あの時よりも良い読みが出来るか」みたいなところで、それまでの読書経験を丸ごと裁かれるような気がして、緊張もするんですよね。そういう意味で、この二作品の再読は自分にとって貴重な経験でした。

     特に感動したのは『私が彼を殺した』。何に感動したかというと、解決編前に「では始めるとしましょう。アガサ・クリスティの世界をね」(同書、p.352)と加賀が宣言するんですよね。これは2ページ前に容疑者の一人が、容疑者を全員集めるなんて、クリスティの世界かよ、とあてこするのに応えての言葉です。これは再読するまで全く思い出さなかったセリフで、なぜなら、ここでいう「アガサ・クリスティ」というのは慣用句的なそれだろうと思っていたからなのです。有名な本格作家を代入出来る項にすぎなくて、ここがエラリー・クイーンでも横溝正史でも構わないのだろう、ぐらいに。

     ところが、この解決編、読み返してみるとなかなかどうしてクリスティなのです。三人の容疑者にはいずれも疑わしい行動や疑われる理由があるわけですが、その一つ一つに隠された意味を推理で明らかにしながら、それぞれの容疑者が「自分は犯人ではない」という「あらため」を行う。この手つきが、実にクリスティらしい。というのも、『ナイルに死す』『死との約束』におけるポアロの尋問は、「一度目が状況理解、手掛かり収集のフェーズ、二度目がそれぞれの疑惑を追及していく「あらため」のフェーズ、最後に全員集めて解決編」というシークエンスを取るのですが、『私が彼を殺した』において、「アガサ・クリスティの世界」を始めると宣言された後の解決編70ページは、この「あらため」のフェーズと解決編のフェーズをミックスしたような、圧倒的な面白さがあるのです。

     そして解決編の最後のピースを埋めるのは読者の仕事……となるわけですが、最後のページに登場した手掛かりをどう使うか、というのを考えると、作者が「どう解かせたいか」は分かりやすいと思います(そのあたりは袋綴じ解説に詳しいのでぜひ)。十五年越しに再読して「クリスティの世界」を初読時以上に楽しむことが出来たので大いに満足。ということで、『あなたが誰かを殺した』もとても楽しみ。

    〇「名探偵ポアロ」映画の話
    さて、「クリスティ」繋がりで、映画の話も入れさせてください(本題になかなか入らなくてごめんなさい)。9月15日に「名探偵ポアロ:ベネチアの亡霊」(2023)が公開されました(8月末に書いている原稿で映画の話が出来るのは、ディズニーより試写会に招待されたからです)。ケネス・ブラナーが監督・主演を務めるポアロ映画はこれで三作目。一作目は「オリエント急行殺人事件」(2017)、二作目は「ナイル殺人事件」(2022)で、それぞれ『オリエント急行の殺人』『ナイルに死す』を原作としていました。ここまではクリスティでもA級の作品を原作に、スーシェ版等々歴代のポアロ映像化とは違う「ケネス・ブラナー流」のポアロ解釈を示してきましたが、今回の原作はなんと『ハロウィーン・パーティ』

     もちろん、この作品もイギリスのハロウィーン・パーティの雰囲気を味わうことが出来、「あたし、前に人殺しを見たことがあるのよ」と口にした女の子が殺される、というクリスティらしい発端と謎解きを味わえる作品です。何より、ポアロ作品の愛すべき準レギュラーキャラ、女性作家のアリアドニ・オリヴァが登場する一作でもあります。とはいえ、『オリエント~』や『ナイル~』に比べれば、一枚か二枚落ちる作品であることは否定出来ないでしょう。だからこそ、ケネス・ブラナーがどのように料理するのか、映画を見るのが楽しみだったのです。

     結果……全然原作と違う! でも結構面白い。

     そもそもタイトルが「ベネチアの亡霊」で、舞台を水上都市ベネチアに移していますし、「この殺人事件の犯人は――人間か、亡霊か。」というキャッチコピー自体かなり不思議だったのですが、当然のように「死者の声を聴く」霊能者が登場し、殺人事件の被害者から証言を得るためにハロウィーン・パーティの日に「降霊会」が開かれるという筋立てが序盤で現れたので、これはむしろジョン・ディクスン・カー(カーター・ディクスン)の世界観では? と思ってしまった次第。正直、カーター・ディクスン『黒死荘の殺人』の映像化と言われても納得したと思います。撮り方や恐怖の演出も、ぶっちゃけかなりホラー寄り。

     第一の殺人からして内容がまるきり違います。リンゴ食い競争のためのバケツが使われるのは原作通りですが、標的が違います。この捻りも地味に上手い(第一の殺人を原作通りに映像化出来ないのは、13歳の少女が殺される、というシーンが今のコンプライアンスだと厳しいのかな、と思ったりもします)。第二・第三の殺人はオリジナルですし、そもそも降霊会のトリックや演出も独自のものということになります。ベネチアという舞台も、水上都市だからこそ生きる水位と恐怖の演出も、亡霊のシチュエーションから生じるポアロを苦しめる恐怖の数々も、全て原作読者が知らない光景です。

     しかし、クリスティの作品らしさは、きちんと全編に横溢しているのが不思議なところ。一人一人を尋問しながら秘密を暴いていき、真相に迫っていく確かな足取りは見事に再現されていますし、いくら画面がホラー映画のようでも、全関係者を集めて謎解きもちゃんとする。アリアドニ・オリヴァの使い方も面白いし、ラストの謎解きの余韻も快い。正直、ケネス・ブラナー版ポアロは、私にとって解釈違いで、「ナイル殺人事件」の口髭のエピソードは苦い顔をしながら見てしまったのですが(ただし、ポアロの口髭と関連する第三の殺人にまつわるアイディア、そのアレンジ自体は素晴らしいと思います)、今回は原作からかなり距離があったせいか、あまり気にせずに、パラレルな世界線のクリスティ映画として楽しむことが出来ました。

     個人的に好きだったポイントがもう一つ。今回、ポアロは隠遁生活に入っているという設定なので、「名探偵としては死んだ存在」という表現が映画の中でも使われており、「名探偵の復活」を描いた物語だといえるのです。そのうえ、刻一刻と水位が上がって、危機にさらされる屋敷の中で起こる殺人事件が描かれる……ということで、正直、他人事とは思えなかったというか(苦笑)。

    〇〈柄刀版・国名〉シリーズ、完結!

     いや~、遂に〈柄刀版・国名〉シリーズも、8月に刊行された柄刀一『或るスペイン岬の謎』(光文社)で完結となったわけです。2019年に『或るエジプト十字架の謎』(光文社/2022年に光文社文庫化)が刊行された時から――いや、正直な話、雑誌「ジャーロ」63号に、短編「或るエジプト十字架の謎」が掲載された時から――あのエラリー・クイーンに柄刀一が挑む! という興奮で、私は前のめりになっていたのでした。

     シリーズのリストと内容は以下の通り。

    ①『或るエジプト十字架の謎』(2019年5月刊行/2022年文庫化)・短編集
    収録作品:或るローマ帽子の謎/或るフランス白粉の謎/或るオランダ靴の謎/或るエジプト十字架の謎
    ②『或るギリシア棺の謎』(2021年2月刊行)・長編
    ③『或るアメリカ銃の謎』(2022年7月刊行)・中編集
    収録作品:或るアメリカ銃の謎/或るシャム双子の謎
    ④『或るスペイン岬の謎』(2023年8月刊行)・中編集
    収録作品:或るチャイナ橙の謎/或るスペイン岬の謎/或るニッポン樫鳥の謎

     このように見てみると、2018年に短編「或るエジプト十字架の謎」が「ジャーロ」に掲載されてから、足かけ5年で、柄刀一は〈柄刀版・国名〉シリーズを完結させたことになります。原典と違って全て長編というわけではないにせよ、なんという充実度とペース……。しかもドンドン完成度を増していくのですから、素晴らしいのなんの。

     柄刀一の魅力は大きく分けて三つあると思っています。「一、奇跡とさえ見紛う鮮やかなトリック」「二、端正かつ綺麗なロジックの鋭さ」「三、生真面目な文章から時折こぼれだす詩情」の三つです。このうち例えば「一」が強調されたのが、『奇蹟審問官アーサー 神の手の不可能殺人』(講談社ノベルス)における、まさに透明な神の手が首を絞めたとしか思えない鮮やか過ぎる不可能犯罪であったり、『fの魔弾』(光文社文庫)における、カーター・ディクスン『ユダの窓』を現代の住居で再現する、コロンブスの卵のような発想だったりするわけです。「一」と「三」が絡み合えば、SF的な世界観の中で詩情とトリックが絶妙に溶け合う、『アリア系銀河鉄道』『ゴーレムの檻』(いずれも光文社文庫)の〈三月宇佐見のお茶の会〉シリーズが生まれます。

     しかし、「二」のロジックの魅力も素晴らしいことを忘れてはなりません。〈柄刀版・国名〉シリーズでも主演を務める名探偵・南美希風のデビュー戦となった「イエローロード」(『OZの迷宮』〈光文社文庫〉収録)は、被害者のポケットに入っていた五十枚の十円玉という手掛かりから、論理だけで犯人に辿り着くロジック短編のマスターピースですし、『火の神アグニの熱い夏』(光文社文庫)は手掛かりを収束させる端正なロジックが魅力的な長編です(200ページ弱という長さも良い)。「見られていた密室」(『紳士ならざる者の心理学』〈祥伝社文庫〉収録)のように、「密室の中で被害者がダイイングメッセージを書いていることに犯人が気付いてしまったが、密室にしてしまったので入れない、どうするか?」というシチュエーションの中で、「見られていることを意識している被害者」と、「ダイイングメッセージの意味を推理したうえで探偵の解読を防ごうとする犯人」との心理戦を、ロジックだけで読み解いていく凄まじい作品もあります。これはダイイングメッセージ短編のオールタイムベスト。

     そんなわけで、ロジックにも並々ならぬこだわりを見せ、さらに高い完成度を誇る柄刀一が、エラリー・クイーンの〈国名〉シリーズに挑むというのは、私にとっては非常に納得のいくことだったのです。当然、新刊で出るたびに夢中になって読んでいましたが、今回はその完結を記念して、全作レビューを試みたいと思います。そしてこのシリーズ、クイーンの〈国名〉シリーズのどの部分をオマージュして、どこを外すか、という取捨選択が非常にユニークで面白いので、そういう部分の気付きも、ネタバレにならない程度に触れていきます。いずれクイーンと柄刀、両者のネタバレありで語れる場で、もっと精化してみたい気もしますが。以下で「原典」というのは、全て、エラリー・クイーンの〈国名〉シリーズのことを指すとお考え下さい。

    〇各作品の解題へ

    『或るエジプト十字架の謎』(2019年5月刊行/2022年文庫化)・短編集
    収録作品:或るローマ帽子の謎/或るフランス白粉の謎/或るオランダ靴の謎/或るエジプト十字架の謎

     第一弾です。「ジャーロ」での掲載順でいえば、原典の順番と逆に、エジプト→オランダ(64号)→フランス(67号)→ローマ(単行本刊行時に書き下ろし)と書かれていったのがちょっと面白いところ。

    「或るローマ帽子の謎」は、現場がトランクルームである時点で、劇場が舞台だった原典とはもちろん異なりますが、密室と帽子という取り合わせは原典通り。それどころか、帽子と頭部への執拗なこだわりは、原典よりも強烈かもしれません。最後に明かされる「なぜ?」の切れ味が好み。

    「或るフランス白粉の謎」は、白い粉が舞う殺人現場が舞台ですが、原典『フランス白粉の謎』を知っている人間は、恐らく開幕からニヤニヤすることになると思います。ちなみに原典『フランス白粉の謎』は、パートごとにエラリーの推理を少しずつ楽しむことが出来て、全編が楽しいので、クイーン作品の中でもかなり好きな一作です。

    「或るオランダ靴の謎」は、原典のように病院が舞台――というわけではありませんが、スニーカーや木靴、足跡などが入り乱れる点で、原典よりも「靴」に淫した作品であるといえるでしょう。原典『オランダ靴の謎』の魅力は、一足の靴の分析から犯人の属性を割り出してしまうロジックの鮮やかさと、第二の殺人にまつわる「ある物証」に基づく一発限定の鮮やかさにあると思いますが、「或るオランダ靴の謎」では、この段階で既に原典の『ギリシア棺の謎』のような趣向まで取り込んだうえで、かなりひねった一発限定ロジックを見せてくれるので嬉しくなってしまいます。「操りの構図」を作品内に取り入れてしまうと、推理の複雑さがインフレ化して、手掛かりが本物か偽物か判定するロジックを案出するのが難しくなってしまうのですが、この点で何度読んでも唸ってしまうのが麻耶雄嵩『隻眼の少女』(文春文庫)の最後の詰め。それとは別のアプローチで、しかし「操りの構図」における手掛かりの真贋判定の型のうち、有名かつ効果的なパターンを潰しているのが「或るオランダ靴」の靴だと思っています。細かく分類したらもっとあると思いますけど……。

    「或るエジプト十字架の謎」は、原典と同じように、被害者が「T」字型のエジプト十字架の姿勢を取っている、という謎が扱われていますが、その部分の処理については原典以上かもしれません。首の切断によって人を十字架にかけた時「T」の形になる……という点は原典と同じなのですが、原典では極論、首切りだけが必要であって、人を十字架に括り付ける部分は「演出」の一部であると言えます。ところが、「或るエジプト十字架の謎」は、なぜ死体が「T」の形であったか、という点に理屈をつけ、さらにそれをロジックに繋げてしまったのです。器用だなあ、こういうところ。

    『或るギリシア棺の謎』(2021年2月刊行)・長編

     本シリーズで唯一の長編作品。こんなにもレベルが高く、かつ、執拗なまでの論理的推理を構築する人間がまだいたとは……というのが『或るギリシア棺の謎』に対する率直な感想です。正直に言って、読み通すのは相当大変な一冊でした。一週間くらい、メモ取りながら少しずつ読み進めていった記憶があります。

     原典『ギリシア棺の謎』も、若きエラリーの事件、という特性がくっついていることもあり、エラリーが推理を構築し、それが瓦解し、また新しい展開が起こる……という流れを三回繰り返し、四回目にようやく真実に辿り着く「多重解決」の趣向を取り入れている作品でした。「操りの構図」や、それに伴う「真の手掛かり/偽の手掛かりをいかに判別するか?」という問題まで含めて、「後期クイーン問題」を取り扱う際に、必ずマイルストーンとなる一作であるわけです。

     しかし、『ギリシア棺の謎』は、推理の構築→瓦解の瞬間がいずれもダイナミックに描かれるため、なんというか、エラリーも派手にすっころびますし、「多重解決」というものに現代ミステリーのおかげでだいぶ慣れていた中学生時代の私でも、振り落とされずに楽しむことが出来た記憶があります。

     一方、『或るギリシア棺の謎』は推理とその瓦解、再構築がシームレスに、それも複雑に絡み合いながら行われるという印象が強く、それだけに、推理を丁寧に追いかける胆力が求められます。ただ、その構築性の高さから、粘り腰で丹念に追いかける価値のある一作だと思っています。

     それにしても、タイプライターまでオマージュとして登場するあたり、本当に柄刀一はクイーンが好きだなあ……。また、「白」と「黒」の伝承的な力によって、正義と悪、双方が生まれる一族という設定や、とあるものが視える少女・千理愛の設定などに、柄刀一の詩情が覗いている気がします。

    『或るアメリカ銃の謎』(2022年7月刊行)・中編集
    収録作品:或るアメリカ銃の謎/或るシャム双子の謎

     本書については、2022年8月に更新した第41回でも言及していますが、今回は特集なのでさらに突っ込んだことを書いておこうと思います。

    「或るアメリカ銃の謎」は、シチュエーションとして分かりやすい、原典における「ロデオ場での衆人環視下での殺人」であるとか、「二万人の容疑者からたった一人を特定するロジック」という方向性にはまったくいかず、愛知県のアメリカ領事私邸で起きた謎の射殺事件、という一見すると地味な道具立てになっています。しかし、原典『アメリカ銃の謎』の勘所を、「極小レベルの偶然をロジックに組み込む」という部分に求めるとするなら、柄刀のアプローチも、これを意想外の方向に膨らませたものといっていいでしょう。そこに日本が舞台であるからこそ組み込める、意外な手掛かりの妙を織り込んでいるのも面白いところ。

    「或るシャム双子の謎」は、原典における「山火事によって探偵も関係者も全員が危機に見舞われる」というプロットそのものと「ダイイングメッセージ」の要素を生かしています。原典『シャム双子の謎』は、私がクイーンで一番好きな作品で、あんな状況でも名探偵をするエラリーだったり、キレッキレのダイイングメッセージの趣向だったり、未だに何度読んでも面白い作品なのですが、「或るシャム双子の謎」では、クローズドサークルを琵琶湖周辺として、広く設定することによるドラマと、災害による悲劇の重さが強調されています。このクローズドサークルの設定自体が犯人当てにも生きてきますし、この「犯人の条件」の二回転半ひねりみたいな着想の巧さが好きです。原典との距離感と、オリジナリティの付与のバランスの意味では、やはりこの「或るシャム双子の謎」が一番好きかも。

     また、このあたりから顕著になってきますが、〈柄刀版・国名〉シリーズでは、その時々に題材としている原典(今回でいうと、アメリカ、シャム)以外の〈国名〉シリーズ作品の要素を、組み合わせながら巧く使っているという印象があります。このマッシュアップ、リミックスの部分も、どう作っていったのか想像しながら読むと楽しいです。

    『或るスペイン岬の謎』(2023年8月刊行)・中編集
    収録作品:或るチャイナ橙の謎/或るスペイン岬の謎/或るニッポン樫鳥の謎

     さて、最新刊です。最新刊にして最高傑作となっているのは、もうさすがとしか言いようがないでしょう。

     まず「或るチャイナ橙の謎」。原典との(明示された)類似点は、もちろん「部屋の中のものがさかさまにされている」という点と、現場が密室である点です。このうち「さかさま」の謎については、多くの後続ミステリーを生み出していて、法月綸太郎「中国蝸牛の謎」(『法月綸太郎の功績』〈講談社文庫〉収録)、東川篤哉「魔法使いとさかさまの部屋」(『魔法使いは完全犯罪の夢を見るか?』〈文春文庫〉収録)などがありますし、漫画では「名探偵コナン」の52巻にも同様のエピソードがあります(アニメ版のタイトルは「ひっくり返った結末」)。それぞれの作品が、「さかさまの部屋」の謎をアレンジして、「なぜさかさまにしたか?」という点に様々な必然性を付け加えているのですが、柄刀の作品もまた、別の方向性を希求しているのです。結末で殺人現場の謎が全て解き明かされた時に、このエピソードではもう一つ、「チャイナ」原典の本歌取りがなされていたことに、読者は初めて気付く――という仕掛け。粋です。

     次に「或るスペイン岬の謎」。原典の本歌取り箇所はもちろん、「被害者の衣服が全て脱がされていたのはなぜか」という謎です。日本での本歌取り例としてはとりあえず、有栖川有栖「菩提樹荘の殺人」(『菩提樹荘の殺人』〈文春文庫〉収録)、東川篤哉「南の島の殺人」(『中途半端な密室』〈光文社文庫〉収録)などが思い浮かぶところ(また東川作品だ……こうして考えると、やっぱり律儀に色々やってるなあ)。ドラマでは「古畑任三郎」「笑うカンガルー」も『スペイン岬』オマージュでしょう(陣内孝則が犯人の回)。「或るスペイン岬の謎」では、「被害者の衣服を奪う理由」の分類までなされているのがユニークですが、ここの部分の必然性は、原典にも匹敵するほど鮮やか。必然性があるのはもちろんなんですが、犯人当てとも直結しているので、余計に印象が良いんですよね。

     最後を飾るのは「或るニッポン樫鳥の謎」。原典である『ニッポン樫鳥の謎』は、原題では “The Door Between” であり、邦題が国名シリーズのようになっているだけなので、厳密には原典の国名シリーズは九作という向きもありますが(角川文庫の新訳の際には、『中途の家』を含めて〈国名シリーズプラスワン〉という惹句で復刊されました。『中途の家』は、たとえていうなら『スウェーデン燐寸マッチの謎』と名付けられるような、マッチのロジックが綺麗な作品なので、納得ではあります)、まあそういう経緯も込みで、日本人があえて「国名シリーズ」をやるのであれば、経緯込みで押さえておきたい書名の一つ。

     と、前置きが長くなりましたが、ここでは原典と、「或るニッポン樫鳥の謎」に共通するエピソードを丁寧に拾ってみたいと思います。柄刀作品の根本的なネタバレに踏み込むわけではないので、お許しを。

     さて、まずは原典から引用してきます。『ニッポン樫鳥の謎』の13節において、クイーンはある「実験」を行います。月曜日に石を放り込まれて窓が壊れたことが、事件に関連しているのかどうか。格子がついているのに、それをすり抜けて窓を割れるのかどうか。石を何度も投げて実験する、というくだりです。189~192ページが該当のシーンですが、一部を抜粋します。

    〝三たび、石ははねかえり、窓は壊れなかった。四度、五度……。
    「ちきしょう」と、テリーはいまいましそうにいった。「とうていやれないよ」
    「しかもなおかつ」と、エラリーは考えこむような口調でいった。「やれたのだ」
     テリーは上着をとりあげた。「だれかが、あの格子のあいだをくぐり抜けるようにねらって、石をほうったなんて、そんなことは、ぼくには信じられないよ。きみがいい出さなかったら、ぼくはやってもみなかったろう。二本の格子のあいだをうまく石がくぐり抜けるとしても、両側に半インチそこそこの余裕しか残らないものね」
    「そうだ」と、エラリーはいった。「きみのいうとおりだ」
    「大トレーンだって、できっこなしだ」
    「そうだ」と、エラリーはいった。「ジョンソン君にだって、できるとは思えない」
    「ティズにだってできない」
    「ディーン君にだって。そこでだ」と、エラリーはまゆをしかめながらいった。「この実験はあることを証明している」
    「そうさ」と、テリーは帽子をぐいとかぶりながらあざけるようにいった。「石は、こんどの殺人には、なんの関係もないことを証明している。ぼくは、月曜日の午後から知っていたよ」〟(『ニッポン樫鳥の謎』〈創元推理文庫〉、p.191~192)

    「大トレーン」から「ディーン君」までの名は、いずれも当時のメジャーリーガーの名前です。そういう人にだって、あの窓は意図的に割れたわけがない。だから偶然であり、事件とは無関係だ、という論理ですね。このどうってことないエピソードを、私がやたらと覚えていたのには、理由があります。この箇所は、有栖川有栖「四分間では短すぎる」(『江神二郎の洞察』〈創元推理文庫〉収録)において言及されているのです。

     有栖川の短編の主題は、ハリイ・ケメルマン「九マイルは遠すぎる」の本歌取りと、松本清張『点と線』における〈空白の四分間〉の謎に対する批評的な視点の提示にあると思われるのですが、〈空白の四分間〉は偶然に過ぎないだろう、不自然だ、という理屈を述べる前に、『ニッポン樫鳥』を引用するわけです。部員の一人、織田が一週間前に読んだ『ニッポン樫鳥』について、学生アリスや望月らと会話するパートです。エラリーが行う石投げの実験の結果はどうだった? とアリスが問われて、答える部分から、

    〝「なんぼやっても、はずれるんです。大リーグのエースが投げても当たるもんやない、というのが実験の結果でした」
    「正解。そこからエラリーが導いた結論は、〈犯人が意図してガラスを割った、ということはあり得ない。ガラスが割れたのは事件と無関係だ〉。実に論理的やな。万人を納得させるロジックや」〟(「四分間では短すぎる」より。『江神二郎の洞察』〈創元推理文庫〉p.204)

     このあと、織田たちはこの理屈を『点と線』にあてはめるわけですが、そこは『点と線』のネタバレにあたるので割愛。これを読んだのは『江神二郎の洞察』単行本刊行時の2012年、高校生の頃でしたが、原典を読むだけでは忘れがちなこの部分を、「実に論理的」と評しているのが妙に心に残って、未だに覚えているという次第。

     さて、ここでようやく、柄刀版『ニッポン』に話が戻ります。この話を踏まえると分かってもらえると思うのですが……実は柄刀版でも、この「石とガラス窓」のエピソードが印象的に登場するのです。

     しかし、その扱いと解釈は、有栖川のものとは真逆をいっているように思えます。「極小レベルの可能性は、偶然として無視して良い――これが論理である」と表現するのが有栖川の解釈であるなら、「極小レベルの可能性が眼前で行われたならば――それは奇蹟である」とするのが柄刀の解釈といえるでしょう。柄刀の魅力として挙げた三つの項目のうち、「生真面目な文章から時折こぼれだす詩情」の部分が、最後にこぼれてくるのです。

     森そのものに抱かれるような、詩情あふれる結末を含めて、これぞまさしく柄刀のロマン、という終わり方にはため息が漏れます。あ、もちろん、「或るニッポン樫鳥の謎」に出てくる密室トリックも、他で全く見たことがない構成要素によるものでとても面白いんですよ。その点も含めて、注目です。

    (2023年9月)



第64回2023.09.08
全員信用ならないなあ…… ~作家小説大豊作~

  • トゥルー・クライム・ストーリー、書影


    ジョセフ・ノックス
    『トゥルー・クライム・ストーリー』
    (新潮文庫)

  • 〇少し早めの告知から

     9月22日発売の「小説新潮10月号」に、シリーズ短編「そして誰にも共感出来なかった 迷探偵・夢見灯の読書会」が掲載される予定です。これは今年の「2月号」から始めたシリーズの第二弾ですね。大学生の夢見灯が読書会を開くと、その読書会の課題本に似た事件が起こる「夢」に取り込まれることになり、その事件の謎を解くまで夢から醒めることが出来ない……という設定のミステリー。

     第二弾の課題本は、タイトルで雰囲気が伝わるかもしれませんが、アガサ・クリスティー『そして誰もいなくなった』(ハヤカワ・ミステリ文庫)です。十人が孤島に行って全員死ぬ……という謎を、短編で再現する関係で四人に限定しましたが、それでもかなり慌ただしい殺人劇となってしまいました。このシリーズでは古典ミステリー等々のオマージュを色々実験していきたいので、引き続き頑張っていきます。

    〇『レーエンデ国物語』の話題から

     第59回で特集しました、多崎礼の新シリーズ『レーエンデ国物語』ですが、去る8月に第2巻『レーエンデ国物語 月と太陽』(講談社)が刊行されました。第59回でも、このシリーズは新刊が出るたびに感想を書く、と予告していましたので、公約通りまずはその感想を。

     第1作から時代はくだり、今回は名家の少年・ルチアーノと怪力無双の少女・テッサ、この二人の視点で物語が進んでいきます。ルチアーノは屋敷を襲撃され、村に流れ着き、そこでテッサをはじめ大切な人たちに出会うことになりますが、そこにも魔の手が忍び寄る。一方、テッサは戦場に出て、戦いの世界に身を投じていく。互いに深く思い合って、結婚の約束をしながらも、別の道を歩み始めた二人の人生が、ある事件をきっかけにまた交錯してしまうという、序盤の筋運びからして熟達の風格ですが、中盤~終盤にかけて、「革命」の物語が激しくなっていくところで私は大興奮。

     凄い話です。第1巻『レーエンデ国物語』が、苛烈な運命を描いた話でありながら、ファンタジー世界が内包する宝石のような美しさを宿した、いわば「過酷なおとぎ話」の輝きをたたえていたとすれば、第2巻『月と太陽』は真っ赤な色で塗りたくられた、「戦争」と「革命」の物語として、大きく舵を切っているのです(帯に「大人のための王道ファンタジー」と謳われているのは、これが理由でしょうか)。共通の世界観を持ちながら、その目指すところが全く違う。

     7月にMRC(メフィスト・リーダーズ・クラブ)で開催されたトークショーにおいて、著者は、昨今のウクライナ情勢を見ながら、第2巻の展開について思い悩んだことを話していましたが、その懊悩にも納得のいくような過激な展開を、『月と太陽』は見せていきます。本を読んでここまで暗澹たる気持ちになったのは久しぶりですが、それだけに、この先の物語をもっと見届けたいという気持ちも強くなりました。

     ……というか! もうここまできたら、早く次を読ませてくれッ! このままではあまりにつらすぎるよ!

    〇「作家小説」が揃いました

     さて、今月の新刊ですが、奇妙なことに「作家小説」が三冊も大集合。これも自分なりの用語ですが、「作家が作中に作家(自分の分身であったり、あるいは自分自身であったり)を登場させるメタフィクショナルな小説」という意味で使っています。この回では、現実の作者自身を指す場合は「著者」、作中に登場する小説家のキャラクターを指す場合は「作家」と呼んで区別していこうと思います。取り上げる作品三冊のリストを先に掲げておくと、

    ・ギヨーム・ミュッソ『人生は小説ロマン』(集英社文庫)
    ・最東対地『花怪壇』(光文社)
    ・ジョセフ・ノックス『トゥルー・クライム・ストーリー』(新潮文庫)

     ではまずは、ギヨーム・ミュッソ『人生は小説ロマン 』(集英社文庫)から。近年、集英社文庫から精力的に邦訳され、同社でのミュッソ紹介はこれが五作品目となります(以前、小学館文庫や潮文庫で訳されていたことがあります)。ミュッソは以前から、読者の鼻面を引きずり回すような語りの魅力が素晴らしく、あれよあれよと凄い地点まで連れていかれる『ブルックリンの少女』や、ラブコメ要素と美術ミステリーを追加した『パリのアパルトマン』など、面白い作品が目白押しでした。そして2020年に邦訳された『作家の秘められた人生』が、断筆宣言した作家の謎を巡るミステリーだったので、この人は「作家小説」も絶妙だなと思っていたのです。

     そして『人生は小説ロマン』もまた、「作家小説」の逸品なのです。本作に登場するのは、『迷宮ラビリンスにいる少女』という作品で一躍有名になり、フランツ・カフカ賞を受賞するに至った小説家、フローラ・コンウェイ。彼女は人前に出るのを好まず、対外的には「社会不安障害」を抱えていると説明をしている……という設定ですが、ニューヨークの自宅において彼女の娘が突如として姿を消し、誘拐疑惑が立ち上がるのが序盤の展開。その事件のカギを握るのは、パリに住むベストセラー作家、ロマン・オゾルスキ。しかし、なぜ、遠く離れた場所に住むロマンが、鍵を握っているのか? その趣向こそが、本書の最大のキモなのです。

    「メタフィクショナルな構造が、互いの尾を噛むウロボロスの蛇のように絡み合う逸品」――ということも出来ますし、「限りなく読者を馬鹿にし、煙に巻いた、最後の最後まで愉快なケッサク」ということも出来るのがこの作品です。個人的には大いにハマってしまって、ラストシーンにも妙な感動を覚えてしまったのが非常に悔しい。また、フローラ・コンウェイのパートにおいて、「ライター・ショップ」という、作家由来の品物や遺品を売る謎のショップが登場するのですが、その店の設定と、売られている品物のリストがめちゃくちゃ面白い。ウラジーミル・ナボコフのモルヒネ注射アンプルでしばらく笑っていました。誰が買うんだ。

     ミュッソには引用癖もあり、章の頭には必ずと言っていいほど引用句が取られていて、今作でもレイ・ブラッドベリや村上春樹(!?)など錚々たるメンツが登場するのですが(ただし、引用元の作品などは示されていないので、探すのは難しい。村上春樹だけは、『職業としての小説家』〈新潮文庫〉からの引用であると明かされています)、本作は最初の引用と最後の引用がジョルジュ・シムノンになっているというのが美しい。シムノンの言葉がラストの「謎の感動」に、また良い味を加えてくれるのです。

    〇「作家登場」ホラーミステリー、異形の進化形

     次に紹介するのは最東対地『花怪壇』(光文社)。恥ずかしながら著者の作品を読むのは初めてでしたが、趣向に淫したメタフィクショナルな試みに大満足しました。本作には、作家「最東対地」がその名前のまま登場し、大阪の夜凪を舞台にしたホラー小説を書こうと取材をしていきます。夜凪とは、大阪に五つある色街のことで、序盤は章ごとに「各夜凪の特徴を記した見開きのパート」「作家・最東対地による取材等のパート」「取材により収集した色街にまつわる怪談のパート」の三部構成を何度も反復していくことになります。この反復により、次第に虚実の境が曖昧になっていく読み味がまずたまらない。

     また、作家・最東対地パートでは、取材のシーンだけでなく、編集者との打ち合わせパートや友人作家との飲み会のパートなど、限りなく著者自身の現実に近いのかもしれない――と思わせるような会話劇が多く挿入され、なおさら虚実の境目を曖昧にしていきます。帯に推薦文を書いている今村昌弘、織守きょうや、清水朔、額賀澪らが、名前を改変されて登場するくだりなどは、悪い笑いが込み上げてきますね。

     そのように、ホラーや怪談というよりはブラックユーモアの気配すら感じながら読み進めていくと、ある部分で現実の底が抜け、輪をかけてメタフィクショナルな趣向と、薄ら寒い感覚を絶えず喚起される意外な展開が待ち受けます。ここのスリルが素晴らしい。そこまできたら、もういよいよページを捲る手は止められず、ラストまで一直線に楽しめます。

     日本では三津田信三の諸作、例えば『蛇棺葬』『百蛇堂 怪談作家の語る話』(いずれも講談社文庫)や、あるいは澤村伊智『恐怖小説キリカ』(講談社文庫)などで試みられていた、著者自身あるいは著者を投影した作家が作中に登場することで、作品現実と我々の現実の境目を曖昧にし、読者を恐怖に引きずり込むメタフィクショナルな趣向――その最新形が、『花怪壇』といえるのではないでしょうか。いやあ、めちゃくちゃいいですよ、これ。特に作家は全員読むべきですね。そして光文社と付き合いのある人間も読むべき。知ってる人が出て来るよ。

    〇いくところまでいっちゃった、究極形の「作家小説」

     そして今回のトリを飾るのは、ジョセフ・ノックス『トゥルー・クライム・ストーリー』(新潮文庫)です。2021年に邦訳された『スリーブウォーカー』の解説を書かせていただいた時、原書の情報だけを聞いていたので、ずっと期待しながら待っていたのですが、いやあ、期待を裏切らない……変な本だ!(笑)

     本作『トゥルー・クライム・ストーリー』は、ジョセフ・ノックス自身も登場する犯罪ノンフィクション――という「体」を取った、著者の最新作です。作中で描かれるのは、女子大学生ゾーイ・ノーランの失踪事件。ゾーイはなぜ失踪したのか、誰が関与しているのか、犯人は誰なのか。その謎を探るため、ジョセフ・ノックスの友人である作家イヴリン・ミッチェルは取材に乗り出します。本書は、「イヴリンが聴取した事件関係者のインタビュー」と「イヴリンとノックスによるメールのやり取り」、そして「ジョセフ・ノックスが読者に向けて書いたパート」などで構成されており、一見無味乾燥な記録のみから構成されるという点では、昨年集英社文庫から刊行された本格ミステリー、ジャニス・ハレット『ポピーのためにできること』を思い出させる作風です。

     しかし、『ポピーのためにできること』とは一つ、明瞭に違う点があります。『ポピーのためにできること』は、「事件が起こる前」のメールのやり取りにより構成されていましたが、『トゥルー・クライム・ストーリー』は「事件が起こった後」のインタビューによって構成されていることです。これはミステリーにおいては重要な意味を持ちます。「事件が起こる前」の出来事では、登場人物たちが嘘をつくはずがないからです(ただし例外はあり、見栄を張りたかったり、隠し事をしたいなどの理由があって、その人物が日常的に嘘をついている可能性はあります)。まだ事件は起きていないですし――まして、メールなどという個人的なものを後から覗かれるとは思わないわけですから――なおさら、変な噓をつく必要はありません。だからこそ、『ポピー~』の読み心地はむしろ、噓か本当かを見破っていくというよりも、無味乾燥な記録の中に読者が意味を見いだしていき、まだ見ぬ事件を想像し紡いでいくところにあります。積極的な態度が求められてしまうわけです。

     一方、『トゥルー・クライム・ストーリー』における「インタビュー」は、「事件が起こった後」に語られた話であり、登場人物たちは自分の正当性を主張するために、自分は間違っていなかったと納得するために、あるいは体裁を気にするがゆえに、インタビュアーに対して嘘をつきます。だからこそ読者は、情報のタペストリーを提示されながら、同時に「この人物が言っているのは本当なのか? 嘘なのか?」を絶えず考えることになります。

     普通なら、真偽の判別を含む点で、情報量としてはこちらの方が多く、脳負荷がかかるはずなのですが、そうはなりません。なぜなら、この形式を用いることによって、著者は読者の「予断」を自由に操作することが出来、その「予断」によって「読み味」を提示することが出来るからです。疑惑の濃淡や情報の繋がりによって、読者がこの記録をどう読めばいいか、誘導してしまう……これが巧いのです。『ポピーのためにできること』が「読み解く」体験だとするなら、『トゥルー・クライム・ストーリー』は「読まされてしまう」体験ということが出来るでしょう。

     とはいえ、これだけならこれまでのインタビュー小説と変わりません。インタビューの中から登場人物たちの関係性を起ち上げ、真相に迫っていく作品として、ヒラリー・ウォー『この町の誰かが』(創元推理文庫)、恩田陸『ユージニア』(角川文庫)『Q&A』(幻冬舎文庫)、近年ではホリー・ジャクソン『自由研究には向かない殺人』(創元推理文庫)などが挙げられますが、『トゥルー・クライム・ストーリー』がこれら先行作品に比べてよりスリリングなのは、作家であるジョセフ・ノックスですら信頼出来るかどうか分からない、という点です。『トゥルー・クライム・ストーリー』は、そもそもわれわれ読者が手にしている作品は「第二版」であり、「第一版」では省かれていた本件に対するジョセフ・ノックス氏の関わりについても描写を追加したものだ、と冒頭で宣言されるのです。しかも、この本を出した出版社が、もうこれを機にノックスとは仕事をしないと突っぱねるというおまけつき。このように、作家自身が事件に対する利害関係者であることが明かされることによって、そもそも正しい情報を作家が提供しているのかどうか、情報の取捨選択が行われているのではないか、という疑惑が絶えず惹起されるようになります。ジョセフとイヴリンのやり取りが、ジョセフによって一部が黒塗りされ、検閲の印象を与えるのもその疑惑を強めています。

     ただでさえ嘘をついている可能性が高い事件関係者たちと、一ミリも信用できない異常作家。そんな話を700ページ近く読まされて面白いのか? と思われるかもしれませんが、これが、面白いんですよねえ、たまらなく。疑惑の方向性を作者が絶えずいじくりまわして、失踪事件が起こる前の人間関係でも、不穏な事件をたくさん起こしてくれるので、飽きずに読み進めることが出来ますし、終盤できっちり意外な犯人も出て来るのでミステリーとしても満足度が高い。

     というわけで、本作、非常にオススメです。偏愛度だけでいえば、ギヨーム・ミュッソ『人生は小説ロマン』は今年のイチオシ偏愛作ですが、それにプラスして完成度も高いのがジョセフ・ノックス『トゥルー・クライム・ストーリー』という感じです。今年一番面白い小説は人によって割れそうな年ですが、今年一番好きな海外ミステリーはノックスになりそうな予感!

     ……それにしても、巻末の作品リストを見る限り、2021年に『トゥルー・クライム・ストーリー』の原書を発表して以来、ノックスは本国でも作品をまだ出していないようなのですが……この次はどうするつもりなんだろう。それとも、これが最後みたいな覚悟で書いているのかな……いやあ、でもジョセフ・ノックス、やっぱりビシバシミステリーセンスを感じる人だし、もっと読ませてほしいよ、ほんと……。

    (2023年9月)



第63回2023.08.25
翻訳ミステリー特集・2023年版 後半戦 ~シビれるような「名探偵」~

  • 処刑台広場の女、書影


    マーティン・エドワーズ
    『処刑台広場の女』
    (ハヤカワ・ミステリ文庫)

  • 〇宣伝から

     今月、小学館の雑誌「STORY BOX」が紙版最終号を迎えます。自分が初めて「書評」を依頼された媒体だけに、なんだかさみしい思いです。10月号を休刊とし、11月号からはWEBで再始動ということで、動向にも注目、ですね。

     そんな紙版最終号にどうにか間に合ったのが、新シリーズ〈特別養護老人ホーム・隅野苑〉の第一話「回廊の死角」。特別養護老人ホームに入居している由比等隴人ゆいとう・ろうじんという男は認知症を抱えているのですが、事件の謎を投げ掛けるやいなや、安楽椅子探偵に変貌するという趣向です。第一話では病院内で発生した殺人事件の謎を聞いただけで解き明かします。安楽椅子探偵をシリーズでやるのはこれが初めてですが、かなり難しいなあと悪戦苦闘しました。あと何話かは書かないといけないわけですが……。

    〇前置き

     今回は本題に入る前に、何作かメディア・ミステリーの話もしたいので、先にこちらで、メインで取り上げる作品のリストを掲載します。

    ・千街晶之『ミステリ映像の最前線 原作と映像の交叉光線クロスライト』(書肆侃侃房)/同 『原作と映像の交叉光線クロスライト ミステリ映像の現在形』(東京創元社)
    ・TVドラマ「ラストマン-全盲の捜査官-」(TBS系列)
    ・ゲーム「超探偵事件簿 レインコード」(スパイク・チュンソフト)
    ・蔡駿『忘却の河』(竹書房文庫)/同『幽霊ホテルからの手紙』(文藝春秋)
    ・スティーヴン・キング『異能機関』(文藝春秋)
    ・デイヴィッド・ギルマン『イングリッシュマン 復讐のロシア』(ハヤカワ文庫NV)
    ・マーティン・エドワーズ『処刑台広場の女』(ハヤカワ・ミステリ文庫)/同『探偵小説の黄金時代』(国書刊行会)

    〇メディアミステリーの話題から

     去る7月、千街晶之『ミステリ映像の最前線 原作と映像の交叉光線クロスライト』(書肆侃侃房)が刊行されました。2014年に刊行された千街晶之『原作と映像の交叉光線クロスライト ミステリ映像の現在形』(東京創元社)の続編にあたる作品です。第二作を『最前線』、第一作を『現在形』と以下では簡略化して表記します。

    『現在形』は「ミステリーズ!」vol.23~49に連載した評論に書き下ろしを加えたもので、2000年代以降の映像ミステリー作品に焦点を当て、その細部に注目した絵解きになっています。中でも、私自身、作品を見て大いに興奮したアニメ「UN-GO」(坂口安吾『明治開化 安吾捕物帖』だけでなく、短編「アンゴウ」「選挙殺人事件」「白痴」、未刊の長編『復員殺人事件』をも原案としている)について、その詳細な分析と魅力を解体しているのに興奮させられましたし、映画「告白」(湊かなえ『告白』が原作)のような、原作とあまりにかけ離れた作品でも、その意図を明確に読み解く姿勢に感動したのです。この『現在形』において、著者は自らの姿勢を次のように述べています。

    〝原作と映像を比較する際は、普通なら見落とされそうな細部に出来る限り注目することにした。細部の改変にこそ、映像化に関わったクリエイターたちの意図が籠められている可能性があると考えたからである。そして、そのような細部の改変の積み重ねから浮かび上がってくるものを、ミステリにおける探偵のように緻密に読み解いてゆきたい……というのが本書における私の挑戦である。〟(『原作と映像の交叉光線 ミステリ映像の現在形』「まえがき」、p.4~5より)

     もう、めちゃくちゃかっこよくないですか?(語彙の消失)

    ……というオタク的感想はさておき、この「細部」に注目するこだわりが、この一連の論考を刺激的なものにしているのだと思います。この姿勢は第二作『最前線』でも明瞭に受け継がれています。こちらは探偵小説研究会の同人誌「CRITICA」に掲載された原稿をまとめたものなので、まとめて読めるのが貴重で嬉しい限り(私も何号かは所持していますが、文学フリマに行けずに買い逃した号もあります)。

     第二作『最前線』の一つの目玉は、麻耶雄嵩『貴族探偵』『貴族探偵対女探偵』(集英社文庫)を原作とした「月9」ドラマ「貴族探偵」に関する論考「探偵と呼ばれる資格」でしょう。いま一番信頼出来るミステリー映像脚本家である黒岩勉が脚本家である時点で、私は大喜びで見ていたのですが、期待を全く裏切らない原作の換骨奪胎ぶりに舌を巻いていました。とはいえ、私の注目は短編「こうもり」と「幣もとりあへず」の映像化という「困難だろうなぁ」と思ったものにだけ向けられていたのも確か。ところがこの原稿では、全てのエピソードについて、追加された謎や手掛かりを明瞭に読み解いていくのです。

     同じような感動を覚えたところでいうと、「悪魔が来りて笛を吹く」について論じた「禁忌と境界」で書かれた「訛り」の手掛かりでしょうか。この部分、確かに映像で見た時に、あぁ、なるほどと思ったのですが、きっちり言語化出来ていなかったので、論考を読むまで思い出すことが出来ませんでした。『屍人荘の殺人』の映画で、映像だからこそ示せる手掛かりとして置かれたあるシーンの意図とか、改変だったと言われるまで全然気付いていなかったし……アニメ「ジョーカー・ゲーム」についても、柳広司の原作を読んでからだいぶ間が空いて視聴したので、「なんだか変な建付けのアニメだな」と一話で感じたのですが、その違和感の理由が説明されていて、過去の自分の感覚を謎解きしてもらった気分。アニメにも映像にも、とにかくミステリーにどっぷり浸かっている私にとって、これ以上ないほど面白い本ですし、紹介されている映像作品をどんどん見たくなってしまいます。「サスペリア」リメイクの改変についての論考は、他にどこにもないのでは……?

     と、そんなわけで、千街晶之の『現在形』『最前線』に大いに触発されて、以下ではまず、6月に完結、発売された、二つのメディアミステリーを紹介してみます。これらは原作付きじゃないので、ただ私が語りたいだけなんですけどね。

    〇TVドラマ「ラストマン-全盲の捜査官-」について

     本作は、全盲のFBI捜査官・皆実広見(演じるのは福山雅治)とそのアテンドを命じられた警察庁人材交流企画室の室長・護道心太朗(演じるのは大泉洋)のバディを描いたミステリー連作でした。ハンディキャップを抱えた名探偵と、それを補佐する助手役という構図がジェフリー・ディーヴァーの〈リンカーン・ライム〉シリーズを思わせ、おまけに脚本が黒岩勉ということで大注目していた作品であり、その期待を全く裏切られなかった傑作。各話ごとの見所の作り方と、シリーズを通した時の登場人物たちの成長と繋がりの描き方の按配が見事で、毎話ため息が漏れていました。

     ミステリー的な見どころは、皆実が大ファンである刑事ドラマの役者たちが事件に巻き込まれる3話のじっくりと腰を据えた消去法推理と、「エンタメ・どんでん返しの骨法全部盛り」といった風情の、立てこもり事件を描く6話あたりでしょうか。6話のどんでん返しって、ジェフリー・ディーヴァーの中編「トラブル・イン・マインド」をすごく思い出してそそられましたね。逆転の手法と、そのカギを画面の中にしっかり埋め込んでいるのが好きなんですよ。今田美桜演じる吾妻の過去に関わる、痴漢事件を扱った4話なども、現代を抉るミステリーとしての切れ味と、キャラクターを描く深度がぴったり一致していて素晴らしい。あとところどころ大泉洋が福山雅治のモノマネして笑かしてくるのやめて。

     連作としての白眉は、最終2話で解き明かされる、皆実と護道、二人の因縁にまつわる物語です。特に「なぜ階段の途中で二人の人物が揉み合っていたか?」という謎に対する解答はすごくスマートだと思うなあ。日本でも海外でも、あまたの「バディもの」が書かれてきた中で、こんな構図に辿り着いた作品が他にないという点でも、見逃すことが出来ない作品。私はもちろんBlu-rayを予約しました。

    〇ゲーム「超探偵事件簿 レインコード」について(どんな予断も持ちたくない人は、この節を飛ばしてください!)

     さて、蛇足ついでにもう一作。( )で書いておいたのは、まだ発売から2カ月ほどのゲームなので、自分でやりたくて、どんな種類の予断も持ちたくない人がいると思ったため。アドベンチャーゲームはどうしても時間かかりますからねー。ゲームシステムやキャストの情報はここでは割愛するので、各自公式サイトなどを参照してください。

     スパイク・チュンソフトの新作「超探偵事件簿 レインコード」は、〈ダンガンロンパ〉チームによる最新作。シナリオにはおなじみ小高和剛はもちろん、「ニューダンガンロンパV3 みんなのコロシアイ新学期」では「トリック協力」の立場だった北山猛邦の名が、「メインシナリオ」のライターとしてしっかりクレジットされています。誤解を恐れずに言うならば、「ダンガンロンパ」には元々、生徒たちの特殊能力=「超高校級の〇〇」を使った「飛び道具」的な発想の魅力が、基礎としてのロジカルな推理の上にきちんと乗っかっていて、それがサイコポップな世界観と絶妙にマッチしていたのですが、北山猛邦が参加した途端、そこに「北山の物理トリック」の豪快な味わいがプラスされたと思うのです。「ニューダンガンロンパV3」3話の「籠密室」の面白さは何度でも強調していきたいし、小説『ダンガンロンパ霧切2』(星海社FICTIONS)がマジで面白いことも何度でも言っていきたい。『霧切3』も好きだぞ。

     で、「レインコード」なのですが、本作も北山本格が好きな人はやってほしいと思うんですよ。各話のタイトルがその趣向を表していたりして、事件の方向性を示してしまうので、厳密なネタバレを避けるとそこも書けないのですが……このゲーム、0話始まりで、その次の1話が……なんとね、四連続密室殺人事件の話なんですよ。それぞれの密室トリックは初級編くらいの難易度なのですが、推理ゲームとしての面白さを担保しながら、バリエーションの違う密室トリックを四つもプレゼンテーション出来るこのチームの強さよ。あとねえ、美術館の密室は……めちゃくちゃ気持ちいい。動きがある密室トリックって気持ちいいですよね。

     2話や、とあるエピソードでは「謎迷宮」という本作の根幹設定を使ったエモーショナルな「謎解き」の趣向を見せつけてくれますし(どれとは言えねえが、今回もミステリーゲームベストエピソード級の作品があった! いいぞ! 性格悪くて! このチームはこうでなくっちゃな!!!)、いつも大ちゃぶ台返しを繰り出されて興醒めしていた最終話さえも、今回は作中世界の義をしっかり通す話になっていて、感動を受け取って帰ることが出来ました。町一つ使ったプロットになっているおかげで、いつも空虚を掻っ切っている「陰謀論」が、スケールを備えて着地したという感触です。普段付き合いのある年上の人ほど、「ゲームはやらん!」と拒絶されてしまうのですが、このチームの作品はゲームだからこそ出来るミステリーの表現と演出に注力しているので毎回好きですね。ミステリーだと聞けばドラマでも漫画でもゲームでもアニメでも舞台でも飛んでいくのが私です。どうかしている。

     また、このチームの特徴として、「この謎を解くことに意味があるのか」「犯人を追い詰めることに理由があるのか」などの青臭い青春ミステリー的な悩みをどっぷり描いてくれるところがあって、「ダンガンロンパ」シリーズでは最後に梯子を外される時も多いのですが、今作「レインコード」は、主人公ユーマ・ココヘッドの苦悩と成長の物語として、最後まで首尾一貫してくれたのも大いに大満足。今年の私的「名探偵概念」ナンバーワンは、このユーマ・ココヘッド、もしくは……以下の「翻訳ミステリー特集」で最後に紹介する、彼女、で決まりでしょう。

    〇翻訳ミステリー特集・後半戦へ突入!

     さて、後半戦では、竹書房文庫から蔡駿『忘却の河』(竹書房文庫)を大プッシュ。純粋に作品の面白さだけなら、本年度のベストを獲れる作品だと思っています。第一部では1995年、名門高校の教師・申明シェンミンは学校での殺人事件に巻き込まれ、何者かに殺されてしまいます。彼は来世に転生する際、前世の記憶を忘れることが出来る〈孟婆湯もうばとう〉を飲もうとしますが、口に入れた瞬間、気持ち悪くなって吐いてしまう。すると転生後の彼の記憶はどうなったか? 彼は前世の記憶と現世の人格がまだら模様の如く共存する、不思議な天才小学生になってしまった……というのが基本設定。

     実は蔡駿は今年、『幽霊ホテルからの手紙』(文藝春秋)という作品も邦訳されていますが、『幽霊ホテル~』が本国で2004年に刊行されたのに対し(邦訳に使用されたのは2018年刊行の新版のようです)、『忘却の河』は2013年に刊行されているのです(邦訳に使用されたのは2018年のフランス語版)。『幽霊ホテルの手紙』自体も、ホテルに泊まった作家から送られた12通の手紙を少しずつ読むごとに、出来事の構図が変わっていくメタ・ホラーの良作で、私はかなり楽しんだのですが(作中で森村誠一『野性の証明』に言及された時は驚きましたが)、『忘却の河』の出来は『幽霊ホテル~』を圧倒的に凌駕しています。輪廻転生という現象の面白さもさることながら、上に紹介したあらすじは全て「申明」の目を通したものですが、この五部構成の小説では、語り手を少しずつスライドしながら、それぞれの視点で真相に迫っていくのです。「申明」とその生まれ変わりの少年の存在は、絶妙に宙ぶらりんにされながら、プロットを駆動していくという仕組み。この匙加減が巧妙なのです。

     また、『忘却の河』がフランス語から重訳された――という事情も、日本においては、ちょっと変わった味付けとして機能したと思います。というのも、輪廻転生をしたために前世の記憶と現世の存在が同居するようになった――という設定は、フランス・ミステリーにおける、アイデンディティーのスクラッチングと非常に相性がいいからです。つまり、『忘却の河』というのは、フランス・ミステリーが持つある種の魅力をたたえている作品だというのが、この形で読んだから分かった、というか……国を基準に作風を語るのは空虚に陥る場合もありますが、この感覚はちょっと面白いと思ったので書き残しておく次第です。また、フランス語翻訳チームが訳したせいなのか、登場人物たちの中国語読みが、見開きごとに初出ルビで振られていたのも、気遣いとして読みやすさに寄与していた気がします。

     そんな蔡駿、実は本国では「中国のスティーヴン・キング」と呼ばれているのですが、本家(本家?)スティーヴン・キングも、今年は新作が邦訳されています。『異能機関』(文藝春秋)がそれ。

    『異能機関』の主人公は、抜群の頭脳を持つ「神童」ルーク。彼には頭の良さだけでなく、もう一つ特殊な能力があった。手を触れずに、小さなものを動かしてしまうのだ。他人に気付かれるほどでもない能力だったが、彼は突然、超能力少年少女を集める謎の機関〈研究所〉に誘拐されてしまう。同じ境遇の少年少女たちと共に、〈研究所〉の圧政に耐えるルークは逃亡計画を練り始めるが……。

     本作を読んで真っ先に思い出したのは、キングの作品『ファイアースターター』や、宮部みゆきの『クロスファイア』『鳩笛草』といった、超能力少年・少女たちを描いたSFサスペンス。こういった傑作群を懐かしく思い出すと同時に、そうか、特別な能力を持つがゆえの苦悩や事件という私の発想は、こういう作品群から来ているのかも……とか懐かしく考えた次第。

     閑話休題。『異能機関』を読んで久しぶりに興奮したのは、「敵」がちゃんとおっかないこと。マジで今回、「敵」が強いんですよ。もちろん〈研究所〉に勤める大人たちのことですが。彼ら彼女らの圧政の恐怖が描かれているからこそ、逃亡計画の「冒険」感も高まるし、舞台を町に移してからのサスペンスも引き締まるというもので、ああ、やっぱり「敵」を巡る演出って大事だなあと再認識したのでした。個人的には『ドクター・スリープ』(邦訳2013年)以来のクリーンヒットです。読むのに五日間じっくり掛けましたが、キングはそれくらいずっぷり読まないと面白くないもんなあ。スティーヴン・キングデビュー50周年ということで、色々企画もあるので注目すべし。特に文春e-booksの「デビュー50周年記念! スティーヴン・キングを50倍愉しむ本」は無料なのでみんなダウンロードしておくべきですよ。こういうガイド+対談+新作短編の冊子を、無料で出せるってどういうことなの。

     また、本命である早川書房のアレに行く前に、どこでも取り上げられることが出来ていなかったデイヴィッド・ギルマン『イングリッシュマン 復讐のロシア』(ハヤカワ文庫NV)にも言及しておきたい。個人的にはNV=冒険小説枠の今年の当たり。ロンドン金融街の銀行役員が誘拐され、その身柄を保護するべく、MI6高官から呼び出された〝イングリッシュマン〟ダン・ダグラスの活躍を描くスリラーなのですが、「人狩り(マンハント)」小説の良作に仕上がっていると思います(類例にはリチャード・スターク『悪党パーカー/人狩り』、ジョー・ゴアズ『マンハンター』など。とにかく追跡・追い詰める・断罪する、の構造に全力を注いでいる小説にそう名付けています)。なにせマンハントを極めるあまり、まるで容赦のない鬼ごっこの鬼のようにロンドンからロシアまで犯人を追いかけていくのですから。改行が少ない文章で繰り広げられる濃密なアクション描写もイチオシですし、私が大好きなのは、結末近く、54節で繰り広げられる会話劇。この会話の締めくくりに、仕事人としての矜持が覗くよね。

    〇誰よりも「黄金時代」を知る作家、渾身の力作

     そして大トリ、マーティン・エドワーズの『処刑台広場の女』(ハヤカワ・ミステリ文庫)でございます。この作品、個人的には大いに衝撃を感じた一作。というのも、エドワーズという作家は、日本ではまず「評論畑」の人として紹介されていたからです。その評論というのが『探偵小説の黄金時代』(国書刊行会)というもの。アメリカ探偵作家クラブ賞(評論評伝部門)を受賞した本作は、アガサ・クリスティー、ドロシー・L・セイヤーズ、アントニイ・バークリーといった英国探偵作家が参加していた親睦団体〈ディテクション・クラブ〉の草創期の歴史を繙くものでした。このクラブについては、ジョン・ディクスン・カーの評論「地上最高のゲーム」(『カー短編全集5/黒い塔の恐怖』〈創元推理文庫〉などに収録)などでも言及されており、クラシック・ミステリーのファンには有名な名前ですが、『探偵小説の黄金時代』の恐るべき点は、そのエピソード量と幅の広さ。作品の裏話を知ることが出来るだけでなく、作家群像劇としても読みごたえがあるのです。

     エドワーズが同クラブの公文書保管役に就任したからこそ出来た偉業、というのは間違いないにしても、黄金時代の本格ミステリーに深い敬愛がなければ、ここまでのことは出来ないだろうと感じさせる作品です。それだけに、彼の書いた小説『処刑台広場の女』が、1930年を舞台にしており、1919年のスペイン風邪流行がサブプロットとして走る……という話を聞いた段階で、ははあ、これは彼なりの黄金時代本格ミステリーに違いない、と思い込んでいました。早川書房からは4月にトム・ミード『死と奇術師』(ハヤカワ・ポケット・ミステリ)が刊行されており、そちらも1930年代を舞台に、クレイトン・ロースン『帽子から飛び出した死』のマーリニを彷彿とさせるような奇術師探偵が出てきたので、余計にその「思い込み」は補強されていました。

     ところが、その予想は良い意味で完全に裏切られたのです。確かに、『処刑台広場の女』には、さながらカーのような密室やエキセントリックな殺し方が盛り込まれてはいますし、時代の雰囲気もむんむんと漂っているのですが――それ以上に、現代ミステリーの技法を高いレベルで実現した犯罪小説だった、と言えるでしょう。「名探偵」レイチェル・サヴァナクは、果たして本当に「名探偵」なのか? それとも「悪魔」か? 第1節を読み終えた瞬間から、読者は記者ジェイコブと共に、宙ぶらりんのスリリングな問いに晒され続けることになります。この趣向が実に心憎い。おまけにこのレイチェルという女性が、とんでもなく魅力たっぷりなのです。あえて脱線するなら、第60回で言った、ノワールに出て来るファム・ファタールの条件として挙げた『「ああ、この女性になら破滅させられてもいいかも」という感覚を呼び起こす魅力的なセリフ一発、エピソード一撃』という条件は見事にクリアー……どころか、魅力的なセリフ七発、エピソード八撃みたいな女性です。あまりにも強すぎる。古典の時代を舞台にしつつ、現代の技法を見せつけるという点では、エドワーズの射程には、全時代の読者が存在しているということが出来るかもしれません。

     二つの視点と二つの時を行き来するにしたがって、事件の「形」がめまぐるしい勢いで変わっていく過程が面白いですし、いよいよ収集をつけられないだろうというほど盛り上がって来たところで、あるポイントからパタパタと作品が閉じていく、その手際も見事。もちろんこの時代を舞台にストレートなパズラーを書いても面白いタイプの作者だと思いますが、個人的には、こんなジェフリー・ディーヴァーみたいなエンターテインメントが出てきたので嬉しくなってしまいました。あと驚愕したんですが、これ、シリーズ展開しているの? え、一体どうやって? ちょっとこれは、本気で目が離せない。

     ところで、スチュアート・タートン『名探偵の海の悪魔』(文藝春秋)の「囚人名探偵」とかを読んでいても思うのですが……今の海外本格ミステリーの「名探偵概念」、どちゃくそに歪んでいて「癖(へき)」です。ちょうだいちょうだい、そういうのもっとちょうだい!

    〇まとめ

     さて、ということで前後編に分けて、「翻訳ミステリー特集・2023年版」をお送りしてきました。例年だと9月に行っているこの特集ですが、8月刊行の話題作2作、ピーター・スワンソン『8つの完璧な殺人』(創元推理文庫)とマーティン・エドワーズ『処刑台広場の女』がプルーフ(校正刷り)の形でいち早く読めたので、先にご紹介したという次第。

     もちろん、まだまだ8・9月にも未読の注目作が翻訳ミステリーには多く(新潮文庫のジョゼフ・ノックス『トゥルー・クライム・ストーリー』とか、文藝春秋から出るというジェフリー・ディーヴァーの新作とか、アンソニー・ホロヴィッツもこれから出るし……)、9月以降の読書日記で急いで紹介していく可能性もあるのですが、今の段階で私の贔屓を言うなら、やっぱり『処刑台広場の女』になるかなあ。『忘却の河』も「もっとこの人の作品を読みたい!」の気持ちを含めて、大いにプッシュしたいですね。

     ピーター・スワンソンは、今年の1月に『だからダスティンは死んだ』(創元推理文庫)を刊行していて、話題性や盛り込まれたネタの量からすると『8つの完璧な殺人』が創元の推し作なのは分かるのですが、模範的な作りのスリラーとして『だから~』もかなり好きなんですよね……。そんなわけで非常に悩ましい2023年。暑い夏を翻訳ミステリーと共に過ごしましょう。

    (2023年8月)



第62回2023.08.11
翻訳ミステリー特集・2023年版 前半戦 ~ブッキッシュ・オン・ブッキッシュ~

  • 8つの完璧な殺人、書影


    ピーター・スワンソン
    『8つの完璧な殺人』
    (東京創元社)

  • 〇宣伝から

     8月に実業之日本社文庫から辻真先『村でいちばんの首吊りの木』が復刊されます。なんとこれが初の文庫化となるようです。辻作品の中でも指折りの傑作、それも短編集ということで、未読の方はぜひ読んでみてほしいです。手紙のやり取りから立ち上がってくる真相の構図が素晴らしい表題作、語りのうねりが楽しい「街でいちばんの幸福な家族」、無生物たちが少しずつ事件のあらましを語ってくれる「島でいちばんの鳴き砂の浜」の全三編です。

     この巻末に、辻真先先生との対談を掲載していただいています。この作品のことのみならず、キャリア全体のことから、最新作の話題まで深堀したので、20ページ以上という大ボリュームに……。私が張り切って喋り過ぎてしまった感があり、反省しているのですが、辻先生のお人柄が見える、愉快で、情報密度の濃い対談になっていると思いますので、ぜひ併せて楽しんでいただければ幸いです。「村でいちばんの首吊りの木」の映画化の話題にも触れていますが、ここのくだりは、個人的に感動しました。

    〇今回も雑誌の話題を少し

    「小説宝石」8月号の特集は「「音楽」のある景色」。劈頭を飾る奥田英朗「春のはかりごと」は、ミュージシャンを巡る監禁・誘拐ミステリーの味付けかと思いきや、監禁犯が出してくるメシが美味いというあたりから、あれよあれよととんでもない方向へ連れていかれる短編でした。すごい発想だなぁ……これもまた、現実の中にファンタジーを覗かせる作者らしい一編と言えるかも。ところで、馳星周「飛越ジャンプ」の連載が第2回目なんですが、このタイトルで馬の話ということで、ディック・フランシスを大いに感じています。『黄金旅程』(集英社)も素晴らしかったもんなぁ……。

    「小説新潮」8月号の特集は「妖しの饗宴」。夏らしいホラー短編が並んでおりました。万城目学「カウンセリング・ウィズ・ヴァンパイア」は、『あの子とQ』(新潮社)のシリーズということになるのでしょうか。作者らしい語りの魅力満点で、あの愛おしい世界観が味わえるので大いに楽しい。タイトルの元ネタは『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』ですね。また、『禍』(新潮社)を刊行した小田雅久仁によるインタビューは、短編集の全短編を自ら解説するというもので、この充実ぶりは必読でしょう。『禍』について作者は「このジャンル(怪奇小説のこと)のひとつの金字塔、みたいな位置づけになればいいな」と語っていますが、もうこれはなるでしょう、ならざるを得ない。人間にとって一番不気味なものであるはずの、自らの「体」を題材にした怪奇小説と的を絞ったからこそ、磨き抜かれた怪奇短編が揃っているからです。マジで怖いですよ。怖すぎて……あの……表紙を遠目に見た時「名前も呼びたくないアレ」にしか見えなさ過ぎて、献本いただいたのですが、封筒から出てきた瞬間悲鳴をぶちかましました。この禍々しさも含めて雰囲気に合っていると思うのですが、家では背表紙しか見えないように、サッと棚に格納しました。怖いぜマジで。

    〇お待たせしました、翻訳ミステリー特集

     さてさて、今年もランキング投票の時期が迫って来て、今年の面白い翻訳ミステリーってなんなんだい、と気になってくる季節です。そんなわけで、今年の個人的な注目作を続々挙げて行くコーナーを今年も用意しました。2021年と2022年は、「もう注目作が目白押し!」という年で、私もこの時期の特集を「頂上決戦」と銘打ってリングインを盛り上げるリングアナよろしく、勝手に対立を煽りながら(苦笑)盛り上げていたわけですが、今年は静かに「これもいいですよ」と差し出したい作品が多い感じなので、肩の力を抜いて「特集」と名付けてみました。メインで取り上げる作品は以下の通り。

    ・ロバート・アーサー『ガラスの橋 ロバート・アーサー自選傑作集』(扶桑社文庫)
    ・チョン・ミョンソプ『記憶書店 殺人者を待つ空間』(講談社)
    ・ロス・トーマス『愚者の街』(新潮文庫)
    ・ピーター・スワンソン『8つの完璧な殺人』(創元推理文庫)

     まずは、既に読書日記等で取り上げたのでメインでは触れない本も総ざらいしていきます。集英社文庫からはミシェル・ビュッシ『恐るべき太陽』に注目。これは私が解説を書いた作品なので、詳しい内容はそちらを参照して欲しいですが、フランス・ミステリー随一の技巧派が『そして誰もいなくなった』に挑んだ意欲作となっています。他では絶対に見ることの出来ないトリックにご注目あれ。

     ハーパー・コリンズ・ジャパンからはドン・ウィンズロウ『陽炎の市』がイチオシ。これは第60回の読書日記のメインで取り上げています。映画業界とギャングを掛け合わせた、魅力あふれる犯罪小説です。S・A・コスビー『頬に哀しみを刻め』も読み逃してはいけない今年の名品。小学館文庫からはJ・L・ホルスト『疑念 警部ヴィスティング』がやはりイチオシで、これは第54回で、過去シリーズ作品も含めて分析の俎上に上げました。

     今回のメイン四冊のうち、まずは扶桑社文庫のロバート・アーサー『ガラスの橋 ロバート・アーサー自選傑作集』から。こちらは「STORY BOX」の書評「採れたて本!」でも紹介しているので、ここでは簡単にいきます。1950年代に活躍した作家、ロバート・アーサーによる、日本初のミステリー短編集で、これまでは短編「51番目の密室」(同題のハヤカワ・ポケット・ミステリの表題作)や、短編「ガラスの橋」(『北村薫の本格ミステリ・アンソロジー』〈角川文庫〉などに収録)で名のみ知られてきた作家でした。ここに挙げたようなタイトルが面白いので、日本のマニアは「いつかまとめて読んでみたいなあ」と思っていたわけです。私も含めて。その夢が叶った一冊で、さながらオー・ヘンリーの短編のような読み味の「マニング氏の金の木」や抱腹絶倒のホームズ・パスティーシュ「一つの足跡の冒険」など良い作品が揃っていると思います。マニアの蒐集欲も満たしてくれる一冊。

     マニア的な蒐集欲を満たし、名作を発掘したという点でいえば、ロス・トーマス『愚者の街』(新潮文庫)も今年は見逃せません。ロス・トーマスの作品は、1994年生まれの身からすると、ほとんどの作品が入手困難かつ古書でも高価で、一つ一つ集めるのが非常に大変でした。しかし、『クラシックな殺し屋たち』『ポークチョッパー:悪徳選挙屋』など、苦労して集めた甲斐のある作品が多いのです。自分なりの言葉に過ぎないのですが、パルプ・フィクションの題材を格調高く描ける人、というイメージがロス・トーマスにはあります。さながらジム・トンプソンのような元悪徳警官の話を、悪党だらけの諜報戦・コンゲームに仕立て上げた『愚者の街』も、その流れに則っているといえるのではないでしょうか。

     そういったマニアの蒐集欲絡みでいうと――ランキングに絡むような傑作ではないながら、チョン・ミョンソプ『記憶書店 殺人者を待つ空間』(講談社)は、ビブリオミステリー好きにそっと差し出しておきたい珍品。なぜかというと、この作品にはある種「究極の古本屋」が登場するからです。その古本屋のシステムというのは――「店主に向けて『なぜ自分がその本を欲しているか』をプレゼンし、それが店主に刺されば、タダで本をお持ち帰りできる」というもの。え、なにそれ。プレゼン仕込んで毎日行くんだが。ミステリーとしての見所を書いておくと、この書店は実は店主が15年前の殺人者を炙り出すために仕込んだ罠で(何を言ってるかわからねーと思うが、ありのまま起こったことを話しているぜ)、作品は後半、四人の客のうち誰が犯人かというフーダニットに変貌します。このフーダニットの甘さには目を瞑るとしても――ひとついちゃもんをつけるなら、韓国の古書の相場や作品背景が分からないので、挙がっている本に興奮出来なかったというポイントがあります。え、この設定で日本版、私にやらしてくれないか?

    〇ブッキッシュ過ぎるサスペンスにご注目

     さて、ピーター・スワンソンの新作です。最近コンスタントに作品が邦訳されていて、「読者を飽きさせないサスペンスの技法」と、「先行作へのオマージュ・目配せの匙加減の巧さ」で、毎回大いに楽しませてくれるのですが――今回の新作『8つの完璧な殺人』(創元推理文庫)は、その両方の魅力が遺憾なく発揮された作品となっています。

     タイトルの「8つの完璧な殺人」とは、古書店〈オールド・デヴィルズ・ブックストア〉店主、マルコム・カーショーが昔ブログに掲載したミステリー作品のリストで、作中で「絶対にバレない巧妙な手法」を編み出したミステリーを8作品挙げたものです。マルコムのもとを訪れたFBI捜査官グウェン・マルヴィは、「これらの作品の手口を模倣した殺人事件が巷で起きている」とマルコムに告げる……というのが序盤のあらすじ。

     本書が曲者なのは、作品の冒頭でこの「8つの作品」のリストとアガサ・クリスティ『アクロイド殺害事件』(別題『アクロイド殺し』)を加えたものを掲示し、「本書では下記の作品の内容や犯人について触れています。未読の方はご注意ください」と宣言されていること。全作既読で挑むのはかなりハードルが高くなっているのです。「8つの作品」のリストをここでも引用すると、

    〝『赤い館の秘密』A・A・ミルン
    『殺意』フランシス・アイルズ(アントニイ・バークリー)
    『ABC殺人事件』アガサ・クリスティ
    『殺人保険』ジェイムズ・M・ケイン
    『見知らぬ乗客』(小説、および一九五一年の映画)パトリシア・ハイスミス
    The Drowner(邦訳なし)ジョン・D・マクドナルド
    『死の罠』(戯曲、および一九八二年の映画『デストラップ 死の罠』)アイラ・レヴィン
    『シークレット・ヒストリー』(別邦題『黙約』)ドナ・タート〟(『8つの完璧な殺人』冒頭より)

     私はこのうち、The Drownerだけ未読、『死の罠』の戯曲は未確認で、あとは全て既読か視聴済です。ジョン・D・マクドナルドのこれは『8つの完璧な殺人』の元ネタだと知って、今年の1月にKindleで原書を購入したんですが、間に合わなかったですねー。

     さて、上記のリストですが、これが「ミステリーの傑作ベスト8」かというと、そうではないだろう、というリストになっています。もちろん、私自身好きな作品もありますが。このリストのポイントはあくまでも、「殺人手段だけを取り出した時に、その殺人手段が完璧なものかどうか、露見しにくいものであるかどうか」という点なのです。

     私は、このリストにはもう一つの意味があると思います。それは、主人公であるマルコムの「人物描写」です。このリストはブログに掲載されたものですが、そのように、「ミステリーを読んでいることを誇示したいマニアックな読書家」が作るリストとして、非常に解像度が高いリストになっているのです(これは大いに自戒を込めています!笑)。定石の踏まえ方、あるいは外し方。31~36ページに書かれた各作品の紹介文を読むと、なおさらその解像度が高まるという仕掛け。選書だけで「ひねくれたマニアだよこいつは」と表現することは、本を愛する作家にしか出来ない技巧だと思います。94ページに掲載された「雪の季節」に殺人が起こる作品のリストも、良い具合にマニアックですが、ここにアン・クリーヴスがちゃんと入っているのも嬉しい。

     さらに上記のリストの「ネタバレ」の問題について付言しますが、私は、必ずしも全作読んでから『8つの完璧な殺人』に臨む必要はないと思います。というのも、ネタバレは含まれているものの、そのネタバレの度合いには濃淡があり、致命的と言えるものから、「えっ、そんな脇道の話をバラすの」というものまであるからです。具体的に言うと、クリスティの二作『ABC殺人事件』『アクロイド殺害事件』あたりはやはり致命的と言えると思いますが、そもそも犯人が分かった状態で進行し、犯行計画も中盤までに描かれる『殺意』や『見知らぬ乗客』はダメージが少ないと言えるのではないでしょうか。もちろん、ここに掲げられた作品を家に積んでいて、「あ、読もうと思っていたんだった!」という場合には、この『8つの完璧な殺人』をキッカケに読むのは大いにアリでしょう。私も『赤い館の秘密』や『殺人保険』は大好きな作品です。でも、読むのを義務だと思わなきゃいけないほどではないかな、という感触です。

     例えばアイラ・レヴィンの戯曲を原作とする映画『死の罠 デストラップ』は傑作ですが、この作品で主にネタバレされているのは、「殺人手段」です。しかし、この映画の眼目はそこではなく、むしろ、攻守が絶えず入れ替わり、上映時間が経過するごとに物語の形がガラッと変わってしまう、そのスリリングなプロットにあるのです(私の作品を読んでいる人には、私の短編「入れ子細工の夜」の元ネタと言えば伝わるでしょうか)。その意味では、「殺人手段」だけを知らされたからといって、魅力が損なわれるわけではないということが出来るでしょう。

     しかし、このリストはもう一つ裏の使い方があるのではないかと思っています。ここから、作者の意図の深読みが出来るのではないか、と。実は『死の罠』の「殺人手段」そのものは、古典ミステリーにはありふれたアイディアで、それこそジョン・ディクスン・カーの短編(あれはラジオドラマだったかな?)に全く同じものが存在します。スワンソン自身がカーを好きでなかった可能性はありますが(38ページにはマルコムがカーに「のめり込めない」とこぼすシーンがあります)、そこに深読みの余地があります。つまり、むしろピーター・スワンソンは、『死の罠 デストラップ』のプロットにこそ、本作『8つの完璧な殺人』のインスピレーションを得たのではないか、と。だから本作は、このようなプロットを取っているのではないか……。

     ネタバレなしで触れられそうなのはこのポイントだけだったので、本稿ではここまでにしておきますが、マニアックに彩られたこのリストには、このように、無限の「読み」の可能性が内包されているように思います。肩まで浸かって、その魅力をどっぷり味わうもよし。片足だけつけて、この温泉、足湯としてもいいじゃないかと、むしろ周りの景色を楽しむもよし。様々な楽しみ方が出来る、良いサスペンスになっていると思います。しかしスワンソンよ、こんなオチを持ってくるかい?

    (2023年8月)



第61回2023.07.28
映画と小説のあいだ ~後編(国内編)~

  • エフェクトラ 紅門福助最厄の事件、書影


    霞流一
    『エフェクトラ
    紅門福助最厄の事件』
    (南雲堂)

  • 〇今月は珍しく新書の話題

     去る6月、早川書房から「ハヤカワ新書」が創刊されました。創刊月のラインナップ五点のうち、ミステリー好きにとっての最注目はなんといっても越前俊弥『名作ミステリで学ぶ英文読解』。全部で六作の海外名作ミステリーの原文を味わいながら、一流翻訳者の講義を受けることが出来るという、なんとも贅沢な一冊です。原文が十行程度載って、「〇行目のこの表現はどういう意味か」などの問題があり、その解説が載っている……とくれば、普通の英語のテキストと変わりないように思えるかもしれませんが、そこには「この作品のミステリーとしての勘所を捉えながらどう訳すか」「スラングをどう訳すか」などの実践的な話も数多く入っていて、「翻訳者とはこういう仕事をしているのか!」というのを、仕事部屋の入り口から覗き見させてもらっているような、実にワクワクする本です(翻訳のクラス生に訳させるとこの箇所を無視して訳すのですが……などの指摘箇所に、ものの見事に全て引っ掛かるという情けなさ! 翻訳者ってすごい!)。ちなみに、ネタバレ部分はきっちり切り分けられているので、未読作品についても安心して楽しめると思います。「英語の勉強をしたいけど、堅苦しい本を読むのはいやだ!」というミステリー好きにもオススメ出来ます。学生だと「勉強しなさい」と言われた時に「何言ってんだい! 勉強してらぁ!」とこの本の表紙を見せながら、こっそりクリスティーを楽しむ、なんてことが出来そう。

     六作の内訳はエラリイ・クイーン『Yの悲劇』『エジプト十字架の秘密』『災厄の町』、アガサ・クリスティー『アクロイド殺し』『パディントン発4時50分』、コナン・ドイル『恐怖の谷』で、特に『Yの悲劇』『アクロイド殺し』のネタバレ部分の読解などに唸らされました(「ああ、ここ原文だとこうなっているんだ」という気付きがありました)。『恐怖の谷』の「!」(エクスクラメーションマーク)に関するコラムにも、著者の読者としての実感が滲んでいて、なんだかため息が漏れました。ちなみに、クリスティーのコラムを大矢愽子、ドイルのコラムを駒月雅子が書いていて、翻訳ミステリー界のスマブラみたいな豪華な本になっています。

     ちなみに私、俎上に上がった六作のうち、唯一『パディントン発4時50分』は原文でも読んでいまして、それはなぜかというと、大学で「『パディントン~』をペーパーバックで毎週少しずつ読みながら、該当箇所のラジオドラマを少しずつ聞く」という英語の講義があったからなのです。そのため、私は『パディントン~』を短い時期に、原文、ラジオドラマ、(たまに分からない箇所もあるので)日本語版の三つのバージョンで摂取していて、だから体に沁み込んでいるのです。あの講義は本当に面白かったなあ。この本を読んで、そんな懐かしい思いも抱きました。

     新書の話題でもう一冊。6月には星海社新書から飯城勇三『密室ミステリガイド』が刊行されました。海外から20作品、国内から30作品の密室ミステリーを取り上げ、第一部「問題篇」ではストーリーやシチュエーション、図版、その作品を「密室ミステリー」として読み解いた時のポイントをネタバレなしで示し、第二部「解決篇」では解決とその解説がネタバレありで書かれています(なので、未読作のネタバレは読まないようにしてくださいね)。第一部は、有栖川有栖『有栖川有栖の密室大図鑑』(創元推理文庫等)などのように、「該当する作品には入っていない、密室の状況を解説した図面」が全て作られて入っているのが画期的ですし(幻想ミステリーであるスタンリイ・エリン『鏡よ、鏡』の「幻想シーンを除」いた時の密室状況の図とかは、初めて見た気がします)、第二部でネタバレを含めて解説することを前提にしているので、密室ミステリー「そのもの」が面白い作品はもちろんですが、それよりも「密室のネタを割ったうえで、そのネタがプロットや謎解き全体にどのような影響を及ぼしているか」を書ける作品を優先しているように見えるのが面白いです(著者は「トリックを明かして考察したい魅力を持つ作品」と表現しています)。たとえばエラリイ・クイーンは『チャイナ橙の謎』ではなく、『ニッポン樫鳥の謎』、ジョン・ディスクン・カーなら『三つの棺』ではなく『緑のカプセルの謎』とか。「コラム」として置かれた密室のハウダニット、ホワイダニットの分類では、著者の分類だけでなく、過去の作品内で小説家たちが行った分類も総覧のように並べられていて壮観です。

     密室ミステリーは、解決そのものやトリックもそうですが、別解をいかに潰すかという見せ方や、解決の中でそれがいかに機能するかに注力した作品こそ読み応えがあると思っていますが(だからネタバレ部分だけ読まないで、ちゃんと作品にあたってほしいところ)、その視点を力強く持った「トリック解説本」という感触です。最近の作品も数多く取り上げられているので、「あっ、この作品なら読んだことあるぞ」という作品が、一つ、二つは見つかると思います。そこを取っ掛かりに、このガイドがどういう本なのか、該当作品の部分だけでも読んでみて、「他のネタバレ解説も読みたいからこの作品を読もう!」をモチベーションにしていく――という読み方が理想的かもしれません。高校生の頃、私はこういう読み方を福井健太『本格ミステリ鑑賞術』(東京創元社)で実践しまして、かなり勉強になりました。ちなみに『密室ミステリガイド』ですが、ベスト100を選んだ際に追加される作品を短評で紹介するコラム「密室ミステリ・NEXT100」内において、私の短編「透明人間は密室に潜む」を挙げていただいています。こちらも大変、光栄です。

    〇新作映画のお話

     ということで、今回の本題へ。前回は「映画と小説のあいだ 海外編」と題しまして、映画監督自ら続編を書いた『ヒート2』や、映画監督の小説デビュー作である『その昔、ハリウッドで』などを取り上げましたが、今回はその国内編をお届けします。といっても、国内編は映画を一本と、映画の世界が題材になった小説を三作品紹介するという形で、海外編とは質感が違うかもしれませんが。

     以下が、取り上げる作品のリストです。今回はリストが短め。

    ・坂元裕二『怪物』(KADOKAWA)/映画「怪物」
    ・恩田陸『鈍色幻視行』/同『夜果つるところ』(どちらも集英社)
    ・霞流一『エフェクトラ 紅門福助最厄の事件』(南雲堂)

     監督・是枝裕和×脚本・坂元裕二×音楽・坂本龍一という夢の布陣で撮られた映画「怪物」を見てきました。あらすじについてはほとんど書けることがなく、何も知らない状態で見に行くのが最適の映画ですが、ミステリー好きにも見てみてほしい一作でした。連続ドラマのような構成によって、少しずつピースがハマっていく感覚が面白い作品なのです。マニア的に見ると、語り落として視聴者の想像に委ねたのか、それとも解答が用意されていないのか、判断がつかない箇所がまだら模様のようにあるので、厳しい評価の人もいると思いますが……多分、私が「この構成」の作品が好きすぎるんだろうな。繰り返し、同じ話を違う角度で描いていく、というような。あの主題を、坂元裕二ならではの肌感覚でしっかりと描いたのが上手いと思いました。中学生の頃、湊かなえ『告白』を読んだ時に凄まじい衝撃を受けたのですが、ある意味、それに通じるものがあった気がします(映画「告白」の方ではないです。「怪物」には映画「告白」のようなジェットコースター感はなかったし……映画「告白」、また見たくなってきた)。なぜ『告白』かというと、連作短編集的な構成が似ているのもそうですが、自分の心の底にある倫理観の根っこをガシッと掴んで揺らされた……というような感覚を、どちらの作品にも感じたからです。

     ただ、一つ確実に言えるのは、シナリオブックである坂元裕二『怪物』(KADOKAWA)もぜひ読んでみてほしいということです。映画ではカットされていたシーンに、さすが「花束みたいな恋をした」の脚本家……と言いたくなるような、ヒュッと喉が鳴ってしまうセリフや表現が散りばめられています。あそこはこうなっていたのか、ここはこうだったのか、という発見がたくさん。映画での役者の演技も素晴らしかったけれど、文字で読むとまた違った興奮が襲い掛かって来て、ああ、結局自分はどこまでいっても「文字」の人間なんだなあ、と思わされました。

     ちなみに、彩坂美月『向日葵を手折る』(実業之日本社文庫)も、この6月に文庫化されていまして、こちらの販促用パネルにコメントを使っていただいているのですが、その内容が「ここ数年の青春ミステリで一、二を争う傑作」というもの。これは、2020年9月に単行本が刊行された際のツイートから抜粋していただいたものですが、これを文庫化にあたり再使用するというので、担当編集さんから「その後お変わりないですか」と聞かれました。「え、どういうことですか」と問い返すと、「三年経ったので、『ここ数年』で『一、二を争う』に変動がないかと……」と聞かれ、ああ、それならないです、全然ないですと回答したのが5月末のことでした。「怪物」がミステリーとして語り落としもなく、全てのピースが本当にハマる映画だったら、一週間も経たないうちにランキングが変動してしまうところでした。そのくらい、好みの中核に刺さる映画だったということです。危ない、危ない。ということでシナリオブック『怪物』と『向日葵を手折る』を読むべし。どんなまとめ方だよ。

    〇恩田陸、新たなる実験作

     恩田陸の作品を読むたびに、小説の可能性に気付かされて、頬を張られるような思いがあります。第12回で『灰の劇場』を取り上げた時に、強くそれを感じました。

     今回の新刊『鈍色幻視行』/『夜果つるところ』(いずれも集英社)を読んで、またその感覚が蘇りました。これはある意味、小説好きの「夢」を叶える二冊であると言えるでしょう。まず5月に先んじて刊行された『鈍色幻視行』では、「呪われた」小説とその映像化を追いかける、小説家の蕗谷梢の取材行が描かれます。その小説を映画化しようとすると、その企画は必ず頓挫し、死者が出る。そんなオカルトめいた伝説はいかにして生まれたのか。その小説にひとかたならぬ思い入れがある登場人物たちは一体何を語るのか。謎を追いかけて、一人一人にインタビューしていくことで情報を集める――というプロットは、作者の傑作『Q&A』『ユージニア』などの構成を思わせます。

     さて、今あえて、その「呪われた」小説の名前を伏せました。そう、この小説こそが、作中の小説家、飯合梓が書いた小説『夜果つるところ』なのです。つまり、『鈍色幻視行』の作中作として存在した『夜果つるところ』が、恩田陸の手によって、独立した長編として描かれ、刊行されてしまったということになります(『鈍色幻視行』の第五章には、『夜~』の冒頭部分を梢が再読する、という描写があり、そこでも一部を味わうことは出来ますが、一冊まるまる別で書くとなると話が違います)。これが、私にとっては大きな衝撃でした。

     小説の中で言及されている「架空の小説」。それを読んでみたい。そう思ったことはないでしょうか? 例えば本格ミステリーでもよくあるパターンですが、作中に「本格ミステリーの小説家」が登場し、どういう作品を書いているか、その作品の事件の概要はどんなものか、駆け足で語っていくことがあるでしょう。あれは、あくまでも登場人物紹介の一環として行っていたり、あるいは実在作家のイメージと被らせる書名や設定を挙げることで、マニアへの目配せをしたり、という意図で置いてあるのに過ぎないので、実際に内容を考えることはほとんどありません(みんながしていたら、ごめん!)。ですが――ここで、意地悪なことを考えたことはないでしょうか? 「今読んでいるこの小説より、ここにあらすじだけ書かれているこっちの『架空の小説』の方が、ひょっとして面白いんじゃないの?」なんて。

     まあここまで意地悪に考えなかったとしても、小説の中に登場する架空の小説家、あるいはその作品は、やっぱり演出効果のために持ち上げられるものです。帯で煽られたり、書店で目が合ったりする、そういう、リアルに読書欲をそそられる体験とはまったく別のメカニズムで――それが架空の小説だからこそ、惹かれてしまうのです。矛盾した心理に聞こえるでしょうか? でも、これに深く頷いてくれる小説好きは、この世に結構いると信じています。読めないからこそ、読んでみたい。こう思ってしまったらもうおしまいで、人が二次創作を作る動機にもなります。

     それが、読める。それも、恩田陸の手によって。

     これが事件でなくてなんでしょうか。もう私は『鈍色幻視行』を読んでから一か月、楽しみで楽しみで仕方ありませんでした。なんなら、『鈍色幻視行』の第二十六章において、『夜~』の趣向を想起させる表現を見てしまったにもかかわらず、その期待がしぼむことは一切なかったのです。ネタとかじゃないんだ、もう。こうなったら、私はその小説を読まなければ、渇きが癒えないんだ。

     さあ、そこでここから、恩田陸『夜果つるところ』(集英社)の話です。まず奥付で連載時期を確認すると、「小説すばる」2010年1月号から2011年12月号の2年間で(著者の作品だと『夢違』の連載期間と重なりますね。『夢違』もとても好きな幻想小説です)、『夜果つるところ』の連載は完結しています。一方の『鈍色幻視行』は2007年10月~2012年3月にかけて集英WEB文芸「RENZABURO」で掲載、2013年4月から2022年7月にかけて雑誌「すばる」で掲載という経緯なので、『鈍色幻視行』を書いていく途中で『夜果つるところ』が独立して命を吹き込まれた――ということになります。

     こういう経緯からも明らかな通り、『夜果つるところ』は独立した長編としても成立しており、昭和初期の遊郭を描いた一編の幻想小説として、見事な完成度を誇っているのです。先に『鈍色幻視行』の項で言及したように、ミステリー好きにも刺さるであろう趣向が凝らされているのも素晴らしく、それが物語上大きな意味を持っているのもポイントです。「私」の「三人の母」の謎や、凄惨な惨劇が起こってしまった理由、数々の描写に隠された違和感、それらが繋がる瞬間の驚きは鮮烈です。しかも文章が凄い。恩田陸は幻想ミステリーを書いている時が一番輝いていると思いますが(『夏の名残りの薔薇』しかり、『麦の海に沈む果実』しかり……)、『夜果つるところ』はその最高峰に位置する長編ではないかと思います。もう、大興奮。

     ちなみにこの本、造本も非常に凝っていまして、リバーシブルカバーで、裏面に飯合梓『夜果つるところ』の表紙がありますし、扉も「恩田陸」の扉をめくると「飯合梓」の名前が現れるという仕掛け。奥付も二重。つまり、「恩田陸」名義の扉→「飯合梓」名義の扉→本編→「飯合梓」名義の奥付(発行年も1975年という設定。1975年ならこういう伝奇幻想小説はたくさん書かれていただろうしなあ)→「恩田陸」名義の奥付、という構成なのです。本格ミステリー好きなら、綾辻行人『迷路館の殺人』のような、造本そのものでも遊ぶ作品の存在を思い出すことでしょう。そういう意味でも、本好きならぜひとも持っておきたい一冊に仕上がっています。

     最後に、『鈍色幻視行』と『夜果つるところ』を読む順番ですが……これは、「どっちが先でも良い」と思います。私は5月に先んじて刊行された『鈍色幻視行』を読み、『夜果つるところ』への期待を膨らませましたが、これも楽しかったですし、先述した通り『夜果つるところ』が独立した長編としてかなりの完成度を誇っているので、先にそちらを読むのもありでしょう。そのうえで、これは自分がやったわけではないのでただの提案になるのですが――第三の読み方として、『鈍色幻視行』を読んでいる途中に『夜果つるところ』を読む、という方法を提唱しておきます。なぜかというと、『鈍色幻視行』を読み進めるごとに、『夜果つるところ』への興味は高まっていくはずだからです。梓が雅春に「読んでみて」と促すくだり(「二十六、アモイ」の章)まで来ると、例の『夜果つるところ』の趣向に軽く触れる箇所が出て来るので、その前に読むのがベスト、でしょうか(逆に、そのくだりを聞いたうえで読む雅春の気持ちになるのもアリですけどね)。

     そんなわけで、2冊合わせて4000円+税、900ページ超えという大部ながら、「本好き」の願いを叶える、圧倒的な傑作になっています。撮られざる傑作である「映画版・夜果つるところ」を脳内で想像する遊びもめちゃくちゃ楽しいですよ。ぜひ。

    〇おかえり! 紅門福助!

     さて、この長い長い「映画と小説のあいだ」回を締めくくるのは、霞流一『エフェクトラ 紅門福助最厄の事件』(南雲堂)です。というのも、この「紅門福助」は私立探偵なのですが、第一作『フォックスの死劇』(角川文庫)以来、映画絡みの事件にばかり巻き込まれるというキャラクターなのです。そのものずばり、『死写室 映画探偵・紅門福助の事件簿』(講談社ノベルス)というタイトルの短編集もあるくらい(この『死写室』については、読書日記第40回で取り上げております)。著者略歴にもある通り、霞流一は映画会社に勤務していた経歴があるので、映画業界ならではのエピソードや人物描写を、本格ミステリーに落とし込むのはお手の物、というわけです。

     今回の「裏」主人公と言えるのは、数多くの死に役を演じてきたことにより「ダイプレイヤー」と呼ばれた忍神健一。彼は役者生活四十周年を記念して、演じてきた死人たちを供養するセレモニーを企画していたが、彼の周辺で異様な事件が続発する。彼の実家兼セレモニー会場である報龍神社の鳥居に結わえられた卒塔婆、あるいは赤い雨……。その神社に設置されたアクターズスタジオのメンバー「ホリウッド・メイツ」は、遂に殺人事件に遭遇することになるが……。

     以上が大体のあらすじです。既にダジャレ満載の霞ワールドの雰囲気が出ているのではないでしょうか。今回はストレートに映画の話をする、というよりは、奇矯な性格の役者の卵たちを多数配置し、霞ワールドならではのエキセントリックな道具立てを助けている、というイメージです。霞本格は映画を題材にしたものが多いですが、地の文をも侵食する饒舌なギャグやダジャレの数々は、やはり文章で味わってこそという感じがします。この文体に、いつの間にか病みつきになってしまうのです。

     驚いたのはその解決編の密度。100ページ以上の分量を割いて丁寧に事件の構図を繙いていくその手つきもさることながら、霞本格の三大柱である「エラリー・クイーンばりのロジック」「思わずぶっ飛ぶバカトリック」「こだわりすぎの見立て殺人」の三つの要素について、それぞれ順番に分解して解いていく――という手法が素晴らしい。普通、解決編の流れの中で、第一の殺人なら第一の殺人の話をまずする、というように、その犯人指摘からトリックの解明からまとめてやってしまうことが多いと思うのですが、ここではむしろ問題を分離することで、事件の全体像が掴みやすくなっています。ロジックによる犯人指摘を先に済ませることで、トリックの絞り込みをスムーズにしたり、今回の「見立て殺人」はもはやホワイダニットの領域に属するものなので、後回しにしてもらうと納得度が高かったり……やっぱり本格ミステリーは努力だなあという思いを新たにします。

     今回は、「ぶっ飛び度」でいうと、トリックの点では他の霞作品に譲るかな、という感じなのですが、「見立て」にこだわりすぎる作者しか到達し得ないであろう、ひねくれた構図の妙には膝を打ちました。サブタイトルの意味が分かった瞬間にも、心地よくため息が漏れました。なんてこと考えるんだよ。紅門福助シリーズのある作品を思い出すエンディングに、思わず快哉、しかる後に爆笑、という次第。

     あんまりにも紅門福助が好きすぎるので、ここらで全作レビュー……といきたいところですが、今回は『エフェクトラ』解説の嵩平何が未収録短編まで含めた全作レビューを行っており、蛇足になってしまうので、よしておきましょう。駆け足でオススメ作だけ挙げておくと、『呪い亀』(原書房)は、著者の中でも見立てに異常なほどこだわった作品であり、また、作中で展開される奇観に爆笑出来るケッサクなのでぜひ文庫化して欲しいですし、『ミステリークラブ』(角川書店)も、霞作品のバカトリックの中でも屈指の傑作トリックが含まれた作品です(おまけに映像趣味がしっかり伏線になっている!)。入り口としては、やはり短編集『死写室』がイチオシ。二つの死体の首が切断され、入れ替えられているという魅力的な謎が素晴らしく、映画の世界ならではのオチもしっかり効いた「首切り監督」や、パズルのように事件の構図が解き明かされる感覚が素晴らしい「モンタージュ」、映画館ならではの空前のバカトリックを、スマートな伏線で丁寧に補強する表題作「死写室」など粒よりの作品集です。

     それにしても、この解説によれば、紅門福助ものの未収録短編は六本あることになります(「豚に心中」「牛去りてのち」「らくだ殺人事件」「わらう公家」「左手でバーベキュー」「堕ちた天狗」)。ここに、紅門福助シリーズ以外の未収録短編の傑作、たとえば、これも怪獣映画の撮影現場を舞台に、「タワーの上に突き刺さった死体、周囲に一切の足跡はない」という謎を描いた「タワーに死す」(『密室レシピ ミステリ・アンソロジーIII』〈角川スニーカー文庫〉収録、のちに『赤に捧げる殺意』〈角川文庫〉に収録)、や、金田一オマージュ短編の傑作「本人殺人事件」(『金田一耕助の新たな挑戦』〈角川文庫〉収録)なんかも加えて……作りたいなあ、それ……。

    (2023年7月)



第60回2023.07.14
映画と小説のあいだ ~前編(海外編)~

  • 陽炎の市、書影


    ドン・ウィンズロウ
    『陽炎の市』
    (ハーパーコリンズ・ジャパン
    〈ハーパーBOOKS〉)

  • 〇最近のお仕事情報

     第23回本格ミステリ大賞の授賞式及び、受賞記念トークショー(@芳林堂書店高田馬場店)が、去る6月24・25日に開かれました。この読書日記の第35回までを書籍化した『阿津川辰海 読書日記 ~かくしてミステリー作家は語る~《新鋭奮闘編》』で「評論・研究部門」を受賞させていただきました。第57回でも御礼申し上げましたが、重ね重ねありがとうございます。授賞式でたくさんのお祝いの言葉をいただいた作家・評論家・編集者の皆様、トークショーを聞きに来てくださった皆様、サイン会に来てくださった皆様、芳林堂書店の皆様、本当にありがとうございました。バタバタしていて全員には挨拶しに伺えなかったのですが……。

     授賞式後の二次会で、「私が尊敬する評論家」として千街晶之さんにスピーチをお願いしまして、お引き受けいただけたのがめちゃくちゃ嬉しかったです。千街さんから「(阿津川は)小説を書く時も評論家的な視点を入れて来るから、書こうとしたことを先回りされる」と言われた時は首をすくめていました。そう思っていても、千街さんは『透明人間は密室に潜む』(文庫版)に最高の解説をくださるんですから、本当にありがたいです。

     トークショーでは、白井智之さんと私が二人とも、かつて本格ミステリ大賞受賞記念のトークショーにお客さんとして参加し、抽選でサイン色紙を当てた経験があることが分かるなど、新事実が色々判明して面白かったです。バックヤードで白井さんが「(ホラー映画によく出て来る俳優の)アレックス・ウルフの顔が好きっておっしゃっていましたよね?」と、第27回の読書日記で私が書いたフレーズを拾ってくださったうえで、アレックス・ウルフは「ああ、もう駄目だ」と絶望する表情が上手い、あの表情がホラーの恐怖を高めるんだと盛り上がったのが印象的でした。もう一つ、弩級に嬉しい言葉を頂戴したのですが……これは、自分で書くと恥ずかしくなってしまうので、自分の心の中に大切にしまっておきます。サイン会はデビュー時のトークイベントで開かれたもの以来、六年ぶりで、めちゃくちゃ緊張していましたし、字も震えたりしてしまって、不手際が多く申し訳なかったのですが、同じくらい楽しいなあ、ありがたいなあという気持ちが強かったです。

     これでようやくホッと一息……かと思いきや、MRCの会員限定ですが、明日、7月15日(土)の20時から、作家の多崎礼さん、書評家の瀧井朝世さんと共にオンライントークイベントに登壇します。多崎さんについては、前回の読書日記において特集を組ませていただいたので、再びお目にかかれるのが嬉しいかぎり……。会員の方で、ご興味のある方はよろしくお願いいたします。多崎さんの作品を読みたくなるようなイベントを目指しているので、気軽に聞きに来てください。

    〇映画と小説の関連を辿る旅(ここからは敬称略で失礼します)

     小説が好きです。でも、映画も好きです。特に、フィルム・ノワールが盛んに撮られていた頃の、映画と原作小説の距離が近く、映画も「ならでは」の見せ方が巧かった時期の作品に強く惹かれます。アニメや映画を見て、そこから「ミステリー」の要素を感じられるものがないかをいつも探している身からすれば、原作と映像化の比較分析を徹底的に行った千街晶之『原作と映像の交叉光線クロスライト ミステリ映像の現在形』(東京創元社)のような本はまさしく垂涎の一冊です(7月20日頃に書肆侃侃房から千街晶之『ミステリ映像の最前線 原作と映像の交叉光線』も刊行されるので、これも超楽しみ)。

     ですが、心のどこかで、「ああ、やっぱり自分は小説の人間だなあ」と感じてしまう瞬間が 多々あります。映像に惹かれて、よく見るけれど、最後の最後は文章に浸りたい、書きたい、と思うような瞬間が。今月は、その感覚を呼び起こしてくれる、挑戦的で、刺激的な作品が多いように感じたので、まとめて取り上げてみようと思います。国内編についてはちょっとこじつけめいているかもしれませんが。

     今回は長くなりそうなので、ざっくり前後編に分けて、前編では海外作品、後編では国内作品を取り上げます。映画・映像は「 」で表記、小説は『 』(短編や雑誌名のみ「 」)で表記しています。それではまず、前編のリストから。

    ・ベンジャミン・ブラック『黒い瞳のブロンド』(ハヤカワ・ミステリ文庫)/「探偵マーロウ」(6月16日公開)
    ・マイケル・マン&メグ・ガーディナー『ヒート2』(ハーパーコリンズ・ジャパン〈ハーパーBOOKS〉)/「ヒート」
    ・クエンティン・タランティーノ『その昔、ハリウッドで』(文藝春秋)/「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」
    ・ドン・ウィンズロウ『陽炎の市』(ハーパーコリンズ・ジャパン〈ハーパーBOOKS〉)

    〇二人の「マーロウ」

     ベンジャミン・ブラック『黒い瞳のブロンド』(ハヤカワ・ミステリ文庫)は、2014年にハヤカワ・ポケット・ミステリから刊行された作品の文庫化で、「『ロング・グッドバイ』の公認続編」です。第38回の読書日記で、レイモンド・チャンドラー『ロング・グッドバイ』の新訳『長い別れ』(創元推理文庫)について取り上げながら、チャンドラーへの苦手意識があったことを打ち明けましたが、実はそんな理由もあって、2014年のポケミス刊行時にはスルーしていたのです、この一作。本当に申し訳ない。チャンドラーに元々苦手意識があるのに、「続編」などと言われれば、それはもう……眉に唾をつけざるを得ないというもので……いやもう、ポアロとかでどんだけ痛い目にあってきたか。

     とはいえ、実際に手に取って見れば、さすが小鷹信光訳ということもあって、どっぷりと文章の巧さに浸ることの出来る一作になっており、じっくり味わいながら読んでしまいました。ベンジャミン・ブラックは、ブッカー賞受賞作家のジョン・バンヴィルがミステリーを書く時の別名義なのですが、さすがブッカー賞受賞作家、文章が巧い……。なぜ愛人の死亡を知っていたのに、彼を探すようマーロウに依頼したのか、という序盤の謎もいいフックになってくれて、実に読ませます。思ったよりも「続編」としての色が濃かったのも印象的で、正直、一年前に『長い別れ』を読んでいなかったら、ついていけない箇所も多かっただろうと思います。登場人物の名前とか思い出せて良かった。

     で、この本、このタイミングで文庫化されたのは理由があります。日本では23年6月16日に公開となった映画「探偵マーロウ」の原作なのです。映画としての目玉は、なんといっても、名優リーアム・ニーソンがフィリップ・マーロウを演じる、というところでしょう。いやあ、これがもう、シビれるほどカッコいい! 「歴代最高齢」のマーロウとも言われていますが、それゆえの渋い魅力が満点で、特に依頼人の女性であるクレア・キャヴェンディッシュ役のダイアン・クルーガーと二人のシーンは実に絵になります。リーアム・ニーソンは映画「誘拐の掟」(原作はローレンス・ブロック『獣たちの墓』)で探偵マット・スカダーを演じているので、私が一番好きなハードボイルド探偵を演じた役者が、一番苦手意識のあったハードボイルド探偵を演じてくれた――という形で、マーロウのことがかなり好きになれたかも。これまでのところ、一番好きな映画のマーロウは、『大いなる眠り』を映像化した「三つ数えろ」におけるハンフリー・ボガートのマーロウだったんですが、更新した感があります。

     映画の最大のポイントは、『黒い瞳のブロンド』における「ロング・グッドバイの続編」要素をバッサリカットして脚色し直しているところ。そのおかげで、単独作品として、ハードボイルドのプロットをシンプルに味わえる構成になっています(この点、色々思うところのある原作ファンはいるでしょうが、私は肯定的です)。文章や表現に浸れるぶん、原作『黒い瞳のブロンド』は好きだけれど、シンプルに一本のミステリー作品として見たら映画「探偵マーロウ」の方が好きかもしれません。

    〇伝説の映画、その続編

     さて、5月には「映像の監督が小説の世界に乗り出してきた」作品が二本もありました。一本目、マイケル・マン&メグ・ガーディナー『ヒート2』(ハーパーコリンズ・ジャパン〈ハーパーBOOKS〉)は、名作映画「ヒート」の監督であるマイケル・マンが、MWA受賞作家であるメグ・ガーディナーとタッグを組んで、「ヒート」の続編を書いたというもの。まず「ヒート」の話を先にしましょう。こちらは1995年公開の映画なのですが、実は『ヒート2』が刊行されるまで名前も知らなかったので、友人の前で恥ずかしい思いをしました(公開当時、まだ1歳だったから……)。「とにかく銃撃戦が凄いから見てみろ」と言われ、見てみたところ……いやぁ、さすが、面白い。

     アル・パチーノがシカゴ市警の刑事、ヴィンセント・ハナを演じ、ロバート・デ・ニーロが強盗団の首領、ニール・マッコーリーを演じています。この二大名優それぞれの絵力がまずすごいし、追う者と追われる者、立場の違う二人であるにもかかわらず、どこか通じ合うところがあるという見せ方に何よりも惚れ惚れしてしまいました(また、この二人の「安易な」ツーショットがないという、緊張感のある画作りも良い)。また、伝説と語り草の「銃撃戦」も見事ですが、冒頭の輸送車襲撃のテキパキとした犯行シーンも良い。クライム・フィクションの常道あるいは倫理的な問題として、最後には犯人たちが破滅することになるとしても、「ダークナイト」の冒頭5分や、「ベイビー・ドライバー」の冒頭6分など、冒頭では非情なまでの「成功」を描いてその力を見せてほしい……という欲望があるのですが、「ヒート」はこの点でもお気に入りになりました。静かなシーンで繰り広げられる、ひりひりするような心理戦もお見事。約3時間あるので、疲れはしますが、面白かったです。

     そして『ヒート2』ですが、本作ではほぼ冒頭で「ヒート」の結末がほとんどネタバレされるので、知りたくない場合はやはり映画を見てから読むのを推奨します。とはいえ、この『ヒート2』は「ヒート」の「前日譚及び後日譚」というべき作品なので、前日譚にあたる1988年のパートでは、「ヒート」でも聞いたそれぞれの出自がさらに掘り下げられて語られるなど、随所で「ヒート」を思い出すような構成になっています。なので、昔「ヒート」は見たことがある、という方は、思い出しながら読み進められると思うので、再視聴必須、というほどではないでしょう。

     映画だとひりつくような静けさがあった場所に、密度の濃い文章が十重二十重に折り重なっているという小説であるため、小説として、読んでいて飽きません。過去でも現在でも重厚な犯罪計画が進行するので、770ページというとんでもない分量にも納得。それにしても、映画はどうするつもりなんだろう。「ヒート」も文章にしていたらこのくらいの分量があったのでしょうか。『ヒート2』の分量のまま映画にしたら6時間くらいになりそうだから、小説は小説、映画は映画としてうまいこと脚色して欲しいな……。

    〇名監督、小説家デビュー!

     しかし『ヒート2』は、マイケル・マンとメグ・ガーディナーの役割分担が定かではないので、文章が良いのはどっちの功績なのか、いまいち分からないというきらいがあります。ですが、クエンティン・タランティーノ『その昔、ハリウッドで』(文藝春秋)は、映画監督タランティーノの、初の小説作品です。名監督は、小説も巧かった。

     タイトルからも分かる通り、元となっているのはタランティーノによる2019年公開の映画「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」です。これは当時に一度見ました。タランティーノが1960年代のハリウッドを描き、また、実際の人物である映画監督ロマン・ポランスキーと俳優シャロン・テートを登場させたことも印象的な一作です。2017年にエド・サンダースによる犯罪ドキュメント『ファミリー シャロン・テート殺人事件』(草思社文庫)が文庫化されたのですが、そこで、チャールズ・マンソンを信仰するヒッピー集団によるシャロン・テート惨殺事件の概要について読んでいたので、シャロン・テートの登場シーンを見て、やけに衝撃を受けたことを覚えています。落ちぶれた俳優リック・ダルトンを演じたレオナルド・ディカプリオと、その付き人でありスタントマン、クリフ・ブースを演じたブラッド・ピットが印象的でした。リックが撮影現場でペーパーバックを読んでいるシーンとか、演技をトチり、一人酒を飲みながら暴れるシーンとかが好きです。今回、『その昔、ハリウッドで』を読むにあたって、Blu-rayで再度鑑賞した、という次第。

    『その昔、ハリウッドで』の刊行を知った瞬間の偽らざる心境は、「え、それ?」でした。タランティーノ作品だと「パルプ・フィクション」「キル・ビルVol1&2」などが好きなので、もう一度見る/読むとなったら、そっちがいいんだけどなあ、と思ったのです。だからいまひとつ食指が動かなかったのですが、小説の第二章を読んだ瞬間、頬を張られたような衝撃がありました。クリフが地の文で饒舌に映画について語り、映画論を展開し始めたからです。しかもそこには、黒澤映画の話題まであるのです。黒澤映画のベスト5を挙げたうえで、5位に「『悪い奴ほどよく眠る』(但しオープニングのシーンのみ)」(同書、p.45)とか書いてあるので、あまりの解像度の高さに笑ってしまう。このくだりを読んだ時には、どうも、これはそう単純な「ノベライズ」じゃないぞと興奮していました。映画をそのまま小説化した、などという甘っちょろいものではなく、作者自身によるリテーリング(語り直し)に匹敵する作業量だと思います。

     そう知って読むと、これがもう、面白い面白い。映画では奇妙な「間」に感じられたシーンを、監督がどう意図して作っていたかなんてことまで分かるし、さっき好きなシーンとして挙げた、「リックが撮影現場でペーパーバックを読んでいるシーン」だって、それがウェスタンのパルプ・フィクション(「安っぽい小説」が原義で、日本でいう「三文小説」の語感がありますが、ダシール・ハメット、ジム・トンプソン、ジョン・D・マクドナルドなど私の好きな作家の数々を生み出した文化であることを考えると、そのものの語感よりも、昔日への憧れが込み上げてくる複雑な言葉です。ちなみにここでリックは、よく読む作家の一人としてエルモア・レナードの名前を挙げています)であることや、彼の好み、心理まで克明に紡ぎ出されます(同書、p.208~210)。あるいは、映画では少し語られるのみだった、クリフが妻を殺したことがある、というエピソードの詳細も分かるのです。子役のミラベラとの対話シーンは、映画よりもいっそう印象的になっていて、年の離れたリックとミラベラが演劇論を交わすシーンは、小説屈指の名場面になっています。

     じゃあ、小説だけ読めばいいんじゃないの? と思うかもしれませんが、そうではありません。今、上に挙げたのは「小説にしかない要素」ですが、もちろん「映画にしかない要素」もあります。結末に至っては完璧に分岐しているのです。映画のクライマックスとして、タランティーノらしい暴力を描いて見せた映画と、あくまでも小説らしい語り口と饒舌さの中で「映画」を自らの口で語り、一人の役者の物語を紡いで見せた小説。どっちが優れているとか、物足りないとかいう話ではありません。これは映画と小説、二つで一つの物語である、と言えます。比較しながら読むのがこれほど楽しい作品も、他にありません。面白いなあ。

    〇ドン・ウィンズロウも、映画を描く

     さて、この海外編ラストを飾るのは、ドン・ウィンズロウ『陽炎のまち』(ハーパーコリンズ・ジャパン〈ハーパーBOOKS〉)です。これは作者の「新三部作」の第二作にあたる小説で、今回の読書日記で取り上げてきた作品と異なり、何か映像化されているというわけではありません(まだ)。ですが、これも意外なことに「映画」に関する物語だったのです。

     三部作の第一作となるのは、日本では昨年刊行された『業火のまち』(ハーパーコリンズ・ジャパン〈ハーパーBOOKS〉)。こちらでは、アイルランド系マフィアの一員であるダニー・ライアンと、イタリア系マフィアのパスコ・フェリ、ピーター・モレッティらとの熾烈なマフィア抗争が描かれます。千街晶之による同書の解説にもある通り、この小説全体が、ギリシア神話になぞらえられている、というのも一つのポイントで、まるで古代の戦争を思わせる、容赦のない死者の量と非情さに驚かされる一冊でした。別の三部作である『犬の力』『ザ・カルテル』(いずれも角川文庫)『ザ・ボーダー』(ハーパーコリンズ・ジャパン〈ハーパーBOOKS〉)でも、「もうやめてくれよ!」と悲鳴を上げそうになるくらい、容赦なく主要登場人物を殺してきたウィンズロウですが、それは今回の三部作でも引き継がれていると言えるでしょう。

     とはいえ、この『業火の市』、個人的にはちょっとした不満のある一冊でした。ないものねだり、ともいえるかもしれませんが。作中で起こる「戦争」のきっかけとなるのは、パムという女性でした。彼女は、イタリア系のポーリー・モレッティの恋人だったのですが、それを知らずに、アイルランド系マフィアであるダニーの義弟・リアムが横恋慕してしまったのです。イタリア系マフィアの方が、ずっと引き金を引く機会を窺っていて、これ幸いとばかり戦争を仕掛けた――という設定はきちんとあるのですが、形としては、ファム・ファタールが全てを破滅させる、というノワールや犯罪小説の王道に乗っているように思えます。

     私もファム・ファタールという存在は好きですし、魅力的な女性が全てを破滅させるというプロットのノワールは好きです(そうじゃなかったらフィルム・ノワールなんて言い出さないでしょう)。ですが、その前段には、「ああ、この女性になら破滅させられてもいいかも」という感覚が必要ではないかと思います。それは何も容姿ではなくて(特に小説の場合)、魅力的なセリフ一発、エピソード一撃で納得させてもらえればそれでいいのです。ところが、この肝心のパムと言う女性……作中の描写が、ほとんど容姿のことばかりで、おまけに胸のことばかり書いてあるのです。いやそりゃ、ビーチにパムがあがってくる描写はかなり印象的に書かれているんですが……それにしたって。

     ということで、パムにファム・ファタールらしい説得力をあまり感じられなかったことで、その先の展開にのめり込めなかったのでした。ギャング同士の駆け引きやウィンズロウらしい暴力描写、血を血で洗う抗争の描写自体は楽しんだのですが、出発点のところで小さな不満が残ってしまった、というか。

     そんなわけで第二作『陽炎の市』も、期待値はあまり上げないようにして臨んだのですが……おお! 今回はべらぼうに面白い。冒頭では、前作『業火の市』の展開が高速でダイジェストされます(なのでネタバレを気にされる場合は順番に読むことを推奨します、一応。誰が死ぬとかそういう意味のネタバレしかないですけどね……ダイジェストがしっかりしているので、前作を読んでいれば、今作を読むために再読する必要はありません)。そしてすぐさま、その後の状況が描かれるのですが、私がこの第二作に惹かれた大きな理由は、この小説が「全てを喪った者の敗戦処理」と、「試合に勝って勝負に負けた者の後悔」を描くことから始まるからだと思うのです。二つのマフィアがぶつかり、ひとまずの勝敗が分かれたわけですが、勝利した側も無傷ではいられず、敗北した側はふるさとに帰ることさえ出来ない。このナイーブな語りに、引き込まれたのです。

     そして物語が第二部に至れば、今度はさらにぐいっと引き込まれる展開が待ち受けています。そこに絡んでくるのが、ギャング映画というわけです。え、そんなのどう関係するの? と思うところですが、実に意外な絡ませ方、それも「現実にあり得る」絡ませ方で、この三部作でしか描けない「映画の物語」を見せてくれるのです。これが、実に刺激的。

     ネタバレにならないよう、ぼかしながら言うと……『陽炎の市』の第二部が真にスリリングなのは、この第二部において描かれる虚構と、第一作『業火の市』における作中現実が、二重写しになって存在することによって、それぞれの関係図が明瞭に立ち上ってくるところにあります。これが、実に巧い。主人公であるダニーの心理描写も、第二作を通じて、より深く味わうことが出来ました。第二部のラストシーンなんて、実にシビれる。ファム・ファタールには「ああ、この女性になら破滅させられてもいいかも」という感覚が必要だと、私は言いましたが、こちらで描かれる「彼女」との会話劇には、それが確かにあったと思います。

     今回の「海外編」で、あえて『陽炎の市』を最後に持ってきたのは、この第二部の時代設定が1989年になっており、『その昔、ハリウッドで』が描いた1969年から、「ヒート」が撮られた1995年の、ちょうど間を担う話になっているからです。テレビドラマ俳優から映画俳優への道が開けずに、苦しむリック・ダルトンの姿を描く、『その昔、ハリウッドで』の1969年。それから1972年に「ゴッドファーザー」三部作が始まり、80~90年代にはギャング映画の全盛期に突入します。その期間内の1995年に撮られた「ヒート」を巡る物語が今新たな発展をみせました。そして、その間隙にあった80年代に「あり得たかもしれない」ギャング映画の物語を咲かせてみせたドン・ウィンズロウ。

     三者三様、それぞれのアプローチから「映画」について書いた小説が、5・6月と立て続けに刊行されたことは面白いと思いますし、何より私が興奮させられました。なお、『陽炎の市』の紹介について韜晦とうかいしておくと、『陽炎~』のあらすじには「映画」の文言など一つもなく、映画ライターであるSYOの解説でも「映画」と本作の関わりについて深く語った部分は「読了後に読むように」と記されており、もしかしたら担当編集者は映画が関わってくるよ、という事実自体をネタバレだと捉えている可能性があるとは思ったのですが、私は『陽炎の市』に映画というパーツが登場することは、一つのアピールポイントになると思ったので、悩みつつ紹介させてもらったという次第です。一応、解説では「読了後」扱いになっている、「なぜこの話に突然映画が登場するのか? どういうかかわりが?」という部分はこの読書日記でも伏せるように心掛けました。その展開への持って行き方も、面白いんですよね。

     ところで『陽炎の市』の末尾には、来年の夏刊行予定の第三作『荒廃の市(仮)』の冒頭試し読みが収録されています……ど、どうやったら、こんなことが出来るの?

    (2023年6月)



第59回2023.06.23
多崎礼の話をしよう ~私を作った作家たち・2~

  • レーエンデ国物語、書影


    多崎礼
    『レーエンデ国物語』
    (講談社)

  • 〇最近のお仕事情報

     まずは解説案件三本から。スケジュールが重なってこんなことに……。澤村伊智『アウターQ 弱小ウェブマガジンの事件簿』(双葉文庫)は、ホラーの枠組みとミステリーの技法を自在に掛け合わせる作者による、現状唯一の「ミステリー短編集」というべき作品だと思います。作家としての軸足の置き方を振り返りつつ、ミステリーファンにもぜひ『アウターQ』を読んで欲しい理由について、思いの丈をしたためてみました。構成の妙と作者らしさが味わえる「歌うハンバーガー」とか、豪快なトリックが見られる「飛ぶストーカーと叫ぶアイドル」など、本当に良い短編集なんですよ。作者の作品を読むのは怖いけれど、作品について「語ること」にも緊張感が漲るようで、最近一番緊張した文庫解説でした。

     『本格王2023』(講談社文庫)は、本格ミステリ作家クラブによる、2022年に発表された本格ミステリー短編を集めたアンソロジー。今回の選考委員は、酒井貞道、廣澤吉泰、私の三人でした。私は解説も担当しています。アンソロジーの選考に携わるのはこれが初めてで、自分の力不足を痛感する場面もありましたが、面白いラインナップにはなったのではないかと思います。各編については解説で十分に書けた気がするので、ここでは短めに。

     池上永一『海神わだつみの島』(中公文庫)は、沖縄を舞台にした幻想小説・歴史小説・冒険小説を幅広く書き続ける名手による、最新の冒険小説の文庫化。「海神の秘宝」を追うことになった三姉妹たちの、知謀・陰謀・欲望(!?)が入り乱れる凄まじい小説です。2020年に元版を読んだ時から、センシティブな題材に踏み込みつつも、決して堅苦しくならない、あくまでも弩級のエンターテインメントであるその姿勢に惹かれていました。しかし同時に、当時からなぜか、「懐かしさ」を感じてもいたのです。それはなぜなのか、池上作品のどの作品を思い出してのことだったのか、自分の記憶にも迫ってみた解説になっています。池上作品への入り口としても大いに薦められる本作、ぜひ。

     また、今週の配信になると思いますが、電子雑誌「野性時代」7月号から、初の長編連載を始めさせていただきます。タイトルは「バーニング・ダンサー」。お前、ジェフリー・ディーヴァー好きなのも大概にしろよというタイトルですが、そのものずばり、自分でも噛み砕いてみたディーヴァーの方法論を実際に試みながら、ドラマ「SPEC 〜警視庁公安部公安第五課 未詳事件特別対策係事件簿〜」や漫画「金色のガッシュ!!」への憧れを煮詰めたような作品です。なんだそれは。とにかく走ってみます。

    〇雑誌等の話題をもう少し

     早川書房からジョルジュ・シムノン『サン=フォリアン教会の首吊り男〔新訳版〕』(ハヤカワ・ミステリ文庫)が刊行されました。〈メグレ警視〉シリーズの初期の代表作にして傑作、待望の復刊ですねー。新訳によって読みやすくなっているのも良いですし、なんと言っても圧巻なのは、ギチギチの字組と圧倒的な情報量で魅了してくれる瀬名秀明による解説でしょう。特に、『サン=フォリアン~』を「〇〇小説」として読み解く視点は目から鱗で、多角的にメグレものの魅力を掘り下げていく太刀筋に感嘆しました。解説にはネタバレを含んでいるので、本編読了が必須ですが、シムノンの良さがまだ分からないという人にこそ薦められる一冊に仕上がっていると思います。

    「野性時代」6月号には、貴志祐介の読切「くさびら」が掲載。作中でも言及される「キノコ小説」アンソロジー『FUNGI――菌類小説選集 第Iコロニー』『FUNGI――菌類小説選集 第IIコロニー』(いずれもPヴァイン)に並び立つ、「キノコホラー小説」の傑作です。刈り取っても次の日には再生し、家を埋め尽くしていくキノコ……まさに、THEキノコというべき、「増殖」と「再生」をモチーフにした作品で、キノコの名前が列挙されるパートなどが独特の酩酊感を誘うのもあって、実に恐ろしく、幻想的な作品になっていると思います。7月に『梅雨物語』がKADOKAWAから刊行予定で、そこに収録される模様。

    「小説新潮」6月号では、ラジオ好きとしては特集「読む芸人ラジオ」も読み逃せない特集でしたが(アルコ&ピースの対談が楽しかった)、小説好きが注目すべきは「生まれたての作家たち2023」でしょうか。藤つかさの「長方形の死角」が猫と密室を扱った軽妙にして技ありの一編で(猫が死ぬという意味では、愛猫家には胸が痛い?)、寺嶌曜てらしまようの「月と太陽」は奇妙な繋がりを持った双子のストーリーが面白く、同時に「芥子色のカーテン」の描写から始まり、カーテンの描写で終わるところなどは、中井英夫『虚無への供物』へのオマージュも入っているのかと妄想が膨らんでしまう一編でした。そして最も注目したのは、武石勝義「牌神」。麻雀小説であるというだけで、麻雀好きとしては頬が緩んでしまうのですが、この小説では卓の上だけのシンプルな事象であるはずの麻雀が、ひょんなことから世界と接続してしまう可笑しさが読みどころ。和了あがるととんでもないことが起きる、という趣向なのです。その描写一つ一つにくすぐられながら、主人公の一挙手一投足にある意味手に汗握ってしまうという、とても楽しい短編でした。好きだなあ、こういうの。日本ファンタジーノベル大賞2023を『神獣夢望伝』で受賞された方で、同書はこの日記が公開される頃に発売している模様です。読みます。

    〇骨太・最強のファンタジー大部、開幕!

     さて、ファンタジーという言葉から繋がって、ここからは――。

     多崎礼の話をしよう。

     今月はもうこの話をせざるを得ません。多崎礼の最新作『レーエンデ国物語』! 大好きな作家の最新刊とあっては、もう読まないわけにはいかないのです。いつも、練り込まれたハイファンタジーの世界観と、大いなる「語り」の魅力、登場人物を襲う運命のうねりの面白さで、どうしようもなく「物語読者」を魅了してくれる多崎礼の世界が、今回も炸裂しています。あまりにも素晴らしい。

     作品の話に入る前に、少し、思い出話をさせてください。今まで海外ミステリーの話、そうでなくてもミステリーの話がメインだったので、私が突然ファンタジーの話をし始めたのが不思議な人もいるでしょうから。私が本格的にミステリーを読むようになったのは中学二年生の頃で、それまでは、海外ファンタジー少年でした。以前、第33回の読書日記にも、小学生の頃に『ダレン・シャン』『デルトラ・クエスト』『ドラゴンラージャ』などに熱中していたと書きましたが、日本人作家のファンタジーも続々と読んでいく入り口となったのが、上橋菜穂子の『精霊の守り人』に始まる〈守り人〉シリーズと、多崎礼その人でした。

     初めに上橋菜穂子の話からしましょう。明確に覚えているのは、2006年に刊行された『獣の奏者 Ⅰ闘蛇編』と『獣の奏者 Ⅱ王獣編』が出会いだったことです(当時12歳)。エリンと王獣リランの交流(リランが竪琴の音に反応するシーンを今でも思い出す)と、エリンとリランを取り巻く人々の思惑とのギャップにハラハラワクワクしながら、夢中になって読みました。その翌年になると、『精霊の守り人』を皮切りに、〈守り人〉シリーズが続々と新潮文庫に入り、それを読み進めていったのです。当時、中学一年生だった私は、新潮文庫は「大人が手に取るもの」という、どこかハードルが高いイメージがあったこともあり、ファンタジーを読みながら、憧れだった新潮文庫を手に取れることを喜んでいました。

     そんな風に、ファンタジーに夢中だった時期だからこそ、多崎礼の『煌夜祭』(C★NOVELS→中公文庫)に出会った時の衝撃は、凄まじいものだったのです。『煌夜祭』では年に一度、冬至の晩に開かれる〈語り部〉たちの祭りが描かれるのですが、この〈語り部〉たちが語る七つの物語が、それぞれ短編として高い完成度を保っているのがまず素晴らしい。更には、「外枠」として「煌夜祭」の情景が描かれ、次第に七つの物語の裏に隠された真の姿が見えてくる……という趣向も備えているのです。ミステリー好きにも大いに薦められる傑作であることを、ここで強調しておきましょう。友人である斜線堂有紀とよく、「ノベルスという判型に出会ったのは、はやみねかおるの『虹北恭介の冒険』が最初だ」という話をするのですが、二番目は間違いなく多崎礼、それもC★NOVELSでした。

     とはいえ、この『煌夜祭』、自力で出会ったわけではありません。私は中高一貫の学校に通っており、文芸部に所属していたのですが、そこに熱狂的な多崎礼ファンがいたのです。というか、一年上の先輩全員が、熱狂的なファンだったのです。彼女たちが、こぞって多崎礼を薦めてきて、慌てて読んだというのが次第なのですが、この先輩女子たちのパワーはそれでは収まらず――なんと、学校にご本人をお招きして、講演会をしてもらったのです。

     キッカケは「オーサービジット」という、小説家の方などを招き、授業をしてもらう企画の一環だったと記憶しています。2007年10月には、はやみねかおるさんをお招きして、ミステリー小説の書き方や伏線の張り方などの講義を受けていたく感動し、『都会のトム&ソーヤ⑤ IN塀戸』の下巻にサインをいただきました。そして翌年、2008年10月に、多崎礼さんに来ていただいたのです。まさしく、私にとっては神々との対面。

     当時、『“本の姫”は謳う』全四巻が完結した直後だったと思います。サインをいただいたのは、『煌夜祭』のC★NOVELS版。お話は多岐にわたっていて、今から思うとあれは『八百万の神に問う』(C★NOVELS)の構想だったのだなあというエピソードを拝聴しましたし、その後文芸部誌の競作企画のネタにもなった「本の題名や帯から物語を想像する」という遊びを教えていただいたりもしました(ちなみに「文芸部誌の競作企画のネタ」としても使われていたと確かめられたのは、もちろん、当時の文芸部誌が家から発掘されたからですが……私もそうですが、先輩たちの名誉のためにも、これは表には出せなかろう)。

     そんな縁もあり、多崎礼の名前を見るだけで、当時からの記憶が一気に蘇ってくるのです。しかし、もしこうした縁がなかったとしても、多崎礼が作り上げる世界観は、少年少女時代に夢中になって「物語世界」に入り浸った、鮮烈な記憶を呼び覚ましてくれるでしょう。だからこそ、多崎作品を読む体験は、いつでも、いつまでも瑞々しく、そして愛おしい。

    〇最新作『レーエンデ国物語』の話

     自分の原体験と切っても切り離せない作家なので、思わず昔語りから入ってしまいましたが――それにしても、この『レーエンデ国物語』は凄い。

     今作の舞台は、「銀呪病」という病が存在する呪われた地、レーエンデ。「銀呪病」に罹患すると、体が銀呪に覆われ、運動機能が低下し、やがて死に至ります。そういう恐ろしい病です。英雄である父・ヘクトルと共に、このレーエンデにやって来た娘・ユリアは、琥珀の瞳を持つ寡黙な射手・トリスタンと出会います。ヘクトルがこの地に交易路を作ろうと奮闘する中、ユリアはこの地ではじめての友達をつくり、はじめての恋を経験する。しかし、建国の始祖の預言書が争乱を引き起こし、ユリアは帝国の存立を揺るがす戦いの渦中に巻き込まれていくのでした。

     上記が、かなり駆け足でのあらすじになりますが、作者の筆はゆっくりと、ユリア、ヘクトル、トリスタンの三人の、愛おしくも様々な思惑を秘めた関係性を描いていきます。ここの会話劇が全部良い。特に、ヘクトルの妻、ユリアの母であるレオノーラを巡るエピソードが好きです。英雄でありながら危うさを秘めたヘクトルにどう接したか、という部分に、彼女のしたたかさが滲んでいるのです。それがユリアの選択を巡る物語にも深い影響を与えてくるところなど、実に余念がない。

     また、舞台となるレーエンデの、古代樹の森の光景からして、グッと世界観に引き込まれます。古代樹の森そのものは、多彩な色彩を帯びていると描写されるのですが、やはり脳裏に強く焼き付くのは銀のイメージ――デビュー作である『煌夜祭』が、茜色、赤銅色、そして燃え盛る炎のイメージだったことを想うと、どこか好対照に感じます。

     登場人物たちを襲う宿痾、宿命の残酷さ、そしてそれによるストーリーの面白さは健在――それどころか、研ぎ澄まされている気さえします。互いに惹かれ合うにもかかわらず、様々な事情から思い切れないユリアとトリスタンに、思いもかけない試練が訪れるのですが、ここのドラマがとんでもなく良い。物語上の伏線を巧みに回収しながら、少しずつ状況が悪くなっていく、その過程も読みどころですし、ユリアとトリスタンがいかなる選択を下すか、それが気になって読む手が止まらない。寝食を忘れて一気読みとは、まさにこのこと。それにしても、トリスタンのあまりの誠実さには、思わず心を揺さぶられてしまいます。あまりに好き。

     多崎礼作品は冒頭の引きが尋常ではなく、毎回、開いたら最後、一気に読まされてしまいます。『レーエンデ国物語』も、冒頭2ページを開いてみてください。ここでは少しだけ引用させてください。

    〝革命の話をしよう。
     歴史のうねりの中に生まれ、信念のために戦った者達の
     夢を描き、未来を信じて死んでいった者達の
     革命の話をしよう。
    (中略)
     レーエンデが抱えた宿痾と宿命。
     そこに生きた者達の受難と苦闘。
     法王庁が隠蔽し続けてきた真実をここに記そう。
     革命の話をしよう。〟(同書、p.10~11)

     多崎作品は、毎回冒頭のカッコ良さが異常です(もう私が「多崎礼の話をしよう」と言った意味も分かりましたね?)。開いたら絶対に読むのをやめることは出来ない。歯切れよく、リズミカルな文章によって、作品全体のテーマと骨格をバーンと示してくれるからだと思います。著者が全作品を通じて大切にしている「語り」の技法が、読者へ語り掛ける文体によって遺憾なく発揮されているゆえですし、著者には本書だけでなく『夢の上』(C★NOVELS→中公文庫)など、「国の歴史」をモチーフにした作品が多く、だからこそ、重く、堅い大河小説の扉が開く、その瞬間の途方もない高揚感にも満ち溢れています。

     本作は、また新たなシリーズの幕開けとなります。しかし、そこは多崎礼。これ一作でも、話としてはきっちりまとまっています。と言っても、まだ物語としては大きな謎やフックを残しているので、今後どうなるか、期待が高まって仕方ありません。第2巻が8月、第3巻が10月と予告されており、この大部のファンタジーをかなりのハイペースで届けてくれるようです。この「読書日記」では、出来る限り、新刊が出るたびに追尾するように感想を書いていくつもりです。今回は『レーエンデ国物語』をメインの本として取り上げておりますが、第2巻以降は、メインが他の本になって(ミステリーランキングなども近付いてそちらの話題書も多そうですからね……)、前段で続々紹介していくという形になるかもしれません。ともあれ、お付き合いいただけますと幸いです。

     小説が好きなら絶対に読んでくれというくらい、物語の面白さと楽しさ、そして容赦のなさに満ちた、素晴らしい作品です。ぜひ読んで欲しい――と、ここで終わってもいいのですが、何せ、多崎礼は私を形作った最重要作家の一人。まだまだ語り足りないので、ここでせっかくならと、全作レビューを試みようと思います。大部の長編が多いため、駆け足の紹介になってしまうことを、ご容赦ください。

    〇多崎礼全作レビュー

    『煌夜祭』(C★NOVELSファンタジア→中公文庫)
     私的偏愛作その1。既に思い出話の中で述べてしまいましたが、これは、ミステリー好きにもオススメ出来るファンタジーの名品です。魔物が人を食べると言われる冬至の夜、年に一度開かれる語り部たちの宴「煌夜祭」。島主屋敷も廃墟となったさびれた島に、対峙する二人の語り部、トーテンコフ(頭蓋骨)とナイディンゲイル(小夜啼鳥)――。本書は、二人の語り部が語った話と、篝火を挟んで対面するこの二人の会話のパート、大きく分けてこの二つで構成されています。語り部の話の中には、更に小さな話が幾つも入った入れ子細工のような構成になっており、更に、語り部の話が一つ進むごとに、二人の会話によって、この世界にまつわる謎と、物語の大枠にまつわる疑問のピースが、一つずつ集まっていきます。

    「語り」によって物語が動き出し、「語り」が駆動しているところが、この作品が実に作者らしい傑作になっている理由だと思います。人が語りによって伝えようとするもの、人が語りに魅了されてしまう心理、それらを物語のギアとして巧みに用いながら、作中のドラマに読者を引きずり込んでいく。この手法は、先に引用した『レーエンデ国物語』の冒頭部にも恐らく関連してくる話ですし、『夢の上』という小説は、この『煌夜祭』の枠組みを三冊分の大部ファンタジーに使った豊かな実りだと思います。

     本書は、これ以上の予備知識なしに読み始めることが、最も良いでしょう。「第一話『ニセカワセミ』」の展開からして、まだ世界観を深く掘り下げていない段階だからこそ映える、劈頭の一話にふさわしい哀話であるからです。一つの小さな話と、それが作り出す大きな絵。パズルのピースを一つ一つ嵌めていく過程の面白さが、会話劇によって展開されるところが、ミステリー好きにもオススメ、と言った理由です。この本に関しては、もうこれで十回以上再読しており、思い入れの度合いが違います。中公文庫版には、必ず最後に読むべきボーナストラック「遍歴ピルグリム」が収められており、これもオススメですが、画像検索でもいいので、C★NOVELS版の表紙は一度見てほしいです。あまりにもカッコ良すぎる。

     本書の「文庫版あとがき」を久しぶりに開いたところ、なぜ私がこんなにも多崎礼作品に魅了されるのか、その答えがそのものずばり書いてあって、感銘に打たれたので、引用させてもらいましょう。

    〝私の物語に登場する人物達は理想と現実の間で葛藤し、決断を誤っては多くの過ちをおかし、後悔しては慚愧ざんきの涙を流す。そんなおろものばかりです。それでもまた立ち上がり、何かを選び、何かを夢見て、懸命に生きていこうとする。そんな諦めの悪い者達ばかりです。
     つまり、何が言いたいかというと――
     私が書きたいのは、そんな愚かで諦めの悪い人間達の物語なのだということです。
     それは昔も今も、そしてこの先も、変わることはないでしょう。〟(中公文庫版『煌夜祭』中「文庫版あとがき」、p.298)

     愚かで諦めが悪く、しかし、それゆえに人間臭い。そんな人々があがき、それでも生きる姿だからこそ、こんなにも、何度も胸を打つ。それはこの『煌夜祭』に描かれた人間たち――そして魔物たちも――にも流れる精神ですし、最新作『レーエンデ国物語』でも、「革命」というテーマの中で見事にそれが表現されています。だから私は、多崎礼の本を読むのだ。

    『〈本の姫〉は謳う』(C★NOVELSファンタジア、全四巻)
     先述した通り、中学生の頃に先輩たちから熱烈に薦められて手に取った作品であり、あまりの面白さにより一層夢中になった作品でもあります。「本」をモチーフにした作品であるという点では、後年の『叡智の図書館と十の謎』(中公文庫)に通ずるとも言えるでしょう。

     世界を蝕む邪悪な存在である文字スペルを回収する旅を続ける少年アンガスの物語(いわばロードムービーの骨格です。そして「文字禍」!)と、謎めいた語りで進行する「俺」の物語が並列で描かれていくのですが、大長編として構成されているがゆえに、この並列する物語の全貌が露になるのは最終巻までお預けになります。しかしそれが明らかになる瞬間の驚きが……素晴らしいんですよね……。二巻、三巻が「おいおい、こんなところで終わるのかよ!」というとんでもない引きで終わるために、どんどん続きを手に取ってしまったのをよく覚えています。キャラクターの中では、姫とセラの可愛さが異常です。未だに好き。超好き。

    これも冒頭が超痺れるので、ちょっと引用してみます。

    〝この世界は、言うなれば本のようなものだ。
     お前は本を読む時、まずは表紙を開き、最初のページから物語を読み進めていくだろう?
     世界もそれと同じだ。表紙をめくった瞬間に世界は始まり、ページをめくるにつれ、時間は流れる。今日は昨日になり、過去は歴史という物語になる。
     過去と現在と未来。それは本に書かれた物語と同じだ。一つの時間軸上において、それらは並列して存在する。まだ開いていないページに物語の続きが書かれているように、まだ見ぬ未来もすでに存在している。
     本の筋書きが最初から決まっているように、世界の終わりもすでに決まっている。ページの先を書き換えることが出来ないように、未来もまた変えることは出来ない。

     そう、お前に出来るのは、選ぶことだけ。〟(『〈本の姫〉は謳う1』、p.9)

     本当はもう一ページ分あるのですが、雰囲気は十分に伝わるでしょう。「お前」と呼びかける二人称小説が私の好み過ぎる、というのはあるのですが、多崎作品の冒頭の巧さは毎回凄まじくて、まさしく「ページを開いたが最後」なのです。もうページをめくる手を止めることは出来ない。なお、この引用部で書かれた「世界の終りもすでに決まっている」という終末論的な主題は、まさに本作の主題でもありますし、後年の作品でもさらに先鋭化された形で描かれていくことになります。そうした、シビアに構築された世界観も、私を魅了し続けてきた要素の一つです。

    『夢の上』(C★NOVELSファンタジアで全四巻→中公文庫で『夢の上 ―夜を統べる王と六つの輝晶』と改題して全三巻)
     私的偏愛作その2。多崎礼を代表する長編ファンタジーだと思っています。理由はシンプルで、デビュー作『煌夜祭』の項でも言及しましたが、『煌夜祭』にもみられた、「語り手によって複数のストーリーが一つずつ展開し、最後にはその語りがうねりをもって連なり、小説の幹となっていく」という手法が大長編の形で結実しているからです。本書は、「叶うことのなかった夢の結晶」である「彩輝晶」に閉じ込められた人々の夢を、「己の夢として」追体験しようとする王と、その王を相手に夢を見る手伝いをする「夢売り」の男との会話から幕を開けます。彩輝晶は全部で六つ。つまり、六つの中編小説が、一つの大長編を作っているという構成です。

    『夢の上 ―夜を統べる王と六つの輝晶1』(中公文庫)では、翠輝晶すいきしょう蒼輝晶そうきしょうの二つ、2巻では紅輝晶こうきしょう黄輝晶おうきしょう、3巻では光輝晶こうきしょう闇輝晶あんきしょうといったように、彩輝晶ごとに語り手を替え、この王国のありようとそれぞれの夢を描いていくのです。1巻では身を焦がすような恋のエピソード、それも質の違ったものを二つも読むことが出来て、特に「蒼輝晶」なんて大いにツボなのですが、私的大偏愛の理由は、なんといっても2巻の「紅輝晶」! C★NOVELS『夢の上2』の表紙に描かれた、ハウファ・アウニールという女性が主人公なのですが、彼女の「復讐譚」の物語が……私はもう、本当に好きすぎて。復讐譚の面白さは、淡々と計略を実行していく冷酷さか、その冷酷さが揺らぐ瞬間にこそあると思うのですが、ストーリーのネタバレを防ぐためどちらとは言いませんが、中盤に訪れるそのシーンの描き方が素晴らしく、さらに圧倒的な結末も良い。2011年1月の刊行なので、当時まだ高校1年生だったと思うのですが、しばらくこのアウニールには憑りつかれたなあ。大いにハマりました。

     3巻については、語れることは多くありません。なぜなら、二人の語り手が明らかになった瞬間、すでに、「ああ」というため息がこぼれるような小説だからです。特に、「闇輝晶」がすごい。この「語り」が始まった瞬間、ああそうだよな、この人なしでは、この小説は終われないよなという、深い納得と感動に打たれたのをよく覚えています。また、私はC★NOVELS版で読んだのですが、このノベルス版には各輝晶のブリッジにあたる「幕間」の部分にちょっとした仕掛けがあり、まるで空の無い王国の昏さを象徴するように、縁が黒くなっているのです。そしてこういうページ構成になっていた理由が、3巻の最後に明かされるのですが、これが絶妙の余韻を残してくれるのです。著者が出したアイデアか、編集者のものか分からないのですが、どちらにせよ、この小説を愛していないと出てこないアイデアであることは確かで、中公文庫化された今でもC★NOVELS版を手放さないのはそれが理由です。

     なお、C★NOVELS版では、4巻というか、外伝にあたる『夢の上 サウガ城の六騎将』が刊行されており、これはケータイサイト「yorimoba」で連載されていた五つの短編に書き下ろしを一編加えて書籍化したもので、本編でも登場した「ケナファ騎士団」の六人の英傑を巡る短編集になっています。一編の中で、この六英傑のうちの一人が「語り手」を務め、他の一人が「聞き手」になっており、次の一編では、前に「聞き手」だった人物が「語り手」にスライドするという構成になっています。ノベルスが完結した約1年後に刊行されたので、「まだまだあの世界に浸りたいなあ」という夢を叶えてくれるような短編集でした。お気に入りの短編は「あの日溜まりの中にいる」かなあ。猫ちゃん小説。

    『八百万の神に問う』(C★NOVELSファンタジア、全四巻)
     著者初の和風ファンタジー。その後『叡智の図書館と十の謎』の中に、和風の作品もありますが、それを除くと、唯一の長編ということになるのかもしれません。一切の武力行使が禁じられた土地「楽土」において、利害の対立が生じた時には、結論が出るまでとことん話し合う。それが『音討議』であり、その討論を担うのが「音導師」である――という設定から分かる通り、一種の法廷小説のような趣があるのが本シリーズ。音導師の言葉が、人の持つ八つの「オン」の共感を得た時、音叉が共鳴して結論がまとまる、という演出も実にロマンチックです。

     和風ファンタジーらしく、春・夏・秋・冬それぞれの季節を描き、出会いの『春』(1巻)、成長の『夏』(2巻)、実りの『秋』(3巻)、別れの『冬』(4巻)を紡ぎ出す四部作となっています。1巻に出てきた魅力的な登場人物一人一人にスポットライトが当たるような形で、各巻ごとに作品世界が大きく広がっていき、多角的になるような読み味となっていて、これぞ長編ファンタジーを読む楽しみ、と言えます。また、和風になったこともあってか、現代の言葉(ツンデレとかメタボとか)に昔の和風の音をあてはめるような言葉遊びが随所にちりばめられていて、そういう遊びも楽しい一作になっています。

     私のお気に入りは、1巻と3巻。1巻で主人公の一人となるサヨについて、1巻の後半に至って、実にしんどい類の因縁話が立ち上がって来て、結末の音討議に向けて盛り上がりを見せていく構成もたまりませんでしたし、3巻では、密かに「いいな」と思っていたキャラクターであるライアンにスポットライトが当たり、その意外な過去が明かされたうえで、結末に至るまで油断のならない展開が仕掛けられていて大満足。もちろん、全四巻、どっぷり浸るのにうってつけの傑作で、電子書籍限定で刊行されている短編集(「八百万の神に問う 外伝集」)も粒よりで素晴らしいです。もちろん短編集単体で読んでも面白いですが、シリーズの各巻との繋がりを辿っていくのが実に楽しい作品集です。ぜひ。

    『神殺しの救世主』(角川書店)
    「長編」としては、初の単巻完結――ということになるでしょうか。これこそまさに、『〈本の姫〉は謳う』で書いておいた、「終末」を描いたファンタジーの傑作。長年にわたる戦で荒廃した世界に伝わる「終末神話」について描かれたのがこの『神殺しの救世主』という一作です。神話には、「救世主」が五人の『守護者』と共に人々を新世界に導く、とあり、主人公である少女・ノトは、かつて「守護者」の責務から逃げた負い目を抱えながらも、運命に立ち向かうため、『守護者』たちを集めにいくのです(冒頭からしばらくは映画「七人の侍」のような、仲間たちが集まっていく作劇の楽しさがあります)。

     章を追うごとに、シビアに切り詰められていくダークな世界観が見所(単行本の黒を基調とした装丁が、この雰囲気に合っていて実に素晴らしい)。主人公を巡る状況や、作品世界内の治安の悪さも、この作品がトップクラスではないでしょうか。そしてこの小説は、なんといっても――SF好きに読んで欲しい多崎作品のナンバーワンかもしれません。『〈本の姫〉は謳う』の「本」や「文字」にまつわる設定も、SF的なガジェットとしての面白さがあったと思うのですが、『神殺しの救世主』で、世界の薄皮が剥がれていくごとに明らかになっていく、稀有壮大な世界の設定は、何よりもSF好きの心をくすぐるんじゃないかな、と思うのです。

     各章のエピソードの中には、ミステリー的な演出が光るものもあり、単巻完結ということも含めて、実はオールジャンルの読書好きをスナイプするのにうってつけの一作ではないでしょうか。これこそ文庫に入れてほしい。

    『血と霧1 常闇の王子』『血と霧2 無名の英雄』(ハヤカワ文庫JA)
     私的偏愛作その3。吸血鬼とは違う形で「血」の物語を描いた作品でもありますし、「残酷な運命を背負った子供」の物語が刺さってしまうので、読んだ時の感動は一言では言い表せません(ラストシーンの語りが、あまりに素晴らしいのです)。

     明度、彩度、色相によって血に価値が決められている世界で、「奇跡の血」と呼ばれる「明度Ⅹ」の血を持った少年ルークが失踪した。彼を探すために主人公ロイスが雇われる――というのが物語の冒頭にあたる第一話「Out of the Dark/常闇の王子」のあらすじなのですが、ここから二巻分、六話構成でそれぞれ違った角度からこの世界とキャラクター達を描いていきます。第三話の結末なんて、実に泣かせる。

     私が特に好きなのが第二話「Same Love/同じ愛」、第五話「This Woman`s Work/血の記憶」です。どちらも多崎作品ならでの、心に残る女性キャラクターが登場する話だからですね。第二話は、あまりにも残酷すぎるこの世界の「底」を描いたうえで、その残酷さの中でも決して折れないある人物の姿を描いており、胸をかき乱され、心揺さぶられるエピソードです。第五話は、最終盤へ向けたブリッジとなる話でもあるのですが(こういうチェンジ・オブ・ペースがカッコよすぎるんだ!)、ここで作中の重要人物・グローリアが深く掘り下げられることで、物語がうねりを上げて動き出す第六話の感動がさらに高まるようになっています。世界のピントが合うような読み心地、というか。しかし、この第五話で何よりも凄いのは、グローリアの描写はもちろんですが、ロイスとグローリアを引き裂こうとする相手役として設定されているリネットの書き方ではないかと思います。公正というか、たった一人も取りこぼさないというか、こういう小説の書き方に、私は何度でも、この作家に惚れ直すのです。

    『叡智の図書館と十の謎』(中公文庫)
     広大な砂漠に囲まれた、古今東西の知識が集まる図書館に辿り着いた旅人――この冒頭の情景からしてそそられます。守人の彫像から質問を投げ掛けられ、それを解くためのヒントとなるエピソードが旅人の手元の《魔法の石板》に映し出される、というミステリー仕立ての構造になっているのが特徴で、一つの質問が出され、答えが出るまでが長編小説の一章分にあたり(章立ては「第一問」「第二問」など)、それぞれの章は短編小説としても完結している、という趣向。入れ子細工のような趣向は、デビュー作である『煌夜祭』と相似形を描いていると言えます。

     一つ一つのエピソードも短編としての完成度が高く、ある種の犯罪小説としても読むことが出来る「第五問」と、登場人物を数字で管理し、文体も冒険小説風にキレがある中で突然現れる「アレ」にニヤリとしてしまう「第九問」がお気に入り。「第十問」を経て明かされる真相と、結末の余韻もたまりません。今回のあとがきでは、本編では記されない、各問題の短編としてのタイトルが表記されているのみならず、レイ・ブラッドベリやJ・L・ボルヘスの名前が挙がっているのも嬉しいところ。

     以上、これまでに刊行された作品について、駆け足ながら振り返っていきました。基本的に単著が刊行されているものに絞っているので、ファンからすれば「まだまだ足りないよ!」と私を叱りたい気分かもしれませんが、ご容赦ください。

     さて、ここまでは、その描写のカッコ良さや、シビアな世界観、キャラクターの描き方やその時の公正さなどを各作品に応じて語ってみましたが、実はもう一つ、重要な要素があると思っています。それは随所に覗くユーモアです。

     峻厳な世界観で、運命に抗って、自分たちの選択に時に悩み、苦しみ、それでも人間臭く生きる人間達のシリアスな讃歌でありながら、ふとしたシーンに、ユーモアが滲む。例えば『血と霧』では、第一話が凄まじくシリアスな話であったにもかかわらず、第二話の冒頭では思わず顔が綻ぶような会話劇が繰り広げられます。『八百万の神に問う』でも音討議のシーンはシリアスでも、洒落っ気のあるキャラクターたちが合間で一息つかせてくれる。こういう体験の一つ一つが、ただ真面目なだけの登場人物たちと相対するよりも、一歩深く、作品世界にのめり込ませてくれるのだと思います。

     多崎礼は、自分の選択から目を離さない、弱くて、しかし強い人たちを一貫して描き続けています。でも決して堅苦しいだけじゃありません。苦しみ、悶え、戦う人々にも、微笑みを交わすようなユーモアがあり、日常があると描いてくれるからこそ、読者はより一人一人の登場人物を身近に感じ、感情移入し、より深く作品世界に没入してしまうのです。だから私たちはまさしく、毛布にくるまって読み耽ったあの頃のように、その作品世界に浸ることが出来るのでしょう。

     トーテンコフ。ナイティンゲイル。アンガス。姫。セラ。ハウファ。サヨ。ライアン。ロイス。ルーク。ノト。グローリア。リネット。ここに挙げたあなたたちはみんな、私がこれまでの人生を共に生きた人々です。そしてここに、新たな名前が書き込まれました。レーエンデの国から、ユリア、ヘクトル、トリスタン、レオノーラが。これからも、彼ら彼女らを見守り続けます。祈るようにして。

    (2023年6月)



第58回2023.06.09
私たちを救うカナリアの声 ~私を作った作家たち・1~

  • コメンテーター、書影


    奥田英朗
    『コメンテーター』
    (文藝春秋)

  • 〇最近のお仕事情報

     大山誠一郎『仮面幻双曲』(小学館文庫)は、2006年に刊行された単行本版に大幅な改稿を加えた、完全改訂版ともいうべき一冊。こちらに文庫解説を書かせていただきました。長らく入手困難となっていたので、ファンにとっては待望の一冊になるのではないでしょうか。私自身、単行本版をなんとか手に入れて読み、メイントリックにいたく感動した一冊なのですが、作者はその後の読者からの反応に忸怩たる思いがあったようで、『本格ミステリ・ベスト10』の「作家の近況」欄や、Twitter等でも、改稿の必要性について語っていました。なので、依頼をいただいた時は大いに興奮して、ゲラが届いて即座に開いたのですが――いやもう、感動、の一言以外ありませんでした。単行本版を読んだことのある方は、あまりにも徹底した彫琢ぶりに驚くと思います。大山誠一郎はここまでやるのだ、という感動を解説に乗せるとともに、単行本版と文庫版を一行単位で比較したので、ネタバレなしで比較検討の成果も盛り込んであります。初読の方はもちろん、単行本で読んだ人も、文庫版を読むべし!

     小説では、5月下旬にweb J-novelにて「占いの館へおいで」が掲載されました。〈九十九ヶ丘高校〉シリーズの第四話です。タイトルは、はやみねかおる『都会のトム&ソーヤ』の『ぼくの家へおいで』をもじっていますが、テーマは『九マイルが遠すぎる』。占い研の女子生徒が聞いた、奇妙な一言から、推論を繰り広げる短編です。原稿用紙換算で50枚強と、このシリーズの中でもひときわ短い作品ですが、担当編集さんも気に入ってくれたようです。同シリーズは、書き下ろしの第五話を修正中で、書籍化を目指していますのでそちらも楽しみにしていただけるとありがたいです。

    〇今月の、雑誌の話題はちょっと長い

    「小説現代」6月号では、砂原浩太朗の〈神山藩〉シリーズ最新作『霜月記』が一挙掲載されています。シリーズ第一作高瀬庄左衛門御留書たかせしょうざえもんおとどめがきや第二作『黛家の兄弟』にも、時代小説の骨太な骨格の中に、ミステリーの技法が巧みに使われていましたが、最新作『霜月記』は失踪事件、暗号解読など、よりミステリー味が増しています。著者謹製の「神山藩データ&年表」(!)や、末國善己によるインタビューなども掲載されているので、大満足でした。同誌には青崎有吾『アンデッドガール・マーダーファルス』のアニメ化を記念した特集も組まれており(これは2号連続で、6月22日売りの7月号では青崎有吾、黒沢ともよ、矢代拓による鼎談が載っているようなので必見ですね)、新作短編「知られぬ日本の面影」を読むことが出来ます。なんと今回の題材は小泉八雲! タイトルを見た時からまさかとは思っていたのですが、冒頭のエピグラフが小泉八雲だったので、それだけでもう快哉を上げてしまい、バトルも謎解きも大充実の展開で、これが短編の満足度か? と不思議になるほど。青崎有吾が面白すぎる。本当に悔しい。

     同誌の個人的な目玉はもう一つあり、道尾秀介による〈きこえる〉シリーズの第四弾「死者の耳」も掲載されています。このシリーズは、作中のある部分に登場するQRコードを読み込んで、音声を聞くと真相が分かる、という趣向のシリーズです。今回は、冒頭にも結末にもQRコードが置かれているという状況で、本編の長さもこれまでで最長かと思われます。そして訪れた結末が……いやあ、第四弾まできて、こんな手まで使ってきますか。舌を巻くというかなんというか。ちなみに第三弾「小説現代」3月号に掲載された「にんげん玉」(実際には鏡文字で印刷されています)も、何度も聞き、読み返すごとに発見があった作品でした。体験によってミステリーが深化するという点で、ここでしか味わえない試みだと思います。

    「オール讀物」6月号の特集は「警察小説最前線」。長岡弘樹「嚙みついた沼」はカミツキガメを使ったアイデアが面白く(中核のアイデアも好きなのですが、その前段の、なぜそんなことをしたか? という疑問の出し方が楽しいです)、佐々木譲「弁解すれば」はPTSDを抱えた刑事の相談対応を描いた作品で、感情移入してしまうが故の苦悩の描き方が胸に迫ります。本格ミステリー好きの最注目作は、大山誠一郎の〈赤い博物館〉シリーズ最新短編「三十年目の自首」でしょう。とうに時効を迎えた犯罪について、なぜ自首してきたのか? という謎ですが、著者はTwitterにおいて、こうしたテーマを「不可解な自首」ものと命名し、横山秀夫『半落ち』、都筑道夫「遅れた犯行」(『退職刑事5』〈創元推理文庫〉収録)、法月綸太郎「ABCD包囲網」(『法月綸太郎の功績』〈講談社文庫〉収録)「殺さぬ先の自首」(『法月綸太郎の消息』〈講談社文庫〉収録)などの作品名を挙げ、その系譜を辿っています(作品名が多いので、全貌を見たい方はぜひ著者のTwitterを見に行ってください)。こうしたテーマを思い付いた際、系譜を丁寧にひもといていくのが作者の強みですし、それら先行作に勝るとも劣らない、「本来あり得ない事態」を成立させるための捻りが効いた短編になっていたと思います。

     個人的には、北村薫×有栖川有栖「清張の〈傑作短編〉ベスト12」対談にも興味津々。あえて12作、としたのは、『夏樹静子のゴールデン12ダズン』(文春文庫)に引っ掛けてのことなのかと思ったら、冒頭でいきなり違うと分かり、そのセレクトに目をみはりました。読んでいる短編でも、そういう視点からこの短編を選んだのか、と驚かされたり、本当に未読のものを差し出されて恥ずかしくなったり。まだまだ読めるなあ、清張作品。個人的に膝を打ったのは、清張作品のサスペンスを形作っているのは、犯人の〝よせばいいのに〟という行動だという指摘でした。熱にあてられて、持っていない短編集をまた二、三冊買ってしまいました。今読んだものだけから自分が選ぶなら、なんだろう。「遭難」(『黒い画集』〈新潮文庫〉等収録)、「顔」(『なぜ「星図」が開いていたか』〈新潮文庫〉等収録)、「奇妙な被告」(『火神被殺』〈文春文庫〉等収録)、「鴎外の婢」(『鴎外の婢』〈光文社文庫〉等収録)、「カルネアデスの舟板」(『張込み』〈新潮文庫〉等収録)、「黒地の絵」(『黒地の絵』〈新潮文庫〉等収録)になるかなあ。まだまだ読み込みが足りないので、お二人のような刺激のあるセレクトにならない……。

    〇5月の新刊が豊作すぎる

     さて、5月の新刊ですが、「この話は絶対にしておかないと!」という本と、「ここでしておかないとどこでも出来ないぞ!」という本が多く、例によって例のごとく、時評的に全て拾っていきます。駆け足になってしまいますが、ご容赦を。以下は、取り上げる作品のリストです。

    ・皆川愽子『風配図』(河出書房新社)
    ・ヴァシーム・カーン『チョプラ警部の思いがけない相続』(ハーパーコリンズ・ジャパン〈ハーパーBOOKS〉)
    ・アンデシュ・ルースルンド『三年間の陥穽』(ハヤカワ・ミステリ文庫)
    ・早坂吝『しおかぜ市一家殺害事件あるいは迷宮牢の殺人』(光文社)
    ・森川智喜『動くはずのない死体 森川智喜短編集』(光文社)
    ・奥田英朗『コメンテーター』(文藝春秋)

     まずは皆川愽子『風配図』(河出書房新社)を紹介。今なお精力的に新作を発表し、しかもこれほど高い質の作品を書くその筆力に、毎回ただただ頭が下がります。しかも今回は1160年のバルト海が舞台、それも描かれるのは決闘裁判だというのですから、もうたまりません。扱われた国と年代は違いますが、エリック・ジェイガー『最後の決闘裁判』(ハヤカワ文庫NF)というノンフィクションを最近読んで(映画にもなりましたね)、題材への興味が高まっていたのも、小説への没入感を高めた要因かもしれません。皆川愽子の歴史小説がとにかく好きで、『死の泉』はもちろんのこと、『伯林蝋人形館』『聖餐城』などが大好きなのですが、今作はその中でもかなり短めの作品ながら(本文が270ページまで)、その読み応えは過去の名作に匹敵するものとなっています。今回の最大の趣向は、詩歌や戯曲形式を交えて描いているところで、小説部分は濃密な描写にゆったりと浸かり、戯曲になると生き生きと物語が駆動するように感じられるという、独特の読書体験がデザインされていると思います。だからこそ、小説も、詩歌も、戯曲も、どの部分を読んでもそれぞれの読み心地があり、楽しく、どっぷりと浸れる作品になっているのではないかと思うのです。15歳の少女でありながら、決闘裁判に挑む少女・ヘルガの書きぶりも力強く、素晴らしいですが、彼女の身を案じる12歳の義妹・アグネの造形も良い……。帯に「新たな代表作、誕生。」とありますが、その看板に偽りなし、だと思います。

     ヴァシーム・カーン『チョプラ警部の思いがけない相続』(ハーパーコリンズ・ジャパン〈ハーパーBOOKS〉)は、退職の日に伯父から「子象」ガネーシャを相続した警部アシュウィン・チョプラの奮闘を描くミステリー。この子象が、信じられないほどかわいい(笑)。大都市ムンバイを元警部と子象が駆けずり回りながら、事故として放置されていた少年の水死体の事件を追いかけるのですが、子象を連れているがゆえにどこでも注目の的。私のお気に入りは、象と一緒にエスカレーターに乗ろうとするシーンですね。楽しみ方としては、赤川次郎の〈三毛猫ホームズ〉シリーズや、辻真先の〈迷犬ルパン〉シリーズに近いものがあると思います。可愛い動物に癒されながら、コミカルな捜査行を楽しむという点で。ちなみにこのシリーズ、「訳者あとがき」によれば〈ベィビー・ガネーシャ探偵事務所〉シリーズというようで、長編第二作では呪われたダイヤ「コ・イ・ヌール」が題材になるらしいので、こちらもぜひ読んでみたいところ。ところでこの作者、CWAヒストリカル・ダガー賞を受賞した『帝国の亡霊、そして殺人』(ハヤカワ・ポケット・ミステリ)も今年2月に邦訳されており、こちらは1949年を舞台に、未だ女性への偏見の激しいインドで奮闘するインド初の女性刑事ペルシス・ワディアと、ロンドン警視庁付き犯罪学者、アーチー・ブラックフィンチとのコンビの活躍を描いており、こちらも象ではないながら(笑)、アーチ―のキャラがめちゃくちゃ立っていて痛快でした。謎解きミステリーとしては『帝国の亡霊、そして殺人』の方が、一枚上手だった、かな。

     アンデシュ・ルースルンド『三年間の陥穽』(ハヤカワ・ミステリ文庫)は著者の代表シリーズである〈グレーンス警部〉シリーズの最新作。『三秒間の死角』以降、潜入捜査官ピート・ホフマンとのW主演となっているこのシリーズですが、前作で「もう潜入捜査しない/させない」という誓いを立てたはずの二人が、またしても卑劣な犯罪を前にしてタッグを組むことになります(前作『三日間の隔絶』については第39回で紹介しています。前々作『三時間の導線』も第17回に言及あり)。タッグどころか、今回はIT専門家のビエテを加えてトリオという感もあり(ほかにITの天才青年もいる)、潜入捜査とその役割分担が決まる瞬間の物語の躍動感はひときわ素晴らしいものになっています。『ボックス21』では人身売買、『地下道の少女』ではストリートチルドレンと、ミステリーの枠組みを用いて社会問題を抉ってきた作者が今回選んだ題材は、小児性愛者による虐待という卑劣な犯罪です。冒頭でグレーンスは、ある女性から娘の墓地に眠る「空の棺」の話を聞かされます。娘は失踪してしまい、失踪期間三年の時点で、行方不明者が死亡した可能性が高いと判断され、「親族の苦しみに配慮して」死亡とみなされたのです。葬儀は開かれましたが、死体も見つからないので、空の棺だけが墓に収められた。いなくなった子供を巡るこの悲惨な哀話がグレーンスの原動力となり、卑劣な犯罪者への対決に向かわせるわけですが、全編に漲る怒りが圧倒的なリーダビリティーを生み出していると言えるでしょう。ですが、今回はさすがに胸の悪くなる事件で、あまりにも卑劣な犯罪のありさまに気分が悪くなったのも事実。ルースルンドの筆は容赦がない。それでも毎回、この卑劣さから目を逸らしてはいけないと思わせるのは、カリン・スローターと同じように、ただ重苦しいだけでなく、スリラー小説としても圧倒的に面白いからでしょう。ツイストにより物語を駆動する巧さは健在ですが、謎解きミステリーとしての完成度は『三日間の隔絶』に譲るかなあ。読み物としての面白さは、前作に匹敵するかと思いますが。

     早坂吝『しおかぜ市一家殺害事件あるいは迷宮牢の殺人』(光文社)は、常に挑発的な趣向で読者を魅了してくれる作者の最新作です。今回は、「しおかぜ市一家殺害事件」という迷宮入り凶悪事件の顛末を描いたパートと、「六つの迷宮入り凶悪事件の犯人が集められ、殺し合いをさせられる」という事件が描かれる「迷宮牢の殺人」パートの二つが描かれ、これらがどう交錯するかが見所になります。帯に掲載された有栖川有栖によるコメントには、アガサ・クリスティ『そして誰もいなくなった』高見広春『バトル・ロワイアル』の名前が挙げられており、特に後者は、作中にもその名台詞が登場するほどですが、私がこの「殺人ゲーム」の設定を見て思い出したのは米澤穂信『インシテミル』でした。「迷宮牢の殺人」では、「六つの迷宮入り凶悪事件、その犯人の部屋それぞれに、その事件に対応した凶器が用意されている」という設定が使われていますが、『インシテミル』でもデスゲームに巻き込まれた各人の部屋に凶器が分配される設定になっていたからです。また、冒頭に掲示された「迷宮牢」の図面を見て、綾辻行人『迷路館の殺人』を思い出す方もいるでしょう。こうした先行作の数々をほのめかしてマニアをニヤリとさせながら、オマージュしつつ、別の使い方をしてみせる試みの一つ一つが刺激的な一作です。〈上木らいち〉シリーズはもちろんですが、光文社の早坂作品は『アリス・ザ・ワンダーキラー 少女探偵殺人事件』『殺人犯 対 殺人鬼』(いずれも光文社文庫)など、一作ごとに全然違うことをやっていて、すごく好きですね。

     森川智喜『動くはずのない死体 森川智喜短編集』(光文社)は、トリッキーでどこかリリカルな設定を書かせたら右に出る者はいない森川智喜による最新短編集。ジャーロ掲載の短編四本に、書き下ろしの短編「ロックトルーム・ブギーマン」を合わせた全五編です。ジャーロ掲載作の中では、兄が書いた犯人当ての「解決編」の原稿にコーヒーをぶっかけてしまい(!)、なんとか修復作業を試みるも、虫食いのようになってしまった原稿を、クロスワードパズルのように解いていく論理の曲芸が楽しめる「フーダニット・リセプション 名探偵粍島桁郎みりしまけたろう、虫に食われる」が大のお気に入り。あまりにもしんどい設定とトリックなので、成立させるのに自分なら立ち止まりそうな長編『スノーホワイト』『一つ屋根の下の探偵たち』(いずれも講談社文庫)や、「なぜなら雨が降ったから」という言葉で推理の決め手(出発点?)を統一しながら五つのバリエーションを見せる短編集『なぜなら雨が降ったから』(講談社)などのように、森川作品を読むと「脳が開かれる」というか、「こういうシチュエーションがあり得たか!」と唸ってしまうところがあって、その感覚が何物にも代え難いと思っています。そういう意味では書き下ろしの「ロックトルーム・ブギーマン」も凄い。犯人も探偵役の警察官も「ブギーマン」であり、地球の裏側にさえも(!)テレポーテーションが出来るという設定下で密室殺人が起こるのですが、本来なら絶対に論理的に解を絞り切れない状況を、ロジックでねじ伏せる剛腕が凄い。

    〇私を作った作家・その1

     さて、5月の新刊からはなんといっても、奥田英朗『コメンテーター』(文藝春秋)の話をしないわけにはいかないのです。〈精神科医・伊良部一郎〉シリーズの第四作、前作から17年ぶりの最新刊です。

     中学生の頃から、奥田英朗の作品が大好きでした。最初に読んだのは講談社文庫の『最悪』だったでしょうか。パンチの効いたタイトルに惹かれ、さらには当時背伸びして、馳星周や楡周平を読み始めていた時期だったので、あらすじの「犯罪小説」という言葉に吸い寄せられたと記憶しています。読んでみれば、600ページの厚さなど気にならないぐらいの一気読みで、それからは『ウランバーナの森』から順番に次々と読破していって、作風の広さに目を回したのでした。そして、そのどれもが魅力的で、読んでも読んでも飽きることがなかったのです。初めて自分のお小遣いで買った奥田作品は、中学2年生の時、2008年の『オリンピックの身代金』だったでしょうか(それまでは親に買ってもらったり、学校の図書室で借りたりという感じです)。

     その中でもとりわけハマったのが、『イン・ザ・プール』に始まる〈精神科医・伊良部一郎〉シリーズでした。名医なのかヤブ医者なのか分からない、天然ボケ全開の精神科医伊良部の姿に、患者も読者も、いつの間にか心をほぐされてしまう。リアルでありながらもファンタジックな読み心地に夢中になりました。しかも、伊良部だけでなく、各短編で(基本は)一回限り登場する患者たち一人一人も血肉を持って描かれていて、何度読んでも発見があったのです。特に、私が読んでいて惹かれたのは、患者の一人一人は確かにクセが強いし、気の滅入るような言動もしたりするけれども、あくまでも、真面目に生き過ぎるあまり、そうなってしまうという心理が克明に描かれていたからです。真面目過ぎるゆえに、この現代で生きづらくなってしまう。その孤独を掬い上げるファンタジックな筆さばきに、何より魅了されたのでした。

     当時一番感情移入したのは、ケータイ依存症の高校生を描いた「フレンズ」(『イン・ザ・プール』収録)でしょうか。あまりケータイを使いこなすタイプではなかったので、依存性そのものに感情移入したというよりは、友人たちとの距離感に悩む心理描写が沁みたのでしょう。子供心には、サーカスの空中ブランコ乗りを描いた「空中ブランコ」(『空中ブランコ』収録)もラストシーンがキラキラして映りましたし、同じ題材を前に書いていないかと気になりだすと、強迫症状に駆られて確認作業に明け暮れ嘔吐を繰り返す「女流作家」(『空中ブランコ』収録)は、産みの苦しみと喜びを凝縮したような作品で、今でも愛している一編です。

     そんな私にとって、〈伊良部〉シリーズ関連で一番衝撃だったのは、2009年、ノイタミナ枠で始まった全11話のアニメ「空中ブランコ」でした。当時刊行されていた3冊の作品集『イン・ザ・プール』『空中ブランコ』『町長選挙』を原作にして、原作ではバラバラの時期に起こっている各患者の相談を、12月16日から12月24日までの9日間の物語に再構成し直すという大胆な構成でした(結果的に、原作ではいつも閑古鳥が鳴いているように見える伊良部一郎の神経科が、アニメでは、短い時間軸の中で11人の登場人物が交錯しており、大繁盛しているということに。実写映画の「イン・ザ・プール」でも、5つの短編の事件を並行させていましたが、これは10編分、11人なのでそれ以上ということになります。しかも実写映画より数段緻密)。

     何よりも衝撃だったのは画作りでした。原色中心のポップな色遣い、声優の実写まで取り入れたアニメーション、突然画面にドリルで穴を開けて出て来てメンタルヘルスの現場から作品と現実の違いなどを教えてくれるアナウンサー(福井っち!)、熊の着ぐるみ・青年・少年と三パターン用意され自在に姿を変える伊良部一郎(!)などなど……。原作では「伊良部の趣味」として処理されるのみの「ビタミン注射」を打つと、患者がその症状を象徴する動物に姿を変える、なんて仕掛けまであって、こうした「何から何までがどうかしている」画作りに、もう夢中になってしまったわけです。おまけに、原作への愛が凄まじく深い。原作の良さを十全に活かしながら、セリフを一つスッと追加することで、キャラクターの造形をさらに深めていたりするのです(例えば、イップスのプロ野球選手を描いた「ホットコーナー」〈『空中ブランコ』収録〉を映像化した第4話では主人公の坂東とルーキー鈴木のタクシーでの会話が追加され、坂東役の声優・浪川大輔の優しく、絞り出すような一言が胸に沁みるし、先端恐怖症のヤクザを描いた「ハリネズミ」〈『空中ブランコ』収録〉を映像化した第7話では、夫婦の会話が最後に少し足されていて、それが実に温かい余韻をもたらしてくれます)。第10話の原作である「オーナー」(『町長選挙』収録)は、映像ならではの仕掛け(トリック、というには少し飛躍があるネタですが)が追加されて、忘れ難い余韻を残す作品にもなっています。全体的にも、個々の登場人物やアイテムが少しずつ交錯し、次第に9日間の全貌が明らかになっていくような作りになっていて、ミステリーファンとしての心理も満足させられる強度と内容だったのです。

     そして、何がすごいって、最終話である第11話「カナリア」です。『イン・ザ・プール』に収録されている先述の「フレンズ」は、第6話でアニメになっているのですが、第11話ではアニメオリジナルのエピソードとして、この第6話のケータイ依存症の高校生の父親である、伊良部総合病院の救命救急医のエピソードが描かれます(私見ですが、アニメ「空中ブランコ」がクリスマスの約一週間の物語として構成されたのは、放送が2009年10月で、最終話放映が12月24日だったという事情ももちろんあると思いますが、何よりも、この「フレンズ」を主軸に据えたからではないかと思います。「フレンズ」は原作でもクリスマス・ストーリーであり、「メリークリスマス」の言葉が印象的に響く逸品です)。この「カナリア」では、炭鉱にガスが溜まっていないか調べるために、真っ先に炭鉱の中に入り死んでいったカナリアのエピソードを交えながら、周りの何かがちょっとおかしくなった時に、誰よりも先に知らせてくれるカナリアの声に、我々は気が付かなきゃいけない、という強く、温かいメッセージが響きます。そしてカナリアを、「英雄」になぞらえるのです。

     これは、真面目に生き過ぎているがゆえに、様々な悩みを抱えてしまう〈精神科医・伊良部一郎〉シリーズの患者たち全てに宛てたメッセージだと言えるでしょう。アニメオリジナルのエピソードでありながら、原作に通底する主題を掬い上げた見事なものになっているのです。今でもたまに、この「カナリア」のラスト10分を見直すほどです。心の中に消えかけた暖かな灯を、もう一度灯しにいくために。

     さて、前置きが長くなりました。なぜ、奥田作品への思いだけでなく、アニメの話まであえて経由したのか――それは、この「カナリア」の話を通じて、最新作『コメンテーター』を読んでいきたいからです。なぜなら、現在進行形で、我々の世界がおかしくなってしまった「時」、つまりコロナ禍の話を、〈精神科医・伊良部一郎〉のフィルターを通して描いたのが、表題作「コメンテーター」という作品なのですから。

    〇最新作『コメンテーター』について

     さて、最新作『コメンテーター』ですが、収録作五編中、四編が2021年以降に書かれた短編であり、三編目の「うっかり億万長者」だけが2007年の発表です。作中に登場するアイテムこそ現代のものにあらためられていますが、この短編からは『町長選挙』の頃の雰囲気を感じ取れますし、今にも通じる密度で、ある種の人たちに襲い掛かる孤独を描出しているところは唸らされます。

     二編目「ラジオ体操第2」については、第51回の雑誌短編特集回で取り上げていますが、これはアンガーマネジメントを主題に、「適切に怒れない」人の悩みを描いて見せるのが出色の一編です。この短編には、「ハリネズミ」(『空中ブランコ』収録)に登場した元・先端恐怖症のヤクザ、猪野が再登場するのが嬉しいところ。彼のセリフに「先生を信じな。先生と一緒に遊んでもらっているうちに、神経症は治るんだよ。おれもそうだった。(後略)」(同書、p.93)とあり、このシリーズの本質を突いた言葉であると思いますし、「遊んで」という言葉選びが猪野らしくてニヤリとします。また、「適切に怒れない」という主題自体は、実は陰茎強直症を扱った「勃ちっ放し」(『イン・ザ・プール』収録)でも扱っているのですが、解決方法がまるで違うのにも注目です(なお、「勃ちっ放し」をアニメ化した先述のアニメ2話の解決方法もまた違ったアプローチで面白いことを、付言しておきます)。「勃ちっ放し」の解決がファルスの手法であったとするなら、「ラジオ体操第2」は、現代の隙間に覗いたファンタジーの軽やかさ、というべきでしょう。ラストシーンが鮮烈で、何度読んでも笑ってしまって、でも、涙腺が自然に緩んでしまうのです。

     四編目「ピアノ・レッスン」は広場恐怖症に患わされるピアニストの話。表現者の苦悩と、真面目過ぎるが故の堂々巡りを描かせると、もう右に出る者はいないですし、このラストシーンがとても暖かい。五編目「パレード」はコミュニケーションがうまく取れない大学生――それも、コロナ禍における大学生活を描いた一編になっていて、これが実に沁みる。中学生の男の子と一緒に「治療」されることになるわけですが、この中学生の男の子の描写もキューッと胸を締め付けられてしまいますし、二人が少しずつ歩み寄っていく心理描写の重ね方も見事です。

     そして、あえて最後に回した表題作、「コメンテーター」。この短編も、他の短編と同じように、一つの症例があり、一人の患者がいるわけですが、それ以上に、「この短編で治療されているのは私たち全員、なんなら全国民なんじゃないか」――そんな風に思わせるような作品なのです。ワイドショーのコメンテーターとして精神科医を呼べ。そう命令されたテレビマンの畑山圭介は、本来は伊良部を呼ぶはずじゃなかったのに、伊良部を出演させることになってしまう――この発端だけでもう、抱腹絶倒なわけですが、伊良部の奇天烈な言動を知っている往年の読者たちは、「おいおい、そんなの大丈夫なのか!?」と不安になることでしょう。そしてその不安は、裏切られません。コロナウイルスについても臆せず、いつも通りの子供のように自由な発想で回答し、スタッフをざわつかせ、世間を騒がせる。ですが、ふとその発言を読み直してみれば、あれ、案外まともなこと言っているかも、と思わせるのです。私たちが真面目過ぎて、しがらみにとらわれて、だから言えなかったことを、この人は自由に口にしてしまうのかも。こうした匙加減が絶妙で、しかも、シリーズファンにとっては実に嬉しい、シリーズキャラクターの「看護師・マユミちゃん」大活躍回でもあるのです。

     近年、奥田英朗がコロナを描いたもう一つの短編として、「コロナと潜水服」(『コロナと潜水服』収録)が挙げられます。これは「小説宝石」2020年7月号が初出であり、「オール讀物」2021年9・10月号が初出である「コメンテーター」に1年以上先駆けて発表されたものになります。もちろん、コロナを巡る情勢も、その約1年の間でさえ変化があったわけですが、この二編はいずれも、「日常に覗くファンタジー」を交えながら、コロナを描いた点で共通しています。「コロナと潜水服」は、五歳の息子がおばあちゃんに「今日は出掛けないで」と言った直後、おばあちゃんが参加するはずだったコーラス・サークルでクラスターが発生する……というシーンから始まります。こうした様々な出来事から「息子には新型コロナウイルスを感知する能力があるのでは?」と思い始めるという一編。ここには精神疾患の主題こそありませんが、この息子が上げる声は〈伊良部〉シリーズのそれとは違った意味で、「カナリア」の鳴き声であると言えないでしょうか。周りの異変を察知して、知らせる英雄。それこそが、窮屈な日常に風穴を開けて、一瞬のファンタジーを覗かせる、奥田英朗流の幻想の面白さなのではないでしょうか。

     対して「コメンテーター」では、ワイドショーの視聴者もスタッフたちも、自分たちが上げる「カナリア」の声に気付けないという状況でしょう。だからこそ、自由に振る舞い、後先なんて考えない伊良部の言動に、みんな心をほぐされて、いつの間にか、自分たちの声を聞けるようになる。苦しくて、窮屈だったこと、それを言えずにいたこと。決して、みんながみんな、それを爆発させて救われるのではない(だから、この小説は良い)。でも、いつの間にかほぐれて、自分の声が聞こえるようになっている。周りの声が聞こえるようになっている。

     だからこそ、私はこの「コメンテーター」の、ラストが大好きなのです。視点人物である圭介が、あることに気付いて、他人の「声」が「聞こえるようになって」、見事に小説が着地する。その瞬間、心にぽうっと灯が灯る。そして、ああ、この灯の暖かさが、伊良部一郎の魅力だったなと思い出すのです。

     しんどい時にまた来てくれて、ありがとう、伊良部先生。そう感謝しながら、私はそっと本を閉じるのでした。

    (2023年6月)



第57回2023.05.26
古典の効用 ~今を忘れ、今を想う~

  • 時計泥棒と悪人たち、書影


    夕木春央
    『時計泥棒と悪人たち』
    (講談社)

  • 〇このたびめでたく……

     なんと、この連載「阿津川辰海 読書日記」を本にまとめた『阿津川辰海 読書日記 かくしてミステリー作家は語る《新鋭奮闘編》』(光文社)が、「第23回本格ミステリ大賞 評論・研究部門」を受賞しました! 毎度毎度、好きな本の話を早口でまくし立てるのに、付き合っていただいて本当にありがとうございます。皆様の応援のおかげです。これからも「今日もミステリーが面白い!」を伝え続けて行こうと思います。

     ところで「第23回本格ミステリ大賞 小説部門」は白井智之の『名探偵のいけにえ 人民教会殺人事件』(新潮社)が受賞ですよ! おめでとうございます! 私はこの読書日記の第47回で、『名探偵のいけにえ』の話をしていますので、どんな作品なんだろう? と思った方は参考にしてみてください。めちゃくちゃ面白いですよ。本格ミステリーの感動ってなんだろう、と悩んだ時に、立ち返る一作になるんじゃないかと思います。本格ミステリーとは、この密度、この緻密さ、この熱量なのだと。第40回でも白井智之『そして誰も死ななかった』を取り上げていますし、どんだけ白井作品が好きなんだ私は。

    〇最近のお仕事情報

     さて、賞の話はそれくらいにして、最新刊の情報です。D・M・ディヴァイン愛好家の皆様! 長い長い旅がようやく終わりますよ。今月、D・M・ディヴァイン『すり替えられた誘拐』(創元推理文庫)が刊行されます。ディヴァイン最後の未訳作です。ついにここまで来たんですねえ、と感慨深い。私も第16回で前の邦訳作『運命の証人』刊行に合わせて、D・M・ディヴァインの全作レビューを勝手に行ってしまったほど、この作家のことが好きなのですが……あのレビューが担当の方の目に留まったようで、なんと『すり替えられた誘拐』の解説案件をいただきました。ありがとうございます! この小説、似たような要素がたびたび頻出するディヴァインの中でも、かなり特殊な位置づけの一作となっています。こういう一冊の解説を任された、というプレッシャーもあって、解説にはかなり力が入っています。なぜディヴァインがこういう作品を書いたのか、という点にアプローチしてみましたので、本編と合わせて楽しんでください。なお、邦題が拙作『録音された誘拐』と響きが似ているのは、私が提案したわけではもちろんないですし、編集さんも偶然つけたということでした。そんなことあります?(嬉しい笑み)

    〇今回も雑誌の話題を少し

    「メフィスト」VOL.7には、有栖川有栖の連載「日本扇にほんおうぎの謎」の第一回が掲載されました。エラリー・クイーンに挑戦する〈有栖川版国名〉シリーズの最新作ですが、今回はタイトルからして捻りが効いていて、冒頭からいきなり、このタイトルとクイーンとのかかわり、このタイトルから妄想出来るいくつかのストーリーを「作家アリス」の視点から書いていくので、マニア心をくすぐられます。事件そのものはまだまだ捉えどころがない状況で、それだけに引き込まれます。楽しみな連載が増えました。

     今号には「読み切り短編」二編と読者参加型謎解き企画〈推理の時間です〉二編が掲載されていて、四つも短編が読めたのも嬉しい限り。「読み切り短編」は、ウィスキーを題材にしたシャープな謎解きミステリーである周木律しゅうき・りつ「ウエアハウスの殺人 時と天使の館」と、引きこもりの高校生が不登校訪問カウンセラーから渡された「先生あのね」ノートが思わぬ展開を呼ぶクライム・ストーリーの良作、真下みこと「先生あのね」の二編。〈推理の時間です〉は、読者参加型の推理企画で、フー、ハウ、ホワイの問題編計六編を二人ずつ執筆し、解答編をメフィスト・リーダーズ・クラブのホームページで掲載するもの。フーは「メフィスト」VOL.6で、法月綸太郎と方丈貴恵が挑戦しましたが、今回は「挑戦状付きホワイダニット」に、我孫子武丸と田中啓文の二人が挑戦。我孫子武丸「幼すぎる目撃者」田中啓文「ペリーの墓」(こういう時も歴史ミステリーなのが作者らしい)。二人が挑戦状の中で述べている通り、ホワイダニットに挑戦状を付けるのは相当な難事だと思うのですが、問題編の時点で、二人のアプローチが全く違う気がして面白い体験でした。多分解いたと思う……けど。

    〇4月って……

     今年の4月は読書ニュースが目白押しだった気がします。本屋大賞の発表月だったのもそうですが、村上春樹が6年ぶりの新刊『街とその不確かな壁』(新潮社)を発表したのもあって、その名を書店で見ない日はなかったほど(ちなみに、『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』が結局一番好きな私にとっては、格好の贈り物とも言える一冊で、そういう意味ではかなり楽しく読みました)。新生活が始まる時期というのもあって、毎日バタバタしていて、原稿も波のように押し寄せてきて、その結果……。

     限・界・だーッ!

     やってきました、早すぎる五月病。スイッチがバッツン切れて、急に気力がなくなったようになってしまい、色々身が入らず参りました。こうなってしまっては、出来ることは一つだけです。

     本を読みましょう。それも、古い本を。

     そんなわけで、カバンにF・W・クロフツ『黄金の灰』(創元推理文庫)を突っ込み、行きつけの喫茶店へ。カウンター席にロッキングチェアを置き、キンキンに冷えた水出しアイスコーヒーを提供してくれる店です。ここで本を読んで、ロッキングチェアに揺られていれば、現実を忘れられるというもの。それも、現代や自分と一ミリも関係のない古典ミステリーであれば、その効果もひとしおです。これを私は「古典の効用」と呼んでいます。エラリー・クイーン、アガサ・クリスティー、ジョン・ディクスン・カー(カーター・ディクスン)、ドロシー・L・セイヤーズあたりの作品は読み尽くしてしまったので、今ではクロフツを大切に一冊ずつ読んでいます。ちなみに鮎川哲也はもう全長編読んでしまいました。なんてもったいないことをしたのか。

     クロフツがこういう気分の時にうってつけなのは、クロフツの小説がひたすらに、現実を踏みしめて歩く小説だからです。しかも、歩くのは、現代日本人の自分とは一つも関係がない、昔の外国の風景です。これがとにかくデトックスになる。普段は浴びるほど新刊を読まないと落ち着かない私も、たまに、全部忘れてこういう作品に浸りたい気分の日が来ます。今がそれです。

     さて、この『黄金の灰』ですが、お世辞にもクロフツの中ではAランクに属さないというか、よくてBランクぐらいの作品なのですが、カーも鮎川哲也も、結局、やり口に慣れた時のBランク作品の方が、世間でAと言われている作品よりよっぽど面白いという時があります。これは、読者として最初に手に取るのは、みんなの薦めを聞いてAランクなんだけれども、体が慣れてきて、ようやくテンポが掴めて楽しくなるのは、Bランクの作品の山を崩す時だから、ですね。クロフツに限定して、私の体験を話すと、中学生の時、世評に惹かれて『樽』『クロイドン発12時30分』を手に取った時は全然楽しめなくて、高校の時、ふと気になって『二つの密室』を手に取ったら、今度はあまりにも面白くて一気読みしてしまったのです。

    『二つの密室』はタイトル通り密室殺人の話なのですが、まだアリバイものに慣れていない頃だったので、密室ものを通してフレンチ警部の捜査手法を理解できたことが、自分の中の「好き」を一気に高めたのでしょう。密室の中でガスを吸って死ぬ、という変死事件の謎を扱った作品ですが、このガス管の構造までフレンチ警部が調べて(図面も入っていた記憶があります)、しらみつぶしに可能性を検討していくので、不可能興味を否応なしにそそられるようになっているのです。密室ものの面白さは、可能性の検討によって高まるよな、と私が発見した作品でもあります(鮎川哲也の「赤い密室」も、トリックそのものより、可能性の検討や推理の面白さを追及した作品に思えます。アリバイ崩しが得意な作家は、実は密室も得意?)。この『二つの密室』をはじめ、ガスを使ったミステリーには傑作が多いと思います(日影丈吉『女の家』、ロナルド・A・ノックス『三つの栓』、飛鳥高「こわい眠り」〈『飛鳥高名作選 犯罪の場―本格ミステリコレクション〈1〉』(河出文庫)などに収録〉、大山誠一郎「彼女がペイシェンスを殺すはずがない」〈新・本格推理〈03〉 りら荘の相続人(光文社文庫)などに収録、単著未収録〉……)。これは、なんででしょうね。ガス管の構造を調べる過程や、現場に残っていたはずのガスの量を定量的に分析するパートなんかがある作品が多く、理屈的で攻めてくれるからでしょうか。ちなみにクロフツは、密室+ガスによる中毒死という謎を『シグニット号の死』でも扱っています。

     閑話休題。一方今回読んだ『黄金の灰』はクロフツの中ではBランクぐらいで、強く薦められない作品だとは思います。ですが、個人的には大いに楽しめた一冊でした。本書は二部構成の物語。屋敷と絵画を相続したサー・ジェフリーの家政婦となったベチーという女性の視点から描かれるのが第一部、ジェフリーの屋敷が全焼し、彼の家の絵画を鑑定した画家が行方不明になった事件を調べるフレンチの捜査を描くのが第二部。第一部のような、市井の人々から貴族の人々の生活を覗いていく筆致も良いですし、ここでの描写によって半ば読者には犯人が分かっている状態で、一転フレンチに視点を切り替えて、じっくりと犯人を追い詰めて、そのアリバイを崩して行く捜査の安心感も良い。フレンチがいつも通り歩き回っていたから楽しかったなあ。

     コーヒーも二杯飲んで、すっかり長居してしまいましたが、リフレッシュ効果は絶大。クロフツはこれからも、大事に一冊ずつ読んでいくことにします。

    〇夕木流大正ミステリー、待望の最新刊!

     さて、4月の忙しさにあてられて、そんな気分になっていたから――ではないのですが、現実を忘れたい時にうってつけの、嬉しい新刊が出たので紹介します。夕木春央『時計泥棒と悪人たち』(講談社)がそれです。

     作者については、昨年刊行された『方舟』(講談社)がミステリーランキングを席巻、本屋大賞にもノミネートされ、こちらは現代を舞台にした作品でした。もともと、デビュー長編と第二長編は、今回の新刊と同じく大正ミステリーで、現代ものでブレイクしたからそっちにいくのかなとも思っていたので、「時代物もまた読ませてくれるんだ!」と嬉しい限りです(著者の作品で現代を舞台にしたものは、『方舟』と、現状発表されている3編の短編小説、「墓穴」〈「メフィスト」VOL.4〉、「八月六日の生放送」〈「小説現代」2022年8月号〉、「今際の際の断崖から」〈「紙魚の手帖」vol.9〉のみです。短編はいずれもトリッキーな構成が光るものになっていて、特に墜落中の被害者の視点から事件を推理する「今際の際の~」がオススメ)。

     そもそも私は『絞首商會』(講談社文庫)が刊行された時から、知り合いの作家や編集者の前では、夕木春央がすごいと大はしゃぎしていた人間なので、『方舟』の推薦コメントを依頼され、ゲラで読んでもやはり面白く、大いに売れた時には「そうだろうそうだろう」と勝手に悦に入っていたのです。だからこそ、「作者の大正ものも読まれて欲しい!」という思いが膨れ上がっていたのでした。

     夕木大正ミステリー(と、ここであえて呼んでみますが)の良さは、大正時代のロマンや雰囲気を味わいつつ、現代ミステリー並みのロジックとトリックの強度を味わうことが出来る、その贅沢な読み心地だと思います。現代から切り離された時と空間で、現代にも通じるものを感得出来る、これこそ、日々の忙しさに目を回して、一息つきたかった私が、一番求めていたものかもしれません。クロフツを読んだ時に感じた「古典の効用」と同じ雰囲気を感じさせつつ、それ以上の満足感を与えてくれる、というべきでしょうか。

     大正時代はいわゆる本格ミステリーの型がまだまだ未発達で、この時代を舞台にした後世の作品も多くないので(江戸時代や明治時代のものはたくさんあるのに)、大正時代を舞台に、現代ばりの本格ミステリーを仕掛けてくれるというだけで、無暗に嬉しくなるのです。なぜ大正時代を舞台に本格ミステリーを書くかについては、作者が第二長編『サーカスから来た執達吏』(講談社)を刊行した際のtreeエッセイ(下記URL)にて語っているので、参照してみてください。江戸川乱歩、夢野久作、横溝正史、高木彬光、山田風太郎らの名前が挙がり、特に山田風太郎『妖異金瓶梅』『明治断頭台』の名前が挙がっているのに大いに納得させられました。山田風太郎のこの二作はまさに、それぞれ宋の時代の中国と明治を舞台にして、その時代ならではの風俗やロマンを取り入れながら、当時は存在しなかったレベルのロジックとトリックを構成し尽くした作品で、夕木大正ミステリーの美点と重なる作品だからです。特にもう、『妖異金瓶梅』のアイデア量がすごすぎて、何度読み返したことか。
    https://tree-novel.com/works/episode/900ae183954ba9cb1a9980826ebd6f3d.html

     今回の新刊『時計泥棒と悪人たち』は、第60回メフィスト賞を受賞したデビュー作『絞首商會』で活躍した探偵コンビ、油絵画家の井口と泥棒に転職した蓮野の前日譚を描いたものになります。全6編、合計524ページの分厚い本ですが、前日譚、しかも短編で、夕木ミステリーの真骨頂である「逆説」のエッセンスを凝縮して味わえるので、入門編にもうってつけの一冊と言えるでしょう。『方舟』で作者を知り、これから大正ものを読む、という方にとっては、『時計泥棒と悪人たち』→『絞首商會』と、刊行順では遡る順序で読むのも大いにアリではないでしょうか。

    加右衛門かえもん氏の美術館」では、井口の絵を買った美術蒐集家を巡る奇妙な顛末が描かれ、「悪人一家の密室」では、密室殺人に隠された意外な逆説に膝を打ちます。前後編とも言える「誘拐と大雪 誘拐の章」「誘拐と大雪 大雪の章」は、そのものずばり誘拐ミステリーの作品ですが、冒頭から早々に、誘拐と〇〇犯罪を組み合わせる取り合わせの妙にニヤリ。これ、十数年前にある国内作家が実現させているんですが、まだまだやりようがあると思っていたのです(著者がその作例を知ってか知らずか、まるで違う見せ方になっています。先例の方は書くとネタバレになるので伏せておきます)。

    晴海はるみ氏の外国手紙」は、これまでのどの夕木作品にもない雰囲気で、新たな扉を開けたと感じさせるホワイダニットの一編ですし、「宝石泥棒と置時計」は、「困難は分割せよ」という格言を地で行くようなハウダニットの手法に驚かされました。連作としての余韻も十分。個人的な偏愛作は、大正時代を舞台にした船上ミステリーの作品でありながら、異様な舞台装置を用いたフーダニットが味わえる「光川丸みつかわまるの妖しい晩餐ばんさん」です。

     以上、全六編。短編集というには骨太の分厚さと分量ですが、その分、大いに味わい尽くせる一冊でした。ぜひ、大正時代のロマンにどっぷり浸かる準備をして、読んでみてください。

     さて、ここで終わってもいいのですが、せっかく夕木大正ミステリーの話を始めたので、残り二作品も軽く紹介しておきましょう。

    『絞首商會』(講談社文庫)

     本書は、冒頭でG・K・チェスタトン『木曜日だった男 一つの悪夢』(光文社古典新訳文庫)が引用されていることからも分かる通り、「秘密結社」ミステリーの貴重な作例になっています。……という冗談はさておき、チェスタトンが引用されていて、逆説をテーマにしていることで、私は一気に夕木作品の虜になったのでした。

     本書は大正九年(1920年)を舞台にしており、ちょうどこの時期はG・K・チェスタトンの活動時期にあたりますが、ブラウン神父ものにひとまず限ると、1914年に第二作品集『ブラウン神父の知恵』を発表、26年に第三作品集『ブラウン神父の不信』を発表するその間は、まさしく「ブラウン神父の不在」期間と言えるのです。そもそも、大正時代(1912~1926年)が、その不在期間にほとんど収まっているわけで……。

     だからこそ、『絞首商會』で、銀行員を退職して泥棒に転身し、口を開けば逆説を吐く蓮野という名探偵を見た時、私はパラレルワールドのブラウン神父に遭遇したような、実に嬉しい驚きを覚えたのでした。なんなら、ブラウン神父の短編の一部で彼の助手を務めるのは、元泥棒のフランボウという男なので、蓮野はブラウンとフランボウを掛け合わせたキャラのように感じて嬉しくなったのです。

     このミステリーで何よりも凄いのは、ただでさえ成立させるのが難しい、容疑者たちの「〇〇合戦」という趣向を、容疑者一人一人に「逆説」を絡めて実現している、その手間暇かかったロジックの仕掛けにあります。読んでいる最中は、事件一つ一つが取り留めなく感じられてしまうほど込み入った状況で、だからこそ、一貫した構図のもとに、全てが裏返っていく解決編の驚きは並大抵のものではありません。これだけ複雑なミステリーなのに、真相の魅力である「核」の部分は、たった一行で言い表すことが出来ると思います。それほど、強力な意志によって作られた構図なのです。とんでもなく手間暇がかかっている。文庫版でも500ページ超えの分厚さなので、読み通すのは大変かもしれませんが、それだけの価値がある良作です。

    『サーカスから来た執達吏』(講談社)

     大正14年を舞台に、その14年前である明治44年に、名家の絹川家で起きた未解決事件に挑む作品ですが、こちらには『絞首商會』『時計泥棒と悪人たち』で登場した蓮野・井口のコンビは登場しません。こちらで主役を務めるのは、樺谷子爵家の三女・鞠子と、彼女の家に借金の取り立てにやって来た、サーカス出身の少女・ユリ子のコンビです。

     この二人組が、実に良い。先ほど、著者のtreeエッセイに言及しながら挙げた作家名と結びつけるなら、江戸川乱歩の〈少年探偵団〉シリーズや、山田風太郎の明治ものにあるような、冒険小説の味わいが『サーカスから来た執達吏』にはあるのです。ユリ子は、樺谷子爵家が作った莫大な借金の「担保」として、鞠子を連れて行くという、それだけ聞くと胃が痛くなるような経緯で登場するのですが、ユリ子はここで、借金を返すための手段として、財宝探しを提案するのです。つまり、作品全体が「宝探し」をテーマにした、少女二人の冒険小説となっているのです。特にもう、状況をぐいぐい引っ張っていって、鞠子の鼻面を引きずり回す、ユリ子の気風の良さが素晴らしく、この子の魅力だけでぐいぐい読んで行けます。冒険小説には絶対欲しいキャラですよねえ。

     もちろん、ミステリー部分にも余念はありません。14年前、絹川家では密室状況から財宝が消えており、その謎解きが、財宝探しへの最大のヒントになる……という設定なのです。宝探しがテーマのミステリーにつきものの、暗号ミステリーの趣向もきっちり用意されています。個人的に、暗号ミステリーは暗号自体がすごいというよりは、「解き筋」が綺麗に描かれているかどうかが好みの分かれ目になるのですが(だから泡坂妻夫の「掘出された童話」〈『亜愛一郎の狼狽』収録〉は好き)、ここに登場する暗号は、図面一発でおおっと納得させられたのもあって、かなり気に入っています。事件の見え方をがらりと変えてしまう、強烈な謎解きも素晴らしく、個人的には、この『サーカスから来た執達吏』が大偏愛作です。

     ということで、『方舟』ももちろん面白いけれど、夕木大正ミステリーもぜひ、という日記でした。

    (2023年5月)



第56回2023.05.12
「老い」を考え、「謎」に痺れる ~「探偵役」の使いどころ~

  • 灰色の家、書影


    深木章子
    『灰色の家』
    (光文社)

  • 〇最近のお仕事情報

     5月、ミシェル・ビュッシ『恐るべき太陽』(集英社文庫)が刊行されます。こちら、解説を担当しました。『彼女のいない飛行機』『黒い睡蓮』『時は殺人者』に続く、ビュッシの邦訳第四弾ですが、今回は……すっごいぞ! 何せ、アガサ・クリスティー『そして誰もいなくなった』への明確なオマージュ作品であり、冒頭近くで作者自身が書名を挙げている通り、もう一冊、クリスティーの「ある名作」に挑戦した一作なのですから。挑発的で、挑戦的。それこそミシェル・ビュッシのミステリーなのです。「トリッキー過ぎてアンフェアすれすれどころか、もはやアンフェアでは?」という域に達していた『黒い睡蓮』さえも凌駕する、どこでも見たことがない仕掛けが炸裂します。どこでも見たことねえし、もう誰もやらねえよ! こんなの! ぜひ。

    〇映画の話題から

     今月は映画の話題から。4月に、ダリオ・アルジェント十年ぶりの新作「ダークグラス」を見てきました。いやー、プロット自体はシンプルなストーカーサスペンスなんですが、変な映画だったなあという感じ(笑)。主人公と中国人少年の心の交流とか結構面白いのですが、申し訳程度のフーダニット要素がなんとも薄味。とはいえ、冒頭の暗示的なシーンや、〇〇に決着をつけさせるところなど、アルジェントらしさは味わえる映画だったので、まあこれはこれで良かったかな、という印象です。映画の公開に合わせて株式会社Pヴァインから「ダリオ・アルジェント『サスペリア』の衝撃」というムック本が出ていまして、新作のクロスレビューだけでなく、アルジェントの過去作のレビューや吉本ばななへのインタビュー、さらには「ジャッロ映画30選」も掲載されていて、楽しい限り。こちらの30選には、未見のものも多かったので、潰して行こうと思います。マリオ・パーヴァの「モデル殺人事件!」と「血みどろの入江」は確かに良い。

     もう一本、4月には「劇場版名探偵コナン 黒鉄の魚影サブマリン」が公開されました。年に一度名探偵コナンを見に行くのは、もうルーティーンですからね。コナンの「黒の組織」が出て来る映画って、根幹の設定に関わる話だけあって、もちろん話は前進しないし、コナンとジンは会わないように作劇されるし、いつも隔靴搔痒の気持ちで見ていたのですが、今年はもう、そんな不満を感じさせないくらいの大満足映画に仕上がっていましたねー。投入されたアイデア量とプロットの捻りが嬉しい限り。眠りの小五郎シーンを映画で久しぶりに見られたっていうのもそうだけど、今年はベッタベタなまでの「お約束」を全部見せてくれた感じがあって、それが楽しかったですね。櫻井武晴脚本の中でも珠玉の完成度だったと思います。ちょっと情報量は多かったですけど、ご愛敬、かな。楽しかったし、もう一回くらい見に行きたい。

    〇老境を見つめる犯罪小説

     北欧ミステリー作家、ヘニング・マンケル最後の作品である『スウェーディッシュ・ブーツ』(東京創元社)が邦訳刊行されました。マンケルは2015年に亡くなっており、まさしくその年に刊行された作品になります。2年前、読書日記の第19回で、〈クルト・ヴァランダー〉シリーズの最終作にしてボーナストラックの位置付けである『手/ヴァランダーの世界』が邦訳刊行された際、同シリーズの全作レビューを試み、その特徴を掘り下げました。同シリーズの完結編にあたる『苦悩する男』を読んだ時も、ヴァランダーの老境を描くマンケルの筆の冴えに感心しきりだったのですが、『スウェーディッシュ・ブーツ』ではさらに深いところまで踏み込んでいます。

     本作は、2019年に邦訳刊行された『イタリアン・シューズ』(2022年に創元推理文庫入り、原書刊行は2006年)の続編にあたる作品ですが、『イタリアン・シューズ』では66歳だった主人公・フレドリックが、その8年後と設定された『スウェーディッシュ・ブーツ』では70歳の想定で登場することから分かる通り、作者は「独立した作品」として発表したようです。なので、前作『イタリアン~』を踏まえて読むとより一層楽しめますが、本作『スウェーディッシュ~』だけ単独で読むのもアリです。

     前作『イタリアン・シューズ』から軽く紹介しておくと、こちらでは、元医師であり、今は誰も寄り付かない小島で孤独に住んでいる男・フレドリックの「巡礼の旅路」が描かれます。つまりロードムービーです。彼のもとを、不治の病に侵された元恋人が訪れた時から、物語は始まります。彼女は、森に広がる美しい湖に連れて行くと言った、あの過去の約束を果たしてほしいとフレドリックに要求し、彼はしぶしぶながら(当初はロマンチックな気分でもなんでもない、というのがフレドリックらしい)島をあとにします。彼が過去と向き合い、進んでいく過程が丹念に描かれた小説ですが、フレドリックが決して人好きのする人物ではないことが、小説に深みを与えています。これは、マンケルの〈クルト・ヴァランダー〉シリーズ一作目である『殺人者の顔』で、主役であるヴァランダーが、等身大の中年男性らしい理不尽な怒り癖や女性への無様なアプローチを繰り出してしまうシーンの描き方と似ていると思っていて、マンケルはもともと、人の「いやな部分」を省かず書くという傾向があるのでしょう。その強みが最大限に発揮されたのが、『イタリアン・シューズ』と言えます。ちなみに、『イタリアン~』は上記のあらすじからも分かる通り、本国では「究極の恋愛小説」とも呼ばれている小説で、いわゆる謎解きミステリーではありません。

     では、『スウェーディッシュ・ブーツ』はどうかというと、こちらは打って変わって、ストレートな謎解きミステリーの構造を使っているように――見えます。フレドリックの家が火事に見舞われてしまい、彼は全てを喪ってしまった……という発端からして衝撃的ですが、さらに、彼は放火の疑いをかけられてしまいます。同じような放火事件が近隣の島で連続して発生していて、犯人の目的は不明……ここまで聞くと、いかにも謎解きミステリーのように思えますし、事実、そのように着地しますが、その道行きはかなり蛇行しています。フレドリックの父を巡る回想が随所に挿入され、事件後に出会ったジャーナリストの女性、リーサ・モディーンへの思いがどんどん膨れ上がって行くので、「老境の恋」を描いた作品でもあるという。どことなく不安定な思いに駆られる読み味の小説ですが、それは、これが失われていくものへの不安を描いた小説であるからなのでしょう。作中で何度も何度も描かれる、老いへの恐怖がまさにそれを表していますし、「失われたもの」を象徴する存在として、タイトルにもある「ブーツ」が巧妙に使われています。

     前作『イタリアン・シューズ』においても、「靴」は象徴的なアイテムとして使われていました。15歳のフレドリックが父と会話する回想のシーンでは、〝父は、ウェイターとオペラ歌手の共通点は、仕事にはちゃんとした靴が必要だと認識していることだというのが口癖だった。〟(同書文庫版16ページ)、〝「お前はもう十五歳だ」父が言った。「将来のことを考えていい年だ。(……)世界を見るのもいいだろう。ただ、靴は絶対にいい靴でなければだめだということを憶えておけ」〟(同17ページ)と、父との思い出を巡る重要なキーアイテムとして靴が登場しますし、冒頭のエピグラフでは荘子の〝靴が足に合うとき、人は足のことを考えない。〟という言葉が引用されています。フレドリックは一歩一歩踏みしめるように物語の終着点へと進んでいくのであり、一方、彼に会いに来るかつての恋人は「歩行器」を使って歩いており、ラストシーンにも、靴が印象的に登場する。このシリーズにおいては「靴」が、ざっくりいうと、人生の歩みの確かさを象徴する存在として登場しているように思えます。

    『スウェーディッシュ・ブーツ』において、ブーツが最初に登場するのは、冒頭の火事で家から焼け出されたフレドリックが、元郵便配達人のヤンソンに、自分のいらなくなったブーツをあげよう、と話しかけられる場面です。フレドリックはこの時、両足に「左足のブーツ」を履いていたのです。つまり、ブーツは冒頭から失われた存在としてあり、しかも、そこにそうした形であること自体が気恥ずかしい存在として登場することになります(ここに老境の恋に関する、フレドリックの気恥ずかしい感情が重ね合わされているように見える……のは深読みかなあ)。そして、最後まで再登場しないのです。このさりげなさが、小説としての芯の強さになっていますし、マンケル、やっぱり小説が巧いなあ、とため息をついてしまう所以です。

     とはいえ、この二作については、まだまだ、読み込みが足りないなあというのが正直なところ。単行本の刊行から4年ぶりに『イタリアン・シューズ』を再読しただけでも、フレドリックという人物の見え方が違い、エピソードの味わいも違ったので、年を経て読み返すごとに、違った色を見せてくれる小説なのではないかと思いました。これはきっと再読するし、〈クルト・ヴァランダー〉シリーズも読み返したい。やはり、マンケル、良いなあ。

    〇トリッキーな推理小説にして、老人ホームを考える小説

     老境を見つめる犯罪小説とでもいうべき『スウェーディッシュ・ブーツ』が出た月に、これまた、老後のことを思わず考え込んでしまう傑作が現れたので、併せてご紹介します。それが深木章子『灰色の家』(光文社)です。

     実は、深木章子の本格ミステリーが好きです。デビュー作であり、島田荘司選第三回ばらのまち福山ミステリー文学新人賞を受賞した『鬼畜の家』(講談社文庫)を読んだ時から、オールドなファンをも満足させる構成の妙と、元弁護士ならではの視点の面白さで引き込まれたのですが、明瞭に、ああ、この人のミステリーは読んでいて楽しいんだな、ということに気付いたのが、『猫には推理がよく似合う』(角川文庫)という長編を読んだ時でした。それまでの作風から考えるとかなりコミカルな作風の作品です(当時は初期作品の印象が先行して、まだ「イヤミス」というパッケージで紹介されていた記憶があります)。「猫」という主題から、仁木悦子『猫は知っていた』イメージと重なったこともあり、深木作品は、構成のトリックはもちろんだけど、仁木作品と同じように、ロジックを味わう小説なんだと思ってから、より一層ハマりました。

     そして、『猫には推理がよく似合う』と同じように、コミカルな読み味で、深木作品の深みに私を引きずり込んだ作品が、『交換殺人はいかが?』(光文社文庫)という短編集でした。なぜこの話をするかというと、『交換殺人はいかが?』と、その続編『消えた断章』(光文社文庫)に登場する元刑事・君原継雄が、今回紹介する新刊『灰色の家』でも再登場するからです。じゃあ、この君原が名探偵なの? というと……いやいや、これが面白い。通常なら、シリーズものはレギュラーキャラクターによる「安心感」を求めて手に取るものですが、この三作に至っては、一作ごとの変化の付け方が素晴らしくて、毎回心を搔き乱されてしまうのです。だからこそ、『灰色の家』は、宣伝や帯でも「シリーズ」とは謳われていませんし、もちろん、独立した長編として十分楽しむことが出来ます。一切の先入観を持たず読んでみたいという方は、ここから先の文章は読まずに、さっそく『灰色の家』からいくのも大いにアリです。

     とはいえ、この三作の変化の付け方が、とてもユニークで面白いので、私個人の備忘録代わりに、以下では掘り下げて書いてみようと思います。もちろん、ネタバレはしません。

    『交換殺人はいかが?』

     さて、これぞ君原継雄が登場する最初の作品です。単行本刊行時には『交換殺人はいかが? じいじと樹来とミステリー』というタイトルだったことからも分かる通り、かなりユーモアに振り切った短編集になっています。君原は妻を亡くし、一人で暮らしていますが、孫の樹来が訪ねて来るのが何よりの楽しみ(ちなみに名前は七月生まれなのでJulyから取ったという由来)。この樹来はまだ小学六年生ながら、ミステリー作家になるのが夢なので、元刑事だった君原を訪ねて、刑事時代の事件を聞き出して将来のネタにしようという算段です。彼はミステリー小説のような事件を求めて、じいじ(君原)が昔担当した事件に、密室殺人はなかった? ダイイングメッセージはなかった? と詰め寄り、毎回、君原が過去に扱った事件を語る……というのが連作の枠組み。君原を視点人物として固定することで、かなり安定した読み味の連作になっています。

     君原が過去に扱った事件は、当然、捜査機関が入って十分に調べられた事件で、一応解決がついているものがほとんど。それなのに、話を聞き終わった樹来は、「僕は、そんなことじゃないと思うんだけどなあ」と口を開き、事件の裏に隠された真実を炙り出してしまう……。そう、これは子供が名探偵を務める連作であり、安楽椅子探偵ものなのです。歌野晶午『名探偵、初心者ですが 舞田ひとみの推理ノート』(角川文庫。『舞田ひとみ11歳、ダンスときどき探偵』を改題)、『名探偵は反抗期 舞田ひとみの推理ノート』(角川文庫、『舞田ひとみ14歳、放課後ときどき探偵』を改題)を思い出す趣向ですが、あちらは現在進行形の事件の話を、刑事が姪にぽろっと漏らす、という枠組みだったのに対し、『交換殺人はいかが?』では、一応は解決した事件をひっくり返す、という枠組みなので、「別の視点」を投げ掛ける樹来の推理の切れ味が際立っています。

     特に好きなのは、ダイイングメッセージテーマの「犯人は私だ!」。こちらはなんと、過去の殺人事件そのものは解決しているにもかかわらず、「ダイイングメッセージの意味だけは分からなかった」という、超トリッキーな出題の短編になっていて、これぞまさに、事件に「別の視点」を投げ掛ける樹来の名探偵としての推理の切れ味が生きる作品になっています。この短編集では各話冒頭にエピグラフが置かれているのですが、「犯人は私だ!」では作者自身が書いたと思われる「ダイイングメッセージ――/およそ意味不明なるものの代名詞/犯人が判明してからその謎が解ける/ダイイングメッセージに、/いったいどんな存在意義があるというのか」という言葉が置かれており、世に蔓延るダイイングメッセージものへの作者の不満が表明されているように見えます。その不満には実作で応えるというように、自作でユニークなアプローチを示しているのが見事な一編です。ダイイングメッセージでアンソロジー作るなら絶対に外さないもんな……。

     他にも、表題作となる「交換殺人はいかが?」では、本来アリバイ作りと動機の隠匿を行うために行うはずの「交換殺人」が、実に意外な形で冒頭から発生し、あれよあれよとめまぐるしい展開で一気に読まされてしまいます。双子テーマの「ふたりはひとり」の企みにも膝を打ちましたし、童謡殺人テーマの「天使の手毬唄」も短編らしからぬ密度。密室テーマの「天空のらせん階段」や幽霊テーマの「ざしき童子ぼっこは誰?」のように、いかにも子供らしい発想で事件がひっくり返されるのも面白いです。

     以上六編、充実した本格ミステリー短編集で、重いテーマの作品や、嫌な後味の作品はちょっと……と敬遠してしまう人にも、安心して勧められる作品になっています。過去の事件を語る「じいじ」と、その謎を鮮やかに解く「孫」……普通、このフォーマットを手に入れたら、このまま第二作品集も作ってしまいたくなるのが小説家のサガなんじゃないかと思いますが、そこは深木章子、そんなところでは落ち着きません。

     なんと、次作『消えた断章』では、読者は大学四年生の樹来と対面することになるのです。

    『消えた断章』

     さてここで、私的「深木ミステリー偏愛三作」の一角が登場です(ちなみにあと二作は、屈指の謎解きミステリー度と構成力の強さを誇る『殺意の構図 探偵の依頼人』〈光文社文庫〉と、一点から事件を鮮やかに突き崩すロジックのポイントが好きすぎる『敗者の告白』〈角川文庫〉)。

    『消えた断章』で描かれるのは、十年前に起きたという誘拐未遂事件。葛木夕夏という大学生の女性は、子供の頃、叔父に誘拐されたが、その間の記憶がないという。事件の後、夕夏は家に戻り、叔父は失踪。親族間のトラブルとして処理されたのだが、十年後の今になって刑事が接触してきた。最近見つかった男児の白骨遺体が関係しているようだが、どうしてそれが過去の誘拐と関係あるのかを彼女に問うと、彼女はこう答えた。「もしかしたら、私、その子を殺したかもしれないんです」。

     失われた記憶の謎と、十年前の誘拐事件と、謎の男児殺害事件の謎。めくるめく展開に翻弄されながら読み進めると、アッと驚く真相が待ち受けているという作品で、これこそまさに、プロットの巧妙さで読者を振り回す深木ミステリーの本領発揮と言える作品です。読み進めるごとに、勘の良い読者は事件の構図の一部を読み取ってしまうかもしれませんが、複雑に絡み合う因果を全て解きほぐすのは難しいのではないでしょうか。

     そして、ここで登場するのが、大学四年生になった樹来と、有料老人ホーム「山南涼水園」に入居した君原継雄です。『交換殺人はいかが?』の時点では独居とはいえ自立した生活を送っていた君原継雄が、老人ホームに入居している、という設定に触れた瞬間にびっくりしたのを憶えています。『交換殺人はいかが?』を安定したシリーズものの連作とするのではなく、「その先」を描くことを作者は選んだのだ、と思ったのです。その姿勢に敬服するとともに、読み始めた当初は、少し寂しく思ったのも事実でした。

     しかし、読み進めるうちにその寂しさは消えていき、最後まで読み終わると、むしろ、この設定を選んだことに感謝するような思いが込み上げました。樹来は小学六年生の時のように、無邪気に、まるでパズルでも解くように、事件を扱うわけにはいきません。彼は今回の事件の当事者である葛木夕夏から相談を受けている身であり、彼女の父親や、警察関係者を中心とした、かなり面倒な人間関係に巻き込まれていくことにもなります。彼は一人の人間として、事件に正対しないといけないのです。『交換殺人はいかが?』では君原が視点人物でしたが、こちらは樹来が視点人物であり、このあたりの内面ががっつり掘り下げられています。

     かなりユーモラスな連作として書かれた『交換殺人はいかが?』にも、実は、当時を振り返る君原が己の警察官としての正義を問う内面描写が、随所に描かれています。解決したはずの事件に裏の構図があったことを指摘されてしまう、という連作としての構造に関わるものでもありますが、この描写が君原の実直さを表してもいて、同時に、ユーモラスで明るいように見える連作に、ビターな苦みを添えてもいます。純粋な本格ミステリーとしては、カラッと割りきって、白く明るい世界を書く人もいるでしょうが、深木章子はそうしません。必ずどこかに、黒を滲ませ、灰の苦みを残しておく。

     己の歩みを振り返る老境の元刑事を描いた一作目と、その足跡の存在にようやく気付き、目で捉え、自分はどうするべきかを考える孫を描く二作目。この対比が面白いですし、だからこそこの二作はこのように書かれねばならなかったのだ、と思わされます。

     さて、『消えた断章』では今指摘したように、七転八倒しながら推理を組み立てていく樹来の道行に面白さがあり、君原はどんな役割を果たしているかというと、それはたとえていうと、作品全体の要石ということになるのだと思います。葛木夕夏が樹来の妹を通じて彼らに相談を持ち掛けたのは、元刑事が家族にいるからですし、全てを見通したように振る舞いながらそこにいる君原の存在は、樹来の支えにもなっています。読者にとっては、信頼関係のある「じいじ」と「孫」の関係性だからこそ、君原がいるという安心感が、二転三転する作品の展開を制御するものになっているように思うのです。

     では『灰色の家』ではどうか? ここでユニークなのが、深木章子は遂に、この「要石」を揺らすプロットを試みた、ということなのです。

    『灰色の家』

     前作『消えた断章』の段階では、君原継雄がそこにいる――というだけでほとんど書き込まれなかった有料老人ホーム「山南涼水園」について、その内情から、どういう施設であるのかという点まで、本作『灰色の家』では深く掘り下げています。というのも、今回の視点人物は君原でも樹来でもなく、この「山南涼水園」の常駐看護師・冬木栗子だからです。

     この老人ホームで、連続自殺事件が起きる……というのが事件のあらましです。一人の入居者が滝から飛び降り自殺をしたのをキッカケに、連鎖するように自殺事件が発生してしまいます。この事件についての調査を通じて、ホーム側の事情はもちろん、入居者同士の派閥争いや横恋慕、入居した高齢者と入居させた家族の間の確執などなど、老後のリアルと、高齢者施設の実態が深く書き込まれていくのですが、その一つ一つのエピソードに驚いたり呆れたり不安になったり、感情を振り回され通しでした。

     このように書くと、あんまり本格ミステリーのように見えないかもしれませんが、こうした描写の中にもしっかりと伏線が張られ、最後には鮮やかな謎解きミステリーに変貌するのがすごいところ。現場のシチュエーションを巧妙に利用した犯人特定のロジックが見事な作品で、特に、シンプルに犯人に辿り着くのではなく、「この条件なら事件はこう進行しているはずだがそうなっていない、なぜか」というような、燕返しのようなロジックが描かれているのが巧いのです(ネタバレにならないよう精一杯ぼかして書いているので分かりにくくなっていますが、すみません)。

     さて、先ほど書いた「要石」を揺らすということの意味は、まさに、本作における君原のポジショニングに関わっています。君原は『消えた断章』において、絶対的なアドバイザーとしての安心感を象徴する存在でしたが、それは、彼を信頼する孫の樹来の視点から描かれるために、そうなっていたのです。ところが、今回の主人公である冬木栗子にとって君原は、「ホームの入居者であって、元刑事らしい」という程度の前情報しかない存在です。元刑事だからとあてこんで、連続自殺事件の謎を彼に相談しに行きますが、そこには絶対的な信頼があるわけではありません。むしろ、「この人、本当に信頼出来るの? 推理能力はあるの?」と疑り深い目で見るような場面もあります。つまり、本作において君原は「要石」として存在出来ず、絶えず印象が揺れ動く対象なのです。だからこそ、『灰色の家』は、『交換殺人はいかが?』→『消えた断章』→本作の順で読んだ人と、本作からいきなり入った人では、見え方が変わってくる小説だと言えます。そういう意味で、面白い趣向なのです(極端な話、順番に読んでいる読者にとっても、今の君原の能力に昔ほど信頼がおけるかは分からないので、揺らぎは充分に機能していることは補足しておきます)。しかも、この趣向が、ちゃんとミステリーとしても生きてくるのですから、本当に作者の構成力には恐れ入るというか……。

     本書のタイトル『灰色の家』は、本書の大きなテーマである、生と死の間の灰色の位置に存在する老人ホームを象徴するものです。このことは、著者が「小説宝石」5・6月合併号に寄せたエッセイ「灰色の世界に生きる」において、「心身ともに生きる活力に溢れている白の世界と、もはや光も影もない黒の世界との間には、老後という灰色の世界が立ちはだかっていますが、そこをどう過ごすかはまさに百人百様。」(同誌281ページ)と述べていることからも明らかです。

    「灰色」という言葉に、法律でいうグレーゾーンのイメージというか、老人ホームは家族の負担を和らげるために存在するものだけれど、それが当事者である高齢者にとって良いかどうかは分からない、というニュアンスも響いているように思えます。そのようなことを考えさせられる、重厚な小説だからです。しかし、この「灰色」には、それだけでなく謎解きミステリーとしての本書の企みも表明されているのではないでしょうか。栗子の中で、名探偵としての白と、役に立たない相談相手としての黒との間で絶えず揺れる君原の存在は、まさしく最後の最後まで「灰色」の人なのですから。

     一作ごとに様々な手法で読者を翻弄し尽くしてくれる深木章子。重厚なテーマと謎解きミステリーの切れ味が同居する『灰色の家』、オススメです。

    (2023年5月)



第55回 特別編102023.04.28
極私的「時代・歴史小説が読みたい」 ~〈修道女フィデルマ〉シリーズ全作レビューもあるよ!~

  • 昏き聖母(上)、書影
    昏き聖母(下)、書影


    ピーター・トレメイン
    『昏き聖母〈上・下〉』
    (創元推理文庫)

  • 〇今月も雑誌の話題から

     最新号「ジャーロNo.87」には、「カッパ・ツー」第二期の犬飼ねこそぎによる短編「狐火の行方は知れない」が掲載。作者らしい多重解決趣味と推理の技を味わえる一編です。また日本推理作家協会賞短編部門に傑作短編「ファーストが裏切った」(「ジャーロNo.85」収録)がノミネートされた浅倉秋成「花嫁がもどらない」も素晴らしく、まさしく抱腹絶倒のブラックユーモア。いずれ、「花嫁」「ファースト」に加えて「そうだ、デスゲームを作ろう」(「ジャーロNo.83」収録)まで収録される短編集が作られると思うと、無限にワクワクするな! 日本ミステリー文学大賞のインタビュー特集では、新人賞を『60%』で受賞した柴田祐紀のインタビューが掲載。『60%』が実にシビれるノワールの快作だったので、インタビューもウキウキしながら読みに行ったら、本書を書くきっかけになった一作として髙村薫『太陽を曳く馬』が挙げられているのに大喜び。二作目も待ち遠しい……! 特別賞受賞の有栖川有栖インタビューも、感激がすごい。また新保博久法月綸太郎による往復書簡「死体置場で待ち合わせ」は、毎度毎度、本当に往復書簡なのか、というくらい両者暴走し始めるのが面白い企画なのですが、第五回では、〈リドル・ストーリーに答えはあるのか?〉という副題が示す通り、芥川龍之介「藪の中」をサンプルに、両者が丁々発止、博覧強記のやり取りを繰り広げるさまが最高にスリリング。面白すぎる、この往復書簡。

    「小説宝石」4月号では、平山夢明「弱き者、汝の名は女なり あたいが公園でペリカンから聴いたお話――そのⅡ」が出色。『俺が公園でペリカンにした話』のシリーズが、日本一周地獄めぐりみたいなシリーズだったわけで、こちらも「小説宝石」に掲載されるたびにウッキャッキャと喜んでしまう最高の短編群だったわけですが、「あたい」が主人公になってから、更に地獄巡りの酷さが増しているような気がする(もちろん、良い意味で!)。しかし、なんだか妙に笑えて、そして元気になる、この塩梅はもう実にたまらんのです。春日武彦と平山夢明の新書『「狂い」の調教 違和感を捨てない勇気が正気を保つ』(扶桑社新書)も、この二人は本当にいつもの空気感だなあと思いつつ、やはり妙にクスッときてしまう。

    〇「時代・歴史小説が読める!」

     今月は「あっ、時代・歴史小説が読みたいな」、もっと言えば「今なら読めるな!」と思ったので、今月は時代・歴史小説ばかり読んでいました。これは私だけなのかもしれませんが、時代・歴史小説と本格ミステリーってある意味似ていると思います。作品世界について明確な約束事があって、と同時に、そこはツッコむなよ、という「暗黙の了解」の領域が存在する。私は子供の頃からの読書傾向のせいで、本格ミステリーの「約束事」にはよく慣れ親しんでいるのですが、時代・歴史小説については、読めない日には全然読めないのです。一応言っておくと、好きなのは間違いないです。都筑道夫『血みどろ砂絵』に始まる〈なめくじ長屋捕物さわぎ〉シリーズや、泡坂妻夫『夢裡庵先生捕物帳』あるいは『夜光亭の一夜 宝引の辰捕者帳ミステリ傑作選』など、捕物帳がきっかけで読み始めましたが、今だと青山文平『半席』『遠縁の女』『泳ぐ者』『やっと訪れた春に』などミステリー好きも読むべき傑作多数)、木下昌輝『炯眼に候』が出た時ミステリー短編集だって騒いでたの身近で私だけだった……)、砂原浩太朗『高瀬庄左衛門御留書』はもちろん『黛家の兄弟』が好きすぎる)などを愛読しています。特に砂原作品は、藤沢周平の感動を思い出すところがたまりません(藤沢作品はノワール・犯罪小説の観点で読んでも素晴らしい傑作が目白押しで大好きですね。『暗殺の年輪』とか『闇の歯車』とか……!)

     と、これだけ好きな作家がいるにもかかわらず、読めない日はサッパリというのだから難儀です。ただ、何かのきっかけで、「あっ、今なら読める!」と、脳のチューニングが合う日が存在するのです。はっきり覚えているのは、大学生の時、泡坂妻夫の捕物帳を正月に開いてみたところ、それまで全然読み進められなかったのに、たまたま開いた一編がまさしく一月の話で、スッと小説世界に入り込めた……というエピソードでしょうか。こうなったらしめたもので、あとは放っておいてもどんどん作品世界に入っていけます。

     今回「脳のチューニングが合った」のは、恥ずかしながら、SEGAのゲーム「龍が如く 維新!」を触ったからです(笑)。同シリーズの主人公・桐生一馬に幕末の坂本龍馬の役を当て、幕末の動乱を描いたゲームですが、このゲームを少し遊んだ後、手代木正太郎『異人の守り手』(小学館時代小説文庫)を読んだところ、第一話「邪馬台国を掘る」がまさに同じ時代の横浜の話だったので、まさしく「脳のチューニングが合った」わけです。尊王攘夷の声が高まり、外国人への風当たりが強かった当時の日本で、陰ながら外国人たちを守る日本人、「異人の守り手」がいた、という設定の活劇小説なわけですが、第一話の「史実」の使い方の巧みさにはニヤリとしてしまいますし、第二話「慶応元年の心霊写真」はその手数とどんでん返しの技によって、著者の傑作ミステリー不死人アンデッドの検屍人 ロザリア・バーネットの検屍録 骸骨城連続殺人事件』を思い出して嬉しくなりました。

     この一冊がキッカケになり、「おお、今なら溜めていた時代小説が読めるぞ!」と思って、次々読んでいきました。先も名前を挙げた青山文平の新刊『本売る日々』(文藝春秋)は、学術書を行商して売り歩く本屋の視点から、江戸時代の暮らしぶりを描いた三つの短編を収めた作品集になっていて、これがもう、実に沁みる。その人が持っている本を描くことによって、人を描いてしまうような凄みがあると同時に、例えば二編目「鬼に喰われたひとの冒頭近くに書かれた、本好きと本屋の、ドライながらも、ほのかに温かい関係性には時代を超えて納得してしまう心理があります(古本屋で長いこと話し込んでしまうのって、こういう心理絶対あるよなぁ)。ちなみにこの二編目「鬼に喰われた女」には、思わず凍り付くようなホワイダニットの企みも用意されている気がします。装丁も素敵で、ぜひカバーを外して見てほしい。

     そして満を辞して手に取ったのは、永井紗耶子『木挽町のあだ討ち』(新潮社)。帯で「驚愕の真相」押しされていたので、これは読まねばなるまいと発売直後に買っていたのですが、先に書いたような事情で今になってしまいました。そして、読み終わってみれば、これがもう大傑作! ミステリーマニアも読み逃すなかれ。全六幕の構成で、木挽町で行われた仇討の真相を追いかける、という趣向なのですが、各幕は証言者のインタビュー形式となっていて、一人語りのように進行することになります。第一幕は芝居小屋の木戸役者(その日の公演がどんなものか、入り口で通行人に伝える役者)、第二幕は稽古場の男……というように、芝居小屋を取り巻く人々がそれぞれの視点から仇討について証言し、また、それぞれの来し方について語る、という構成になっています。幕が進むごとに、仇討を行った菊之助と、その父、父を殺した男・作兵衛との関係性も明らかになっていき、謎が深まっていくことになります。ミステリーマニアなら、中盤まで来れば真相の見当はつくかもしれません。しかし、一幕ごとに、異なる人生のありようを紡いでいき(私が特に好きなのは、やはり戯作者を描く第五幕と、劈頭を飾る第一幕)、最後に辿り着く真相がこれだからこそ、この小説は素晴らしいのです。それにしても、解決編直前となる第五幕ですが、この末尾のセリフが……あまりにカッコ良い! 解決編前の演出で、どれだけ興奮できるかってかなり大事だと思うんですが、今年の「解決編前演出大興奮ランキング」は今のところ『木挽町のあだ討ち』が首位独走です。あまりにもシビれました。

    〇王女、法廷弁護士、修道女。三つの顔を持つ女

     さて……ここまで、時代小説を三冊紹介してきましたが、私はここで思ったのです。ここまで日本の時代小説を読んできましたが、もしかして、ここまでどんどん読めたなら、海外の歴史ミステリーも読めるのでは? と。時代・歴史小説を読むと、普段と異なる世界にどっぷり浸かることもあって、自分の場合、かなりの脳負荷がかかるのですが、どうやらその脳負荷に耐えられる状態らしいな、と思ったのです(ちなみに、原稿をばりばり進めている時は、読者としては、全く関係のない世界の話を読みたい――という心理も手伝っているかもしれません)。

     そこで今回読んだのは、ピーター・トレメイン『昏き聖母〈上・下〉』(創元推理文庫)。王女にして法廷弁護士、修道女でもあるフィデルマの推理を描く、〈修道女フィデルマ〉シリーズの長編第九作の邦訳ですが、恥ずかしながら告白すれば、実は私、このシリーズの長編を初めて読みました。

     今までは、第二短編集『修道女フィデルマの洞察』を読んで、「紙魚の手帖」に掲載された短編「魚泥棒は誰だ」(のちに『修道女フィデルマの采配』に収録)を読んだことがあるのみでした(第26回の読書日記で少しだけ話していますね)。短編を読むたび、「あぁ、やはり面白そうだなぁ、このシリーズ」と思って、ずっと読んでみたいとは思っていたシリーズだったのですが、七世紀アイルランドを舞台にした歴史ミステリーということもあり、他のフィクションでも馴染みがない時代なので、読むのが大変なのではないか……と尻込みしていたのが理由です。これが最も大事なことなので、まず、今回初めて読んでどう思ったのかを一言で言うと――。

     

    めちゃくちゃ面白い。どうしてこんなシリーズを今まで読まずにおいたんだ私は。



     ということで、まずは冒頭で懺悔。読むのが遅くなってしまい、申し訳ありませんでした。ちなみに、なんで今回、あえてこんなことを最初に言おうと思ったかと言いますと、長期シリーズであればあるほど、どこから読めばいいか、悩む人も多いと思ったからです。私自身、新しいシリーズを追いかけ始める時には、「シリーズの文脈や系統を踏まえないと楽しめないのでは」と慌てて最初から読んだり、とにかく今出ている新刊が面白そうなので、えいやっと飛び込んで、楽しめる時もあるし、前作のネタバレを踏んでトホホという時もあります。なので、恥ずかしげもなく、「今作から読みましたが問題なくめちゃくちゃ楽しみました」と書いておくのも、満更無駄じゃないと思ったのです。

     閑話休題。今回、突然読んでみたいという気になったのは、まさに、本書のシチュエーションに惹かれてのことです。まずはここであらすじを見てみましょう。

     フィデルマは旅の途上、良き友であり、相棒とも言える修道士・エイダルフが殺人罪で捕らえられたとの知らせを受ける。彼を助けるため、急ぎラーハン王国に向かうが、ラーハンは、フィデルマの兄が治める地域であるモアン王国と諍いが絶えない。到着したフィデルマを迎えたのは、エイダルフの裁判が既に終わったという事実、そして、処刑は翌朝に予定されているという、絶体絶命の状況だった……。

     そう、まさにこれでした。この、あまりにも絶体絶命な設定に、大いにそそられたのです。しかもこの裁判、フィデルマが情報を集めれば集めるほど、真っ黒な裁判で、目撃証言をした証人の少女は失踪しているというし、事件当日の夜警は事故死をしていて、おまけに、事件現場周辺で、エイダルフが殺したとされている少女や、前述の夜警も含めて、三人もの人が死んでいると分かります。エイダルフはどんな罠に落ちてしまったのか……この状況が、実に興味をそそるのです。

     法廷ミステリーは、絶体絶命なほど良い……これはゲーム〈逆転裁判〉シリーズで植え付けられた、私の金科玉条ですが、『昏き聖母』はこの欲求を見事に叶えてくれました。しかも、この作品が面白いのは、法廷ミステリーとしては序盤、アンチクライマックス的で――何せ、フィデルマが到着した時点で裁判は「終了」しているのですから!――序盤は「いかにして突破口を開くか」という法廷外の戦いを強いられるところです。情報は教えてくれるもののあやふやだったり、老獪な前修道院長などの妨害に絶えず晒されながら、逆転への糸口を探らなければならない。フィデルマが若い女性というのもあって、かなり舐めた態度で接してくる相手もいて、こうした状況を撥ね退けながら、少しずつ前に進み、相棒の身の証しを立てようとする冒険が見事です。

     しかも、シリーズとしても、実に重大な展開が用意されています。この点を踏まえると、確かに『昏き聖母』から読み始めたのは失敗と言えるかもしれないのですが……それでも、この一作分だけでも感動を味わえましたし、この第九作でこういう展開を迎えると知って遡ると、また面白いと思うので、それはそれでよしとします。いやー、良い。このラストシーンはあまりに良いよ。

     上巻の最後の方になると、事態は大きく動き出し、さらに冒険活劇小説やサスペンスの要素が強くなります。ここが実に良い(下巻の帯にさらっと書かれているので本当はバラしてもいいのかもしれませんが、とりあえず伏せておきます)。上述した「三人の死」や、証人となった少女の失踪も含めて、どんな陰謀が張り巡らされていたのか。全ての構図を暴き出すフィデルマの冒険は実に痛快です。また、これはシリーズ通しての特徴と言えそうですが、七世紀アイルランドを舞台にしており、歴史ミステリーならではのアイテムや歴史的事実はプロットの中で効果的に用いられるとはいえ、謎解きのポイントは複数の事件の構図や繋がり、といったポイントに絞り込んでいるのが、このシリーズが古びない理由だと思います。

     今、シリーズ通しての特徴、と言いましたが――いや、このシリーズ、ここから読み始めたんでしょう? というツッコミが聞こえてきそうです。その通り、ここから読み始めました。そして、あんまりにも『昏き聖母』が冒険活劇×法廷ミステリーとして面白くて、己の不明を恥じたので、次回の新刊が出る時には万全の態勢で迎えようと、この一か月の間にシリーズを全作読んで追いついておいたのです(一応言っておくと、他に、解説のために読まないといけない本は読んでいますし、他の新刊も読んでいますし、ちゃんと長編の原稿も三月に第一稿が完成しました。仕事はしています、ご心配なく。……むしろ、なんでこんなに読んでいて完成したんだ?)。

     今、恐らく私の正気が疑われているところでしょう。何はともあれ、この「読書日記」をいつも読んでいる皆様なら、この後の流れを察したと思います。

     僭越ながら、全作レビューを始めます。

    〇〈修道女フィデルマ〉シリーズ全作レビュー

     初めに言った通り、『昏き聖母』は単独で読み始めても十分に楽しめる良作ですが、やはりシリーズを追いたい! という人や、シリーズの中でどれが特に面白いのか知りたい! という人向けに書いてみます。シリーズ既読者には当たり前のことしか書いていないかもしれませんが、その場合は、備忘録代わりにでも使ってくれると嬉しいですね。ちなみに、私には、歴史小説としてどの程度優れているかとか、アイルランドがきっちり描写されているかとかは正直分かりません。私にあるのは、謎解きミステリーとしてどうかとか、冒険ミステリーとして面白いか、とかの尺度だけです。あしからず。

     実際の邦訳順は違うのですが、後追いで読める立場なので、シリーズを順に追っていきました。まず本国での第一短編集 ”Hemlock at Vespers” にあたる日本版短編集の第一弾~第三弾を読み、長編を第一作から順番に読みながら第八作に追いつき、その過程に日本版の第四・第五短編集を読んだという経緯です。この読書日記では、まず日本版短編集五冊の紹介から始め、長編八作を後から紹介する、という順でいきます。

     短編集から始めるのは、理由が三つあります。一つ目は、本国では、長編第一作の刊行よりも前に、短編が発表されているためです。フィデルマの相棒・エイダルフは長編の第一作(『死をもちて赦されん』)に登場するため、短編集はフィデルマ単独の冒険譚になっています。二つ目の理由は、フィデルマの短編集は、このシリーズへの入門編にうってつけだからです。登場人物が限定された中でのフーダニットやハウダニットなど、謎の構成がシンプルになっていますし、そのために、初読者が面食らう要因になっている七世紀アイルランドの文化の描写も、押さえるべきポイントが限られてきます。要するに、読みやすいのです。最後の理由は、単純に、謎解きミステリーのファンには、短編集の方がオススメだからです(一方で、歴史冒険ミステリーとしての沃野は長編にあり、とも言えるので、一長一短ではありますが)。

     それではいきましょう。全て創元推理文庫から出ているので、版元の表記は省きます。また、◎と〇に分かれているのは、「◎」が特にオススメ、という意味合いです。アン・クリーヴスの全作レビュー(仮)などと同じように、作品数が多いので、せめてもの指標にと置いておきます。

    ・短編集
    『修道女フィデルマの叡智』
     日本オリジナル編集の短編集第一弾。本国の ”Hemlock at Vespers” には全十五編が収録されていますが、日本ではこの十五編を、先述した通り、短編集第一・二・三弾に五編ずつ振り分けているわけです。解説は村上貴史。『叡智』の収録作品は以下の通り。

    「聖餐式の毒杯」
    「ホロフェルネスの幕舎」
    「旅籠の幽霊」
    「大王の剣」
    「大王廟の悲鳴」

     本書では劈頭を飾る「聖餐式の毒杯」が出色。ローマ教会で、聖餐式のワインを飲んだ若者が突然死を遂げた、という毒殺ものの一編ですが、ハウダニットに着目したシンプルなフーダニットになっているのもさることながら、動機に異形の論理がさりげなく使われているのが好印象。歴史ミステリーの描写がきっちり生きています。どんでん返しのキレ味が、逆説を飛ばしている時のブラウン神父並みにキレていて良いのが「ホロフェルネスの幕舎」(ところで、日本の短編集のタイトルが「~の叡智」「~の洞察」のように、『ブラウン神父の童心』や『亜愛一郎の狼狽』方式になっているの、めっちゃ良くないですか? ブラウン神父、亜愛一郎と同じく、五冊揃えて本棚に並べて置きたくなる)。千五百年にわたって封印されていたアイルランド代々王の墳墓から悲鳴が聞こえてきたという、明らかにヘンな謎作りにくすぐられてしまう「大王廟の悲鳴」にもニヤリ。それにしても「旅籠の幽霊」のオチは……いいのか、これで?

    『修道女フィデルマの洞察』
     解説は川出正樹。収録作は以下の通り。

    「毒殺への誘い」
    「まどろみの中の殺人」
    「名馬の死」
    「奇蹟ゆえの死」
    晩祷ばんとう毒人参ヘムロック

     第二短編集まで読むと、〈修道女フィデルマ〉シリーズとは、意外にもホワイダニットの短編集だな、という思いを新たにします。2000年代以降の国内ミステリーに、主体と客体の価値を転倒させることによって生じるホワイダニット――勝手に「主客転倒型」と呼んでいるのですが――が頻出するようになってから(端的には、殺人行為そのものより、それによって生じた現象の方に意味があったとするもの)、この手のものには食傷している気持ちも正直あります。そして、このホワイダニットの登場と軌を一にするように、外国や田舎ならこういう論理も成り立ちうるのでは、といったような「異化」作用を備えたミステリーが多くあったように思うのです(極端な話、「特殊設定」ミステリーの前にあらゆる意味での「異世界」ミステリーがあったような気がしているのです。こういったものへのカウンターパンチとしても澤村伊智『ばくうどの悪夢』は読むことが出来て、そんなことは関係なく凄まじく面白い)。

     そういう意味で、七世紀の価値観を詳らかに描写することで、一種奇妙な動機を描く〈修道女フィデルマ〉シリーズにも、同じような抵抗を感じて良い――はずなのですが、不思議とすんなりと呑み込めてしまうのが不思議なところ。歴史ミステリーとしての足腰がしっかりしているゆえなのでしょうか。『叡智』でいうと「聖餐式の毒杯」、『洞察』でいうと、「毒殺への誘い」「まどろみの中の殺人」の、どうかしているとしか思えない動機に上記のような感じを覚えるのですが、それでも抵抗を感じないのは、根底のところに人間臭さを感じる、からでしょうか。

     さて、今述べたような文脈とは関係なく、『洞察』の中で好きなのは「晩祷の毒人参」。フィデルマの、名探偵として貫くべき法の中の正義と、人間の中の正義――その思いの相克を描いた一編だからです。事件の構図そのものも二転三転して見事ですが、この相克が描出する苦さこそイチオシのポイント。また、「名馬の死」も世にも珍しい「七世紀競馬ミステリー」と言えるでしょう。

    『修道女フィデルマの探求』
     今回は訳者あとがきのみ。収録作は以下の通り。

    「ゲルトルーディスの聖なる血」
    けがれた光輪ヘイロウ
    「不吉なる僧院」
    「道にまどいて」
    「ウルフスタンへの頌歌カンティクル

     この五編をもって、”Hemlock at Vespers” の十五編がすべて邦訳されたことになります。そのうえで十五編を概観して思うのは、この短編集、いくらなんでもアベレージが高くはないかい? ということ。『探求』までくると、飛び抜けた出来のものはないのですが、それでもキレの良い短編を読ませてくれます。

     今回の注目は「ウルフスタンへの頌歌」でしょうか。なんといっても、七世紀を舞台とした「密室殺人」ミステリーで、ゴリゴリの機械トリックが用意されているのも嬉しい。証拠品の些細な矛盾から事件の裏の構図を読み解いていくあたりのスマートさは、フィデルマならではのもの。また、「不吉なる僧院」は、暴虐の限りを尽くす大人と、それに耐える子供たち……という、現代ミステリーでも見られるような構図を、歴史ミステリーならではの価値観で成立させた、まさしく「不吉な」雰囲気が横溢したサスペンスに仕上がっていて、こちらが本短編集でのマイベスト。こちらの逆転劇は鮮やかです。それにしても、十五編のものを五編ずつに分けて収録した……という事情にもよるのかもしれませんが、連続している二編の犯人指摘のロジックがほとんど同じだったのは、ちょっと残念に思いました。よく使われる型なので、仕方ないとは思いますが。

    『修道女フィデルマの挑戦』
     今回の解説は大矢愽子。収録作は以下の通り。

    「化粧ポウチ」
    あざ
    「死者のささやき」
    「バンシー」
    「消えた鷲」
    くらい月 昇る夜」

     粒揃いのフィデルマ短編集ではありますが、これこそ傑作短編集の風格。最大のポイントは、各六編が全く違う魅力でミステリーの面白さを体現していることでしょう。冒頭の「化粧ポウチ」は「フィデルマ最初の事件」であり、ある種の青春ミステリーの味があります。二編目「痣」はこれも学生時代の事件ですが、こちらのテーマは安楽椅子探偵、三編目「死者の囁き」は一つの死体を巡って推理を積み重ねていく手法がホームズやドロシー・L・セイヤーズの『誰の死体?』を思わせる、ストレートでしなやかなパズラー、四編目「バンシー」は伝承を描いたオカルトミステリーです。五編目「消えた鷲」は五百年前の古文書から鷲の像のありかを探そうとする……という、これもまた安楽椅子探偵風ですが、題材の扱いでいうとジョセフィン・テイ『時の娘』鯨統一郎『邪馬台国はどこですか?』などを思わせる歴史安楽椅子探偵の雰囲気。六編目「昏い月 昇る夜」はまさしく法廷ミステリーの一編で、短編のサイズで丁々発止の法廷戦術を味わえます。

     このように、六編とも違うアプローチでミステリーを書いているので、短編集全体を通じて飽きずに楽しめるのが大きな美点ですし、各短編のアベレージもかなり高くなっています。特に「死者の囁き」は、フィデルマベスト短編に推したいくらい痛快な一編です。やはり、ダロウの修道院長である、ラズローンが登場する短編は良いんですよね。「名馬の死」(『洞察』収録)、「ウルフスタンへの頌歌」(『探求』収録)、「魚泥棒は誰だ」(『采配』収録)などがそれにあたりますが、ラズローンがかなり筋の良いワトソン役をするので、ミステリー短編としての風通しが良くなるのだと思います(フィデルマに舐めた対応をする男たちの鼻を明かす……という展開ばかりだと正直疲れますしね)。「死者の囁き」は、ワトソン役の劣った推理→フィデルマの鮮やかな推理という流れが綺麗に守られていて、それがケレン味にもなっているので読んでいてすごく楽しい。死体の素性を巡る推理とか、実に見事。

     他にも「消えた鷲」のどんでん返しと、その手掛かりの隠し方は鮮やかですし、日本版短編集では初めて、長編シリーズで相棒となっているエイダルフが登場するのも嬉しい。「化粧ポウチ」は同室者の先輩と初対面からぶつかり合ってしまう、「あぁ、フィデルマだなあ」というエピソードが面白いですし、ぬけぬけとした真相もたまりません。総じて、非常にレベルが高く、安心して薦められる傑作短編集です。

    〇『修道女フィデルマの采配』
     解説は石井千湖。収録作は以下の通り。

    「みずからの殺害を予言した占星術師」
    「魚泥棒は誰だ」
    「養い親」
    「「狼だ!」」
    「法定推定相続人」

     冒頭の一編は別題にて『ホロスコープは死を招く』(ヴィレッジブックス)に邦訳されています。同書は占星術をモチーフにした作品を集めたアンソロジーで、アン・ペリー「青い蠍」ピーター・ラヴゼイ「星に魅せられて」ローレンス・ブロック「ケラーのホロスコープ」などが収録された良作品集ですが、トレメインの「みずからの殺害を予言した占星術師」も負けていない。占星術で自ら占った通りに亡くなった修道士、という謎を合理的に解決していく好編ですし、十七世紀頃まで使われていたホラリー占星術を描いた珍しい短編でもあります。「魚泥棒は誰だ」はぬけぬけとしたオチが楽しい作品ですし、犯人指摘のロジックもシンプルで良い。「養い親」「法廷推定相続人」などの法廷ミステリーとしてのひねりも面白い。

    ・長編
    『死をもちて赦されん』
     邦訳刊行では四番目となった、〈修道女フィデルマ〉シリーズの長編第一作。邦訳が後に回された事情については、本書の、甲斐萬里江による「訳者あとがき」に詳しく書かれています。曰く、「第一作は大ブリテン島のノーサンブリア王国で展開する物語、第二作もローマにおける事件。/いずれもフィデルマが母国アイルランドを後にして出掛けてきた異国での出来事」(同書「訳者あとがき」、p.451)であり、「我々日本人には、カトリック内部の教義論争は、いささか取りつきにくいテーマです。そこで、順序を少し乱して、まず初めに、アイルランドの文化、社会、風物などが十分に描かれているものを初期の作品の中から数点ご紹介」(同、p.452)したということ。

     先走って、邦訳第一弾になった『蜘蛛の巣』のことを考えてみると、この手法は成功だったと言えると思います。確かに、ジェフリー・ディーヴァーの〈リンカーン・ライム〉シリーズも、出張編は第十作(『ゴースト・スナイパー』)ですし、かなり早くても、マイ・シューヴァル&ペール・ヴァールーの〈刑事マルティン・ベック〉シリーズで第二作(『煙に消えた男』)、ヘニング・マンケルの〈クルト・ヴァランダー〉シリーズも第二作(『リガの犬たち』)ですからね。一作目からホームの外に出ているのは珍しいです。

     とはいえ、『死をもちて赦されん』が面白くないというわけでは一切ありません。むしろ、前掲の「訳者あとがき」では懸念材料として挙げられている、宗教論争、神学論争のパートに私は大興奮。〈矢吹駆〉シリーズを通った身としては、物語の流れが停滞してでも、このあたりがじっくり掘り下げられているとテンションが上がってしまう。おまけにそれが、フィデルマとエイダルフの出会いにも繋がってくるのだから面白い。本書では、アイオナ派とローマ派の対立が描かれており、事件はアイオナ派の一人が殺されたというものなのですが、フィデルマはこちらに属するので、「調査の公平観を期するため」、ローマ派の一人であるエイダルフを相棒として傍におく、という出会いなのです。

     出会いのシーンはやはり運命的に描かれていますし、事件の展開も、宗教論争を交えながら二転三転、道行きはなかなか読ませるのですが、事件解決のポイントは長編サイズとしては拍子抜けするほどシンプルに感じられます(短編まで含めると、何回使っているんだ、このタイプの「人間関係の隠匿」……)。

    『サクソンの司教冠ミトラ
     長編第二作は、フィデルマ&エイダルフのコンビが再びアイルランドの外で冒険を繰り広げます。舞台はなんとローマ! 法王のお膝元での殺人事件ということもあって、めちゃくちゃテンションが上がります(冒頭からいきなり、ローマとアイルランドの宗教対立が司教とフィデルマの間で炸裂しているのが面白すぎる)。

     事件の調査も安定の面白さですが、むしろローマや過去のアレキサンドリア、ビブリオ・ミステリー的な要素など、書きこまれた背景の方に面白さがあります。謎解きとしては、この設定ならではの誤解のテクニックがさりげなく使われているのが好印象。そして結末が良い。フィデルマとエイダルフの関係性を追っているだけでも、十分にお釣りがくるシリーズだなあ。解説は若竹七海で、長編に挫折した経緯やら、夫が短編にケラケラ笑っているのを見たのがキッカケで読み直した経緯などが綴られていて笑えます。あと若竹七海をもってしても長編に一度挫折しているという事実に一安心。

    『幼き子らよ、我がもとへ〈上・下〉』
     いやー、面白い。本書は長編第三弾、邦訳順では二番目の作品にあたりますが、あえて二番手になったことからも分かる通り、かなり身の詰まった傑作になっています。前二作で海外出張を経て故郷に戻ったフィデルマは、兄に乞われ、モアン王国内の修道院で、隣国の尊者ダカーンが殺された事件を調べることになる……というのがおおまかな筋ですが、前二作が宗教対立をベースとしたミステリーだったとするなら、今回はアイルランド五王国の政治的な対立も濃厚に絡んでくる作品です(外国人が自国内で殺された状況に近いですが、七世紀なので領土がどうみたいな話も絡んでくるのが面白い)。

     冒頭からいきなり、雷鳴の光る中をフィデルマが行き、老婆から「向こうの宮殿には死が居座っているぞ!」的な脅し文句を吐かれるなど、いっそ清々しいほどのベタベタエンターテインメント要素で楽しませてくれますが、ダカーンの身辺を調べ、孤児院経営の実態を探るうちに、別の物語が浮かび上がってくる構成がお見事。さらに、本書は裁判ものとしても圧倒的なクライマックスが用意された傑作になっています。どっしり構えた解決編の楽しさもあって、シリーズ中でもかなりのオススメ作になっているのではないでしょうか。

     それにしても、第八作『憐れみをなす者』で旅に出て、第九作『昏き聖母』で戻ってきたらエイダルフが殺人罪で捕まっていたわけだし……フィデルマが外に行くと、ろくなことにならないのね。

    『蛇、もっとも禍し〈上・下〉』
     ヘニング・マンケルの全作レビューを行った際(第19回)、犯行にも「不気味さ」が欲しい、だけど、くだくだと独白をしてほしくはない、ビザールな犯罪を見せてほしいという意味で、「連続殺人鬼は独白ではなく、犯行現場と死体で語れ」と書いたことがあります。本書『蛇、もっとも禍し』は、現状邦訳されている中では、この要求に一番応えてくれる作品と言えるかもしれません。首なし死体、腕に結びつけられた木片にはオガム文字(『蜘蛛の巣』の項で詳述)、掌には十字架――宗教的背景も踏まえながら、非常に不気味な死体が現れているのです。

     本格ミステリーファンとしては、必然性の薄い死体装飾であったことは残念に思いますが、本書の魅力はむしろ、事件現場に向かうフィデルマが海上で見つけた、〈メアリー・セレスト号〉のように船員全員がかき消えた船の謎や、シリーズキャラクターであるエイダルフの扱いなど、細かな謎やフックを長編全体の中でうねりを持たせて処理していることでしょう。のちに『憐れみをなす者』で一編まるまる海上ミステリーをやりますが、ここでも海上の事件の扱いが上手いのです。

    『蜘蛛の巣〈上・下〉』
     日本では邦訳第一弾となった、長編第五作です。殺人現場で捕らえられた男が第一容疑者となり、彼の無実を証明するためにフィデルマは奮闘する……というのが大筋ですが、この第一容疑者であるモーエンが、視覚・聴覚・発話に障害を抱えているというシチュエーションが難物。自ら身の証しを立てることが出来ず、おまけに、七世紀アイルランドの強い差別意識も相まって、およそ人とは思えない扱いを受けていて、非常に胸が痛い(ただ、このシーンの後、ケルトの信仰を踏まえながら人と神について議論するパートは、歴史小説として読み応えがあります)。

     こうした、モーエンを巡る差別の状況についても、その改善を訴えて喝破していくフィデルマの魅力は、この『蜘蛛の巣』でも十分に炸裂しています。七世紀アイルランドの描写がミステリーとしても生きてくるところもこのシリーズの魅力ですが、本作は、オガム文字という、この本以外では聞いたこともなかった文字が登場します。これが使われるシーンが実に素晴らしい。シーン自体の爽快感と、事態が大きく動き出すミステリーとしての高揚が一体となっていて、シリーズ屈指の名シーンになっています。

     第一容疑者が、視覚・聴覚・発話に障害を抱えている……このシチュエーションそのものが、ギ・デ・カールの力作『破戒法廷』を思い出させますが、証言パートを厚く書きこむことで、容疑者とそれを取り巻く人々の人生を描くことに注力した『破戒法廷』とは異なり、『蜘蛛の巣』は続発する殺人事件やトリッキーな展開を交え、冒険活劇小説としての読み味が濃くなっています。これが実に熱く、面白い。最後の法廷パートで、事件の真実と共に、タイトルの意味が明らかになる構成も心憎い。日本で最初に邦訳されたのも納得の雄編です。

    『翳深き谷〈上・下〉』
     おっも……。重い、重苦しい。上下巻の分厚さという意味では、毎巻ガッツリと重いのですが、そうではなくて、『翳深き谷』は話が重い。

     古の神々を進行する「禁忌の谷」に赴き、キリスト教の学問所を設立する折衝をしてほしいと、兄・コルグーはフィデルマとエイダルフに任を与える。谷で彼らを待っていたのは、刺殺・絞殺・撲殺の三つの殺害方法で三回ずつ殺された三十三人の若者の死体だった。何かの生贄にしか見えない、儀式めいた殺人が、この旅の困難さを暗示しているかのようだった……。

     ね? もう書いているだけで気が滅入って来るんですよ。この重苦しいテーマにきっちり見合うような小説的な満足感と、下巻に待ち受ける大ピンチとエイダルフの見せ場など、シリーズの見所は十分なのですが、こういうのも挟まって来るか、と驚きました。あの『蜘蛛の巣』ですら現代に近い価値観で被疑者をかばったフィデルマさえも、古の神々を重んじている人々には偏見全開だし。

     とはいえ、私はこの『翳深き谷』をトレメインが書いていてくれて良かったなあと思いました。〈修道女フィデルマ〉シリーズで、フィデルマが奉じている古代アイルランドの文化は、現代の価値観に通じるものがあります。そのため、それより古い価値観や外国の価値観に染まった偏見まみれの男性修道士・法律家たちを、フィデルマが正論で叩きのめしていくさまには、いわば「異世界転生もの」における「現代倫理観無双」に通じる、ある種の楽天主義が覗いてしまう瞬間があります(転生先の異世界は多くが中世ヨーロッパの人権意識に基づいているため、現代の倫理観を持った主人公がそこに行くだけで、正論で相手を叩きのめせるというもの。実際にそう出来るかはさておき)。恐らくこのあたりが、歴代の解説者たちがよく述べているフィデルマというキャラクターの「とっつきにくさ」に繋がっているのだと思いますが、やはり彼女といえど完璧でなく、崩落する歴史の影はこの世界にきっちりと忍び寄っていることを示してくれたのが、この『翳深き谷』だと思います。

    『消えた修道士〈上・下〉』
     いっやー、これはすごい。フィデルマものの良さが、全て面白い方向に出ている傑作。まず、大族長がモアン王国を訪れた際、大族長とモアン国王が同時に矢で襲われる、という発端のシチュエーション(謀略小説としてのスリル)。この謎の襲撃者を求めて、エイダルフと共に駆けずり回るプロットの面白さ(冒険小説としてのアクションと面白さ)。そして、こういった謎を全て繋げて、最後に意外な構図を明らかにするフィデルマの推理の面白さ(本格ミステリーとしての魅力)。全てが高いレベルで結実している傑作と言えます。解決編でフィデルマがある言葉を言った瞬間、あまりにもすごすぎて、快哉を上げてしまいました。

     何がいいって、場面転換の豊富さによる、プロットの楽しさです。第一作『死をもちて赦されん』や第六作『翳深き谷』では、国際謀略の部分が、むしろ重苦しく出てしまっているのが気になったのですが、それはシーンの変化があまりないことも寄与していたと思うのです。今回は場面転換のテンポによって、これまでの作品と同じようにスリリングで、ピンチの状況を描きつつも、「軽妙さ」が滲み出てくるような書きぶりになっている気がしました。このシリーズ、意外とシリーズとしての脈絡があり、本書でも、第四作『蛇、もっとも禍し』の文脈を踏まえて、フィデルマが皮肉を漏らす箇所があったりするのですが、そういうのを一切気にしなければ、今から初めて読むという方は、これを長編への入り口にするというのもありなのでは、と思いました。日本で一番最初に訳された『蜘蛛の巣』とかは、さすがに当時ならではの差別意識がキツかったりしますし……。

    『憐れみをなす者〈上・下〉』
     第四作『蛇、もっとも禍し』などでも当時の「船旅」は描かれてきましたが、本作『憐れみをなす者』では、ほぼ全編が船上を舞台とした「船上ミステリー」になっているのが最大の特徴と言えるでしょう。「船上ミステリー」と言っても、アガサ・クリスティー『ナイルに死す』のような、風光明媚な土地への、豪華絢爛な旅をイメージしてはいけません。一歩間違えれば死へ真っ逆さま、女性といえど入浴さえ自由には出来ない、過酷な過酷な船の旅――それこそ「当時」のリアルなのです。下巻に入浴……というより水浴びをするシーンがあるのですが、ここの怖さとかめちゃくちゃ良い。

     上巻の170ページを過ぎてようやく事件が起こるというスローペースな長編ですが、あまりにも俗っぽい動機に塗れた修道士たちの描写や、フィデルマの過去を知るブラザー・キアンの登場なども相まって(フィデルマの若かりし頃が少し描かれますが、現在の完璧超人のような姿とは違うのが印象的)、ぐいぐい読んでいくことが出来ます。血のついた衣だけを残し、消えた修道士……という謎をフックに用いながら、解決編までの約400ページ、二転三転の展開を仕掛けてくるあたりが見事です。エイダルフがいない中の事件ということで、エイダルフファンとしてはやきもきしてしまいますが、船の給仕係の少年、ウェンブリットのキャラクターが良く、渇きを癒してくれます。

     それにしても、この最後の一行……これを読んでから、シリーズファンは二年待っていたわけですねえ。すごい……。

     ということで、時代・歴史小説を読みたい! を出発点に、〈修道女フィデルマ〉全作レビューをお届けしました。どうかしているよ。少し間を開けてから、『アイルランド幻想』を楽しみに読むことにしよう……。また歴史ミステリーが読みたくなったら、今度は積んでいるエリス・ピーターズの〈修道士カドフェル〉シリーズか、ポール・ドハティー〈アセルスタン修道士〉シリーズを読みます。前者は『死体が多すぎる』(光文社文庫)を、後者は『毒杯のさえずり』(創元推理文庫)を読んだきりで止まってしまっているのです。……あれ? 全部修道士だな?

    (2023年4月)



第54回2023.04.14
解かれぬ事件に潜むもの ~〈コールドケース四部作〉、堂々完結!~

  • ヨルン・リーエル・ホルスト、書影


    ヨルン・リーエル・ホルスト
    『警部ヴィスティング 疑念』
    (小学館文庫)

  • 〇最近の仕事情報から

     4月は私が参加しているアンソロジーが2冊出ています。1つ目が、光文社文庫から刊行の『Jミステリー2023 SPRING』。こちらは昨年から春・秋の季刊で刊行されている「全編新作アンソロジー」の第三弾で、メンバーは、東野圭吾、結城真一郎、真梨幸子、白井智之、近藤史恵(敬称略にて失礼します。掲載順)、私の六名です。私は「拾った男」という短編で参加しています。ある深夜、横浜でタクシー運転手が「拾った」男は、「ミステリーはお好きですか?」と問いかけ、「最近読んだ、懸賞金付き犯人当て小説の犯人がわからない」と雑談がてらの相談を始める……という発端の短編です。タイトルのネタ元はチャールズ・ウィルフォード『拾った女』から(傑作ノワール!)。これで阿津川の短編を初めて読むという人もいると思ったので、単体で楽しめるように設計していますが、ファンにはもう一つお土産があるかも。ぜひ。

     2つ目は、『斬新 THE どんでん返し』(双葉文庫)。同文庫から刊行されている〈どんでん返し〉シリーズの最新刊ですが、こちらには「小説推理」に掲載された〈どんでん返し〉短編五編が収録されています。メンバーは、芦沢央、伊吹亜門、斜線堂有紀、白井智之、私の五名。私の短編は「おれ以外のやつが」という殺し屋小説です。ローレンス・ブロック『殺し屋』伊坂幸太郎『グラスホッパー』をやりたい気持ちが暴走して起ち上げたシリーズですが、中身はきちんと本格、それも〈どんでん返し〉を意識しました。こちらもぜひ。

     続いて書評企画の紹介。MRC(メフィスト・リーダーズ・クラブ)のLINE企画「ミステリー・ツアー」において、青崎有吾、伊吹亜門、似鳥鶏、真下みこと、私の五人が、最近面白かったミステリーの話をする書評企画が、3月28日(火)からスタートしています。毎週火・木の配信で、五人で回していくので、2~3週間に1回配信される感じです。私はこの読書日記と差別化も図らないといけないので、「LINEのアンケート機能を使って『次に阿津川に読んで欲しい本を決めてもらう』」という趣向を盛り込みました。みんなで作る書評欄を目指します。こちらはMRCの有料会員(月額550円)限定で、メフィストとのLINE連携も必須のようです。私の第2回は4月18日(火)の配信なので今なら間に合いますし、第1回もアーカイブがMRCサイト内に残るようです。

     また、帯文ですが、実業之日本社から刊行の西村京太郎『殺しの双曲線 愛蔵版』に帯文を寄せています。「新本格」ハマりたての中学生の頃に読んで、あまりの面白さにひっくり返った本だったので、二つ返事で引き受け、意気揚々とゲラで再読したのですが、やっぱり何度読んでも面白い。冒頭の挑戦にもあるように、双子トリックを使った小説ではあるのですが、そのほかにも謎とトリックの乱打といった構成なんですよね。初読時は動機にも驚きました。ちなみに、今回の再読で最もスリリングだったのは、「結末を覚えていなかった」ことで、残りページ数が少なくなるごとに、記憶しているトリックの全てが出てきただけに、「えっ、どう締めるの?」と思ったらそこで……あの瞬間の衝撃と余韻は、正直再読の方が噛み締められた気がします。ちなみにこの余韻を、本格ミステリー的な言葉で言ってみたのが私で、私が本当に言いたかった語感は斜線堂有紀の帯文が捕えてくれていると思います。読了後に読み比べてみてください。

    〇3月の新刊から

     さて、本日の本題はJ・L・ホルストなのですが、ホルストを含め、3月の新刊で良かったものを5冊だけ紹介。他の媒体で取り上げられなさそうなので、ここにまとめて持ってきます。以下がリストです。

    ・麻耶雄嵩『化石少女と七つの冒険』(徳間書店)
    ・ジーン・ハンフ・コレリッツ『盗作小説』(ハヤカワ・ポケット・ミステリ)
    ・ライリー・セイガー『夜を生き延びろ』(集英社文庫)
    ・大場正明『サバービアの憂鬱 「郊外」の誕生とその爆発的発展の過程』(角川新書)
    ・ヨルン・リーエル・ホルスト『警部ヴィスティング 疑念』(小学館文庫)

     麻耶雄嵩『化石少女と七つの冒険』(徳間書店)は、前作『化石少女』(徳間文庫)に続くシリーズ第二弾。前作では、古生物部の神舞まりあと、彼女の「従僕」である一年生男子・桑島彰が巻き込まれる六つの事件を描き、本格ミステリーではタブー視されがちな「偶然」をむしろ積極的に組み込んで、陰謀論めいた推理の構築と破壊を見せてくれましたが、今作ではその魅力がさらにアップデート。第一弾の真相を前提としながら(ちなみに、第二弾は早々に第一弾のネタバレをするので、順番に読むことを推奨します)、ますますスリリングな水面下の争いを描いていて、おまけに早々にパターンを崩してくるので「えっ、何が起こっているの?」とゾクゾクしながら読むことが出来ました(前作に関しては、結末まで読んで狙いを理解するまでは趣旨が掴めず、再読してより楽しめたという記憶がありますが、今回は最初からのめり込めました)。特にもう「禁じられた遊び」が素晴らしいのなんの。青春ものって、「変わっていくこと」と「変わらないこと」の按配が大事だと思っています。前者が苦さを、後者が安心を提供していて、アニメで見るのは後者が重視されたものが多い気がします(原作の漫画も含めて)。だからこそ自分もここにいたいなーという馴れ合いのような、ぬるま湯のような安定感があって浸りやすいのだと思うのですが、たまに「変わっていくこと」でボロクソになるまでめちゃくちゃにされたいという心理が働くんですよね。この二つのバランスがいつもすごいから米澤穂信は神なんだと思っていて……というのはさておき、これを念頭に置いて〈化石少女〉シリーズ二作を振り返ると、この「変わっていくこと」と「変わらないこと」のシーソーゲームを「推理」と「犯罪」のみによって達成した絶好の二作ではと思って無限に興奮します。大好き。

     ジーン・ハンフ・コレリッツ『盗作小説』(ハヤカワ・ポケット・ミステリ)は、スランプに陥ったベストセラー作家・ジェイコブが犯してしまった、プロットの「盗作」をめぐる「倒錯」めいたサスペンス。この表現からピンときた方もいると思いますが、本作は、折原一『倒錯のロンド』『螺旋館の奇想』などを彷彿させるような、めくるめく展開とどんでん返しに翻弄される優れたサスペンスになっています。プロットを盗んだ相手は、小説創作講座の受講生であるエヴァンという男。このエヴァンが死んだ後に、ジェイコブは「お前はエヴァンの作品を盗んだ」という旨の脅迫メールを受け取る……という謎が迷宮への入り口になっていて、読者はこの後、ジェイコブが脅迫者を突き止めようと捜査を進めていくパートと、ジェイコブが盗作して書いた小説『クリブ』のパートを交互に読むことになります。エヴァンという男の像が明らかになっていき、『クリブ』の展開が進むごとに謎は混迷を極める、という次第。これは本当にオチが良い小説で、真相もさることながら、ぬけぬけとしたエピローグに黒い笑いを誘われるような作品です。それにしても、小説家ならだれでも、これを読むと、共感性羞恥で体が痒くなると思うんですが、どうでしょう?(みんな盗作しているとかそういうわけじゃなくて、小説家講座に通っている小説家の卵についての描写とか、「アーッ! アーッ!」と辛くなって仕方がないという話です)。

     ライリー・セイガー『夜を生き延びろ』(集英社文庫)は、映画オタクの女子大学生・チャーリーが、謎めいた男との深夜のドライブをしており、この男が親友を殺した連続殺人犯ではないかと疑っている……というフェイドインのシーンから始まるサスペンス。セイガーは2021年に『すべてのドアを鎖せ』が邦訳されており、これもアイラ・レヴィン原作の映画「ローズマリーの赤ちゃん」を彷彿とさせるような展開が盛り込まれたサスペンスの佳作だったのですが、本作ではもうその映画オタクっぷりが、爆発(笑)。何せ冒頭から「物語は終わりから始まる。フィルム・ノワールの傑作と同じように。」(同書、p.8)と、こうです。そもそも「チャーリー」という名前からして、アルフレッド・ヒッチコック「疑惑の影」の登場人物から名付けられた、という設定なのですよ。年代設定が1991年なので、ヒッチコックやフィルム・ノワールへの言及が多いのも嬉しい限り。で、それがただの饒舌なオタク語りにとどまらず、スリリングな展開にも一役買っています。最後の最後まで、一切油断出来ない傑作サスペンスに仕上がっています。昔の映画の吹替版で好きな声優を思い出しながら、脳内でアテレコすると楽しいですね。私が謎の男・ジョシュを辻谷耕史で脳内アテレコしていたのは、もしかしてヒッチコックの「サイコ」のノーマン・ベイツのせいか? それにしても、この『夜を生き延びろ』も、『盗作小説』も、訳者が鈴木恵だと気付いてびっくり……良い仕事しすぎ!

     大場正明『サバービアの憂鬱 「郊外」の誕生とその爆発的発展の過程』(角川新書)は、スティーヴン・スピルバーグの映画などフィクションを切り口に50年代~80年代のアメリカの郊外文化を論じたもので、1993年に東京書籍で刊行された名著です。今回のこれが30年ぶりの復刊ということになります。サバービア(suburbia)とは、郊外住宅地(suburb)やその住民の生活様式・風俗・文化を意味する言葉です。日本においても、ビジネスや社会学の面から重要な要素として「郊外」が語られ続け、高校でも「スプロール現象」とか「ドーナツ化現象」など郊外化を論じたキーワードを勉強させられるわけですが、アメリカではこの「サバービア」という言葉が、国民感情と結びつく形で大きく発展し、明確なイメージを持って定着してきた……というのがこの本のメインメッセージです。そして、そのアメリカの国民感情と、アメリカ人たちの明確な「サバービア」のイメージを、フィクションから炙り出そうというのが、この評論の狙いなわけです。そう、本書をあえてこの連載で取り上げたいのは、これは郊外文化論に惹かれる人だけでなく、この年代のアメリカの小説が好きな人も絶対に読むべき本だからです。スティーヴン・スピルバーグなどの映画だけでなく、例えば、ジョン・チーヴァー(第7章)、ジョイス・キャロル・オーツ(第9章)、レイモンド・カーヴァー(第13章)、スティーヴン・キング(第15章)、フィリップ・K・ディック(第17章)などの小説からサバービアの描かれ方とその変遷をたどっていくのです。ここに挙げられた作家たちの作品について、サバービアというレンズを通して、作品の解像度が上がったような気がしただけでなく、ヒラリー・ウォーなどの作品世界の理解も深まりました(新書版あとがきには、ギリアン・フリン『ゴーン・ガール』の名前も挙がっており、これまた、頭の中で回路が繋がって、だからああいう設定だったのかと納得する思いでした)。これはもう、折に触れて読み返す一冊になると思います。面白かったぁ。

    〇〈コールドケース四部作〉、堂々完結!

     最後に取り上げるのは、ヨルン・リーエル・ホルスト『警部ヴィスティング 疑念』(小学館文庫)。本書は、本国では2023年3月時点で17作まで刊行されている〈警部ヴィスティング〉シリーズのうち、未解決事件の解決に焦点を当てた〈コールドケース四部作〉と言われるシリーズ内シリーズの第四作にあたる一冊です(以下では、シリーズ名の「警部ヴィスティング」の部分を抜いた形で表記します)。この四部作は、第一作『カタリーナ・コード』、第二作『鍵穴』、第三作『悪意』がこれまでに刊行されており、第一・第二作については読書日記第13回で、第三作については第36回で取り上げていますので、参考にしてください。

     このシリーズ、どれも傑作・良作揃いなのが素晴らしく、〈警部ヴィスティング〉シリーズに通奏低音として流れる静謐な雰囲気の中に、未解決だった事件が動き出すダイナミズムが加わり、おまけに謎解きミステリーとしても毎回面白い展開を見せてくれるのです。本作『疑念』でも、その魅力はいかんなく発揮されています。

     あらすじはこうです。休暇中のヴィスティングは差出人不明の郵便物を受け取る。中にあったのは、「12―1569/99」という数字だけが書かれた謎の紙片。それは昔の事件番号の付け方だった。ヴィスティングは、何者かが、自分に1999年の事件を掘り起こさせたいのだ、と確信する。1999年に起きたその事件では、十七歳の少女、トーネ・ヴァーテランが行方不明となり、二日後に絞殺体で発見されていた。元恋人の男が捕まり、十七年の禁固刑に服している。この事件に、他の真相があったというのだろうか?

     〈コールドケース四部作〉は、未解決事件を捜査する――という点は共通していますが、事件の幕開けについては、毎回異なる手法を用いています。このシリーズの特徴については、各作品の解説において、杉江松恋、三橋暁、吉野仁、池上冬樹がそれぞれの立場から魅力的なフレーズで論じており、更に『疑念』では「訳者あとがき」において中谷友紀子も実に心に沁みる表現で語っています。なので、この読書日記では、あえて謎解きミステリーの文脈に引き寄せて語ってみましょう。

     何年の前の未解決事件を捜査する――というプロットを謎解きミステリーが用いる場合、そこには超えるべきハードルが二つあると思います。①なぜその事件を「今」解くのか(なぜこれまで動きがなかったのに急に今動き出したのか)、②なぜその事件は「今まで」解かれなかったのか。

     まず②について先に言えば、〈コールドケース四部作〉は、このハードルを常に高いレベルで達成しています。ヴィスティングの警官ならではの視点と、名探偵さながらの「別の視点」を投げ掛ける推理によって、今まで事件に関わっていた捜査官が解けなかったのも無理はない、と納得出来る説得力を備えているからです。『カタリーナ・コード』の中盤で明らかになる、些細な物証から読み取れる心理の綾や、『悪意』における新たな物証を手繰り寄せることで現れる共犯者「アザー・ワン」の正体などがそうです。

     そして①については、必然性の問題と言い換えてもいい気がしますが、今動き出したことに積極的な意味がないと、謎解き小説として見た時にご都合的に見えるということです(大山誠一郎の〈赤い博物館〉シリーズのように、未解決事件の証拠品にラベル付けして保管する博物館を設定し、ラベル付け作業の中で名探偵が矛盾点を見いだした事件を拾い上げるという手法で、そもそも①のような疑問を生じさせない構造の作品もあり得るでしょう。大山誠一郎が②の点にも余念がないのはもちろんです)。〈コールドケース四部作〉では、毎回、違った形でこの点にアプローチしています。未解決事件を捜査する際には、捜査官の内的要因でその事件をずっと追い続けている、というのでない限り、何かが掘り起こされるなど、外的要因から捜査を始めることが大半ですが、その手続きが毎回工夫されているのです。

    『カタリーナ・コード』においては、24年前のカタリーナ・ハウゲン失踪事件はヴィスティング自身が追いかけていた事件であり、事件のあった十月十日は毎年、その夫・マッティンの元を訪ねていた(内的要因)。そして24年後の日、夫は異例のことながら留守にしており、その直後、国家犯罪捜査局のアドリアン・スティレルが現れて、26年前の事件の再捜査を行い、その被疑者としてマッティンの名前を挙げる(外的要因A:情報を持つ人物の登場)。この本では、容疑者と警察官の間柄でありながら、旧友のような交歓を持っているヴィスティング―マッティンと、捜査官同士の駆け引きを繰り広げるヴィスティング―スティレルとの二重のシーソーゲームが描かれます。ここで「内的要因」といったのは、捜査官自身の中に、まるでビンの底の澱のように、その事件が残り続けている、という意味合いです。外的要因で動かされるよりも、こういった事件を巧く描けた方が抒情は深まります。

    『鍵穴』では、大物政治家が心臓発作で急逝し、その別荘を訪れたところ、外国紙幣が大量に詰まった段ボールを発見してしまう(外的要因B:何者かが隠していたものが死後に発見される)。汚職に繋がる可能性もある品物だったため、ヴィスティングは極秘捜査を命じられることになる、というプロットです。ここに前作のスティレルも加えながら、更に外的要因として、この別荘が放火に遭い(外的要因C:新たな事件が発生する)、政治家の周囲で起きていた失踪事件が掘り起こされることになります。ここでは、明確な悪意をもって、「今、まさに」動いている他者がいる(外的要因D)、という点が、未解決事件を「今」捜査する積極的な動機付けとなり、プロットの加速化にも作用しています。

    『悪意』は、最もセンセーショナルな幕開けといっていいでしょう。四年前に二人の女性に対する暴行・殺人・死体遺棄の罪で服役したトム・ケルが、三件目の殺人を告白し、「死体を遺棄した場所を教える代わりに、世界一人道的とされる刑務所に身柄を移せ」と要求する。ヴィスティングたちが死体遺棄現場において警戒態勢を敷く中、一瞬の隙をついてトムは走り出し、次いで爆発が起き、トムは逃亡する(外的要因C:新たな事件が発生する)。Cを使っているのは『鍵穴』と同じかもしれませんが、『鍵穴』と異なり、逃亡するトムとの追跡劇が用意されているのが面白いですし、この事件によって、「トムに共犯者がいたのでは」という当時からの疑惑がいよいよ強まり、再捜査の動機付けになっています。外的要因Cを使う場合、①の必然性が犯人の立場からクリアーされているか――要するに、このタイミングで事件を起こす意味はあるのか――などは解決編に至るまで分かりませんが、見事にクリアーされています。

     ここまで、過去三作について振り返る中で、外的要因をA~Dに分類してみました。『疑念』はこのうち、外的要因A(情報を持つ人物の登場)と外的要因D(今まさに、悪意をもって動いている他者がいる)の融合と言えるでしょう。冒頭、ヴィスティングに届けられる謎の紙片――「匿名の手紙」が全ての起点になっているからです。『疑念』の発端がスリリングなのはこの手紙を寄越した人物が、Aのような情報提供者の立場なのか、Dのような悪意を持つ人物なのかが分からない、という据わりの悪さにあります。

     というより、本書は実のところ、この四部作の異色作ではないかと思いました。読み始めた瞬間から違和感があったのです。この匿名の手紙によって未解決事件が動き出すのは確かなのですが、その登場も唐突な気がしますし、過去三作を通じて見事な活躍を見せたヴィスティングの娘でありフリージャーナリスト、リーネが登場するシーンも少ない。そして、1999年の事件について、過去の関係者それぞれの視点から事件の経過を描いたパートが挿入されるのですが、これもこれまでの三作にはなかった特徴です。このシリーズはあくまでも、ヴィスティングの視点から過去を見つめ、関係者から過去を聞き出すことに重きが置かれていて、過去のシーンを直接的には書いてこなかったからです。

     リーネのシーンが減り、過去を直接的に描いた結果、この『疑念』は、明らかに外的な要因によって動き出した事件にもかかわらず、ヴィスティングの内省的な面が強調されているような気がしました。その感覚が正しかったことは、かなり序盤の展開で明らかになりました。あらすじでも伏せられているので詳しくは書きませんが、この後もう一つの事件が絡んでくるのです。そしてその事件は、ヴィスティング自身の「内的要因」に関わる事件でした。つまり、この『疑念』は、内的要因→外的要因Aの順で事件を膨らませた『カタリーナ・コード』の裏返しのような小説(外的要因A・D→内的要因)です。だから異色のような雰囲気がするのだろうか、とそれでも居心地の悪さを覚えながら読み進め、事件の展開と、終盤に用意されたアクションシーンや謎解きそのものには大いに興奮しながら、最後までしこりが残ったような気分でした。しかし、そうでありながら、妙に感動したのです。このないまぜになった感情はなんなのだろう……。謎が解けたのは、最後、「訳者あとがき」に目を通した瞬間です。

    「訳者あとがき」には、『疑念』で描かれる「1999年の事件」は、著者、ヨルン・リーエル・ホルストが刑事だった時代に関わった事件がモデルになっていると書かれていたのです。まさしく1999年に起き、膿んで癒えることのない心の傷になったと著者自身が語る事件なのだ、と(事件そのものは2015年にDNA鑑定により解決している)。

     この情報を読んだ時、「匿名の手紙」に感じた据わりの悪さの正体が分かったのです。「匿名の手紙」の送り主については、『疑念』の作中で明確に解決されますが(この解決も実に良い)、ある意味、あの手紙は、ヨルン・リーエル・ホルストから警部ヴィスティングへの手紙だったのではないでしょうか。自分の中に澱として溜まった事件を、自分の創った刑事に解いてもらうために、出した手紙なのではないかと。それが性急に感じられた理由だし、外から動かされているにもかかわらず、ヴィスティングの行動が冒頭から内省的に感じられた理由でもあるのでしょう。これは「ヴィスティング自身の事件」であると同時に、どうしようもなく、「ヨルン・リーエル・ホルスト自身の事件」でもあるのです。つまり、『疑念』においては、コールドケースを解くことが、ヴィスティングが事件の裏に隠された人の声を掘り出す意味を持っているだけでなく、ヨルン・リーエル・ホルスト自身の自己回復の物語としても機能していることになります。だからこそ、この結末がこんなにも胸を打つのです。

     楽しみにしている新刊については、帯・あらすじ・あとがきに先に目を通すことなく、まっさらな気持ちで読むことにしているので、これが著者自身の経験に基づいているということを読み終わるまで知らずに読みました。究極のところ、著者の個人的なことなんて読者は知らなくてもいいと思うし、著者も全部を語らなくてもいいと思っているのですが、こればっかりは、「訳者あとがき」のエピソードを読んだ瞬間に、「ああっ!」と腑に落ちる思いがあったので、無粋かとは思いながら、こういう切り口で書いてみました。

     このシリーズ、〈コールドケース四部作〉に含まれない邦訳作『猟犬』(ハヤカワ・ポケット・ミステリ)も面白かったので、今後もぜひとも邦訳して欲しいところです。警部ヴィスティングの、心に沁みるミステリーを、まだまだ堪能したい!

    (2023年4月)



第53回2023.03.24
新ミステリーの「女王」、新たなる羽ばたき ~マシュー・ヴェンの冒険、のっけから最高潮~

  • アン・クリーヴス、書影


    アン・クリーヴス
    『哀惜』
    (ハヤカワ・ミステリ文庫)

  • 〇今回も雑誌の話題を少し

    「小説宝石」3月号の特集「話題作家が描く「お金と人」」からは、エピソードの積み重ね方と、登場人物たちの会話劇、お金に対する浅ましい気持ちをしっかり書きながら突き放しはしない筆致が好きだった一穂ミチ「特別縁故者」と(なんだか無性に雑煮が食べたくなるところとかめちゃくちゃ良い。あと冒頭の麻雀アプリの広告の描写)、作中で「未来の自分が復讐しにやってくる」と怯えていた少年が語った意外な理由から、タイムトラベルのパラドックスに対する解答まで、軽妙なテンポで描かれた松崎有理「未来人観光客がいっこうにやってこない50の理由」が特にお気に入りです。生々しい特集名なのに、ホッとするような短編が入っていたのが嬉しかった。

    「小説新潮」3月号の特集は「SNSのある時代」。SNSをテーマにした各種短編が並びますが、かなりバリエーションに富んでおり、それぞれが心の柔らかいところを抉って来る短編だったので一冊丸ごと楽しく読めました。特に好きなのは、VTuberの熱愛疑惑をきっかけに起きた殺人事件を描き、Vの世界ならではの痛みを抉り出しながら、悪意に満ちた構成を仕込んだ浅倉秋成「かわうそをかぶる」と、「ラーメン評論家」(!)を題材として、ラーメン小説として抜群の読み応えを見せながら、SNSのある時代特有の閉塞感と生きづらさを照射してくれる柚木麻子「めんや 評論家おことわり」。ちなみに「小説新潮」では現在、酒井順子の評論「松本清張の女たち」の連載が行われていて、今まであまり強調されてこなかった、松本清張が描いてきた女性像についての分析が克明に行われています。今回も『人間水域』に関する指摘が素晴らしいです。清張ファンはご注目を。

    〇観劇の話も少し

     先日、「特殊ミステリー歌劇「心霊探偵八雲」-思考のバイアス-」を観劇してきました(2023年3月2日~3月21日、池袋のMixalive TOKYO Theater Mixaにて)。原作者である神永学先生のご招待だったのですが……中学生の頃、クラスで〈心霊探偵八雲〉シリーズを布教していた人間だったので、私からすると殿上人の一人ということで、緊張しきりでした。とまれ、劇のほうは、神永ミステリーの代表シリーズ二つ、〈心霊探偵八雲〉と〈確率捜査官〉シリーズのクロスオーバーがなされた『心霊探偵八雲 INITIAL FILE 魂の素数』を原作にしたもので(ちなみにこのクロスオーバー第二作『心霊探偵八雲 INITIAL FILE 幽霊の定理』に帯文を書かせてもらっています)、ミステリー的なアイテムや展開は踏襲しつつ、歌やダンスを大胆に投入した作品になっていました。劇場に入った瞬間から驚かされた、原稿用紙の升目を象ったような立方体状のオブジェが、舞台の展開に従って開かれ、畳まれ、舞台装置として機能していくところには、実に奇妙な緊張感が漂っていて、舞台って立体なんだなあという思いを新たにしました。歌劇ということで、俳優陣の歌の上手さもすごかったですし(刑事たち三人がめちゃくちゃ強い)、八雲が「いや、このまま放っておくと歌いそうだから」とメタなツッコミを繰り出すところなんかもクスッときました。普段なかなか劇を観に行かないので、面白い機会だったなあと思い、記憶に留めておこうと筆を執りました。

    〇〈マシュー・ヴェン〉シリーズ、最初から最高潮!

     さてさて、前置きが長くなりました。

     第50回で、アン・クリーヴスの〈シェトランド四重奏〉シリーズの全8作レビューをしたとき、「アン・クリーヴス邦訳全作レビュー(仮)」と銘打っておきました。(仮)としたのは、嬉しいことに、3月に早くも新たな邦訳作『哀惜』(ハヤカワ・ミステリ文庫)が出るという情報を目にしていたからです。

    『哀惜』の原書刊行年は2019年。〈シェトランド四重奏〉の最終作『炎の爪痕』の原書刊行が2018年です。つまり『哀惜』は、〈シェトランド四重奏〉で現代ミステリーの様々な可能性に挑戦してきた彼女の技術を全て積載した、新たな傑作シリーズの幕開けとなっているのです。

     本書の舞台はノース・デヴォン。本書冒頭に置かれた「親愛なる読者へ」によれば、著者が子供時代の大半を過ごした土地であるという。かつてのふるさとである美しい地で、彼女はどんな物語を紡いだのか。その期待に応えるかのように、著者は海岸で発見された死体と、その海岸で啼く鳥の声――原題通りの “The Long Call” の情景から物語の幕を開けます。

    〝沼地に着くと空が開け、マシューの気分も上向いた。いつもそうだ。もしマシューがいまも全能なる神を信じていたなら、こうした空間や光への自分の反応を宗教的な体験と思ったことだろう。先の冬は雨が多かったため、水路も貯水池も満水で、カモメやしょうきんるいを引き寄せていた。平地はまだ冬の色彩――灰色、茶色、オリーブ色――のままだった。ここから海は見えないが、車を降りればにおいを感じることはできる。嵐が来ていれば音も聞こえる。ソーントンの村へつながる何キロもの海岸で砕ける波の音が。〟(『哀惜』、19ページ)
    〝マシューはうなずき、車を進めた。窓をあけたままにしておいたので、今度こそほんとうに打ち寄せる波の音が聞こえた。セグロカモメの啼き声も。博物学者が〝長鳴き〟と呼ぶ声で、言葉にならない苦痛のうなりのように聞こえると、マシューはいつも思っていた。故郷ならではのノイズだった。〟(『哀惜』、21ページ)

     第50回でもお気に入りの表現を引用してさんざん語ったのですが、やはりもう、冒頭から情景描写が良すぎるわけです。著者と同じようにマシューの故郷をノース・デヴォンに設定したことで、ノスタルジックな色まで全編に漂っていて、これがまたなんともいえない魅力になっています。また、〝長鳴き〟に関する「言葉にならない苦痛の唸りのように聞こえる」というさりげなくも不吉な描写が、本書の通奏低音になっているのも見逃せないでしょう。

     本書で描かれるのは、一言で言えば、マイノリティーの物語です。冒頭から早々にマシュー・ヴェンの顔見せを済ませた作者は、続く2章で、モーリス・ブラディックとルーシーの親子を紹介します。ルーシーはダウン症を抱えた三十歳の女性で、モーリスは八十歳。ソーシャルワーカーからは、ルーシーを自立させなければならないと言われている。障害を抱える子供を育てる親の苦悩を描いているのです。そして、このルーシーが、いつもバスで会う男の人がいなかったとモーリスに語ったあたりから、この謎の男に対する興味が生まれ始めます。この静かな事件の起ち上げ方も、なんと巧いことか。

     知的障害を抱えたまま、大人になった女性。社会は残酷で、そうした人々を悪人や性犯罪者が食い物にしようとする。彼女たちの周囲で、次なる事件が起こってから、事態は急変します。マシュー・ヴェンもある理由で窮地に立たされ、彼と共に捜査を進める女性刑事のジェンも、静かな怒りを蓄えていくことになります。知的障害を抱えた人物を重要人物として配することは、著者が既に『大鴉の啼く冬』で試みた趣向ですが、『大鴉~』では、その人物の視点に入っていって、彼の心理を柔らかに紡ぎつつ、「信頼できない語り手」の物語に仕立てていたのに対し、『哀惜』では老境の親の視点から描くことで、より社会派ミステリーの味わいが際立ったと言えます。

     そして、モーリスとルーシーを巡る物語の裏面には、アン・クリーヴスが〈シェトランド四重奏〉シリーズで一貫してこだわり続けた、「被害者の物語」がぴったり張り付いています。調べれば調べるほど、焦点がぼやけていくような気さえする、被害者の男の物語。彼は何を思い、何を考え、何をしようとし、死に至ったのか。「被害者の物語」を解き明かすことによって、事件の霧も少しずつ晴れていくのです。いわゆる本格ミステリーとしては、〈シェトランド四重奏〉シリーズに軍配が上がるかもしれません。しかし、謎解きも全く手が抜かれているわけではありません。事件の背後に隠れていた真実が少しずつ明らかになっていくたびに、事件の様相が変わっていくクライマックスはたまりません。邪悪なものに立ち向かうという意味で、警察小説としての強度が〈シェトランド四重奏〉シリーズより格段に増していると言えます。

     それよりも、本書の最大の美点は、アン・クリーヴス独特の静けさや、抑制の効いた描写によって、マシュー・ヴェンという男の肌触りを徹底的に作り上げてきたことによって生み出される、後半の落差にあるでしょう。たとえていうなら、今まで、乾ききっていた男の肌に、サッと青筋が浮き、その怒りの脈動をひしひしと感じられるような、そんな展開が待ち受けているのです。これが、捜査小説としてのダイナミズムとも完璧に連動しているので、思わずのめり込んでしまいます。あまりにも素晴らしい。これほどまでに、世の非情に、やるせなさに、怒る男の呼吸が聞こえる小説を読んだのは久しぶりです。ヒラリー・ウォーの『失踪当時の服装は』の中盤、姿を消した女性のパーソナリティーが明らかになるごとに、主人公たちの怒りのボルテージが上がっていき、捜査に活が入るシーンに、鮮烈な感動を覚えたことを、ひしひしと思い出しました。

     本書を「マイノリティーの物語」と言ったのには、もう一つ理由があります。本書はLGBTの物語でもあるからです。マシュー・ヴェンはジョナサンというパートナーがおり、彼とのライフイベントが、シリーズ第一作にしてかなりのウェイトで描かれていきます。〈シェトランド四重奏〉シリーズでは、事件そのものの展開と、ジミー・ペレスの物語の重ね合わせは第四作の『青雷の光る秋』で頂点を迎えた感がありましたが、新シリーズとなる『哀惜』では、第一作からフルスロットルなのです。ここまでやっちゃって、いいの? というくらい。

     アン・クリーヴス、またしても、楽しみで仕方がないシリーズを始めてくれました。これからの動向にも期待しかありません。やっぱり、大好きだ!

    (2023年3月)



第52回2023.03.10
大いなる山に捧ぐ情熱 ~山岳ミステリー小特集~

  • 岩井圭也、書影


    岩井圭也
    『完全なる白銀』
    (小学館)

  • 〇雑誌の話題

     3/7頃発売の「本の雑誌4月号」にて、「図書カード三万円分使い放題!」の企画に参加させていただいております。「本の雑誌」に頼まれてもいないのに、本屋で三万円分本を買い続けるやつをやっていたら、本当に依頼をいただいて嬉しくなりました。本を買わせていただいたのは、神保町の東京堂書店。中高が神保町の近くにあったので、中学の頃からこの町に入り浸りだったのです。ミステリーから純文学まで、色んな本を買わせていただいたので、選書リストはぜひ雑誌でお確かめください。この企画の原稿を書く前に、過去の「図書カード三万円分使い放題!」の原稿を色々読み直したのですが、やはりミステリー者には有栖川有栖や米澤穂信の原稿がアツいですね。個人的にめちゃくちゃ嬉しかったのは青柳碧人回で、ランドル・ギャレット『魔術師を探せ!〔新訳版〕』を私の帯がきっかけで買ってくださっていたからです。こういうのってめちゃくちゃ嬉しい……。

     ここで前回予告した通り、ちょっと雑誌短編の話を。「メフィストVOL.6」では、推理公募企画の「推理の時間です」がスタート。六名の作家が二名ずつ、フー、ハウ、ホワイの謎を作り、それをMRC(メフィスト・リーダーズ・クラブ)の会員が解いて応募するという趣向です。初回はフーダニットで、法月綸太郎「被疑者死亡により」と方丈貴恵「封谷館の殺人」が収録されています(ちなみに、問題編のみが雑誌に収録、解答編は2月中旬にMRCの会員サイト内にアップロードされました)。

     前者はご存知法月綸太郎の冒険譚で、今回のテーマは交換殺人。『キングを探せ』「宿命の交わる城で」(『犯罪ホロスコープⅡ』収録)など、交換殺人テーマの法月作品にはとかく傑作が多いので今回も期待して読み、その期待は裏切られませんでした。挑戦状前に綸太郎が発する質問で、アッ、とすべての謎がほどけていって、気持ちよく解くことが出来ました。後者は膨大な手掛かりと意味深長な挑戦状の文言にニヤリとするフーダニットで、私は一つ手掛かりの解釈を埋められず、結局解答を提出出来なかったので、悔しい思いをしました。手数の多さが楽しい一編です。今回はフーダニットということで、解答も作りやすかったですが、ハウとホワイはどのようにプレゼンテーションされるのか。今から読むのが楽しみな企画です。

    〇そこに「何」があるのか?

     突然ですが、山を描いた小説を読むのが好きです。理由は三つあって、一つ目は、自分では絶対に登れないから。体のこともあるので、体験は出来ないにしても、小説を読めばその興奮や恐怖を少しでも味わえる気がするのです。二つ目は、ノンフィクションのドニー・アイカー『死に山 世界一不気味な遭難事故《ディアトロフ峠事件》の真相』(河出書房新社)のように、山を舞台にした事件や事故の話には心をゾクゾクさせるものが多いからです。それゆえに、山岳ミステリーにも傑作・良作が多い。

     もう一つの理由ですが、奇しくも、先月刊行されたばかりのノンフィクションに、私の感覚に近い表現が出てきたので、参照してみましょう。これはマーク・シノッド『第三の極地 エヴェレスト、その夢と死と謎』(亜紀書房)という本で、1924年、エヴェレストを目指して二度と戻らなかったジョージ・マロリーとアンドリュー・アーヴィンの謎を描いています。マロリーの死体は1999年、エレヴェスト北面の急斜面から発見され、冷凍保存されて75年前の姿そのままで発見されました。アーヴィンはどうなったのか。それこそが最後に残った謎で、ジャーナリスト・冒険家・登山家である著者は、アーヴィンの遺体捜索チームに参加し、エレヴェストに登っていくことになります。

     引用するのは、マーク・シノッド本人が書いた部分ではなく、訳者である古屋美登里が書いた「訳者あとがき」です(ちなみに本書を手に取ったのは、亜紀書房×古屋美登里訳のノンフィクションは、デイヴィッド・フィンケル『帰還兵はなぜ自殺するのか』『兵士は戦場で何を見たのか』、カール・ホフマン『人喰い ロックフェラー失踪事件』など、どれも傑作で、絶対にハズレがないからです)。

    “のっけから過酷な自然の猛威に襲われる登山家たちの姿が描かれる。それから後の展開を、私は寝食を忘れて読み耽った。登山家たちがなぜ危険を承知でエヴェレストという最高峰に登りたがるのか、なぜそこまでこの山に惹かれるのか、初めて読んだとき、山に疎い訳者には戸惑うことが多かった。それなのにこのノンフィクションを訳したいと思ったのは、地上とはまったく異なる環境条件のなかで、自分の命を担保にしてまでも高い山へのぼうろとする人々の動機やその理由を知りたかったからだ。かの有名な「そこに山があるから」という答えではとても納得できなかった。
     孤独のなかで強大な自然と抜き差しならない対決をする人が、いったいどんなことを考えているのか知りたかったからである。”(同書「訳者あとがき」、p.534)

     まさに、登山する人々が考えていることを「知りた」い。これこそが三つ目の理由です。果敢な挑戦に挑む人々を尊敬するからこそ、「そこに『何』があるのか」を知りたい。

     マーク・シノッド『第三の極地』は、その欲求を大いに満たしてくれる、骨太のノンフィクションです。山を舞台にしたミステリーでは、少数のグループ、あるいは一人か二人で山に挑むプロットが多くなりがちですが、『第三の極地』で描かれるのは、遺体の「捜索隊」です。大勢のグループであるがゆえに起こる山での問題、百年前の歴史的事件を扱うがゆえに起こる国際的な問題。様々な問題を網の目のように描くシノッドの筆致は冴え冴えとしながらも、山に関わる全ての人々への愛情に満ちています。

     1924年のマロリー、アーヴィンたちと現在の自分たちを交互に描きながら、エレヴェストに惹かれる人々の謎を描いていくのが面白く、特に心揺さぶられたのは、第二部から第三部への展開でした。エピソードによって、人物像が変わっていく瞬間の、哀しくも冷たい肌触りに、また一つ、本を通じて登山家のことを知ることが出来た気がしました。

    〇山岳冒険小説の新たなる雄!

     さて、そんな話から始めたのは、岩井圭也『完全なる白銀』(小学館)に触発されてのことです。雑誌「STORY BOX」での連載時から、山岳小説だと注目していたのですが、これはまとめて読みたいと思って、単行本化を心待ちにしていたのでした。

     あらすじはこうです。登山家リタ・ウルラクは、「山頂で〈完全なる白銀〉を見た」という言葉を遺して、冬季デナリ(北米最高峰の山)に姿を消した。しかし、彼女が撮影した写真が理由となって、「リタは登頂していないのではないか」「彼女は〈冬の女王〉ではなく〈詐称の女王〉だ」と、リタはマスコミに誹謗中傷を受けることになった。日本人のカメラマンである藤谷緑里は、リタの幼馴染のシーラと共に、リタの身の証しを立てるためにデナリに挑む。

     このあらすじを見て、栗城史多のことを思い出す人もいるでしょう。「七大陸最高峰単独無酸素登頂」を目指した登山家で、エヴェレスト登頂をインターネット中継するとして注目を集めた方ですが、2018年5月21日に滑落死を遂げてしまいます。メディアを利用した「エヴェレスト劇場」を展開した、ということもあり、メディアと登山の関係性を考える時には必ず思い出される名前です。

     ここで、挙げたい書名があります。2020年11月に刊行された、河野啓『デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場』です(2023年1月に文庫化〈集英社文庫〉)。第18回開高健ノンフィクション賞を受賞した作品で、栗城がなぜ登るのか、どういう人物だったのか、という謎をクローズアップした傑作です。ここでこの書名を挙げたのは、この本が『完全なる白銀』の「主要参考文献」に入っており、インタビューにおいても、『デス・ゾーン』との「出会い」が語られているからです。

    “この本(※『デス・ゾーン』のこと)は登山家について書かれたものでありながら登山シーンは限定的で、その代わりに〝栗城さんは何物だったのか?〟という謎を巡る文章で埋め尽くされていました。そうか、こういう書き方もあるんだ、とインスピレーションをもらったんです。これまでの山岳小説は登山シーンや山岳アクションがメインで、なぜ登るのかという動機や、登る中で何を考えているのかといった心情描写はサブの要素とされがちでした。そのバランスを、逆転させる。”(「STORY BOX」2023年3月号、p.75。「熱血新刊インタビュー第116回 なぜ登るのか 岩井圭也×『完全なる白銀』」より)

     この言に、『完全なる白銀』の美点が全て現れています。ここでは、山に登る、という行動に、ロマンや憧れと言った感情だけでなく、友の真実を明らかにするという、明確な動機が重ね合わせられているのです。読者にリタという人物像を明らかにしていき、リタの登頂の真偽に揺れる緑里とシーラの心理を克明に描写することで、山中行の一歩一歩に、濃厚なエモーションが乗っているのです。『完全なる白銀』と時を同じくして、「なぜ山に登るのか」を克明に描くという共通の志を持ったマーク・シノッドの『第三の極地』を読むことが出来たのは、かなり面白い体験でした。

     では、「これまでの山岳小説」のような「登山シーンや山岳アクション」は楽しむことが出来ないのか? いや、決してそうではありません。描写の一つ一つが、徹底したリアリズムに基づいていることにも嘆息します。まさに一歩一歩踏みしめるような読み心地です。ピンチの描写も手に汗握ります。中でも、地球温暖化と絡めて、登山中の排泄物の問題などにさりげなく触れてみせるところなどは、山岳小説でも、あまり例のないシーンなのではないでしょうか。

     山岳小説を初めて読む、という人も、のめり込んで読むことが出来ると思います。これほど熱い山岳小説であるにもかかわらず、300ページ台という、引き締まった長さなので、一気呵成に読んでしまいました。

     特に好きなのは、主人公がカメラマンであり、その師匠である柏木とのシーンでの会話劇や、カメラマンだからこそ抱ける直感の描写が素晴らしいこと。この設定がラストシーンまでしっかりと生きてくる。シーラが温暖化で消えつつある村、サウニケの出身であることも、山岳との対比で明瞭に生きていて、設定の一つ一つが余念なく配置されていると感じられました。

     なぜ山に登るのか。頂上に何があるのか。それを知りたいという思いにも、小説の力で応えてくれるような作品でした。それにしても、あの大傑作『神々の山嶺』夢枕獏から推薦文をもらっているのが素晴らしすぎる。「STORY BOX」3月号に、北上次郎による書評が載っているというのも、胸を熱くさせます。山岳冒険小説の新たなる雄として、最初の一冊としても素晴らしい『完全なる白銀』。私は岩井作品では『文身』『水よ踊れ』『竜血の山』が特に好きでしたが、『完全なる白銀』は、早くも新たな代表作になる予感がしています。ぜひ。

    〇蛇足ながらの「山岳ミステリー小特集」

     ここで『完全なる白銀』に触発されたのもあって、「山岳ミステリー小特集」を組んでみようと思います。まあ、私が好きな作品を続々挙げるだけです。

     まずは松本清張「遭難」(『黒い画集』収録)。最初からクライマックスなのですが、もうとにかく山岳ミステリーではこれが一番好き。北アルプスの鹿島槍ヶ岳に三人で登り、遭難し、一人が亡くなる。その家族が生存者のもとを訪れ、「遭難現場を訪れたい」と申し出る……という筋の、200ページほどの中編なのですが、読者自身も山に登っているような気持ちになり、息苦しくなるような、緊密な描写が素晴らしい逸品。この描写が、行動を淡々と積み重ねていくことによって、心理の綾を浮かび上がらせるようになっていて、山の空気の中に、殺意と悪意が静かに染みわたっていく感じがたまりません。この小説は展開そのものが面白い作品なので、これ以上の前情報を入れずに読んでみてください。

     次に挙げるのは、その「遭難」を書くために、松本清張が意見を求めたという登山家が書いた小説です。それが、加藤薫の短編小説「遭難」。自らの命を賭けて山に登っていた作者だからこそ書ける、遭難の生存者の心理が胸に迫る作品です(加藤薫の小説をこれで気に入ってしまい、スキー小説である『雪煙』(文藝春秋)も古本屋で探してしまいました)。加藤薫の「遭難」は現在、アンソロジー『闇冥 山岳ミステリ・アンソロジー』(ヤマケイ文庫)で読むことが出来、同書の収録作は、松本清張「遭難」、加藤薫「遭難」の他、新田次郎「錆びたピッケル」森村誠一「垂直の陥穽」。新田次郎は測量の世界を描いた『劒岳〈点の記〉』(文春文庫)が好きです(これだけミステリーからは外れますが)。森村誠一は『密閉山脈』(光文社文庫)なども素晴らしく、やはり山岳ミステリーの名手ですよねえ。なんて充実した顔ぶれのアンソロジー。

     この『闇冥』の四編を選出したのは、自らも山岳小説の名作を生み出している馳星周。そんな著者の作品から、ここでは『蒼き山嶺』(光文社文庫)をピックアップ。これはA地点からB地点に辿り着くことが物語の背骨となる、冒険小説の骨法を山岳で描いたうえ、警察から追われる公安刑事をメインキャラクターに据えることで、見事なサスペンスを生み出す傑作。極厚で圧倒的な山岳小説……例えば『神々の山嶺』を、大きく、たくましい体を持つ熊に相対した畏れを感じるような小説だとすれば、研ぎ澄まされた構成で魅せてくれる『蒼き山嶺』は、引き締まった狼の体の美しさに惚れ惚れとするような小説です。ちなみにもう一冊欲張って馳星周の山岳小説を挙げるなら、霊山を舞台にしたノワールである神奈備かむなび』(集英社文庫)もオススメ。

     大倉崇裕の名も挙げざるを得ません。『聖域』(創元推理文庫)『凍雨』(徳間文庫)など、謎解きに注力した良作から、山岳アクションが充実した逸品まで、多くの山岳小説を発表している作者ですが、ここであえて挙げたいのが「未完の頂上ピーク」(『福家警部補の追及』〈創元推理文庫〉収録)です。著者の代表作であり、「刑事コロンボ」式の倒叙ミステリーを追及し続けてくれる〈福家警部補〉シリーズの一編ですが、こちらは登山家が犯人となる中編です。つまり、山岳ミステリーの名手である著者の手によって書かれた、登山家による犯罪を描いた倒叙ミステリー。面白くないわけがないのです。ディティールの細かい物証や証言から犯人を追い詰めていくいつもの手際も見事ながら、「未完の頂上」で最も素晴らしいのは、最後の決め手です。容赦なく、しかし惚れ惚れとするような投了図。

     高村薫『マークスの山』(新潮文庫)真保裕一『ホワイトアウト』(新潮文庫)といった言わずと知れた名作なども読み逃せませんし、なんと傑作が多い分野であることか……(詠嘆)。ヤマケイ文庫も、阿部幹雄『生と死のミニャ・コンガ』、羽根田治『ドキュメント 単独行遭難』などなど、サークルの先輩の薦めで読んで、ある種、ミステリー的な欲求を満たすことが出来た本が多くあります。ちなみにそのサークルの先輩は、吉村昭が大好きなのです。彼がヤマケイ文庫にハマるの、めちゃくちゃ分かる。

    (2023年3月)



第51回2023.02.24
新刊詰め合わせ ~それと、誰得すぎる2022年雑誌短編傑作選~

  • アン・クリーヴス、書影


    カトリアナ・ウォード
    『ニードレス通りの果ての家』
    (早川書房)

  • 〇最近の仕事情報

     実業之日本社の雑誌「FORWARD Vol.6」(2月27日頃発売予定)に、中編「賭博師は恋に舞う」の前半が掲載されます。この中編、あまりに長くなりすぎて、後半はweb J-novelに分割掲載されるということになってしまいました(後半の掲載は3月中旬を予定しているようです)。同誌でコツコツと書いていた、〈九十九ヶ丘学園〉シリーズの第三作で(第一作は「RUN! ラーメン RUN!」、第二話は「いつになったら入稿完了?」)、今回は円居挽の〈ルヴォワール〉シリーズや、青崎有吾が「野生時代」で連載している「地雷グリコ」のシリーズに憧れを抱いて、いよいよギャンブル物を書いてみました。消しゴムで作ったトランプ(!?)を使って、昼休みにポーカーに勤しむおバカな男子高校生たちのバトルを描いたコンゲームです。駆け引きにはこだわりましたが、バカです(笑)。

    〇ここ三カ月の新刊紹介

     しばらく読書日記で最近の新刊の話が出来ていなかったので、2022年11月~2023年1月の間の新刊を、ピックアップして紹介しておこうと思います。絞りに絞って7冊。以下がリストです。

    ・エレノア・キャトン『ルミナリーズ』(岩波書店)
    ・ロビン・スティーヴンス(著)&シヴォーン・ダウド(原案)『グッゲンハイムの謎』(東京創元社)
    ・ステイシー・ウィリンガム『すべての罪は沼地に眠る』(ハヤカワ・ミステリ文庫)
    ・アマンダ・ブロック『父から娘への7つのおとぎ話』(東京創元社)
    ・チャック・パラニューク『インヴェンション・オブ・サウンド』(早川書房)
    ・ピーター・スワンソン『だからダスティンは死んだ』(創元推理文庫)
    ・カトリアナ・ウォード『ニードレス通りの果ての家』(早川書房)
     では、いきます。

     エレノア・キャトン『ルミナリーズ』(岩波書店)は700ページ二段組という超重量級の佇まいに思わず慄いてしまう、2013年ブッカー賞受賞作となったミステリー作品(ちなみに佇まいだけでなく値段も凄い)。19世紀ニュージーランドが舞台になっていることもあり、どこか大時代的な、のったりとしたテンポに浸れる本です。ウィルキー・コリンズの『月長石』を思わせるのは、時代設定が理由でしょうか。中盤に用意された法廷劇には思わず手に汗握ります。とはいえ、ミステリーというよりは、現代文学の味が濃い作品であり、帯文にある「ラスト2頁に全ての運命が収束する」という言葉も、ミステリー的な衝撃というよりは、登場人物たちに思いを馳せる感動の意味合いの方が大きいです。ちなみにこのラスト2ページだけ手っ取り早く読んで、読んだふりをしよう! とか思ったとしても、あの2ページだけ読んでも全く意味が分からないというシロモノなので、あしからず(笑)。

     ロビン・スティーヴンス(著)&シヴォーン・ダウド(原案)『グッゲンハイムの謎』(東京創元社)は、2022年に刊行された『ロンドン・アイの謎』の続編にあたる作品ですが、作者・ダウドの逝去により、ロビン・スティーヴンスが書き継いだ、という形(このあたりの事情は「作者あとがき」に詳しい)。とはいえ、他者が書き継いだとはとても信じられないほど、テッドたちの言動は生き生きと、しっかりと『ロンドン・アイ』と地続きに描かれていて、また彼らの冒険に立ち会える興奮を味わえる一冊でした。青系統の表紙である『ロンドン・アイ』と赤系統の『グッゲンハイム』と、対照的な装丁も素晴らしく、並べて持っておきたくなる作品。

     ステイシー・ウィリンガム『すべての罪は沼地に眠る』(ハヤカワ・ミステリ文庫)は、父が犯したとされる20年前の連続殺人が、現代によみがえって……という筋立てのサスペンス。ここまではありがちですが、冒頭の描写も含めて、女性がこの社会で生きる上で常に感じている恐怖にフォーカスを合わせ、そこをしっかり掘り下げているのが好印象。しっとりしたカリン・スローターといった読み心地。なぜ過去の殺人が「今」蘇ったのか、という理由づけもしっかりしていますし、真相隠しのテクニックにも思わずニヤリ。中盤、主人公がある理由で警察官に全然信じてもらえないのですが、このあたりのエピソードのイヤさもツボでした。

     アマンダ・ブロック『父から娘への7つのおとぎ話』(東京創元社)は、父親がかつて書いた7編のおとぎ話が収められた本を手掛かりに、幼い頃家を出ていってしまった父親を探す……という物語。この「7編のおとぎ話」は、各編が6ページくらいの短いファンタジーなのですが、この7編がそもそもショートショートとして良く出来ていますし、これらが当時の父親の心情を鏡のように映したり、父親探しの手掛かりになったりしていくなど、展開も工夫されていて読む手が止められない。第二部から第三部の展開には思わず「おおっ」と声が漏れましたし、第三部の会話劇にはグッと引き込まれました。ファンタジーもミステリーも好きな人、最近だと、フランシス・ハーディングが好きな人にオススメ。

     チャック・パラニューク『インヴェンション・オブ・サウンド』(早川書房)は、実に18年ぶりとなる著者の邦訳新刊! 言わずと知れた名作『ファイト・クラブ』、ノンストップで破滅に向けて堕ちる『サバイバー』、死の歌を描いた『ララバイ』など、とかく傑作揃いのパラニュークですが、最新作も凄いぜ。音響効果技師のミッツィと失踪した娘を探し続けるゲイツ。それぞれにクセがありすぎる語りを繰り出すこの二人の人生が交差した時、も~とにかく酷いことがハリウッドに起こる。本当に酷い。読者を切りつけてくるような切れ味のある文体は健在ですし、250ページを一気に読み通してしまうグルーヴ感も最高。訳者あとがきには短編集 “Haunted” の刊行が予告されていますが、これには「はらわた ――聖ガット・フリー語る」(ミステリマガジン2005年6月号収録)が収録されているはず。朗読ツアーで音読されると何人もの失神者が出たことで知られるヤバい短編です。ハッハッハ。ちなみに私は読んだ後、あまりに気分が悪くなって、しばらく「あるもの」が食えなくなった。男性諸君は必ずそうなる。いや、男性でなくてもそうなる。

     ピーター・スワンソン『だからダスティンは死んだ』(創元推理文庫)は、現代サスペンスの旗手であるスワンソンの邦訳五作目。いい刊行ペースで紹介されるので実に楽しい。今回は、ホームパーティーに誘われたヘンと、招待主であるマシューの二視点を行き来するサスペンスで、ヘンがマシューの家で、二年半前に起きた殺人事件の証拠を見つけてしまう冒頭もさることながら、次いで第二章で早くもマシューの視点を投入し、緊迫感を高めていく手法が効いています。スワンソンの作品では『そしてミランダを殺す』に匹敵するほど楽しませてもらった一作ですし、序盤・中盤・終盤と、サスペンスのツボを押さえたシーソーゲームが実にスリリング。2023年夏に邦訳刊行が予告されている ”Eight Perfect Murders” も実に楽しみ。スワンソンは、今作でも『大聖堂』や『時の娘』など過去の名作にさりげなく言及していますし、『アリスが語らないことは』では古書店が出てきてその傾向が深まるなど、過去作品への目配せや、そういうタイトルの忍ばせ方が上手い作家です。そんな作者が、フランシス・アイルズやアイラ・レヴィンなどの名作八作をモチーフに書くミステリーなのですから、これは面白くないわけがないでしょう。

    〇恐ろしく、そして哀切な……

     カトリアナ・ウォード『ニードレス通りの果ての家』(早川書房)は、英国幻想文学大賞、ホラー部門オーガスト・ダーレス賞などを受賞した幻想ホラー作品ですが、ヘンなミステリーが好きな人にもぜひ勧めたい逸品。とはいえ、解説で千街晶之が指摘している通り、非情に紹介が難しいタイプの作品なのは間違いありません。

     語り手の一人目はテッド・バナーマンという青年。彼は娘のローレンと猫のオリヴィアと共に暮らしてくるのですが、11年前に起きた「アイスキャンディの女の子」の失踪事件以来、不穏な生活を送っている男。何せ、天井裏に「緑色の少年たち」がいるとか言い出すし、カウンセラーのことは「虫男」とか呼び出す。もうどう読んでもヤバい。

     語り手の二人目はディーという女性。彼女は11年前に失踪した娘の姉です。彼女はある理由からテッドを犯人ではないかと怪しむようになり、周辺をつきまとうようになる……のですが、この女性も読み進めれば読み進めるほどヤバい。せめて信頼させてくれ、と思うくらいには不安になる。

     三人目……いや、三匹目? にあたるのが、テッドの家に暮らす、猫のオリヴィア。いや、猫が語るのは全然いいのだ。こちとら小学生時代から、財布が語り手を務める宮部みゆき『長い長い殺人』で鍛えられとるんじゃい。でもこのオリヴィアも、途端に聖書を引用しだしたりして、どうもヤバい。なんじゃ、このヤバい語り手しかいないヤバい小説は。

     ……と、自在な表現や、言葉から喚起される豊富なイメージ、そして不安を惹起される語りに酔いしれていると、中盤以降、サスペンスとしても俄然面白くなってきます。テッドが自分のための記録として、ボイスレコーダーに語り掛ける、という設定も効いていて、幾層にも折り重なる語りが、少しずつ混迷と解明を生んでいくのです。この読み味が実に素晴らしい。

     そして、真相の衝撃と、見事なエピローグ。ネタバレにならないように気を付けて言えば、これは、ミステリーでもホラーでももはや定番となってしまった「あるモチーフ」を、最も切実に描いた小説なのです。作者として、あるいは読者として反省することの一つに、物語の都合によって「お化け屋敷」にされてしまった現実の物事への申し訳なさがあります。作者が「このテーマなら君らこういうものが読みたいんでしょ」と露悪的なものを差し出し、読者としてもそれを楽しんでしまう、というような。カトリアナ・ウォードは、現実の体験を軸に、その現状に反旗を翻したのではないか、と思いました。この上なく美しい展開と文章、そしてイメージの力で。

     このあたりの事情は、作者自身が「あとがき」に詳しく書いているので、本編読了後に読んでください。ネタバレ全開なので、必ず、読了後に読むように。

     というわけで、その自在な語りだけでなく、作者の強いこだわりが垣間見えるネタの扱いに打たれ、早くも2023年の大偏愛作となった『ニードレス通りの果ての家』でした。騙されたと思って読んでみてください。訳者の中谷友紀子はC・J・チューダーも訳されていて、これからもこの訳者のホラーは積極的に摂取していきたい(ちなみに中谷訳で一番好きな作品はジェニファー・イーガン『マンハッタン・ビーチ』です。これはホラーではありませんが)。

    〇2022年の雑誌短編の話(誰得?)

     さて、本来ならここで終わってもいいのですが。

     とある事情で、2022年は雑誌短編を読みに読みました。どんな事情だったかは、まあ、早々に明らかになると思いますが(明らかになった瞬間、「そうだったとしても、そこまで読む必要はなかったのでは?」と言われてしまいそうなのが私っぽい)、せっかくなので、その記録も残しておきたいと思った次第。ちなみに、とある事情に関わる短編は抜いてあるので、ここに書くのはミステリー以外が多めですが、ミステリーも相当あります。

     毎号雑誌で短編を読むようになったのは、光文社からデビューしてすぐに、「短編の勉強になると思うから」と毎号「小説宝石」を送ってもらえるようになってからでした。それからは、通勤する時に何かしら雑誌を一冊持って行くか、もしくは時間のある時に喫茶店に入って、読み切り短編からエッセイまで、隅から隅まで楽しむようにしていました。大学生の時は、お金がなかったのもあって、「単行本になってからにしよう。二回読むことになっちゃうし」と思って雑誌はあまり買わなかったのですが、雑誌を読むようになると、面白いもので、雑誌で読んだ短編に単行本で行き会った時、昔馴染みに会ったような、嬉しい気持ちになるのです。一方で、単行本で読んでいる時は、「あれ、似たような話を読んだことがあるな」と思って読み進めていたら、奥付で改題と分かる、とか。そういう一個一個の出会いやら再会やらが、どうにも楽しくなってきました。

     そんなこともあって、2022年に読んだ短編小説でお気に入りのものについて、何かしら記録を残しておくのも面白いかもしれない、と思ったのです。あとで作品集にまとまった時「そうそう、アレだ」と思い出せるように。なのでこれは、私のための備忘録です。

     以下は取り上げる短編のリストです。リスト中では雑誌名を「 」なしで表記、文中では「 」ありで表記します。また、短編の初出時は太字で表記します。

    ・長江俊和「撮影現場」(小説新潮2022年2月号)
    ・町田そのこ「ドヴォルザークの檻より」(小説宝石2022年3月号)
    ・平山夢明「チンワクとアイロニックラブンずの巻」(小説宝石2022年3月号)
    ・北山猛邦「神の光」(紙魚の手帖vol.4)
    ・伊吹亜門「遣唐使船は西へ」(小説推理5月号)
    ・柄刀一「或るチャイナ橙の謎」(ジャーロNo.82)
    ・佐原ひかり「一角獣の背に乗って」(小説新潮2022年6月号)
    ・浅倉秋成「そうだ、デスゲームを作ろう」(ジャーロNo.83)
    ・方丈貴恵「一見さんお断り」(ジャーロNo.83)
    ・奥田英朗「ラジオ体操第2」(オール讀物2022年7月号)
    ・柳月美智子「さえずり」(小説宝石2022年7月号)
    ・斜線堂有紀「奈辺」(SFマガジン2022年8月号)
    ・石持浅海「夫の罪と妻の罪 犯罪相談員〈2〉」(紙魚の手帖vol.6)
    ・夕木春央「墓穴」(メフィストVOL.4)
    ・岩井圭也「捏造カンパニー」(ジャーロvol.84)
    ・佐々木愛「授乳室荒らしの夢」(小説推理2022年9月号)
    ・榊林銘「『昭和ふしぎ探訪』愛蔵版に寄せて」(紙魚の手帖vol.7)
    ・行成薫「子供部屋おじさんはハグがしたい」(小説宝石2022年11月号)
    ・逸木裕「炎を作った夏」(小説宝石2022年12月号)
    ・一條次郎「ビーチで海にかじられて」(小説新潮2022年12月号)
    ・米澤穂信「それから千万回の晩飯」(小説野生時代特別編集2022年冬号)

     長江俊和「撮影現場」(小説新潮2022年2月号)は「ミステリ特集」の中の一編。大学生の頃ドラマシリーズ「放送禁止」のハードな謎解きに熱中した身からすると、長江俊和の新作小説が続々読める今の環境は嬉しい限り。孤島に辿り着いた難破船の乗客たちを描く心理劇の映画を撮っている時に……というシチュエーションや、撮影現場で起こるトラブルの数々の裏に仕込まれた裏の構図など、「放送禁止」ファンの心もくすぐる作品。

     町田そのこ「ドヴォルザークの檻より」(小説宝石2022年3月号)は「小説宝石」の「胸キュン」小説特集の中の一編。一行目の「担任の先生のセックスを見たことがある」から胸を抉られる小説で、廃校になることが決定した小学校に集った卒業生たちの痛みと郷愁を描いていて、終盤の畳みかけにグッと胸を掴まれました。「小説宝石」7月号の「イマジナリー」、10月号「クロコンドルの集落は」も好きで、短編集にまとまるのが楽しみ。

     平山夢明「チンワクとアイロニックラブンずの巻」(小説宝石2022年3月号)も、その「胸キュン」小説特集の中の一編なのですが、これがこう、どうして「胸キュン」がこうなった、と言いたくなるような地獄巡りの短編であると同時に、なかなかどうして、実に「胸キュン」なのです(何を言っているんだ)。こちらは短編集『俺が公園でペリカンにした話』(光文社)にまとまっており、平山夢明流の地獄度MAXロードムービーを味わうことが出来ます。ぜひ。

     北山猛邦「神の光」(紙魚の手帖vol.4)は、実は読書日記第37回で既に取り上げた一編。1955年のネバダで一攫千金を夢見て訪れたカジノは、一夜にして姿を消した……という、大胆な「消失」ものの一編。タイトルからしてエラリー・クイーンの家屋消失ものの名品「神の灯」を思わせますが、稀有壮大なトリックの構図を目にしたとき、顎が外れるほど驚くこと請け合い。著者の作品だと「一九四一年のモーゼル」(ミステリーズ! extra 《ミステリ・フロンティア特集》)や「廃線上のアリア」(ファウストVol.4)などの未収録短編を思わせる、豪快さとロマンを両立した作品です。

     伊吹亜門「遣唐使船は西へ」(小説推理5月号)は「小説推理」の企画「どんでん返し」中の一編。著者らしい歴史ミステリーの設定を使った作品ですが、歴史ミステリー「ならでは」の企みが、フー・ハウ・ホワイ三拍子揃えて襲い掛かる構図の妙に舌鼓。幕切れがまたたまりません。謎解きや論理を超えた、大いなるものを立ち上がらせて終わっているところが。分量の短さも随一で、それゆえの切れ味の鋭さも光っています。

     柄刀一「或るチャイナ橙の謎」(ジャーロNo.82)は、〈柄刀版国名シリーズ〉の一編。2022年刊行のシリーズ第三弾『或るアメリカ銃の謎』には、表題作の他「或るシャム双子の謎」が書き下ろしで収められた形なので、この「或るチャイナ橙」は第四弾の短編集に収まるということでしょう。原典のエラリー・クイーン『チャイナ橙の謎』の「ある特徴」をパズラーの中に放り込みつつ、ロジックの要請の中で、異様な構図を立ち上げていく手法に快哉。今後のシリーズの行方も楽しみなうえ、『本格ミステリ・ベスト10』のインタビューでは〈柄刀版カー〉という胸躍る言葉も飛び出しています。くうう、やはり好きだ、柄刀本格。

     佐原ひかり「一角獣の背に乗って」(小説新潮2022年6月号)は一角獣が実在する世界での世話女たちの物語で、「叔母が死んだ。一角獣に蹴り殺されたそうだ。」という冒頭の一行からして鮮烈。『ブラザース・ブラジャー』や「そういうことなら」(『スカートのアンソロジー』収録)などでもジェンダーをテーマにした作品で魅せてくれ、『ペーパー・リリイ』ではロードムービーの型の中で展開される想像力に夢中になったのですが、「一角獣~」はめくるめく展開と胸の中を風が通り抜けていくような爽快感がたまらない。著者のことばにある「短篇の閃光めいたところが好きです。」という一節に、思わずニヤリ。

     浅倉秋成「そうだ、デスゲームを作ろう」(ジャーロNo.83)は今青春ミステリーでブイブイ言わせている作者のブラックな一面を体験できる怪作。そのものずばり、デスゲームを作る話です。にっくきパワハラ上司に復讐するため、デスゲームを作ってやるぜという設定からしてブラックな笑いが込み上げますが、試行錯誤を重ねて完成したデスゲームの――そのオチを見た瞬間、思わず抱腹絶倒。いやいや、まさに自在。「ジャーロ」での浅倉作品はvol.81「傘がない」「木道」、vol.85「ファーストが裏切った」など、粒よりの作品が集まっていて、これこそ、短編集でまとまるのが楽しみです。

     短編集でまとまるのが楽しみと言えば、方丈貴恵「一見さんお断り」(ジャーロNo.83)も楽しみ。これは犯罪者が宿泊するホテルを描いた〈アミュレット・ホテル〉シリーズの三編目で、半ば出オチ感のあるこの設定を使い倒しながら、うわっ、まだその手があったか、という驚きを演出してくれるのが楽しい。何よりも、この本格ミステリーの「楽しさ」が横溢しているところが、著者の作品の魅力です。

     奥田英朗「ラジオ体操第2」(オール讀物2022年7月号)は精神科医・伊良部一郎を描いた〈伊良部〉シリーズの短編。奇天烈な精神科医が、患者のお悩みを解決していく痛快なシリーズで、中学の時大ハマりしたのですが、久しぶりに読んでも温かく出迎えてくれる伊良部の姿にまずうるっと来て、のちに爆笑。今回のテーマは「アンガーマネジメント」ということで、主人公が「適切に怒れない」悩みを伊良部流の滅茶苦茶なやり方で解決するのですが、それがどう、タイトルの「ラジオ体操第2」に繋がるのか、というところで、このラストシーンに、窮屈な現代の中に一瞬のファンタジーを覗かせてもらった気がして、どうしようもなく心が温かくなるのでした。心の中の柔らかいところに触れてくるんですよね、〈伊良部〉シリーズ。

     柳月美智子「さえずり」(小説宝石2022年7月号)は、老人のリコーダー教室を描いた一編なのですが、この時の雑誌テーマは「「学校」に集う人々」。他の参加者が子供や卒業生、先生、保護者といった素材を選択する中、着眼点に唸りましたし、リコーダーがなかった世代が生涯学習教室でリコーダーを練習する、という設定にもくすぐられます。そしてまた、この老人たちと先生の悲喜こもごもの人間関係が、良い。「きらきら星」のメロディーに乗せて描かれていく、どこかやるせない展開がお気に入り。

     斜線堂有紀「奈辺」(SFマガジン2022年8月号)は1741年のニューヨークを舞台に、黒人、白人、宇宙人(!?)の三者のファーストコンタクトを描く逸品。斜線堂有紀はとにかく書き出しで掴む作家なのですが、この短編の二人の処刑死体を巡る情景が既に見事です。1741年の居酒屋での一幕など、細かな描写にもため息が漏れますし、ラストに至っては思わず快哉。今年作者は「SFマガジン」6月号の「骨刻」、『2084年のSF』の「BTTF葬送」、『ifの世界線』の「一一六二年のlovin' life」、「SFマガジン」12月号の「不滅」と、次々とSFの傑作を送り出していて、とにかく頭が下がります。凄すぎる。早くSF短編集で賞を取ってくれ。とりあえず「SFマガジン」のやつは来月(2023年3月)に早川書房から発売の『回樹』にまとまるはずだからみんな読もう。

     石持浅海「夫の罪と妻の罪 犯罪相談員〈2〉」(紙魚の手帖vol.6)は、殺人を考えている人々が「相談」に訪れるNPO法人、という、ねじくれにねじくれた設定が生きた倒叙ミステリーシリーズの二編目。この「犯罪相談員」は、「紙魚の手帖vol.5」内の「倒叙ミステリ特集」内で始動し、現在、2023年2月売りのvol.9で最終となる五話まで掲載されています。相談を聞いて思いとどまらせる……というのが一応の設定ですが、一筋縄ではいかないのが石持浅海流。この連作の素晴らしいところは、設定を生かしたどんでん返しを、様々なパターンで繰り出してくれるバリエーションの豊かさです。中でも、ブラックなオチが際立った「夫の罪と妻の罪」がお気に入り。この作品集、まとまったらすごいことになりますよ。

     夕木春央「墓穴」(メフィストVOL.4)は、2022年に『方舟』でブレイクした作者のノンシリーズ短編。それこそ、昔の「EQMM」や「ヒッチコック・マガジン」に載っていそうな、切れ味の鋭いクライム・ストーリーに仕上がっていて大いに好み。著者はこの「墓穴」を発表したのとほぼ同時期に、「小説現代」2022年8月号で「四月六日の生放送」という短編も発表しており、実に精力的です。『方舟』とここに挙げた短編二編はいずれも現代が舞台で、入り口にもうってつけの作品になっていますが、著者はもともと、『絞首商會』『サーカスから来た執達吏』で大正時代を舞台にした密度の濃い本格ミステリーを書いてきました(特に『サーカス~』はまるで山田風太郎の明治ものを読んでいるかのような爽快な冒険味も加わっていて、無類の読み心地)。現代劇ももちろん、また時代ものも、読んでみたいところ。

     岩井圭也「捏造カンパニー」(ジャーロNo.84)は著者の作品の中でもミステリー色が濃い、抱腹絶倒の一編。主人公たちが作った偽物の会社に、税務調査が入ることになった。やり過ごすには、「マジで」会社を作るしかない! この設定だけでも笑わされてしまうのですが、いよいよ税務調査が始まって、税務調査員と主人公たち三人の心理戦が始まると、密室劇の味わいが濃くなります。オチにもニヤリ。ちょっとブラックで自在な岩井ミステリーワールドは、ジャーロ掲載の「極楽」(ジャーロNo.82)などでも展開中。本にまとまるのが楽しみ。

     佐々木愛「授乳室荒らしの夢」(小説推理2022年9月号)は、今密かに好きでたまらない作者の一作で、もうタイトルから強烈だと思うのですが、これだけじゃなくて、「ブラ男の告白」(小説推理2022年8月号)、「EあるいはF」(小説推理2022年10月号)と、タイトルから鷲掴み。「授乳室荒らしの夢」は……そのものずばり、「授乳室荒らし」の話なのですが(笑)、この小説のポイントは、「わたし」が「あなた」に語り掛けるという、二人称小説の形式を取り入れていることだと思います。これが本編のテーマである、共感や、自分が「偽物」であるという悩みに繋がっていて、こうしたテーマや、二人称を取っていたことの意味、「授乳室荒らし」という存在が、パチッとハマったラストの会話劇に、思わずじーんとしてしまうのです。くそう、ずるいずるい。好きで仕方ない。

     榊林銘「『昭和ふしぎ探訪』愛蔵版に寄せて」(紙魚の手帖vol.7)は「奇跡の少女」を巡る物語であり、タイトル通り、この『昭和ふしぎ探訪』という作中作について、あとがき、単行本のあとがき……というように作者が何度も解釈を提示し、入れ子細工のように、あるいはタマネギのように、少しずつ様々な展開を見せる怪作。いわば「一人時間差多重解決」というべきシロモノになっています。この趣向にはくすぐられました。著者は「自殺相談」(紙魚の手帖vol.3)でも、Twitterの画面を紙面に取り入れた謎解きに挑んでいて、一編読むごとに驚かされるばかり。

     行成薫「子供部屋おじさんはハグがしたい」(小説宝石2022年11月号)は、同誌の特集「今いちばん主役になりにくい人たちの深いドラマ 「おじさんたち」の葛藤と小さな気づき」に寄せられた一編。このチャレンジングな企画名からして驚きますが、「子供部屋~」は、タイトルに殴られました。子供の頃思い描いていた「月並みな幸せ」すら得られなかったおじさんが、渋谷の街でフリーハグをしているという冒頭の光景にもノックアウト。それでいて、この話、ダンレボ小説なのですよ。ダンレボというのはゲームセンターにあるダンスゲーム「ダンスダンスレボリューション」のことなのですが(作中では「ダンレボ」ではなく「ダンジェネ」)、ダンス描写がアツいし、対戦相手の女性とのやり取りがシビれるし、作中の女性と同じタイミングで笑ってしまって、思わず頬が緩んだ。世界に向けて両手を広げる、優しくて、可笑しい小説。

     逸木裕「炎を作った夏」(小説宝石2022年12月号)は、海外ミステリーでよく描かれる「ガールズ・アンド・ガン」の主題を描いた短編ミステリー。少女たちと、そのドス黒い望みを叶えるために、その手中に与えられた無骨な武器。そのアンビバレントな取り合わせは、でもやはりどこかしっくりきていて、何度読んでも飽きることがありません。本編では、コロナ禍で閉業した父親の工場を利用し、銃を作る少女の姿が描かれます。拳銃を作る過程そのものが面白く、ありがちなところにすんなりとはオチない、強靭な足腰に感嘆の一作。作者は同月発売の「小説野生時代特別編集2022年冬号」に、『五つの季節に探偵は』のシリーズとなる「陸橋の向こう側」も発表していて、こちらも実に素晴らしい。

     一條次郎「ビーチで海にかじられて」(小説新潮2022年12月号)は、幻想世界に浸れる一編で、こう、感覚的すぎて申し訳ないのですが、とにかく可愛いんですよね。著者とは、伊坂幸太郎編のアンソロジー『小説の惑星 ノーザンブルーベリー篇』に収められた「ヘルメット・オブ・アイアン」で初邂逅を果たし、以来その作品世界の虜なのですが、もちろん寓話的な面白さもあって……でもそれ以上に、可愛い。『チェレンコフの眠り』のアザラシにもにまにましてしまったし、今回の「ビーチで海にかじられて」も、タキシードっぽいサメがやけに可愛くて……。一條作品を読むと、頭がほぐれるという意味でも、リフレッシュになるので好きです。

     この長い小特集もトリになりました。米澤穂信「それから千万回の晩飯」(小説野生時代特別編集2022年冬号)は、山田風太郎受賞作家である「私」(米澤穂信)に届いた一枚の葉書から、謎を紐解いていく、私小説風の仕上がり。山田風太郎から山田信次に宛てて送られたその葉書に書かれている「原稿」とは何か、当時の二人の関係性は。資料を紐解きながら、当時の彼らの姿を素描していく手法は、さながら北村薫の名シリーズ『いとま申して』を思わせます(北村薫の父が残した日記を基に、当時の折口信夫らの姿を描いていく傑作で、『いとま申して 『童話』の人びと』『慶應本科と折口信夫 いとま申して2』『小萩のかんざし いとま申して3』の全三巻)。タイトルは山田風太郎のエッセイ『あと千回の晩飯』のもじりですが、そこに込められた著者の想いを知った時、思わず心を揺さぶられる名品です。

     というわけで、誰得、って感じなのですが、2022年の好きな短編をまとめてみました。これからはちょくちょく書いていけば、こんな長大な原稿になることはないんですよね。反省します。

    (2023年2月)



第50回2023.02.10
現代英国の新たなる「女王」! ~アン・クリーヴス全作レビュー(仮)~

  • アン・クリーヴス、書影


    アン・クリーヴス
    『炎の爪痕』
    (創元推理文庫)

  • 〇最近のお仕事情報

    「小説新潮2月号」に短編「第三の短剣 ~迷探偵・夢見灯の読書会~」が掲載されました。古本屋店主の娘にして、読書サークルの読書会担当、夢見灯と、彼女に振り回される新入生、獏田格を主人公にした新シリーズの開幕です。設定は、読書会中にうとうと眠ってしまうと、夢見の不思議な力によって、夢の世界で読書会の課題本そっくりの事件に巻き込まれる……というトンデモ系の設定ですが、謎解きはシンプルなパズラーを目指すようにしてみました。シチュエーションだけが異常。あと、獏田君がかわいそう。可愛い羊も出てきます。第一回の課題本は、カーター・ディクスン『第三の銃弾〔完全版〕』! 色々パロディーしたい作品をやっていこうと思います。

     二月はまず、文庫解説が二件出ます。一作目は、辻真先『赤い鳥、死んだ』(実業之日本社文庫)。同文庫から文庫化された『夜明け前の殺人』『殺人の多い料理店』と本作『赤い鳥、死んだ』をあわせて、文学と本格ミステリーを掛け合わせた「三部作」となるようです。『夜明け前の殺人』の題材は島崎藤村、『殺人の多い料理店』は宮沢賢治、そして『赤い鳥、死んだ』は北原白秋。冒頭に「第五章」を配置して順番の入れ替えで目を惹いて見せるところや、各章冒頭に北原白秋の詩・童謡を配し、事件の展開もそれに重ねてみせるところなど、辻真先ミステリーの技巧の粋が結集された一作となっています。掛け値なしに、辻真先ミステリー中の重要作だと思います。ぜひ。

     二作目は、梶龍雄『清里高原殺人別荘ビラ 梶龍雄驚愕ミステリ大発掘コレクション2』(徳間文庫)。〈トクマの特選!〉の一冊ですね。『龍神池の小さな死体』『リア王密室に死す』と、梶龍雄作品の中でも脂の乗った傑作を続々復刊して来た〈トクマの特選!〉ですが、本作『清里高原~』も、衝撃の点では負けておりません。『龍神池~』の解説は三津田信三、『リア王~』の解説は大山誠一郎という並びなので、恐縮しながらお引き受けしたのですが、お二人が現役で梶龍雄に触れていた世代なのに対し、私はプレミア価のついた梶龍雄作品を後追いで追いかけた世代……ということで、そのあたりの世代的な思い出話も、解説に書かせていただきました。梶龍雄の他のオススメ作品もたくさん挙げておいたので、トクマの編集にもテコ入れになっているといいな……。

     ということで、『赤い鳥、死んだ』と『清里高原殺人別荘』、どちらもおすすめですのでぜひ!

    〇新ミステリーの「女王」、アン・クリーヴス

     私が翻訳ミステリーの新刊を積極的に読むようになったのは、中学三年生、ジェフリー・ディーヴァーの『ウォッチメイカー』の単行本を学校の図書室から借りて読んだ瞬間からです。もちろん、海外作品は高く、中高生のうちはなかなか手が伸びなかったので、本格的に自分で買って読むようになったのは、大学に入ってからですが。

     そんなわけで、かれこれ、翻訳ミステリーの新刊を漁り続けて十三年が経つわけですが、この間、「この人の新刊がコンスタントに出てくれたおかげで、翻訳ミステリーをずっと楽しんでいられたな」と思える作家が何人かいます。さっき名前を挙げたジェフリー・ディーヴァー。あるいはジャック・カーリイ。サラ・ウォーターズ。ミネット・ウォルターズ。アンデシュ・ルースルンド(ベリエ・ヘルストレムとの共著である〈グレーンス警部〉シリーズや、ステファン・トゥンベリとの共著『熊と踊れ』も含めて)。最近で言えば、アンソニー・ホロヴィッツはその筆頭です。ヘニング・マンケルは、第19回で書いたように、一年で読み通してしまいましたが、そうでなければ、この作家群に含めることが出来たでしょう。

     そうした作家、つまり、コンスタントに良作を生み出し、共通のトーンを持ちつつも、あの手この手で楽しませてくれる作家――。こういう作家が数年に一回、あるいはそれ以上のペースで読める、つまり翻訳されることで、豊かな土壌が築かれて、その中でぬくぬくと自分は育った……という実感があります。翻訳ミステリーだと、賞を取るとか、凄まじく評判の良い一作だけが訳されて、山のように「初めましての人」を読まないと行けなかったりするので(それはそれで楽しいんですけど)、安心出来る作家が何人もいるというだけで全然気持ちが違うんですよね。例えば最近だと、『だからダスティンは死んだ』でまたもクリーンヒットを飛ばしてくれたピーター・スワンソンや、女性の痛みを書きながらスリラーとしても絶好球を打ち続けるカリン・スローター、一作ごとに警察官の人生の物語を噛み締めさせてくれる、『レイン・ドッグズ』などのエイドリアン・マッキンティが、このポジションの作家です。

     そして、私にとって、これら「安心出来る作家」の筆頭であり続けてきたのがアン・クリーヴスだったわけです。もしかすると、私の偏愛度に限って言えば、先に挙げた作家を全員凌駕するかもしれません。警察小説としての捜査の面白さと、本格ミステリーとしてのフーダニットの精妙さ、どろどろにこじれた小コミュニティーを描く英国ミステリー独特の香気。こういった特徴は、部分的に、コリン・デクスターの〈モース警部〉シリーズ、ピーター・ラヴゼイの〈ダイヤモンド警視〉シリーズ、P・D・ジェイムズの〈アダム・ダルグリッシュ警視〉シリーズに重なり合っています。好きな作家の魅力を引き継いでいるように感じられることも、アン・クリーヴスという作家への安心感が生まれる原因になっているかもしれません。

     創元推理文庫で翻訳されてきた〈シェトランド四重奏〉シリーズは、2022年12月に刊行された『炎の爪痕』で最終作を迎えました。今回は、その刊行を記念して、アン・クリーヴス邦訳全作レビューをしてみようと思います。

    〇作品リストと概要

     まず、〈シェトランド四重奏〉のリストを挙げてみましょう。この〈四重奏〉には前半四部作と後半四部作が存在し、物語的にも大きな転換点がありますし、作品のモチーフも前半と後半で大きく異なることになります。〇と◎に分けたのは、◎が特におすすめの作品、という感じです。とはいえ、アン・クリーヴスの作品のクオリティーは総じて高く、全てが良作以上なので、〇と◎の間に大きな差があるわけではないのですが……。

     前半 四季と黒白赤青の四色がモチーフ
    〇『大鴉の啼く冬』 Raven Black
    ◎『白夜に惑う夏』 White Nights
    ◎『野兎を悼む春』 Red Bones
    〇『青雷の光る秋』 Blue Lightning

     後半 四元素がモチーフ
    〇『水の葬送』 Dead Water
    〇『空の幻像』 Thin Air
    ◎『地の告発』 Cold Earth
    〇『炎の爪痕』 Wild Fire

     イギリス最北端の地、シェトランドを舞台に、小さなコミュニティーの中での犯罪を描くのが、このシリーズ最大の特徴です。誰もが顔見知りであるがゆえに、強固な偏見が生み出されたり、色眼鏡で相手を見てしまったりする。このシリーズでは、警察関係者と事件の関係者たち、複数の視点から事件を叙述しており(大抵は四つの視点)、それぞれのカメラ・アイが持つ偏見や色眼鏡が、巧みに犯人を覆い隠してしまう。このあたりが、フーダニットとしての絶妙な巧さに繋がってきます。

     言ってみれば「地味」な作品群です。派手な展開はなく、ジミー・ペレス警部が一歩一歩着実に、事件の核心に分け入っていく手つきを味わい、シェトランドの風景描写や、人間心理の緻密な描写を、ゆっくりと、ゆっくりと味わうべき作品です。以前読書日記でも話したことがありますが、私は「地味」という言葉を、褒め言葉として使っています。センセーショナルに流れず、堅実さを重んじるがゆえに生まれる「地味」さは、謎と捜査の世界に耽溺するために、最も重要なものです。それほど元気がない時も、「地味」な作品なら肌に合い、読み進めることも出来ます。

     そもそも、一作目『大鴉の啼く冬』でさえ、ジミー・ペレスの初登場は48ページが初めてなのです。なんというペース。その記念すべき初登場シーンを引用してみましょう。画家のフラン・ハンター(彼女もシリーズの超重要人物です)の視点で描かれたシーンです。

    “男の顔が見えた。印象派の画家が描いたような顔。窓ガラスの水滴と汚れで、ぼやけている。ぼさぼさの黒い髪、力強い鉤鼻、黒い眉毛。よそ者だ。あたしより、もっと遠くからきた人間。地中海、いや、北アフリカの出身かもしれない。そのとき、男がふたたび口をひらき、教育を受けて弱められているものの、そのアクセントがシェトランド人のものであることがわかった。
    (中略)
    「ペレスといいます」男がいった。「警部です。質問にこたえられますか?」“(『大鴉の啼く冬』、p.48~p.49)

     ここの描写だけでも、アン・クリーヴスの筆力が伝わると思いますが、肝心なのは、さりげなく、しかし鋭く置かれた「よそ者だ」という言葉でしょう。誰もが顔見知りであるシェトランドでは、「よそ者」、アウトサイダーに対する本能的な拒否反応がある。このシーンでは、フランが「なぜこの男は自分の名前を知っているのか」と不審がっていることもあり、やや不安めいた響きが強調されています。その直後に、「そのアクセントがシェトランド人のものであることがわかった」と書き、ペレスがフェア島の出身であることをさりげなく印象付けています(フェア島はシェトランド諸島とオークニー諸島の間にあり、地理的には近い立地です)。この後に記述がある通り、名前にもスペイン風の響きがあるというのもあって、気質としてはシェトランドに近いところで育っているにもかかわらず、幾重にも「よそ者」として区別された存在として、ペレスは登場するのです。

     ジミー・ペレスという男は、口数少なく、相対していると相手のほうが沈黙に耐えかねて話し始めてしまうような男です。彼は事件にまつわる謎と、関係者のことを、じっと見つめてひたすらに理解しようとする。そんな彼だからこそ、複数の視点の陰に隠れた犯人の姿を、常に捉えることが出来るのでしょう。

     彼のライフイベントを追いかけることも、〈シェトランド四重奏〉の最大の愉しみです。今引用したフラン・ハンターとの出会いが既に、重大な出会いになっているのですが、彼女の娘であるキャシーや、新米の巡査であるサンディ・ウィルソン、あるいは後半四部作で登場する女性警部のウィロー・リーヴズ。彼らがペレスの人生にどのように絡み、ぺレスの人生はどのように展開していくのか。こればかりはネタバレできませんので、これからの全作レビューでもぼかしていきます。

    〇全作レビュー開始!

    1、『大鴉の啼く冬』

     新年。孤独な老人、マグナス・テイトは誰かが家を訪れてくれるのを待っていた。彼のもとに二人の少女が訪れた四日後、そのうちの一人、キャサリン・ロスが雪原で死んでいた。誰が、なぜ、彼女を殺したのか。捜査を進めていくと、八年前にも似たような少女失踪事件が起こり、その時もマグナスが疑われたことが分かるが……。

     さあ、まずは第一作です。この一作目からして、「視点の不確実さ」を冒頭から見事に突き付けてくれます。マグナス・テイトの視点から描かれた「新年の訪問」は、どう見ても、浮かれた気分の日ならではの小さな幸福の話であるにもかかわらず、次いで高校生サリー・ヘンリーの視点を読むと、彼女たちは「肝試し」のために、気味の悪いマグナスの家に行ったことが明かされます。わずか20ページのうちに、マグナスは「信頼出来ない語り手」の地位に転落するのです。

     マグナスは知的障害があり、母の庇護のもとで育ってきたが、今は母を喪って一人である……という設定なこともあって、一人きりの孤独な老人であるマグナスの記述は、過去と現在が奇妙に溶け合っており、ますます不安にさせられます。

     彼はこの事件に関わっているのか。関わっているとして、どのような関わりなのか。一人の女子高生の死が島に波紋をもたらしていくありさまを、ペレスは静かに観察しながら、真相に迫っていきます。『大鴉の啼く冬』は、真犯人指摘の演出だけ取り出せば、シリーズ一、二を争う見事なものになっており、そこも読みどころになっています。

    2、『白夜に惑う夏』

     白夜の季節、観光客は浮足立ってこのシェトランドを訪れる。ペレスが絵画展で出会った男は、次の日、道化師の仮面をつけて、首吊り死体となって発見された。彼は一体何者なのか。誰が、なぜ殺したのか。本土インヴァネス署の警部、テイラーとペレスはタッグを組み、本土と島を股に掛けた捜査を行うが……。

     読みどころの多い一作です。順番にいきましょう。第一は「白夜」。なんといっても白夜です。北欧ミステリーの「夏」を描く専売特許であるこの現象を、イギリス最北端の地シェトランドでは、英国ミステリーの世界に組み込むことが出来るのです。ひゃっほう。

    “一年のこの時季は誰もがすこし頭がおかしくなる、とペレスは考えていた。光のせいだ。昼間はぎらぎらと降りそそぎ、夜になっても消えない光。太陽は決して完全には地平線の向こうには沈まず、そのため真夜中でも、外で読書ができる。冬があまりにも暗くて厳しいので、夏になると人々は一種の躁状態におちいり、ひたすら活動しつづける。”(『白夜に惑う夏』、p.24)

     この現象があるからこそ、観光客も集まるのです。誰もが活動的で、イライラもする季節に、身元不明の男の死体という異様な事件が起こる。これだけでも不気味なのですが、重要なのは、観光客という形で「よそ者」がこの地にもたらされることです。あまりにも完璧なプロローグの3ページとか、本屋で見かけたら読んでみてほしい。

     さてさて読みどころの第二。その「よそ者」を代表するが如く、一作目に引き続き登場する、本土インヴァネス署の主任警部、ロイ・テイラーです。前作でも活躍しているのですが、今回は大活躍。もうのっけからこんな感じです。

    “ジミー・ペレスが迎えにきていた。彼とは前回の捜査で協力しあい、上手くいっていたが、それはおたがいの流儀がまったくちがっているからかもしれなかった。ペレスが彼のチームの正規のメンバーだったら、テイラーはその風変わりな取り組み方、長い髪、緊迫感の欠如に、いらだっていただろう。だが、ここシェトランドでは、ペレスのゆったりとしたやり方が功を奏するようだった。”(『白夜に惑う夏』、p.165)

     本土のやり方と、島のやり方。ある種、対立する「ライバル」として活躍するのがこのテイラーなのですが、前作ではサブに甘んじた感のある彼が、本作では実に良い味を出してくれるのです。また良いのが、ペレスもテイラーも、白夜の気候のせいでイライラしていること。彼とペレスのラストシーンとか、とてもいいんだよなあ。

     最後はもちろん、フーダニット。今回は、シリーズ読者が前作のイメージをダブらせることによって生じる演出のうまさなどもあり、一段と磨きがかかっています。

    3、『野兎を悼む春』

     春。シェトランド署のサンディ・ウィルソン刑事は、ウォルセイ島に帰省する。家族はウサギ狩りに出かけ、近くでは発掘作業が行われている。そんな状況で、ウサギ狩りの誤射で死んだとみられる、祖母の死体をサンディは発見してしまう。それは、ただの誤射事故のはずだったが……。

     あ~っ、これこれ、これなんですよ。事故なのか事件なのか分からないギリギリの線で起こった事件、という、このスーパーウルトラ「地味」な事件。最高過ぎませんか? 最高過ぎですね。

     本書の最大の魅力は、これまで脇役に徹してきた、しかし、これからシリーズ中の重要人物になっていくサンディ・ウィルソンの「家族」の物語に踏み込むことです。彼の祖母、ジェマイマは、死体となって早々に事件から退場するにもかかわらず、作中で最も強烈な印象を残す登場人物になっていて、「被害者の物語」を丹念に紡いでいくことが、このシリーズのキモなのだということを再確認させられます。

     謎解きの点でも、本書はシリーズトップクラスの精密さを誇っています。錯綜した家族の人間関係と、発掘現場の人々の関わり。その裏に隠された真相が一つ、また一つと明らかになるたびに、事件の様相が大きく変わっていく。これこそ、本格ミステリーの面白さと言いたくなるような一作です。何か一作だけオススメするなら、『白夜』『地』としばらく悩んだ末、この『野兎』を差し出すのではないかと思います。

    4、『青雷の光る秋』

     ペレスは婚約者のフランを両親に紹介するため、故郷、フェア島を訪れていた。しかし婚約祝いの席になるはずだった旅行は、フェア島が嵐で孤立し、島のフィールドセンターの職員が殺害されたことで、ペレスの単独捜査の舞台に変貌する。ひとりきりで捜査する彼が、遂に辿り着く真相とは?

    〈シェトランド四重奏〉、その前半のラストを飾る話です。そのせいもあってか、嵐の孤島というセンセーショナルな舞台が選択され、孤軍奮闘であるがゆえに、捜査小説らしいきびきびした読み味があるというわけでもありません。「よそ者」の物語である〈シェトランド四重奏〉において、外に出るというだけでも、いつもと違います。はっきり言って異色作ですし、ここが本作の評価を分ける最大のポイントになると思います。

     さて、本作はシリーズにとっての転換点にあたる作品であるため、なるべくネタバレにならないように書かなければならないのですが、本作のミステリーとしての最大の魅力は、「ジミー・ペレスが『理解出来ない』犯人に遭遇すること」だと思います。ペレスという男は、ゆったりとしたやり方で、目の前の事件を、人を、徹底的に『理解』して謎を解く男でした。そんな男が、聞いて、聞いて、『理解』しようと努め抜いたにもかかわらず、『理解出来ない』。シリーズ上の大転換となる作品に、ミステリーとしても、こういう仕掛けの事件を配して見せるあたりも、やはりクリーヴスは巧者だと感じさせられます。

    おまけ:「運転代行人」(「ミステリーズ!vol.24」収録)

     全作レビューをうたうからには、未収録短編も一つ拾っておきましょう。これはクリーヴスが『大鴉の啼く冬』の原書を刊行する以前、本国では2001年に刊行されたアンソロジーに収録された短編です。「ミステリーズ!」の紙面でわずか10ページという短い作品ながら、切れ味鋭いサスペンスに仕上がっています。指定の場所まで運転して届ける職業である「運転代行」を務める男と、ヒッチハイクをする女、この二人の「密室劇」とでもいうべき作品です。

     シェトランドの寒いイメージと違い、七月のイギリス東海岸、熱い盛り、陽炎の揺らめく中……というシチュエーションを扱っているのも新鮮な一編。これを機会にピックアップしてみました。

    5、『水の葬送』

     小船にのせられて外海に出ようとしていた、若い新聞記者の死体。記者は、島にある石油ターミナルについての取材で帰省していたらしい。インヴァネス署の新任の女性警部、ウィロー・リーヴズが事件の捜査にあたるが、錯綜する人間関係を紐解くには、病気休養中のペレス警部の協力が欠かせない。ペレス、再起なるか――。

     さあ、第二部の一作です。第二部の特徴となるのは、なんといっても新キャラクター、ウィロー・リーヴズです。ペレスとタッグを組みつつも、時に意見の衝突を起こしたり、時に分かり合ったり、時に男女としても接近していくこの警部の存在が、第二部自体に、これまでと違った雰囲気をもたらしています。

     また、『水の葬送』では、複数の殺人事件を巡って、きびきびとした捜査小説の味わいが強調されている感があります。現場間の移動の描写がわりあい多めなのとか、エネルギー問題がテーマになっているのもあって、俄然警察小説風味になっているのも魅力といえるかもしれません。

    6、『空の幻像』

     失踪する前日、エレノアは言った。「浜辺で踊る白い服の女の子を見た」。それは1930年に溺死した「小さなリジー」の亡霊だったのか? 夫や友人たちと島を訪れていたエレノアの周辺で、一体何があったのか。

     来ました、イギリス流、ゴースト・ストーリーの一編です。イギリスと来れば幽霊譚はつきもの。いわゆる超自然のものとして作品に組み込み、幻想譚として演出するパターンもありますし、合理的に解体しきってしまう時もありますが、イギリスのゴースト・ストーリーは前者のほうが多い印象。その系譜を汲んでか、怪異としての謂れはしっかりと描かれつつ、現実のものと解釈する場合も不可解な点が残る……という、奇妙に宙吊りにされた処理の仕方が見事です。

     メインとなる登場人物たちが、そもそもシェトランドを訪れたアウトサイダーだというのもあって、ある意味これも、異色編といえる読み味になっています。また、本作はフーダニットの点でも、綱渡りのような犯人当てが炸裂する雄編になっています。初読の時に、思わず、ほうっとため息が漏れたことをよく覚えています。同作は、この点を捉えて、「2010年代ベスト海外本格ミステリ座談会」(「ジャーロ」77号掲載)でも私が推薦した作品でした。

    7、『地の告発』

     ペレスはマグナス・テイトの葬儀に参列していた。しかし、その時、墓地や近くの農場が巻き込まれる地滑りが発生。その土砂が直撃した家から、赤いドレスの死者が見つかる。彼女は一体誰なのか。身元不明の死体を巡る捜査の旅路の果てに、たった一人で立っている、その犯人とは。

     長期シリーズのこういうところがずるいと思うのです。マグナス・テイトとは、言うまでもなく、第一作『大鴉の啼く冬』の主要人物だった彼です。その葬儀のシーンが描かれるというだけでも、じーんと来てしまうのですが、何よりも凄いのは、地滑りという自然災害を書きながらも、決してセンセーショナルに流れない、その堅実な書きぶりです。地滑りは、ある種偶然に、隠されていた秘密を明らかにしただけでなく、その被害の光景だけで否応なしに人の不安を煽り立ててもくる……そういう「現象」として、ドライに、しかし効果的に描かれています。

     身元不明の女性の謎を追う、中盤までの「被害者探し」の旅路は、著者が『白夜に惑う夏』や『野兎を悼む春』で試みてきた、「被害者を描く小説としての本格ミステリー」の総決算とでもいうべき内容になっています。シリーズならではのピンチの演出もスリリングで、実に読ませる一冊です。

    8、『炎の爪痕』

     フレミング一家が引っ越してきたシェトランド本島の家は、前の持ち主が首吊り自殺を遂げたというかどで悪評の立っている家だった。何者かが敷地に侵入しては、ハングマン(首吊り男)のイラストが描かれた紙片をばらまき、フレミング一家は中傷に苦しめられるが、同じ納屋で第二の首吊り死体が発見される……。

     最後を飾る作品ですが、驚くほど、いつも通りです。それこそがこのシリーズ最大の魅力と言えるかもしれません。「ハングマン」の紙片は、イギリスミステリーにたびたび登場する「中傷の手紙」と似たような効果を持っていて、生々しい人の悪意を象徴する小道具として、実に巧く使われています。また、犯人当ての点でも、本作の狙いは見事。特に、読了後冒頭を読み返した時に、アン・クリーヴスの緻密に計算された狙いに気付かされるでしょう。

     複数の家族にまつわる物語というポイントに、綺麗にフォーカスしているのも、ミステリーとしての美点。複数の視点の死角に巧みに隠された犯人……という特徴は、〈シェトランド四重奏〉の最終章となる本作にもきっちりと現れています。『地の告発』での登場人物の危機が尾を引いているのもあって、スリリングなラストシーンに仕上がっているのも好ましい。

     フランとの出会い、キャシーとの出会い、ウィローとの出会い。ペレスの人生に幾つも巻き起こって来たライフイベントも、本作で総決算が迎えられ、一歩一歩、確かな足取りで、自分の人生に降りかかるトラブル対処し、決断してきたペレスが、最後に辿り着く景色は、決して派手ではありませんが、確かな感動をもたらすものです。

    〇まとめ

     さて、ここまで、アン・クリーヴスの傑作ミステリーシリーズである〈シェトランド四重奏〉の全作を紹介してまいりました。もちろん、『大鴉の啼く冬』から行くのが常道ではあるのですが、気になった作品から手を出してみるのもアリでしょう。ただ、『青雷の光る秋』の前後で、決定的な転換が起こってしまうので、(前半三作順不同)→『青雷の光る秋』→『水の葬送』→(後半三作順不同)の順番は、なるべく守るようにしたほうがいいかもしれません。

     アン・クリーヴスの確かな描写力と筆致は、ゆっくりと、かみしめるように読むのに適しています。これほど豊饒なシリーズが途中で途切れることなく、全八作、全てが邦訳されたのが本当に喜ばしいです。このシリーズを読み続けることによって、一段と翻訳ミステリー好きに育てたと思っています。

     ところで、冒頭で「アン・クリーヴス邦訳全作レビュー(仮)」としておいたのは、早川書房の2023年刊行予告によれば、アン・クリーヴスの〈マシュー・ヴェン〉シリーズの邦訳が始まるからです。3月に刊行の『哀惜』(原題 ”The Long Call”)がそれのようです。

     なので、これは来月までの短い間のみ通用する「邦訳全作レビュー」になるのです。その意味での、カッコカリ。まあ、3月下旬の刊行に合わせて、『哀惜』のレビューも書こうと思っていますが。

     あとはアン・クリーヴスの有名シリーズ、〈ヴェラ・スタンホープ〉のシリーズをどこかで訳してくれないものか。だってもう、これだけ読んでも、まだ読み足りないんだもの。

    (2023年2月)



第49回2022.12.23
クリスマスには仁木悦子を! ~江戸川乱歩賞受賞の傑作、三回目の再読~

  • 仁木悦子、書影


    仁木悦子
    『猫は知っていた 新装版』
    (講談社文庫)

  • 〇クリスマスには……?

     クリスマスに出す原稿は今まで、第5回にはクリスマスを描いたマイ・シューヴァル&ペール・ヴァールー『笑う警官』の精読記事(?)を挙げて、第29回には我が「聖典」ということで法月綸太郎の評論集の特集を組んだりしたところ。今回は、クリスマスの更新というわけではないのですが、私にとっての「クリスマス」のイメージがある作家を取り上げたいと思い、仁木悦子回を持ってきました。

     理由は色々あるのですが、今回の日記を書くきっかけとなったのは、仁木悦子のデビュー作である『猫は知っていた 新装版』(講談社文庫)が10月14日に刊行され(入院の直前)、これを機に三度目の再読をしようかと思い立ったこと。そして再読した結果、旧版から再録の大内茂男の解説は好きだけれども、どうせなら新装版の解説が欲しかったなあと思ったので(帯に有栖川有栖の推薦文はありますが、やはり解説も欲しい)、北上次郎の『勝手に! 文庫解説』の向こうを張るわけではもちろんないですが、何か自分なりに思っていることを書き留めておこうかな、と思ったということです。

     2019年に世田谷文学館で「仁木悦子の肖像」展が開かれた時、寺山修司との書簡のやり取りや、仁木悦子の創作ノートやプロット表などを見て、大いに刺激を受けたことを今でも覚えています。創作の方法については、ポプラ文庫ピュアフル版『林の中の家 仁木兄妹の事件簿』に収録された「悠久のむかしのはなし ――「林の中の家」――」と題された仁木悦子によるエッセイにも書かれていた「カード方式」や「時間のグラフ」の方法が展示されていたのです。「時間のグラフ」というのは、登場人物たちの動きを示したものですが、「カード方式」というのは、作中で起こる出来事の順序を決めたり、表面に現れた事実と作者だけが知っている真相とを整理したりするために、出来事を書いたカードを作って、配置したり入れ替えたりするというものです。この方法には大いに刺激を受け、私自身、登場人物が多くなった『録音された誘拐』という作品でこの「カード方式」を取り入れました。

     そのくらい、仁木悦子は好きな推理作家で、大いに影響を受けているのですが……『猫は知っていた』との出会いは、今から思い返すと、幸福なものではなかったかもしれません。今日は、名作と再読に関わる話から始めてみようと思います。

    〇『猫は知っていた』について

     まずは、この記事を書くきっかけになった『猫は知っていた』の話をしましょう。本作は仁木雄太郎・仁木悦子兄妹の活躍を描いていて、作中の登場人物と作者の名前が同じという、エラリー・クイーンの趣向を地で行った形。妹の悦子の冴え渡る直感と、頭脳派の兄・雄太郎のロジックとの掛け合わせで、犯人を追い詰めていく痛快な作品です。『猫は知っていた』の時点では、悦子も雄太郎も学生ですが、後の長編『林の中の家』『刺のある樹』などでは、それぞれ成長した姿を見せてくれて、特に雄太郎が口うるさい植物学者になっているあたりがツボなのですが、この植物の知識が謎解きに生きてくる作品もあるので、油断なりません。悦子と雄太郎の溌溂とした会話劇と、快刀乱麻を断つような推理、縦横無尽に張り巡らされた伏線、そして全体に満ち溢れる健康的な雰囲気が、この〈仁木兄妹〉シリーズの魅力と言えます。

     と、いうのが概要なのですが、私はこうした『猫は知っていた』の良さを、初読時には何も掴み取っていませんでした。読んだきっかけは、2010年に、ポプラ文庫ピュアフルから中村佑介表紙で『猫は知っていた』が復刊されたからです(当時は森見登美彦作品に大ハマりしていて、中村佑介のイラストに目がなかったのです。ポプラ文庫ピュアフルからはこのほかに、先にも登場した長編『林の中の家』『刺のある樹』と、オリジナル短編集『私の大好きな探偵』『子供たちの長い放課後』が刊行)。とはいえ、当時は中学三年生。脂ぎったトリックや、目を回すようなロジック、もしくは、陰鬱とした心理描写などを求めてやまなかった時期です。そういう時期に読んだからか、もしくは、「名作だ」「傑作だ」と煽られ続けたからか、『猫は知っていた』が薄味に感じられて、あんまり楽しめなかったのです。友人の斜線堂有紀にも、「阿津川辰海は兄妹の話は好き」と確定診断を食らっているほどで、その趣味は当時から変わっていないはずなのに、なぜ、と首を捻るばかり。

     こんなことを書くのは、名作と呼ばれるものに挑んだ時の素直な気持ちを、一つでも多く書き残しておきたいなあと思う故ですし、第38回でレイモンド・チャンドラー『長い別れ』の再読遍歴を晒したところ、身近な人から結構反響があったので、「あえてこういうことを書いておくと、誰かの安心になるかもしれないな」と思うので、書いておきます(ちなみに、次の段落を読めば分かるように、私は仁木悦子のことが大好きなのであしからず……。しばらく私の昔の苦闘にお付き合いください)。

     しかし、大学二年の時に状況は変わります。仁木悦子に大ハマりしたのです。きっかけになったのは、『冷えきった街』という作品でした。私立探偵・三影潤を主人公としたハードボイルド小説で、クールな筆致そのものにシビれましたし、苦み走った結末にも、当時ハマっていたロス・マクドナルドの作風を思い出し、大いに魅了されたのです。『緋の記憶』『夢魔の爪』など、三影潤の登場作品を収集するところから始めて、仁木悦子のパズラーの魅力に少しずつ開眼していったのです(三影潤の登場作品は、長編『冷えきった街』を含めて、創元推理文庫の『冷えきった街/緋の記憶 日本ハードボイルド全集4』で美味しいところが読めるので超おすすめです)。

     特に好きなのは、複雑な構図を読者にも分かりやすくプレゼンテーションする技術に舌を巻いた『殺人配線図』『二つの陰画』や、『冷えきった街』にもあった苦みを味わえる、私立探偵・砂村朝人ものの『青じろい季節』。また、子供を視点に据えた作品にはとにかくはずれがなく、「かあちゃんは犯人じゃない」『粘土の犬』収録)、「穴」『穴』収録)などなど、短編に宝の山が眠っていました。少し脱線すれば、短編集には本当にはずれがなく、最近新刊で出た中公文庫の『粘土の犬』、ちくま文庫の『赤い猫』、光文社文庫の『死の花の咲く家』あたりから読み始めるのもアリです。この中だと『粘土の犬』がイチオシでしょうか。「かあちゃんは犯人じゃない」もいいですし、仁木兄弟ものの「弾丸は飛び出した」が好き。おまけにこの中公文庫版『粘土の犬』には、仁木悦子の短編の中からえりすぐりの物が揃った『赤い痕』の四編も同時収録されています(「赤い痕」「みずほ荘殺人事件」「おたね」「罪なきものまず石をなげうて」)。

     ……と、早口で語ってしまうようになるほど、大学二年時点の私は、仁木悦子に大ハマり。その時私は、再読……二度目の『猫は知っていた』に挑むことになるのです。これはミステリー読みによくある現象で、「名作・代表作バイアス」と私が勝手に名付けているものだ、と。つまり、名作だ代表作だと煽られれば煽られるほど、期待が高まってしまって楽しめず、逆に身構えずに読んだ名作・代表作以外の二作目・三作目のほうが楽しめるという……。私の体験で言うと、松本清張の『点と線』であるとか(その後に読んだ『眼の壁』や『ガラスの城』で楽しめるように)、鮎川哲也の『黒いトランク』であるとか(その後に読んだ『鍵孔のない扉』と『ペトロフ事件』で楽しさが分かり、今では全作品好き)、ああいう類の不幸な出会いだったんだ、と。

     そんな気持ちで臨んだ『猫は知っていた』の再読……しかし、結論から書いてしまえば、私はこの二回目でも、『猫は知っていた』の楽しさに開眼できなかったのです。なんたる恥知らず……。その理由は単純で、他の仁木悦子作品を、この時期大量に読んでいたからです。仁木兄妹の長編は、この後『林の中の家』『刺のある樹』『黒いリボン』と続くのですが、特に『林の中の家』が傑作で、縦横無尽に張り巡らされた伏線の量と、その伏線から推理を導き出していく手つきの確かさと言ったら、思わず唸ってしまうほど美しいのです。そういう印象が手伝ってか、「仁木悦子で一作と言われたら、『猫』ではないな」という思いが先立ってしまった、という形です。良さは分かるけれど……ぐらいの気持ち。再読した時はちょうど大学生で、他の作品で、大人になった仁木兄妹を見ていたこともあり、「なんだか危なっかしい捜査行だなあ」と別のところで心配してしまったのも、原因の一つだったのかもしれません。

     そんなわけで、仁木悦子は大好きなのだけど、『猫は知っていた』にはいろいろと思うところがあり……という思い入れで迎えたのが、2022年の10月14日『猫は知っていた 新装版』の発売だったのです。現在、28歳。新装版の発売を機に、三度目の再読に挑もう、と思い、読み始めたのですが……。

     

    いやあもう全ページ面白い。べらぼうに面白い。



     ここまでの脈絡を断ち切るような感想に驚いた人も多いと思いますが、私も驚いています。本当に驚いたのは、今の年齢になってみて、『猫は知っていた』の文章が、「水のように飲める」ほど居心地の良い文章だと感じられたことです。カクシャクとして、キビキビとした、仁木悦子と雄太郎の会話劇と捜査行の、楽しいこと楽しいこと。大学生の頃は無駄に心配してしまった、犯人との対決を描いたピンチの描写も、「お約束」として楽しめたし……。

     トリックの面でも、「いかにもミステリー」と思わせる、秘密の抜け穴だとか、蛇毒を塗ったナイフという古めかしい道具立てが、ロジックの要請の中で綺麗にパズルのピースに組み込まれていく律義さも、今となっては新鮮に感じられたのです。とんでもなく折り目正しい……。香箱座りをした猫のような、こじんまりとまとまりつつも、風格があって、洗練されたものを感じたのでした。くっきりとトリックを味わえたことで、後年のある作家の作品に、本作の「猫」にまつわるトリックをアレンジしたものがあることにも思い至ったのですが、オリジナルである『猫は知っていた』にもオリジナルならではの、発想の脇を固める工夫があり、後年のその作家の作品も、「猫」の趣向に別のジャンルの発想を掛け合わせて違うバリエーションを生み出していることに気付くなど、そういう時代を超えた応答も見出して楽しむ余裕も出てきました(後年の作家の作品を伏せているので、なにがなんだか分かりませんね。私が想定しているのは国内作家Kの短編集中の一作です)

     その思いには、私がミステリーに期待するものが時を経て変わって来たとか、ちょうど心身ともに疲れていて、登場人物の懊悩に取り込まれたりしない健全で明るい読み物が読みたいタイミングだったとか、色んな背景があるのだと思います。とにもかくにも、三回目の再読で、ようやく本書の魅力を十全に味わいつくした気がして、個人的に嬉しくなってしまった、という話でした。

    〇仁木悦子とクリスマス?

     さて、長い長い『猫は知っていた』読書遍歴を終えて、いよいよ、なぜ「クリスマスには仁木悦子」かという話になるのですが、理由の一つはもちろん、仁木悦子が「日本のクリスティー」と呼ばれており、クリスティーのクリスマスのイメージを重ね合わせたことです。ですがそれ以上に、私が仁木悦子にクリスマスのイメージを持っているのは、「聖い夜の中で」『聖い夜の中で』収録)という短編があるからです。この短編集は「仁木悦子最後の短編集」として刊行されたもので、〈三影潤〉シリーズからも「数列と人魚」などが収録されています。中でも、「聖い夜の中で」は仁木悦子の絶筆です。

     クリスマスはミステリーの舞台にふさわしい……と言われるのは、クリスマスの煌びやかなイメージが殺人の舞台として映えることや、サンタクロースやトナカイといった道具立てが小道具として使いやすいこと、海外ミステリーではなおさら、家族団欒の描写として日常風景として描かれることなど、様々な理由があると思います。その中でも私は、「誰もが誰ものサンタクロースになれるというこの夜の甘さが、犯罪の苦みを引き立てるから」という理由を強調してみようと思います。

     そんな持論の証左となる一作が、「聖い夜の中で」という短編です。念のため言えば、これは謎解きミステリーではありません。ジャンルをあてはめるとすれば、犯罪小説ということになるでしょう。刑務所を脱走した殺人犯・岩野と、母子家庭で育つ少年・ひろむがクリスマスの夜に出会い、岩野がサンタクロースの扮装をしていたせいで、ひろむは「サンタさんが来たのだと思い込む」という趣向の短編です。

     徹頭徹尾、冷たい現実を書き連ねる岩野の視点と、瑞々しい感覚で綴られたひろむの視点。二人の会話は延々と平行線をたどりますが、結末に至り、この甘いクリスマスの夜に、サンタクロースの幻想と、苦い犯罪の現実をクロスさせ、ファンタジックで温かなシーンを紡いでみせる。少年の視点から描いた、切なくも優しいラストシーンを読むたびに、思わず目頭が熱くなります。最高のクリスマス・ストーリーで短編集を編めと言われたら、絶対に外さない一編です。

     仁木悦子の子供と言えば、仁木兄妹の溌溂とした活躍や、母親の無実を信じて一人奮闘する「かあちゃんは犯人じゃない」など、「自分の頭で考えて、頑張る少年少女たち」が思い出されます。子供ならではの壁にぶち当たることもあるけれど、誰も彼も、たくましいのです。その中では、「聖い夜の中で」に描かれたひろむは、幼稚園に通う程度の年齢です。そうした幼さゆえの思い込み……という短編でもあるのですが、たくましく戦う少年少女たちの姿を描いてきた仁木悦子が最後に描いたのが、母の胸にひしと抱きしめられる、幼い少年の姿だったというところも、胸を熱くさせます。

     ということで、「聖い夜の中で」、クリスマスに読むのにおすすめです。短編なのでクリスマスが忙しい皆様にもフィットする手軽さ。

     私は今年のクリスマス読書、どうしようかな。原稿を書いている時には未来の話だけど、原稿が出るころには東京創元社から『英国クリスマス幽霊譚傑作選』が刊行されているはずなので、それにしようかしら。クリスマスと言えばゴースト・ストーリーだもんなあ(あれ。さっきと言っていること違くない?)。

第48回2022.12.09
極・私的『SFが読みたい……』2022年版 ~韓国SFから古典まで~

  • ニール・スティーヴンスン、書影


    ニール・スティーヴンスン
    『スノウ・クラッシュ』
    (ハヤカワ文庫SF)

  • 〇今年もこの季節がやってまいりました

     毎年恒例、「海外ミステリーのランキング投票まで、信じられない量の翻訳ミステリーを読むことになる反動で、SFが読みたくなる」の季節です。なのですが、今年は体の不調が祟って入院をする期間が発生したので、10月中旬に入院する前に読めた本だけで打線を組んで、入院前に原稿を突っ込んでおきました(編集部注:作者は既に退院済とのこと)。あれもこれも読んでおきたかったなあ、と思うのですが。

     それでは、以下が取り上げる本リストです。

    ・宮部みゆき『さよならの儀式』(河出書房新社→河出文庫)
    ・澤村伊智『ファミリーランド』(角川ホラー文庫)
    ・佐々木譲『裂けた明日』(新潮社)
    ・劉慈欣『老神介護』『流浪地球』『火守』(いずれもKADOKAWA)
    ・サラ・ピンスカー『いずれすべては海の中に』(竹書房文庫)
    ・ガイ・モーパス『デスパーク』(ハヤカワ文庫SF)
    ・チャン・ガンミョン『極めて私的な超能力』(新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)
    ・ニール・スティーヴンスン『スノウ・クラッシュ(上・下)』(ハヤカワ文庫SF)

     では、テンポ良く行きましょう。

     宮部みゆき『さよならの儀式』(河出書房新社→河出文庫)は文庫化の報を機に積読してしまっていた単行本をあわてて読んだというパターン。大森望責任編集のSFアンソロジー『NOVA』(河出文庫)に発表した作品を中心に編まれた著者初のSF短編集。SFの設定によって抉り出される、時代を超えて変わらない家族や人間の生々しい感情に圧倒されます。冒頭の「母の法律」からして、「マザー法」によって虐待児が保護されるようになった社会において、「母」を探し求める女性の話なのですが、このラストシーンは絶句するほど強烈です。表題作「さよならの儀式」はロボットが浸透した社会で、ロボットとお別れする「廃棄手続きの窓口」にて交わされる、ある利用者と技師のやり取りを描いた作品で、この技師の心理描写の巧さに打ちのめされてしまいます。私立探偵小説のプロットに凄まじいアイデアを投入した「聖痕」もお気に入りで、大充実の短編集です。

     SF設定を経由して、時代を通じて変わらない家族の歪みを描く、という点で響き合ったのが、澤村伊智『ファミリーランド』(角川ホラー文庫)。単行本版は早川書房から、SF押しで売り出された覚えがあるのですが、今回はホラー文庫としてお召し替え。文庫の帯にある「近未来のテクノロジーでも解決できない、家族という呪い」という文言がとにかくぴったりで、全六編、手を替え品を替え放たれる、SF設定の妙と、ショッキングなどんでん返しの技に、思わず唸ってしまいます。私のお気に入りはデザイナベイビーが当たり前になった社会を描いた「翼の折れた金魚」で、序盤では隠されていたピースが明らかになるたび、剝き出しの感情が次々露になっていく展開が怖かった。

     国内作家からはもう一冊、佐々木譲『裂けた明日』(新潮社)を。佐々木譲は今年出した新刊のうち三冊がSFの範疇に属するようで(『偽装同盟』、本書、11月発売の『闇の聖域』。この原稿を書いている時は、まだ『闇の聖域』は読めていませんが)、今もっともチャレンジングにSFに取り組んでいる作家の一人と言えそうです。『裂けた明日』は近未来に内戦が起きた日本という設定を用いており、元公務員の男が、追われる母娘を安全な場所まで送り届けるというのがメインプロット。著者の得意とするハードボイルドの枠組みでSF設定を生かした作品となっています。男の贖罪と、母娘の安全を祈るような巡礼の旅路が、ようやく交錯するラストシーンに、思わず目頭が熱くなりました。これは良い……。

     ここからは海外編。劉慈欣『老神介護』『流浪地球』『火守』(いずれもKADOKAWA)をまとめ読みしました。『老神介護』『流浪地球』は2022年の9月に同時刊行された短編集二冊で、大森望・古市雅子によるあとがきによれば、KADOKAWAが翻訳権を得た短編十一編について、二分冊で刊行したというもの。『三体』を読んだ時から、劉作品には、「壮大なホラ話、そこにちょっぴりのロマンチシズム」という意味での、昔のSFの良さがあるなあ、となんとなく感じていたのですが、その良さが横溢した短編集がこの二冊と言えます。『老神介護』の表題作での、老いた神たちが地球の家族に扶養されるために降りてきて、段々疎まれていく流れだけでも笑えますし、『流浪地球』中の「呪い5・0」に至っては自虐ネタまで盛り込んで抱腹絶倒のバカSFをやらかす。かと思えば、『流浪地球』の表題作では、地球を太陽系から脱出させるという壮大なアイデアの先に、思わずうるっとくるような結末を用意していたりするのですから、もうたまらない。これを機に、一年くらい積んでしまっていた、劉慈欣作の童話の翻訳『火守』も読みました。絵本風のイラストも良いし、心の中に温かい火が灯るような文章も良いし……これも実に素晴らしい。作品自体は短編くらいの長さなのですが、何度も読み返す作品になりそうです。子供にも読ませたい一冊。

     最近実は推している作家、という繋がりだと、竹書房文庫から『いずれすべては海の中に』が刊行されたサラ・ピンスカーは、早くも推し作家の仲間入り。2021年に刊行された歌手と聞き手の物語としてとても胸を熱くさせる傑作音楽SF『新しい時代への歌』に続く二冊目ですが、今回は短編集ということで、その筆致の静謐さや幻想的なイメージの良さがより伝わる一冊になっていると思います。集中の短編では「孤独な船乗りはだれ一人」や「イッカク」あたりが好きです(私は海が出てくるSFに異様に弱い説があるな。マイクル・コーニイのせいだろうか?)。かと思えば、並行世界のサラ・ピンスカーたちが集まる「サラコン」の会場で起きた殺人事件を描く、冗談みたいなSFミステリーの中編「そして(Nマイナス1)人しかいなくなった」なんかもあって、本当に油断ならない。タイトルはクリスティーの『そして誰もいなくなった』(And Then There Were None)のもじりなのですが、英語だとサラ・ピンスカーのタイトルはAnd Then There Were (N-one)となるので、この遊び心にニヤニヤしてしまうのです。

     SFミステリーらしい話題を出したので、ここでガイ・モーバス『デスパーク』(ハヤカワ文庫SF)を。寿命が短くなった者たちが、一人の体を五人で共有し、ゲームで寿命を増やすことが出来る……そんなゲームパークにおいて、五人のうちの一人が「殺される」という筋立てで、さながら西澤保彦『人格転移の殺人』を思わせるSFミステリーになっています。一人の体を共有しているので、持ち時間が決まっているのですが、これが登場人物表にも書かれているのも思わず笑ってしまいますし、この持ち時間の設定を生かして、五人の性格描写やせめぎ合いを描くのも面白い。本格ミステリーとして落とす、というよりは、半歩外した位置に着地した感がある作品ですが、ミステリー好きで読み逃していたら、一読の価値あり、という作品です。

     早川繋がりでチャン・ガンミョン『極めて私的な超能力』(新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)も紹介。これまで文芸作品が何冊か翻訳された韓国の作家による短編集で、SFのものが邦訳されるのは初とのこと。設定の転がし方が好みで、人の記憶を移植できる〈体験機械〉によって、アドルフ・アイヒマンを裁くという「アラスカのアイヒマン」からして、歴史とSF設定の掛け合わせの妙に唸ってしまいましたし、冒頭に元素表を置いて、な、なんだこれは? と思わせてからサバイバル・ゲームの世界に引きずり込まれる「アスタチン」などなど、一編一編に振り回されました。それにしても、「アスタチン」の著者あとがきに、サバイバル・ゲームの作品例として、スティーヴン・キング『バトルランナー』あたりはいいとして、高見広春『バトル・ロワイアル』が並んでいるのにびっくり。

     そして大トリを飾るのは、ニール・スティーヴンスン『スノウ・クラッシュ(上・下)』(ハヤカワ文庫SF)。今更読んだのか、と言われかねない古典タイトルですが、2022年1月に新装版が刊行されたのをきっかけに、読んでみようと思い立ちました。「メタヴァース」「アヴァター」の語を生んだ傑作として有名ですが、いやもう、アホほど面白い……。あらゆるテクノロジーが海外流出したせいで、アメリカの誇れるものが「音楽・映画・マイクロコード・高速ピザ配達」の四つだけになったという設定だけでくすぐられてしまったのですが、この高速ピザ配達人のピンチを描く導入だけでもう面白いのに、謎のドラッグ「スノウ・クラッシュ」が出てきて、あまつさえ古代シュメール人の歴史を紐解くことになるなど、あれよあれよと凄い展開に。特にもう、歴史の話好きなので、シュメール人の話しているくだりは大興奮でした……。

     それにしても『スノウ・クラッシュ』新装版の帯には、「世界のリーダーはSFを読んでいる」と題したフェアの作品一覧が載っているのですが、錚々たるメンツがル・グウィンやハインラインを読んでいるという事実に驚きます。この帯にはなぜだか悔しくなってしまう。ミステリーもそんな感じになればいいのに……。

    (2022年10月)



第47回2022.11.25
驚愕と奇想のミステリー集成! ~9月・10月新刊つめあわせ~

  • 名探偵のいけにえ 人民教会殺人事件、書影


    白井智之
    『名探偵のいけにえ 
    人民教会殺人事件』
    (新潮社)

  • 〇9・10月は新刊が豊作!

     毎年のことなのですが、この時期はミステリー・ランキングや年末を見据えてか、新刊が豊作なので、良かったものについてバンバン書いていこうと思います。この時期に、カッパ・ワン第一期生である四名の新刊がほぼ同時に刊行されました。石持浅海『高島太一を殺したい五人』(光文社)、加賀美雅之『加賀美雅之未収録作品集』(光文社)、林泰広『魔物が書いた理屈っぽいラヴレター』(光文社)、東川篤哉『仕掛島』(東京創元社)がそれなのですが、これらについては、とある場所で「読書日記・出張版」として原稿を書きましたので、ここでは言及を控えておきましょう。

     講談社からは潮谷験『あらゆる薔薇のために』がイチオシ。架空の難病「オスロ昏睡病」と、その難病に関わる「薔薇」がテーマとなるSFミステリーなのですが、この「薔薇」を巡る思索と、その背景が分かってくる過程にSFのセンス・オブ・ワンダーを感じ取って興奮しました。そうした展開が異形の動機を導く展開にも唸ります。特殊設定ミステリーって言葉は、潮谷験と方丈貴恵のために存在していると、一作読むごとに思います。本気で。

     東京創元社からは二冊。一冊目は鵜林伸也『秘境駅のクローズドサークル』。私は鵜林さんの長編『ネクスト・ギグ』のしなやかで強いパズラーの足腰が大好きだったのですが、今作も軽妙な足取りのパズラー作品集になっていて、語り口に心をほぐされると同時に謎解きの快感に膝を打たされる短編集です。中でも「宇宙倶楽部へようこそ」のロマンと、「夢も死体も湧き出る温泉」と表題作のスマートな解決提示と別解潰しのさりげなさがお気に入り。

     東京創元社の二冊目は倉知淳『世界の望む静謐』。倒叙ミステリーの〈乙姫警部〉シリーズの第二弾なのですが、第一作『皇帝と拳銃と』トークショー&サイン会の時に聞いた、「タロットカードモチーフの連作なのはもちろんだけど、イメージにもう一つ、『ジョジョの奇妙な冒険』の第三部がある」という話が印象に残っていて、だから、皇帝であり、拳銃なんだな(ジョジョで「皇帝」というスタンドを使う敵キャラがホル・ホースといって拳銃使い)と妙に納得したのを覚えています。で、本作はラスボスDIOの「世界(ザ・ワールド)」モチーフの中編があるので、さあどうなるか、と思っていたら、異形の能力で犯人が詰められたので思わず笑ってしまいました。

     集英社からは奥田英朗『リバー』をご紹介。私は奥田英朗の書く犯罪小説が昔から大好きで、『最悪』『邪魔』『オリンピックの身代金』『罪の轍』などが大いにツボなのですが、『リバー』はそうした「奥田犯罪群像劇」の系譜に連なる新たな傑作でした。十年前の事件が再度動き出し、様々な人々の人生が交錯していく模様が描かれた静かで力強い、まさに川の流れのような小説です。終盤のシーン、全部良い……。頭の中で日本の俳優をキャスティングするのも楽しいです。ちなみに最近、「オール讀物」で精神科医の〈伊良部一郎〉シリーズの短編も掲載されていて、また短編集が読めるのかな、と楽しみです。「ラジオ体操第2」、心がささくれ立っていた時期に雑誌で読んで、すごく心洗われたんです。最近の短編集『コロナと潜水艦』も良かったし、やっぱりいいなあ、奥田英朗。

     文藝春秋からは笠井潔『煉獄の時』が刊行。往年の『バイバイ、エンジェル』『サマーアポカリプス』を思わせるシリーズ屈指の謎解き編になっているうえ、37年前の事件と現在の事件が見事に繋がる点やテーマなどから「『哲学者の密室』のもう一つの顔」とも言える構図になっているのが感動的な傑作になっています。これはシビれる……。また、プロットの構造を見た時から想起はしていましたが、終盤のナディアのセリフで、全体の構造が『ルコック探偵』のそれ、というのも回収されたのでニヤリとしてしまいました。これを読んでから笠井熱が高まって、また『バイバイ、エンジェル』を再読したり、実はまだチェックできていなかった『天啓の宴』『天啓の器』を読んだりしています。

     行舟文化からは芦辺拓『森江春策の災難 日本一地味な探偵の華麗な事件簿』が刊行。いやあ、これは素晴らしいです。今までいろんな雑誌やアンソロジーに入ったきり、なかなか簡単に読めなかった作品群が集成されているのですから。見どころとしては、まず、犯人当てアンソロジーにそれぞれ寄稿された「森江春策の災難」(『探偵Xからの挑戦状!』収録。余談ですが、これ本当にいい企画でしたよね。ドラマ、見てました)、「読者よ欺かれておくれ」(『あなたが名探偵』収録)の企みに満ちたフーダニット。あるいは、雑誌「つんどく!」で二編だけ書かれた倒叙ミステリーの良作「告げ口時計」「うぬぼれた物真似鳥」。最大の目玉は、劇団フーダニットで上演された演劇の脚本「探偵が来なけりゃ始まらない――森江春策、嵐の孤島へ行く」です。これがもう、またニヤニヤさせられるような快作です。『名探偵は誰だ』のあとがきで、島田一男の名前を出して「探偵が来なけりゃ始まらない」の話をするくだりを読んで以来、いつかなんとしてでも脚本を読ませてもらわねば……と思っていたのですが、こんな形で願いが叶って嬉しいです。

    〇またこんな高みに……驚異のカルト本格!

     さて、大トリは新潮社から、白井智之『名探偵のいけにえ 人民教会殺人事件』! 第40回でも『そして誰も死ななかった』に大いに興奮した話をしたのですが、一体この人はどこまでいくんだと、また『名探偵のいけにえ』で驚かされてしまいました。

     この作の姉妹編となる『名探偵のはらわた』は連作中編集で、冒頭に実際の事件をモチーフにした凶悪犯のプロフィールや事件の概要が書かれている通り(たとえば阿部定事件や津山三十人殺しなどをモチーフにした事件のリストがある)、とある設定を導入することで、現実との奇想のかすがいとして実際の事件を用い、それを連作の中で自在に操るという超絶技巧の作品集になっていました。その自在さに舌を巻いていたので、姉妹編が、長編で出るということで興味津々だったのです。

     本作はジョーデンタウンというカルト教団の信者たちが集う「楽園」を舞台にした本格推理なのですが、果たして奇蹟は実在するのか? という主題をテーマに据えながら、奇蹟のトリックを暴く推理と、奇蹟の賜物としか思えない不可能犯罪の乱舞の対決……とくれば、ここまではどこかで見た「カルト・ミステリー」のフォーマット。私が世代的にドラマ「TRICK」に慣れ親しんでいるせいか、この時点では、少しパロディーめいた雰囲気さえ感じてしまいます。探偵の語り口もあるのかもしれませんが。

     しかし、本書の真価は帯にも堂々と銘打たれた「圧巻の解決編150ページ」にあります。白井智之は書く作品で多重解決のロジックに異様なまでのこだわりを見せている作家なのですが、この多重解決へのこだわりが、異形の構図に結実するのです。この構図は本当にどこでも見たことがなくて、しかもテーマと密接にかかわってドラマを生むというのが実に感動的なのです。謎解きの興奮とドラマの感動が同時に襲い掛かってくるという点でも出色でした。

     また、私にとって白井智之は、名探偵の扱い方が好きな作家です。デビュー作他いくつかの作品では、「いやいや! お前が解くのかよ!」と思わずツッコミを入れたくなるほど意外な展開もありますし、今作でも、「この環境で名探偵に何が出来るのか?」という、いわゆる苦悩的なサブテーマを導入しているのですが、その使い方が実に軽やか。ドラマとしてはしっかり見せつつ、作中の歯車としてドライに取り扱っている、というべきでしょうか。

     いやあ、『名探偵のいけにえ』、大いに楽しまされました。グロテスク性が控えめになっているので、これまで、グロイ展開が苦手で白井本格を避けてきた人にも、今回は薦められます。解決と名探偵に淫した本格ミステリーのエッジ、あなたも体験してみませんか? ということで、どうか一つ。

    (2022年10月)



第46回2022.11.11
これまでのアメリカ、これからのアメリカ ~心に染み入るロード・ムービー~

  • このやさしき大地、書影


    ウィリアム・ケント・クルーガー
    『このやさしき大地』
    (早川書房)

  • 〇クルーガー、最長にして最高の傑作

     今月の一冊はウィリアム・ケント・クルーガー『このやさしき大地』(早川書房)。二段組で500ページ、価格は税抜きで3,000円という重量級の一冊ながら、全ての道行が読書の楽しみに奉仕するような、「物語」の温かみに満ちた長編となっています。

     この作品は、2013年にクルーガーがノン・シリーズ長編として刊行した『ありふれた祈り』(ハヤカワ・ミステリ文庫)の姉妹編にあたります。『ありふれた祈り』はアメリカ探偵作家クラブ賞(エドガー賞)最優秀長篇賞、バリー賞、マカヴィティ賞、アンソニー賞とあらゆるミステリー賞を総なめにした作品で、内容も素晴らしいのです。1961年、ミネソタ州の家で家族と共に暮らす13歳の少年フランクを主人公にした作品なのですが、情景描写や一人一人の登場人物の描写も心のひだに分け入ってくるような、優しく、静かな作品です。このフランクが牧師の息子なのですが、これが小説上実に効いていて、この印象的なタイトルや、結末の余韻にも見事に繋がってくるのです。文庫化もしているので、これはぜひ手に取ってほしい作品。『ありふれた祈り』があまりに良すぎて、それ以来数年、海外ミステリーで『ありふれた祈り』に似た作品を探し求めていたほど。

     そんな作品の姉妹編だということで、本作『このやさしき大地』にも期待していました。今回の舞台は1932年のミネソタ。主人公の12歳の少年オディは、ある事件をきっかけに、虐待が常習化したリンカーン救護院から抜け出し、兄のアルバート、スー族のモーズ、孤児のエミーと共に逃亡することに。彼ら四人は、オディとアルバートのおばが住んでいるセントポールを目指して、ミシシッピ川を目指す……。

     とくれば、これが『ハックルベリー・フィンの冒険』のアップデートなのは明らかなのですが、ここに六部構成による、各部での分厚いドラマを重ねてくるのがクルーガーの腕の見せ所。私が好きなのはリバイバル集会を描いた第三部と、大恐慌の主題が覆いかぶさってくる第四部でしょうか。オディの成長小説というプロットが一貫して描かれた作品なのですが、その意味でも、第三部・第四部には大いに心動かされました。また、スー族のモーズ周りのエピソードが全部良くて、彼に投げかけられる言葉の中に、いくつもいくつも、心に沁みる名セリフがあります。

     ロード・ムービーとして絶妙のドラマを見せてくれる一作なのですが、そりゃあ『ありふれた祈り』で端役の登場人物まであれだけ魅力的に書けたクルーガーが、ロード・ムービーを書いたら無敵だろういう出来栄えで……読み通すにはかなり時間がかかり、私も十日ほどかけてじっくり読んだのですが、それだけの価値がある雄編でした。

     また、内容があまりにも「アメリカ」というか、トウェインでありフォークナーでもありスタインベックでもあり……という作品だったので、この作品の解説は諏訪部浩一以外いないだろうと思って解説を開いたら諏訪部浩一解説だったので、あまりに嬉しくなりました。著者あとがきではディケンズへの言及もあって満面の笑み。当代一流のミステリー作家が英米の古典を咀嚼し尽くして得た大いなる果実をこうして味わえることが、とんでもなく嬉しいという、そういう笑みです。

     ただ、この諏訪部解説に書かれている、クルーガーの〈コーク・オコナー〉シリーズの第九作“Heaven's Keep”で衝撃の展開が起こる、という記述があまりにも気になって地団太を踏んでいます。よ、読みたい。〈コーク・オコナー〉シリーズでは『煉獄の丘』『二度死んだ少女』『血の咆哮』あたりが好きです。『血の咆哮』で〈コーク・オコナー〉シリーズの邦訳が途絶したことを考えるとノンシリーズの『このやさしき大地』が8年ぶりの邦訳なのか……。その第九作というの、原書で買おうかな……。

    (2022年10月)



第45回2022.10.28
現代英国本格の新たなる旗手、さらなる覚醒! ~イギリスの「ディーヴァー」~

  • キュレーターの殺人、書影


    M・W・クレイヴン
    『キュレーターの殺人』
    (ハヤカワ・ミステリ文庫)

  • 〇心優しい私立探偵

     九月の翻訳ミステリーからまずは一冊。マイクル・Z・リューイン『父親たちにまつわる疑問』(ハヤカワ・ミステリ文庫)は、著者一流の会話劇で、宇宙人の父とサンタクロースの母から生まれた謎の男を巡る四つの中編を紡いでいます。「ハヤカワミステリマガジン」のリューイン特集にも参加させていただいたのですが、実はリューインが大好きでして。『沈黙のセールスマン』『消えた女』『季節の終り』あたりが三大傑作だと思っているのですが、読むたびに、うーん、どれもいいですね、となってしまうほどメロメロ。会話劇と、全編に溢れるどことない温かさがたまらないんですよね。

     本作『父親たちにまつわる疑問』でも、その「温かさ」が滲んでいます。依頼人となる謎の男が、毎回実際の神童の名前を名乗って現れるという設定だけでもうツボなのですが(たとえば一編目は、NBA選手のレブロン・ジェイムズの名前を名乗ります)、二編目で、彼が自分でシェルターを作り、弱い人々をかくまっているという状況でトラブルに巻き込まれる事件を扱うに至って、これは「人と『少し違う』ことで取り残される人々」を優しく描いていく短編集なのだと気付いた次第。個人的には、痩せるための努力をしていないのに痩せていく……という奇妙な事件を扱った第三編と、依頼人を巡る冒険が遂にサムスン自身にも関わってくる第四話がお気に入り。オススメですよ、これ。

    〇クレイヴン、新たな傑作

     さて、更にもう一冊、今回取り上げておきたいのはM・W・クレイヴン『キュレーターの殺人』(ハヤカワ・ミステリ文庫)です。二冊ともハヤカワになってしまった。癒着か? まあ、それは冗談として、9・10月の国内ミステリーの注目作は来月用にストックしていますので、それも楽しみにしておいてください。

     閑話休題。本作『キュレーターの殺人』は、『ストーンサークルの殺人』『ブラックサマーの殺人』に続く第三弾で、刑事ワシントン・ポーと分析課官ティリー・ブラッドショーの新たな冒険を描きます。このシリーズは、トリッキーなプロットに、刑事ワシントン・ポー自身の物語を有機的に絡めたシリーズであり、『ストーンサークルの殺人』ではミッシングリンクの謎で、『ブラックサマーの殺人』では二重三重に張り巡らされた不可能犯罪の興味で読ませてくれました。

     今回はクリスマスの英国カンブリア州で切断された人間の指が次々発見されるという事件で、更に現場には「#BSC6」という謎の文字が残されています。犠牲者たちの身元捜しや、被害者の共通点を探っていくプロットからは、『ストーンサークルの殺人』のミッシングリンクの謎も思い出しますが、本作がより素晴らしいのは、事件の構図が分かる瞬間の鮮烈な驚きです。「いやいやいや、そんなには上手く行かないだろ!」と反射的にツッコミそうになってしまうのですが、謎解きの手掛かりはシンプルながら効果的なこともあり、最終的にはノックアウトされてしまいます。

     この犯人の絶対性と、それによって支えられたとんでもない事件の構図から思い出したのは、結局、ジェフリー・ディーヴァーの存在でした。前回に続けて、またその話するの? という感じなのですが、アンソニー・ホロヴィッツ、リチャード・オスマン、アン・クリーヴス、エリー・グリフィスなどを見ても分かる通り、クリスティー流のクラシカルな謎解きミステリーの伝統を引き継ぐイギリスにおいて、あえてディーヴァーの犯罪小説の文脈を切り開いているのがM・W・クレイヴンなのではないか、という思いを新たにしました。だって、この犯人の設定の盛り方って、やっぱりディーヴァーだと思うんだよなあ。

     謎解きミステリーとして更なる高みに上った感のある本作もぜひどうぞ。

    (2022年10月)



第44回 特別編92022.10.14
ジェフリー・ディーヴァー試論 ~その「どんでん返し」の正体、あるいは偽手掛かりと名探偵への現代米国アプローチ~

  • 真夜中の密室、書影


    ジェフリー・ディーヴァー
    『真夜中の密室』
    (文藝春秋)

  • 〇柳本格の真髄たる一作、再文庫化!

     10月に幻冬舎文庫より刊行された「柳広司『はじまりの島』の解説を担当しました。同作は2002年に朝日新聞社にて刊行されたのち、2006年に創元推理文庫入り、今回が二度目の文庫化となります。創元推理文庫入りした時には、『はじまりの島』『黄金の灰』『饗宴シュンポシオン ソクラテス最後の事件』の三作が同文庫から連続刊行され、柳本格の初期傑作を集成したような感があり、興奮したものです。この三作は私にとって柳作品のベスト級の三作で、ここに『吾輩は猫である』のイベントを日常の謎に組み替えるアクロバットを楽しめる文学の冒険『漱石先生の事件簿 猫の巻』、誰もが知る「山月記」の「李徴子が虎になった」というエピソードを論理によって解体してしまうヤングアダルト・ミステリーのケッサク『虎と月』を加えてマイ・ベスト5としたいですね。

     そんなベスト5の一角にして、本格ミステリー度としては中でも屈指の『はじまりの島』の解説をいただけて大喜びでした。これはダーウィンがガラパゴス諸島で連続殺人の謎に挑んでいた! というIF設定の歴史本格ミステリーで、フー・ハウ・ホワイ、いずれにも凄まじい工夫が凝らされた傑作です。ダーウィン先生がブラウン神父のような逆説的な言動を繰り返すことにより生まれる、黄金時代本格のような香気が漂っているのもポイント。解説では、このあたりの評価ポイントに加えて、中学時代の柳作品原体験を引っ張り出してきて、柳広司作品の魅力の根源について考えてみました。書店でお見かけの際は、ぜひ。『はじまりの島』、面白いですよ。

    〇ジェフリー・ディーヴァー試論

     さて、今回はジェフリー・ディーヴァー最新作にして、〈リンカーン・ライム〉シリーズ最新作である『真夜中の密室』の刊行を記念して……〈リンカーン・ライム〉シリーズ全十五作品のレビューを行います!

     記念すべき、十五、という切りのいい数字にあやかったのもありますが、このタイミングで、私がディーヴァーについて考えていることをアウトプットしておこうと思ったというのが大きいです。『紅蓮館の殺人』『蒼海館の殺人』『録音された誘拐』という長編や、これから色々考えている企画のいくつかにも、ここで述べるような、「ディーヴァーの『どんでん返し』ってなんなんだろう?」という思考が深く関わっているからです。自作について、編集さんから「こんなのどこで思いついてきたんですか?」と聞かれるたびに、「クリスティーとディーヴァーです」と答えています(もちろん、個々のテーマに沿って、他にも大量の参考文献があるわけですが、核となる発想や演出法は、という意味です)。クリスティーについてはオマージュを明確にしていることと、シーン単位で「ここは〇〇を意識して……」と言うと分かってもらえるのですが、ディーヴァーについては首を傾げられることが多いのです。

     それが悔しいから、というわけではないのですが、ディーヴァーを謎解きミステリーの文脈で掘り下げる、それを精緻化して行う、というのを、誰かが整理してやっておくことは無駄にはならないのではないかと思ったので、やることにしました。これは今までの私の長編を書く中でも、ある程度生かされてきたものなので、ファンの方は、私の脳の中を覗く機会とでも思ってください。

     私にとって、ジェフリー・ディーヴァーの〈リンカーン・ライム〉シリーズを受容する時にずっと悩まされてきたのは、『ウォッチメイカー』あたりまでで盛んに言われていた、「ジェフリー・ディーヴァーはどんでん返しを一作ごとに変化させている」という議論でした。私はこれがいつまで経っても感覚的に掴めず、といって、何がどう違うのか、というところまで精緻に議論しようとするとネタバレに踏み込まざるを得ず、しかし全十五作のネタを正確に把握しながら話せる人はいない、というジレンマで足踏みしてきたのです。

     というわけで、今から私は、「1、『どんでん返し』という言葉を使用せず、ディーヴァーの真相の作り方を分析し」「2、〈リンカーン・ライム〉諸作品のネタバレを一切行わない」ことで、謎解きミステリーとしての〈リンカーン・ライム〉の魅力に迫っていこうと思います。2は不可能ではないか、と思われるかもしれないですが、実は、シリーズの真相が「一作ごとに変化して」見えるのは、題材配置や、その特徴、前作との設定の差異から来る必然と言えるため、設定について議論するだけで、「どんでん返しの変化」についても結果的に言及できると思います。

    〇総論

     まず、以下に今回の議論の前提およびアウトラインとして、〈リンカーン・ライム〉シリーズ十五作品のタイトルと、私が考える期間の区分けを書きます。
    (① ~⑬は文春文庫。⑭⑮は文芸春秋単行本)

    〈確立の第一期〉
    ① ボーン・コレクター
    ② コフィン・ダンサー
    ③ エンプティー・チェア
    ④ 石の猿
    魔術師イリュージョニスト
    ⑥ 12番目のカード
    ⑦ ウォッチメイカー
    〈変化の第二期〉
    ⑧ ソウル・コレクター
    ⑨ バーニング・ワイヤー
    ⑩ ゴースト・スナイパー
    ⑪ スキン・コレクター
    ⑫ スティール・キス
    〈跳躍の第三期〉
    ⑬ ブラック・スクリーム
    ⑭ カッティング・エッジ
    ⑮ 真夜中の密室

     ここからは、それぞれのシリーズを番号で表記する場合がありますので、参照ください。

     さて、まず、ディーヴァーの真相の作り方について整理します。ここで、私はあえて大胆に議論を進めますが、ディーヴァーのいわゆる「どんでん返し」には二つのタイプしかありません。第一期・第二期・第三期において少しずつこの二つの比率が変わり、あるいは取り混ぜながら使っているのです。

    〇総論1、「スイッチ」と「トラップ」

     一つ目。これを「スイッチ」(Aの真相)と呼称します。これは単純に言えば「Xだと思っていた話が実はYだった」というものです。「スイッチ」とは、列車のポイント切り替えのイメージから、私があてがった言葉です。すごい速度で進んでいく列車の窓から、別の線路が見え、それが無関係だと思っていたらいつの間にかポイントが切り替えられ、本線にすり替わってしまう、あるいは切り替わる。この「入れ替え」のイメージと、「窓から見える」というところからフェア性を想起してください。

     この「スイッチ」は、作者が読者に仕掛けるトリックであり、究極的には叙述トリックに近接します。ただ、叙述トリックとイコールになるわけではありません。この「スイッチ」を自家薬籠中の物として使用する、マイクル・コナリーやリー・チャイルドという作家が映像化と親和性が高いことも、その証拠と言えます。

    「スイッチ」は、ディーヴァーが主に短編において先鋭化させた手法であり、読者の足元から地面さえ消してしまうような、凄まじいものになっています。その格好のサンプルと言えるのが、「三角関係」(『クリスマス・プレゼント』収録)です。霜月蒼による『アガサ・クリスティー完全攻略』において、「クリスティーの核の核」と言われるほど、クリスティーの技法を凝縮していると紹介された短編が「砂にかかれた三角形」(『死人の鏡』収録)も「三角」をタイトルに含む話でしたが、人と人、物と物の関係性に誤導を仕掛けるという点で、「三角」がクリスティーとディーヴァーの本質だと言えるのかもしれません。この二人に共通する特徴は、「読者に『この話はこういう話だ』という予断を抱かせる技術」がとんでもなく優れていることです。この技術をものにするには、様々な物語のパターンに精通し、物語のパブリックイメージに接続し、読者の意識を操らないといけません。そして、その技術を凝縮した技法が、「スイッチ」というわけです。

     ここで二つ目です。二つ目の技法は、「トラップ」(Bの真相)と呼称します。これは「真犯人が名探偵に対して仕掛ける誤導の罠」を指し、作者から読者に仕掛けるという意味で作品外の技法である「スイッチ」とは別の層、つまり作品内部で仕掛けられるものになります。

     先走って言えば、この「トラップ」という手法は、名探偵vs.怪人の趣向を現代的に追及していた〈リンカーン・ライム〉シリーズが①の頃から持っていた手法でしたが、②~④で違う形の冒険に挑み(ここで形を変えていくつかの「スイッチ」を試す)、⑤で「トラップ」を先鋭化、⑦で完成するという流れになっています。⑦による完成とはつまり、名犯人・ウォッチメイカーの出現です。ウォッチメイカーとは、ディーヴァーが頭の中で考えたすべての欺きと逆転を、ライムの喉元に突きつけるために創造された「絶対的な犯人」なのです。犯人の設定を盛ることで、あれだけの高みに達したとさえ言えます。

     この「トラップ」はお察しの通り、偽の手掛かり問題と親和性が高いネタになります。本物の証拠と偽物の証拠をいかに判別するか。この問題について、エラリー・クイーンは『ギリシア棺』以降、頭を悩ませることになりますが、ディーヴァーはプロットの要請の中で軽やかに扱っています。これを掘り下げるために、「手掛かり」と「名探偵」の二つの要素から、さらに総論を広げてみましょう。

    〇総論2、「手掛かり」の射程とその真贋について

    〈リンカーン・ライム〉シリーズにおいて「手掛かり」とは、グリッド捜索(碁盤目捜索)によって、犯行現場と準犯行現場(殺人等は起きていないが、犯人が訪れた可能性がある場所)において発見された、全ての「微細証拠物件」を指します。この「微細証拠物件」については、このように述べられています。

    “微細証拠物件はライムの好物だった。ときには顕微鏡でなければ見えないほど小さな、かけらや破片。犯人がそれとは気づかずに犯行現場に落としたもの、あるいは犯行現場から持ち帰ったもの。どんなに抜け目ない犯罪者でも手を加えたりわざと置いたりしようなどまでは考えず、どんなに手間を惜しまない犯罪者でも完全に始末することのできない証拠が、微細証拠物件だった。”(『コフィン・ダンサー』、上巻p.205より)

     つまり、この時点で〈リンカーン・ライム〉シリーズには二つの手掛かりの層があります。

    通常の手掛かり=『真夜中の密室』では〈ロックスミス〉が現場に残す新聞紙など。これには偽装を施す余地がある(偽証拠の可能性あり
    微細証拠物件=犯人が手を加えようとすら思わないもの。たとえばこれは『真夜中~』のネタではありませんが、新聞紙に犯人の家近くの砂粒が付着していればそれが微細証拠物件にあたる(偽証拠の可能性なし

     厳密にはこの通りにならない事件もあるのですが、おおざっぱに言って、こういう区分けがされています。これはシャーロック・ホームズの時代を考えると分かりやすく、こういう科学検査でこういう証拠が発見される、という知識がまだ一般的でない時代に、ホームズが様々な技術で犯人を追い詰める時に、そもそも犯人がそこまで調べられると知らないから偽装を施す余地がない……それを、現代の技術でやっているのが〈リンカーン・ライム〉シリーズなのだということは、もはや言い尽くされた議論でしょう。日本ではこの方向性のものはドラマ「科捜研の女」が代表例ですし、近年では岩井圭也『最後の鑑定人』が、鑑定結果によって人の情を炙り出すという趣向で意欲的な連作短編集をものしています。ただ、「科捜研の女」が基本的に一時間枠で、「面白い最新技術による鑑定→犯人・構図に直結」となるものがほとんどであることからも分かる通り、鑑定技術をメインに据える場合、どうしても鑑定と真相の距離が近くなってしまいます。ディーヴァーではそれを大長編のサスペンスに仕立てるために、犯人との対決性を重視し、謎解きの方向性を構図そのものの解きほぐし(ホワットダニット・ホワイダニット)に向けるようにしているのです。

     このとき、「手掛かりから真相に至る道筋」は、大きく分けて、二つほどの道があります。あとで回収するため、「A:スイッチ」「B:トラップ」に続けて、以下のようにアルファベットを振っておきます。

    C:「新現場」の発見
    D:手掛かりの解釈ミス

     C:「新現場」の発見は、新たな事件が起こる場合もありますが、ライムは、犯人と一瞬だけ接触した目撃者の車椅子や、犯人は取り逃したが共犯者の身柄だけは確保した時の共犯者、などからも証拠を得ることがあります。共犯者の場合、証拠だけでなく、情報を得ることもあり、この「情報」の部分については真犯人の罠が仕掛けられている、なんてこともありますが。

     D:手掛かりの解釈ミス、は、手掛かり自体はずっと目の前にあるのに、その解釈を読み間違えている場合、などを指します。近年でもっともこの類型にあてはまるのは、『ブラック・スクリーム』における現場汚染の手掛かりです。エルコレ・ベネッリという、グリッド捜索を行ったり、ライムの元で証拠を扱ったりする経験がないため、いかにもミスをしそうな人物の行動を介することで、ライムに手がかりの解釈を誤らせるのです。それは犯人の意図ではないのですが、結果的に解決を遅延することに成功しています。先ほどの「通常の手掛かり/微細証拠物件」という区分けと合わせれば、犯人の身元に繋がる決定的な微細証拠物件が目の前にずっとある(ディーヴァーお得意の「ホワイトボード」に書かれている)にもかかわらず、ライムが手掛かりの解釈を読み違える、というパターンが最も多くなることになります。

     このDには、「あるべきはずなのに、存在しない手掛かり」というネガティブな手掛かりも含めていいかもしれません。この手掛かりのパターンは、後述するある理由で、ディーヴァーがたびたび利用するロジックになっています。

    〇総論3、「名探偵」ライムの効用

     さて、今出した「効用」という不思議な語ですが、これは都筑道夫による『黄色い部屋はいかに改装されたか?』に収録された文章から持ってきました。佐野洋の「名探偵不要論」と対立した都筑の「名探偵必要論」の要諦をなす文章で、少し長いですが引いてみましょう。刑事ドラマ「アイアンサイド」について語った文章です。

    “ところで、これが名警部シリーズの一篇でなかったとしたら、どうでしょう。うまいどんでん返しだ、やられたな、と思えば思うほど、ひとつの疑問が出てくるはずです。なるほど、青年の計画はよく考えてある。自分の素性も、狙った相手も、推理できるように仕組んである。けれども、推理は簡単じゃない。ただの警部が、そこまで読んでくれるだろうか?
     手がかりを正しく読んでくれなかったら、この計画はなんにもならないのです。よく考えてみると、この話は不自然だよ、ということになってきます。そうじゃありませんか?
     でも、これは「アイアンサイド」の一篇でした。視聴者はこれまでに、アイアンサイドがおどろくほどの記憶力を持ち、観察が細かく、とっさのうちにも鋭い推理をめぐらす能力があって、しかもエネルギッシュな人物だ、ということを知っています。視聴者が知っているくらいだから、犯人が知っているのは、当然でしょう。“(同書の増補版(フリースタイル版)、p.109)

     都筑はこれを「名探偵の効用」と述べます。要するに、犯人と探偵の知的ゲームを成立させるための要件として、名探偵の能力を説得力に用いるということでしょう。都筑の頃にはまだ、「名探偵のことを『読者が』知っている」に重きが置かれていると思います。『犯人も』知っているだろう、については、当時は曖昧な処理になっていると言えるのではないでしょうか。

      ところが、時代は下って、「犯人が名探偵のことを知っている」という部分の処理も丁寧になされる作品が出てくるようになりました。それを執拗に行なっている作品の一つが、この〈リンカーン・ライム〉シリーズです。なぜそう言えるのか。理由は単純です。
    ライムは『証拠物件』を著した物証分析の有名人であり、犯人もそれを知ってライムに挑んでくるからです。
    これは恐ろしいことに『ボーン・コレクター』の時期からすでにそうで、犯人は『証拠物件』を学習したうえで、現場にアフターシェイブローションを撒き、微細証拠物件の収集を妨害するのです。この『証拠物件』を読んだ犯人との対決というパターンは、近年の短編集『フルスロットル』に収録された短編「教科書どおりの犯罪」でさえ踏襲されます。

     そう、ここで「総論2」の「手掛かり」に立ち返りますが、「微細証拠物件」には本質的には手を加えられないけれども、代わりに、その収集を妨害することは出来るのです。勤勉な犯人は、それが出来ます。

     しかし、それが出来るのは、犯人がリンカーン・ライムの介入を予測している場合に限ります。犯人がライムのことを知らない、あるいは興味さえないという場合には、この「名探偵の効用」も意味をなさない――果たして、本当にそうか? ここで立ち止まらなかったのがこのシリーズの凄いところであり、これが、②からの快進撃、あるいは〈第三期〉にあたる⑬~⑮の飛躍に繋がっているのです。

     まず、犯人がライムの介入を予期している/いないについて、こうアルファベットを振ります。

    E:犯人がライムの介入を予見している=『証拠物件』を読み、誤導・対策が可能
    F:犯人がライムの介入を予見していない=誤導・対策は本来的には不可能

     しかし、Fには次のようなパターンがあります。

    F―1、元々犯人が基本的な証拠を残さないことについて慎重:殺し屋、鍵師など
    F―2、犯人と真犯人が別であり、真犯人はEに属する

     このようにすれば、犯人がライムの介入を予見していない場合でも、長編を作ることが可能なのです。考えてみれば分かる通り、犯人をEパターンでのみ作った場合、自信家で傲慢、狡猾なタイプの犯罪者が多くなってしまいます。もちろんそれはそれで大歓迎ですが、〈リンカーン・ライム〉シリーズは犯人の視点パートにかなりの枚数を割き、犯人vs.探偵のサスペンスを高める手法を取っていますので、タイプの似た犯人が増えてしまうと、長期シリーズとしてのマンネリズムに陥ることになります。ですが、Fパターンが使えれば、偏執狂的で自分の世界に閉じこもった犯人や情けない犯人、あるいは真意が読めない少年なども、犯人のパターンとして作り出すことが出来るのです。プロットの立て方の点でも、Fを使えば、第一の現場で事件が発覚、ライムが迫って来て第二の現場ではギリギリまで迫られ、ライムのことを犯人も知り、本格対決へ、という見せ方が可能になります。ほぼ自動的に長編のプロットの枠組みが完成することになるのです。Eはもちろんとして、このFの層を用意したことで、ディーヴァーはこれだけの長期シリーズを、手を替え品を替え実現させたことになります。

    〇総論の総括

     変なタイトルですが、ここで総論1~3で話したことをまとめます。それぞれの項で二つに分類したことから分かった通り、ディーヴァーのいわゆる『どんでん返し』が一作ごとに変わっている――少なくともそう『見える』理由はシンプルで、A・B、C・D、E・Fのこの三つのメニューの選び方が毎回変わっているからです。単純に考えて、三つのメニューからそれぞれAかB、などを選択していけば、八通りのパターンが生まれることになります。

     どういうことか。たとえば、「A:スイッチ」を選んだ時、これと親和的なのは、実は「F:犯人がライムの介入を予見していない」です。なぜなら、犯人が初めからライムにトリックを仕掛けない以上、作者が読者に対して仕掛けるトリックの層が厚くなるからです。また手掛かりの面においては、もちろん「C:「新現場」の発見」も使えますが、「D:手がかりの解釈」のうち「あるはずなのに、存在しない証拠」のネタによく馴染みます。犯人がライムの存在を意識せずに自然に行動しても、残ってしまうタイプの証拠であると同時に、ライムの解決が遅延する(メタ的に言えば、長編化する)説得力にもなるからです。

     あるいは、「B:トラップ」を選んだ場合には、必ずといっていいほど「E:犯人がライムの介入を予見している」ことになります。手掛かりXと繋がる偽証拠Yを撒くことで、「D:手掛かりの解釈」を誤らせるよう仕向けることになります。

     つまり、ディーヴァーのいわゆる『どんでん返し』の分析は、真相のタイプや犯人の配置・設定などを分析するだけでも八割行うことが出来、各作品のネタバレを避けながら各論に踏み入ることが出来ると考えています。ただ、各作品の真相の傾向について、予断を持たせる可能性は否定できません。なので、各作品について、一切の予断を持ちたくないという人は、今日はここでブラウザを閉じたほうがいいかもしれません。念のため繰り返しますが、以下、十五作品のネタバレは行わず、レビューを行います。また、以下のレビューでは、もちろん、こういう大上段に構えた議論に関わる部分だけでなく、シリーズ読者としての読みどころとか、ここが良かったよね~みたいな話もしていくので、お付き合いください。

     今、AとBパターンをざっくり区分けしてみましたが、もちろん、ディーヴァーは各作品において、二つのトリックを組み合わせたり、配分を変えたりして使っています。以下の議論では、シリーズの各作品について、A・B、C・D、E・Fのあてはめを試みますが、これらは「どちらの手法が主流と考えられるか、どちらの手法が決定的な場面で使われているか」を基準に選んでいます。ざっくりとしたものではありますが、何かの参考にはなると思うので、あてはめていく、という感じです。

     では各論に入る前に総論の締めくくりを。以下、ここからの議論のアウトラインを示せば、「ディーヴァーはスイッチの技法を〈確立の第一期〉において極め、それは②~④、⑥で一つの達成を迎えるが、一方でトラップの技法に関わる「絶対者としての犯人」への思索を⑤・⑦で試み、⑦の犯人・ウォッチメイカーにおいて結実する。〈変節の第二期〉においては、〈第一期〉で得た十分すぎる実りを使って、スイッチ・トラップの技法の更なる実験に挑む(⑨や⑩)。この〈第二期〉における⑪が発火点となり、⑬以降、〈跳躍の第三期〉とも言える、原点回帰と複雑性を志向した新たなフェーズに突入した」ということになります。

    〇各論:各作品レビュー

    〈確立の第一期〉
    ボーン・コレクター B―D―E
     さあ、『ボーン・コレクター』、記念すべき一作目です。今改めて読み返すと、この時点で謎解きミステリーとしてこれほどまでの高みに登っていることに驚かされます。なぜなら、これは科学鑑定を主たる武器とするリンカーン・ライムに、犯人が真っ向から挑んだ作品であるからです。犯人はライムの著した『証拠物件』を読み込んで対策し、現場にアフターシェイブローションを撒いてグリッド捜索を妨害する……という手法をとっているのです。最初の一作の段階から、「名探偵vs.知能犯」のフォーマットを確立し、さらにエッジの効いた解決を用意しています。

     つまり、類型から言えば「E:ライムの介入を予期している」形で、ネタとしても「B:トラップ」の類型があてはまることになります。手がかりについても「D:手がかりの解釈ミス」を利用したダイナミックな展開を作っています。なお、ここから、ライムシリーズにおいて「原点回帰」という言葉が使われる作品は、このB―D―Eのパターンが多くなります。要するに「ライムの介入を前提とした知能犯がライムに罠を仕掛けながら勝負に挑む」という頭脳戦を中心に据えた作品です。

     この作品では、障害者であることにいまだ屈託があるライムとサックスの論戦が読ませます。その論戦と二人の感情の動き自体が、プロットのダイナミズムをも作り上げています。同時に、この時点でディーヴァーが、名探偵に執着する犯人を描くためには、名探偵の、人間としての苦悩を話の主軸に据え、名探偵そのものをプロットに組み込むドラマが適合的だと発見していることにも驚かされます。この「名探偵そのもの」をプロットに組み込む、という手法は、実はディーヴァー以後にディーヴァーを意識していると思われる作家でも導入しているのは少数です。ディーヴァー流をやりつつ、この点にも意識的な作家の例を挙げれば、イギリス作家のM・W・クレイヴンでしょうか。

    コフィン・ダンサー A―D―(F-1)
     〈リンカーン・ライム〉シリーズが二十五年間続く人気シリーズとなったのは、この一作の発明が大きかったのではないかと思います。なぜならこの『コフィン・ダンサー』では、①と正反対の仕掛けである「A:スイッチ」の手法を大々的に導入することにより、様々な犯人を書けるようになったからです。

     職業的殺し屋を導入したことも、本作の強み。この殺し屋という職業は、今後も④、⑥、⑩などで導入されるのですが、最大のポイントは「職業的に、ライムの介入を想定せずとも、一般的なレベルで証拠を残さない対策を施せる」ことです。これを利用することで、「F:ライムの介入を想定していない」場合であっても、決定的な証拠をライムに掴ませないことが両立出来ます。また、第一の現場ではライムを意識していないが、それ以降、ライムを意識して行動する……というように、F→Eへ漸次的に駒を進めながらプロットを構築出来るのです。

     本作では、殺し屋が証人を一人一人消そうとする……というシンプルなプロットに、スティーヴン・ケイルの独特な語りを載せることで、ディーヴァーによる一流の「スイッチ」を堪能することが出来ます。飛行機アクションシーンもあって、『シャドー81』などの航空冒険小説の趣向を思い出すのも面白い。上下巻あわせて600ページ台というのも嬉しいところ。

     また、この作品では、尋問や心理を重視しないライムがコフィン・ダンサーと対峙することを願っている、というシリーズとしての謎もフックに使われており、その理由が明らかになる結末には清冽な感動があります。このシーンの良さもあってか、この後、望むにせよ望まないにせよ、ライムが一対一で犯人と対峙するシーンがある作品は、それだけで傑作度が高まるような気がしています。間接対決を繰り返して、最後の最後に直接対決するの……オタクが一番好きな構図だからな……。

    エンプティー・チェア A―C―F
     昆虫少年ギャレット・ハンロンを描く本作では、「A:スイッチ」の技法を用いつつ、これまでも作品の要素としては存在した「ライム:物証を重視」vs.「サックス:心理を重視」という対立項をプロットの中心に据えた作品になります。ギャレットの無実を信じるサックスが、一度捕まったギャレットと逃避行に及び、ライムがそれを追跡するのです。

     ディーヴァーはこの時、「ライム:物証を重視」vs.「サックス:心理を重視」という対立の構図を、②で上手くいきかけたライムとサックスの仲を引き裂く、恋愛ものとしての文脈で導入したようにも見えますが(④なども完全にその流れに乗っています)、ライムと正反対の意見を持つ捜査官を登場させ、その二項対立を展開の中でうまく捌く手法は、この後のディーヴァー作品のひな型になります。具体的には、④における中国思想との対立や、⑥の歴史との対立、そして⑦において、尋問術(キネクシス)を武器とする、キャサリン・ダンスとの対決を通じて完成を迎えます。

     閑話休題。本作で特徴的なのは、「ギャレット・ハンロンは本当に犯人なのかどうか?」という点を宙吊りにして書くことで、では「犯人」側の視点はどのように入れているかというと、ギャレットに誘拐された女性の視点から書いているのです。この視点の使い方は、以後、様々な作品で繰り返されることになります。たとえば⑦では、ウォッチメイカーの共犯者とされる男からウォッチメイカーを描くシーンから幕を開けます。

     今、先走って見た通り、一作ごとに試みて行った「ひな形」を、「絶対的な犯人」を描くという目的に収斂させていったのが、⑦ということになります。だから⑦は第一期の終わりにふさわしい作品なのです。

     そして、③の効用はもう一つあって、それはここで「オタクな『犯人』」を創出したことです(もちろん、③では最後までギャレットが犯人かどうか分かりませんが、序盤から繰り返される、ギャレットのこだわりの強さの描写は、それ自体が魅力にあふれています)。これによってディーヴァーの描く犯人像のパターンは飛躍的に広がったのです。と同時に、真にライムの介入を想定していない状況からも、頭脳戦を書くことが可能であることを、③は立証してみせたのです。この実りは大きく、これが⑧・⑬・⑮などに繋がっていくのです。

    石の猿 A―無―(F―1)
     シリーズ中の隠れた良作だと思っています。ライムが中国の密航船を追いかけていたところ、密航